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鳥殿に無沙汰侘ぶるや晦日節(みそかぜち) [今日の暦]

1月も今日で終わりです。古来「晦日節(みそかぜち)」と呼ばれ、 地方によっては、新しく餅 をついて神に供え、松の内に年始回りに行けなかった親類を訪問するなどのならわしがあるそうです。
しばらく、戸外の散歩をしていません。それ故、ここのところ、写真も撮っていません。ちょっと確かめてみたら、直近の撮影履歴は、1月20日。大阪に出かけた日でストップしています。
ひとつは、ここのところの、厳しい冷え込みと雨のせいです。また、こなすべき仕事がかさんで、余裕がないのも理由です。もう一つ、先日に記事でも触れましたが、出産を前にした娘のアッシーとして、スタンバイしている事情もあります。
最近の散歩と言えば、妊婦の散歩につきあって、ゆっくり歩いて近所のストアーに買い物に出かけたり、あるいは遠出して大規模店舗のフロアーを歩く程度です。

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おのれはとうとう、女なれば、いづちへも行け、の巻 [文学雑話]

先日来、木曾義仲の最後のいくさの場面を話題にしています。
今日の話題は、物語の時系列から言うと、この記事「巴の姿しばしとどめむ、の巻」に続く場面になります。
激戦をかいくぐった義仲の軍勢が、ついには主従5騎に目減りしてしまったなか、「五騎がうちまで巴は討たれざりけり。」とあります。武芸に秀でた巴は、愛する義仲の傍らに付き従って、無傷のまま奮戦を続けているのです。
その続き。

木曾殿、「おのれはとうとう、女なれば、いづちへも行け。我は討ち死にせんと思ふなり。もし人手にかからば自害をせんずれば、木曾殿の最後のいくさに、女を具せられたりけりなんど言はれんことも、しかるべからず。」とのたまひけれども、なほ落ちも行かざりけるが、あまりに言はれたてまつりて、「あつぱれ、よからうかたきがな。最後のいくさして見せたてまつらん。」とて、控へたるところに、武蔵の国に聞こえたる大力、御田八郎師重、三十騎ばかりで出で来たり。巴、その中へ駆け入り、御田八郎に押し並べて、むずと取つて引き落とし、わが乗つたる鞍の前輪に押しつけて、ちつともはたらかさず、首ねぢ切つて捨ててんげり。そののち、物具脱ぎ捨て、東国の方へ落ちぞ行く。手塚太郎討ち死にす。手塚別当落ちにけり。

〔テキト-解釈〕
木曾殿(源義仲)は、「おぬしは早く早く、女であるゆえ、どこへなりとゆくがよい。わしは、討ち死にしようと思うのじゃ。もし敵の手にかかって傷を負うようなことになったら、自害をするつもり。それゆえ、世間の人々に、木曾殿は最後のいくさに、女を連れておいでだそうな、などと言われるようなことは、あってはならんことじゃ。」とおっしゃったが、巴はなおも逃げ落ちて行かなかった。

あまりに何度も繰り返し言われ申して、「ああ、適当な対戦相手がほしいもの。華々しく、最後のいくさをしてお目にかけよう。」と、馬のたずなをひきしぼっ て待ち構えているところに、武蔵の国に名をはせた大力の持ち主、御田八郎師重が、三十騎ほどで出て来た。
巴は、軍勢の中に中に馬で駆け入り、御田八郎の馬に自分の馬を並べて、むんずと組みついて八郎の身体を引き落とし、自分の鞍の前輪にぎゅっと押しつけて、少しも身動きさせず、首をねじり切って捨ててしまった。
そのあと、おもむろに、よろいかぶとを脱ぎ捨て、一人の女となって、いずこともなく東国のほうへ立ち去っていく。
残る主従4騎のうちの、手塚太郎は討ち死にした。
手塚別当は落ち武者となって去っていった。

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沖縄を返せ 沖縄へ返せ、の巻 [時事]

先日、友人グループの集まりで、そのうちのひとりH女史から、「ちんすこう」をいただき、美味しく食しました。職場の労働組合の役員として地域でも奮闘されている息子さんが、先日沖縄宜野湾市の選挙の応援に赴かれたお土産だとのこと。
息子さんによれば、「辺野古移設容認」の現職勝利という結果は非常に残念だが、現職市長は辺野古問題に一切触れず、徹底的な争点隠しに終始するとともに、圧倒的な物量による応援と、強行的とも言える投票動員が目についたそうです。
当日の出口調査では、多くの投票者が重視したのは「普天間移設」問題と答える一方、政府の「辺野古移設」の姿勢を「支持しない」が約55%だったそうです。「今回の結果は、あくまで『世界一危険』と言われる普天間基地を一日も早く返還して欲しいという市民の願いの表れだ。辺野古移設が承認されたと解釈するのは無理」(毎日)という指摘の通り、今回の選挙結果をもって、辺野古移設が住民に指示されたなどと言いくるめて強行することは許せません。
ソネブロのお友達majo様の、最近のブログ記事「街宣2か所と沖縄基地反対デモ②」でこの歌が紹介されていました。
https://www.youtube.com/watch?v=cmBEmVBEhNw




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ヨシガモでした、の巻 [折々散歩]

前回の記事で、「トモエガモ」だとして掲載した写真は、「ヨシガモ」でした。例によって、M師のご指摘で、思い違いに気づきました。

そういえば、以前、これらの記事2015-03-262014-12-13で、「ヨシガモ」として写真を紹介しておりました。

フォト蔵にもアップしてました。

玉野市深山公園のヨシガモ

玉野市深山公園のヨシガモ posted by (C)kazg

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巴の姿しばしとどめむ、の巻 [雑話]

先日のこの記事で、木曾殿(源義仲)の最期の場面を話題にしました。
源義仲は、源頼朝の従弟にあたり、幼時、父・義賢が甥の源義平(悪源太)に殺されたあと、乳母(めのと)の夫である中原兼遠により、木曾の山中にかくまわれ成長したと伝えられます。
治承四年(1180)、後白河天皇の第三皇子である以仁王の令旨により、平家追討の挙兵をし、北陸道を経て真っ先に入京します。
その功績をたたえて、後白河法皇は、義仲に「朝日将軍」の称号を与えますが、次第に、軋轢が生じてきます、田舎者丸出しの粗暴な振る舞いが京の公家達の反感を買ったうえ、皇位継承問題にも口を出すなどに立腹した後白河法皇は、義仲平家追討の院宣与えて都から遠ざけ、一方で、密かに鎌倉の源頼朝に義仲追討を命じます。
寿永三年(1184)、義仲は、頼朝が派遣した源範頼・義経の軍勢に追われ、悲劇的な負けいくさの末、粟津の松原(滋賀県大津市)で最期を遂げました。

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凍風(いてかぜ)に露天風呂こそゆかしけれ千切れ千切れの湯気のまにまに [今日の暦]

今日は大寒。名前通りの冷え込みです。
先週末以来、しばらくご無沙汰いたしました。
身辺雑事に紛れて、ブログの訪問も更新も怠りました。
産休中の娘が、いよいよ臨月にさしかかりましたので、わが家で寝起きすることになりました。産院に連れて行くにも近く、産後のケアにも便利だろうということで、婿殿とはしばらく離ればなれで生活することになります。
適度な運動や散歩が大切なのでしょうが、最近、寒すぎて戸外を散歩ということになりません。と言うわけで、小さな買い物がてら、大規模ストアのフロアーを歩くお供をしたりしています。

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「薄氷は張つたりけり」、の巻 [今日の暦]

冬らしい冷え込みが続きます。待望の積雪を得てスキーシーズンの到来、と思ったのも束の間、あり得ないスキーバスの転落事故が、前途ある若者の命を奪いました。痛ましいことです。
事故の状況、原因は、目下調査中だそうですが、真っ先に脳裏にひらめいたとおり、「業界最安値」を売りに、苛烈なコスト競争を生き抜いてきた新参企業の陥りがちな暗黒面(ダークサイド)が、背後に存在しているようです。つまり、労働者の生活、労働条件、健康を削ることによって徹底したコストダウンをはかりつつ、最も大切にされるべき「安全」を二の次、三の次に追いやってしまっていたという、ありがちな(あってはならない)利潤追求体質が、それでしょう。
犠牲者の多くは、卒業・就職を前にした学生さんたちで、センター試験実施に伴う休講と、それに続く土日の休みを利用して、気心の知れた友人たちとともに、生涯記憶に残る楽しい想い出を、青春の一ページに刻むはずでした。むごく、残念なことです。ご冥福を祈ります。
ところで、今日1月17日は、阪神淡路大震災から二十一年目のメモリアルディです。
震災の起こった1995年は、大学入試センター試験は、1月14日・15日センター入試が実施され、その直後の1月17日、未曾有の地震災害が全国を震撼させたのでした。
この震災はたくさんの教訓を残しましたが、「関西では地震が起こらない」「日本は安全だ」などの、根拠のない「安全神話」が崩壊し、自然の猛威を前にして人類は微力であることが痛感させられたことは、なによりもまず銘記されなければならないでしょう。それだけに、人知の限りを尽くして天災に備え、安全を確保することの必要性が、痛切に自覚されたのでした。
これを契機に、利益追求や栄達や抗争や排他競争などよりも、生命の重みを再認識し、慈しみあい、いたわり合い、共同し合うことへと、人々の切実な思いが向かったのも、自然なことでした。「ボランティア元年」という言葉の誕生はそれを象徴していました。

(地震被害に加えて、悲惨な大津波と、人知の未熟をあざ笑うが如き原発事故が重なった2011年3月11日の東日本大震災は、その思いを、よりいっそう新たにさせました。悲しみはなお癒えず、復興もまだ道半ばであるのに、新たな安全神話を繰り出しながら早くも原発再稼働をすすめる勢力の、度し難い鈍感さ、想像力の欠如、脳天気ぶりは、あきれるばかりです。)

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ほっこりと円(まろ)き睦月の柄長かな [獺祭魚]

イギリス在住の友人M女史が、エナガ (long-tailed tit) をごらんになったそうです。

英国ウオーキングが主テーマの彼女のブログには、ロビン (robin)(ヨーロッパコマドリ)やアオガラ (blue tit)や、リスのお写真が、載せられており、心惹かれますが、残念ながらエナガ
(long-tailed tit)の写真が撮れなかったそうです。

ですので、こちらのエナガをご紹介しておきます。

今年になってから出会ったエナガです。

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はてさて?大競争狂騒曲とな?の巻 [私の切り抜き帳]

以前(2004年)、こんな文章を、ある教育系雑誌に投稿したことがありました。「10年ひとむかし」と言いますがそれ以上の昔の話です。でも、読み返してみて、今なお、根本的な変化(改善)は、認められないと思えましたので、ここに再掲させていただきます。

岡山発「大競争」狂騒曲

一、トカトントン、あるいはハラホロヒレ
太宰治に「トカトントン」という小品がある。玉音放送の後、なお「徹底抗戦、自決」を叫ぶ若い中尉の姿に厳粛を感じた「私」は、「死のう、死ぬのが本当だ」と決意する。が、折しも兵舎の屋根からトカトントンと金槌の音が聞こえ、なぜか途端にすべてが白けてしまう。高校教師出身のミステリー作家、北村薫氏が、エッセイ集『謎物語ーあるいは物語の謎』で、これに触れておられるのを、最近、愉快に読んだ。
「たとえば、太宰の『トカトントン』を読んで、何も見えない人に向かい、《トカトントンはハラホロヒレである》と言ってしまうのが評論家ではないか。そのおかげで何かが見え、《ああ、そうか》という人が出て来る。/すると別の評論家が《いや、あれは断じてハラホロヒレではない。ガチョーンである》と演出するのである。そこで、まことに不敬ではあるが《トカトントン》を《ハラホロヒレ》に差し替えれば、こういうことになる。/もう、この頃では、あのハラホロヒレがいよいよ頻繁に聞こえ、新聞を広げて、新憲法を一条一条熟読しようとすると、ハラホロヒレ、局の人事について伯父から相談を掛けられ、名案がふっと胸に浮かんでも、ハラホロヒレ、(中略)もう気が狂ってしまっているのではなかろうかと思って、これもハラホロヒレ、自殺を考え、ハラホロヒレ。」(中公文庫p二一〇)

二、「人皆か 吾のみやしかる」(山上憶良)
私は、五年間の夜間定時制経験を経て、「普通科単位制」を掲げる現任校での三年目を迎えている。当初、高速道路に自転車で迷い込んだような不安と居たたまれなさに、心身の不調が続いた。ある不登校経験者は、「校門が近づくと、ゴオッと大型ダンプに襲われるような威圧感を覚えた」と述懐していたが、今日の学校状況に内在するある種のテンションは、教師をも射すくめるものらしい。定時制では、多くの生徒が「三K=競争・脅迫(強迫)・強制が少ないから好き」と異口同音に語るが、その受容的な空気やゆったりとした時間感覚の対極に、今置かれている、と感じる。
もう十年近く前、高一で不登校のただ中にあった我が長男が、一切の「学校的なもの」に、怯え混じりの嫌悪を示したことがあった。その感性に波長をシンクロさせることで自己の安定を維持してきたせいか、私には「学校の息苦しさ」に過敏に反応する傾きがあるのだろうか。あるいは、五十代に入り教職最後の十年を消費しつつある私の適応能力にとって、環境の変化がいささか過酷に過ぎたかもしれないと解釈してもみる。

三、「一将功成って万骨枯る」(曹松)
だが、それらをさておいても、職場は多忙だ。どの学校でも、年々それは強まっている。
新指導要領実施に伴い、「総合的学習」の導入、シラバス(年間授業計画)作成、観点別評価など、教育内容・実務において激変とも言える変化が生じている。学校五日制で、逆に平日の過密化が進んでいる。「自主的」と称して、土曜日も補習講座に拘束される状況が広がっている。
近年、岡山では、長く続いた小学区・総合選抜制が廃止され、「特色づくり」の名による差別化と、「生き残り」強迫にせかされての熾烈な学校間競争が仕組まれてきた。例えば私の学校では、地域四校の総合選抜廃止に対応して、県下初の「普通科単位制」、「65分授業」、「2学期制」へと大幅な転換をはかることで、かつての兄弟校との序列競争・中学生獲得競争を生き延びようとしてきた。
今、こうした多大なエネルギーを傾注しての「特色づくり」の努力を総括・吟味する間もなく、県下全域に及ぶ大規模な高校再編(リストラ)が、問答無用で強行されている。それは、これまで職場や地域で培ってきた「学校づくり」の蓄積や合意を乱暴に消去・リセットする一大クーデターの様相を呈している。教職員、生徒、父母・住民という当事者が、学校づくりの主体から遠ざけられている。
これらの経緯の中で、「一将功成って万骨枯る」という事態が、少なからず現出している。手柄を買われて「栄達」の道を歩む元同輩を尻目に、茫々たる荒れ野に置き去りされた「兵卒」たちは、言いようのない徒労感と無力感にとらわれている。だが、スクラップ化の運命にある学校でも、「今いる生徒たちにはつらい思いをさせない」ために、涙ぐましい粉骨砕身を続けている。

四、再びトカトントン、あるいはハラホロヒレ
「進学校」を掲げる諸校の例に漏れず、我が校でも、ほぼ夏休み一杯進学補習が続く。新任の校長は、その期間に全教員と順に面談をするとおっしゃる。曰く、「進学重視型普通科単位制高校として、地元国立大学を中心に、進路目標を実現させることが重要。そのために、自分は何がしたいか、また、何ができるかを、聞かせてほしい。」近隣校でも、同様の動きが流行中との情報を、呆れた思いで聞いてはいたが、いざそれに当面すると答えに窮してしまう。
私の場合は、盆明け早々の補習の午後、校長室に呼ばれて開口一番「この学校のために何がしたいか。何ができるか。」へえ、本当にそうきましたか。日頃の仕事へのねぎらいの言葉すらなく?
私「いろいろ考えましたが、私にできることはなさそうなので、来年の三月にはよろしくお骨折りを願いたい。」/校長「それは、転勤希望と言うことかね。」/私「はい。」/校長「わずか三年目で、どういう事?」/私「前任校では、一応自分なりに自己完結したという思いがありましたが、この学校では、役割が見いだせない。仰るような学校には、別の適任の方がありそうです。」/校長「定時制の方がよかったと?では、どうして転勤したの?」/私「通院と健康管理の上から昼間の学校を希望したら、縁あって本校に。転勤に際しては前任校の校長にも本校の前校長にも義理を感じて、自分に鞭打って働いてきましたが、石の上に三年いても根が生えそうにありませんので・・」
語りつつ、私の耳にしきりにトカトントンが聞こえて、平静でいることが難儀だった。あるいはいっそ、ハラホロヒレ、ガチョーンと、口に出してしまいたい衝動に駆られる。衝動に駆られながら、その感情の正体がつかみかねていたが、後で胃の痛みとともにはっきりと気づいた。不当な仕打ちに対する屈辱感と、傷ついた自尊感情への憐憫。そして、全国津々浦々でこのような愚劣な問が発せられる状況のへの寒々とした白け。
「学校のため、君は何がしたいか、何ができるか」この問は言外に、「まつろわぬ者、働きが足りぬ者はおらぬか。”不適格”の烙印がイヤなら進んでもっと働け。さもなくば立ち去れ」という頭ごなしのメッセージを含んでいよう。そのような不信感むき出しの脅迫に怯え、失敗やつまづきへの不安にかられながら、果たして、教育という創造的な営みが成りたつのだろうか?さらに、この問は、従順なだけでなく、「上意」を自ら先読みし、すすんで遂行する「忠誠」競争を強いるものだ。だが、互いの事情や条件をふまえた、職場の合意形成への努力やプロセス抜きに「これがやりたい、あれがやれます」と名乗り出るお調子者が輩出したとしても、そんな学校に何が期待できるのだろうか?
小一時間に及ぶ、その日の校長面談の模様を克明に綴る気力はないが、もう一つだけ問答を付け加えておく。
校長「本校についてどう思う?」/私「みなさん忙し過ぎませんか?」/校長「定時制と比べたらね。だが、他の普通科進学校より特別に多忙だとは認識していない。」
職場の民主的リーダーたるべき校長が、職員の希望や提言に直接耳を傾けながら学校づくりをすすめる事は歓迎だ。その糸口となるなら、という微かな期待は、しかし、問答無用で切って捨てられた。再びトカトントンに襲われて、私は沈黙した。が、その沈黙を、後でひどく後悔した。その論法は、「職場に憲法なし」「働くルールの確立を」という要求に、どこそこの国よりましだろうとうそぶく経営者と同じではないか。そもそも人間として許せない酷い状態を、まだ下があるからと合理化されては困る。
その時言いそびれたことを、かいつまんで事実のみ記す。①私の転勤の前年。単位制移行のただ中に、S先生が38歳の若さで急逝。「次は自分かも」という不安を誰もが拭いきれないまま、慢性的なオーバーワークの実態は衰えをみせない。「健康は自分で守って下さい」「勤務時間が過ぎたら、帰れる時には出来るだけ早く帰ってください」という管理職の言葉が、苦笑混じりに聞き流される。②この4月、年度初めの勤務を終えて帰宅されたF先生が、ひとり暮らしのアパートで倒れ、意識不明のまま二日以上も推移して発見された。緊急入院・手術を経て、幸い生命に別状はなかったものの、復帰の見通しはなお立たないでいる。③今年転勤してこられた一人職種のT先生は、夏休み以来、長期の病気休暇に入られた。これらの欠如をお互いの「奮起」で補い合いながら、学校の歯車はうなりをあげて高速回転を続けている。この回転の先に、子どもと教育の未来の、信じられる者は幸いである。私の耳には、トカトントンが響いてやまない。 

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寒晴の深山散歩や鳥三昧 [今日の「これなあに」?]

前号、深山公園の散歩を記事にしました。

その際、言いたくてウズウズしながら抑えていた話題は、この出会い。

至近距離でルリビタキと遭遇しました。

残念ながら、メスだけでしたが。

深山公園のルリビタキ(メス)

深山公園のルリビタキ(メス) posted by (C)kazg

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紅梅の早やも咲いたる成人日 [折々散歩]

去年の2月にこんな記事を書いています。

末の孫生まれたそうな梅日和

そのほんの一部を引用します。


梅の花が、咲き初めていて、かぐわしい香りをただよわせていました。

ざっと眺めたところ、梅について、去年はこんな記事を書いています。









2014年2月13日

またまた、似たようなことを書きたくなりましたが、我慢我慢。

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年末年始の小鳥たち、の巻 [獺祭魚]


カワウソが、捕えた獲物を岩に並べて祝いの祭を催す故事にちなんで、撮りためた獲物を並べて一人楽しもうというコーナーです。

同名の「幻の名酒」とは、一切関わりがありません。

年末年始のストックのうち、季節感ある小鳥の写真をご紹介します。

まるく柔らかい、もふもふの姿が愛くるしいエナガが写せると、無上に嬉しい気分になれます。

年末のエナガ

年末のエナガ posted by (C)kazg

 

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新年もまたジョウビタキ健在なれ、の巻 [獺祭魚]

カワウソが、捕らえた獲物を岩に並べて祝いの祭を催す故事にちなんで、撮りためた獲物を並べて一人楽しもうというコーナーです。
同名の「幻の名酒」とは、一切関わりがありません。



私のブログに、好んで掲載する鳥の写真の筆頭は、ジョウビタキかもしれません。かなり近づいても、可愛くポーズしてくれるお陰で、それなりに満足できるアップ写真が残せるせいでしょう。

古いところでは、こんな記事に、例によって気ままに蘊蓄を傾けています。



鳥にまつわるエトセトラ part2



今日のジョウビタキ、今日のチョウ、今日のヤチョウ、明日のジョー



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ショベルで働くカモ、の巻 [今日の「これなあに」?]

ハシビロガモは、ポピュラーな鴨だそうですが、私にとっては珍しい鳥です。検索してみますと、過去にこんな記事を書きました。

春の水鳥撮り納めの巻

ミコ殿に遭うて嬉しやプチ散歩

風になびく髪飾りでしょうか

この鴨はあの真鴨とは違うかも

ホオジロガモでよろしかったでしょうか?

これらの記事の際には、オス、メスともに確認できましたが、今年はオスの姿が見当たりません。メスなのかエクリプスなのかも、区別がつきません。

それにしても、名前の通り、クチバシがただならぬ広さで、印象深い異相です。面白いのは、英語名Shovelerは、「シャベルで働く人」と言うそうです。

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芦原に潜むは雪下か冬日和 [今日の「これなあに」?]

芦原などに生息する「セッカ」という鳥がいることは、以前から教わっていました。オオジュリン、コジュリンなどと同じような環境に生活すると聞きました。

ウィキペディアにはこう書いてありました。

チガヤ、ススキなどの生える平地から山地の草原、河原、水田に生息し、昆虫やクモを食べる。繁殖は、オスは草とクモの巣で楕円形の巣を作り、メスを呼び込む。体の大きさや羽色の面からも、普段はあまり目立たない鳥であるが、繁殖期には「ヒッヒッヒッヒッ・・・・ジャッジャッジャッ」と鳴きながら、波線状に低空を飛翔する姿がよく観察される。 

 また、日本大百科全書(ニッポニカ)の解説にはこうありました。
せっか / 雪下・雪加

fan-tailed warbler

[学]Cisticola juncidis

鳥綱スズメ目ヒタキ科ウグイス亜科の鳥。湿地の草原、高原などにすむ昆虫食の小鳥で、繁殖期の雄は、体のわりに大きな尾を広げて先端の白さを目だたせながら草むらから飛び出し、上昇しながらヒッヒッヒッと鳴き、下降しながらチャッチャッと鳴く独特のディスプレーを行う。全長約12センチ。上面は黄褐色で黒い縦斑(じゅうはん)があり、夏羽では黒みが強くなる。地中海沿岸、南アジア、フィリピン、オーストラリア北部に分布し、ほとんど渡りをしない。日本では、本州から八重山(やえやま)列島まで分布しており、雄が5~9月にイネ科植物の葉をクモの糸でまとめて巣をつくる。一夫多妻。卵数は4~7個である。生まれたその年のうちに繁殖する雌がある。鳥類ではほかに例がなく、注目されている。[竹下信雄]

これが、セッカでしょうか?

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あるじなき庭に蝋梅かおりたる [今日の暦]

今日は「小寒」。「寒の入り」だそうです。
それにしても、例年にない暖かさです。
遠くまで行かなくても、歩いて数分のご近所の庭に、ロウバイが咲いています。いつの頃からか空き家になっているようですが、今年も12月の早い時期に咲いているのを見つけました。いつでも写せると高をくくっているうちに、時期を過ぎてしまうかも知れないと思い立ち、カメラを持ってぶらりと出かけました。
すると、途中の木の枝に、見かけぬ鳥の姿がありました。
でも、持って出たレンズが、マクロレンズでしたから、豆粒にしか写りません。

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リユース2題、の巻 [私の切り抜き帳]

瞬く間に、正月休みが終わりました。

孫たち(当人同士はいとこたち)は、どこへつれても行けませんでしたが、近所の公園で、楽しく遊びました。

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またまた異質共存を思う、の巻  [私の切り抜き帳]

昨年末に書いたこれらの記事で、「多様性」「異質共存」という話題がつづきました。

みんな違ってみんないい、の巻

いや高に凍空翔(かけ)ん鳥のごと


勢いで、またまたその話題です。

今朝の「しんぶん赤旗」(1月4日付け朝刊)の、作家の高橋源一郎さんと文芸評論家の斎藤美奈子さんによる「新春対談」が掲載されており、興味深く読みました。おふたりは、『民主主義』をキーワードに語っておられますが、その一節にこんな下りがあって、目を引かれました。

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暇(いとま)なき節句働き三ヶ日 [味覚、食材]

『怠け者の節句(節供)働き』という慣用句があります。

節句(節供)には、働き者も骨休みするのが常であるのに、いつも働かない怠け者が、そんな日に限って張り切って働き出すことをからかう言葉です。

こんな言葉を適用するのははばかられますが、多くの人が骨休みする年末年始を、忙しく働いている人もあります。パート勤務の我が妻も、非正規雇用の長男も、ともに、年末年始も普段以上に仕事が入り、日曜日である今日(3日)も、仕事でした。

以前は、正月と言えば、緊急やむを得ざる場合を除いて、ほとんどすべての営業活動を停止し、しばしのくつろぎと骨休みの機会として、家族とともにしずかに新年を迎えたものだったように思います。

結婚当初の頃、大抵は私の実家か、妻の実家で新年を迎えるのが習いでしたが、ある年、居住地で年越しを経験した際、正月三が日どころかそれ以上も、最寄りの商店がまるで休業状態で、生活物資を手に入れるにも困ったという記憶があります。

うかつにも、しかるべき備えを怠ったがための不便さには閉口しましたが、あらかじめそのことを承知して備えておきさえすれば、しのぐことができますし、そうした環境の中でこそ、日常と違う静謐な空気を味わうことができたと思えます。

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よのなかの災い去れや猿団子 [今日の暦]

今年もよろしくお願いします。


2016年1月1日



よのなかの災い去れや猿団子 kazg

古来、申年は、病や災厄が去る年と言われます。

今年こそ、世界中に、真に穏やかな平和と安心が訪れますように。

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