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文月もはやも晦日か空碧し [折々散歩]

ちょっとしたはずみで、早朝散歩が未遂に終わりました。起床後あれこれしているうちに6時を過ぎ、まずは朝食をとって、そのままパソコン前に座り込んでしまいました。

午後は雨が降るかもという予報ですので、晴れているうちにと、10時ごろでしたか、暑い日差しの中の日中散歩に出かけました。

行き先は、時間の関係もあって、近場の自然環境体験公園。

夏休みの日曜日とあって、小さな子供連れも、ちらほら見えます。あちらこちらで、樹木や芝生に水を撒くためのスプリンクラーが、涼しげな噴水を噴き上げています。真っ裸になって水遊びをしている幼児もいて、のどかでほほえましい光景です。

青空に、純白の木槿(むくげ)が鮮やかに映えています。





あでやかなピンクの木槿。



水辺には、うちわトンボが何匹もいました。











これはスズメの幼鳥でしょうか?













カワラヒワの幼鳥か?

カワラヒワの若鳥(自然環境体験公園)

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 ネムノキの葉陰にいたこの鳥も、カワラヒワの幼鳥?でしょうか?

カワラヒワの若鳥(自然環境体験公園)

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自然環境体験公園から、常山がこんな風に見えます。


レンコン田の彼方の常山
レンコン田の彼方の常山 posted by (C)kazg



児島湖の沿岸エリアまで少し移動して、湖畔の夏景色を楽しみました。児島湖夏景色

児島湖夏景色 posted by (C)kazg



児島湖に映る真夏の常山


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児島湖に映る真夏の常山

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児島湖に映る真夏の常山


児島湖に映る真夏の常山 posted by (C)kazg

炎天下、ネコジャラシ(エノコログサ)の勢いも盛んです。

 

 

 今日で7月が終わります。

都知事選挙のゆくえはどうなりますか?

今日はここまで。


丑の日の朝散歩、の巻 [折々散歩]


先輩同業者のMさんから、鳥の写真に添えて、長文のメールをいただきました。

ご自宅のひまわりの種を食べに来たという カワラヒワ。

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 ひまわりについた虫を食べに来たというスズメ。

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 ご自宅で観察できて、うらやましいことです。来年は、庭にひまわりを植えようっと。

メールでは、相模原の事件について、あれこれ書き散らしてきた私の文章に欠けていた視点に気づかされ、目からウロコでした。

うすうす感づいていたのに、言語化できずにいた、と自己弁明しているところですが、肝心なポイントですので、了解を得て紹介させていただくことにします。

というわけで、馬脚を現す前(いや、もう十分に露見していますが)に、早々に切り上げるつもりでいたこの事件の話題を、再度俎上に載せることにします。

以下、Mさんのメール(抄)です。

  おぞましい事件が起きましたね。いまこの国を覆う能力主義的価値観の行き着く先のような気がします。格差や能力主義への無自覚な抗議ではなくその逆のように思います。権力者の能力主義的弱者切り捨ての価値観への無自覚な迎合でしょう。

 私も大学卒という学歴を持つということは一応この能力主義的偏差値体制の勝者ですから、身に染み付いた能力主義的価値観はなかなか洗い流せません。昔吉野さんからガツンと一撃をもらったのを今でも思い出します。いわゆる底辺校に勤務していた頃授業で時事問題の雑談をしていた時、家計を助けるため毎朝新聞配達をし後登校してくる生徒がいました。その時ある事件について質問してくるので「君は新聞を配達しているのだろう。今日の新聞に載っていただろう。」というと「わしゃあ漢字が読めんからようわからん」という返事をもらいました。吉野さんにこの話をして、「ということは高校生にもなって教科書も読めん子がおる。こうゆう子らに何を指導すりゃあえんじゃろう。」と教育困難校の悩みを話したら。「新聞が読めん子には新聞が読めるようにしちゃらあいいが、それがあんたの学校の教育課題じゃねんかな。あんたらの学校の子は箸がもてるじゃろう。自分で飯が食えるじゃろう。うちの学校には箸の持てない子がおる。箸の待てない子には箸が持てるようにしてやるのが教育課題じゃ。難病であと少しの寿命の子もいる、もうすぐ死ぬ子に教育が必要か?この子には人間として死なせてやる、それが教育課題じゃ。」というような意味のことを言われました。

 能力主義的人材育成教育でない「人間教育」とは何かを真剣に考えさせられた一撃でした。すごい人です。

 今回の事件の犯人は衆院議長に手紙を届けようとしています。無自覚のうちに今の権力者の価値観に受け入れられると思っていたのでしょう。

 そういえば以前、介護老人をビルの上階から落とした介護師がいました。私は要介護老人でないので黙っていました。次に障害者が虐殺されました。私は障害者でないので黙っていました。次に生活保護受給者が狙われました。私は生活保護受給者でないので黙っていました、次に年金受給者が・・・・・。

 人は何かに役立つから価値があるのでなく、存在しているそのことに価値があるということを叫ばなくては。孫育ては能力主義社会から半歩出ている高齢者の役目だという人がいます。能力主義が渦巻く社会へ出て行く前の子供に存在そのものが素晴らしいと感じさせねば・・・と思う今日この頃です。

ちなみに、文章中の「吉野さん」とは、昨日の記事でご紹介した、「浅田達雄さんを支援する会」事務局長・障岡連(障害者の生活と権利を守る岡山県連絡協議会)事務局長の吉野一正氏のことです。

それにしても、ニーメラー師の詩が、今ほど切実さを増しているときはないかもしれません。

ウィキペディアから引用します。

 

     日本語訳

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった

私は共産主義者ではなかったから



社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった

私は社会民主主義ではなかったから



彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった

私は労働組合員ではなかったから



そして、彼らが私を攻撃したとき

私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

 

 


昨日の記事の、いっぷく様へのコメントにも書きましたが、私のブログテーマは「散歩」で「日記・雑感」です。初心に立ち返って、今朝の散歩に始まる日記を書きます。
今日は「丑の日」だそうで、さすが気温が、早朝からうなぎのぼりで、日中には35℃の猛暑になりました。

 

今日の日の出は5:15だそうで、散歩に出た6時ころはさすがには涼しさを味わえましたが、ひと歩きして帰る頃は、日差しがじりじり音を立てはじめていました。


真夏の田園朝景色


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真夏の田園朝景色

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真夏の田園朝景色


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真夏の田園朝景色


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真夏の田園朝景色


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真夏の田園朝景色


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I真夏の稲田の露しずく


真夏の稲田の露しずく posted by (C)kazg



真夏の稲田の露しずく

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真夏の朝のひまわりの花


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真夏の朝のひまわりの花


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真夏の朝のひまわりの花


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真夏の朝のキバナコスモス


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今朝のアブラゼミ


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今朝のアブラゼミ


今朝のアブラゼミ posted by (C)kazg



今朝のアブラゼミ


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今朝のクマゼミ

今朝のクマゼミ
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おまけ。土ガエルを写したつもりが、ナメクジまで写っていました。

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孫たち一家は、昨夜から夜走りで、450km離れたママの実家に里帰り。
散歩中に、メールが入り、三保の松原までついたとの由。こんな写真を添付してくれました。

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長旅お疲れさん。

今日はそのあと、血圧の薬をかかりつけ医までもらいに、月に一度のオツトメで半日を費やしました。午後は熱暑の中で PCに向かう「荒行」に挑戦。、、、が、耐え切れず、夕方にはエアコンのスイッチを入れました。それでもなお、汗が引かない丑の日でした。

きょうはこれにて。

 

 

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T4ってなんだっけ?の巻 [折々散歩]

相模原の事件がいつまでも心にかかります。

またまたその話題です。

「T4(テーフィア)作戦」というものの存在を、改めて心に刻みました。

ウィキペディアにはこうありました。

T4作戦(テーフィアさくせん、独: Aktion T4)は、ナチス・ドイツで優生学思想に基づいて行われた安楽死政策である。1939年10月から開始され、1941年8月に中止されたが、安楽死政策自体は継続された。「T4」は安楽死管理局の所在地、ベルリンの「ティーアガルテン通り4番地」(現在同地にはベルリン・フィルハーモニーがある)を短縮したもので、第二次世界大戦後に付けられた組織の名称である。一次資料にはE-Aktion(エー・アクツィオーン)〔E作戦〕、もしくはEuAktion(オイ・アクツィオン) の名称が残されている。この作戦の期間中の犠牲者は、公式な資料に残されているだけでも7万273人に達し、その後も継続された安楽死政策により、後述の「野生化した安楽死」や14f13作戦によるものも含めると20万人以上が犠牲になったと見積もられている。

「IWJ Independent Web Journal」の7.27付記事最悪の「ヘイトクライム」発生!相模原の知的障害者施設で19人殺害――容疑者は衆院議長公邸に「障害者は安楽死」求める手紙を持参した過去も 2016.7.27が、きわめて示唆的です。

想起されるナチス・ドイツの優生学思想、障害者虐殺の「T4作戦」

知的障害者に対する「安楽死」と聞いて真っ先に想起されるのが、ナチス・ドイツが優生学思想にもとづいて行った「T4作戦」である。
ナチスは知的障害者や精神疾患者を「民族の血を劣化させる、生きるに値しない命」だとして、各地の精神医療施設から提供されたリストにもとづき 「処分者」を決定。「処分者」はバスでガス室へと移送され、殺害された。ナチス政権下で、8万~10万人の知的障害者・精神疾患者が殺害されたと言われている。
まさに「悪魔の所業」とでもいうべき「T4作戦」だが、障害者に対する「安楽死」政策は、日本にとっても他人事ではない。 
2015年11月18日には、茨城県の教育委員である長谷川千恵子氏が、「妊娠初期にもっと(障害の有無が)わかるようにできないのか。(教職員 も)すごい人数が従事しており、大変な予算だろうと思う」と発言し、大きな波紋を呼んだ。右翼の思想家の中に、「障害者の誕生は社会的・経済的な負担になるから、具体的な処置をとるべき」という思想が、育くまれてきたのである。

 

▲ナチスのポスター「この遺伝的欠陥を持つ人間の一生に6万ライヒマルクもかかる。それは他ならぬ君の金だ。考えろ」
▲ナチスのポスター「この遺伝的欠陥を持つ人間の一生に6万ライヒマルクもかかる。それは他ならぬ君の金だ。考えろ」

  
「予算の削減」のために障害児の出産を「防ぐ」という発想は、ナチスの「T4作戦」に通じるものである。実際にナチスは、「この遺伝的欠陥を持つ人間の一生に6万ライヒマルクもかかる。それは他ならぬ君の金だ。考えろ」というポスターを街中に貼り、優生学思想を煽った。

煽られた偏狭なナショナリズムの帰結!「朝鮮人殺せ!」は、「障害者殺せ!」に転化する

 過去の歴史が教えるように、偏狭なナショナリズムは、マイノリティ(少数者)に対する物理的な「排除」へとつながる。
2012年末に安倍政権が発足して以降、在日朝鮮人というマイノリティに対するヘイトスピーチが特に高揚したことからも分かるように、日本も 「T4作戦」のとば口に立っているように思えてならない。「朝鮮人殺せ!」は、いとも簡単に「障害者殺せ!」にも転化するし、その逆もありうると考えられるからである。
さらに、社会的「有用性」から生命に軽重の序列をつけるような考え方が広まり、万人に基本的人権、特に生存権があるという考えが空洞化していけ ば、生産活動からリタイアした高齢者や難病患者にも「安楽死」を求めるような社会的圧力が広まってくるかもしれない。LGBTのような性的マイノリティへの偏見・差別も強まる可能性もある。非常に危険である。

相次ぐ公人による差別発言も「許容」し続けてきた日本社会

 日本はこれまで、あまりにも差別に寛容すぎた。
今、都知事選に立候補している在特会の元会長・桜井誠氏(本名・高田誠)は、コリアンタウン・新大久保で、「良い朝鮮人も悪い朝鮮人もいない。朝 鮮人を皆殺しにしろ!」「日本が嫌いな韓国人、女でもいい、出てこい! 絞め殺してやるから出てこいよ!ぶち殺してやるから出てこい!」「犯罪朝鮮人を皆殺しにしろ!コリアンタウンを焼き尽くせ!」などと叫びながら大勢で練り歩いていた。
「害悪の告知」を明白に行っている。これは脅迫以外の何ものでもない。

 警察は在特会のヘイトスピーチを止めるどころか、「表現の自由」を理由として、脅される一般市民や在日コリアンの方を守るのではなく、在特会のほうを警備しながら、彼らレイシストがコリアンタウンを練り歩くのに寄り添ってきた。
都知事で、かつ差別主義者といえば、石原慎太郎氏の存在を忘れるわけにはいかない。
石原慎太郎元都知事は、都知事時代の1999年9月、障害者施設を訪れ、「ああいう人というのは人格があるのかね」「おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないか」「ああいう問題って安楽死なんかにつながるんじゃないか」などと語っている。
石原氏は障害者に対して「人格があるのか」と無知と差別にまみれた侮辱的な発言を口にしただけでなく、障害者について語る文脈で「安楽死」という 言葉を口にしている。ナチスの障害者差別、組織的殺害を思い起こさせるのに十分である。「西洋人なんが切り捨てちゃうんじゃないか」とも言っているが、石原氏は「切り捨ててはいけない」とは言わない。
こうした障害者差別の発言によって、石原氏は政治家として失脚したかといえば、そうではなく、彼はその後も13年にもわたって都知事に君臨し続けた。

弱者への差別はしてはいけない、というモラルが、この何年かの間に急速にゆるんできている。このようなレイシストが首都の知事の座を長きにわたっ てとどまり続けたことと無関係だとは思われない。政治的リーダーの規範意識がおかしければ、その社会の規範意識は、やはりおかしくなってゆくものだ。植松容疑者はある日突然、出現したわけではない。


また、「毎日新聞」web版2016年7月28日の尊厳否定「二重の殺人」全盲・全ろう東大教授の記事も、深くうなずかせられました。

「重複障害者は生きていても意味がないので、安楽死にすればいい」。多くの障害者を惨殺した容疑者は、こう供述したという。

 これで連想したのは、「ナチス、ヒトラーによる優生思想に基づく障害者抹殺」という歴史的残虐行為である。ホロコーストによりユダヤ人が大虐殺されたことは周知の事実だが、ナチスが知的障害者らをおよそ20万人殺したことはあまり知られていない。
一方、現代の世界では、過激派組織「イスラム国」(IS)の思想に感化された若者たちによるテロ事件が、各地で頻発している。このような歴史や現在の状況を踏まえた時、今回の容疑者は、ナチズムのような何らかの過激思想に感化され、麻薬による妄想や狂気が加わり蛮行に及んだのではないか、との思いがよぎる。
 
被害者たちのほとんどは、容疑者の凶行から自分の身を守る「心身の能力」が制約された重度障害者たちだ。こうした無抵抗の重度障害者を殺すということは二重の意味での「殺人」と考える。一つは、人間の肉体的生命を奪う「生物学的殺人」。もう一つは、人間の尊厳や生存の意味そのものを、優生思想によって否定する「実存的殺人」である。
前者は被害者の肉体を物理的に破壊する殺人だが、後者は被害者にとどまらず、人々の思想・価値観・意識に浸透し、むしばみ、社会に広く波及するという意味で、「人の魂にとってのコンピューターウイルス」のような危険をはらむ「大量殺人」だと思う。

 こうした思想や行動の源泉がどこにあるのかは定かではないものの、今の日本を覆う「新自由主義的な人間観」と無縁ではないだろう。労働力の担い手として
の経済的価値や能力で人間を序列化する社会。そこでは、重度の障害者の生存は軽視され、究極的には否定されてしまいかねない。
しかし、これは障害者に対してだけのことではないだろう。生産性や労働能力に基づく人間の価値の序列化、人の存在意義を軽視・否定する論理・メカニズムは、徐々に拡大し、最終的には大多数の人を覆い尽くすに違いない。つまり、ごく一握りの「勝者」「強者」だけが報われる社会だ。すでに、日本も世界も事実上その傾向にあるのではないか。
障害者の生存を軽視・否定する思想とは、すなわち障害の有無にかかわらず、すべての人の生存を軽視・否定する思想なのである。私たちの社会の底流に、こうした思想を生み出す要因はないか、真剣に考えたい。

 
ふくしま・さとし 1962年神戸市生まれ。小学生で全盲となり、高校生のときに特発性難聴により聴覚も失う。母が、両手の指の関節を点字の突起に見立てた「指点字」というコミュニケーション方法を考案し、よどみなく会話ができるようになった。盲ろう者として初めて大学(現・首都大学東京)に入学し、金沢大助教授などを経て現職。全国盲ろう者協会理事、世界盲ろう者連盟アジア地域代表を務める。2003年に米週刊誌タイムの「アジアの英雄」に選ばれた。

 


ところで、岡山発の人権裁判として「朝日訴訟」はよく知られていますが、今、もう一つの人権裁判が、憲法25条をめぐって争われています。
「浅田訴訟」と呼ばれます。
浅田達雄さん(当時65)の提訴、地元紙「山陽新聞」(2013年9月19日付)は、こう伝えました。

 

65歳で給付打ち切りは不当と、岡山地裁に提訴

 65歳を境に障害者自立支援法(現・障害者総合支援法)の給付による無償の介護サービスが打ち切られるのは不当な差別で憲法違反だとして、岡山市中区高島、浅田達雄さん(65)が(2013年)9月19日、岡山市に決定の取り消しなどを求めて岡山地裁に提訴した。
 自立支援法は65歳以上の障害者に対し、介護保険の適用を優先する原則を規定。介護保険の給付を利用すると、1割の費用負担が生じる。弁護団によると、この優先原則をめぐる訴訟は全国初。

 訴状によると、浅田さんは一人暮らしで、腕と足に重い障害があり、入浴や移動など月249時間の訪問介護を無償で受けてきた。市は昨年末、介護保険への切り替えを要求。浅田さんは自己負担を懸念し、従来通りの給付を求めたが、65歳の誕生日月の今年2月、「要介護認定されていない」と市の通知が届き、支援法による給付が打ち切られた。
 翌月、浅田さんはやむなく介護保険法に基づく給付を申請。最も重い要介護度5の認定を受けるなどしたが、月1万5千円の負担が生じているという。

 提訴後の会見で浅田さんは「(介護保険の優先原則は)年齢による差別。絶対許せない」。弁護団の呉裕麻弁護士は「憲法が定める健康で文化的な最低限度の生活が保障されていない」と訴えた。

 

 まさに「障害者の生存を軽視・否定する思想」との、文字通り命がけのたたかいです。

なぜなら、浅田さんは腕と足に重い障害があり、介護サービスなしには片時も生き延びることすら困難なのです。だからこそ、障害者自立支援法に基づいて、入浴や移動などで1カ月約250時間の訪問介護を無償で受けてきたのに、65歳になったとたんに、介護保険の適用が優先されるとして、1割の費用負担が生じることになったのです。浅田さんは「これまで無償だったものが、なぜ65歳を過ぎると費用負担が生じるのか。納得できない」として提訴に踏み切ったのでした。

それは、浅田さんひとりの問題ではありませんし、単に障害者だけの問題でもありません。高齢者が介護サービスのために過重な自己負担をしなければならないという、介護保険制度そのものの矛盾・問題点をただし、憲法25条の理念を具体化するたたかいでもあるのです。

「浅田達雄さんを支援する会」の機関紙「ささえ」の最近号(第53号)の画像をご紹介します。

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ちなみに、この機関紙の発行責任者、吉野一正氏は、私たちの退職同業者の先輩で、県立養護学校教員を退職後、障岡連(障害者の生活と権利を守る岡山県連絡協議会)の事務局長など、ご自身の不自由なお体をおして、障害者運動の中心を担って奮闘しておられます。
この号では、7月4日(月)の口頭弁論について紹介されています。

ちょうどその、7月4日、私も偶然岡山地裁にいたのです。
この記事↓で書いたとおり、年金訴訟の傍聴のために。

年金訴訟と朝日訴訟についてのおもいつくまま

傍聴終了後のまとめの会で、浅田訴訟の関係者の方も、連帯の発言をされたことを、いま改めて思い出しました。

相模原の事件をきっかけに、私自身、決して十分承知しているとは言えない問題に言及しました。容疑者の青年が、「ヒットラーが下りてきた」と口走っていると聞き、この特異な思い込みを、愚にもつかない夢想と受け流すことができるだろうかと、恐れたからです。この世に「生きるに値しない命」が存在するとみなし、国家にとってはそれを抹殺することが是である、とする思想が、侮りがたく醸成されつつあることを警戒しなければならないと強く思うのです。人は皆、生きる価値があり、その存在自体が人として尊ばれなければならないという思想(近代以降の人絹思想の粋として、日本国憲法が高らかに歌い上げた思想)を、私自身、揺るぎのないものとして磨き上げていきたいものです。


 今朝は夜明け前の涼しいうちに散歩してみました。

 

真夏の田園の夜明け
真夏の田園の夜明け posted by (C)kazg

真夏の田園の夜明け
真夏の田園の夜明け posted by (C)kazg

午前中、小3の孫が、我が家で、宿題の計算ドリルを 少々やり、退屈したので、自転車で、ちょいとサイクリングしました。

真夏の午前の田園風景
真夏の午前の田園風景 posted by (C)kazg

真夏の午前の田園風景
真夏の午前の田園風景 posted by (C)kazg

真夏の午前の田園風景
真夏の午前の田園風景 posted by (C)kazg



真夏の午前の田園風景
真夏の午前の田園風景 posted by (C)kazg

目当ては「鴨川」のこの眺めです。

真夏の午前の田園風景
真夏の午前の田園風景 posted by (C)kazg

今日はこれにて。


ついに、「無償」のユーワクに負けました、の巻 [雑話]

windows10の無償アップグレードが、「明日まで」、と、繰り返し繰り返し表示されますが、この誘惑に決して負けず、サポート終了までwindows7を使い倒そうと決心していました。そもそもその時までマシンが健在かどうかの保証もないわけですから、アップグレードによっていらぬトラブルに巻きこまれるリスクを考えれば、このまま無問題状態で使い続けるほうが得策と、判断したためです。

が、この決心は、今日の午前中まで持ちませんでした。つい、ふらふらと、「アップグレードを実行する」ボタンを押してしまっていたのです。しかも、必須のバックアップも一切とらずに、、。暑さのために、注意散漫、集中力欠如、破れかぶれの怖いもの知らずという心境に陥っていたのでしょうか?

意外や意外、これまで経験したどんな種類のインストール作業やグレードアップ作業よりもやすやすと、アップグレードが完了してしまいました。というわけで、今のこの記事は、windows10環境で書いています。

そして今のところ、まだ何のトラブルにも遭遇することなく、ほとんど無問題で、パソコン作業が進んでいます。決してすべての動作をチェックしたわけではありませんので、軽々に判断はできませんが、今のところアップグレードは「正解」ということにしておきましょう。

 


 相模原の事件について、とりとめもなく思いを巡らせています。

昨日の記事でもご紹介した、鳥越俊太郎さんの亡くなられたお父様が運営委員長、立ち上げ人として尽力された「ひかり共同作業所」を前身とする「福岡ひかり福祉会」が、以下のような声明を発表されたそうです。

①被害者の方々に心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。
②万感の怒りと抗議を表明します。
③(法人の「めざすもの」)の精神を堅持して、人としての尊厳を守るための取り組みを永続します。

「現時点で事件の全容はつかめていませんが、このような事態を未然に防ぐために法人として何ができるか、何をしなければならないかを検討、対策に当たりたいと考えています。



 関係者の皆様におかれましては、できる限り冷静さを失うことなく、普段通りの生活を送られることを呼び掛けます。合わせて、職員のみなさんには、マスコ
ミなどの情報に惑わされることなく、仲間やお年寄りとその家族の気持ちに寄りそい、日々の実践に取り組まれることを呼び掛けます。」

大脇 友弘さんの写真
 

 特に最後のこの一節は、重く心に響きます。
「関係者の皆様におかれましては、できる限り冷静さを失うことなく、普段通りの生活を送られることを呼び掛けます。合わせて、職員のみなさんには、マスコ ミなどの情報に惑わされることなく、仲間やお年寄りとその家族の気持ちに寄りそい、日々の実践に取り組まれることを呼び掛けます。」

「寄りそう」という言葉は、このような使われ方をしてこそ真実味を持つのだと改めて感じた次第です。(アベさんが、ことあるごとに多用する 「沖縄の心に寄り添う」「東北に寄り添う」「被災者の心に寄り添う」「不安な気持ちに寄り添う」 etc.の空虚さとの、なんという違いでしょう。)

ところで、本と雑誌の知を再発見 リテラ、の最新の記事がナットクです。石原慎太郎もネットも障がい者排除支持 障がい者抹殺思想は相模原事件の容疑者だけじゃない! 石原慎太郎も「安楽死」発言、ネットでは「障がい者不要論」が跋扈

 一部を引用します。

私が直感していた戦後最悪レベルのとんでもない凶悪な事件だけに、容疑者の異常性に注目が集まるが、残念ながら容疑者の“弱者を排除すべし”という主張は現在の日本社会において決して特殊なものではない。

たとえば、昨年11月に茨城県教育総合会議の席上で教育委員のひとりが「妊娠
期にもっと(障がいの有無が)わかるようにできないんでしょうか。4カ月以降になると堕ろせないですから」「(特別支援学級は)ものすごい人数の方が従事
している。県としてもあれは大変な予算だろうと思った」「意識改革しないと。生まれてきてからでは本当に大変です」などと発言し、さらに橋本昌・茨城県知
事までもが「産むかどうかを判断する機会を得られるのは悪いことではない」と擁護・同調するような発言をするという騒動があった。

教育行政にかかわる人物が公然と「金のかかる障がい児は産むべきではない」という見解を開陳するなどおぞましいが、それを容認してしまう空気がいまの日本社会にはある。

石原慎太郎は、都知事に就任したばかりの1999年9月に障がい者施設を訪れ、こんな発言をした。
「ああいう人ってのは人格があるのかね」
「絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状況になって……」
「おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う」
「ああいう問題って安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」

ほとんど植松容疑者の言っていることと大差ない。舛添のセコい問題などより、こういった石原の差別発言のほうがよほど都知事としての資質を疑いた
くなる。しかし、当時この発言を問題視する報道は多少あったものの、そこまで重大視されることはなく、その後、4期13年にわたって都民は石原を都知事に
選び続けた。

「障がい者は生きていても意味がない」「障がい者は迷惑だ」「障がい者は税金がかかる」

 これらは基本的にナチスの重度障害者を本当に抹殺していったナチスドイツの政策のベースになった優生学的思想と同じものだ。

 

おとといの記事で 直感的に思ったままを書きましたが、ここに根拠が確認された気がします。


 今朝の散歩道の景色を、おもちゃレンズで写してみました。

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田舎から持ち帰った赤紫蘇のおかげで、梅は、いい色に染まりました。
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ようやく雨が上がり、昨日と今日は、晴れ間が見えましたので、土用干しの仕上げにかかっています。
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孫たちの庭のトマトは、草に覆われながらも、日々甘い実を提供してくれます。
明日の夜あたりから、孫一家は、ママのお里にみんなで移動の予定なので、どっさり収穫しておきました。
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少し遅く植えていたメークインを掘りあげました。 日差しが強くて、かなり疲れます。
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スイカも収穫しました。大玉は育たず。小玉スイカだけ実りました。
 
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0歳児がひょっこりやってきました。
 
ハイハイを始めました。目をらんらんと輝かせて、 面白そうなものの近くまで這って行きます。
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離乳が少しずつ進んでいます。おかゆ、コマツナなどを食べます。
スプーンを自分の手で持ちたがります。
小さな子どもは皆、好奇心旺盛で自発性に富んでいます。
いとこの兄ちゃんがあやすと、喜びます。
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庭の百日紅の花に、カマキリがいました。
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 小3の孫がそおっと捕まえました。
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が、その瞬間、体を捻じ曲げてに鎌を向けてきて、指先を強く挟まれましたのでたまらず放り出してしまいました。
今日はこれにて。

 


牧場まで自転車散歩、の巻 [折々散歩]

 相模原の事件が、片時も脳裏から離れません。

続報を聞くにつけ、謎は深まりますが、昨日の記事で書いたかともあながち的外れではないように思えてきます。

ネット上で、こんな記事を拝見し、全くその通りと納得しました。障害者自立支援施設〈作業所)の所長をなさっておられる方です。

 

相模原の障害者入所施設での事件。
「障害者はいなくなればいい…」

人が大事にされ優しく守られるべきその場での大量殺傷事件。この陰惨な事件に、この国の闇を見る思いです。

改めて、命を奪われた方々のご冥福をお祈りし、負傷された人たちの回復と関係者の皆さんの心の痛みの一日も早い癒えを願わずにはいられません。

事件の全容が正しく解明される事を希望します。

2月ごろから「殺害予告」もなされ、「計画」に基づいて「実行」した事件にも見えます。もっと丁寧な関わりができなかったものか…?

容疑者が精神障害で措置入院の経験があることや、「障害者はいなくなればいい」と発言していたことなど障害当事者を不安に陥れ、障害に対する差別と偏見を助長しかねない情報が報道されています。

報道にあたっては、センセーショナルになることなく、関係者への十分な配慮を求めます。

同時に、障害のある仲間たちに「大丈夫だよ!」と伝えたい。
人間は、もっと優しい存在なんだと。そして、優しい社会を作ろうと呼びかけたい。

 同じ方の別の日の記事には、こうありました。

鳥越俊太郎さんのお父さん俊夫氏は、わが「社会福祉法人 福岡ひかり福祉会」の前身「ひかり共同作業所運営委員会」の初代運営委員長として、その運営と法人化にご尽力いただいた方です。

お父さんの思い出と出馬の決意を、俊太郎さんは以下のように語っています。



相模原のあの事件、決して「個人の異常な行動」として還元しては考えられない・・・。そんなこの国で、ヘイトがのさばらないように、差別が助長されないよ
うに…、社会的弱者の声を聞き、優しい社会を作るために、ぜひ、シェアして鳥越俊太郎さんを東京都知事に押し上げてください。

  


 そして、鳥越さんの、ある街頭演説へのリンクを紹介してくださっていました。

 https://www.youtube.com/watch?v=JxpjGmVQi54

 こんな内容です。

「・・・・ひとつだけ、ひとつだけ今日は時間もありますので個人的な話をさせてください。やや個人的な、私の父親の話。

 私の父親は俊雄といいます。その俊の一字をとって、私は長男ですので俊太郎という名前がついたんです。これが俊太郎のいわれでございますが、父親は私が生まれたときは、九州大学の精神科の病棟に入院していました。私と母親は産婦人科に入院しておりました。そこで私が生まれました。

 なぜかといいますと、私の父親は大学を出て企業に入って、現場にきたところいろいろないじめにあい、そこで、本来持っていたんでしょうね、神経症を発症しました。

 そのためにお寺に入って修行をしたり、いろいろなことをしてなんとか治そうとしましたけれども、一生、やっぱり病は治ることはなかったんですね。

 それで、私はそういう弱い父親のようにはなりたくないと思って、私の父親は73歳で亡くなったんですが、亡くなるまでほとんど話をしておりません。父親と背中を向けて生きてきました。

 しかし葬式の日に、あるグループが弔辞を読みにやって来ました。それは心身障害者、精神障害者と身体障害者のメンバーが、私の父親の霊前で弔辞を読んでくれました。

 私はちょっと意味が分からなくて、帰って母親に聞きました。「あれは何なの」と。そしたら母親が言いました。私はね、お父さんがいつ自殺するかもしれないとはらはらしながら生きてきたんだよ。今日のあれは、お父さんが最後にやった仕事、ひかり共同作業所、福岡は共同作業所の出発点です。全国に広がっていく最初のスタートです。ひかり共同作業所、つまり身体障害者、精神障害者、心身障害者の皆さんが、自分たちで共同作業所を作って、そこで物を作って売ると。そういう仕事を、今は全国どこにいってもありますけれども、初めて福岡で立ち上げたときの運営委員長、立ち上げ人があなたのお父さんだよというふうに母親に言われたんです。

 そのとき私は初めて父親の人生が見えてきました。ああ、父親は自分が弱さを持っていたために、人のために、弱者のために自分の全身全霊をなげうって、自分の身体をなげうってでも助けに行こう、助けになろうと思って生きてきたんだなあということを、はじめて私はこのとき悟りました。

 私はその後、その父親の血が私の中にも流れているということを知ります。だから私はこうしてここにいるんです。私は父親の、弱者、弱い人、そういう人たちにちゃんと視線を送り、ちゃんと手を差し伸べて、そしてその人たちの声を聞き、そしてそれに対して答えを出す。そういう仕事を私は任されたんだということを、今日、今ここで初めて私は申しあげます。ありがとうございます。

 だから私は、単に都知事選に出て来たわけではなくて、私の人生がここに来るようにできていたんですよ。いいですか。私はここに立つべくして立っている。そう思っています。運命ですこれは。ありがとうございます。運命ですから戦います。」

 深く感銘を受けました。

小池百合子さんによる「病み上がり」呼ばわりをはじめ、「短い演説しかできない」「体力に不安」「言語不明瞭」「老化の進行か、 認知症か?」などなど、根も葉もない中傷悪罵がまことしやかに広がり、支援者をもなにがしかの不安に陥れている状況があるようですが、気迫のこもったこの演説に接すれば、一気に吹き飛ぶ力強さです。


 今日は、小3の孫が、夏休みの宿題の「牛の絵」を描く課題のために、近所の牧場まで行ってみることになりました。

34℃の炎天下、片道5kmほどの田舎道を、自転車で走りましたが、さすがに暑いこと。

でもそれなりにで年を吹く風は快く、ほどよい運動にはなりました。

路傍のチョウたちも、暑さに負けず元気です。

路傍のベニシジミ 

 路傍のベニシジミ posted by (C)kazg


 
ミントの花に遊ぶモンシロチョウ

ミントの花に遊ぶモンシロチョウ posted by (C)kazg 

牧場では、孫は早速、私の持っていたカメラを使って、牛を写していました。

 

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子育て中のヤギもいました。
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牧場の近くにある蓮根畑に、ハスの花が見事に咲いています。
孫は、なかなかカメラを手放さず、こんな「作品」を残しました。
 
 小3の孫が写した蓮根畑のハスの花

小3の孫が写した蓮根畑のハスの花 posted by (C)kazg 


小3の孫が写した蓮根畑のハスの花

3の孫が写した蓮根畑のハスの花 posted by (C)kazg 


小3の孫が写した蓮根畑のハスの花

小3の孫が写した蓮根畑のハスの花 posted by (C)kazg 


小3の孫が写した蓮根畑のハスの花

小3の孫が写した蓮根畑のハスの花 posted by (C)kazg 


小3の孫が写した蓮根畑のハスに止まるクマゼミ
小3の孫が写した蓮根畑のハスに止まるクマゼミ posted by (C)kazg 

 

 私も欲求を抑えられず、カメラを取り戻して何枚か撮影したのですが、、、。言わなければ、どちらの「作品」かわかりませんね。

  真夏の蓮根畑

 夏の蓮根畑 posted by (C)kazg 

真夏の蓮根畑

真夏の蓮根畑 posted by (C)kazg 

今日はこれにて。


飼育中のツマグロヒョウモンすべて羽化、の巻 [雑話]

夏休み中の中1と小3の孫が、朝から来訪、宿題は、持ってきていますが、その前に、マンガ本にどっぷり。

飼育中のツマグロヒョウモンが、2匹羽化して蝶になりました。これで、無事に全部巣立ちました。

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早朝からニュースは相模原の事件で持ちきり。言葉を失う凄惨さです。

「障害者はいなくなってしまえ。」冷酷な、思い上がったこのセリフ。でもそれは、わずか70数年前「劣等人種はいなくなってしまえ」と、ユダヤ人たちを大量虐殺したナチスの若者たちのセリフと全く同じではないですか。おそらく深い心の闇を抱えた、尋常でない精神状態の犯人による「異常な猟奇殺人」には違いないでしょう。でも、その行動に実際に足を踏み出すか否かは別として、社会的弱者にたいする偏見と憎悪、差別と排除の空気は、しずかに醸成されているのではありませんか。

たとえば、野放しのヘイトスピーチ、傍若無人のネトウヨたちの言動の、向けられている敵意の方向は、あの犯人の若者と、才を言い出す差異を見出すことが困難ではないでしょうか。

そして、困ったことに、今、特異な暴走政権を形づくっている「日本会議」勢力と、その共感者、支援者たちの奏でる主題歌が、まさにこの「劣等者は生きる価値なし」のメロディではなかったでしょうか。

いや、すべては謎。軽々しい論評は避けることにしましょう。

ところで今日は、大事な会合を忘れていました。仕方なく、小3生に同行を頼んで、遅ればせながら出席しました。(大汗)

今日はこれにて。


雨の日の赤紫蘇調達、の巻 [味覚、食材]

久しぶりの雨です。最高気温が三十℃に届きません。それは結構なのですが、困ったことがあります。

今年初めて漬けてみた梅の、土用干しにとりかかって、今日が三日目。ちょっと前までは炎熱地獄が続いていたのに、ここに来てぐずついたお天気はこまります。

それと、赤ジソがありません。というわけで、今日は田舎の実家に寄って、畑の隅の赤ジソをもらって帰りました。農協(JA)の売店に寄ったら地元産の「梅酢」もありましたので、買って帰りました。さて、どうなりますか。

そんなわけで、今日は散歩してません。

先日のツマグロヒョウモンのサナギから、一匹孵化しました。メスでした。







田舎への道すがら、小さなトノサマガエルに会いました。若殿ですかな?









下は、昨日の散歩のストック画像です。

濃いピンク色の木槿

濃いピンク色の木槿 posted by (C)kazg




濃いピンク色の木槿

濃いピンク色の木槿 posted by (C)kazg



濃いピンク色の木槿


濃いピンク色の木槿 posted by (C)kazg



純白の木槿


純白の木槿 posted by (C)kazg



純白の木槿


純白の木槿 posted by (C)kazg



純白の木槿


純白の木槿 posted by (C)kazg



淡いピンク色の木槿


淡いピンク色の木槿 posted by (C)kazg



夏の陽を浴びて凛と咲く芙蓉


夏の陽を浴びて凛と咲く芙蓉 posted by (C)kazg

夏の田園朝景色

夏の田園朝景色
posted by (C)kazg



夏の田園朝景色


夏の田園朝景色 posted by (C)kazg



夏の田園朝景色


夏の田園朝景色 posted by (C)kazg



夏の田園朝景色


夏の田園朝景色 posted by (C)kazg



朝日を浴びる稲のしずく


朝日を浴びる稲のしずく posted by (C)kazg



朝日を浴びる稲のしずく


朝日を浴びる稲のしずく posted by (C)kazg


今日はこれにて。

入院記念日に思うこと、の巻 [健康]

このブログを書き始めた最初の頃、こんな記事を書きました。ちょうど今頃の季節でした。

◇これでまた病気自慢に箔がつき

自身の備忘のために古い記事を掲載しておきます。


開票速報見ながらの夜更かしでしたが、熟睡できました。

選挙結果も、自民圧勝はいただけませんが、対抗の受け皿がほかになく、共産党への期待につながったというのは、わかりやすくて大変結構。

東京の吉良よし子さん、キラキラしていてまぶしいです。学生時代、この人のお母さんは、私たち夫婦の共通の友人でした(もちろん、みんな未婚でしたが)。



さて、私は、今日の午後入院、明日が手術です。



   明易や さも遠足の朝のごと



入院手術を前に、日常から非日常へ足を踏み入れるわくわく感を覚えている、なんて言うと不謹慎で罰が当たりそうですが、強がりばかりでもない、不思議な心境です。(7/22記) 



昨日は丑の日でしたか。入院の初の食事に鰻の蒲焼き二切れが供されました。明日に向けて暫し絶飲食ですから、噛みしめていただきました



   入院の祝いか土用鰻かな



夜はにわか雨、明るい満月、ひっそりとした夜景と,病室の窓はの外は様々な表情を見せてくれました。



   病室の窓一面に朝焼ける

                    (7/23記)



昨日の手術は約4時間かけて無事終わりました。といっても,私が覚えてえいるのは、手術室に入って麻酔の注射を打ってもらっている場面と、「終わりましたよ」と看護師さんに呼び掛けられた場面だけ。間はぐっすりねていました。

医師によると内臓脂肪が邪魔で苦労したが、手術は大成功。すぐに退院できるだろう、とのこと。



   またひとつ拾うたいのち夏の宵



あれこれの管や機器に縛りつけられた窮屈な「重症患者」の一夜が明け、今朝は、胸の患部に挿入した管を抜き、尿をとる管も抜き、点滴だけの自由な体になりました。たち歩きも、もうできます。回復順調で、この調子だと、退院も早い、とのこと。



   あっけないと言うてはあかん罰当たる

   (NHKぼやき川柳もどき)(7/24記)



最短記録で明日にでも退院できる見とおし。さすがに傷口の痛みは、夜中には気になりますが、昼間は平気、病室の窓越しに見下ろすと、なにやら人だかり、、、朝のラジオ体操でした。



   見下ろせば路地裏にラジオ体操の夏

                        (7/25記)



昨夜は、痛み止めを使わないで眠れました。

朝の散歩で廊下を歩いて見ると、さすがに息切れはするし、痛みや突っ張りががあって自分の体じゃないみたい。そのうち慣れるでしょうけれど。

入院中、用意してきたものの多くを、使わないまま持って帰ります。本も、何冊も持って来たのに、一ページもめくることがありませんでした。学生時代の長期休業明けの心境でしょうか。あと、落語のcd,dvdは、有用でした。

それに引き換え、テレビは、番組表もなしに漫然と眺めていると、退屈しごく。



   何となく心残してシャバに出る



シャバが変換できません。(7/26記)



   これでまた病気自慢に箔がつき




続けてこんなことも書きました。

◇退院翌日の朝散歩
 

    この娑婆は 炎熱地獄や 肺灼くる

     ↑昨日の昼下がり。



   遠慮げに 孫ら諍(いさか)う 夕餉かな

     ↑昨日の夕食。いつもの情景ですが、多少私を気遣っている様子。



   第三の人生という語を知りぬ

     ↑長男が「第三の人生」という語をメールで言うてきた。なるほどごもっとも。

「不摂生をせず」といらぬ一言が余計ですが。



月齢表によると、手術した夜(23日)が満月だったようです。明るい月でした。

週末の今日の早朝、空に浮かぶつきはかなり欠けています。天文の運行は,着実ですね。

しっかり体を動かして、肺を広げなさい(欠損部分を補うように)。というわけで、涼しいうちに散歩してみました。日の出前の時間帯ですが、それでもかなり汗ばみます。今日も暑くなりそう。 (7/27記)



それから二年経った去年の今頃の記事です。

2年目も病室で聞く蝉時雨

 窓の外からしきりに蝉時雨が聞こえています。

クマゼミのようです。

気づけば、2年前の肺ガンによる入院手術の記念日です。

可笑しい事に、またまた同じ病院に入院してます。2年前は呼吸器内科→外科。今度は消化器内科ですが。念のために付け加えれば、2007年には、脳外科で検査入院しました。これも結構辛かった。



前回、記事の更新をした日の夜、救急外来を受診し、そのまま入院となりました。

と書くと、大変深刻な事態が想像されますが、人騒がせでごめんなさい。

ビロウなはなしで恐縮ですが、経験したことのない血便で便器が赤く染まったので、なんの苦痛もないのですが、念のため病院に電話したところ、「心配なら救急外来に来てください。割増料金が必要ですが」とのこと。妻の運転で連れて行ってもらいました

癌の転移を見守るための検査の結果を、近々聞くことになっていたので、関連を怖れたのですが、無関係の由。ホッとしました。

腸の壁がなにかのはずみで傷ついて出血したらしい。

最近何か断腸の思いを体験したっけ?

格安スマホしかないので、更新も訪問もおろそかになりますが、悪しからず。

ではまた。


続けてこんな記事も。

◇丑の日の腹に沁み入る三分粥

 大腸憩室出血というのだそうです。

この年になって、いろいろな病名をいただきます。まだ初心者のつもりですが、高齢者道の入り口というところですかな。

大腸の内視鏡検査については、体験者から聞き及んではおりましたが、結構辛いものですね。30代のはじめに胃の内視鏡を初めて飲んだ時に、地獄を経験したような気がしたものでしたが、回を重ねるごとにだんだん慣れて、「飲み方がお上手ですね」とドクターに褒められるほどになりました。多分、スコープも径が細くなり、部分麻酔などの改良もあるのでしょうが。

ですから、胃カメラ検査は苦痛じゃありません。

それに引き換え、大腸の内視鏡検査は、聞きしにまさる大仕事ですね。

それでも、病気自体に大した苦痛がないのは、ありがたいことです。歯の治療のほうがよりストレスが大きいかもかもしれません、

辛いことといえば、四六時中点滴チューブと心電図計などに繋がれて、行動が制限されることと、 ネット環境が不自由なこと。そしてスムーズに入力することもできなくて、ブログ更新をへこたれそうになることですね。写真掲載の方法もわからないので、今日も文字だけ記事です。



点滴だけで食事が摂れない不満を書こうと思っていましたが、昼食から、三分粥を食べられるようになりました。夕食は、今日は丑の日、うなぎを食べる習慣がありますと、メモが添えてありましたが、オカズはうなぎではなく、白身の魚の煮付けでした。でも美味しゅうございました。

今年の丑の日は?と思ってググってみましたら、七月三〇日だそうですね。たとえサンマやちくわの蒲焼きであっても、できれば、我が家で迎えたいものです。


ところで、このような記事のことを思い出すきっかけがありました。昨日も書いた都知事選のニュースで、小池百合子候補が「この人なら勝てると言って、政策も名にもない人、病み上がりの人をただ連れて来ればいいと言うものではないんです。」と街頭演説で鳥越候補を揶揄・中傷した件。これを聞いた時から、得体の知れない不快感が私のはらわたに居座って、いつまでも気分が晴れませんでした。



後日、鳥越さんの言葉で、ようやく、私の不快なしこりの意味がわかりました。

 鳥越氏 これはガン・サバイバーに対する大変な差別ですよ。偏見ですよ。

 小池氏 もし言っていたならば、失礼なことを申しあげました。

鳥越氏 失礼で済まされますか。僕に対する問題じゃない。ガン・サバイバーは何十万、何百万といるんですよ。そういう人たちに「1回がんになったら、あなたはもう何もできないんだ」と決めつけるのは…。



小池氏 いや、そこまでは言ってないですよ。それを決めつけているのは鳥越さんでしょ。これが選挙なんですよ、坂上さん。



19日のフジテレビ系バラエティー番組「バイキング」での一コマです。

「スポーツ報知」の記事【都知事選】「病み上がり発言」小池氏「記憶にないです」…バラエティー番組で鳥越氏と白熱バトルを少々引用します


都知事選告示から6日目。3人の候補は異例のバラエティー番組内での討論会に出演した。これまで街頭演説などで一切失言のなかった小池氏が、意外な形でほころびを見せた。


 互いに質問を投げかける形式の討論開始から10分。冷静沈着だった小池氏がうろたえた。過去にがんを4度経験した鳥越氏が「(街頭演説で)『病み上がりの人を連れてきて、どうするんですか』と言われま
したか?」と険しい表情で尋ねると、政策以外の質問に虚を突かれた小池氏は「言っていません。記憶にないです」と反論した。だが、鳥越氏は証拠としてテレビのニュース番組で文字テロップが映された場面をプリントアウトして持参。「これはがんサバイバーに対する偏見ですよ」と激高した。小池氏はしどろもどろになり、最後は「言っていたら失礼しました」と謝るしかなかった。

 やり取りの中で小池氏が口走った「記憶にないで す」。これは「政治とカネ」にまつわる疑惑を追及されたときに政治家らが繰り出す常とう句だ。都では猪瀬直樹元知事(69)、舛添要一前知事(67)と2
代にわたって「政治とカネ」の問題で知事を辞職。この問題は都知事選の争点の一つで、都民もこれまで以上に「クリーン」な新知事を求めている。今回は、もちろんカネの問題ではないが、追及され「記憶にない」の対応は、都民に過去、2代続いた疑惑の知事を思い起こさせるかもしれない。


「病み上がり」の言葉に込められた「役立たず」「社会お荷物」というメッセージの毒に全く気づかず、それを人に投げつけることができるヒトは、よほど鈍感と言わざるを得ないでしょう。いや、気づいていないはずはない、その言葉が政敵を撃つにふさわしい攻撃力を備えた言葉だと知っているからこそ、街頭演説で勝ち誇って宣言したのでしょう。

でも、鳥越さんを撃つつもりのこの言葉が、すべてのがん患者を、そしてすべての闘病者を、冷たく嘲ったことにはお気づきにならなかったのかもしれませんね。

 鳥越氏 失礼で済まされますか。僕に対する問題じゃない。ガン・サバイバーは何十万、何百万といるんですよ。そういう人たちに「1回がんになったら、あなたはもう何もできないんだ」と決めつけるのは…。

小池氏 いや、そこまでは言ってないですよ。それを決めつけているのは鳥越さんでしょ。


ウマクかわしたおつもりかもしれませんが、いいえ、事実上、そこまで言っているんですよ!がんサバイバーの一人として、私もいたく傷つき、憤りをおさえかねているのですよ、小池サン。

どうもこの方がたは、いつも自分が強者、勝者の側にいるものだから、弱者の痛み、足蹴にされる側の傷を慮る想像力が欠如しておられる。何もかも、「これが選挙なんですよ」「これが政治なんですよ」「これが権力なんですよ」で片付けるおつもりらしい。


昨日は孫の保育園の「夕べのつどい」でした。

一番下の保育園児は、甚平さんを着せてもらってはしゃいでいます。中1生の兄に手を引かれて、保育園まで歩きます。







道ばたにベニシジミ。





空には赤とんぼ。

青空を舞う赤とんぼ

青空を舞う赤とんぼ posted by (C)kazg 

 


青空を舞う赤とんぼ
青空を舞う赤とんぼ posted by (C)kazg


年長組のおんなの子は、初めて浴衣を着て嬉しいです。台の上で太鼓をたたく出番がありました。

モノクロ処理をしてみました。



きょうはここまで。


気になる都知事選、の巻 [時事]

都知事選挙の行方が注目されます。東京都という一自治体のみならず、日本の進路を左右する大事な政治戦であることはまちがいないないでしょう。


先日の参院選挙は、徹底した「選挙隠し」(こんな言葉初めて聞きましたが)「争点隠し」の挙げ句、与党とそのお友達勢力がまんまと議席をせしめました。すると、途端に、「改憲勢力が2/3を確保」の大見出しが踊り、隠れていた「争点」が白日にさらされました。その印象さめやらぬうちの都知事選ですから、当然、アベ政治とその追随勢力にたいする鋭い審判の機会にならねばならないし、なるはずです。そうしたもとで、市民と野党が行きがかりやしがらみを超えて、統一候補を掲げて闘うのは、画期的な歴史事件です。
それだけに、これまで猪瀨、桝添と、自ら押し立ててきた知事が2代続けてカネの問題で辞任に追い込まれた自公勢力は、危機感をつのらせ、公認候補と造反候補の「争い」を演出しながら、保守票・浮動票の取り込みに躍起であるようです。
 でも、公認候補の増田寛也サンは、岩手県知事時代、1年間で171回も国内外に出張(ファーストクラス利用)、2013年8月には、南北アメリカ訪問で、16日間の渡航と宿泊費383万円。総務相当時には赤坂の高層マンションを約2億円で購入、在任期間中に不動産取引を行うことの自粛を求める大臣規範違反が指摘されています。また、公示日直前まで「東電」の社外取締役を務めるなど、どっぷりと「原子力ムラ」に身をおいてきた御仁。決してクリーンでも有能でもないらしい。
 一方、小池百合子サン。「がけから飛び降りる覚悟で」知事選に出馬し、自民都連にいじめられながらも叛旗をひるがえす“平成のジャンヌダルク”を演じていますが、カネには汚いらしい。代表を務める「自民党東京都第十選挙区支部」の政治資金収支報告が話題になっています。それより何より、超タカ派集団「日本会議」の「国会議員懇談会」の重要メンバーとして、改憲策動の先頭に立ってきた人物で、アベ内閣による集団的自衛権容認よりも10年以上前から、「集団的自衛権の解釈変更は国会の審議の場において、時の総理が『解釈を変えました』と叫べばよい」(『Voice』2003年4月号)と豪語したり、小泉内閣で環境相時代には「日本の核武装構想について」、「国際情勢によっては検討すべきだ」と回答(03年11月衆院選候補者アンケート)するなど、異常なタカ派ぶりを発揮してきた人物です。
ネット上に、こんな記事がありました。
【東京都知事選】鳥越氏に対する「病み上がり」発言の小池百合子氏、沖縄選出の国会議員に「日本語読めるんですか?」と差別的やじ!〜生活の党・玉城デニー議員に真相を直撃インタビュー!2016.7.20
一部を引用します。

 2013年11月26日、玉城氏は特定秘密保護法が強行採決された直前に開かれた、衆議院国家安全保障に関する特別委員会で質疑に立った。発言中、 議員席に座る小池氏から「日本語読めるんですか、日本語分かるんですか」というヤジが飛んだという。玉城氏は沖縄出身。ウチナンチューの日本人とアメリカ 人の両親を持つ、いわゆる「ハーフ」だ。小池氏のそのヤジは、玉城氏の出自をからかった、明らかな差別発言である。国会でそうした差別的な中傷を浴びたの は、後にも先にも、小池氏からだけだったと玉城氏は語っている。
小池氏は日本最大の右翼団体「日本会議」の「国会議員懇談会」の副会長も務めてきた。大臣在任時には終戦の日に合わせ、靖国神社へ参拝した。さら には、2009年の衆院選では、自公だけではなく幸福実現党とも手を取り合い、選挙戦を闘い、選挙区では落選したが、比例区で復活当選した。2010年に は、在特会(在日特権を許さない市民の会)の「女性部」で講演した過去もある。
「右に偏っている人はどうしても差別的な発言をする傾向が強い」。玉城議員のこの見立てにまさに当てはまるのが、今、都知事選でトップ争いを展開している、小池百合子氏本人なのである。
どちらに転んでも、このお二人、二代続いた政治とカネの問題を解決して、都民本意の清潔な政治を実現することなど、とうてい期待できないばかりか、アベ強権政治と結託してこれまで以上に都民を、そしてひいては国民全体を危うい道に導く選択であることは大差ありません。
すると心ある都民の選択肢は、鳥越さん以外に考えられない!はずですが、それを許したくないのが権力というものらしいです。
知事選前からリテラのこんな記事が話題になっていました。

http://lite-ra.com/2016/07/post-2415_2.html
 実際、石原慎太郎元知事にも都知事選に初出馬する少し前に愛人と隠し子がいることを「フライデー」にすっぱ抜かれたし、猪瀬直樹元知事も、選挙期間中に過去のセクハラ疑惑を週刊誌に報道されたが、新聞・テレビはまったく後追いせず、彼らはそのまま無視して知事になり、そのまま居座り続けた。安倍内閣の閣僚や自民党の幹部らも何人も週刊誌に不倫や異性関係を暴かれているが、やはりテレビは完全スルー。女性スキャンダルで役職辞任した閣僚、役員は誰もいない。
 しかし、鳥越氏は野党統一候補である。すべてのテレビ局が安倍政権に尻尾を振っている今の状況を考えると、逆に官邸に尻を叩かれて、テレビ局が一斉に鳥越バッシングを展開するという事態も起きかねないのだ。そう、舛添前知事にこぞって襲い掛かったように、である。
 鳥越氏周辺は「大丈夫、もう歳だし、書かれて困るようなことはなんにもない」と言っているらしいが、くれぐれも周辺には気をつけてもらいたいと思う。これは、たんに鳥越氏だけの問題ではなく、野党共闘の未来がかかっているのだから。
予期の通り、「週刊文春」が、鳥越氏の女性スキャンダルなるものを、選挙期間にぶつけてぶちあげてきました。この間続けざまに政治家のスキャンダルがらみの特ダネ記事を連発して「大手柄」の「週刊文春」ですが、今回ばかりはあまりにお粗末。売り上げや雑誌の価値を多少犠牲にしてでも、政権与党に恩を売ろうという算段でしょうか?
こちらの記事を「拡散」させて戴きます。

 

「週刊文春」にたいする弁護団の抗議は、理のあるものと思えます。

 週刊文春への抗議について
記事にある『疑惑』と称する案件については、事前にFAXによる取材があり、本人に確認の上、弁護団から事実無根であると文書で明確に否定する回答をするとともに、無責任に記事化すれば選挙妨害になると強く警告した。しかしながら、記事は、一方的な証言だけに基づき、『疑惑』がいかにも真実であるかのごとき印象を与えるものとなっている。
こうした手法で有権者に事実と異なる印象を与えようとする行為は、明確な選挙妨害であり、(後略)

→弁護団抗議文はこちら


今朝の散歩の光景はこんな感じ。

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稲穂に朝露が光ります。
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おびただしい数のトンボが、思うままに舞ったり羽を休めたりしています。
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アゲハも朝日を浴びて、朝化粧が映えます。
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家に帰ると、先日のこの記事↓のサナギが、孵化していました。
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窓ガラスの近くでしたので、窓を開けるとそのまま外に飛んでいきました。
今日はこれにて。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 


大暑の朝散歩、の巻 [折々散歩]

今日は、暦の上では「大暑」だと言います。早朝だけはわずかに「涼」を感じましたが、六時前に朝散歩に出る頃には、もう酷暑を予感させる日差しでした。

梅雨の時期に似合う合歓(ネム)の花が、まだ咲いています。この木は育つと結構な高木になり、あの細く控えめな葉ながらも、ありがたい木陰を提供してくれています。







不思議に、セミたちもネムノキをお気に入りなのか、たくさん集まって、しきりに合唱しています。

空蝉も、朝のうちはこころなしか涼しげです。



芙蓉の大輪の花があでやかに咲き競っています。

純白と見えて、真ん中に鮮やかな朱が混じる花は、清楚でかつ凛とした気品を感じさせます。

こちらは、白い肌に、ほんのり薄紅をさしたような、艶なる風情です。

そしてこちらは、濃いピンクの花。




この赤い芙蓉に止まっているは、キリギリス?ヤブキリ?



ところで、今日は、こんなニュースが気になりました。



◇自民党本部は「永遠の与党」 ポケモンGO、地図に表示









 22日に国内での配信が始まったスマートフォンゲーム「Pokemon GO」(ポケモンGO、eは鋭アクセント付き)の地図上で、自民党本部(東京都千代田区)が「永遠の与党」と記されている。



 自民党本部は、アイテムを入手できる「ポケストップ」の一つ。ユーザーが近くを訪れると、ゲームの地図上に党本部の建物の写真と説明文「自由民主党 永遠の与党」が表示される仕組みになっている。

 開発した米ナイアンティック社の日本代理店によると、ポケストップの対象や説明文は、ポケモンGOのベースとなった陣取りゲーム「イングレス」のシステ
ムを流用している。イングレスの登録対象と説明文は、世界中の史跡一覧などの資料のほか、ユーザーから寄せられた情報をもとに決めているという。

 日本代理店の担当者は「自民党本部の説明文は、ユーザーからの情報を元にしたのだろう」と話す。ナイアンティックは、ヘルプセンターでポケモンGOの情報を受け付けており、登録内容が不適切と判断すれば削除や変更を検討する。(朝日新聞デジタル
7月22日(金))



◇知事「国の強硬姿勢は異常」 高江着工、提訴を強く批判









 


反対派を強制排除 政府が沖縄で工事再開


日本テレビ系(NNN) 7月22日(金)14時35分配信


 政府は22日朝、沖縄県東村のアメリカ軍北部訓練場で、中断していたヘリコプターの着陸帯「ヘリパッド」の移設工事を再開した。警察は工事を止めようと座り込んでいた市民を排除し、激しいもみあいとなった。

 政府は22日朝から、沖縄県東村でヘリパッドの移設工事を再開した。これに先だってヘリパッド予定地に続く県道では、移設に反対する市民ら100人以上
が、工事の再開を止めようと座り込み、数十台の車で県道をふさいだ。しかし、午前5時半ごろ、全国から派遣された数百人の機動隊員が出動し、市民の排除や
ふさいでいた車の撤去などを進め、激しいもみあいとなり、ケガ人も出た。

沖縄県・翁長雄志知事「政府が警察力をもちいて住民を強制的に排除する事態が生じていることは、県民に大きな衝撃と不安を与えるものであり、誠に残念であります。強硬に工事に着手する政府の姿勢は到底容認できるものではなく、強く抗議致します」

ヘリパッドの移設は、アメリカ軍北部訓練場の約半分を返還する見返りとして進められたが、移設先近くの住民らが騒音が激しくなるなどとして反発し、工事が遅れていた。

一方、政府は普天間基地の辺野古への移設問題で、国は指示をした「埋め立て承認取り消しの撤回」を行わないのは違法だとして、沖縄県を再び提訴した。



きょうはこれにて。

庭のクチナシにオオスカシバがいた、の巻 [雑話]

今日は、週一度のパートタイムアルバイトの日で、暑くて少々くたびれました。

朝七時過ぎの涼しいうちに家を出ますが、通勤中の自動車の中は、アコンをつけていてもガラス越しの輻射熱で、汗がにじみます。癪場に到着した頃は、まぶしい日差しで、駐車場から玄関まで歩く間にも日干しになりそうです。激しい勢いでクマゼミの鳴き声が耳元まで押し寄せて来る感じです。

帰宅は夕方でしたが、少しも暑さがゆるみません。

というわけで、今日は散歩してません。

庭のクチナシの木にオオスカシバが遊んでいました。

過去にも、

これなあに?蝶か雀か また蜂か
レスキューソフトの効用の巻
毬栗
朝顔と思うておった縷紅草
蝶の日の葉月八日の蝶の舞

等の記事で、オオスカシバの写真を載せています。
たびたびホバリングしてくれるのですが、それなりに動きが素早くて、上手にキャッチできません。


クチナシに遊ぶオオスカシバ
クチナシに遊ぶオオスカシバ posted by (C)kazg 


クチナシに遊ぶオオスカシバ
クチナシに遊ぶオオスカシバ posted by (C)kazg 

 

昨日の記事へのコメントで、majyo様が「奇跡のみかんの木」とおっしゃってくださいました。そう言われて思い出しました。

同じように、以前、枇杷(ビワ)を食べたあと、子どもが土に埋めた種から芽が出て、すくすくと大木に育ち、実をつけました。何年かの間、結構大粒でおいしい実がなりました。枝葉が茂りますので大きく剪定して、枇杷の葉茶や枇杷の葉酒等も試してみたこともありました。
いつの頃か、幹をカミキリムシだかにかじられたのが元で、枯れました。今思えば、残念です。

 先日の散歩で見つけたカミキリムシ。
葉陰のカミキリムシ

  陰のカミキリムシ posted by (C)kazg 

こちらは何年も前に写した写真です。
イチジクの葉に止まるカミキリムシ

イチジクの葉に止まるカミキリムシ posted by (C)kazg

ちょっとした忍者かなにかのような、精悍なスタイルですね。

きょうはここまで。

庭で生まれたツマグロヒョウモンとアゲハのサナギ、の巻 [折々散歩]

いつの頃からか、庭のスミレの葉に、ツマグロヒョウモンが産卵し、毎年幼虫が孵ります。

庭のスミレというのは正確ではなく、我が家に接する道路の、路肩のアスファルトのひび割れに繁殖している「ど根性スミレ」です。これは、元はといえば、妻の亡父が趣味で育てていた、いろいろな鉢植えを、里帰りの折々などに分けてもらい、お土産に持ち帰ったものの一つにミヤマスミレの小さな苗がありましたが、その花の種が飛んで、アスファルトの隙間に根を下ろし繁殖していったもののようです。

ツマグロヒョウモンの卵からは、おびただしい幼虫が孵化しますから、路傍のささやかなスミレの葉などは、瞬く間に食い尽くされてしまい、幼虫たちは、食草を求めて冒険の旅に出ます。実際に蝶にまで生育する個体がどれほどあるのか心許ないところですが、それでも毎年親蝶がやってきては産卵するので、細々とながら世代の更新は繰り返されているようです。

より大勢の幼虫に、十分な食草を提供したいと、春にはパンジーなどを鉢やプランターで育てていますが、なぜか最近、幼虫の数が激減しているように思えます。妻に言わせると、どうやら、蜂が肉団子にして食料にしているようです。全滅させるのも忍びず、ガラスビンの中に避難させ、スミレの葉を与えて飼育していました。それが、もぞもぞとガラス瓶を這い上り、縁にぶら下がってさなぎに変身しました。
サナギに変身中のツマグロヒョウモン
サナギに変身中のツマグロヒョウモン posted by (C)kazg  

 ツマグロヒョウモンのサナギ

ツマグロヒョウモンのサナギ posted by (C)kazg  


ツマグロヒョウモンのサナギ

ツマグロヒョウモンのサナギ posted by (C)kazg

ツマグロヒョウモンのサナギ
ツマグロヒョウモンのサナギ posted by (C)kazg

メタリックな光沢が不思議なさなぎです。

一方これは、アゲハのさなぎ。


アゲハチョウのサナギ

アゲハチョウのサナギ posted by (C)kazg

庭のミカンの葉に毎年生まれてきます。このミカンというのは、今大阪に住んでいる次男が小学生の頃、食べたあとのミカンの種を土に埋めていたら芽が出て苗に育ったのです。何年にもなるのにまだ一度も実ができません。猫の額の庭をかなりの広さで占有する雑木ですが、切り倒すにも忍びず、強剪定を繰り返しながらアゲハの食草として〈笑)維持管理しています。

小3と保育園の孫が、観察したいというので、これも一令幼虫から飼育していましたら、一匹がさなぎになりました。

もうすぐ我が家は、華麗なチョウ屋敷になることでしょう。

一方これは、庭のブラックベリー。毎年ご報告していますが、今年は粒の大きさがみごとです。

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真っ黒く熟したものを、すでに何度か収穫しましたが、まだまだ次々に熟れていきます。

生食では酸味が強く、子どもたちのお口には合わないようで、ブラックベリーゼリーにしてみました。(写真なし)小学生以上は食べてくれましたが、保育園児は気がすすまないごようす。

残りは、やはりリカーに漬けて、ブラックベリー酒を作ります。


第2話です

夏休みに入った小学生が、早朝からおいでです。ビデオを見て、宿題も少しやって、退屈なので、魚捕りに誘われました。小学校への通学路に通行路を、2km近くも歩いて、時々農業用水路のあちらこちらを探って見ます。メダカではない小魚(何の稚魚でしょうか?)を数尾と、小さなザリガニを捕らえて帰りました。

今日の田園は、こんな景色です。

 DSCF4471.jpg

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モンキチョウのつがいです。

散歩道のモンキチョウ
散歩道のモンキチョウ posted by (C)kazg 


散歩道のウチワトンボ

歩道のウチワトンボ posted by (C)kazg

 
柿の木のクマゼミ

の木のクマゼミ posted by (C)kazg 


キバナコスモス

キバナコスモス posted by (C)kazg 



 今日の記事は、 google chromeでScriveFireを用いて編集してみました。やはり、写真のあつかいが難しい。

きょうはこれにて。


梅雨明けの朝散歩、の巻 [折々散歩]

昨日.我が地方も梅雨明けが報じられました。

そう聞くだけで、暑さもひとしおと感じられます。

朝の涼しいうちにと、午前6時台に散歩しましたが、もうすでに気温はうなぎ登りです。

「インターバル速歩がいいんだってよ」と、妻が、テレビの健康番組の受け売りをします。三分間速歩、三分間リラックスの繰り返しが、血流改善に効果があり、毛細血管の修復・若返りにも役立つそうな。

でも、3分間も速歩を続けようと思うと、大事なチャンスをのがすばあいもありますからね、カメラ散歩には苦しいところです。

 

ところで、昨日から使い始めたブログエディターscribefireで、画像投稿をするのはどうすればよいか?よくわかりません。

とりあえず、フォト蔵にupしている画像は、リンクを張ることで掲載が可能でした。基本、この方法を使えばよいのですが、ちょっと手間ですね。

田園の朝景色を、久しぶりにうつしてみます。

梅雨明けの朝景色
梅雨明けの朝景色 posted by (C)kazg 


梅雨明けの朝景色

雨明けの朝景色 posted by (C)kazg

梅雨明けの朝景色
梅雨明けの朝景色 posted by (C)kazg 


梅雨明けの千日紅 

 梅雨明けの千日紅

 数日前の写真も混じります。

梅雨の晴れ間のランタナ

梅雨の晴れ間のランタナ posted by (C)kazg


朝日を浴びるほおずき


朝日を浴びるほおずき posted by (C)kazg 

 朝日を浴びるほおずき


朝日を浴びるほおずき posted by (C)kazg 


朝日を浴びるほおずき

朝日を浴びるほおずき posted by (C)kazg

梅雨の晴れ間のコスモス
梅雨の晴れ間のコスモス posted by (C)kazg

梅雨の晴れ間のキバナコスモス
梅雨の晴れ間のキバナコスモス posted by (C)kazg

 

時を得たりとばかり、 かまびすしく、ますます蝉時雨が四方を圧倒しております。

カモフラージュ色のニイニイゼミ も、それなりに自己主張しています。

梅雨明けのニイニイゼミ
梅雨明けのニイニイゼミ posted by (C)kazg

梅雨明けのニイニイゼミ
梅雨明けのニイニイゼミ posted by (C)kazg

梅雨明けのニイニイゼミ
梅雨明けのニイニイゼミ posted by (C)kazg

 やはり、クマゼミが一番威勢がよろしい。

梅雨明けのクマゼミ
梅雨明けのクマゼミ posted by (C)kazg

アブラゼミも朝から元気です。

梅雨明けのアブラゼミ
梅雨明けのアブラゼミ posted by (C)kazg

朝日を身にまとった空蝉が目をとらえます。

◇空蝉のなほ登らんとてや見上げたる

の記事のほか、何度も書いたり写真を掲載したりしていますが、飽きずにまたまた載せます。

 

朝日を浴びる空蝉
朝日を浴びる空蝉 posted by (C)kazg 

 小三の男の子が、夏休みの宿題に空蝉収集を試みるのだとか。

空蝉収集箱

空蝉収集箱 posted by (C)kazg

 

今日の付録。

東京都知事選挙に野党共闘の候補として奮闘中の鳥越俊太郎さん。「私は聞く耳を持っている。鳥の声(とりこえ)だけでなく人の

声を聴くのが私。」とおっしゃっています。

そういえば、朝散歩では、蝉の声だけでなく、鳥の声も 聞こえていましたよ。

これは、2,3日前の写真ですが、、、。

いつもの散歩道の、遠くの木の枝にいたのは、シジュウカラでした。

トリミング画像です。

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くわえているのは、ミノムシでしょうか?
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コゲラ。決して美しいさえずりではありませんが、姿、振る舞いは、かわいらしいですね。

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 鳥の写真は、so-netブログ編集ページでの、通常のやりかたでの写真投稿です。

きょうはこれにて。


ブログ編集エディタってどうよ、の巻 [雑話]

退職記念と肺癌手術記念にブログを始めて3年が近づきました。
最初の記事はこれでした。

孫の手作り特製野菜サラダ

見よう見まね、行き当たりばったりで記事を書いては、世間の皆様のお目を汚していながら、ちっとも成長というものがありません。
いつも同じようなトホホをやらかして、くじけています。
その、最たるものが、度々見舞われる記事消失。思い起こせば、いくつかのパターンがあるようで、最も原初的なのは、ブログを始めたばかりの頃、so-netブログの編集画面で直接編集中に、時間が経過しすぎて、記事が消滅するパターン。完成していない記事を、書きかけたまま。席を離れたり、ほかの作業をする時には、下書き保存しておくという鉄則をしりました。しかし、途中で居眠りしてしまった場合は、、、トホホです。

秀丸やメモ帳などのテキストエディターで文章だけは編集して、画像の貼り付けだけを最後に行って記事を完成させる、という方針も、考えては見ましたが、たくさん画像を貼り付けたいときなどにはやっかいです。とくに、そんな、写真ベタベタの記事が多いので、方針通りにいきません。

あれこれ試してみましたが、比較的満足度が高いのは、ホームページビルダーの、おまけ機能のような、ブログ編集機能を使う方法。文字による記事と写真を両方配置して、完成段階まで編集できるので、嬉しいのです。が、、これが、思わぬじゃじゃ馬で、保存したはずの記事が何の前触れもなしに消滅していたり、「投稿」に失敗してそのまま消滅したり、泣くに泣けないトラブルが、時折洗われます。いつもそうならきれいさっぱりあきらめますが、ごくまれに起こる、というのがにくいところです。

ブログエディターという選択肢は、以前から気になっていました。

 

Windows Live WriterとScribefireという二つのソフトが有力のようです。

 が、どうも、インストールがうまくいかなかったり、so-netブログにうまく接続できなかったり、どうも敷居が高いと感じていました。けれども、余りに度重なる消失事件に、何とか打開をはかりたく、今日いくつかの試みをしてみました、

Windows Live Writerはなぜかインストールできません。

このパソコンのブラウザは、主としてとしてFirefoxを使っていますが、Firefox用のScribefireは、うまく設定できませんでした。

以前使ったことはあるが、このパソコンには導入していないGoogle Chrome とoperaをダウンロードしインストールして、それぞれ用のScribefireをためしてみました。

結論としては、なぜだか理由はわかりませんが、たった一つだけ成功したのは、operaでScribefireを使う方法でした。

きょうは、これで編集しています。

文字の入力は、これまでのところ快適です。

一度編集を途中やめにしてブラウザを閉じてみましたが、再起動すると元通りの画面が洗われてほっとします。

つぎは、写真を貼ってみたいと思います。

---うまくいきません。

 

 

 

フォト蔵にアップしたセミの写真をご覧ください。 桜の枝のニイニイゼミ
桜の枝のニイニイゼミ posted by (C)kazg

桜の枝のニイニイゼミ
桜の枝のニイニイゼミ posted by (C)kazg

桜の幹のアブラゼミ
桜の幹のアブラゼミ posted by (C)kazg 


桜の枝のクマゼミ

桜の枝のクマゼミ posted by (C)kazg

桜の枝のアブラゼミ
桜の枝のアブラゼミ posted by (C)kazg

桜の幹のアブラゼミ
桜の幹のアブラゼミ posted by (C)kazg

空を見上げるアブラゼミ
空を見上げるクマゼミ posted by (C)kazg

桜の枝のニイニイゼミ
桜の枝のニイニイゼミ posted by (C)kazg

桜の枝のニイニイゼミ
桜の枝のニイニイゼミ posted by (C)kazg

桜の幹のアブラゼミ
桜の幹のアブラゼミ posted by (C)kazg 


桜の枝のクマゼミ

桜の枝のクマゼミ posted by (C)kazg

桜の枝のアブラゼミ
桜の枝のアブラゼミ posted by (C)kazg

桜の幹のアブラゼミ
桜の幹のアブラゼミ posted by (C)kazg

空を見上げるアブラゼミ
空を見上げるアブラゼミ posted by (C)kazg
今日はこれにて。


この道はいつか来た道 「密告フォーム」の行き着く先、の巻 [時事]

昨日の記事で引用した「二十四の瞳」の一節を再掲します。


 そして、ついにむかえた八月十五日である。濁流がどんないなかのすみずみまでも押しよせたようなさわぎのなかで、大吉たちの目がようやくさめかけたとしても、どうしてそれをわらうことができよう。わらわれる毛ほどの原因も子どもにはない。
まったくそのとおりです。
子どもたちを熱病にうかされたように軍国少年・少女に仕立て上げ、「命は鴻毛より軽し」とばかりに死に急がせたのは、学校でそう教えた教師をはじめ、ほかならぬ大人たちの責任です。
ただ、絶対主義天皇制下の先生支配のもとでは、
自ら好んで流れに身を任せないまでも、その流れに抗ったり押しとどめようとすることは、文字通り命がけの困難を伴いました。
壺井栄の夫壺井繁治も、プロレタリア詩人としての思想と運動の故に、繰り返し検挙投獄され、「転向」を強いられます。
詩人・翻訳家の大島博光さんは、壺井繁治についてこう書いておられます。(壺井繁治と「全詩集」


比喩にくるんだ風刺  追い続けた蝶のイメージ
壺井繁治と「全詩集」 国文社      大島博光
ファシズムへの批判と嘲笑
  戦争前夜の一九三〇年代─ファシズムの風潮がいよいよ高まり、治安維持法という名だたる悪法がわがもの顔にのさばった一九三〇年代。小林多喜二の拷問と虐殺(一九ニニ年)に象徴されるあの血なまぐさい弾圧の時代の暗黒さは、いまの日本ではもう想像もつかない。(だがおんなじ血なまぐさいファシズムが、いま もチリや南朝鮮やスペインで荒れ狂っている。)
 詩人壺井繁治は、この一九二〇年代の嵐のなかをコミュニストとしてくぐりぬけなければならなかった詩人たちの、典型的なひとりである。
 一九二九年、すでにアナーキズムと訣別してコミュニストとなっていた彼は『戦旗』の発行担当者となっている。そのために、検束、拘留をうけることが日常的となり、一九三〇年と三二年、二度にわたって投獄され、一九三四年、保釈の身となり、出獄している。
 詩人が生きたこの時代とかれの体験は、その詩のなかにも反映されている。一九二六年にかかれた『頭の中の兵士』『勲章』などの作品は、こんにちこれを読みかえしてみるとき、あらためて新しい感銘をわたしにあたえる。この風刺的な散文詩は、奇抜なイメージと、なかなか晦渋な比喩によって、当時のファシズムと軍国主義を批判し、これを痛烈に嘲笑している。

  ・・・一隊の騎兵は馬首を揃えて進軍した。・・・何処からともなく美しい一羽の蝶が飛んで来た。士官はそれを見つけるや否や、指揮刀を高く振り上げて、「止れっ!」と号令した。「おい、貴様たち!あの蝶を切り捨てて見ろ!見事に切り捨てた奴には褒美として勲章をやる」
 兵士達は、この号令に従って、われ先きにと剣を引き抜いて、その美しい蝶をめがけて斬り込んで行った・・・」(『勲章』)


 ここにすでに、この詩人の愛する蝶というイメージが現われている。このイメージに詩人が何を託したのかは、はっきりとはわからない。読者はそれをいろいろにおしはかるほかはない。しかし、この晦渋さ、難解さが、この散文詩を二重に生かしているのである。ひとつは、平板な自然主義的な描写の目立っていた当時のレアリズム詩のなかにあって、この散文詩はこのようなイメージと比喩によってひときわきわだっていること。もうひとつは、この晦渋さ、難解さによって、当時の検閲の眼をくらますことができたということである。その頃は、ちょっとした革命的な表現や言葉をふくんだ作品でさえ、しばしば発禁処分のうきめに合ったのであった.

″蝶″に託す人間の勝利と希望
 さて、拷問、投獄という地獄の体験は生まやさしいものではなかった。投獄されたことを知った詩人の母は、「心痛のあまり発狂(軽症)」したのでもあった。そして詩人は、

 ふるさとの母は
 愚かだけれど なつかしい


 という詩句ではじまる『ふるさとの母に』と題する、やさしい、うつくしい詩をかく。詩人はたんたんとほとんど客観的に「泥棒や人殺しだけが」牢屋に入れられると考えている母によびかけている。しかしこの詩の背後には詩人のわめきたいような激情がかくされ、抑えつけられているのである。そのことによって、この作品は詩としての力をもつことにもなる。

 おお、なつかしいふるさとの母よ
 私の仲間たちは
 まだ多勢牢屋につながれています
 そしてこれからもつながれるでしよう
 けれどもどうか達者でいて下さい
 どうして私達が
 そんなに牢屋につながれるかが納得出来る日まで・・・


 しかし情勢はますます悪化してゆく。第二次世界大戦が始まる。日中戦争がいよいよ深みにはまってゆく。一九四〇年、詩人は「標本箱に収められながらなお羽根をふるわせる蝶の登場する」詩「蝶」をかく。ここには、幾重にも屈折した詩人の想いが、標本箱の中の蝶というイメージと、胸に抱きしめて「長い冬を凌いできた」蕾というイメージによって描かれている。作者はこの詩を「一種の転向詩」とよんでいるが、この詩のなかの作者はまだ転向しきってはいない。「おお蝶よ/私の胸へ/春の溜息する方へ飛んで来い」とうたうとき、詩人の声は弱よわしいけれども、なお希望をかかげているのである。のちに詩人がみずから表現した言葉にしたがっていえば、この詩はたとえ弱よわしくあろうとなお「人間の希望と勝利へつながるものとしての敗北の歌」ということができよう。
  戦後、一九四六年、詩人は「小林多喜二のお母さんへ」という献詞をもつ『二月二十日』をかいている。ここには、多喜二を虐殺したファシズムの残虐さと共産義者たちの人間的な同志愛とが、また戦前と戦後とが、あざやかな対比のうちに描かれており、詩人の抒情がみずみずしく鳴りひびいている。この詩はやはり一九三〇年をつたえる記念碑的な作品である、といっていい。 
ここで紹介されている「小林多喜二のお母さんへ」という詩はこう始まります。


小林のお母さん
あなたの息子が殺されてから十二年たちました
あなたの息子が警察につかまって
二十四時間とたたぬうちに殺されたことを知ったとき
私は牢屋に繋がれていました。
お母さん
あなたはどんな思いでその知らせを受け取りましたか
(略)


壺井繁治については、私の過去記事でも、こっそり短い詩を紹介しました。

◇きれいさっぱり新規インストールで光明みえたとおもったが、の巻


生まれかわったような
   朝を迎えたい
   その日限り
   死んでも惜しくないような
       壺井 繁治


下の作品などとともに、好きな詩のひとつです。


 黙っていても


 黙っていても
 考えているのだ
 俺が物言わぬからといって
 壁と間違えるな




 石

 石は
 億万年を
 黙って
 暮らしつづけた
 その間に
 空は
晴れたり
曇ったりした 命は鴻毛より軽し
また、大島博光さんのことも、これらの記事で話題にしました。

◇膾を割くに牛刀を以てす、、あれれ?

◇風よお前は  

◇もうひとつの911 その2

このお二人が、戦後、「詩人会議」の設立と民主主義的詩運動の発展にともに尽力した盟友であったことには、うかつにも今まで気づかずににいました。(知ったかぶりの地金はすぐに剝げます(汗)

ところで、壺井栄は、夫繁治をとおして小林多喜二や宮本百合子らのプロレタリア作家との親交をふかめ、百合子の紹介で「大根の葉」を、『文芸』に発表して好評を博し、作家として本格的にデビューしました。宮本百合子は、治安維持法違反で十二年もの間獄中生活を強いられた夫宮本顕治(芥川龍之介を論じた「敗北の文学」で「改造」新人賞を得た文芸評論家で、非合法時代の日本共産党幹部。戦後、日本共産党書記長、委員長、議長として活躍。今日の基盤を築いた)に当てた手紙に、こう書いています。




 七月十六日 〔市ヶ谷刑務所の顕治宛 駒込林町より(封書)〕
私が病院から帰って来た時分、スエ子は是非私と住みたい心持で、私もそれはやむを得まいと思って居りましたが、この頃ではスエ子が自身の職業をもつ条件や何かでやっぱり国男たちと暮し、後には一本立ちになるプランに変更です。だから私は私で自分の一番よいと思う暮しかたをすればよくなったので大変楽です。去年の六月頃詩人[自注6]である良人に死別した女のひとで、おひささんというおとなしい人がいるのでもしかしたらそのひとに家のことを見て貰うかもしれません、それが好都合にゆけば私は殆ど幸福というに近い暮しが出来るのですが――私の条件としてはね。この頃私は仕事というか文学についての勉強心というか猛烈であって、女学生のようです。
(中略)
 
[自注6]詩人――プロレタリア詩人、今野大力。『戦旗』とプロレタリア文化連盟関係の出版物編輯発行のために献身的な努力をした。共産党員。一九三二年の文化団体に対する弾圧当時、駒込署に検挙され、拷問のビンタのために中耳炎を起し危篤におちいった。のち、地下活動中過労のため結核になって中野療養所で死去した。百合子の「小祝の一家」壺井栄「廊下」等は今野大力の一家の生活から取材されている。

宮本百合子「獄中への手紙 一九三六年(昭和十一年)」 (青空文庫より)

ここで名前が出てくる今野大力について、2007年8月25日(土)「しんぶん赤旗」はこう書いています。




 今野大力(こんの・だいりき)は、戦前、天皇制政府による激しい弾圧のもとで、反戦平和と国民が主人公の世の中をつくるために、最後まで命がけでたたかった日本共産党員の詩人です。

 今野は、1904年(明治37年)に宮城県丸森町に生まれ、3歳のとき北海道旭川に移住。父母は馬車鉄道の待合所をかねて雑貨店を営みますが、貧しい中で弟や妹を出生間もなく失います。しかし、今野は、逆境にめげず、幼少のころから心やさしく、仲間たちからも慕われました。旭川時代から郵便局などで働きながらも向学心に燃えて独学に励み、17歳のころからは叙情性の豊かな作品で詩人としての才能が認められ、文学活動をつづけるなかで、民衆の生活への社会的関心をつよめていきます。


 31年9月、中国東北部への侵略(満州事変)が始まると、今野は、「日本プロレタリア文化連盟(コップ)」(同年11月結成)で同じ共産青年同盟員であった今村恒夫、槙村浩らとともにひるまずたたかいました。


 『プロレタリア文学』32年2月号に発表された今野の反戦詩「凍土を噛(か)む」は―


 おれたちは千里のこなたに凍土を噛む 故国はおれたちをバンザイと見送りはしたが ほんとうに喜こんで見送った奴は 俺達の仲間ではない おれた ちは屠殺場へ送られてきた馬 豚 牛だ!……殺す相手も 殺される相手も 同じ労働者の仲間 おれたちにはいま仲間を殺す理由はない この戦争をやめろ


―と書いています。


 32年3月、文化運動の広がりと発展にたいして、天皇制政府は、文化活動家404人を逮捕。今野は駒込警察署での拷問がもとで、人事不省におちいり釈放されます。健康を害した今野は、奇跡的に回復すると、屈することなく、小林多喜二の虐殺、今村恒夫逮捕の後の「赤旗」(せっき)配布などに参加し、33年には野呂栄太郎、宮本顕治の推薦で日本共産党に入党します。しかし、ふたたび結核が悪化し、35年6月19日、31歳の若さで永眠しました。


 黙々とたたかう今野の姿は、宮本百合子の小説「一九三二年の春」「刻々」「小祝の一家」にも描かれています。


 死の一カ月前に今野が書いた「小金井の桜の堤はどこまでもどこまでもつづく」で始まる詩「花に送られる」は、療養先だった武蔵野の住まいから江古田の療養所へ向かう寝台自動車の自分をうたい、死を覚悟した決然とした姿が胸を打ちます。


 〈参考〉『今野大力作品集』(新日本出版社)(喜)


 〔2007・8・25(土)〕



文章中の、槙村浩(まきむらこう)の話題も、何度か記事にしました。

◇「すばらしい野天の五月のお祭りだ」、の巻

◇里村欣二は日生の生まれ、の巻

◇槙村浩と三月一日

◇多喜二忌に北の多喜二南の槙村を思うの巻

◇懐かしき便り嬉しき聖夜かな

今野が反戦詩「凍土を噛(か)む」を発表したのと同じ1932年2月、創刊の『大衆の友』に発表した詩『生ける銃架』は、進軍する兵士を生きた銃架にたとえてこう歌います。


『生ける銃架』   槙村浩

(前略)

高粱の畠を分けて銃架の影はけふも続いて行く

銃架よ、お前はおれの心臓に異様な戦慄を与へる――血のやうな夕日を浴びてお前が黙々と進むとき

お前の影は人間の形を失ひ、お前の姿は背嚢に隠れ

お前は思想を持たぬたゞ一箇の生ける銃架だ

(中略)

生ける銃架。おう家を離れて野に結ぶ眠りの裡(うち)に、風は故郷のたよりをお前に伝へないのか

愛するお前の父、お前の母、お前の妻、お前の子、そして多くのお前の兄妹(きやうだい)たちが、土地を逐(お)はれ職場を拒(こば)まれ、飢えにやつれ、歯を喰い縛(しば)り、拳(こぶし)を握(って、遠北の空に投げる憎しみの眼は、かすかにもお前の夢に通はぬのか

(中略)

生ける銃架。お前が目的を知らず理由を問はずお前と同じ他の国の生ける銃架を射×しお前が死を以て衛(まも)らねばならぬ前衛の胸に、お前の銃剣を突き刺す時背後にひゞく萬国資本家の哄笑がお前の耳を打たないのか

突如鉛色(なまりいろ)の地平に鈍い音響が炸裂(さくれつ)する砂は崩れ、影は歪(ゆが)み、銃架は×を噴いて地上に倒れる

今ひとりの「忠良(ちうりゃう)な臣民(しんみん)」が、こゝに愚劣な生涯を終えた

だがおれは期待する、他の多くのお前の仲間は、やがて銃を×に×ひ、剣を後(うしろ)に×へ自らの解放に正しい途(みち)を撰び、生ける銃架たる事を止(とゞ)めるであらう

(後略)



この頃、共青高知地区委員会のメンバーが高知市朝倉の歩兵44連隊兵舎内に侵入して上海出兵に反対する 「兵士よ敵をまちがえるな」と書いた反戦ビラを配布するが、そのビラを槇村が執筆した。と、ウィキペディアにはあります。

翌33年2月20日、小林多喜二は、特高警察のスパイの手引きで今村恒夫とともに逮捕され、築地署で拷問を受け、その日のうちに虐殺されました。

その一周忌に当たって作られた今野大力の詩を青空文庫から引用します。が







 




今日も途中でバックアップできないトラブル。文章を二回書きました。くたくたです。

木槿の花



ひまわりの花。















フヨウの花とキリギリス。



きょうはこれにて

自民HP「密告フォーム」と「二十四の瞳」、の巻(4) [時事]

昨日の消失記事の復元にいどみます。
私はこの記事をホームページビルダーのブログ作成機能を利用して書いていますが、予期せぬトラブルにしばしば見舞われて落胆します。昨日も、この「密告フォーム」シリーズが完結して気持ちよくアップロードしようとしたら、そのまま「プログラムが応答していません」表示が出て、泣く泣く強制終了しました。
昨日の記事の続きに、こんなことを書いたように思います。
「二十四の瞳」の一節です。

 人の命を花になぞらえて、ちることだけが若人の究極の目的であり、つきぬ名誉であるとおしえられ、信じさせられていた子どもたちである。日本じゅうの男の子を、すくなくもその考えにちかづけ、信じさせようと方向づけられた教育であった。校庭のすみで本を読む二宮金次郎までが、力ンコの声でおくりだされてしまった。なん百年来、朝夕をしらせ非情を告げたお寺の鐘さえ鐘楼からおろされて戦争にいった。
大吉たちがやたら悲壮がり、命を惜しまなくなったこともやむをえなかったのかもしれぬ。 しかし大吉の母は、 一度もそれに賛成はしなかった。
「なああ大吉、おかあさんはやっばり大吉をただの人間になってもらいたいと思うな。 名誉の戦死なんて、一軒にひとりでたくさんじゃないか。死んだら、もとも子もありゃしないもん。おかあさんが一生けんめいに育ててきたのに、大吉ァそない戦死したいの。おかあさんが毎日泣きの涙でくらしてもえいの?」
のぼせた顔にぬれ手ぬぐいをあててでもやるようにいったが、熱のはげしさは、ぬれ手ぬぐいではききめがなかった。 かえって大吉は母をさとしでもするように、
「そしたらおかあさん靖国の母になれんじゃないか」
これこそ君に忠であり親には孝だと信じているのだ。
それでは話にならなかった。
「あああ、このうえまだ靖国の母にしたいの、このおかあさんを。『靖国』は妻だけでたくさんでないか」
しかし大吉は、そういう母をひそかに恥じてさえいたのだ。軍国の少年には面子があった。かれは母のことを極力世間にかくした。大吉にすれば、母の言動はなんとなく気になった。
(中略)
以前、病気休暇で帰っていた船乗りの父に、また戦地への乗船命令が下った時も、まっさきにいきおいづく大吉と、母の思いには、大きなギャップがありました。
じぶんの家でも父が戦争にゆくということで肩身がひろかったのだ。 一家そろっているということが、 子どもに肩身のせまい思いをさせるほど、どこの家庭も破壊されていたわけである。
戦死の公報がはいったのは、サイパンを失うすこしまえだった。さすがの大吉もそのときは泣いた。ひじを胸のほうにまげて、手首のところで涙をふいている大吉の肩を、母はだきよせるようにして、「しっかりしようね大吉、ほんとうにしっかりしてよ大吉」
じぶんをもはげますようにいい、そのあと、小さな声で、どんなに父が家にいたがったかを語った。
「いったらもう帰れないこと、わかってたんだもん。それなのに大吉たち、おおさわぎしたろう。気のどくで、っらくておかあさん……」
しかし大吉はそのときでさえ、なぜ母はそんなことをいうのだろうと思つた。父はよろこび勇んで出ていったのだといってもらいたかった。戦死は悲しいけれど、それだとて、父のない子はじぶんだけではないのにと、そのことのほうをあたりまえに考えていた。
となり村のある家などでは、四人あったむすこが四人とも戦死して、四つの名誉のしるしはその家の門にずらりとならんでいた。大吉たちは、どんなにか尊敬の目でそれをあおぎ見たことだろう。それは一種の羨望でさえあった。
その 「戦死」 の二字をうかした細長く小さな門標は、.やがて大吉の家へもとどけられてきた。 小さな二本のくぎといっしょに状袋に入れてあるのをてのひらにあけて、 しばらくながめていた母は、そのまま状袋にもどして、火鉢のひきだしにしまった。
「こんなもの、門にぶちつけて、なんのまじないになる。あほらしい」
怒つたような顔をしてつぶやき、しょきしょきと米をつきはじめた。米はビールびんのなかでつくのである。 病気で寝ていたおばあさんのおかゆのためで、大吉たちの口にははいらなかった。
〈中略)
そしてある日、名誉の門標はいつのまにか火鉢のひきだしから門の鴨居正面にうつっていた。母のるすに大吉がそこへうちつけたのである。小さな「名誉の門標」は、しかるぺき位置に光っていた。「門標」の妻は、しばし立ちどまってそれをながめた。ひとりの男の命とすりかえられた小さな「名誉」を。その名誉はどこの家の門ロをもかざって、恥をしらぬようにふえていった。それをもっともほしがっていたのは、 おさない子どもだったのであろうか。
いつも明るく穏やかな作者の筆からほとばしる痛烈な皮肉は、鋭利な刃物のように時代の愚かさをえぐります。そこには、戦争に翻弄され痛めつけられ、最愛の人々を奪いさられた世の女たち、母たちの、こらえきれない憤りが、そして、決して癒されることのない悲しみと悔しさが、あふれんばかりに湛えられているようです。
 そして、ついにむかえた八月十五日である。濁流がどんないなかのすみずみまでも押しよせたようなさわぎのなかで、大吉たちの目がようやくさめかけたとしても、どうしてそれをわらうことができよう。わらわれる毛ほどの原因も子どもにはない。

「ぬれ手ぬぐい」の効あってか次第に熱も冷め、ようやく目がさめていったのが、当時の軍国少年、少女たちのたどった道だったのでしょう。
これらの場面を、これまで私は、重く受け止めていなかったわけでは決してありませんが、とおく過ぎ去った昔のこと、幸いにも克服された解決済みの課題、として読み流していたように思います。今度、改めて再読してみて、これは今現在、目の前に横たわっている危機そのものではないか、と思えてなりません。
つまり、あのとき、「ぬれ手ぬぐい」によって適切に熱を冷まし、覚醒することをし損ねたまま、今なお熱にのぼせ続けているヒトたちや、どこでどう感染したか、自ら熱に浮かされしかもそれを増幅させながら周囲に伝染させている重症者が、こともあろうに戦時権力の中枢に居座っている異常事態。やばいと思えて成りません。
たとえば、半ば陶酔的な「乙女チック」なこんな発言。七十年以上タイムワープした錯覚を覚えます。

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同じ穴には、似たようなムジナや魑魅魍魎が一杯棲んでいるらしいです。


 ↓こんなこともありましたし、

 10日放送の「池上彰の参院選ライブ」(テレビ東京系)で、三原じゅん子氏が、神武天皇が実在すると明言する場面があった。

番組では、同日投開票を迎えた第24回参議院議員選挙の開票速報を展開した。自民党現職の三原氏は比例代表から選挙区にくら替えしての立候補で、早々と当選確実の一報が流れた。番組では、三原氏の選挙活動に密着したVTRを放送し、その中で、「党内切っての保守派」と紹介。VTR上で三原氏は「神武天皇の、建国からの、そのときからの歴史すべてを受け入れた憲法を作りたい」との抱負を語っていた。

そんな三原氏に、番組では池上彰氏が中継をつないでインタビューをした。池上氏は、三原氏がVTR上で「神武天皇以来の伝統を持った憲法を作らなければいけない」との旨の発言していたことに触れ、「どういう意味なんでしょうか? 明治憲法の方がよかったという意味なんですか?」と質問。三原氏は「すべての歴史を受け止めて、という意味であります」と端的に答える。

池上氏はこの回答に「なるほど、じゃあ神武天皇は実在の人物だったという認識なんでしょうか?」と、再度尋ねていく。すると三原氏は「そうですね。いろいろなお考えがあるとかもしれませんが、私はそういう風に思ってもいいと思います」と認めたのだった。

これにはスタジオで「おお…」という声がもれ、池上氏は驚いた様子で「ああ、そうですか!」と発する。学校の授業では神話上の人物だとし、再び「三原さんは神武天皇は存在したと?」と聞き返す。

三原氏は「神話の世界であったとしても、そうしたことも含めて私はそういう考えでもいいんではないかという考えであります」と発言し、池上氏が「なるほど、神話も含めての日本の歴史を大切にした憲法にしなければならないと、そうお考えだということですね?」と補足する。これに三原氏が「そうですね、はい!はい!そういうことです」と認めたところで、中継は終わった。

↓こんなこともありました。

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自民党の三原じゅん子参院議員(比例区・党女性局長)は16日の参院予算委員会の質問で、「ご紹介したいのが、日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇(はっこういちう)であります」と述べた

出典三原じゅん子氏「八紘一宇は大切な価値観」予算委で発言 (朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

 さすがに戦争中を経験した年配者は、こんな熱に浮かされた発言はできなかったと見えます。

 昭和32年9月、衆議院文教委員会で、松永文部大臣は、「戦前は八紘一宇といって、日本さえよければよい、よその国はどうなってもよい、よその国はつぶれた方がよいというくらいな考え方から出発していた」と説明しています。
(消された言葉「八紘一宇」: かつて日本は美しかった)

 タカ派中のタカ派、ナカソネサンでも、こう言っていましたものね。
 昭和58年には中曽根康弘総理大臣が衆議院本会議で「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持った、日本だけが例外の国になり得ると思った、それが失敗のもとであった」との認識を示した

 知らないというのは、つくづくおそろしいものです。
また、恥ずかしいものです。


蓮根田のハスの花が、いろいろな装いを見せています。

雨の日のハスの花

雨の日のハスの花 posted by (C)kazg 雨の日のハスの花

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雨の日のハスの花 posted by (C)kazg 風の日のハスの花

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風の日のハスの花

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自民HP「密告フォーム」と「二十四の瞳」、の巻(3) [時事]

壷井栄「二十四の瞳」の一節は、敗戦時の状況をこう伝えています。


 悪夢のようにすぎたここ五年間は、大石先生をも人なみのいたでと苦痛のすえに、小さなむすこにいたわられながら、 このへんびな村へ赴任してこなければならない境遇に追いこんでいた。 わが身に職のあることを、はじめてかのじょは身にしみてありがたがった。教え子の早苗にすすめられて願書はだしてみたものの、きてゆく着物さえもないほど、生活は窮迫の底をついていった。不如意な日々のくらしは人を老いさせ、かのじょもまた四十という年よりも七、八つもふけて見える。五十といっても、だれもがうたがおう。
いっさいの人間らしさを犠牲にして人びとは生き、そして死んでいった。おどろきに見はった目はなかなかに閉じられず、閉じればまなじりを流れてやまぬ涙をかくして、なにものかに追いまわされているような毎日だった。 しかも人間はそのことにさえいつしかなれてしまって、 立ちどまり、ふりかえることをわすれ、心の奥までざらざらに荒らされたのだ。荒れまいとすれば、それは生きることをこばむことにさえなった。 そのあわただしさは、 戦いのおわったきょうからまだあすへもつづいていることを思わせた。 戦争はけっしておわったとは思えぬことがおおかった。
原爆の残虐さが、 そのことばとしての意味だけでつたえられてはいたが、 まだほんとうの惨状をしらされていなかったあの年の八月十五日、 ラジオの放送をきくために学校へ招集された国民学校五年生の大吉は、敗戦の責任を小さなじぶんの肩にしょわされでもしたょうに、しょげかえって、 うつむきがちに帰ってきた。


思えば、これらの記事で書いた「その時10歳」の方々と、ほぼ同世代ということになるでしょう。◇そのとき十歳の私は、補遺

◇取り急ぎ、岡山空襲の日を走り読み、の巻

◇沖縄慰霊の日に思い出すこと(その3)


少し端折って読み進めます。




 あの日、しょげている大吉の心を「なにをしょげてるんだよ。 これからこそ子どもは子どもらしく勉強できるんじゃないか。 ごはんにしょ」
だが、 いつもならおおさわぎの食卓を見むきもせずに大吉はいったのだ。
「おかあさん、戦争、まけたんで。ラジオきかなんだん?」
かれは声まで悲壮にくもらしていった。
「きいたよ。でも、とにかく戦争がすんでよかったじゃないの」
「まけても」
「うん、まけても。もうこれからは戦死する人はないもの。生きてる人はもどってくる」
「一億玉砕でなかった!」
「そう。なかって、よかったな」
「おかあさん、泣かんの、まけても?」 .
「うん」
「おかあさんはうれしいん?」 '
なじるようにいった。
「ばかいわんと!大吉はどうなんじゃい。うちのおとうさんは戦死したんじゃないか。もうもどってこんのよ、大吉」
そのはげしい声にとびあがり、はじめて気がついたように大吉はまともに母を見つめた。しかしかれの心の目もそれでさめたわけではなかった。かれとしては、この一大事のときに、なおかつ、ごはんをたべようといった母をなじりたかったのだ。平和の日をしらぬ大吉、生まれたその夜も防空演習でまっくらだったときいている。灯火管制のなかで育ち、 サイレンの音になれて育ち、真夏に綿入れの頭巾をもって通学したかれには、母がどうしてこうまで戦争を憎まねばならないのか、よくのみこめていなかった。

 



すみません、またまた書きかけの記事が消失しました。ここまではバックアップしていましたので、続きの復元は次回とします。

散歩中に上空を数羽の鴨が舞いました。カメラが間に合わず、一枚だけ証拠写真です。



上のカモと同じかどうかはわかりませんが、前方の小川にカルガモの親子を見つけました。







気配を察知したのか、すたこら陸地に駆け上りました。カメラが間に合ったのは一番しんがりの親ガモの姿だけ。雛(若鳥)たちはさっさとどこかに姿をくらましてしまいました。



今日はこれにて。

 


自民HP「密告フォーム」と「二十四の瞳」(2) [時事]



「子どもたちを戦場に送るな」と発言するような教師がいたら密告せよとそそのかす、自民党HP「密告フォーム」は、「一億総密告社会(総チクリ社会)」の「創生」をねらう本性をあらわにしたもので、こっそり文言を差し替えても取り繕うことはできません。

連想から読み返してみた「二十四の瞳」の話題に今しばらくおつきあいください。長い引用は避けたいと思いつつ、またまた引用です。

教え子たちが六年生になった頃、大石先生は教師を続けるかどうかの悩みにさらされます。子どもたちは口々にこう将来を語るのです。


 「ぼくは、中学だ」

竹一が肩を張るようにしていうと、正もまけずに、
「ぼくは高等科で、卒業したら兵隊にいくまで漁師だ。兵隊にいったら、下士官になって、曹長ぐらいになるから、おぼえとけ」
「あら、下士官……」

不自然にことばを切ったが、 先生の気持ちの動きにはだれも気がっかなかった。月夜のかにとやみ夜のかにをわざわざ持つてきたょうな正が下士官志望は思いがけなかったのだが、
かれにとっては大いにわけがあった。徴兵の三年を挑戦の兵営ですごし、除隊にならずにそのまま満州事変に出征したかれの長兄が、 最近伍長になって帰つたことが正をそそのかしたのだ。
「下士官を志望したらな、曹長までは平ちゃらでなられるいうもん。下士官は月給もらえるんど」
そこに出世の道を正は見つけたらしい。すると竹一も、まけずに声をはげまして、
「ぼくは幹部候補生になるもん。タンコに負けるかい。すぐに少尉じゃど」
吉次や磯吉がうらやましげな顔をしていた。竹一や正のように、さしてその日のくらしにはこまらぬ家庭のむすことはちがう吉次や磯吉が、戦争について、家でどんなことばをかわしているかしるよしもないが、だまっていても、やがてかれらもおなじょうに兵隊にとられてゆくのだ。

その春(昭和八年)日本が国際連盟を脱退して世界の仲間はずれになったということにどんな意味があるか、近くの町の学校の先生が牢獄にっながれたことと、それがどんなつながりをもっているのか、それらのいっさいのことをしる自由をうばわれ、そのうばわれている事実さえしらずに、
いなかのすみずみまでゆきわたった好戦的な空気につつまれて、 少年たちは英雄の夢をみていた。
「どうしてそんな、軍人になりたいの?」
正にきくと、かれはそっちょくにこたえた。
ぼく、あととりじゃないもん。それに漁師よりよっぼど下士官のほうがえいもん」

「ふ-ん。 竹一さんは?」
ぼくはあととりじゃけんど、ぼくじゃって軍人のほうが米屋よりえいもん」
「そうぉ、そうかな。ま、よく考えなさいね」
うかつにもののいえないきゅうくつさを感じ、 あとはだまって男の子の顔を見つめていた。正が、なにか感じたらしく、
「先生、軍人すかんの?」
ときいた。
「うん、漁師や米屋のほうがすき」
「へえーん。どうして?」
「死ぬの、おしいもん」
「よわむしじゃなあ」
「そう、よわむし」
その時のことをを思いだすと、いまもむしゃくしゃしてきた。これだけの話をとりかわしたことで、もう教頭に注意されたのである。
「大石先生、あかじゃと評判になっとりますよ。気をつけんと」
--ああ、あかとは、いったいどんなことであろうか。この、なんにもしらないじぶんがあかとは--

寝床のなかでいろいろ考えつづけていた大石先生は茶の間にむかってよびかけた。

(中略)

「わたし、つくづく先生がいやんなった。三月でやめよかしら」
「やめる?なんでまた」
「やめて一文菓子屋でもするほうがましよ。毎日毎日忠君愛国……」

(中略)

「 一年から六年まで、わたしはわたしなりに一生けんめいやったつもりよ。ところがどうでしょう。男の子ったら半分以上軍人志望なんだもの。 いやんなった」
「とき世時節じゃないか。おまえが一文菓子屋になって、戦争がおわるならよかろうがなあ」
(中略)
やがておちついてふたたび学校へかようようになったが新学期のふたをあけると大石先生はもう送りだされる人であった。「惜しんだりうらやましがる同僚もいたが、とくにひきとめようとしないのは、大石先生のことがなんとなく目立ち、問題になってもいたからだ。それなら、どこに問題があるかときかれたら、だれひとりはっきりいえはしなかった。大石先生自身はもちろんしらなかった。 しいていえば、 生徒がよくなつくというようなことにあったかもしれぬ。
それから数年、大石先生の身にも世の中にも、大きな変化がありました。


 腹をたてて教職をひいたあのときとはくらべることもできないほど、世の中はいっそうはげしくかわっていた。日華事変がおこり日独伊防共協定がむすばれ、国民精神総動員という名でおこなわれた運動は、寝言にも国の政治に口をだしてはならぬことを感じさせた。戦争だけを見つめ、戦争だけを信じ、身も心も戦争のなかへ投げこめとおしえた。そしてそのようにしたがわされた。不平や不満は腹の底へかくして、そしらぬ顔をしていないかぎり、世渡りはできなかった。 そんななかで大石先生は三人の子の母となっていた。 長男の大吉、二男の並木、末つ子の八津。
そんなある日、今度小学校に入学する長男大吉のためにランドセルを買って、バス停でバスを待っていた大石先生を見つけて声をかけてきたのは、ちょうどこの町の公会堂でとり行われていた徴兵検査を受けるために通りかかった教え子たちでした。大石先生の思いは複雑です。


 けもののように素つ裸にされて検査官のまえに立つ若者たち。 兵隊墓に白木の墓標がふえるばかりのこのごろ、若者たちはそれを、じじやばばの墓よりも関心を持つてはならない。いや、そうではない。大きな関心をよせてほめたたえ、そこへつづくことを名誉とせねばならないのだ。
なんのために竹一は勉強し、だれのために磯吉は商人になろうとしているのか。子どものころ下士官を志望した正は、軍艦と墓場をむすびっけて考えているだろうか。にこやかな表情の裏がわを見せてはならぬ心ゆるせぬ時世を、仁太ばかりはのんきそうに大声をあげていたが、仁太だとて、その心の奥になにもないとはいえない。
あんな小さな岬の村から出たことし徴兵適齢の五人の男の子、おそらくみんな兵隊となってどこかのはてへやられることだけはまちがいないのだ。 ぶじ帰ってくるものはいく人あるだろう。もうひとり人的資源をっくってこい……そういって一週間の休暇をだす軍隊というところ。生まされる女も、子どもの将来が、たとえ白木の墓標につづこうとも、案じてはならないのだ。男も女もナムアミダブツでくらせということだろうか。どうしてものがれることのできない男のたどる道、そして女はどうなるのか。

一本松のバス停では、帰りの遅い母を、長男大吉が待ちかねていました。


「かあちゃん、なかなか、もどらんさかい、ぼく泣きそうになった」
「そうかい」 .
「もう泣くかと思ったら、ブブーってなって、見たらかあちゃんが見えたん。手えふったのに、かあちゃんこっち見ないんだもん」
「そうかい。ごめん。かあちゃんうっかりしとった。おおかた、一本松わすれて、つっ走るとこじゃった」
「ふーん。 なにうっかりしとったん?」
それにはこたえずつつみをわたすと、それが目的だといわぬばかりに、
「わあ、これ、ランドセルウ?ちっちゃいな」
「ちっちゃくないよ。しょってごらん」
むしろ大きいぐらいだった。 大吉はひとりでかけだした。

「おばあ、ちゃ-ん、ランド セルウ」
すっとんでゆきながら足もとのもどかしさを口にたすけてもらうかのように、 ゆく手のわが家へむかってさけんだ。

肩をふって走ってゆくそのうしろ姿には、 無心にあすへのびようとするけんめいさが感じられる。そのかれんなうしろ姿のゆく手に待ちうけているものが、やはり戦争でしかないとすれば、人はなんのために子を生み、愛し、育てるのだろう。砲弾にうたれ、さけてくだけてちる人の命というものを、惜しみ悲しみとどめることが、どうして、してはならないことなのだろう。治安を維持するとは、人の命を惜しみまもることではなく、人間の精神の自由をさえ、しばるというのか…。

走りさる大吉のうしろ姿は竹一や仁太や正や吉次や、そしてあのときおなじバスをおりて公会堂へあるいていった大ぜいのわかものたちのうしろ姿にかさなりひろがってゆくように思えて、めいった。 ことし小学校にあがるばっかりの子の母でさえそれなのにと思うと、 なん十万なん百万の日本の母たちの心というものが、どこかのはきだめに、ちりあくたのように捨てられ、マツチ一本で灰にされているような思いがした。

お馬にのったへいたいさん

てっぽうかついであるいてる

トットコトットコあるいてる

へいたいさんは大すきだ


気ばりすぎて調子っぱずれになった歌が、家のなかからきこえてくる。敷居をまたぐと、ランドセルの大吉を先頭に、並木、八津がしたがって、家じゅうをぐるぐるまわっていた。孫のそんな姿を、ただうれしそうに見ている母に、なんとなくあてつけがましく、大石先生はふきげんにいった。

「ああ、ああ、みんな兵隊すきなんだね。ほんとに。おばあちゃんにはわからんのかしら。男の子がないから。でも、そんなこっちゃないと思う…」
そして、

「大吉ィ!」と、きつい声でよんだ。口のなかをかわかしたような顔をして大吉はつっ立ち、きょとんとしている。はたきと羽子板を鉄砲にしている並木と八津がやめずにうたいつづけ走りまわっているなかで、
大吉のふしんがっている気持ちをうずめてやるように、いぃきなりせなかに手をまわすと、 ランドセルはロボットのような感触で、しかし急激なよろこびで動いた。長男のゆえにめったに受けることのない母の愛撫は、満六歳の男の子を勝利感に酔わせた。にこっとわらってなにかいおうとすると、並木と八津に見つかった。
「わあっ」
押しよせてくるのを、おなじようにわあっとさけびかえしながら、ひっくるめてかかえこみ、「こんな、かわいいやつどもを、どうしてころしてよいものか。わあっ、わあっ」
調子をとってゆさぶると、三つの口はおなじように、わあっ、わああと合わせた。
そこにどんな気持ちがひそんでいるかをしるには、あまりにおさない子どもたちだった。

戦場に送りたくないのは、愛おしい我が子も、教え子もおなじです。


 天皇の名によって宣戦布告された十二月八日のそのずっとまえに、その年の入営者である仁太や吉次や磯吉たちは、もうすでに村にはいなかった。出発の日、いくばくかの餞別にそえて大石先生は、かつての日の写真をハガキ大に再製してもらっておくった。 もう原板はなくなっていた。竹一のほかはみななくしていたので、よろこばれた。
「からだを、だいじにしてね」
そして、いちだんと声をひそめ、
「名誉の戦死など、しなさんな。生きてもどってくるのよ」

すると、きいたものはまるで写真のむかしにもどったような素直さになり、磯吉などひそかにな涙ぐんでいた。竹一はそっとに横をむいて頭をさげた。吉次はだまってうつむいた。正はかげのある笑顔を見せてうなずいた。仁太ひとり声にだして、.

「先生だいじょうぶ、勝ってもどってくる」
それとて、仁太としてはひそめた声で「もどってくる」というのをあたりをはばかるようにいった。もどるなどということは、もう考えてはならなくなっていたのだ。仁太はしかし、ほんとうにそう思っていたのだろうか。まっ正直なかれには、おていさいや、ことばのふくみは通用しなかったからだ。仁太だとて命の惜しさについては、人後におちるはずがない。それを仁太ほど正直にいったものは、なかったかもしれぬ。かれはかつての日、徴兵検査の係官のまえで、甲種合格!と宣言されたせつな、思わずさけんだという。
「しもたァー」

みんなが吹きだし、うわさはその日のうちにひろまった。しかし仁太は、ふしぎとビンタもくわなかったという。仁太のその間髪をいれぬことばは、あまりにも非常識だったために、係官に正当にきこえなかったとしたら、思ったことをそのとおりにいった仁太はよほどの果報者だ。みんなにかわって溜飲をさげたようなこの事件は
、ちかごろの珍談として大石先生の耳にもはいった。
その仁太は、 ほんとに勝ってもどれると思ったのだろうか。
ともあれ、でていったまま一本のたよりもなく、その翌年もなかばをすぎた。ミッドウェーの海戦は、 海ぞいの村の人たちをことばのない不安とあきらめのうちに追いこんだ。ひそかに「お百度」をふむ母などをだした。仁太や正は海軍に配置されていた。平時ならば徴笑でしか思いだせない仁太の水兵も、 ぃったまま便りがなかった。
仁太はいま、 どこであの愛すべき大声をあげているのだろうか。

〈中略)

そうして、 さらにさらに大きなかげでつつんでしまうのは、 ぃっのまにか軍用船となって、 どこの海を走っているかさえわからぬ大吉たちの父親のことである。その不安をかたりあうさえゆるされぬ軍国の妻や母たち、じぶんだけではないということで人間の生活はこわされてよいというのだろうか。じぶんだけではないことで、発言権を投げすてさせられているたくさんの人たちが、もしも声をそろえたら。
ああ、そんなことができるものか。

「子どもたちを戦場に送らない」「だれの 子どもも ころさせない」と声を上げることが許される今、それが可能な間に、声を広げ、声をそろえたいものだと、改めて思います。

話題がもう少し次回に続きそうです。



投票日の7月10日に散歩した自然保護センターでこんな鳥を見ました。

遠くの森の中の豆粒ほどの点を、大幅トリミングで拡大表示してみます。







撮影時はわからなかったのですが、写真で見るとキセキレイでしょうか?

カワラヒワが、三々五々、水浴びを楽しんでいました。







下の写真はクリックすると大きな画像になります(フォト蔵)。

水浴びするカワラヒワ

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今日はこれにて。

自民HP密告フォームと「二十四の瞳」、の巻(1) [時事]

「子どもたちを戦場に送るな」と聞いて真っ先に思い出すのは、高知の元教師竹本源治さんの「戦死せる教え児よ」の詩です。でも、探って見ると当ブログでもこんなに何回も紹介していますから、今日はこれには触れません。
◇だまされも だましもせぬと 誓うた日 
また「子供を守るうた」(【作詞】上野博子【作曲】荒木栄)についても、◇だまされも だましもせぬと 誓うた日などの記事で話題にしましたので、今日は省きます。
今日は、壷井栄の「二十四の瞳」を思いだしてみました。
以前、この記事(◇もう一つの2013年問題 私の病気自慢その2 vol3) で、こんなことを書きました。
私たちの小学校は、とっくに廃校になっていますが、私たちの学年は、17人の一学級編成でした。「二十四の瞳」ならぬ「三十四」の瞳です。その、濃密で親密な少年時代が、私たちの人格形成の深い部分を支えていると、誰もが異口同音に述懐します。
 この間、小中高を問わず、多くの学校が統廃合され、地域の文化の拠点がどんどん消滅し、子どもたちと故郷とのつながりも、どんどん希薄になってきていま す。予算削減・リストラ目的の統廃合だろうと質しますと、行政当局は、「少人数では活力がなくなるから」などとおっしゃいますが、私たちの少人数の学校は 豊かな活力を湛えていたように思いますがね。 
壷井栄の「二十四の瞳」は、「瀬戸内海べりの一寒村」の小学校(分教場)を舞台に、新人の女教師と十二人の子どもたちの交流を描きます。
物語のほぼ冒頭、岬の分教場に赴任したての大石先生が、初めて子どもたちの出席を取るシーンがあります。
 「さ、みんな、じぶんの名まえをよばれたら、大きな声で返事するんですよ。
「岡田磯吉くん!」
せいの順にならんだのでいちばんまえの席にいたちびの岡田磯吉は、まっさきにじぶんがよばれたのも気おくれのしたもとであったが、生まれてはじめてクンといわれたことでもびっくりして、 返事がのどにつかえてしまった。
「岡田磯吉くん、いないんですか」
見まわすと、いちばんうしろの席の、ずぬけて大きな男の子が、びっくりするほど大声で、こたえた。
「いる」
「じゃあ、ハイって返事するのよ。岡田磯吉くん」
返事した子の顔を見ながら、その子の席へちかづいてゆくと、二年生がどっとわらいだした。
ほんものの岡田磯吉はこまってつっ立つている。
「ソンキよ、返事せえ」
きょうだいらしく、よくにた顔をした二年生の女の子が磯吉にむかって、小声でけしかけている。
「みんなソンキっていうの?」
先生にきかれて、みんなはいちようにうなずいた。
「そう、 そんなら磯吉のソンキさん」
また、どっとわらうなかで、先生もいっしょにわらいだしながら鉛筆を動かし、そのよび名を出席簿に小さくっけこんだ。
「っぎは、竹下竹一くん」

「はい」

りこうそうな男の子である。
「そうそう、はっきりと、よくお返事できたわ。ーーーそのつぎは、徳田吉次くん」
徳田吉次がいきをすいこんで、ちょっとまをおいたところを、さっき、岡田磯吉のとき「いる」といった子が、すこしいい気になった顔つきで、すかさず、

「キッチン」
と、さけんだ。みんながまたわらいだしたことで相沢仁太というその子はますますいい気になり、つぎによんだ森岡正のときも、「タンコ」とどなった。そして、じぶんの番になると、いっそう大声で、
「ハーイ」
先生は笑顔のなかで、すこしたしなめるように、
「相沢仁太くんは、すこしおせっかいね。声も大きすぎるわ。こんどは、よばれた人が、ちゃんと返事してね。
「川本松江さん」'
「ハイ」
「あんたのこと、みんなはどういうの?」
「マツちゃん」
「そう、あんたのおとうさん、大工さん?」
松江はこっくりをした。
「西口ミサ子さん」
「はい」
「ミサちゃんていうんでしょ」
かのじょもまた、かぶりをふり、小さな声で、
「ミイさん、いうん」
「あら、ミイさんいうの。かわいらしいのね。つぎは、
香川マスノさん
「ヘイ」
思わずふきだしそうになるのをこらえこらえ、 先生はおさえたような声で、
「ヘイは、すこしおかしいわ。ハイっていいましょうね、マスノさん」
すると、 おせっかいの仁太がまた口をいれた。
「マアちゃんじゃ」
先生はもうそれを無視して、つぎつぎと名まえをよんだ。
「木下富士子さん」
「ハイ」
「山石早苗さん」
「ハイ」
返事のたびにその子の顔に微笑をおくりながら、
「加部小ツルさん」
きゅうにみんながわいわいさわぎだした。なにごとかとおどろいた先生も、口ぐちにいっていることがわかると、香川マスノのヘイよりも、 もっとおかしく、 わかい先生はとうとうわらいだしてしまった。
みんなはいっているのだった。
カべコツツル、カべコツツル、壁に頭をカべコツツル。
勝ち気らしい加部小ツルは泣きもせず、 しかし赤い顔をしてうつむいていた。 そのさわぎもやっとおさまって、 おしまいの片桐コトエの出席をとったときにはもう、 四十五分の授業時間はたってしまっていた。
加部小ツルがチリリンヤ(腰にリンをっけて、用たしをする便利屋) のむすめであり、木下富士子が旧家の子どもであり、 ヘイと返事をした香川マスノが町の料理屋のむすめであり、 ソンキの岡田磯吉の家が豆腐屋で、タンコの盛岡正が網元のむすこと、先生の心のメモにはその日のうちに書きこまれた。
それぞれの家業は豆腐屋とよばれ、米屋とよばれ、網屋とよばれてはいても、そのどの家もめいめいの商売だけではくらしがたたず、百姓もしていれば、片手間には漁師もやっている、 そういう状態は大石先生の村とおなじである。だれもかれも寸暇をおしんで働かねばくらしのたたぬ村、だが、だれもかれも働くことをいとわぬ一人たちであることは、その顔を見ればわかる。
十二人を、出席順に確認しておきます。
名前
(あだ名)
家庭環境 備考
◎岡田 磯吉
(そんき)
豆腐屋 卒業後大阪の質屋に奉公
徴兵され、眼を負傷して失明
竹下 竹一 米屋 中学進学・東京の大学へ
出征し戦死
◎徳沢 吉次
(キッチン)
  高等科を出て地元で山切り、漁師
森岡 正
(タンコ)
網元 高等科/神戸の造船所勤務
海軍・・・戦死
相沢 仁太   父親と石鹸製造
海軍・・・戦死
◎川本 松江
(マッちゃん)
大工  
◎西口ミサ子
( ミイさん)
西口屋の一人っ子  
◎香川マスノ
(マアちゃん)
町の料理屋  
木下 富士子 旧家(庄屋) 没落して身売りと噂/消息不明
◎山石 早苗
(さなえさん)
  小学校教師に。
◎加部小ツル
(小ツやん)
チリリン屋(便利屋) 高等科から大阪の産婆の学校を経て産婆に。
片桐 コトエ
(コトやん)
  奉公先から肺病になり帰郷。22歳で病死。

この子たちと大石先生が出会ったのは、尋常小学校一年生の時でした。すくすくと成長した彼らは、五年生になると本校に通うようになり、すでに本校勤めとなっていた大石先生と再会することになります。
そのころ、同僚の片岡先生が警察にひっぱられるという事件が起こります。近くの小学校の稲川先生が受け持ちの生徒に反戦思想をふきこんだとして捕らえられ、師範学校の同級生だった稲川先生が、参考人として取り調べられたというのです。
 翌日の新聞は、稲川先生のことを大きな見出しで、「純真なる魂をむしばむ赤い教師」と報じていた。それはいなかの人びとの頭をげんのうでどやしたほどのおどろきであった。生徒の信望を集めていたという稲川先生は、 一朝にして国賊に転落させられたのである。
「あっ、こわい、こわい。沈香もたかず、屁おこかずにいるんだな」
つぶやいたのは年とった次席訓導だっ'た。 ほかの先生はみな、 意見も感想ものべようとはしなかった。そんななかでひとり大石先生は、おおげさな新間記事のなかの、わずか四、五行のところから目がはなれなかった。そこには、稲川先生の教え子たちが、ひとりひとつずつ卵を持ちよって寒い留置場の先生に差し入れてくれと、警察へ押しかけたことが書かれていたのだ。
きょうはもう出勤した片岡先生はきゅうに英雄にでもなったように、ひっぱりだこだった。どうだった?の質問にこたえて、一日でげっそりほおのおちたかれは、青いひげあとをなでながら、「いや、どうもこうも、いま考えるとあほらしいんじゃけどな。すんでのことにあかにならされるとこじゃった。稲川は、きみが会合にでたのは四、五回じゃというがだの、小林多喜二の本を四だろうとかって。ぼくは小林多喜二なんて名まえもしらん、いうたら、この野郎、こないだ新聞に出たじゃないかって。いわれてみりゃ、ほら、ついこないだ、そんなことが出ましたな。 小説家で、警察で死んだ人のことが」(ほんとうは拷問で殺されたのだが、新聞には心臓まひで死んだと報じられた)
「ああ、いたいた。赤い小説家だ」
わかい独身の先生がいった。
「そのプロレタリアなんとかいう本を、たくさんとられとりました。あの稲川は師範にいるときから本好きでしたからな」
その日国語の時間に、大石先生は冒険をこころみてみた。生徒たちはもう『草の実』とその先生のことをしっていたからだ。
「家で、新聞とってる人?」
四十二人のうち三分の一ほどの手があがった。
「新聞を読んでいる人?」
二、三人だっ.た。
「あかって、なんのことかしってる人?」
だれも手をあげない。顔を見あわせているのは、なんとなくしっているが、はっきり説明できないという顔だ。
「プロレタリアって、しってる人?」
だれもしらない。
「資本家は?」
「はい」
ひとり手があがった。その子をさすと、
「金持ちのこと」
「ふ-ん。ま、それでいいとして、じゃあね、労働者は?」
「はい」
「はい」
「は-い」
ほとんどみんなの手があがった。身をもってしっており、自信をもって手があがるのは、労働者だけなのだ。大石先生にしても、そうであった。もしも生徒のだれかに、こたえをもとめられたとしたら、先生はいったろう。「先生にも、よくわからんのよ」と。
まだ五年生にはそれだけの力がなかったのだ。ところがすぐそのあと、 このことについては、口にすることをとめられた。ただあれだけのことがどこからもれたのか、大石先生は校長によばれて注意されたのである。
「気をつけんと、こまりまっそ。うかつにものがいえんときじゃから」

子どもたちと一緒に考えたり学んだりする姿勢は、危険思想だとして処罰の対象となり、「密告」が奨励される空気が学校現場をも包みます。こんなのどかな田舎村にも、戦争前夜の不穏な気配が忍び寄って来ているのです。

先を急ぎます。上の表の十二人の子どもたちのうち、名前の前に◎印をつけたのは、長いブランクののち、戦後、「助教」として教職に復帰した大石先生の「歓迎会」を開いてくれて、そこで無事再会できたメンバーです。

女の子七人のうち、一人が病死、一人が消息不明。男の子五人のうち三人は戦死。命ながらえた岡田磯吉(ソンキ)も、戦傷により両眼を失いました。十二人二十四の瞳が、七人、十二の瞳になってしまいました。

しかし、磯吉(ソンキ)の目には、小学校一年生の時、八km離れた大石先生の家を、子どもたちだけで歩いて訪ねた冒険の日、一本松の下で写した「記念写真」の情景がありありと焼き付いているのでした。



 ビールは磯吉のひざにこぼれた。それを手早く磯吉はのみほし、 マスノにかえしながら、
「マァちゃんよ、そないめくらめくらいうないや。うらァ、ちゃんとしっとるで。みな気がねせんと写真の話でもめくらのことでも、 おおっびらにしておくれ」
思わず一座は目を見あわせて、 そしてわらった。

ソンキにそういわれると、いまさら写真にふれぬわけにもゆかなくなったように、 写真ははじめて手から手へわたっていった。 ひとりひとりがめいめいに批評しながら小ツルの手にわたったあと、
小ツルはまようことなくそれを磯吉にまわした。
「はい、一本松の写真!」

よいも手つだってか、 ぃかにも見えそうなかっこうで写真に顔をむけている磯吉のすがたに、となりの吉次は新しい発見でもしたような驚きでいった。
「ちっとは見えるんかいや、ソンキ」
磯吉はわらいだし、

「目玉がないんじゃで、キッチン。それでもな、この写真は見えるんじゃ。な、ほら、まんなかのこれが先生じゃろ。そのまえにうらと竹一と仁太がならんどる。
先生の右のこれがマァちゃんで、こっらちが富士子じゃ。 マツちゃんが左の小指を一本にぎりのこして、手をくんどる。それから--」

磯吉は確信を持つて、 そのならんでいる級友のひとりひとりを、 人さし指でおさえてみせるのだったが、すこしずつそれは、ずれたところをさしていた。相づちをうてない吉次にかわって大石先生は

「そう、そう、そうだわ、そうだ」

あかるい声でいきをあわせている先生のほおを、涙のすじが走つた。

もう少し触れておきたいことがありますが、機会を改めてということにしましょう。

合歓の花。



下は二、三年前の撮影です。







アゲハがいました。













ベニシジミ。



キリギリスの仲間?



今日はこれにて。

自民HP「密告フォーム」に思うこと(その1) [時事]

最近こんなニュースを知り、仰天しています。

YAHOO!ニュース7月9二日付記事から引用します。


7月7日、自民党・文部科学部会長を務める木原稔衆院議員のツイートをきっかけに、自民党ホームページにアクセスが集中した。ツイート内に貼られたリンク先にあったのは「学校教育における政治的中立性についての実態調査」だった。これが批判を呼んでいる。【BuzzFeed Japan / 石戸諭】


サイトにはこう記されていた。
『教育現場の中には「教育の政治的中立はありえない」、あるいは「子供たちを戦場に送るな」と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいることも事実です。』
『学校現場における主権者教育が重要な意味を持つ中、偏向した教育が行われることで、生徒の多面的多角的な視点を失わせてしまう恐れがあり、高校等で行われる模擬投票等で意図的に政治色の強い偏向教育を行うことで、特定のイデオロギーに染まった結論が導き出されることをわが党は危惧しております。』
「子供たちを戦場に送るな」というのは、政治的中立を逸脱している。そんな発言をした「先生方」は自民党に報告してほしい。
そう呼びかけるツイートに批判が殺到した。
まもなく、ホームページが見られなくなったが、9日になって復活。批判が集中していた「子供たちを戦場に送るな」の部分は差し替えられ、こうなった。
『学校教育における政治的中立性の徹底的な確保等を求める提言を取りまとめ、不偏不党の教育を求めているところですが、教育現場の中には「教育の政治的中立はありえない」、あるいは「安保関連法は廃止にすべき」と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいることも事実です。』
「安保関連法の廃止」はダメ
「子供たちを戦争に送るな」から「安保関連法は廃止にすべき」という文言に変わったが、なぜ変わったのか。以前との変化の説明はない。
さらに、他の部分はまったく変わっておらず、不適切事例は「(いつ、どこで、だれが、何を、どのように)」を書くことが求められている。
自民党「修正は木原議員の指示」
BuzzFeed Newsは自民党に取材した。担当者はこう話した。
「『子供を戦場に送るな』という文言を変更したのは、木原稔議員の指示です。指示に従って、9日の段階で『安保法~』に変更しました。細かい理由について、私どもは聞いておりません」
「参院選の公示後、6月下旬にアップしたのですが、ここ最近、アクセスが集中してサーバーがダウンしました。その後、文言を差し替えました」
自民党によると、調査をすること自体は5月の時点で決まっていた。中心になったのも木原議員だ。
「密告フォーム」との批判
このホームページは文言修正後も、インターネット上では「密告フォーム」と名づけられ、方々からツッコミを受けている。
「自民党は密告奨励かい」「あまりに凄まじい」「政治的中立性を自民党に都合の良い意味にする」
こうした批判についても担当者に聞いたが、調査は続けるという。
「調査をやめるなんてありません。(中止は)当然しません」

昨日の永六輔さんに関する記事でも話題にしましたが、憲法はその遵守義務を一般国民にではなく、国家権力に負わせています。

天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。(憲法第九九条)
まずこの義務を果たすべき一国の首相が、「みっともない憲法」などとうそぶいていることほどみっともない話はないのですが(憲法記念日に家の中でひとり憲法を考える、の巻 の記事参照)、、、。

ともあれ、「その他の公務員」である私たちも、、日本国憲法と教育基本法の遵守を宣誓して教師生活を始めました。私たちが遵守を宣誓した教育基本法(1947年版)は、「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」と高らかにうたっていました。

これに従えば、「子供たちを戦場に送るな」は、第一義的に重んじるべき教育の根本テーマであり、なんびともないがしろにしてはいけない課題です。

この47年教育基本法は、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」と明記していましたが、第一次安倍内閣は、2006年、「国民全体に直接責任を負って」の文言を削除し、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」と国家や行政の権限を強めて、「愛国心」や「公共の精神」を強調するなど、国家主義的色彩の強い新教育基本法を、野党議員欠席のもと単独可決・成立させました。10年の時を経て、今度は本丸の憲法そのものに手をかけようという動きが顕著です。アベさん、なかなかやりますナ。
アベ内閣の最大の応援団は「日本会議、神社本庁、美しい日本の憲法をつくる国民の会」だと、池上彰さんが投票日のTV番組で言ってました。これらの勢力は、安倍内閣の最大の支持団体というよりも、裏で操る傀儡師(くぐつし)とも言える存在でしょう。

今がチャンスだとばかりに、改憲アクセルを踏み込むよう、操り糸は引かれるでしょうが、それは急速に国民の支持を失う道。それを知っているアベさんは、どう老獪に、ウマク立ち回って人気の維持をはかりつつ、「悲願」の改憲を達成するおつもりなのでしょうか?

戦争の悲惨を自ら体験し、辛酸を記憶に刻みつけた世代が次々に世を去って民族的な記憶が薄らぐなか、若者たち・子どもたちの間に、「戦争反対」を偏向と見なし、「戦争に行きたくない」は自分中心、極端な利己的考えと決めつけるような空気を醸成することが、遠回りのようでも確実な近道だと腹をくくっているので消化。いやいや、それともいまぞ機は熟したと全面攻勢を決意しておられますかな?

そのような今だからこそ、子どもに平和の尊さや命のかけがえのなさを教えるような「偏向」教師は排斥しなければならないというわけでしょうか?

先日のこの記事(大橋巨泉、井上ひさし、菅原文太、愛川欽也の言葉に、いま、耳傾ける時。
で、巨泉さんのこんな文章を引用しました。
竹槍こそ使わなかったが、本土決戦を本気で考えているうちに、東京大空襲から広島・長崎まで、何十万人という市民の命が、無意味に失われた。そして300万人の貴重な犠牲の上に、われわれは平和を手に入れ、戦争のできない憲法のもと、70年の繁栄を享受してきた。
 いかに戦争が悪で、平和や自由が尊いか。若い人もようやくわかってくれたようだ。8月30日の大集会はインパクトがあった。こうした若者に対し、自民党の武藤貴也衆院議員が、「戦争に行きたくないので反対」というのは「利己的個人主義」と批判(※1)したのには驚いた。この人は36歳、若者である。ここにはすでに「滅私奉公」のメンタリティーが感じられる。デモの若者たちの発言は、「殺人したくないから反対」というのと同じだということがわかっていない。もう日本人は崖っぷちに立っているのだ。

武藤なにがしとかいう議員さんのことなど、もうお忘れかもしれませんが、去年、私もこんな記事を書きました。

◇佳き光賜(たまは)る朝や稲太る

◇昔、水木しげるロードを歩いたっけ、の巻(その3)
話題になった彼のツィートを、念のためにもう一度引用しておきます。


 SEALDsという学生集団が自由と民主主義のために行動すると 言って、国会前でマイクを持ち演説をしてるが、彼ら彼女らの主張は「だって戦争に行きたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的 個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ。

返信 リツイート いいね 2015.07.31 01:17



思わず長い文章になりそうですので、今日はいったんここで中断し、続きは次回といたします。






先日散歩した県自然保護センターの「虫の原っぱ」では、ハッチョウトンボ以外にも出会いがありましたよ。



こちらは、チョウトンボ。超トンボではなく、「蝶トンボ」です。











イトトンボも何種類か見えます。











































バッタです。

バッタには、こんな逸話があるそうです。





 3世紀の小アジアに生まれた聖バルバラがキリスト教の信仰を守ろうとして身を隠していたところ、居場所を羊飼いに密告され、その結果その羊飼いの羊がバッタに変わってしまったという伝説が残されている。〈ウィキペディアより)


密告とバッタが結びつきましたところで、お後がよろしいようで。

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