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「宵待草」異聞、の巻 [あれやこれやの知ったか話]

今日の話題は、先日の愛酒の日?の巻のつづきです。最後に、こう書きました。

ところで、「宵待草」の歌は、1910年(明治43年)、夢二27歳の夏、避暑旅行中に遭遇した長谷川カタとの淡い恋をモチーフにしているそうです。恋多き夢二の、青春のひとこまです。
それはそうに違いないのでしょうが、夢二のもう一つの側面に目を向けることによって、宵待草に別の解釈を与えることも可能なようです。
と、思わせぶりな文句を書いて、以下次号といたします。 

安田徳太郎氏の著作「『思い出す人びと』には、「夢二さんは日本で最初の社会主義画家としてメーデーを描き、〈まてどくらせどこぬひとを 宵待草のやるせなさ こよいは月もでぬさうな〉という詩に托して、社会主義の到来を待った社会主義詩人であった〈竹久夢二〉」との記述があります。
安田徳太郎とは、こんな人です。

 

安田徳太郎
やすだとくたろう
(1898―1983)

医師、社会運動家、著述家。京都生まれ。三高を経て京都帝国大学医学部卒業。京大在学中から従兄(いとこ)の山本宣治(せんじ)らと産児制限運動を行い、医療を通して社会運動に参加していった。1930年(昭和5)上京、31年東京・青山に内科病院を開業し、多くの活動家の診療に努めた。32年には共産党中央委員岩田義道(よしみち)の遺体を引き取り、病理解剖に立ち会い、また33年の小林多喜二(たきじ)の拷問死に際しては遺体解剖のため奔走したが警察に妨害されて果たせなかった。同年、共産党シンパの容疑で検挙されたが釈放。その後、転向者を含む獄中被告の救援活動に尽力。42年ゾルゲ事件に連座し、44年懲役2年執行猶予5年の判決を受けた。敗戦後、共産党公認で京都から衆院選に出馬したが落選。その後離党して文筆活動に入った。著書に、『世紀の狂人』、ベストセラーとなった『人間の歴史』全六巻、日本人の起源を推理して話題をまいた『万葉集の謎(なぞ)』、自伝的回想『思い出す人びと』など。おもな訳書に、戦前から戦後にかけて改稿を加えたダンネマンの『大自然科学史』全11巻別巻一がある。『山本宣治全集』『同選集』の編集にもあたった。[小田部雄次]
『『思い出す人びと』(1976・青土社)』
出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

ちなみに、その安田氏の義弟、高倉輝(タカクラ・テル)氏は、作家で戦後、衆議院議員、参議院議員となるがマッカーサー司令で公職追放された波乱の経歴の持ち主。そう言えば、先日市民劇場で鑑賞した演劇「春、忍び難きを」(俳優座)で、初めて選挙権を得た、文字の書けない農村女性サヨが、「タカクラテル」の文字を一所懸命覚えて投票する場面がありました。
朝日新聞degital2009年5月19日付け記事に夢二と社会主義との接点が、こう触れられています。

 夢二は反戦画家だった
東京・本郷から言問通りをちょっと下っていくと、赤いれんが造りの竹久夢二(たけひさ・ゆめじ)美術館がある。(中略) 
夢二といえば、大正ロマン、愁いを含む美人画、「宵待草」の歌で知られる。そう、夢二作詞の、あの哀切な歌である。

 まてどくらせどこぬひとを

 宵待草のやるせなさ

 こよひは月もでぬさうな。

 美術館の学芸員谷口朋子(たにぐち・ともこ)(40)は13年前にここに来たとき、「夢二ってあんまり好きじゃない。甘く情緒的」と思った。

 夢二が生きたのは明治から大正、昭和にかけての49年間である。日清・日露戦争、大逆(たいぎゃく)事件、大正デモクラシー、関東大震災、そして満州事変まで日本は激しく動く世情の中にいた。

    ◇

 そんな時代を夢二は、たまきさん、彦乃(ひこの)さん、お葉(よう)さん、何人もの女性を愛し、美人画を描いて過ごしたんですね。

 「ええ、純粋だったからか、あるいは自分をさらけだす人だったのか。でも、夢二は反戦画家でもあったんですよ」

 美術館所蔵の明治の新聞「直言」の合本をめくる。1905(明治38)年6月の紙面のコマ絵、いまでいう政治漫画は、白衣の骸骨(がいこつ)と泣いている丸髷(まるまげ)の女が寄り添う姿である。「日露戦争の勝利の悲哀を描いている。夢二が描いた最初の政治風刺画だろうといわれています」

 当時、ナショナリズムを高揚させた日露戦争に対し、反戦論、非戦論が台頭していた。内村鑑三(うちむら・かんぞう)はキリスト者として、幸徳秋水(こうとく・しゅうすい)、堺利彦(さかい・としひこ)ら社会主義者は「平民社」をつくって「週刊平民新聞」を発刊、世に訴えた。廃刊の憂き目にあうと、「直言」「光」「日刊平民新聞」などが後を継ぐ。

 「夢二はこれらにコマ絵を寄稿しているんです。けっこう、どぎつい絵ですよ」

 この絵、先頭は凱旋(がいせん)の楽隊、でも続くのは負傷兵、悲しむ女、後尾は得意顔の村長ですよ。ほう、これも戦争の悲哀ですね。こちらは資本家と労働者、これは成り金と女の図柄です。これは墓前で悲しむ女。はあ、夢二はこんな絵を描いたんですか。反戦と美人画。夢二はどんな人だったんでしょう。

 夢二は1884(明治17)年、岡山で生まれた。母と姉にだけ打ち明けて家出して上京、早稲田実業学校に入る。平民社に出入りする荒畑寒村(あらはた・かんそん)、岡栄次郎(おかえい・じろう)とともに下宿して社会主義に傾斜する。

 彼らの薦めで寄稿したコマ絵は、女性や子どもへの同情に満ちていた。反戦と美人画、いずれも遠い母や姉への思慕からはぐくんだものかもしれない。

 1911(明治44)年1月24日、号外売りが街を走る。夢二宅に出入りする女子学生神近市子(かみちか・いちこ)は、その号外を夢二に届けた。そこには、幸徳秋水ら大逆事件の死刑囚処刑のニュースが書かれていた。

 夢二はフーンとうなり、秋水らとは旧知であることを明かし、「みんなでお通夜をしようよ。線香とろうそくを買ってきておくれ」と神近に告げた。神近は、5年後、アナーキスト大杉栄(おおすぎ・さかえ)を愛情のもつれから刺す日蔭茶屋事件を起こし、戦後は社会党衆院議員になる。

 大逆事件は、天皇の暗殺を企てたかどで12人が死刑、12人が無期懲役になり、天下を震撼(しんかん)させた。だが、ほんとにそんな計画があったのか、社会主義者らを一網打尽にする権力の陰謀ではなかったのか。


「宵待草」の歌が発表された明治45年(1912)は、大逆事件被告処刑の翌年でした。「〈まてどくらせどこぬひとを 宵待草のやるせなさ こよいは月もでぬさうな〉という詩に托して社会主義の到来を待った社会主義詩人であった」(安田徳太郎)という指摘も、あながち頓狂とはいいきれないのではないでしょうか?
『宵待草』の詩のモデルとされる淡い恋の相手、長谷川カタは、夢二との交際をはばかった両親の計らいで明治45年(1912)年4月に音楽教師・須川政太郎と結婚し、東京、鹿児島で暮らし1男3女に恵まれ、今は、須川の出身地である和歌山県新宮市の墓地に眠っているそうです。奇しくも、その墓の隣には、大逆事件〈幸徳事件)で処刑された石誠之助の墓があるそうです。
大石誠之助のことを、これまでこんなに度々書いてます。我ながら驚きでした。

「大逆事件シリーズ」補遺、管野スガの巻


これから気楽に寝られます、か?の巻


コートクシュースイナワデンジロー、の巻


悠々自適の道草迷路、の巻
記事の一部をちょっとだけ再掲しておきます。


 これから気楽に寝られます、か?の巻
ところで、大石誠之助の友人だった詩人がもうひとりいました。与謝野鉄幹=寛です。かれは、大石をこう詩に歌っています。
誠之助の死   与謝野寛

大石誠之助は死にました、
いい気味な、
機械に挟まれて死にました。
人の名前に誠之助は沢山ある、
然し、然し
わたしの友達の誠之助は唯一人、
わたしはもうその誠之助に逢はれない。
なんの、構ふもんか、機械に挟まれて死ぬやうな、
馬鹿な、大馬鹿な、わたしの一人の友達の誠之助。

それでも誠之助は死にました、
おお、死にました。

日本人で無かつた誠之助、
立派な気ちがひの誠之助、
有ることか、無いことか、
神様を最初に無視した誠之助、
大逆無道の誠之助。

ほんにまあ、皆さん、いい気味な、
その誠之助は死にました。

誠之助と誠之助の一味が死んだので、

忠良な日本人はこれから気楽に寝られます。
おめでたう。
これまた「反語的な表現」で、愛する親友が無惨に奪われてしまった理不尽への慟哭が、胸に迫ります。
「誠之助と誠之助の一味が死んだので、/忠良な日本人はこれから気楽に寝られます。/おめでたう。」
何という皮肉でしょう。このあと、絶対主義天皇制の強権支配と、とめどのない軍国化が急速に強まっていき、「忠良な日本人」にとって、気楽に眠れるどころか、堪え難い「時代閉塞の状況」(石川啄木)が、しのびよっていったのですから。

午後はさすがに30度を超えて、暑さを感じましたが、午前中は25℃前後と、いつものエアコン設定温度よりはるかに低い涼しさでした。午前中職場で短時間用事を済ませ〈無給です!)、 午後短時間散歩に出ました。
栗イガも大きく育っています。

青空が、秋の気配です。



今日久しぶりに持ち出したカメラは、PENTAXK10Dですが、残念なことに青空などを写すと、撮像素子の汚れがもろに映り込みます。



レタッチソフトで何とかごまかせなくもないし、被写体によってはまったく目立たないで済むのですが、やはり不快感がつきまとうので、「ぺったん棒」でクリーニングして、もう一度撮影実験してみました。






レンズも代えて出かけたのですが、気持ちの良い撮影が出来ました。







雲の上に月が見えています。

トリミングしてみます。

キバナコスモスです。

道端で毎年散歩者を迎えてくれるコスモスは、この夏の熱射のせいか、葉が赤茶色に焼けて萎れた姿が、痛々しい限りです。もう少し涼しくなるか、雨でも降ると蘇ってくれるでしょうか?
今日はここまで。


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コメント 6

majyo

夢二が社会主義画家とは初めて知りました。
美人画しか知らなかったからです。
空が高く青いですね。もう秋の空でしょうか
by majyo (2017-09-01 07:34) 

hatumi30331

空も風景も秋めいてきましたね。^^

カメラ、クリーニングした後、綺麗になりましたね。^^
さすがです!^^

コスモス、もう少ししたら、どこかに撮りに行こうと思ってます。
陰は涼しくて、日向が暑い。
秋の始まりかな?
日向も涼しくなって欲しいです。へへ;
by hatumi30331 (2017-09-01 14:58) 

kazg

majyo 様
「社会主義画家」と断言するのは早計かも知れませんが、社会主義、民主主義への傾倒は確かに確認でき、反戦・反骨・ヒューマニズムの思いは確かなようですね。
by kazg (2017-09-01 21:43) 

kazg

hatumi30331様
今日はメッキリ涼しくなりました。
「一路秋」、とは行かないでしょうが、だんだん季節は変化していくのでしょうね。
by kazg (2017-09-01 21:46) 

momotaro

大逆事件、バカなことをやったものです!
by momotaro (2017-09-10 14:49) 

kazg

momotaro様
でっち上げ事件の元祖ですね。
by kazg (2017-09-11 07:13) 

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