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秋の吉備路の歴史散歩、の巻(3) [折々散歩]

連続記事の続きです。
吉備津神社→鯉喰神社の次に、チューターのSさんが案内してくださったのは、楯築(たてつき)遺跡です。なお、移動にはSさんのワゴン車を使い、運転も一切Sさん任せ。至れり尽くせりです。
公式観光サイト「倉敷観光web」のHP中の楯築神社の記事の紹介文を引用します。

 倉敷市域北東の岡山市と境を接するあたりに広がる王墓山丘陵の北端、楯築神社の境内を中心とする弥生時代後期の墳丘墓です。
自然地形を利用し盛り土を行って整えられて墳丘の規模は、現在知られている弥生時代の墳丘墓としては最大級です。円丘部は径約50m、高さ5m。墳丘頂部には5個の巨石が立っており、墳丘斜面には円礫帯がめぐっています。
岡山大学考古学研究室による発掘調査の結果、朱の敷き詰められた棺とそれを納めた木製の槨の痕跡が発見され、鉄剣と大量のガラス小玉、土製の勾玉などもみつかりました。弥生時代から古墳時代にかけての社会の変化を研究するうえで、触れずにすますことのできない全国的にも重要な遺跡のひとつです。

この近辺には多くの古墳や墳墓が存在しますが、この楯築遺跡は、弥生時代のものだと言いますから、大変古いものだそうです。



厳重に鍵のかかった保管庫があります。

怪しい男?がのぞき込んでいます(笑)

中に安置されているのはこれ。「弧帯文様」が刻まれた石です。

ウィキペディアの記事にこうあります。

 墳丘上には大正時代の初め頃まであった楯築神社に、代々伝世し、ご神体として神石(亀石)と呼ばれる全表面に毛糸の束をねじったような弧帯文様が刻まれた石が安置されていたが、現在はこの遺跡のそばの収蔵庫に祀られている。こちらは「伝世弧帯文石」と呼ばれる。 この弧帯文は、纏向遺跡の弧文円板と葬送儀礼で共通するといわれている。ここにも吉備津神社や鬼ノ城などのように温羅伝説が残っており、吉備津彦命が温羅との戦いに備えて石楯を築き、防戦準備をしたと伝わっている。

「主墳の頂上には木棺を取り囲むように5個の巨石が立てられ、また、斜面にも2列に地表の露出分だけでも高さ・幅とも1メートルあまりで20個ほどの列石がめぐらされ」(ウィキペディア)、ストーンヘンジさながらに古代史の謎への興味をかき立てます。

次なる見学地は、造山古墳(つくりやまこふん)。

吉備路には、「つくりやまこふん」と呼ばれる古墳が、「造山」と「作山」の二つあります。いずれもチョー有名な古墳ですが、名前を知るだけで訪ねたことがありませんでした。

岡山旅ネットというサイトに造山古墳のページがあります。

記事を少々引用します。

全国第4位の規模をも持つ5世紀前半の前方後円墳。
全長約360m、後円部径約224m、高さ約27~32.5m。
三段築成。後円部墳頂には形象埴輪が、墳丘斜面の各段には大量の葺石と円筒埴輪列が認められる。
墳丘上まで上がれる全国最大の前方後円墳として知られる。6基の陪塚(ばいづか)があり、馬形帯鈎が出土した榊山古墳、直弧文が彫られた石障をもつ千足古墳が著名。
(第1・2・3・4・5・6古墳)


また、岡山市のHPの中に、「埋もれた歴史再発見」というコーナーがあり、「史跡造山古墳」というページがあります。一部引用します。

全国第4位の規模は、この古墳の築造時には最大規模であったと考えられます。第1位の大山古墳(伝仁徳天皇陵=全長486m)と第2位の誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵=全長425m)とは、造山古墳より後の時期であり、第3位の石津ヶ丘古墳(伝履中天皇陵=全長365m)が同時期でほぼ同規模ですので、従来の全国最大規模の渋谷向山古墳(伝景行天皇陵=全長300m)を、大きく更新した最大規模観で出現していたと評価されます。

駐車場に車を駐めると、その広場のあたりに男の方がおられて、「ボランティアガイドですが、ご案内しましょうか?」と声をかけてこられます。わがチューターのSさんは、ちょっと思案して、即座に「お願いしましょうか」ということになりました。
説明の合間合間に、一行の面々がいろいろと細かい質問をはさみ、ボランティアガイドさんも興に乗っていろいろと話してくださるという具合で、ちょっとしたアカデミックな、プチブラタモリのような楽しい時間があっという間に過ぎました。


6基の陪塚(ばいづか)のうち、榊山古墳から出土した、馬形帯鈎のレプリカにも触らせてもらいました。馬の姿をデザインしたオシャレなベルト用のバックルです青銅製だそうで、当時日本には青銅鋳造技術はなかったそうで、朝鮮半島から伝わったものだそうです。

倉敷考古館のhpのこの記事には、こうあります。

  
ただし日本国内での出土例は、僅かに2遺跡に過ぎない。これと同類の物は、全て朝鮮半島の遺跡出土品なのである。
 考古館蔵品は、既に半世紀近くも前の収蔵品であるが、当時より朝鮮半島での出土品という認識であった。しかし日本の古墳時代遺物の中に展示するには、岡山県・吉備国であるからこそ意味があるからだった。
 日本出土遺跡が2例しかないといったが、その1例は今から百年ばかり前の出土例。現在は岡山市となっている、備中の加茂新庄にある巨大前方後円墳・造山古墳(長径360m)の正面に位置している、円墳・榊山古墳(径35m)からの出土で、今は宮内庁蔵品である。2001年に長野市浅川端遺跡から1点発見されるまでは、長く吉備の国の出土例が、日本で唯一のものであった。 


広場にはこれまた陪塚の一つ、千足古墳から出土した石障の復刻オブジェが飾られています。この石障に刻まれている模様が直弧文で、楯築遺跡の弧帯文との意匠的類似性が、興味をそそります。





駐車場広場から、造山古墳の全景望みます。予想を遙かに超える巨大さです。
巨大な前方後円墳の、右の小高い丘が円墳部分、左が方墳部分です。

下の航空写真はウィキペディア所載の画像をお借りします。

民家との比較で大きさがわかります。
Tsukuriyama Kofun, Okayama air.jpg

いよいよ、古墳の上を散策します。

仁徳天皇陵、応神天皇陵、履中天皇陵などと伝えられる他の巨大前方後円墳は、宮内庁に管轄されるため管理が厳しく、それを足で踏みつけるなど、恐れ多くて許されません。「実際に登ることのできる最大の古墳』なかなかのインパクトではありませんか。





古代キノコ?




古墳の頂から見下ろす田園風景です。

豊かな穀倉地帯が広がります。


他の田圃が碁盤状に区画整理されているのに、この正面下方に、いびつな形のエリアがあります。

どうやら、いつの時代か古墳が削られて、その跡が農地にされてしまったもののようです。


今日はこれにて。

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