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晦日節性懲りもなき探し物 [折々散歩]


今日は、1月の最終日。晦日節(みそかせち)とも、正月晦日ともいうそうです。

こんな日も探し物に追われました。

過去記事に、こんなことを書きました。


◇せるふ・こむぷれいせんす 
人生を、探し物だけで浪費しているのではないかと、思うことがよくありました。
最近では、探しても探しても見つからない徒労感から、物探し自体を敬遠することが多くなっています。どうせ、いつか思いもかけないタイミングで、「こんなところにあったか」と思えるような見つかりかたをするのが常ですし。

◇塞翁が馬なるべけん麦の秋の記事では、携帯電話の紛失騒ぎを書きましたし、◇動転のち仰天、終わりよければオールラッキー、の巻の記事では、財布探しの顛末を書きました。
相も変わらず、探し物人生が続いています。というよりも、ますます病が昂じて来ていて、情けない限りです。

昨日は、ある手続きに必要な書類を完成させ、封筒に入れて投函する寸前にしていたものが、どこへ行ったか行方不明になり、半日以上心当たりを探し続けた挙句、捜索を断念して、再発行してもらいに行きました。もしかして自分で無意識のうちに投函していたのではないかという疑いも兆し、それもまた怖いことでした。

今日は、またまた、ポケットに財布が見当たらず、午前中を棒に振りました。結果的には、パソコンデスクの隅っこから滑り落ちていたのでした、とほほ。

というわけで、昨日と今日は家の近所のショートコースを歩いただけで終わりました。そのため、平凡な出会いしか得られませんでしたが、いえいえ、決して不満は持っておりません。

スズメもかわいいし、



セグロセキレイも端正な姿を見せてくれました。















メジロも一瞬姿を見せ、







ヒヨドリもなかなか、魅力的。







ムクドリがこんなに群れていて、







つぶらな瞳が愛くるしい。











先日のトラツグミじゃなくて、これはただのツグミ。











小川にはハシビロガモ。



コサギ。















こちらはダイサギ。















そしてアオサギ。



白梅も咲き初めていました。











もうすぐ一歳になる孫娘が、午後、来訪しました。

去年の今頃、まだおなかの中にいるころは、「梅」または「梅子」と名づけようかという案もありました。結果的に採用されませんでしたが、ゆかしくかぐわしい花であることは間違いありません。

成長は早いもので、つかまり立ちもできるし、ハイハイも活発です。

表情も多彩で、あれこれと意思表示、意思疎通ができます。

従兄・姉があやすと親愛感をはっきり示し、声を上げて笑います。

今日はこれにて。

日帰り海外旅行でアンパンマンに会う、の巻 [折々散歩]

一昨日が旧暦の元日。
中国では春節、ベトナムではテトが祝われる時期だそうですね。
だからというわけではありませんが、昨日、妻と久々の「海外旅行」をしてきました。ええ、JR割引切符で、四国松山への日帰り旅行です。妻の亡父の7回忌の法事でした。
以前は、たいてい車で移動していました。30年以上も前は、宇高航路のフェリーを使い、国道11号線をひた走る長旅でしたが、1980年代、高速道路がつながり、瀬戸大橋も架橋されてからは、気軽に行けるようになりました(料金だけは負担感がありますが、家族みんなで行くときは、一番リーズナブルですし)。
ただ、脳動脈瘤の影響で、複視(二重視)やふらつきなどの自覚症状が高じてからは、長距離の運転はひかえてきました。子どもの運転で移動したのが、何年前でしたっけ?
脳動脈瘤手術を受けて、現在の回復状況ならば、運転できなくもない思いもありますが、日帰りとなると少し億劫で、交通機関を利用することにしました。
もっともリーズナブルな方法として、高速バス利用が思い浮かびましたが、残念ながら、始発のすバスに乗っても目的の時刻に間に合いません。
仕方なく、JR利用と決め、前もって駅窓口に切符を購入しに行くと、駅員さんが「お得な切符がありますよ」と紹介してくださいました。
「特急券は自由席で、指定席には変更できませんが」とおっしゃいます。
「座れますかね」と私。
「それはわかりません」と駅員さん。
ごもっともです。
特別なシーズンでもないので、満員になることはないだろうという予想を頼みに、購入を決めました。

「松山観光きっぷ」というのだそうです。
購入後調べてみますと、岡山-松山間の運賃は、6,310円(乗車券:3,930円、特急券自由席:2,380円)のところ)松山観光きっぷの利用で、片道4,010円に割引になります。

夫婦で往復の購入ですから、しめて4,600円もオトクということになりました。ありがたいことでした。

6時30分過ぎに家を出て、茶屋町駅で電車に乗ります。駐車場が便利なのでこの駅を使います。

朝日が昇ってきました、



ここからも常山がうっすらと見えます。



そろそろ電車がやってくる時刻です。



児島駅まで快速マリンライナーに乗ります。

おや、ぶれました。



児島から松山まで、特急しおかぜで。



曇り空ながら、瀬戸内海の眺望は、見飽きません。















途中でアンパンマン列車とすれ違いました。







自分の乗った電車の座席にもこんなCMステッカーが貼ってありました。



土讃線は土佐(高知)と讃岐(香川)を結ぶ路線。

アンパンマンの作者故やなせたかしさんは、高知県と深い縁がありますから、アンパンマン列車が土讃線を走ることは自然といえば自然です。

高知県香美市立やなせたかし記念館=あんぱんまんミュージアムのHPでは、やなせさんをこのように紹介してあります。


 1919年2月6日、東京生まれ。父母の郷里である高知県で育ちました。
終戦後に三越宣伝部に入社し、包装紙「華ひらく」のレタリングなどを手がけました。
漫画家として独立後は、ニッポンビール広告漫画「ビールの王さま」をはじめ
多数の連載漫画を手がけるようになりますが、
ストーリー漫画の興隆により漫画の仕事は徐々に減少。
1960年代にはテレビ・ラジオ番組の構成や舞台の美術監督など
多様な創作活動を行うようになり、マルチタレントと評されるようになります。
その中でいずみたく作曲、やなせ作詞による「手のひらを太陽に」を発表。
多くの作詞を手がけたやなせ最大の代表作となっています。
1969年、50歳の時に雑誌「PHP」にて「アンパンマン」を発表。
1988年にはアニメ「それいけ!アンパンマン」の放送が開始され、
その登場キャラクター数(1768体)はギネス世界記録に認定されました。
以後も精力的な活動を展開していましたが、
2010年頃に目が悪くなったことを理由に引退を考えます。
しかし、東日本大震災に遭遇して引退発言を撤回。
被災地に送るポスター制作など多数の支援を行いました。
2013年10月13日、94歳で永眠。
「人生は喜ばせごっこ」という自身の言葉の通り、
「アンパンマン」を始めとする多くの創作活動、
そして自身の人柄を通してその精神を体現し続けたのです。
漫画家として

漫画家を志していたやなせたかしがその活動に本腰を入れるきっかけとなった4コマパントマイム漫画「ビールの王さま」。漫画家としての代表作を模索中に漫画賞に応募して受賞した「Mr.BŌ」。その他、「とべ!アンパンマン」や「おたすけかめん」「リトル・ボオ」などの連載漫画を手がけた。商業漫画としてではなく自身のための漫画として描き続けられた。
絵本作家として

企業グラフィックデザイナーから漫画家に転じた頃、漫画の世界は新たな時代を迎えていた。そんな中、ラジオのドラマ用に作成したシナリオ「やさしいライオン」が絵本化される。以後、絵本の出版部数が多くなり、「アンパンマン」シリーズをはじめ「チリンのすず」「そっくりのくりのき」「ガンバリルおじさん」シリーズなど現在も読み継がれている作品は多い。
詩人として

仕事や健康について悩み迷い続ける中、代表作「てのひらを太陽に」がうまれる。この時の作曲家いずみたく氏とコンビで「0歳から99歳までの童謡シリーズ」を発表。 また、代表作をおさめた詩集「こどもごころの歌」を自費出版した後も詩を書き続け、本にまとめて刊行された詩集「愛する歌」「希望の詩集」「人間なんておかしいね」などは現在も版を重ねている。
編集者として


詩と絵と漫画を絵本形式でまとめ、作品は読者からの投稿掲載を主体とした雑誌「詩とメルヘン」を創刊させる。幼少期に親しんだ抒情の世界を織り込み、大衆芸術を豊かなものにしたいという願いを込めた。また、子どもからの投稿が増えたためうまれた姉妹誌「いちごえほん」、アーティストを志す人々の手引書としてうまれた「イラストレ」を創刊させた。これらの雑誌から、多くのアーティストが育まれ活躍している。
デザイナーとして

戦後、描くために上京してグラフィックデザイナーとなる。ポスターをデザインしたり社内報に挿絵を掲載したりしていた。「mitsukoshi」のレタリングはこの頃。漫画家を志した後も、舞台美術やアニメ映画「千夜一夜物語」の美術監督・キャラクターデザインを手がける。官公庁の事業や民間の商業告知の一環としてのキャラクターデザインも担当するようになり、現在も各方面で「やなせキャラ」をみかけることができる。
歌手として

書きためていた詩をまとめて詩集を刊行した折などに、朗読会やコンサートを開催した。近年では、自作自演のミュージカルを披露することもあった。ミュージカル用に作詞作曲した作品を自身で歌いあげるCD「ノスタル爺さん」を発表し、CDデビューを果たした。




我が家の玄関にはやなせさんの写真が飾られています。



生前に、「しんぶん赤旗」日曜版に掲載されたインタビュー記事に添えられた写真が、あまりに素敵だったので、妻が切り抜いて額に入れて飾ったのでした。

(新聞記事はこのページ参照)

調べてみると。2013年の5月5日付のしんぶん赤旗日曜版でした。こんな記事でした。

 アンパンマンは空腹の人に自分の顔を与える異色のヒーロー。また新しい顔になれば元気百倍。誕生の背景には、戦争体験がありました。やなせたかせさんは21歳で出征。終戦を中国で迎えました。日本軍は正義のために戦っている、中国の民衆を助けるといわれ、中国へいったんです。でも実際は違った。戦争はむなしいと感じました。陣地をつくったり重労働もしましたが、何よりつらかったのは空腹です。満足な食糧は与えられない。すさまじい飢えを体験しました。



・・・本当の正義は、人を殺すことじゃない。ミサイルを撃ち込むことでもない。そこにひもじい人がいれば、それを助けることだ。これだったら万国共通だと。本当の正義を伝えたいという思いで書いてきました。



やなせさんは、この年の10月13日に亡くなられたのでした。



春節の休暇利用でしょうか、同じ列車には、中国からのお客さんも乗り合わせておられたようです。道を尋ねられましたが、お役に立てませんでした。

JR松山駅を降り立つと、子規の句碑がありました。大きな自然石にきざまれているのは、

春や昔十五万石の城下かな

の句です。







妻の実家はここから徒歩で十数分。お城の見える場所にあります。

電車通りから望むうす曇りの松山城。



登ってみる時間はありませんでした。

法事を終え、昼食をともにして、久しぶりの懐かしいよもやま話もそこそこに、帰路につきました。

松山駅構内には、こんな大ポスターが掲示されていました。





こんな列車が止まっていました。カレーパンマンですね。



そして驚いたこと入線してきたのは、この列車。

































天井にもキャラクターが、、、。







いやはや、あんぱんまんのキャラクターって、何人いるのでしょうか?楽しいことです。



途中検札にやってきた車掌さん、切符にハンコを押してくれました。



拡大してみます。



せっかくのアンパンマンのハンコですが、降車時に改札で回収されてしまいます。残念なことです。



帰宅後アンパンマン列車のページを調べてみると、アンパンマン列車が走っているのは土讃線だけではないようです。



予讃線を走るアンパンマン列車の時刻表です。



車両ごとにデザインが異なるらしい。



さらに西、宇和島まで走る列車。



児島でアンパンマン列車を降り、各駅列車に乗り換えて茶屋町に向かいます。

各駅列車の車窓から、ここまで乗ってきたアンパンマン列車を見納めです。



すっかり楽しませてもらいました。

今日はこれにて。

続、いましたいました!の巻。 [折々散歩]

昨日は、トラツグミを探しに行ったのですが、いつもなら喜んで最初にご紹介する鳥にも会えました。

深山公園のアトリ

深山公園のアトリ posted by (C)kazg 深山公園のアトリ

深山公園のアトリ posted by (C)kazg 深山公園のアトリ

深山公園のアトリ
posted by (C)kazg























アトリは、花鶏と書くそうです。現にワープロソフトはそう変換します。

思えば趣深い名前です。

NET検索してみますと、こんな記事がありました。

CEC 徒然野鳥記・第87回アトリ









「鳥名の由来辞典」(柏書房)によると、万葉の時代には獦子鳥(あとり)と呼ばれ、室町、安土桃山時代には「あっとり」と呼ばれ、江戸時代にはその双方が用いられ、今日の「アトリ」に統一されるに至ったと経過の説明がされていますが、「大言海」の説明する語源として、大群をなして移動することから集鳥(あつとり)が略されたという説を紹介しています。また、この「由来辞典」では、今日漢字表記する際に普通に用いられる「花鶏」(かけい)については、単に、「漢名」とのみ記載されています。


そうしますと中国で「花鶏」と記述されたアトリを、ある時日本でそのまま取り入れ、それを「あとり」と読み下したと理解するしかないようです。和名がほぼ確定した明治時代もしくはそれ以前の中国名は、おそらく「花鶏」だったのでしょう。今日、アトリは、台湾では「花雀」、中国では「燕雀」と記述されています。野鳥写真家、文筆家の叶内拓哉氏は「花鶏」の自分なりの解釈として、黒、橙、白とカラフルなこの野鳥が数万、数十万もの大群で飛び交う様が「まるで枯野に花が咲いたようにはなやか」で、そのような光景を目にしてこの鳥に「花」の名を冠したのであろうと述べています(「日本の野鳥100」昭和61年新潮文庫)。残念ながらそう名付けたのは日本人ではなく中国人だったのですが。事実、叶内氏は、昭和60年(1985年)11月に鹿児島県で一万羽のアトリの大群を目にした時の驚きを、「壮観そのものだった」と同書に書き記しています。いつの日か、数千、数万のアトリの乱舞する姿を見てみたいものです。島崎藤村は、「夜明け前」でこのような情報をさりげなく入れています。


「あれは嘉永二年にあたる。山里では小鳥のおびただしく捕れた年で、殊に大平村の方では毎日三千羽づつものアトリが驚くほど鳥網にかかるといはれ」(注:嘉永二年=1849年)


また「万葉集」では「国巡る獦子鳥(あとり)かまけり行き廻り帰り来までに斎(いは)ひてまたね」(よみびと知らず)と「アトリの大移動を、防人が国を廻るのにたとえている」と、「鳥名の由来辞典」は紹介しています。
 





カワセミにも会いました。

深山公園のカワセミ(2017)

深山公園のカワセミ(2017) posted by (C)kazg 深山公園のカワセミ(2017)

深山公園のカワセミ(2017) posted by (C)kazg 深山公園のカワセミ(2017)

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深山公園のカワセミ(2017) posted by (C)kazg 深山公園のカワセミ(2017)

深山公園のカワセミ(2017) posted by (C)kazg
トリミングします。

 

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日が長くなりました。

今日は、夕方散歩に出て、5時前になってもまだ明るいと感じます。

軽いいでたちで歩きたいと思い、PENTAXK-rにPENTAXFA100-300mmを装着してみました。何年か前、ハ〇〇オフのジャンクコーナーで手に入れたオールドレンズで、プラスチックマウントの軽いレンズです。描写を論じては罰が当たります。

でも、こんな時に限って、あいにくな出会いがあるもののようです。



またまた今日も、こんなところでカワセミに遭遇しました。

画面の中央なのですが、豆粒より小さいです。

トリミングしてみます。















今日はこれにて。


緊急報告!いましたいました!の巻 [折々散歩]

とりあえず、緊急のご報告です。

今日は気合を入れて、PENTAXk5Ⅱ+AFBORG60EDを携えて散歩です。

ラッキーな出会いがいくつかありましたが、何よりも、先日臍をかんだトラツグミの撮影に成功しました。

先客のカメラの方角に、いましたいました。

原っぱの遊具のそばを悠々と歩いています。





公園のトラツグミ

公園のトラツグミ posted by (C)kazg 

  公園のトラツグミ

公園のトラツグミ posted by (C)kazg

トリミングします。







































ほかの鳥たちは、またの機会にごしょうかいします。

今日はこれにて。

霜柱踏んで呑気な遊山旅 [折々散歩]


前回記事に書きました通り、昨日は、大阪の病院で定期診察を受けてきました。2007年に手術した脳動脈瘤の術後の経過を定期的に観察して入るのですが、一年ぶりの今回のMRI検査でも、脳血管の状態は良好、肺ガンの転移も見られないとの由。ホッとしました。。

脳動脈瘤の手術の顛末は、これまでにも何度も書きました。

一部を引用再掲します。

◇私の「2007年問題」 病気自慢その1
 ところで、脳動脈瘤というのは簡単にいうと脳の血管にこぶが出来るわけですが、多くの場合は、二股に枝分かれした箇所の弱い部分がふくれるもので、これは破裂しやすいが、発見さえできれば治療方法も確立していて、手術の成功率も高いようです。私のは、それとは違い、紡錘型といってちょうど古い水道ホースの痛んでいる部分がぷくっとふくれるように、血管本体がふくれているものでした。それが、椎骨という、脳幹・延髄などと近接するデリケートな部位にできているので、直ちに破裂ということは考えにくいが、治療も困難だということでした。手術する場合としない場合のリスクを照らし合わせて、急に大きくなるようなことがなければ様子を見ていきましょうと、数年経過観察をしてきていたのです。
平衡感覚を司る延髄を、瘤が圧迫していることから、自覚症状としては、ふらつき、めまい、手足のしびれ、二重視などに悩まされました。直ちに生命の危険を伴うものではないが、このまま緩慢たる死に近づいていくのかという不安も、抑えがたいものがありました。
 そのようなとき、MRI検査で、本来ボールペンの先ほどの細さの血管が、直径3cmほどへと急に肥大してきていることが確認されたので、緊急に手術という運びになりました。
 11月に入院し、クリスマスの頃は集中治療室で過ごし、正月はほぼ寝たきり状態で迎えました。
 瘤のできている血管の両端に、カテーテルを用いてコイルを充填して血流をせき止めるという最新の手術で、ダメージも少なく、手術は基本的に成功しました。ただ、瘤の肥大によって、延髄など、周辺の、神経が密集している部分がかなり圧迫を受けて変形しているため、その影響は一定残るだろうということでした。また、手術の際に血栓が飛んで、軽い脳梗塞も起こったという影響もありました。ふらつき、平衡感覚の乱れ、ものが二重に見える、手足が麻痺して自由に動かない、ものが飲み込みにくい、嚥下障害と密接に関連があるらしいのですが、思うように発声ができないなどの症状がありました。
 手術後のリハビリでは、作業療法士の先生の指導でまっすぐに線の上を歩く練習、ふかふかのマットの上でバランスを失わないで立つ練習、指先をつかいこなす練習(箸でおはじきを運んだり、それが大豆になったり、リングを棒に通したり)、指先のつまむ力や、握力をつけるための筋トレ、言語聴覚士の先生の指導により発声練習などを続けました。 私たちは加齢とともに、「以前できていたことができなくなる」という経験を重ねてきましたが、リハビリの過程の中で、「できなかったことができるようになる」という喜びを、改めて味わうことができたのは、久々のうれしい体験でした。
 昨年末で、手術後5年が経過して「完治」と見なせる段階にあり、身体的な違和もほとんど緩和していますので、私の「病気自慢」は、今では皮肉なことに鼻持ちならない「健康自慢」の響きを帯びてしまいます。失礼!

去年の同時期には、こんなことを書きました。

◇凍風(いてかぜ)に露天風呂こそゆかしけれ千切れ千切れの湯気のまにまに

 昨日は、8年前の脳血管手術でお世話になった大阪の病院での、年に一度の診察日。MRIを撮って、医師の診断を受けました。昼前頃の予約でしたので、長らく、早朝の電車を乗り継いで出かけていました。手術直後のころは、車の運転も不安で下から、現在のように最寄りの駅前に車を駐めて電車に乗るという方法もとれず、前日ビジネスホテルに一泊するか、早朝、妻に最寄り駅までの送迎をして貰わねばらず、骨の折れる一大イベントでした。
近年は、早朝便でJRを乗り継いで、新幹線利用で出かけたり、あるいは高速バス利用という方法をとったこともありますが、あのバス事故の直後だけに気が進みません。
というような時に、「渡りに船」「一石二鳥」「一挙両得」のアイディアとして、大阪在住の次男の住まいに一晩泊めて貰い、孫娘の顔も見て、翌朝悠々と病院に
向かうという美味しい方法をとることにしました。実はこの手は、昨年も使ったのですが、その時は孫がまだ赤ちゃんで、ママが育休中のことでした。今はその
孫も保育園にかよい、ママも復職。夫婦とも、帰宅時間が遅くなるようで、最大限の延長保育のお世話になっているそうです。
というような事情でしたが、都合を打診すると快くOKしてくれましたので、ちゃっかりお世話になることにしました。

今回もこの手を使いました。

ただ今回は高速バス利用です。

大阪(湊町)に到着したころは真っ暗。







地下鉄を乗り継いで、孫の住むアパートに向かいます。両親とも帰宅が遅くなりますから、延長保育で夜中の8時ごろまで保育園。どうしても夜型の生活になるようです。8時過ぎての、じいじの訪問を歓待してくれ、興奮気味で、なかなか寝付けず、次の朝は起床がつらいようでした。

それでも元気に、パパと手をつないで登園です。



病院の予約時間までまだ少し早いので、病院のご近所を散歩してみました。

病院のほど近くに千里北公園というかなり広い公園があります。山道めいたところを少したどると、「緑のネットワークルート」と書かれた標識板があり、起伏に富んだこの道をずんずん歩いていくと、裏山を通りぬけて病院の向こう側に出ることを、以前も何度か歩いて知っています。以前、ここでルリビタキにあったこともありました。

最初に歩いたときは、興味に駆られて歩き続けるうちに、箕面市のエリアまで遠回りしたこともありました。

今回は時間がくくられていますから、ほどほどのコースをひと歩きしてみることにしてみました。

この「緑のネットワークルート」という小径のことが気になりましたので、帰宅後ネット検索してみましたら、吹田市が1981(s56)年に選定したもので、「自然林と文化施設で整備された万国博記念公園に向けて、5本の緑道幹線を整備するもの」だそうです。

私が歩いたのは、どうやらその5つのルートのうちの,Aルートと呼ばれるエリアらしく、説明板には『山並み、山道、池、水の流れをイメージしたルートで国立循環器病センター裏から千里遊歩道、千里北公園を経て万博外周へ。千里遊歩道: 緑におおわれは自然道を散策しながら野鳥の声も楽しめる。』と表示されているそうです。

日差しはあっても、氷が解けずに残っていました。







ザクッと霜柱を踏む音が、小鳥を脅かしはしなかったかと危ぶむこともありました。



こんな道を、旅行用ショルダーバッグを提げて、手にはカメラを持ってうろうろ歩く恰好は、我ながら人に見られたくない姿です。

散歩の初めころ、千里北公園の入り口付近で、シロハラを見つけ、幸先よいぞとほくそ笑みました







ジョウビタキ♂にも会いました。







コゲラもいました。



カワラヒワです。







ほかに、メジロの群れもいましたが、撮影には失敗しました。

森の中で、見かけない鳥に遭遇し、カメラを向けて何枚もシャッターを切ったのですが、まったくピントが合わず、証拠写真も残せませんでした。口惜しい限り。



これ以上の出会いはあきらめて、ちょっと汗をかいて、病院へ向かいます。



検査と診察が午後の初めには終わりましたが、もうどこかに足を延ばそうかという余裕も気力もなく、帰途につきました。

帰りは、新幹線にしようかとかなり傾いていたのですが、地下鉄(御堂筋線)で新大阪が近づいてくると、もう少し先の梅田(大阪)でも、難波でも、高速バスが発着しているはずだよなと思ううちに、代金の安さにつられてバス利用に決めました。

往路は、難波もしくは湊町に停車するバスを利用したのですが、大阪発のバスもあったはずと、深い計画もなく梅田で降りました。

少し曇ってきて、冷たいものがつらちら待っている様子です。







バス発着場も、切符売り場も難なく見つかり、14時50分発で帰ることにしました。











岡山駅まではスムーズに帰れましたが、そのあとの連絡が悪く、自宅への到着はちょっと遅くなりました。

今日はこれにて。




撮り鳥や とりどりの鳥 とりくらべ [折々散歩]

厳しい寒さです。

県内でも近県でも、記録的な大雪のニュースも伝えられてきます。当地は雪は降りませんが、氷は張っています。

今日は、定期診察のため、大阪の病院へ向かいます。

今日のブログ記事は、昨日の散歩で出会った鳥のご紹介です。

アオジです。



















































コゲラ。



ツグミ。



さようなら。



今日はこれにて。


「追伸」の補足と今日の愉快な鳥見散歩、の巻 [折々散歩]

昨日の記事の終わりに、こんな「追伸」を書き始めましたが、あまりにも長くなりそうで、日付も変わる寸前でしたので、途中で中断しました。

なんとか、続きを書いて、ひとまずまとめておくことにします。



昨日の記事の末尾を読み返すと、意図が不明瞭な、ずいぶん紛らわしい文章になっていました。

前時代的な国益優先主義・排外主義に回帰するトランプ流のアジテーションと対比したつもりで引用したのは、日本国憲法前文の一節でした。出典を明かすことを怠ったため、何が言いたいのかよくわからない文章になりました。

トランプ演説は、「アメリカ第一」「国益優先」をあたかも「新しい」転換であるかのように強調しますが、実はそれはどんなにか古臭い、人類史をどんなにか後戻りさせる愚劣な道であるか、ということを言ってみたかったのです。そして、70年も前に著された日本国憲法のメッセージのほうが、どんなにか人類の進歩の方向に合致し、どんなにか人々に希望を語ることができるか、を指摘してみたかったのです。

そもそも、戦前の日本においては、まさしく「自国のことのみに専念して他国を無視」した、偏狭な国益優先主義による暴走が、数千万人に及ぶアジアの人々と、300万人の自国の民に痛ましい犠牲を強いる悲惨を招いたのではなかったのでしょうか。そして、それへの悲痛な反省から、新しい国の歩みの道筋を探ったのが、日本国憲法ではなかったでしょうか?その道しるべとして、人類の到達しえた知見の最善のものが、真剣に取り入れられたのでしょう。

もちろん、そのめざす道は紆余曲折をたどり、いまだ実現に至ってはいません。だが、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」とあるように、その未成熟な現実を乗り越えて、必ず「崇高な理想と目的」に向かうことを、私たちは世界に宣言しているのです。


理想と現実が乖離しているとき、理想を捨てて現実に合わせるのか、それとも理想に向かって現実を高めようと試みるのか?憲法をめぐるせめぎあいが、いっそう激しさを増すことになりそうです。


憲法君がんばれ。 
憲法くん

憲法くん

  • 作者: 松元 ヒロ
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/12/16
  • メディア: 単行本

ユーチューブに松元ヒロさんによる憲法前文の暗唱が掲載されています。

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 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」の文言を、お人よしの他力依存、現実離れした観念的な理想論と安直に罵倒する論調を、NET上などでも時に見受けます。

自民党の「改憲草案」なんかも、大体こんな方向のようですね。

本来和解・協調しえない利害対立こそが「人間相互の関係を支配する」普遍的原理であり、人類はどうあがいてもそこから逃れらないはずだとの思い込みがあるようです。
したがって自衛力の保持と日米同盟の堅持こそが抑止力発揮のために必須で、これぞ現実直視の考え方、、、となるようですが、ホントかな? それって、際限のない核軍拡競争と、報復の連鎖・憎悪の連鎖を世界中にひろげ、人類の危機を深めてきた根源ではないですか?その発想自体、むしろ、まったくリアリティを持たない空想論とは言えませんか?

 逆に、いま、「平和を愛する諸国民の公正と信義」を、相互に認め合い尊重しあう国際的関係を築き上げていくことこそが、唯一現実的な危機打開策ではないですか?そんなとき、私たちが、「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」して、憲法の定める平和国家の役割を誠実に果たすことにまさる現実妥当な国際貢献が、ほかにあるでしょうか?

 
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アベさんは、日本国憲法下の平和主義は「消極的」「他人まかせ」「利己主義的」「一国平和主義」などと難癖をつけ、「積極的平和主義」なんて造語を作って、「同盟国」が求めるならば世界の果てまで出かけて行って、汗も流すし血も流す「フツーの国」「美しい国」になりたいそうです。

 かと思うと、集団的自衛権「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」というこの文言を、憲法が一国平和主義に立たず、集団的自衛権行使を退けてもいない根拠として援用するがめつさです。

もとより憲法は、自分さえよければよいという「一国平和主義」にたつものではなく、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたい」、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と、世界平和実現のための国際的実践の先頭に立つことを表明しているのです


しかも、憲法前文に明記された平和主義は、単に戦争や暴力のない状態を目指すだけではなく、 「専制、隷従、圧迫、偏狭、恐怖、欠乏」などの除去をめざしています。ノルウェーの社会学者ヨハン・ガルトゥングが、「戦争のない状態を平和と捉える『消極的平和』に対し、貧困、抑圧、差別など構造的暴力のない状態を『積極的平和』とする概念を提起」(ウィキペディア)したのと、軌を一にする先進性は、特筆されるべきものでしょう。

ウィキペディアは、そのヨハン・ガルトゥング氏のコメントを次のように紹介しています。







 安倍政権の掲げる積極的平和主義に関して、ガルトゥングは「安倍首相は『積極的平和』という言葉を盗用し、私が意図した本来の意味とは正反対のことをしようとしている」「私が1958年に考えだした「積極的平和」の盗用で、本来の意味とは真逆だ」「積極的平和は平和を深めるもので、軍事同盟は必要とせず、専守防衛を旨とします。平和の概念が誤用されています」と述べ、さらに「積極的平和は全く軍事的なものではない」として、「安全保障関連法案は、平和の逆をいくものです。成立すれば、日本は米国と一致協力して世界中で武力を行使していくことになるでしょう。そうなれば、必ず報復を招きます。日本の安全を高めるどころか、安全が脅かされるようになります」と批判している。



 アベさんがひねり出した造語「積極的平和主義」は、海外では“Proactive Contributor to Peace”(「平和への積極的な貢献」)などと翻訳され、平和学における「積極的平和」(Positive
Peace)とははっきり区別されているそうです。なんと、わが外務省も、総理の会見などの英訳で“Proactive Contributor to
Peace”という表現を使っているそうですね。(フリージャーナリスト志葉玲さんのこの記事=安倍首相は「積極的平和」の意味を理解できていないので、戦場ジャーナリストが懇切丁寧に指導しますよ!志葉玲参照)





しかつめらしい話題はここまでとして、あとは楽しい話題に移ります。

寒い朝でした。

玄関先のスイレン鉢にも、氷がはっていました。

出かけるのが億劫でしたが、今日はインフルエンザ禍による学年閉鎖で日中我が家に滞在していた中一生も、今日から登校しましたので、体が空きました。

先日、M師から、珍鳥の情報をいただきました。トラツグミが近くへきているのだそうです。

トラツグミについては、一度だけ撮影したことがあります。

この記事で書きました。

◇われもまた たずねあてたり とらつぐみ

toratugumi.jpg


 トラツグミというと、古来「ぬえ鳥」とも呼ばれ、平家物語にも、源頼政のヌエ退治の話が出てきます。

「デジタル大辞泉」では次のように説明されています。

ぬえ【×鵼/×鵺】

    1 トラツグミの別名。

    2 源頼政が退治したという、伝説上の妖力をもった怪獣。頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎、声はトラツグミに似るという。

    3 つかみどころがなくて、正体のはっきりしない人物・物事。「政界の―」



トラツグミは、夜中に、口笛のような「ヒョー、ヒョー」という声で鳴くそうです。





気合を入れて、PENTAXk5Ⅱ+sigmaAPO 120-400mm F4.5-5.6 DG OS HSMを持って出ました。カメラ680 g、 レンズ1640gです。私の機材の中では重量級に属しますが、時折は持ち出してやらねばなりません。

起伏のある散歩道をゆっくりと撮り歩きしながら、心地よい汗もかきましたし、あれこれの鳥の撮影にも成功しました。ほぼ満足して折り返し地点あたりをぶらぶらしていましたら、何の変哲もない見晴らしの良い原っぱに、目指すトラツグミがのんびり餌をついばんでいるところに出くわしました。あまりの近くで遭遇したので、私も驚き、鳥も驚いて、一瞬目を合わせたとたんに、飛び立ってすたこら逃げられてしまいました。カメラを用意するとか狙いをつけるとかの余裕はありませんでした。

飛び去った方角へ、こっそり近寄ってみますと、木の枝に隠れて、こんな姿が見えました。わかります?





トリミングしてみます。



それから数十分後、帰り道の途中に、まったく別の場所で、一瞬全身像を見ました。別の個体でしょうか?今度はカメラを向け、狙いを定めようとしましたが、AFが迷っている間に、飛び去ってしまいました。欲張らず55-300mmでもつけてきていれば、あるいは、OlympusE3+zuiko digitalED70-300mmのコンビでも持ってきていれば簡単に取り出せて、手軽に撮影に成功していたかもしれません。

後の祭りですが、あきらめるしかありません。

今日もルリビタキが登場し、幸い、撮影も間に合いました。







トリミングします。







今日はここまで。



昨日の記事の積み残し、の巻 [折々散歩]

昨日の記事で、孫たちに会わない一日だったようなことを書きましたが、思いがけない展開で、夜中になって保育園年長組の女の子から電話があり、「お泊り」したいとのこと。結局、中1,小3の兄たちと三人、昨夜仲良くお泊りして、今日の午前中に帰りました。

夕方は、ちょっと離れたアパートに住む娘夫婦と赤ちゃんが、野菜の頂き物をおすそ分けにと訪ねてきましたので、3家族でにぎやかに夕食をともにしました。

そんなわけで、散歩もできず、ブログ更新の時間もなかなか取れません。

例によって、昨日の散歩のストック写真でお茶を濁します。

深山公園への散歩に、fuji FinePix S1も携行したことは書きました。

正体不明の小鳥を見つけてかなりの枚数写したのですが、ピンボケばかりで、まともなのはこれだけでした。

これなあに?







別の場所で、地面で採餌するビンズイを見ましたが、これもビンズイでしょうか?見る角度が違うと迷います。

シロハラもいました。











FinePix S1。被写体をピタリととらえられたときは、驚くほどよい写りを見せてくれるのですが、被写体をとらえることが私には難しく、せっかくのチャンスに撮り逃がすことがしばしばで、ルリビタキ♂を見つけた時もとらえることができず、業を煮やしてPENTAXk10d+TAMRON SP500㎜をリュックから取り出して,MFで狙ったのですが,これが昨日掲載したピンボケ写真でした(汗)。

PENTAXk10dは、ファインダーが大きくて被写体がはっきり見えるのはありがたいのですが、ダイアルをAFに合わせているとシビアな合焦を要求するためかシャッターがタイミングよく下りてくれず、ストレスを覚えます。MFに設定しておけばOKなのですが、目視を頼りに合焦させることはなかなか困難です。

うまくいけばこんな写り方もするので、捨てたものでもないのですが、、、。



こんな顔のメジロ、人相いや鳥相が悪い、、。



いずれもノートリミングです。

途中で、TAMRON SP500㎜を、k5Ⅱにを換装してみました。散歩カメラとしては、コンパクト感があって快適です。

メジロの群れを追いかけます。

ピント合わせに成功すれば、なかなかの写りだと思います。











k5Ⅱ+AFBORGED45EDでも写したのですが、後で見分けられなくなってしまいました。たぶん、少し描写がクリアーと感じられるこれらは、BORGだろ思います(自信はありません)。













シジュウカラ。





ヤマガラ。













ジョウビタキ♂





ジョウビタキ♀







これはビンズイだと思います。











1枚目、2枚目の鳥はこれと同じでしょうか?


追伸

昨日の記事の末尾を読み返すと、意図が不明瞭な、ずいぶん紛らわしい文章になっていました。

前時代的な国益優先主義、排外主義に回帰するトランプ流のアジテーションと対比したつもりで引用したのは、日本国憲法前文の一節でした。出典を明かすことを怠ったため、何が言いたいのかよくわからない文章になりました。
「アメリカ第一」「国益優先」をあたかも「新しい」転換であるかのようにトランプは強調しますが、実はそれはどんなにか古臭い、人類史をどんなにか後戻りさせる愚劣な道であるか、ということを言ってみたかったのです。そして、70年も前に著された日本国憲法のメッセージのほうが、どんなにか人類の進歩の方向に合致し、どんなにか人々に希望を語ることができるか、を指摘してみたかったのです。
そもそも、「自国のことのみに専念して他国を無視」して、暴走を重ねてきた偏狭な国益優先主義の行き着く先が、数千万人に及ぶアジアの人々と、300万人の自国の民に痛ましい犠牲を強いた先の戦争の悲惨ではなかったのでしょうか。それへの悲痛な反省から、人類史の新しい道筋に希望を託したのが、日本国憲法だったのではないでしょうか?
もちろん、その道筋は紆余曲折をたどり、いまだ実現に至ってはいません。だが、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」とあるように、その未成熟な現実を乗り越えて、必ず「崇高な理想と目的」に向かうことを、私たちは世界に宣言しているのです。

 

理想と現実が乖離しているとき、理想を捨てて現実に合わせるのか、それとも理想に向かって現実を高めようと試みるのか?憲法をめぐるせめぎあいが、激しさを増す一ことになりそうです。

憲法君がんばれ。 

憲法くん

憲法くん

  • 作者: 松元 ヒロ
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2016/12/16
  • メディア: 単行本



 



      


大寒を過ぎて深山は春心地 [折々散歩]

昨日は大寒で、名に恥じない寒さでした。

強い風と、時々雨という天気で、鳥たちも寒そうです。

ここ何日か連続して持ち出しているレフレックスレンズtamronSP500mmは、F値が8.0ですので、今日のお天気には暗すぎようかと、kenkoミラーレンズ500mm F6.3DXを引っ張り出してみました。F6.3が明るいとは言えませんが(汗)

PENTAXK10Dに装着して、実験です。

お隣の猫ちゃん「トラノシン」君が、塀の上でくつろいでいるところを、窓越しに撮影させていただきました。



買い物ついでにご近所で鳥見散歩です。

ジョウビタキ♂のお出ましです。







いつものコガモ。



出直し散歩では、PENTAXK-rに装着です。

ファインダーは小さいのですが、ISO感度が稼げるのでMF撮影の歩留まりも高いような気がします。

ジョウビタキ♂。



セグロセキレイ。












コサギ。





ヒヨドリ。





昨日付の地元紙「山陽新聞」
にインフルエンザの記事が出ていました。







 岡山県内でインフルエンザが本格的に流行してきた。県が19日に発表した最新患者数(9~15日)は1441人で、定点調査している84医療機関の1施設当たり17・15人に上り、急拡大している。新学期が始まったことから感染がさらに広がり、警報発令基準(30人以上)に迫る恐れもあるとして、県は注意を呼び掛けている。
(中略)

学級閉鎖、学年閉鎖のニュースも連日のように載っています。同業の友人の職場でも、学級閉鎖が広がっているとのことです。

ここ数日、我が家で「療養」中のインフルエンザ患者の中一男子は、すっかり元気で、今日は両親が休みで顔を見せません。

気温は低いのですが、日照があって、散歩には程よい天候でした。

かかりつけ医に、いつもの薬をもらいに行き、その足で深山公園を目指します。

こんな鳥に出遭ったのに、慌てておろおろしているうちに飛び去ってしまいました。ピントが外れたたった一枚がのこりました。

PENTAXK10D+TAMRON SP500mmの組み合わせです。



ルリビタキ♂でした。

また別の場所ではルリビタキ♀にも遭いましたが、MFでピント合わせをしているうちにシャッターチャンスを失ってしまいました。思いもかけない近くで出会いましたので、欲張らず、300mmまでの望遠ズームでもつけていれば十分足りたのにと、悔やまれたことでした。

実は、この散歩には、PENTAXK5Ⅱ+AFBORG45EDと、FUJI FINEPIXs1を、リュックに入れて持ってきていたのですが、リュックから取り出して持ち替えたりする暇がありません。

七つ道具を持ち歩いたという弁慶も、使い分けには苦労しなかったでしょうか?

PENTAXK10D+TAMRON SP500mmで写した写真を貼っておきます。

サザンカとメジロ。









モズ。













ジョウビタキ♀。









アオジ。今シーズン初撮影かな?











すっかり汗をかく散歩になりました。

今日のニュースのいちばんは、稀勢の里の優勝でしょうか?

もう一つの中心ニュースは、あの、だみ声の、空疎な、単細胞の、刺激的フレーズを繰り返すCMまがいの、トランプの就任演説でした。断片的に耳に入ってくるその主張は、単純かつ低俗、そしてその故に耳に残り、人々の深層意識に入り込みやすいもののように思われました。

特に気になった一節を引用してみます。







From this day forward, a new vision will govern our land.

この日から先は、新しいビジョンがわれわれの国を治めるだろう。

From this day forward, it's going to be only America First, America First.

この日から先は、ただただ「アメリカ第一、アメリカ第一」になるだろう。

(中略)

We will seek friendship and goodwill with the nations of the world - but
we do so with the understanding that it is the right of all nations to
put their own interests first.

われわれは世界の国々との友情と友好を探し求めるだろう。しかし、それは、すべての国が自国の利益を第一にする権利をもつという理解があってのことなのだ。 

ふと、次の一節が頭をよぎりました。








われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


どちらが新しく、どちらが古臭い?

どちらが未来への希望を私たちに与えてくれる?

きょうはこれにて。

今日のジョウビタキ、明日のジョー、そして昨日のダテナオト、の巻 [折々散歩]


中学生の孫が、インフルエンザA型と診断されました。学校で流行っているらしく、今日から学年閉鎖だそうです。

一昨日から、日中は我が家に隔離状態で療養しておりますが、特効薬がよく効いて、今日はもう熱が下がり、退屈を嘆いております。

病人を置いて外出もできず、家に閉じこもって退屈なのは私も同様です。目下、急ぎのパソコン作業に追われていて、遠出の余裕もないのは、不幸中の幸いと言えますが、パソコン不調、プリンター不調が重なって、ストレスが鬱積中です。

ほんの短時間、買い物に出かけたり、我が家のごく近所を歩いたりして気晴らしをしています。

最も親しい友人は、これ。

olympusE3+ZUIKO ED 70-300mm F4.0-5.6で写しました。



やはり画質的には好ましい水準です。

トリミング画像はこんな具合。



このところ連日持ち歩いているレフレックス(ミラーレンズ)tamron sp500mm+PENTAXK-rで写すと、、。











トリミング画像はこんな具合です。











いつもの用水路には薄氷が張っていました。







場所によっては、コガモが歩ける氷です。



水温も低く、身を切る冷たさでしょうが、コガモたちは元気です。











今日もジョウビタキ♂が近くまで姿をあらわしてくれました。















ジョウビタキは、拙ブログにもしょっちゅう登場するおなじみさんです。

たとえば、2013年10月のこの記事。

◇鳥にまつわるエトセトラ part2

 ジョウビタキの「ジョウ」は、新島襄にちなんだ命名?まさか。
では、 ジョー・ディマジオ?(だれ?)
いえいえ。ジョウは「尉」。「 老翁。おきな。特に能で、老翁の役。また、それに用いる能面。」のことだそうです。オスの頭が銀色で、白髪に見えるところから名づけられました。
ヒタキは「火焚」で、カチカチと、火打石をたたくような音を立てます。鳴き声は、キーキーと、自転車のブレーキ音のよう。

NHK大河ドラマ「八重の桜」でオダギリジョーが新島 襄を演じていた頃でした。
また、同年11月のこの記事。

◇今日のジョウビタキ、今日のチョウ、今日のヤチョウ、明日のジョー
先日の記事。ジョウビタキのジョウの連想で、新島襄、ジョー・ディマジオという「歴史的人物」の名前はとっさに思いついたのに、宍戸錠も城卓弥も城みちるも思い出しませんでした。いっぷくさんのブログに宍戸錠の記事がありました。
そして、矢吹丈=明日のジョーの名前も、一日遅れで思い出す始末。
「明日のジョー」といえば、原作者の梶原一騎氏について、これまたいっぷくさんのブログが興味深い記事を載せておられます。
去年の記事ですが、こちらは梶原一騎氏とタイガーマスクとにまつわる興味深いエピソードがつづられています。
そこで紹介された、斎藤貴男『梶原一騎伝 夕やけを見ていた男』(新潮社)も興味深い。
梶原一騎伝 夕やけを見ていた男 (文春文庫)

梶原一騎伝 夕やけを見ていた男 (文春文庫)

  • 作者: 斎藤 貴男
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2005/08/03
  • メディア: 文庫
夕やけを見ていた男―評伝 梶原一騎

夕やけを見ていた男―評伝 梶原一騎

  • 作者: 斎藤 貴男
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1995/01
  • メディア: 単行本
斎藤貴男さんといえば、当代切きっての「硬派ジャーナリスト」。現代社会の病巣やタブーに果敢に迫るその舌鋒は、爽快です。私、10年も前に(小泉内閣時代でした)、一度間近で講演をお聞きし、夜の酒席(大勢)にもご一緒して、すっかりファンになりました。数ある著作の中で、私のおすすめは、『絶望禁止!』(2004年、日本評論社)
絶望禁止!

絶望禁止!

  • 作者: 斎藤 貴男
  • 出版社/メーカー: 日本評論社
  • 発売日: 2004/07
  • メディア: 単行本
内容もさることながら、タイトルが、絶妙!!ではありませんか?
テレビアニメのタイガーマスクは、格闘技のスリル以上に、漂うペーソスが魅力でした。
主題歌も、耳に残っています。オープニングテーマ の 「行け!タイガーマスク」( 作詞 木谷梨男 / 作曲・編曲 - 菊池俊輔 / 唄 - 新田洋 / スクールメイツ)よりも、エンディングテーマ - 「みなし児のバラード」(作詞 - 木谷梨男 / 作曲・編曲 - 菊池俊輔 / 唄 - 新田洋 / スクールメイツ)が、好きでした。
本題の「明日のジョー」は梶原氏の原作をちばてつや氏が漫画化しました。その際、かなりの部分を漫画家ちばてつや氏の裁量に任せたらしいことも、いっぷくさんのブログに詳述されています。
「明日のジョー」は、さまざまな人がさまざまに語っておられるので、今日は内容に立ち入ることはしません。
 



「みなし児のバラード」はユーチューブでここにあります。



今日付けの地元紙「山陽新聞」朝刊に「今年も善意のランドセル  県児童擁護施設協匿名で10個届く」という記事が掲載されていました。WEB版の同趣旨の記事から用します。
◇岡山の養護施設にランドセル タイガーマスクの思い継ぐ: 山陽新聞デジタル

  児童養護施設の子どもたちに贈ってほしいと、岡山県に住む匿名の人物からランドセル10個が17日、岡山県児童養護施設等協議会に届いた。同協議会によると、この人物は、2015年まで県内の児童養護施設にランドセルを贈呈していた「岡山のタイガーマスク」の思いを継ぎたいと、昨年に続き寄贈したという。  ランドセルは男児用と女児用が五つずつで、岡山市内の販売店の担当者が届けた。「元気で楽しく過ごせるよう祈っています。入学おめでとう!」などと書いた手紙も添えられていた。



同じ「山陽新聞」の2016年12月8日付け記事◇「伊達直人」が姿現す 養護施設にランドセル寄付 という記事にこうありました。

全国各地の児童養護施設に漫画タイガーマスクの主人公「伊達直人」名で相次いでランドセルが届いた現象の発端となったとされる男性が7日、東京・後楽園ホールで行われたプロレスイベントでリングに上がり、名乗り出た上で、子どもたちへの支援を呼び掛けた。
 氏名を明かしたのは前橋市在住の会社員河村正剛さん(43)。リング上で「子どもたちは虐待されるためではなく、抱きしめられるために生まれてきた。これからも活動を続けていきたい」と言葉に力を込めると、観客席から盛大な拍手が起こった。 

ユ-チューブでもこんな動画が掲載されています。

「子どもたちは虐待されるためではなく、抱きしめられるために生まれてきた。」まったくそのとおりです。



ジョウビタキについての蘊蓄を語るべく書き始めた今日の記事でしたが、あらぬ方へと脱線してしまいました。続編は又の機会に、、。

今日は、これにて。


ひと知れず紅梅あまねく薫り初む [折々散歩]

気温は低いですが、風がなくて、明るい陽射しに恵まれました。

午前中、Pentax K-r+TAMRON SP500mmを携えて、いつもの散歩道を歩きました。

道端の梅の木に、紅梅が薫り高く咲き初めていました。















ジョービタキが、いろいろな表情を見せてくれます。

ノートリミングでこの大きさです。



トリミングするとかなりのアップになります。



同じくノノートリ画像。



トリミングします。











♀も登場。







水路のコガモ。















水路のコサギ。



他にもカワセミ、アオジ、メジロに会いましたtが、カメラを向けて手動でピント合わせにもたついている内に逃げられました。

きょうはこれにて。


えらいよう冷えますなあ、の巻 [折々散歩]


この冬一番といわれる寒気の影響で、県北部には広範囲にわたって大雪警報が出されるなど、厳しい冷え込みでした。県南部に位置するわが居住地あたりでも、ほんのわずかな間でしたが、勢いよく粉雪が舞って、瞬く間に地面を白く覆いました。ちょうど運転中で、スリップ事故の心配をしましたが、すぐにやみ、太陽がのぞくとすぐに解けてしまいました。

昨日からのセンター入試にも、各地で雪の影響があったようです。センター入試の頃、不思議に寒波や雪に見舞われることが多いように記憶しています。常ならぬ積雪を踏み分けて、生徒を引率したこともありましたし、雪花が舞う中、試験会場から出てくる生徒を待ったことも度々ありました。何より、我が子の入試の時も雪の中、車でJR最寄り駅まで送ったような記憶があります。ずいぶん昔のことになります。数年後には、他人事じゃないねと、中一の孫を交えての今日の会話でした。

例年通り、全国都道府県対抗女子駅伝が開催され、雪が舞い、寒風吹きすさぶ都大路に熱戦が展開されました。

京都が、2時間17分45秒で、3年ぶり、最多の16回目の優勝を飾りました。岡山は2秒差の2位。大奮闘でした。

ところで、1月15日といえば、去年の去年の今日起こった、軽井沢スキーツアーバス転落事故の痛ましい記憶が蘇ります。

去年、こんな記事を書きました。

◇「薄氷は張つたりけり」、の巻

 冬らしい冷え込みが続きます。待望の積雪を得てスキーシーズンの到来、と思ったのも束の間、あり得ないスキーバスの転落事故が、前途ある若者の命を奪いました。痛ましいことです。
事故の状況、原因は、目下調査中だそうですが、真っ先に脳裏にひらめいたとおり、「業界最安値」を売りに、苛烈なコスト競争を生き抜いてきた新参企業の陥りがちな暗黒面(ダークサイド)が、背後に存在しているようです。つまり、労働者の生活、労働条件、健康を削ることによって徹底したコストダウンをはかりつつ、最も大切にされるべき「安全」を二の次、三の次に追いやってしまっていたという、ありがちな(あってはならない)利潤追求体質が、それでしょう。
犠牲者の多くは、卒業・就職を前にした学生さんたちで、センター試験実施に伴う休講と、それに続く土日の休みを利用して、気心の知れた友人たちとともに、生涯記憶に残る楽しい想い出を、青春の一ページに刻むはずでした。むごく、残念なことです。ご冥福を祈ります。
ところで、今日1月17日は、阪神淡路大震災から二十一年目のメモリアルディです。
震災の起こった1995年は、大学入試センター試験は、1月14日・15日センター入試が実施され、その直後の1月17日、未曾有の地震災害が全国を震撼させたのでした。
(中略)
それにしても、毎年、センター試験の前後は、厳しい冷え込みに襲われることが多い気がします。例年と違う遠距離の試験会場が割り当てられて、貸切バスを連ねて試験会場に向かったある年など、積雪による銀世界の中を、凍えながら会場に赴いたことも思い出されます。控え室や通路、廊下の寒風すさぶ情景も、風物詩と言えるかも知れません。
1995年の震災の日も、とても寒い朝だったように記憶しています。



スキーバス転落事故について、YAHOOニュースはこんな記事を載せています。

 15人が死亡した長野県軽井沢町のスキーバス転落事故から15日で1年。法政大教授で教育評論家の尾木直樹さん(70)のゼミでは、半数にあたる10人が事故を起こしたバスに乗車し、4人が命を落とした。心と体に傷を負った学生と向き合ってきた尾木さんが、学生たちの今の様子や事故の教訓を語った。
--事故後1年が過ぎた
 「当事者には時間軸が2本ある。日常生活のリアルな時間軸と、去年1月15日で止まったままの時間軸。年が明けても、まだ手術を受けなければいけない学生がいる。当事者にとって事故はいまだに進行形。みんな、全力で立ち向かおうとしている」
 --復帰した被害者は
 「自分だけ早く復帰できていいのかと苦しんでいる人もいる。うれしいと思えば思うほど、楽しければ楽しいほど、やりがいがあればあるほど自分を苦しめる。でも、全員が必死に働こうとしていて、それが手術やリハビリとの戦いのエネルギー源になっている。一方、元気そうに見えても今になって心理的な重症になっている学生もいる。(事故から)半年後くらいが危ないと警戒していたのだが…」
 --事故に遭遇しなかったゼミ生もいる
 「昨年末になって初めて事故について話し合えた学生たちがいる。しっかりしていた子が心の傷が深かった。気がつかずに申し訳なかったと思っている。みんなをまとめたり頼られたりしているうちに事実と向き合えず、自分のケアが遅れたのかもしれない。(亡くなった学生の)写真を見ることもできず、一周忌も苦しいと。僕もいつも写真を持ち歩いているけど、見た途端に涙があふれることがある。『15日が来るのが怖い。どこで何をしていればいいのか』という学生が何人もいる」
 --改めて今回の事故を受けて訴えたいことは
 「規制緩和は業界が活性化してすばらしいことだが、命の安全だけは徹底して考えなければいけない。国の監査態勢がこんなにずさんだったのが信じられない。15人の命を犠牲にして学ばなければいけないほどのことだったのか。『格安』は命を売っているんだと気づかされた。誰もそこまでは求めていない。適正な利潤をあげ、安全態勢を整えられる値段を出してほしい。“軽井沢の悲劇”で終わらせるのでなく、日本全体がしっかりと学び取らなければいけない」

今日は、所用があって、寒さの中数千歩は歩きましたが、カメラを持ち出す余裕はありませんでした。

ですので、「天気晴朗なれど風強し」、といった風情の、一昨日の散歩の写真を掲載します。



ヌートリアの愛嬌のあるおめかしシーン。波が強いです。



堤防の上のモズ。





芦原のスズメ。



カンムリカイツブリ。



少しトリミング。











これは?

マガモかと思って撮影しましたが、よく見るとヨシガモでしょうか?

はっきり写ったものがないのが残念です。



これなあに?

クサシギ、イソシギ、トラフシギの区別ができません。

















コサギです。











今日はここまで。


新年も帯と襷の選りくらべ、の巻 [趣味]

今日の話題は、興味・関心をお持ちでない方にはまったく面白くもなく、逆に、ベテランの方には馬鹿馬鹿しいシロウト談義で、結局のところ、さっぱり客観的価値が認められないといった類の与太話です(汗)。

それがわかっていてなぜ書くのか?と、お叱りはごもっともですが、自身の備忘のためとまずは弁解から始まる撮影機材の話題です。

遠くのものを近くに見たい、小さなものを大きく見たい、という願望は、子どもの頃から強くあり、雑誌の付録や通信販売で手に入れた、おもちゃの望遠鏡や顕微鏡は、格別の価値あるツールでした。「三つ子の魂」「雀百まで」のことわざどおり、いまも、望遠撮影とマクロ撮影に特別の執着ががあるようです。

望遠撮影の中でも、鳥撮りの世界は、決して安易に足を踏み入れてはならぬ領域と重々承知していながら、その魅力に打ち勝てず、おそるおそる周縁をうろちょろするうちに、時日だけが過ぎました。動きが素早く、たいてい薄暗い物陰にいて、近寄ると逃げだす、小さな対象物を、鮮明にクリアに、美しく、とららえるためには、機材と腕とチャンスが、ものを言います。

腕とチャンスは、一朝一夕には埒のあくものではないと思えますので、いきおい機材への関心がつのります。優れたパフォーマンスを期待するには、相応の投資が求めらるのが世の常。

となりますと、経費とパフォーマンスの微妙なバランスこそ、汲めど尽きせぬ興味の源泉、というわけで、「安くて良いもの」が一番エライ、という観念が募ります。

鳥を撮るには何が良い?と問う時、C社のあれ、N社のあれと、の「定番」の組み合わせは、衆目の一致するところでしょう。がその半分、または10分の1のコストで、8割、7割(あるいは6割)のパフォーマンスが得られるなら、そっちがエライと、私の吝嗇根性はささやくのです。

持ち合わせの機材の延長線で考えるとき、現在の一つの完成形は、PENTAXk5Ⅱ+AFBORGでしょうか。手持ち撮影を原則としていますので、BORGは、60ED、または45EDを使っています。F値の明るさ、望遠倍率の優位性から、最近は60EDを持ち出す頻度が高かったのですが、先日のルリビタキ撮影には45EDを使用しました。

60EDも、機材のボリュームとしてはさほど大がかりな感じはないのですが、45EDはなおさらコンパクトさが際立ちます。f値が7.2と暗いので、AFアダプターの動作を期待するためには、レデューサーで短焦点化しF値を明るくする必要があります(なんのこっちゃ?)、私は、節約のため、レデューサーがわりにお決まりの通り、クローズアップレンズを使います。45EDのAF動作のためには、NO5のクローズアップレンズが好適と思いますが、60EDでは、少しでも望遠倍率を稼ぐためNO4を使用することが多かったのです。そのシステムを援用したため、この日は、45ED+NO4のクローズアップレンズという組み合わせで使いました。これでも条件が良ければAFが動作しますが、時に測距を迷い、もどかしい思いを味わいます。

高い梢のエナガが、こんな風に映ります。



これでは小さすぎますので、トリミングします。



トリミングしてこのレベルの精細さですから、私としては大満足です。

































昨日使ったレフレックス(ミラー)レンズ、TamronSP500mmに比べると、描写の上でははるかに精彩と感じます。しかもAFが効くのは大きな優位性です。しかし、TamronSP500mmには、望遠倍率の高さと軽量・コンパクトという優位性があります。お散歩カメラとして、どちらを持って歩くか、悩ましいところではあります。

ノートリミング、またはわずかにトリミングすればこの大きさになります。

オオバンです。















木の上のツグミ。



荒れた波の間を泳ぐマガモ。

















キンクロハジロ。





ヌートリア。





我が家のニホンスイセン。クローズアップ撮影的にも使えます。




一方、お散歩カメラの用途ならば、FUJI FINEPIX s1は、優秀です。









この冬一番の寒気が襲ったという今日は、雪花の舞う激しい風の中、ほんの申し訳程度に散歩して、這う這うの体で帰ってきました。

今日の散歩に携行したのは、OlympusE3+ZUIKO DIGITAL ED 70-300mm F4.0-5.6。望遠側の300mmは、鳥撮りにはやや不足かもしれませんが、フォーサーズ機なので35㎜フィルム換算で二倍の600mm相当ですから、そう思えばコンパクトと言えます。

用水路のコガモです。











寒風にさらされるロウバイ。























古い機種ですが、どちらかというと好ましい絵です。

どの機材を選んでも、「帯に短したすきに長し」の感が否めませんが、

何を持って歩くか?

新年早々から、悩みは尽きません。

今日はこれにて。


このミサゴは、決して不時着なんかしません、の巻 [折々散歩]

冬の時期を中心に、私の記事にミサゴがよく登場します。

たとえばこんな具合。

◇木枯らしを知らぬがに舞うミサゴかな

◇獲物捕って一目散や初ミサゴ

オスプレイのことも、たぶんこの記事で最初に触れました。

◇はつはるや とりどりの鳥 撮りました









ミサゴは、英語でオスプレイと言うそうです。

沖縄はじめ、日本への配備が問題となっている垂直離着陸機のニックネームですね。


天空から猛スピードで思いっきりよく海中に突入し、勇猛果敢に獲物を捕らえるこの猛禽の、颯爽とした美しさ、勇ましさにちなんだ名づけでしょうか?

でも、その、航空機のオスプレイの方は、あまりにも事故が多くて、ウィドウ・メーカー( widow maker, widowmaker)=「後家製造器」「未亡人製造器」と揶揄される欠陥機だそうな。

折しも、一月八日付の「琉球新報」web版に、「第15回北方領土返還平和条約締結促進全国誌上川柳大会」(北方領土川柳社主催)で、県川柳協会会長の大田かつら(洲鎌恵子)さん(66)=
豊見城市=の作品「沖縄の平和遠退(とおの)くオスプレイ」が特選に選ばれた、という記事が載っています。

大田さんは、昨年末の仲井真弘多知事の辺野古埋め立て承認について、

人間のエゴがジュゴンの海奪い


ジュゴンすむ海札束で売った知事



と詠んで批判したとも記されています。全くもっともなことです。

安全性も確認できないまま、世界でもまれな大量配備を強行するのは、アメリカが、いまだに日本を属国と見下し、とりわけ沖縄を準「占領地」と見なしていることのあらわれですか?

いやそれよりも、安倍さんを筆頭に、歴代日本政府とオエライさんが、沖縄県民を初め日本の国民の思いに、いささかも心を寄せようとせず、ジャイアン親分の鼻息ばかりうかがってきたことの延長線でしょうかね。

そんなとき、同じ「琉球新報」今日付WEB版に、米国やオーストラリアなどの世界的に著名な文化人や識者ら29人が7日(日本時間8日)、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を中止し、即時返還を求める共同声明を正式に発表した、と報道されています。声明の呼び掛け人には言語学者のノーム・チョムスキー氏、アカデミー賞受賞の映画監督オリバー・ストーン、マイケル・ムーアの両氏、ノーベル平和賞受賞者のマイレッド・マグワイア氏、ピュリツァー賞受賞者のジョン・ダワー氏ら29人が名を連ねた、とあります。

さて、どうする?日本人!





今日(1月13日)付の「沖縄タイムス(web版)」に「オスプレイ事故1カ月 沖縄で不安が消えない3つの理由」という記事が掲載されています。







米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)所属の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが、名護市安部の海岸で大破した事故から1カ月。原因が判明しないまま、事故につながった空中給油訓練が再開されました。飛行中止を求める県の訴えは届かず、地元の不安は高まるばかりです。これまでの騒音被害や事故など、オスプレイをめぐる沖縄タイムスの記事を振り返りました。(沖縄タイムス+プラス編集部)


こんな書き出しで綴られる事実の数々は、いずれも、背筋が凍るほど衝撃的です。「沖縄の心に寄り添う」と、軽々しく美辞を口にする日本政府が、そのほんのわずかな部分にでも耳を傾けるならば、「機体自体の安全は確認された」との米軍の強弁を鵜呑みにして、訓練再開を容認するなどは決してできないはず、と思えてなりません。

今日の散歩に持ち出したのはPENTAXkr+TAMRONレフレックスレンズ(ミラーレンズ)SP500mmという、滅多にない組み合わせ。少ない荷物で散歩の歩数も稼ぎたかったのです。

レフレックスレンズ(ミラーレンズ)の表現上の特徴の一つとして、リングボケという個性的な(クセのある)描写が知られています。好みの問題もありますが、個人的には、扱いに苦慮します。

それでも、これくらいのおとなしめのリングボケなら、面白いと言えなくもないでしょうか?(歯切れが悪いコメント)







後ろに点光源が来るとあらわれます。逆にそういうシチュエーションを避ければ、無難な描写に抑えることも可能です。

ミサゴが数羽、今日も上空を旋回していました。

相当離れた高い空を飛んでいますが、トリミングするとまずまずの写りといえます。







AFが効かない、F値が暗く、明るい光のある場所でしか実用にならない、被写界深度が浅くピントが合わせづらい、f値が暗く、シャッタースピードが稼げず手ぶれの量産を覚悟しなければならない、、、などの弱点はありますが、そのコンパクトさはあいがたいです。(うまく使いこなせたら、のハナシですが)

相手が近寄ってくれると、思いがけない迫力です。ノートリミングでもこんな具合。

玉野市鴨川上空のミサゴ

玉野市鴨川上空のミサゴ posted by (C)kazg 玉野市鴨川上空のミサゴ

玉野市鴨川上空のミサゴ posted by (C)kazg 玉野市鴨川上空のミサゴ

玉野市鴨川上空のミサゴ posted by (C)kazg 玉野市鴨川上空のミサゴ

玉野市鴨川上空のミサゴ posted by (C)kazg


この冬一番の冷え込みで、激しい寒風も吹いていました。

立ってカメラを構えていると、風に吹かれて飛ばされそうになります。

けれども、こんな強風の中でも、ミサゴは危なげない安定飛行を続け、ホバリング、空中静止も、急降下も思いのままです。

このミサゴは、決して不時着なんかしません。

ましてや墜落などもってのほか。

騒音公害、起こしません。

夜間飛行、いたしません。

武器弾薬、運びません。

 

空中給油ごときで安定を失う欠陥機は、オスプレイの名前を返上して、さっさと御国へ帰っていただきたいものですね。


青い鳥尋ねあてたる年はじめ [折々散歩]

昨日、M師からいただいたメールに「(以前◇青い鳥幽かに見ゆるクリスマスの記事で話題にしたスポットに、)ルリビタキはまだいました。」と、ありました。

こんな写真も添えてくださいました。

これは♀。



下は♂です。











「またこちらを通る時にはお立ち寄りください。」と結んでありました。

このスポットは、郷里に向かう道の途中にあります。

今日は「託児所業」が暇になりましたので、郷里の老父母のもとを訪ねることにしました。その途中、寄り道して、青い鳥を尋ねようと目論みました。

高い梢に、メジロの群れが素早く動いています。











他にも、ヒヨドリやツグミはもとより、ヤマガラ、エナガなどが、賑やかに群れで動き回っています。

やっとお出ましです。

明るい光の中でルリビタキ♂を写せたのは初めてかも知れません。

三徳園のルリビタキ♂

三徳園のルリビタキ♂ posted by (C)kazg 三徳園のルリビタキ♂

三徳園のルリビタキ♂ posted by (C)kazg 三徳園のルリビタキ♂

三徳園のルリビタキ♂ posted by (C)kazg 三徳園のルリビタキ♂

三徳園のルリビタキ♂

三徳園のルリビタキ♂ posted by (C)kazg 

三徳園のルリビタキ♂ posted by (C)kazg 三徳園のルリビタキ♂

三徳園のルリビタキ♂ posted by (C)kazg 三徳園のルリビタキ♂

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三徳園のルリビタキ♂ posted by (C)kazg 三徳園のルリビタキ♂

三徳園のルリビタキ♂ posted by (C)kazg

嫁いだ娘の住むアパートも、経路沿いですので、娘の車に同乗させてもらい、生後10ヶ月の姫の顔も見せに行ってきました。気温が低く、風の強い日でしたが、陽射しはあって、姫もお出かけが楽しそうでした。

夜は、こんな明るい月でした。

これは、二歳前の孫を抱っこしながら見た月ですが、指さして回らぬ舌で「明るいなあ」と何度も感嘆しておりました。



今日はこれにて。

ここに記事を記入してください

珍鳥といふにはあらねど、の巻 [獺祭魚]

ばあばと二人で、保育園児を小児科と眼科へ連れて行き、おたふく風邪とウィルス性結膜炎の治癒証明をもらってきました。これで、明日からは晴れて登園できます。

今日は一日退屈ですので、こんなおやつをつくって遊びました。なかなか上手です。




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今日は散歩なし。

ストック写真のご紹介で、お茶を濁すとします。

ジョビ♀





オオジュリン?









ホオジロ?









ツグミ。







モズ。







ヤマガラ。















今日はこれにて。


「初夢」「梅の花」「相撲」の三題噺、の巻 [あれやこれやの知ったか話]

え~、毎度馬鹿馬鹿しいお笑いを一席申し上げます。

正月も早や幕の内をすぎましたが、正月にちなんだ三題噺でご機嫌を伺うことといたします。

お題は、おめでたいところで、「初夢」「梅の花」「相撲」でございます。



「初夢」

M師から、こんなお正月メールをいただきました。
 初夢は一富士、二鷹、三茄子と言いますが、この三つを写しにkazgさんの近所を回りました。



一富士のつもりです。

二鷹は7区でチョウゲンボウを見ましたが撮影はできませんでしたので吉備中央町で写したハイタカです。



三茄子もちょっと無理がありますがこれでどうでしょう。



 藤田7区にはこんなのもいました。


触発されて、私もkazg版初夢写真を狙ってみましたが、あきらめました。

昨年暮れのストック写真から、タカっぽいものを少々。

飛んでるのは何でしょう?











電柱にいるのはノスリ?





















こちらのサイト『 jaimo 』に、紹介されている三遊亭 円遊落語「宝船
という落語に。初夢のはなしがでてまいります。一部を引用します。

 一席申し上げます。

 年の暮れは、皆様が大層お忙しいが一夜明けまして正月となりますると、気が悠然といたしまして、何となく良い心持ちなものでございます。

 その内でも御大家様では、一月というと色々な又楽しみがございまして、大勢集まって福引などというものが、だいぶ流行して参りました。その以前では、子供衆のお遊びで、歌かるた、双六などというものをやりました。

 当今、又、歌かるたは盛んになって参りましたが!中には旦那様がお好きで、歌合せをするなどという、このくらい楽しみな事はございません。家中を集めて内輪同志で楽しみをする、誠に結構なものでございます。

 一夜明けると、昼間は誠に賑やかでございまして、二日の夜になると、お宝お宝、と言って売って歩く(人がいました)。彼は「宝が有り余る」というと、その“宝船”をこしらえて売りに出た。仕合せの悪い時には、「今年は縁起直しに宝船を売ろう」というので、売りに出るのでございます。

 これはあるお商人(あきんど)様で、夜分になって番頭をお呼びになりまして、

主人「番頭や、一体、彼の“宝船”というものは、どういう訳のものだ?」

番頭「左様にございます。私(わたくし)はよくは知りませんけれども、あの宝船を買いまして、枕の下へ当て、その晩寝たんだそうで、そういたしますと、まず初夢を見る、その初夢が結構な目出度い夢を見るそうでございます。それで夜分、みんな宜しい夢を見ようというので、枕の下へやって寝ます」

「ハア成程、それじゃァ、そいつを買って枕の下へやって寝ると目出度い夢を見る……(、という事か)」

「ヘエ、私がた、受け合い申す訳にはなりませんが、昔からマア見ると例えてありますから、大概は見るのでございましょう」

「お前が受け合うか」

「受け合う訳にはなりませんが、あるそうでございます」

「ハハア、それは面白い。俺はまだその宝船を買ってやって寝たことがない。こうしよう、お前がたも大変に骨を折ってくれ。家中のものがよく働いてくれるから、宝船屋から宝船を買って、それを家中でやって寝てしまう。で、朝までに各々目出度い夢を見た者には、それぞれ景物をやる」

「成程、それは結構なご趣向で」

(中略)

「イヤ、番頭かえ。どうだ夢を見たか」

「ヘエ、まず私(わたくし)の夢が第一等でございましょう」

「ハア、どんな夢を見た」

「昨晩、私が寝ますると」

「ウム」

「富士山の途中まで登りました」

「お前が………、ウム」

「途中まで参りますと、鷹が二羽おりまして、下を見ますると一面の茄子畑で」

「ウム」

「一富士二鷹三茄子と申します。これはその夢の司(つかさ)だそうで、これより好い夢はありますまい」



「ウム、それは結構な夢を見た、景物をやろう。マァお前のが一番良さそうだ、糸織が一反に金を五円やろう」

「有難うございます」


夢がでてくる落語のネタは数あるようで、「羽団扇」とも「天狗裁き」ともよばれる噺がございますな。

ウィキペディアからあらすじを引用させていただきます。

 あらすじ

家で寝ていた八五郎が妻に揺り起こされる。「お前さん、どんな夢を見ていたんだい?」

八五郎は何も思い出せないので「夢は見ていなかった」と答えるが、妻は納得せず、隠し事をしているのだと疑う。「夢は見ていない」「見たけど言いたくないんだろう」と押し問答になり、夫婦喧嘩になってしまう。

長屋の隣人が夫婦喧嘩に割って入るが、経緯を聞いた隣人も夢の内容を知りたがる。「そもそも夢は見ていないので話しようがない」と八五郎は言うが隣人は納得せず、またも押し問答から喧嘩になってしまう。

今度は長屋の大家が仲裁に入った。大家もやはり八五郎の夢について知りたがる。八五郎は「夢を見ていない」と弁解するが大家には信じてもらえず、「隠し事をするような奴はこの長屋から出て行け」と言われてしまう。

八五郎が立ち退きを拒否したため、奉行所で詮議されることとなった。奉行は八五郎に好意的だったが、やはり八五郎の夢に興味を持ち、見た夢を聞き出そうとする。八五郎は「夢は見ていない」と答えるが奉行の怒りを買い、縛り上げられて奉行所の庭木に吊るされてしまう。

吊るされた八五郎が途方に暮れていると、突風が吹いて八五郎の体が宙に浮く。気が付くと山奥にいて、目の前には大天狗が立っている。奉行所の上空を飛翔中、理不尽な責苦を負わされている八五郎に気が付いたので、助け出したのだと大天狗は言う。大天狗もまた八五郎の夢のことを聞きたがる。「夢を見ていないので話しようがない」と八五郎は今まで同様に弁解するが、やはり信じてもらえない。大天狗は怒り出し、八五郎の喉元につかみかかる。首筋に大天狗の長い爪が食い込み、八五郎は苦しみ悶える。

気が付くと八五郎は家で寝ていて、妻に揺り起こされていた。うなされていたようだ。「お前さん、どんな夢を見ていたんだい?」


他にも、よく知られたところでは、「芝浜」という人情話がございます。

ウィキペディアからの引用です。

 天秤棒一本で行商をしている、魚屋の勝は、腕はいいものの酒好きで、仕事でも飲みすぎて失敗が続き、さっぱりうだつが上がらない、裏長屋の貧乏暮らし。その日も女房に朝早く叩き起こされ、嫌々ながら芝の魚市場に仕入れに向かう。しかし時間が早過ぎたため市場はまだ開いていない。誰もいない、美しい夜明けの浜辺で顔を洗い、煙管を吹かしているうち、足元の海中に沈んだ革の財布を見つける。拾って開けると、中には目をむくような大金。有頂天になって自宅に飛んで帰り、さっそく飲み仲間を集め、大酒を呑む。

翌日、二日酔いで起き出した勝に女房、こんなに呑んで支払いをどうする気かとおかんむり。勝は拾った財布の金のことを訴えるが、女房は、そんなものは知らない、お前さんが金欲しさのあまり、酔ったまぎれの夢に見たんだろと言う。焦った勝は家中を引っ繰り返して財布を探すが、どこにも無い。彼は愕然として、ついに財布の件を夢と諦める。

つくづく身の上を考えなおした勝は、これじゃいけねえと一念発起、断酒して死にもの狂いに働きはじめる。懸命に働いた末、三年後には表通りに何人かの若い衆も使ういっぱしの店を構えることが出来、生活も安定し、身代も増えた。その年の大晦日の晩のことである。勝は妻に対して献身をねぎらい、頭を下げる。ここで、女房は告白をはじめ、例の財布を見せる。

あの日、勝から拾った大金を見せられた妻は困惑した。十両盗めば首が飛ぶといわれた当時、横領が露見すれば死刑だ。長屋の大家と相談した結果、大家は財布を拾得物として役所に届け、妻は勝の泥酔に乗じて「財布なぞ最初から拾ってない」と言いくるめる事にした。時が経っても落とし主が現れなかったため、役所から拾い主の勝に財布の金が下げ渡されたのであった。

事実を知った勝はしかし、妻を責めることはなく、道を踏外しそうになった自分を助け、真人間へと立直らせてくれた妻の機転に強く感謝する。妻は懸命に頑張ってきた夫の労をねぎらい、久し振りに酒でも、と勧める。はじめは拒んだ勝だったが、やがておずおずと杯を手にする。「うん、そうだな、じゃあ、呑むとするか」といったんは杯を口元に運ぶが、ふいに杯を置く。「よそう。また夢になるといけねえ」

三遊亭圓朝の三題噺がもとだそうで、お題は、「酔漢」と「財布」と「芝浜」だったといいますな。(「笹飾り」「増上寺の鐘」「革財布」の三題噺とも。)



「梅の花」

落語の世界には、酒が巻き起こす失敗譚・滑稽譚は事欠きませんが、今日、車を運転しながら聞いていた落語CD、柳家小さんの「猫の災難」も愉快な噺です。

こんなあらすじです。(ウィキペディアより)

 あらすじ

朝湯から帰ってきて、一人でぼんやりしていると急にお酒が飲みたくなってきた。

しかし、熊五郎は一文無し。逆立ちしたってお酒が飲めるわけがない。

「飲みてえ、ノミテェ…」と唸っているところに、隣のかみさんが声をかけた。

見ると、大きな鯛の頭と尻尾を抱えている。

なんでも、猫の病気見舞いに特大の鯛をもらって、身を食べさせた残りだという。
捨てに行くというので、「眼肉(咀嚼筋)がうまいんだから、あっしに下さい」ともらい受けた。

「このままだと見栄えが悪いな。そうだ…」

ざるの上に載せ、すり鉢をかぶせてみたら何とか鯛があるような形になった。これで肴はできたが…肝心なのは『酒』だ。

「今度は、猫が見舞いに酒をもらってくれないかな…」

ぼやいていると、そこへ兄貴分が訊ねてきた。

「酒や肴は自分が用意するから、一緒にのまねぇか?」

そういった兄貴分が、ふと台所に目をやって…件の『鯛』を発見した。

「いい鯛が在るじゃねぇか!」

すり鉢をかぶせてあるので、真ん中がすっぽり抜けていることに気づかない。

「ジャア、後は酒を買ってくるだけだな。どこの酒屋がいいんだ?」

近くの酒屋は二軒とも借りがあるので、二丁先まで行って、五合買ってきてもらうことにした。
さあ、困ったのは熊だ。いまさら『猫のお余りで、真ん中がないんです』だなんていえる訳がない。
思案した挙句、酒を買って戻ってきた兄貴分に【おろした身を、隣の猫がくわえていきました】と告げた。

「どっちの隣だ? 俺が文句を言いにいってくる!!」
「ちょっと待ってくれ! 隣のうちには、日ごろから世話になってるんだよ…」

『我慢してくれ』と熊に言われ、兄貴分、不承不承代わりの鯛を探しに行った。

「助かった…。しかし、どんな酒を買ってきたのかな?」

安心した途端、急にお酒が飲みたくなる。

「どうせあいつは一合上戸で、たいしてのまないからな…」

冷のまま、湯飲み茶碗に注いで「いい酒だ、うめえうめえ」と一杯…また一杯。
兄貴分の分は別に取っておこうと、燗徳利に移そうとした途端…手元が狂って畳にこぼした。

「おわっ!? もったいねぇ!!」

畳に口をつけてチュウチュウ。気がつくと、もう燗徳利一本分しか残っていない。

「参ったな。如何しよう…。仕方がない、また隣の猫に罪をかぶってもらうか」

兄貴分が帰ってきたら、【猫がまた来たので、追いかけたら座敷の中を逃げ回って、一升瓶を後足で引っかけて…】と言うつもり。
そうと決まれば、これっぱかり残しとくことはねえ…と、熊、ひどいもので残りの一合もグイーッ!

「いい休みだな。しかし、やっぱり酒がすべてだよ。花見だって、酒がなければ意味がねぇしな」

『夜桜ぁ~やぁ~♪』と、いい心持で小唄をうなっているうち、《猫を追っかけている格好》をしなければと思いつき、向こう鉢巻に出刃包丁。
セリフの稽古をしているうち…眠り込んでしまった。

一方、鯛をようやく見つけて帰った兄弟分。熊は大鼾をかいて寝ているし、一升瓶をみたら酒がすべて消えている。

「なにやってんだよ!!」
「ウー…だから、隣の猫が…」
「瓶を蹴飛ばして倒した!? なんて事を…ん? この野郎、酔っぱらってやがんな。てめえがのんじゃったんだろ」
「こぼれたのを吸っただけだよ」

『隣に怒鳴り込む』と、兄貴分がいきまいている所へ、隣のかみさんが怒鳴り込んできた。

「いい加減にしとくれ。家の猫は病気なんだよ。お見舞いの残りの鯛の頭を、おまえさんにやったんじゃないか!」

物凄い剣幕で帰っていった。

「どうも様子がおかしいと思ったよ。この野郎、おれを隣に行かせて、いったい何をやらせるつもりだったんだ!?」

「だから、隣へ行って、猫によーく詫びをしてくんねえ…」


ちなみに、上方版のオチは以下の通り。

 上方版のオチ

猫が入ってきたので、阿呆が『ここぞ』とばかり声を張り上げる。

「見てみ。可愛らし顔して。おじぎしてはる」

それを聞いて、猫が神棚に向かって前足を合わせ…。

「どうぞ、悪事災ニャン(=難)をまぬかれますように」

ちなみに、上方版では貰ってくるのは『腐った鯛のアラ』で、くれたのは『酒屋』という設定。

噺の中に、こんな都々逸(どどいつ)が出てきますな。

一人飲んで酔った熊が、ご機嫌でこう歌います。

お酒飲む人 

花なら蕾

今日も咲け咲け

明日も咲け

今日の散歩で通りかかった道端に、紅梅がほころび始めていました。











梅にウグイスじゃありませんが、枇杷(ビワ)にメジロはどうでしょう?











「相撲」

大相撲初場所が始まりました。

「ヨッ!竜田川!」「頑張れ」というかけ声が聞こえませんか?

竜田川?知らねえなあ、って?

江戸時代の、強えお相撲で、大関にまでなった人だ、、、。

おなじみの落語「千早振る」の一節です。

これまたウィキペディアの引用です。

あらすじ


岩田の隠居は、「先生」の異名を持っている。ある日、茶を飲んでいると、なじみの八五郎が訪れてくる。なんでも、娘に小倉百人一首の在原業平の「ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」という歌の意味を聞かれて答えられなかったため、隠居のもとに教えを請いにきたという。実は隠居もこの歌の意味を知らなかったが、知らぬと答えるのは沽券にかかわると考え、即興で次のような解釈を披露する。

江戸時代、人気大関の「竜田川」が吉原へ遊びに行った。その際、「千早」という花魁に一目ぼれした。ところが、千早は力士が嫌いであったため、竜田川は、振られてしまう(「千早振る」)。振られた竜田川は、次に妹分の「神代」に言い寄るが、こちらも「姐さんが嫌なものは、わちきも嫌でありんす」と、言うことを聞かない(「神代も聞かず竜田川」)。

このことから成績不振となった竜田川は、力士を廃業し、実家に戻って家業の豆腐屋を継いだ。それから数年後、竜田川の店に一人の女乞食が訪れ、「おからを分けてくれ」と言う。

喜んであげようとした竜田川だったが、なんとその乞食は零落した千早太夫の成れの果てだった。激怒した竜田川は、おからを放り出し、千早を思い切り突き飛ばした。千早は、井戸のそばに倒れこみ、こうなったのも自分が悪いと井戸に飛び込み入水自殺を遂げた(「から紅(くれない)に水くぐる」)。

八五郎は「大関ともあろう者が、失恋したくらいで廃業しますか」、「いくらなんでも花魁が乞食にまで落ちぶれますか」などと、隠居の解説に首をひねり通しだが、隠居は何とか強引に八五郎を納得させた。

やれ安心と思ったところに、八五郎が、「『千早振る、神代も聞かず竜田川、からくれないに水くぐる』まではわかりましたが、最後の『とは』は何です」と突っ込んだ。

とっさの機転でご隠居はこう答えた。

「千早は源氏名で、彼女の本名が『とは(とわ)』だった」


小三生が、冬休みの宿題で、百人一首をいくつか覚えることになっていましてな、兄やバアバと、カルタ取りで遊んでおりました。でも、意味がわからんと言いますのでな、竜田川のお話をしてやりました。

ほんと?ほんとにほんと?と疑いながらも、みんなで面白がっていました。

念のために申し添えますが、wikiには、こういう解説も添えてあります。

すなわち「ちはやふる」(ちはやぶる)は「神」などにかかる枕詞として「神代も聞かず」を導き、上句は「神代にも聞いたことがない」と述べる。下句がその内容となる。竜田川は現奈良県生駒郡などを流れる川で、紅葉の名所として知られる。唐紅は大陸由来の鮮やかな紅であり、「水くくるとは」の「くくる」はくくり染めのことで、ところどころ生地が赤く染まった布と竜田川のところどころ赤く美しい紅葉の風景を重ねて詠んでいる。すなわち「山を彩る紅葉が竜田川の川面に映り、唐紅のくくり染めのようである。このようなことは神代にも無かっただろう」といった意味となる


自分のブログを検索してみましたら、この「千早振る」の歌の作者在原業平は、こんなに頻繁に登場していました。

◇霙降る枇杷の蕾にメジロかな

降り敷くは唐紅の錦かな(語彙貧困、安直無類、真情不在、拙劣至極)

◇たなばたといせものがたりと良寛と

◇はるやはる弥生つごもりエトセトラ

◇さくらの日

◇椿とは失礼しちゃうわ!山茶花よ!

◇朝顔とカキツバタと八つ橋と、の巻◇かきつばた見んとて訪ひたる後楽園

◇お名前は?しらん!

◇続けて「これなあに?」

特に最後の、◇続けて「これなあに?」には、伊勢物語から「マユミ」の記事が登場します。少々引用して再掲します。

 
マユミは、ニシキギ科ニシキギ属の中低木
 その枝は、弾力があって折れにくく、樹皮を剥いで、薪(まき)などを縛る縄の代わりにしたり、ざるの縁木などにも利用されました。また、木質が緻密でゆがみが少なく耐久性に優れるため、弓の材料として用いられました。漢字で「真弓」と書きます。




真弓にちなむ文章を一節。


「伊勢物語」の 二十四段です。


昔、男片田舎にすみけり。男宮づかへしにとて、別れ惜しみてゆきけるままに、三年(みとせ)来(こ)ざりければ、待ちわびたりけるに、いとねむごろにいひける人に今宵(こよひ)あはむとちぎりたりけるに、この男来たりけり。「この戸あけたまへ」とたたきけれど、あけで歌をなむよみて出(いだ)したりける。

 

  あらたまの年の三年を待ちわびてただ今宵こそ新枕(にひまくら)すれ

といひだしたりければ、

 

  梓弓(あずさゆみ)ま弓(まゆみ)槻弓(つきゆみ)年をへてわがせしがごとうるはしみせよ



といひて去(い)なむとしければ、女、

 

  梓弓引けど引かねど昔より心は君によりにしものを

 

といひけれど、男かへりにけり。女いとかなしくて、しりにたちておひゆけど、えおひつかで清水(しみず)のある所に伏しにけり。そこなりける岩におよびの血して書きつけける、

 

  あひ思はで離(か)れぬる人をとどめかねわが身は今ぞ消えはてぬめる

と書きて、そこにいたづらになりにけり。

 

 

【解釈】

 昔、ある男が、片田舎に住んでいた。その男が、出仕するといって女に別れを惜しみつつ都へ行ってしまったまま、三年間女の元へやって来なかった、女は待ちあぐねて辛い思いをしていたところへ、たいそう熱心に求婚してきていた別の男と、「今夜結婚しよう」と約束した。そこへ、都に出ていた男が帰ってきた。


「この戸を開けておくれ」と言って叩いたが、女は戸を開けないで、歌を詠んで差し出した。

 <三年間ずっとあなたを待ちに待って、待ちくたびれてしまい、ちょうど今夜、私は新しい人と結婚するのです。>

と詠んで男に差し出したところ、

 <いろいろと年月を重ねて、その間ずっと私があなたにしていたように、新しい夫を愛し慈しんでください。>

と男は言って、帰ろうとした。女は、

 <あなたが私の気を引こうと引くまいと、私の心は昔からあなたに寄り添っていましたのに。>

と言ったが、男は行ってしまった。女はたいそう悲しくて、男を追いかけたが追いつけず、湧き水が出ているところに、うつぶしてしまった。そこにあった岩に、指から出た血で書きつけた歌は、

 <私がこんなにあなたを愛しているのに、お互いに愛し合うことにならないで、離れていくあなたをどうしても引きとめることができず、私の体は、たった今、消え果ててしまうようです。>

と書いて、そこで死んでしまった。




以前、私は、これを、地方語で翻訳してみました。

 昔、男が、どいなかに住んどったんじゃて。その男ぁ、田舎ぐらしから抜け出したい思うたかして、「ちいとばぁ、都へ奉公に行ってくらあ」言うて、嫁さんと別れを惜しんで一人で出かけて行ったんじゃ。それっきり、三年帰って来なんだもんじゃから、嫁さんの方は、くる日もくる日も亭主の帰りを待ち侘びとったんじゃけど、そのうちに、親切に言い寄ってくる男ができたんじゃ。嫁さんは、一人暮らしは心細うはあるし、よさそうな男じゃぁあるしで、気持ちは引かれたんじゃろうが、「今に亭主が帰ってくるかもしれんから」言うて、断り続けておったんじゃ。じゃけど、とうとう「もう限界だわ!私、過去を振り切って、新しい生活に踏み出すことにするわ!」と決心して、結婚することにしたんじゃ。その今晩が結婚式じゃという約束の夜、亭主が帰って来たんじゃて。

 「わしじゃ。帰ったで。この戸を開けてくれぇ。」言うて、戸をたたいたけど、嫁さんは開けちゃらずに、歌を詠んで戸口から差し出したんじゃ。

   三年もアンタのことを待ち侘びて、つらぇ思いをして来たんで。そのアンタがいつまでも帰らんもんじゃから、しょうことなしに、ほんの今晩結婚することにしたんヨ。それを、なんでぇ。アンタ言うたら、今頃帰って来てからに、「開けてくれぇ」もねえもんじゃ。

こういうて言うたもんじゃから、亭主のほうは、

  梓弓ゆうたり真弓ゆうたり槻弓ゆうたりして色々な弓があるけど、その槻弓のツキ(月)に縁があるのが年という言葉じゃ。その年を、これまで何年も何年もの間、ワイがお前にしてやったように、これからは、お前も新しいムコさんを大事にいつくしんで暮らしてやってくれぇや。ほんなら、ワイはこれで帰らぁ。

と言うて、行ってしまおうとしたもんじゃから、嫁さんは、

   アンタがウチを大事にしてくれたかどうかは知らんけど、どっちにしても、ウチの心は、アンタに首ったけだったんよ。ちょっと待ってぇ。

と言うたんじゃけど、亭主は耳も貸さずにさっさと帰ってしもうたんじゃ。

嫁さんは、ぼっこう悲しゅうて後から追いかけて行ったんじゃけど、よう追いつかんで、清水の湧きょぅるとこに伏さってしもうたんじゃ。そこにあった岩に、指から血を出ぇて書き付けたんじゃと。

  ウチゃあこねえにアンタが好きなのに、両方が好き合うことにならずに、心が離れて行ってしもうたアンタを引き留めかねて、ウチのからだは、たった今消えて行ってしまいそうに思えてならんわぁ。

ゆうて書いて、その場所で死んでしもうたんじゃと。おわり。 


伊勢物語の「みやび」の世界が、ずいぶん泥臭くなってしまいました(笑)。 



強引なちからわざで、マユミまでたどり着きました。

これが昨日の雨に濡れたマユミです。



























おあとがよろしいようで。

枯れ山に深山頬白色を添ふ [折々散歩]


昨日は久々に、日中の「託児所業務」がお休みで、一人で過ごしました。

特別の当てもなくテレビのスイッチをONしてみますと、前日、保育園児求めに応じて幼児番組をみるためにNHK「Eテレ」にチャンネルを合わせたままでした。
そこでは、「地域発ドキュメンタリーの祭典『地方の時代』映像祭」というイベントの紹介番組が流れていました。
NHKのHPにこう紹介されています。
 36回の歴史を刻み、地方の問題を見つめ続けてきた「地方の時代」映像祭。
11月に大阪府吹田市の関西大学で行われた贈賞式・記念講演・シンポジウムの模様を紹介する
▽グランプリ作品発表
▽フリージャーナリスト江川紹子「メディアと市民」関係性変化への問題提起
▽福島・沖縄・熊本…そこで暮らす人々と“取材者”の関係に悩む日々…。地域を拠点に活動するジャーナリストたちがメディアのあり方について語り合う 司会:吉岡忍
見るともなく眺めていますと、中・高校生、大学生、ケーブルテレビ局、地方放送局などの部門ごとに、優秀作品の表彰の模様や簡単な作品紹介がありました。
概略はこちら
興味惹かれる作品が並ぶ中で、グランプリを獲得したのは?
地元岡山の放送局のこの作品でした。
「島の命を見つめて~豊島の看護師・うたさん~」山陽放送-50分
かつて産廃の島として全国の注目を浴びた香川県豊島(てしま)。
島民の半数以上が65歳以上という、近い将来日本全国に訪れる超高齢化社会の先駆けともいえるこの島で、住民の生と死に寄り添う看護師の目を通して、日本の近未来を問う作品のようです。
山陽放送(RSK)のHPにはこう紹介されています。
 超高齢化を迎えた豊島(香川県土庄町)。若い世代の多くは島を離れ、残ったのは70代・80代のお年寄りばかりだ。彼らはいま、静かに島の時間を過ごしている。
そんな彼らの命に寄り添うのは、島で唯一の診療所「豊島健康センター」だ。看護師の小澤詠子さんは、診療のかたわら毎日高齢者世帯を訪問し、健康状態を看て回っている。彼らの口から出る言葉は「はよ死にたい」「わしが先に逝きたかった」・・・彼らはいつも親兄弟や自らの死と向き合いながら生きているのだ。
死を覚悟した人たちを、医療で支える・・・そんなジレンマを感じながら、日々お年寄たちに寄り添う小澤さん。彼女は言う、「ここは生き合い、死に合う島」なのだと。医療を通した看護師とお年寄りとの「生と死」を追った。

続いて、江川紹子さん(フリージャーナリスト)の講演の模様も紹介され、メディア内部の、またメディアと視聴者の関係性の変化を、いつもながら鋭く、解き明かしておられました。とくに、視聴者に受ける(視聴率氏を稼げる)番組への傾斜が著しく、センセーショナルさを競い、、わかりやすさを追求するあまり、白か黒か、善か悪かのシンプル化が進んでいる。視聴者が自ら考え判断できるよう、情報を正しく提供する姿勢が大切。という趣旨の発言が、印象に残りました。
番組の最後は、それぞれ「取材」「報道」「ジャーナリズム」に携わってこられたパネリスト4人の、現場の思いや悩みを踏まえてたコメントに、いろいろと考えさせられました。

ちょうどそんなとき、cyoko1112 様が、昨日のブログ記事チョコ君です、沖縄の人たちを追い詰めるバッシングとに、こう書いておられました。
 沖縄タイムスで長年、米軍基地問題を取材してきた
阿部さんは基地建設と抗議運動について、
どう考えているのか。
「機動隊は法的根拠なしに実力行使をし、道路を封鎖し
ています。つまり、民主主義、さらには法治国家の破壊
が起きているとも言える。沖縄でしかこんなことはでき
ないでしょう。差別の延長とも言えます」

「あまりにも圧倒的多数が無関心だと、むなしさや脱力
感を覚えることもあります。本土では特に、想像しづら
いのかもしれません。

沖縄の人は洗脳されている、抗議しているのは
『プロ市民』だと言って、『知らなくて良い』と思って
いる人もいるでしょう」

「でも、決して無関係ではないんです。ナチス・ドイツ
時代にヒトラー政権に抵抗した牧師マルティン・ニーメ
ラーの詩にあるように」
(中略)
「いま沖縄で起きていることは、日本全体でいつか起き

るかもしれない。無関心の人には、

“関係ないことではない、他人事じゃないんだ”と、

語りかけているつもりで記事を書いています」

「そうして記事が届いて、伝われば、1人でも、2人で
も変えられると信じて、努力を続けるしかない。
そうでもないと、こういう仕事はできませんよね。
地元の新聞記者でいる、使命、みたいなものですよ」
(BuzzFeeD参照)
私は、思いつくまま、こんなコメントを寄せさせていただきました。
>沖縄でしかこんなことはできないでしょう。差別の延長とも言えます」
本当にその通りですね。昨日,NHKeテレで、「TVシンポジウム『地方の時代』映像祭2016~地域から問うメディアの課題~」という番組が放映されていたのを偶然見ていましたら、パネリストの一人として写真家の嬉野京子さん(1965年の米兵による少女轢殺現場の写真で有名)が出演されていて、「沖縄で起きていることは、本土では想像を超えていて、話しても、大げさととられる。事実を見てほしいと、シャッターを切った。犯罪者扱いで山狩りまでされて行方を追われた。身の危険を感じ、勧められて東京に帰った。私は安全な場所に逃げ帰ることができたが、沖縄の人は逃げ帰る場所はない」というような趣旨の発言をされていました。本土復帰前の1965年の事情ですが、現在も基本的に同じでは?と感じました。事実に目を向ける勇気、事実を伝える勇気が大切ですね。
恥ずかしながら、私はそれまで嬉野京子さんという方を存じ上げませんでした。いや、文章や放送などで、お名前はきっと目にしたことがあったに違いありません。少女轢殺現場の写真は、インパクトが強いので、はっきり目に刻みつけていました。でも、その撮影者のお名前も、プロフィールも、まるで記憶になかったのは、うかつなことでした。
早速NET検索をしてみましたら、こんな記事 (1965年沖縄 「少女轢殺」 報道写真家嬉野京子の証言)にぶつかりました。
『グリム童話』や『ソフィアの時代』『夜と霧』などの翻訳や、共著『世界がもし100人の村だっら』などで知られるドイツ文学翻訳家、口承文芸研究家の池田香代子さんの、2010年に書かれたブログ記事のようです。(「ようです」とは無責任ですが、それ以上の知識がありませんので)。
一部を引用して紹介させていただきます。
1965年に私が沖縄に行ったのは、沖縄で米軍がやっていることを知らせるためでした。 25歳の時です。米軍占領下の沖縄のことは、本土では全くわかりませんでした。米軍が統制していたからです。

沖縄が日本でないことをまず思い知らされたのは、飛行機の中でした。沖縄本島が眼下に見えはじめると、スチュワーデスが「カメラをしまって下さい」。撮影が禁止されました。一人でも写真を撮るものがいると、フライト自体が許されないのです。

4月中旬、私は祖国復帰行進団といっしょに、本島最北端の辺戸岬に向かって歩いていました。中部の嘉手納基地にさしかかった時、行進団の人に、「持っているだけで逮捕されるし、行進団にも弾圧がかかるから」と、カメラを預けるように言われました。

4月20日、宜野座村に入りました。小学校で休憩に入ったとたん、「子どもがひき殺された!」。なんと行進団の目の前で、小さな女の子が米軍のトラックにひき殺されたのです。手に通園用のバッグを持ったまま。死んだ女の子の側に突っ立っているだけのアメリカ兵。しかし驚いたのは、駆けつけた日本の警察でした。米兵を逮捕するでもなく、軍用車がスムーズに走れるように交通整理をはじめたのです。

これを目の前にして何もしないわけにはいきません。「撮らせてほしい」と懇願しました。「生きて帰れないよ」と言われましたが、引きさがれませんでした。「わかった、見つからないようにぼくの肩越しに撮ってくれ」、一人の男性が肩を貸してくれ、たった一度押したシャッターがこの写真です。

フィルムは行進団の手に渡り、数日後には地下ルートで東京に届き、「赤旗」に掲載されました。その新聞を見た時は怖かったですねえ、自分に何かおこりそうで。でもすごい衝撃でした、これが沖縄なんだと。

1967年、再度渡航しました。人民党(復帰前、瀬長亀次郎を党首とする沖縄で最も先進的な政党)の機関紙編集部に、協力をお願いしました。

アメリカは1953年に土地収用令を出し、沖縄全土で農民の土地を次々取りあげました。伊江島の人たちは戦後2年間、島を離れて本島や他の島に収容されていました。帰島した時、肥沃な農地はすべて米軍基地となっていました。やっと耕作を始めると今度は、朝鮮戦争に伴う新たな土地収用が進められ、米軍はブルドーザーで家を押しつぶし、作物を焼き払いました。島の63%が米軍基地になりました。

土地を奪われた農民たちは、阿波根昌鴻(あはごん しょうこう)さんを中心として、抵抗の砦「団結道場」を建てました。その起工式の準備を撮影に出かけたところ、嘉手納基地から来た米軍の憲兵が、私の目の前で島の人たちを逮捕していくのです。4人の憲兵が1人の農民に掴みかかり、まるで荷物のようにトラックに放り投げて。

夢中でシャッターを押していると、パッとカメラを取り上げられ、フィルムを抜かれました。3台カメラを持っていましたが、2台は取り上げられ、最後の1台をかばって私はしゃがみこみました。私の突然の行動に驚いた憲兵たちは、私を囲んで突っ立っていました。

その時、憲兵の足の間から、一人のおじいさんがひょこひょこ、こちらに向かって来るのが見えました。島の人たちが「何事か」と集まってきたのです。私は抱えていたカメラをそっとおじいさんに手渡しました。一瞬でした。おじいさんは、さっとカメラを隠して遠ざかってくれました。

農民の逮捕に抗議する集会が基地のゲート前であり、私も駆けつけました。カメラは、島の人が農具を入れる麻袋に入れて運んでくれました。しかし、集まった農民をかき分け、11人の憲兵隊が、まっすぐ私に向かってきました。基地に連行されました。

憲兵大佐の質問は、「あなたは伊江島の人ではないですね」。次に「あなたは沖縄の人ではないですね」。そして「あなたは嬉野京子さんですね」。

これはだめだ。生きて帰れない。もう怖くて、怖くて。どうしよう。生き延びるために必死で考えました。頭が痛くなるほど考え「尋問に答える義務はない」と言ったのです。そのとたん、憲兵大佐の態度がガラッと変わり、「沖縄にいる限り、生殺与奪の権利は我々が持ってるんだ」と、スチール製の机の引き出しをバーンを蹴とばし、私は釈放されました。
(中略)
たまたま届いた夕刊を見たところ、なんと私が指名手配された、という米軍発表がでかでかと。理由は、米兵に暴力を働いた、というのです。伊江島では山狩りが始まりました。
(中略)
とにかく沖縄から出なければ。弁護士を依頼し、各政党、団体を回り、「助けて」と訴えました。

何とか取ってもらった他人名義のチケットを持って、空港に向かった私の後ろには、各政党の三役クラス、全軍労や民主団体のそうそうたる面々がつきました。出国の係官はその人たちを見て、黙って私を通してくれました。もし私を逃がしたことがばれても、その人たちが守ってくれる、との信頼があったのです。

沖縄は本土に復帰しました。しかし米軍基地はそのままです。いえ、それ以上です。そして米軍基地を75%も抱えさせられた沖縄の人々は、一度も憲法9条の恩恵にあずかっていません。そして米軍の魔の手はじわじわと本土をも侵食しています。

みなさんは沖縄に行って、自分の目で、ぜひそれを確認してほしいのです。そして憲法を守るということは、本当はどういうことなのか、それを考えてほしいのです。 
思わず長い引用になりました。
瀬長亀次郎さんや阿波根 昌鴻さんのことは、以前こんな記事でも触れました。
◇大寒や沖縄に春いちはやく
◇たぐいなき一期一会や山法師
◇由美子ちゃん事件から思うこと、の巻
時代を経て、今なお変わらない事態の深刻さが、重くのしかかります。

昨日は深山公園を歩き、今日は雨のなか、自然環境体験公園を歩きました。

昨日ご紹介したアトリ以外にも、今シーズン初対面の鳥たちの姿を見ることができました。

深山公園(ミヤマコウエン)の深山頬白(ミヤマホオジロ)です。

毎度お粗末な駄洒落でした。



































薄暗くてシャッターススピードが稼げません。

深山公園のシロハラです。







自然環境体験公園のサザンカとシロハラ。

ピントが花の方に行き、肝心の鳥はピンぼけです。









今日の付録

いつも見る鳥ですが、自然環境体験公園のサザンカとヒヨドリ。



深山公園のサザンカとメジロ。





















今日はこれにて。


酉年の深山公園初アトリ、の巻 [折々散歩]

昨日は、小.中学生の孫は登校日。宿題の提出締め切りはもう少し猶予があるらしく、何とか辻褄は合わせるおつもりらしい。

正月からめでたいことに、お多福風邪を患っている保育園年長組の孫と、午前中は二人きり。折り紙や絵本やDVDでご機嫌を取りますが、こんな幼い年齢であっても、女の子の興味がどんなところにあるのか、深い謎です(笑)。

小中学生も昼には帰り、特製スパゲッティを食べさせました。中学生は午後は部活、小学生は友達と遊ぶ約束をしていて午後は留守。というわけで、姫との二人きり状態が続きます。DVDを見ながら、彼女もお昼寝。私もうとうとしている内に早や夕方でした。

妻も帰宅しましたので、少しだけ散歩ができました。

児島湖畔へ行ってみました。

これは、怒塚山(いかづかやま)でしょうか?





キンクロハジロの群れがいました。























オオバン





カンムリカイツブリ。













ジョウビタキ♀もいました。















夕方、眼科医へ行ってきました。

ウィルス性結膜炎の孫二人の守りをするうちに、自分の目も充血して赤いし、痛がゆいという自覚症状が続いていました。

この眼科医を訪ねるのはずいぶん久しぶりですが、十数年前、眼瞼下垂かと疑って受診したところ、神経内科への受診を勧められ、紹介状を書いていただいた総合病院で、MRI検査を受けたところ、脳動脈瘤が発見されたのでした。そんないきさつは、この記事に書きました。

◇私の「2007年問題」 病気自慢その1

一部再掲します。

 ご記憶の通り、当時「2007年問題」が騒がれました.もちろん団塊の世代の大量退職という社会問題を意味しますが、私には、もう一つの「2007年問題」がありました。
 その年の、1月1日に、飼い犬が19歳で天寿を全うしました。人間に換算すると90歳あまりと言われる長寿で、家族皆、覚悟はできていましたが、喪失の痛みはぬぐえませんでした。
 そして、夏には敬愛する先輩が退職まもなく癌で亡くなりました。新任の地での同僚(先輩)で、独身時代、飲み屋や互いの下宿その他で、夜昼ない交流を重ねたものでした。私の結婚式では、無理に司会をお願いした間柄でもありました。
 相前後して、幼なじみの同級生が病のため死亡しました。私のアルバムには、小学校入学式の日でしょうか、今ではとっくに廃校となったその小学校の校門の前で、彼とツーショットで写った写真が貼ってあります。
 何か、この世とあの世の境目が隣り合わせに感じられる気がする出来事が重なったその年の秋、私自身、前々から経過観察していた脳動脈瘤が、放置できない状態に肥大しているということで、手術に踏み切ることになりました。
 実はこの病気は、たまたま、必要があって3分間写真で顔写真を撮りましたら、どうも左目がふさがった状態で映るのが気になって、眼科に相談にいってみたことがきっかけで発見されました。花粉症のせいか、あるいは又、眼瞼下垂かという予想を立てておりましたが、医師は、眼科の領域外の病気も疑われると、脳神経科か神経内科への受診を勧めて下さり、紹介状も書いていただきました。それを持って総合病院の神経内科を受診すると、念のためにということでMRIの検査を受けました。その結果、動脈瘤が目の神経を圧迫しているらしいということになり、脳神経外科にかかることになりました。

感慨にふけりながらの受診でしたが、結論的には、結膜炎だがウィルス性とは違うようだとの診断で、目薬をもらいました。一安心でした。

今日は、パパ、ママともに仕事がお休みで、託児所業務は休業で、少し時間にゆとりがありました。

午前中、久しぶりに深山公園を歩きました。

ジョウビタキ♂です。













これはカイツブリでしょうか?ちょっと体格が大きいように思えたのですが、、、??













今シーズン初見のアトリです。

どこにいるかわかります?



画面の左右の端に二羽が写っています。

次は、上下に並んで餌をついばんでいます。







沢山写しましたので、新年特別大サービスで、アトリ七変化をご紹介します。



















































残りの鳥写真は次回。きょうはこれにて。

花も鳥もみな粧(めか)したる寒の入り [折々散歩]

今日は小寒。

寒の入りだそうです。

ぽかぽか陽気の今年の正月でしたが、さすがに今日の冷え込みは皮膚を刺します。

新春初の朝散歩に出かけてみました。

用水路のコガモが、朝の光の中で穏やかに憩っています。

















畑の麦の芽が萌え出ています。











常山。

何事もなかったように穏やかです。





電線のコサギ。




電線のムクドリ。









柿の枝に止まるヒヨドリ。









枯れ草に止まるヒヨドリ。









今日のジョウビタキ。

























以下、フォト蔵にupした今日のジョウビタキです。

小寒の日のジョウビタキ

小寒の日のジョウビタキ posted by (C)kazg
小寒の日のジョウビタキ

小寒の日のジョウビタキ posted by (C)kazg 小寒の日のジョウビタキ

小寒の日のジョウビタキ posted by (C)kazg 小寒の日のジョウビタキ

小寒の日のジョウビタキ posted by (C)kazg 小寒の日のジョウビタキ

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小寒の日のジョウビタキ posted by (C)kazg 小寒の日のジョウビタキ

小寒の日のジョウビタキ posted by (C)kazg 小寒の日のジョウビタキ

小寒の日のジョウビタキ posted by (C)kazg



寒の入りというのに、春を思わせる花が咲いています。

アブラナ科の花。









ノゲシ?









ニホンスイセン。













ロウバイが濃密な香りを漂わせて咲いています。



















ウィキペディアから引用します。

 ロウバイ(蝋梅、?梅、臘梅、唐梅〔カラウメ〕、Chimonanthus praecox)は、クスノキ目・ロウバイ科・ロウバイ属に属する広葉の落葉低木の一つである。早生種では12月頃に、晩生種でも2月にかけて半透明でにぶいツヤのある黄色く香り高い花がやや下を向いて咲く 。名前に梅がついているためバラ科サクラ属と誤解されやすいが、別属である。
唐の国から来たこともあり唐梅(カラウメ)とも呼ばれ、中国名も蝋梅であったことにちなむ。本草綱目によれば、半透明でにぶいツヤのある花びらがまるで蝋細工のようであり、且つ臘月(ろうげつ、旧暦12月)に咲くからこの名がついた]。日本においてはロウバイは晩冬(小寒〔1月6日頃〕から立春の前日〔2月3日頃〕までの間)の季語とされている]。
花やつぼみから抽出した蝋梅油(ろうばいゆ)を薬として使用する。

ウィルス性結膜炎の治癒証明がまだ得られずにいる年長組保育園児の姫は、何日か前から耳が痛いと訴えていましたが、昨日は発熱もあり、小児科を受診すると、「おたふく風邪」の診断を受けました。さすがに昨日はぐったりとして、借りてきた猫のようでしたが、今日は回復に向かっているのか、退屈で仕方がなく、小学生の兄と大はしゃぎです。静かすぎるのも心配ですが、元気すぎるのもちょっと、、、ネ。

小中学生は明日から新学期。我が家の託児所業務も少しは緩和される予定ですが、昼には帰宅だそうで、今しばらくは商売繁盛と見えます。

今日はこれにて。


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