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上を向いて歩いていたら、の巻 [折々散歩]

ちょっと前から書きかけていた記事ですが、なかなか完成しません。
タイミング遅れになりましたが、今日2本目の記事として、とりあえずアップすることにします。

一昨晩は、おでかけ帰りに空を見上げますと、見事な明月でした。
車に積んでいたolympusE3+zuiko70-300+テレコン1.4倍で写してみます。
露出をオートで撮影すると、、、明るすぎます。

心持ちマイナス補正(-0.3)をして撮影しても、まだ、白トビしてます。

-2.3の補正でこのレベルになります。

少しだけトリミングとレタッチを施してみます。

性懲りもなく「見上げてごらん」というフレーズを思い浮かべます。
こんな記事を書いたことがあります。(見上げてご覧)

御巣鷹山での日航機墜落事故の追悼番組などでは、生前の坂本九さんの若々しい映像とともに、歌声が流されることの多い曲でもありますから、なじみは深いものがあります。
(中略)
この曲が、いずみたくの作曲であることは、辛うじて記憶していたようにも思いますし、この舞台がいずみたくを取り上げた作品であることは、うすうす事前の情報により、インプットしてはいました。
(中略)
舞台は、オリジナル作品で描かれた働き学ぶ夜間高校生の青春群像を縦糸とし、「音楽への情熱と才能を、生活のためのコマーシャルソングづくりに浪費するのでなく、日本初の日本のミュージカルをつくろう」という永六輔(役名:永田)の呼びかけに促されて、和製ミュージカルの創造に精魂傾けるいずみたく(役名:泉川)の姿を横糸として、紡ぎ上げられます。

また、後に、こんな記事も書きました。
見上げてご覧、の巻(大阪の旅最終回)

 空を見上げていると、ついつい「見上げてご覧」というフレーズが浮かんできます。 
見上げてごらん 夜の星を
 小さな星の 小さな光りが
 ささやかな幸せを うたってる

 見上げてごらん 夜の星を
 ぼくらのように 名もない星が
 ささやかな幸せを 祈ってる 
以前この記事で書きましたので繰り返しません。
もう一つ思い出すフレーズはこれです。
Hannah, can you hear me?
Wherever you are, look up Hannah.
The clouds are lifting, the sun is breaking through.
We are coming out of the darkness into the light.
We are coming into a new world.
A kind new world where men will rise above their hate, their greed and their brutality.
Look up Hannah.
The soul of man has been given wings - and at last he is beginning to fly.
He is flying into the rainbow - into the light of hope, into the future,
the glorious future that belongs to you, to me, and to all of us.
Look up hunna. Look up.

 ハンナ、僕の声が聞こえるかい?いまどこにいようと、さあ上を向くのだ。空を見るのだ、ハンナ!
 雲が切れる!太陽が現れる!闇が去って、ぼくたちは光の中に出るのだ。新しい世界-貪欲と憎悪と残忍さを忘れたより良い世界がいま、来ようとしているのだ。
 空をごらん、ハンナ!もともと人間の魂は翼を与えられていたのだ。だがついに、いま初めて空を飛び始めたのだ。虹の中へ―希望の光の中へと、いま飛んでいるのだ。空をご覧、ハンナ!上を向いて!
(チャップリン「独裁者」最後の演説より) 
 

先日の憲法記念日に岡山市で開かれた今年の「憲法集会」の模様は、何回かご報告しました。そこで演じられた松元ヒロさんの舞台で、永六輔さんのエピソードが熱く語られたこともすでに書きました。その舞台でのフィナーレに流れたのが、この「見上げてごらん 夜の星を」の曲でした。
それとともに、舞台では、同じ坂本九が歌った「上を向いて歩こう」(永六輔作詞・中村八大作曲)も話題にされました。「スキヤキソング」として海外にもよく知られたこのヒット曲が、失恋の悲しみを歌ったものではなく、安保闘争の挫折をきっかけにつくられたものだったことは知る人ぞ知る事実でしょうが、松元さんはそのあたりの事情をつぶさに語ってくれました。
この歌詞は、早稲田大の先輩に当たる中村八大さんから、「歩く歌」というテーマで歌詞を書いてほしいととオーダーがあったときに、永さんは、実際に自分もデモに参加した60年安保闘争での挫折の体験を元に作詞したものだそうです。
放送作家としてテレビの仕事に携わっていた永さんは、安保反対の国会デモに出ていた永さんは、当時台本を担当していたテレビプロデューサーから、「番組をとるかデモをとるか?」と詰問され……「デモをとります」と、番組を降板したのだそうです。
それだけの意気込みで参加していたデモは蹴散らされ、安保闘争は「敗北」します。 デモの帰り道、泣きながら夜空を見上げた経験が、この歌詞を生んだのだそうです。これまた、知らざりしこと多きかな、でした。
永六輔さんは『上を向いて歌おう―昭和歌謡の自分史』という著書の仲で、聞き手の矢崎泰久さんとこんなやりとりを交わしています。

上を向いて歌おう  昭和歌謡の自分史

上を向いて歌おう 昭和歌謡の自分史

  • 作者: 永 六輔
  • 出版社/メーカー: 飛鳥新社
  • 発売日: 2006/11/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)







この会話に登場する樺美智子さんとは、6月15日のデモで警官隊と衝突した際に圧死した東京大学在学中の女子学生でした。ちなみに、以前この記事で少し触れたことがありいました。

 現代日本文学大系39巻は島木赤彦や木下利玄らと並んで土屋文明が取り上げられています。折り込み附録として添えられた「月報」に、諏訪高女校長時代のエピソードを、文芸評論家臼井吉見がこう書いています。
 諏訪高女の校長のとき、上級生の平林たい子が修学旅行をすっぽかして、堺枯川を訪ねて上京するという事件があった。当時として普通の校長なら、おびえうろたえて、退学を申し渡すところだろう。この日文明校長は、たい子を呼びつけて、「おやじが三味線弾いて、娘が踊るか、よし、帰れ!」と一言あびせただけですんだという。これほたい子自身から聞いた話である。(中略)
平林たい子の同級生伊藤千代子は、のちに非合法運動に関係して捕えられ、獄から松沢病院へ移されて、そこで死んだ。のちに歌人土屋文明は彼女の出身校の東京女子大を訪ねた折、次のような歌を作っている。
高き世をただめざす少女等ここに見れば 伊藤千代子がことぞかなしき
こころざしつつたふれし少女よ新しき光の中におきて思はむ
こうした思いは、文明の胸底にいよいよ烈々と伝わっている(後略)

(中略)

 前述『六月風』に所収の、「某日某学園にて」と題する一連の作品には、上記の2首のほかこんな歌が収められています。

 語らへば眼(まなこ)かがやく処女(おとめ)等に思ひいづ諏訪女学校にありし頃のこと
芝生あり林あり白き校舎あり清き世ねがふ少女(おとめ)あれこそ
まをとめのただ素直にて行きにしを囚(とら)へられ獄に死にき五年(いつとせ)がほどに
思想的には、伊藤千代子の抱いたマルクス主義・社会主義とは距離のある、自由主義・リベラリズムの立場でしたが、官憲の非道な弾圧と、ファシズムの暴虐にたいして、静かな鋭い告発を投げかけていて、心打たれます。
時代ははるかに下って、1960年の安保闘争の頃にこのような歌があります。
旗を立て愚かに道に伏すといふ若くあらば我も或は行かむ
安保改定反対の国民の声を無視して、条約締結を強行しようとする岸信介(アベさんのおじいちゃん)の渡米に抗議して、学生たち、労働者たちが、旗を立て「愚かに」道に伏している。いかにもそれは、成算のない愚かな行為かも知れぬが、自分が若かったなら、或いはともに行動しただろうと、共感を示しているのです。
一ついのち億のいのちに代るとも涙はながる我も親なれば
六十年安保闘争のさなか、女子学生樺美智子さんが機動隊と衝突して死亡した事件を悲しんで詠んだ歌でしょう。
わが「故旧」の一人アキコさんは、大学入学したての頃、樺美智子さんのこの詩を愛唱しており、私はそれによって樺美智子の名前を知りました。
 「最後に」

誰かが私を笑っている
向うでも こっちでも
私をあざ笑っている
でもかまわないさ
私は自分の道を行く
笑っている連中もやはり
各々の道を行くだろう
よく云うじゃないか
「最後に笑うものが
最もよく笑うものだ」と
でも私は
いつまでも笑わないだろう
いつまでも笑えないだろう
それでいいのだ
ただ許されるものなら
最後に
人知れずほほえみたいものだ
1956年 美智子作
念のために付け加えるならば、彼女の属した「ブント(共産主義者同盟)」の、冒険主義的・挑発主義的な行動は、権力に弾圧の口実を与えるもので、決して賛同することはできません。


永さんの訃報を知った日、書いたのはこの記事でした。
憲法を棄つると云ふか!蝉時雨

 参議院選挙の結果を受けて、どのマスメディアも「改憲勢力2/3超!」と口をそろえて報じています。でも、これっておかしくありません?インチキじゃん?
「改憲勢力」と言われるヒトたち、選挙中は憲法についての自党の姿勢をちゃんと国民に訴えて、信を問うたの?
選挙公報での公約はもとより、投票日当日の新聞広告(これ自体投票日の選挙運動を禁じる公選法に抵触するとの批判がありますが、それはひとまずさておいて)でも、また、うっとうしいほど執拗にyoutubeで流された広告でも、アベノミクス一本槍ではなかったですか。
マスコミもひどいでしょ。どの政党・政派が改憲をめざしているかいないかとか、憲法のどこをどう変えるつもりとか変えないつもりとか、今度の選挙が終わったら改憲へアクセルをふかすつもりとか、どうとかこうとか、選挙中は全くといっていいほど報道しなかったじゃありません?
(中略)
永六輔さんの訃報が伝えられました。今日の記事は書き終えたつもりでしたが、急いで付け加えます。永さんも、人一倍憲法を愛する人でしたから。こんな記事を引いて、追悼したいと思います。
特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 永六輔さん
(前略)
■ 永さんは、戦争放棄を定めた憲法9条を守る会に賛同する一方で、「99条を守る会」を個人的につくっている。まるで冗談みたいな名前だが、実際はとても論理的だ。99条は、憲法尊重擁護の義務を定めているのだ。
天皇又(また)は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
しかし、現実は、自民党議員をはじめとする政治家は、守るどころか、憲法、特に9条を変えようと必死だ。
「99条を守っているのは天皇陛下だけなの。他の連中は守っていません。守っていないだけじゃなくて、無駄遣いはするわ、ごまかすわ」と、不愉快そうに言った後、声のトーンを変えた。「僕は天皇陛下を尊敬しています。99条を守っているから。僕はまじめに、天皇陛下が大好き」。その表情は、無邪気でうれしそうだ。
憲法条文を見ると、政府などの権力を縛り、国民の権利を守ろうとする姿勢が一貫して流れている。
永さんは、「憲法は国民には何も厳しいことは言っていないの。国民は安心して生きていれば、何もしなくていいんです」と話した後、「政治がしっかりしていれば」と、付け加えた。
でも、政治家はしっかりしていませんよね?
「していません」と、きっぱり。
その政治家を選んだのは国民......。
「そうです」
ということはやっぱり、国民が悪いということになるんですか?
「そう考えると、おしまいになっちゃう」
おちゃめな言い方に、カメラマンと3人、一同大笑い。 「投票して誰かを選ぶんじゃなくて、投票して誰かを落とす選挙にすべきだと思う。選ばれて政治家になっちゃったヤツはしょうがないけど、『こいつだけは許せない』っていう人は落とされちゃう。そこまで徹底しないとダメだよ」
■ 永さんは、東京・浅草の浄土真宗のお寺に生まれ、さまざまな立場、境遇の人たちに触れて育った。
中学生の時に習い事の月謝代稼ぎにNHKラジオに投稿した台本やコントが次々に採用され、高校生でスタッフに。20歳前後はちょうどテレビが開局する草創期。試験放送の段階から携わって現在の日本のテレビ放送の礎を築いた。
しかし、「明治維新が終わっていない」元凶の一つは、テレビだと指摘する。国民が民主主義に目覚める前に、テレビの時代が来てしまったのが問題だという。
「テレビって、『なんでこんなことやっているんだ?』っていう番組が多い。僕はそのテレビを作ってきたのね。とっても恥ずかしい」。
(中略)
永さんは、そんなテレビが嫌になって、昔から親交の深い黒柳徹子さんと、筑紫哲也さん(昨年11月に死去)の番組に年に1回ずつ出る以外は、ほとんどテレビには出演していないという。
「明治維新が終わっていない」という閉塞(へいそく)感漂う日本の状況を変えるにはどうしたらいいのだろうか。
「しょっちゅう旅をしているから、僕は知らない街へ行きます。そういう時、振り返るんですよ、歩きながら。どういう道を歩いてきたかを確認すると、帰りに迷わないの。でも、振り返らないで歩くと、ちょっとしたカーブで迷っちゃう。日本という国は、立ち止まって振り返って......ということをしないまま来ちゃっているからね」。だから迷っているのだという。
「『上を向いて歩こう』じゃなくて、『振り向きながら歩こう』」と、永さんは、自身が作詞した坂本九の大ヒット曲に絡めて、提案した。そのためには、新聞も本も、仲間との会話も、歴史を学ぶことも必要になってくる。
(後略)

永さんが亡くなる数ヶ月前、松元さんに「憲法9条をよろしく」と託したエピソードは、先日も書きました。
折も折、リテラのこの記事 安倍の9条加憲は日本会議幹部の発案が指摘するように、憲法9条と、99条共々に危機に瀕する事態が進んでいます。

 安倍首相が3日に突如打ち出した“2020年新憲法施行宣言”が大きな物議を醸している。本サイトでも指摘してきたように、これは総理大臣の権限を大きく越えた発言で、明らかに憲法尊重擁護義務(99条)違反だ。ところが、国会で安倍首相はその発言が自民党総裁としてのものであると二枚舌を駆使し、「読売新聞を熟読してもらいたい」などと、うそぶいたのである。

アベさんが打ち出したこの「新方針」の狙いをリテラの記事はこう暴いています・

 しかし、安倍の従来の持論といえば、少なくとも9条2項「戦力の不保持」を削除したうえで自衛隊を明記することだった。それがなぜ突如、一見軟化したかに思える「1項、2項を据え置きで3項追加」に方針転換したのか。
 実は、昨年の参院選のすぐ後、日本会議の中枢メンバーが、ずばり「「三分の二」獲得後の改憲戦略」と題して、この「9条3項加憲」を打ち出していたのだ。
(中略)
“理論派”の伊藤(哲夫)氏が、「明日への選択」16年9月号で提案したものこそ“自衛隊条項の戦略的加憲”だった。伊藤氏はまず、“中国の脅威”を強調するなどして〈「反戦・平和」の抵抗運動〉を押さえ込み、〈護憲派への徹底した「反転攻勢」を始めるべき〉としたうえで、こう述べている。
〈ところで、もう一方で提案したいと考えるのが、改憲を更に具体化していくための思考の転換だ。一言でいえば、「改憲はまず加憲から」という考え方に他ならないが、ただこれは「三分の二」の重要な一角たる公明党の主張に単に適合させる、といった方向性だけにとどまらないことをまず指摘したい。むしろ護憲派にこちら側から揺さぶりをかけ、彼らに昨年のような大々的な「統一戦線」を容易には形成させないための積極戦略でもある、ということなのだ〉
(中略)
日本政策研究センターの「明日への選択」では、伊藤氏による“戦略的加憲論”を掲載した翌々月号で、同センター研究部長の小坂実氏が、こんな本音を暴露していた。
〈「戦力」の保持を禁じ、自衛隊の能力を不当に縛っている九条二項は、今や国家国民の生存を妨げる障害物と化したと言っても過言ではない。速やかに九条二項を削除するか、あるいは自衛隊を明記した第三項を加えて二項を空文化させるべきである〉(同誌11月号「今こそ自衛隊に憲法上の地位と能力を!」)

よくもまあ、ズバリと本音をかたるものですな。
上を向いて歩いていたら、電線にツバメ。





柿の木にカワラヒワ



イチジクの木に幼いスズメ。


おや?トビでしょうか?何かぶら下げています。



どうも獲物は魚のようです。

昨日の里帰りの途中、三徳園「小鳥の森」によってみました。M師の奥様がここでキビタキを撮影されたと聞きましたので、あやかりたいと思いまして。
確かに高い梢の上でしきりにさえずっています。でも、結局はっきり見ることも撮影することもできませんでした。上を向いて歩いていると、見慣れない花が。

トチノキの花だそうです。

トチノキは、トチメンボーの正体知って面食らう、の巻の記事で話題にしましたが、花は初めてです。
そしてこれはヤマボウシ。





今日はこれにて。

皐月なかばの雨の朝、の巻 [味覚、食材]

昨夜は雨音を聞きながら寝入り、
今朝は雨音を聞きながら目覚めました。
まどろみの間も、覚醒の過程にあっても、やさしい雨音が
気持ちを穏やかにしてくれました。
1/fゆらぎといいますか、アルファ波が副交感神経系を優にしてくれるものと見えます。
ナンテンの葉を雨粒が伝っています。
小さな南天の実も太りつつあります。

この雨は、予報通りでしたから、昨日は、晴れている間に済ませておきたいことをいくつか終わらせました。
一つは、田舎の父母の農作業の手伝い。のつもりで行ってきたのですが、草刈りも耕耘も当面不要ということで、畑に野菜苗を植える溝を切っただけ。後は日用品・食糧と農用品、野菜苗等の「買い出し」を手伝って帰りました。
母が、店頭にらっきょうを見つけて、「らっきょう酢」とともに、父母宅用と我が家用を購入してれました。前日に収穫したという早生の新タマネギを段ボール箱一杯と、あと葉物野菜を少々、もらって帰りました。
帰宅後、らっきょうはガラス瓶につけ込みました。らっきょう1kg、らっきょう酢1.8l、ガラス瓶2用でしたので、らっきょうをもう1kg近所のスーパーで買い足して、都合2kgを漬けましたので、一年分足りるかな?

酢漬けらっきょう、特別のごちそうというわけではありませんが、我が家では、副菜として結構消費します。思い返すと、2007年の脳血管手術のあと、食欲が全くなくて、食事をしようとすると吐き気がしたり戻したりが続いていたとき、両親が見舞いi時に差し入れてくれた自家漬けらっきょうと梅干しに命を救われタコとがありました。当時は、山腹の痩せ畑で栽培していたらっきょうを漬けていたのでしょうか。処理がなかなか面倒なので、最近は市販のものを使うようです。
猫の額の庭を占有する畑もどきのエリアに、現在、ジャガイモ、ブロッコリー、トウモロコシ、トマト、カボチャなどを植えています。この春、毎日の食卓を賑わせてくれた絹さやエンドうが終わりましたので、抜き払い、キューリやゴーヤなどつるものを植えています。昨日は、夕方雨が降り始める前に、買い置いていたピーマンや、キューリ、ゴーヤなどを追加で植え付けました。
そのあと雨が降り始めたので、良いタイミングだったと思います。
もう一昨日のことになりますが、小1の孫が下校して我が家に寄り道している頃、お隣さんが庭のサクランボを取りに来ないかと誘ってくださった草で、喜んでどっさり収穫して帰りました。



私もお裾分けをいただきましたが、甘くてみずみずしくて、大層美味でした。
我が家の鉢植えのサクランボは、今年は不作で、小さく酸っぱく、がっかりでした。春にはこんな花を咲かせたのですが、、、。
桜桃の咲き初めて孫卒園す
植えた翌年が「豊作」で、翌年からの収穫に期待したのですが、日当たりのせいか栄養のせいか、年々不作になっていきます(涙)

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