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一筆啓上、行行子、の巻 [雑話]

先日歩いた自然環境体験公園の、松の木のてっぺんで、大きな声でしきりにさえずっているホオジロがいました。(exifによると、5月31日の撮影でした)

トリミングします。

「一筆啓上仕り候」と繰り返しています。
そのあと、足を伸ばした児島湖畔で、こんな鳥に会いました。

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以下トリミング画像です。


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甲高い声で賑やかにさえずっていました。この声は草原などでよく聞くのですが、姿を見ることは稀です。ヨシキリ(オオヨシキリ?)でしょうか。
doudesyo様のブログ「ほっと 野鳥
の6月15日付今年も来たね、オオヨシキリ でも見事なお写真が掲載されています。



ヨシキリについては以前こんな記事を書きました。
仰々し 仰々しとや  行行子

声を振り絞って囀っています。
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活動場所や見た目の類似から、すでに見知ったオオジュリンかと思っておりましたが、帰宅後ネットで調べてみますと、どうも鳴き声が一致しないと感じました。
鳥の鳴き声の「ききなし」をまとめたこのページを参照させていただくと、「仰々しい、行行子」という仰々しい鳴き声は、まさしくあの謎の声の主にぴったりと思えます。web上にある「オオヨシキリ」の写真を参照しても、ほぼ間違いないと思うのですが、いかがでしょうか?
そう言えば、確かに草野心平のこの詩では、「行行子」と書いて「ヨシキリ」と読ませていました。「ギョウギョウシ」という鳴き声からの名付けだったのですね。

富士山   

ー作品第肆ー 
川面(かわづら)に春の光はまぶしく溢れ。
そよ風が吹けば光たちの鬼ごっこ
葦の葉のささやき。
行行子(よしきり)は鳴く。
行行子の舌にも春のひかり。
 
土堤の下のうまごやしの原に。
自分の顔は両掌のなかに。
ふりそそぐ春の光に却って物憂く。
眺めていた。
  
少女たちはうまごやしの花を摘んでは
巧みな手さばきで花環をつくる。
それをなは(縄)にして縄跳びをする。
花環が圓を描くとそのなかに富士がはひる。
その度に富士は近づき。
とほくに坐る。
 
耳には行行子。
頬にはひかり。 

 ちなみに「うまごやしは」シロツメクサつまりクローバーですね。
 

ここでも書いたとおり、「行行子」という別名は、その鳴き声にちなんでいるようです。



ところで、先日(5/26)亡くなった津本陽さんに「月とよしきり」という作品があります。
私は、山本周五郎や池波正太郎、野村胡堂、司馬遼太郎など、いわゆる時代小説は、人並みに好んで読んでいる方だと思います。藤沢周平などは、文庫でも読み,全集も予約購読で全巻を読みましたから、愛読書と言っても過言ではありません。ところが不思議に、津本陽さんの作品は、わずかに何作か読んだ記憶があるだけで、この「月とよしきり」が、私の手元にあるほとんど唯一の津本作品です。
というのも、何ヶ月か前、古本屋の百円均一コーナーに並んでいたものを何気なく手にとって,そのほかの何冊かと一緒に買って帰り、夜寝る前にペラペラめくっては閉じ、を何度か繰り返し、読み切らないままに寝かせておいたものなのです(汗)。
津本陽逝去のニュースを聞いて、改めて取り出してきて読んでみた次第です。
この作品、江戸千葉周作道場の高弟で、類い希な剣才のゆえに前途を嘱望されながら、ふとした不運なアクシデントから道場を破門となり、辛苦の人生を歩むこととなった無頼の剣豪、平手造酒を主人公とする時代小説です。
bookデータベースにはこうあります。

天保八年。北辰一刀流玄武館で師範代を務める平手造酒は、師・千葉周作の命により、廻国修業に出た。油断により友を死なせ、道場を破門された。つまずき始めた造酒は、他流試合で破った水戸藩士の恨みを買い、祝言を挙げた藤が殺される。その後に妻としたおいとにも死なれ、自暴自棄になって酒におぼれていった。『天保水滸伝』で有名な伝説の剣豪、不運に見舞われ続けた、その知られざる半生。

ヨシキリはというと、作品中では平手が房州に滞在中、利根川沿いの芦草の茂みから、その鳴き声が聞こえてくる場面がありました。
そういえば、三波春夫の「大利根無情」も,田端義男の「大利根月夜」も、平手造酒を歌った楽曲でした。
「大利根無情」の歌詞中には、ヨシキリが登場してきます。



また、「利根の川風袂に入れて」というフレーズが耳に残る有名な浪曲がありましたっけ。「天保水滸伝」だそうですね。

利根の川風たもとに入れて、月に竿さす高瀬舟、一目関の戸叩くは川の、水にせかれる水鶏鳥、恋の八月大利根月夜、佐原囃子の音も冴えわたり、葭の葉末に露置くころは、呼ぶや蛍のそこかしこ、潮来あやめの懐かしさ、わたしゃ九十九里荒浜育ち、と云うて鰯の子ではない」

これまた平手造酒や、侠客笹川繁蔵らが活躍するお話。
山本周五郎の「花も刀も」も、平手造酒を描いています(昔読みましたが,すっかり筋を忘れました 汗)。



さて、津本作品「月とよしきり」によれば、その平手造酒が、道を踏み誤り、坂道を転げ落ちるように、洋々たる前途を失っていくきっかけとなったのは、「大目録皆伝」を前に命じられた関東諸国の廻国修行の旅の途中、ヤクザ者に不意を襲われて、朋輩岡野直豪が、不運にも命を失った事件。同行の造酒も、その油断がとがめられて破門となったのでした。
その襲撃事件は、平手と岡野が、成り行きで笹川繁蔵が開く賭場に招かれて,用心棒役を演じることになったことが原因で、博徒同士の縄張り争いに巻き込まれた事に起因していました。
千葉周作の姪お藤は、造酒と恋仲にあり、造酒の破門が解けるよう尽力しますが果たせず、失意の造酒を追って江戸を棄てて嫁いで来ます。造酒にとっては心穏やかで満たされた新婚生活が始まりますが,それも束の間、造酒を狙った鉄砲の弾に当たって息を引き取ります。これまた博徒の争いの,とんだとばっちりでした。
自暴自棄になった造酒は、心身ともに荒れすさび、自他の命のやりとりにも無感覚になりかけますが、それを一歩手前で引き留めたのは、「おいと」の存在でした。おいとは、父親の借金のカタの身売りされようとしていたところを造酒が救った少女でした。出会いの一節を引用します。

(造酒と友人市左衛門、亀之助の)三人は妓楼へ売られようとしていたところを造酒が助けてやった、 十五歳の娘おいとの身のうえについて話しあっていた。市左衛門はいう。
「あれは銚子の網元甚兵衛に雇われている漁師の勘三の娘でござんすよ。勘蔵はふだんはいっばしのはたらきをする奴で、女房と娘をかわいがる実直な男でしたが、どんな魔がさしたのか、この夏の清滝村(海上郡海上町)岩井不動明王の祭礼のとき、繁蔵がたてた野天博打で、いかさまにひっかけられたのでござんすよ」
「岩井不動専の博打か。どこかで聞いたことがあるが、この辺りじゃさかんなものらしいな」
「そうでござんすねえ。九十九里浜から飯岡にかけての漁場じゃ、漁師の給金は盆と節季に払われるものですから、金を懐に入れた連中を、繁蔵や助五郎といった貸元が、子分をやって賭場に誘いこみ、いかさまをやって素っ裸にしてしまうんですよ。岩井不動尊の縁日の博打場では、一日の寺銭が千両にもなるといわれやすが、まあそれは法螺でござんしょうがね。それでもかなりの稼ぎでしょうねえ。
寺銭とは博打を開帳した貸元と呼ばれる大親分が、金銭を持っていない客に元手を貸し、博打をさせるときの利足である。寺銭は五分とるのが通例で、勝負が一回きまるたびに勝ったほうから出す。だが客を詐欺にかけて身ぐるみ引きはがすいかさま博打のときは、ばれると貸元にも迷惑がかかるので、その危険負担分として一割五分の寺銭をとることもあった。

恩義を感じたおいとは、存命中のお藤と造酒の身の回りの世話を献身的にこなし、お藤にも家族同然にかわいがられます。時は移り、お藤亡き後、すさみ果てて各地を転々とする造酒が時折思うのは,おいとのかいがいしい気遣いと献身ぶりでした。彼女だけが自分に安らぎを与える存在であることに気づいた造酒は、紆余曲折の末、おいとを後妻に迎えます。ところがそのおいとも造酒との子を宿しながら、難産で母子ともに帰らぬ人となります。作品本文から少し引用します。

造酒は逆境に陥ると、実力勝負で生き抜いてやろうと、ふるいたつ性格であった。
 だが、おいとがいなくなってのち、彼の反撥心は消えてしまった。おいとは造酒の追いかけてゆけない冥途にいる。
 おいとが妊ったのは、天保十一年暮れであった。俺の子ができるのかと、造酒は身内が震えるほどの感動を覚えた。
 おいとは体調がよく、悪阻で食べたものを吐いては、空腹だといってまたすぐに食膳にむかった。造酒はおいとがいとおしくてならなかった。
 生れてくる子と三人になれば、いままでとはまったくちがう、張りあいのある世帯を持てるようになる。
 造酒はわが子の生れてくる日を待ちわびた。だが翌年に、おいとは難産であっけなく死んでしまった。胎児は娘であったが、臍の緒が首に巻きついていて、死産であった。
 おいとが苦しむのを、枕もとで脂汗をかきながら見守っていた造酒は、彼女が息をひきとったとき、産婆が驚いて腰を抜かしたほどの大音声で叫んだ。
 「神仏はどこにいるのだ。なにゆえ、俺を一人でこの世に残したのか」

一人残された造酒は、ますます酒に溺れ,生活は荒れ、繁蔵の用心棒としての日々を送ります。繁蔵と対立していたのは、博徒でありながら十手持ちでもあった飯岡助五郎。両者の関係悪化が頂点に達した天保15(1844)年、大利根河原で繰り広げられた争闘(大利根河原の血闘)で、造酒は命を落とします。
千葉県東庄町にその墓が建てられているそうです。

しかし、「月とよしきり」では、造酒の命を奪ったのは、飯岡助五郎方の子分たちではなくて、当日の「血闘」で勝利を収めた繁蔵だった、ということになっています。繁蔵は、日頃から造酒を「虫が好かない」、「いまいましい」と感じており、当日の血闘に加わらなかった造酒を、「ついでに」「当たっても当たらなくても」「せめて驚かしてやりたい」と、短銃で撃ったのでした。

造酒は、繁蔵の放った最初の一発で、耳の下を撃ち抜かれ、声をあげる間もなく、瞬間にこときれた。
 かつて朋友岡野直豪が、名もない三ン下にヒ首で脇腹をえぐられ、不慮の死を遂げたように、造酒もまた、落雷に遭ったような、思いがけない死にめぐりあってしまった。
造酒と岡野は、いずれも剣の天才を持っていながら、不運の生涯を終えた。



刑法が禁じる賭場を合法化する「カジノ法案」が、衆院内閣委員会で強行されました。「成長産業」どころか、無辜の民に、思いがけない窮乏化・困苦化を強いる亡国産業に他なりません。可愛い娘を妓楼へ売ろうとしたおいとの父親が、現代の世に無数に現れかねない非道な環境を、国家ぐるみでつくるのは、犯罪そのものです。
何でそんなに急ぐの?という疑問は、回を改めて考えたいと思います。
きょうはこれにて。

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