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またまた、半田山植物園の花、の巻 [折々散歩]


昨日の「これなあに?」の写真。「ハイタカ」と、M師が教えてくださいました・
そう言えばずっと以前、こんな教えをいただいたことがありました。
  日応寺で写された鷹は飛翔姿が似ているのはオオタカ、ハイタカ、ツミ、ですが大きさがカラスぐらいならオオタカで鳩ぐらいならハイタカかツミです。羽根の模様からツミではないですからオオタカかハイタカと云う所でしょうが、この区別はオオタカは丸尾、でハイタカは角尾とベテランの方から教わっております。ただ枝止まりの時はこの区別がハッキリしますが羽を広げて飛んでいる時は判りにくいです。大きさは鳩ぐらいでしたでしょうか?カラスぐらいでしたでしょうか?これも上空に1羽では判りにくいですね。カラスとバトルでもしていれば良くわかりますが。
2014年4月に書いた  お名前は?しらん!という記事に寄せてくださったメールです。その記事では、終わりの方にこんなことを書いていました。
 今日の散歩は、ついでがあって、岡山空港近くの「日応寺自然の森」をぶらり散歩してみました。特別の出会いには恵まれませんでしたが、空を見上げると、、、、。

 

 
 

 

  あなた、お名前は? 

昨日の記事の猛禽は、確かにハトぐらいの大きさでしたかね?
さて、結局本命の青い鳥には会えずじまいでしたが、初期の目的地「小鳥の森」は、楽しく訪ねることができました。
ところで、先日、分岐点を曲がり損ねて、急遽行き先を変えて訪ねた半田山植物園で、いろいろ花の写真を写してきましたので、ちょっとご紹介します。

吹く風は耳に冷たく、冬そのものという気配が漂う半田山植物園でしたが、

様々な木々の鮮やかな紅葉も、目を楽しませてくれます。























高いところを見あげると、、、。











皇帝ダリアは、今年も近所の散歩道でも、あちらこちらで見事に花を咲かせており、晴れた日のあでやかな花を、写してしておかねばと思っているうちに、先日来冷え込みのために、花が無惨に傷み、見るに忍びない姿になってしまっていました。今年は撮影を諦めたつもりでいたところ、ここではまだ健在な花を見ることができました。

もちろん、傷み萎れた花も少なくありませんが、、、。



秋から冬への推移が色濃くこんな花が咲きはじめていました。



こんな品種もあるそうです。








水仙の香りも好ましいものですが、香りといえば、どこからともなく覚えのある濃密な香りが漂ってきます。あたりを見回してみて、この花に気づきました。

















こんな品種も咲い始めていました











この品種は、まだ固いツボミです。



こちらは香りは感じませんが、さすがに桜。優美なたたずまいです。











ビオラもは花盛りです。



早春さながらの風情ですが、昨日今日の冷え込みにはさぞや面食らっていることでしょう。ラニーニャ現象が観測されているとかで、この冬は更に厳しい寒さに見舞われるらしい。しっかり耐えて春を待たねば、、。

きょうはここまで。


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半田山植物園の鳥と花、巻 [折々散歩]

きのうもまた、どうした弾みか、書きかけていた記事が完成間際に消失してしまいました。最近は、「ホームページビルダー」のブログ編集機能を利用して記事を書くことが多いのですが、なぜか頻繁にこんなことが起こります。バージョンが古いためかと、WINDOWS10対応のバージョンに更新してからも、同様のことが起こります。そんなリスクがあるなら使うのを諦めればいいのにと思いますが、写真を挿入しながら文章を編集するには、便利なのです。大サイズの写真を縮小して、それをUPしてから文章に貼り付ける、という手順が省略できるのがありがたくで、リスク承知で使い続けています。
さて、昨日の記事、正確に修復する気力はありませんので、概括のみを思い出して再掲します。
最近、M師から、最新の鳥情報を教えていただきました。
まずは、先日、私の居住地近くで観察されたという鳥情報は以下の通り。

* ハヤブサ
* チュウヒ
* ノスリ
* チョウゲンボウ
* コチョウゲンボウ
* ニュウナイスズメ
* ホシムクドリ
* カワラヒワ
* アトリ
* ミサゴ

一度もお目にかかったことのない猛禽類を初め、いろいろな鳥たちがいるものですね。私などにも、ばったり遭遇できないかと、期待がふくらみます。
また、M氏は、撮り立てのルリビタキ♀の写真を添付してくださっていました。「青い鳥」=♂も近くにいるはず、とのこと。場所は、以前も教えていただいたアソコ。



「アソコ」についてはこんな記事参照。
◇青い鳥幽かに見ゆるクリスマス
◇青い鳥尋ねあてたる年はじめ
昨日の散歩は、青い鳥との面会を期して、アソコへ行こうと決めました。準備万端整えて、弁当箱におにぎりも詰めて、出発しました。
ところが、どうしたことか、曲がるべき分岐点をうっかり通り過ぎ、いつもの通勤経路へと車を走らせてしまいました。気づいたものの、引き返すのも面倒なので、急遽目的地を変更し、半田山植物園に向かうことにしました。
◇11日の菊、の巻
↑この記事以来、およそ一月ぶりです。シルバーカードを提示して、無料で入園し、楽しく散歩を始めました。
木枯らしに耐えて、足らずに残っている紅葉の赤が、いまなお鮮やかです。

















高い梢を見あげながら歩いていますと、枝から枝へ、小鳥の影らしいものが動きます。目を凝らし、耳を澄ますと、シジュウカラやエナガの群れのようです。リュックから望遠系の機材を取り出し、鳥撮りに取りかかることにしました。(語呂合わせではありません)
用意してきたのは、pentaxK5Ⅱ+AFBORG(ED60)という、私的には、現時点での最強の組み合わせです。
早速狙いを付けてシャッタを切ります。
が・・・、何かヘンです。カメラの感触がおかしい・・・と思ってよく見ると、「メモリーカードが装着されていません」という渓谷が表示されたいます。データをパソコンに取り込むためにSDカードを外して、そのだったようです。トホホ。
意気消沈し、気合いがそがれたものの、このまま標準形レンズだけで撮影を続けるのはシャクなので、いったん駐車場まで引き返し、車の中においてあった予備のカメラから、SDカードだけ借りて、望遠撮影にチャレンジすることにしました。
再入園して、一度引き返した道をもう一度歩き始めて間もなく、ジョウビタキ♂クンがお出迎えしてくれました。



きわめてフレンドリーで、かなり接近しても逃げません。
また別の場所でも出会ったジョウビタキ♂。赤い実は、柿にも見えますが、カラスウリのようですね。



夏にはスイレンやオニバスが目を楽しませてくれた池では、アオサギが漁に余念がありません。



トリミングして、口元をアップにしてみます。

大きな獲物です。ざりがにでしょうか?
残念ながら、鳥の撮影に成功したのはこれくらいでした。
でも、植物園ですので、植物の撮影にいそしむことにしましょう。


ヤツデです。
森田惠子 様の先日のこの記事↓を思い出しました。
◇ヤツデの花 
 
いろいろな小菊もまだ咲いています。



yakko様がこちらの記事で牧野植物園の小菊を紹介してくださっていました。
「野菊の墓」(伊藤左千夫)の一節を思いだし、こんなコメントを書きました。

「民さんは野菊のような人だ」「僕(野菊が)大好きさ」 「野菊の墓」(伊藤左千夫)の1シーンが思われる清楚な小菊たちですね。

「野菊の墓」は中学生の頃読んだ記憶があります。清涼な読後感は残っていますが、細部は鮮明ではありません。上記の場面は、学生の頃、友人たちと雑話をしている機会に、確かハチロー君(現在愛知在住の友人)だったかが、「民さんは野菊のような人だね。僕は野菊が好きだよ」といったぐあいに要約して、周囲を喜ばせたことを思い出します。最近、原典で確かめてみたら、こんな風でした。

 「まア政夫さんは何をしていたの。私びッくりして……まア綺麗な野菊、政夫さん、私に半分おくれッたら、私ほんとうに野菊が好き」
「僕はもとから野菊がだい好き。民さんも野菊が好き……」
「私なんでも野菊の生れ返りよ。野菊の花を見ると身振いの出るほどこのもしいの。どうしてこんなかと、自分でも思う位」
「民さんはそんなに野菊が好き……道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」
 民子は分けてやった半分の野菊を顔に押しあてて嬉しがった。二人は歩きだす。
「政夫さん……私野菊の様だってどうしてですか」
「さアどうしてということはないけど、民さんは何がなし野菊の様な風だからさ」
「それで政夫さんは野菊が好きだって……」
「僕大好きさ」
(青空文庫より)

こんなキクもあるようです。





今日はここまで、続きは次回といたします。

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児島湖冬景色、の巻 [折々散歩]

今日も書きかけた記事の保存に失敗し、ゼロから書き直しです。
気力が失せましたので、メインの話題は回を改めることにして、「今日の付録」の写真でお茶を濁します。
冷え込みが厳しく、冷たい風の吹く一日でした。午前中の行動が、消失記事の内容でした。午後、短時間児島湖に立ち寄ってみたご報告です。
最近、堤防工事中で立ち入りが禁止されていることから、長くご無沙汰していました。工事の影響が及ばない範囲で少しだけ観察散歩してみました。
荒波の沖合に、カンムリカイツブリが見えます。

トリミングします。


カイツブリ。

トリミング画像です。

キンクロハジロの群れのようです。



キンクロハジロとスズガモがはっきり識別できません。
これはスズガモ?

竿の先にミサゴが止まっています。

飛び立ちました。



トリミング画像も載せておきます。





今日はこれにて。

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青空に思う、の巻 [折々散歩]

今シーズン最高の冷え込み、というフレーズを最近よく耳にします。今日もまさにそれ。今日は、県北部では各地で零下を記録し、降雪もあった由。わが居住地も、早朝の最低気温は-0.5℃、日中も10℃をなかなか超えない冷たさでした。
今朝は、資源ゴミの収集日だとかで、新聞、ダンボール、コピー紙などの紙束を、ゴミステーションまで何往復か運び、少し体が暖まったところで(笑)、肺炎球菌ワクチンの接種のためにかかりつけ医のところへ行きました。先日、呼吸器内科での健診で、接種をすすめられたもでした。ちょうど65歳で、5年に一回の摂取が推奨されているそうです。
インフルエンザの予防接種は、今年は品薄で、かかりつけ医のところもいま品切れだが、公衆末には入荷の予定だそうです。こうした感染症が猛威をふるう季節になりました。
診察、接種に、意外に時間を取られ、お昼前になっていましたので、当初予定していた深山公園散歩は諦めて、近くの自然公園体験公園を歩いてみました。昨日の記事と同じ題材になりますがあしからず。
早速、ジョウビタキ♂のお出迎えです。

トリミングします。



こちらは♀です。

トリミングします。



目が合いました。

カワラヒワ。


トリミング画像です。











池にはオオバン。



トリミングします。

アオサギも、なにやら思索中の、のどかな昼でした。

今日の機材は、PENTAXK5Ⅱ+AFデジボーグ60ED。今日のような明るい日には、文句なくくっきり写ります。
国会では、憲法審査会が動き始めたようです。くっきりした青空こそ、憲法に似合います。公明正大、国民の目に見え心に響く議論を展開してほしいもの。もちろんハナから憲法に悪意を抱いてるような人物が、ほしいままに憲法をもてあそぶことは、まったく不似合い、僭越至極、と思わざるを得ません。
「青空」は、こんな映画を思い出させます。先入観と色眼鏡を棄てて、謙虚に真摯に、憲法誕生の「真相」と、憲法に寄せる人々の願いに、改めて思いを馳せたいものです。

yahoo映画の解説を引用します。

 第二次世界大戦後、日本国憲法が作られるまでのいきさつを、これまで語られることの少なかった民間憲法学者などにフォーカスし、憲法誕生の真相を追う。監督は大澤豊、出演は高橋和也、藤谷美紀、田丸麻紀。中山沙也可は月刊アトラス編集部の契約社員。編集部ではこの夏の憲法特集について会議が開かれ、沙也可もアイデアを出すチャンスに恵まれるが、ふとしたきっかけで在野の憲法学者・鈴木安蔵について知る。沙也可は安蔵の取材を始めるが、彼の娘たちの証言や日記から、戦時下における憲法学者としての安蔵の苦労、崇高さに思いを馳せるのだった…。


 “リストの再来”と称されたピアニスト、レオ・シロタの娘として1923年ウィーンに生まれたベアテ・シロタ。作曲家山田耕筰が、父親のレオ・シロタを反ユダヤ主義の欧州から招き1928年に東京で演奏会、翌年彼は再来日し、1931年には、東京音楽学校(現・東京芸術大学)の教授に就任した。
5歳のベアテは両親と東京乃木坂に住み、1936年にはドイツ学校から、アメリカンスクールへ転校し、自身の家庭の自由な雰囲気とはかけ離れた、抑圧された日本の女性達の実態も見聞きする少女時代を過ごした。
そして15歳で米国のミルズカレッジへ進学、両親と離れて暮らし始めたが、1941年に日米開戦となり、両親との連絡・送金も途絶えた。
終戦1945年の12月、彼女はGHQ民間人要員を志願し来日し両親と会えた。翌年、日本国憲法の草案委員の一人に起用され人権小委員会に属し、日本女性の状況を知る彼女は、女性の地位向上に関して様々な条項を書いたが、その多くはGHQの委員会で削除された。然し、彼女が思いを込めた人権は第14条に残り、そして男女平等は第24条となった。
翌年7月ベアテは両親と、GHQでベアテと同時期、日本語通訳であったジョセフ・ゴードンが待つNYへ帰国、1948年1月結婚、ベアテ・シロタ・ゴードンは、翻訳の仕事をしていた。
1952年秋、ロックフェラー財団の援助で、日米の指導的立場の人物交流の第一陣として日本から市川房枝が渡米し、ベアテはその通訳を務めたが、日本国憲法との関わりは秘密だった。以後、彼女はジャパンソサエティ、アジアソサエティに属し、日本・アジアの芸術文化を米国に紹介し続けた。
1946年11月憲法公布、日本初の女性の選挙権行使では、39人の女性議員が生まれ、労働省発足、婦人少年局長に山川菊栄が初代局長に選ばれた。
1947年、家父長制度が廃止、さらに教育基本法が施行され男女共学が実現。1980年には、高橋展子デンマーク大使が、国連婦人の10年の女子差別撤廃条約に署名、85年に批准、そして赤松婦人局長の下で男女雇用均等法の成立となった。国籍法の改正、家庭科の男女共修と進み、また、民間企業における男女同一賃金に関する裁判の一審敗訴に、支援の呼びかけも広がり、国連の委員会からの日本政府への勧告の反映もあり、二審で和解、賃金のみならず昇進も獲得。女性の視座を論じ、大学では「女性学」も誕生。
1999年、男女共同参画基本法も成立、女性たちの職業・活動分野も多面化した。国際的には緒方貞子国連難民高等弁務官の存在も注目された。

1993年TV番組「日本国憲法を生んだ密室の九日間」放映がきっかけとなり、ベアテは日本で講演を毎年行ってきた。この映画の最後に「日本の女性は心と精神が強い、みんなで頑張って欲しい、明るい将来のために。私が草案した権利を生活に活かし世界の女性達のためにも働きかけてください」と彼女は期待を語っている。


今日はこれにて。

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一昨日の散歩、の巻 [折々散歩]

一昨日、深山公園を散歩したことまではご報告しました。
そのあと、、自然環境体験公園も歩いてみました。

カワラヒワの群れがいました。




遠くにカワセミもいました。


トリミングします。





シジュウカラ。







帰宅後家の近所を歩くと、いつものコガモが



今日はこれにて

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「Iさんを偲ぶ会」のあらましメモ、の巻 [折々散歩]


今朝は町内会の草取り掃除。そのあと、郵便局へ行ったついでに、その足で深山公園に寄ってみました。

いつもの赤松池。

カモたちが、見物客が与えるパンくずなどのエサを、競い合ってたべています。























この池では、ヒドリガモ、オナガガモの個体数が多いですが、コガモもいました。我が家近くの小川には、コガモしか見えませんが、、。



ジョウビタキ♂も見参です。











メジロ、オナガ、ヒヨドリ、キジバトなどを見ましたが、珍しい鳥には会えませんでした。今日は、本格的な大きなレンズのカメラを携えた方を大勢見かけましたが、何を求めておられたのでしょう?


なにやらこの記事↓の展開と似てきました。
見知らぬ鳥となじみの鳥と、の巻(その2)


ところで、↑この日、郵便局へ行った用件は、一週間先の12月1日(金)、「年金者組合」の地元支部主催で、長年この活動に中心的役割を果たしてこられ、10月逝去された故Iさんの追悼会の案内を投函することでした。

偲ぶ会は、予定通り一昨日の12月1日、10数人の出席で、しみじみと故人の人柄と歩みを偲びました。
かつて、「年金裁判」は何に貢献するか?の巻(2015-09-26)で、こう書きました。
 一昨年、ブログを始めたばかりの頃、こんな記事を書いたことがありました。
マクロスライド?なんのこと?---消えた傑作の巻?
また、今年の春のこの記事でも書きましたように、私、年金受給者となってから、「年金者組合」というお仲間とおつきあいしています。
若いころには、自分が「年金受給者」となる姿を、リアルにイメージすることなどできませんでしたが、漠然と、悠々自適の平安な暮らしを想い描いていたように思います。それを励みに、現役時代、多少しんどくても頑張ろう、と思えたものでした。
しかし、案に相違して、「老後」の見通しは暗い。しかも、若い世代になればなるほど、将来の暗しに不安が募ってくる。こんな未来は、思ってもみなかった事です。

この記事の外にも、「年金者組合」や「年金裁判」について、何度かご紹介したことがありました。そもそも、私が、年金者組合に参加するようになり、地元支部のお手伝いをさせて頂くようになったのは、ほかでもない、このIさんからお誘いいただいたからでした。

Iさんは、かつて数学教師として高校で教鞭をとられ、1960年代後半から70年代初頭、教職員組合の重要な役割を担われたと聞きます。ご退職後は、長く、私たちの退職同業者の会の代表を務めてくださり、その縁で面識を得ることになりました。たまたま居住地が近い縁もあって、自宅に訪ねて頂いたり、肺癌手術の後で行動が思うに任せない私を、お車に同乗させていただいたりした際の雑談など、あれこれの思い出がふとした機会に蘇ります。

私自身の備忘のために、偲ぶ会での出席者のお話をあらましメモしておきます。

Oさん「40数年前の教え子。当時は、若き貴公子のようであこがれの的。数学が苦手で、授業が終わって今日もわからなかったと思っていたら、先生が心なしか済まなさそうな顔をしておられたように見えた。年金者組合などでご一緒する機会はあっても、数学が苦手という負い目から、教え子であることは長く伏せていた。ある時、年金者組合の分会で花見を催した際に、『千の風になって』をみんなで歌った。初めて打ち明けたのはその日。」

Sさん「その花見の場所は、私が紹介した。先生は、『千の風になって』の曲をテープに録音して、参加者分用意してこられた。市民劇場におさそいしたら、忙しい中、時間を割いて、バイクで観劇にこられた。畑作業がお好きで、ご近所さんに頼まれて、畑で子供に数学を教えておられた。」

Sさん「娘が担任していただいた。進路を巡って、父親の強硬な反対で対立していたとき、先生に相談すると、家庭訪問して話してくださった。すると、たった5分で父親が折れた。」

Nさん「若い頃、労働争議の当事者だった。Iさんが高校教職員組合の書記長をしておられたころで、全面的に支援していただき、文章なども書いてくださった。おかげで争議は勝利できた。その後、地域で年金者組合や9条の会のとりくみをご一緒した。思い出は尽きない」

Tさん「職場差別撤廃のたたかいの支援を訴えて、いろいろの団体を訪ねた。そのときI先生は、初対面なのに親身になって受け止めてくださり、大きな励ましを得た。いろいろな労働組合を訪ねた中には、敷居が高くはいりづらいところもあったが、Iさんの人柄も影響してか、入りやすく、ほっとできる雰囲気で、いつでも気軽に訪ねたくなる組合だった。」
Kさん「退職者の会の仕事で、先生の跡を継いでいる。私が青年教師の頃、Iさんは組合書記長、理路整然として分かりやすい弁舌に感銘。あこがれた。退職者の会の仕事も、一〇分の一も継げないが、近づけるようがんばりたい」

Sさん、Nさん「退職者の会の支部で、責任者をつとめている。遠隔の地域だが、Iさんは、行事には必ず足を運んでくださった。理路整然、緻密な準備、心遣いの細やかさが印象に残る。高齢になって始められたパソコンのスキルの高さにも驚いた」


奥様によると、「年金者組合、高校退職者の会、畑仕事、そして写真、が好きで、これらには一所懸命でした。
体中、悪いところだらけで、入院手術も数えきれず、心臓カテーテルだけでも何度もやって、その手術痕で時代がわかると医師が言うほどでした。でも、退院した午後には畑に出ていました。畑仕事をしているといやなことは全部忘れられると言うのです。
退職者の会では、備北、備西、美作など、遠隔の支部の行事も細かくメモして、必ず出向くようにしていました。過ぎたことは全部忘れるが、先の予定は大事にする、といっていました。
パソコンも、七〇歳を過ぎて始め、独学で身につけました。いつもパソコン机に向かって、ものを書いたり、写真を印刷したりしていました。
最近体調を崩してからは、それもできなくなりました。

毎年五人ほどで写真展を開いていましたが、今年は出展できませんでした。」

まだまだ記録しておきたいお話がありますが、今日はこれまでといたします。

夜も晴れて月が見事でした。

FUJI FINEPIXS1で写しました。



デジタルズームでここまで大きく写ります(ノートリミング)




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ふと見かけたアトリ、の巻 [折々散歩]

昨日、小学生の子どもたちは、災害避難訓練で、避難場所となっている中学校まで歩いたそうです。5km超の距離がありますから、小1の女の子などはしきりに「疲れた」とアピールしていました。気持ちはよくわかります。
実は先週の土曜日、旧友との飲み会が会ったという話題を書きましたが、その日私は、飲酒に備えて公共交通機関を利用して会場まで移動したのでした。バスならば、最寄りの停留所までわずか5分ですが、出発時間に余裕がありましたので、時間つぶしと運動の一挙両得を狙おうと、JRの駅まで徒歩で行くことにしました。結構いい運動と感じましたが、その距離が2km。ところが、もうわずかで駅に着こうかという踏切のあたりで、列車が通過するのに出くわしました。駅について時刻表を見ると、ちょうど出発したばかりのその列車の次は、なんと1時間以上も後になります。ローカル線の悲哀です。
しばらくその無人駅のホームでベンチに腰掛けていましたが、それも能がないので、一念発起、もう一駅隣まで歩いてみようと思い立ちました。その距離およそ2km。合計4km余りのウォーキングに成功したのでした。飲み会でのビールが美味かったこと。

昨日、子どもたちは、その歩行距離をしのぐ距離を歩いたというのですから、驚きです。
さて今日は、久々の雨の予報です。朝起きてみると、降ったりやんだりの状態。本降りになる前に、畑の玉ねぎに追肥をやっておこうかと、まず畑仕事を済ませます。その足で、短時間のウォーキング兼バードウォッチングを楽しもうかと出かけた先は、近くの自然環境体験講演です。
駐車場に車を停めて歩き出すと間もなく、この鳥に出会いました。

トリミングします。



アトリです。
これは幸先がいいぞと、さらに何十メートルか歩いた頃、にわかに雨脚が強くなりました。今日持ち出した機材は、OLYMPUS E620+E-620+ズイコーデジタル 1.4x Teleconverter EC-14+ズイコーデジタル ED 18-180mm F3.5-6.3。軽快な散歩を期待して、雨の対策は念頭になく、雨具も持たずカメラの防水対策もしていません。というわけで、すごすごと引き返し、今日の散歩はこれにて終了です。
今日のオマケは、家の近くで出会ったジョウビタキ♀。




今日の郵便物の中に、一通の封筒がありました。差出人は、先日の飲み会でご一緒した Sさん。封建的・閉鎖的な息苦しさが濃厚な大学の某学部の助教として、民主的立場を堅持して奮闘しておられます。そのSさんが、飲み会の模様をスナップ写真に収め、またみんなの集合写真を写してくださっていたものを、早速DVDに焼いて送ってくださったのでした。
それぞれに、風格のある、にこやかな笑顔の、シニアたちがそこには写っています。お互いが知り合ったのは、十代から二十歳そこそこの学生時代でした。

この会を企画してくれたハチロークンの司会で、大学卒業以来今日までの半生を、「一人5分」で語ろうという提案に、こもごも語られる歴史は、それぞれ「山あり谷あり」がキーワードとなる、波乱に富んだ歩みでした。この日の出席者はいずれも「後輩」に当たりますが、ふかいリスペクトの思いなしに聞くことはできませんでした。

ところで、上述のハチロークンは、私のブログの常連出演者です。

たとえば、最近も、ミーハー雑感、の巻に、こんなことを書きました
ハチロークンには、以前この記事にご登場願いました。
夏の終わりの高知行、の巻(その5)
 
槙村浩について、私は、2014年12月24日のこの記事で、「槙村浩については、また、別の機会に触れたいと思っています。」と書きました。この約束の実行を何度か試みましたが、いつも挫けて、先延ばししてきました。
今日は少しだけ、書いてみたいと思います。 (中略)  NET検索してみますと、上で引用したweb記事で紹介されている 「草の家の学芸員、藤原(ふじ・はら)義一(よし・かず)さん」が、ご自身のブログのこの記事に、槙村浩関連のネット記事へのリンク集を作っておいでです。勝手に紹介させていただきます。
さっき触れた昨年12月24日のこの記事にも書いたとおり、高知のN先輩からのお便りにより、高知市にある「草の家」が、昨年秋に「槙村浩生誕100周年特集『ダッタン海峡10号』」を発行されたことを知り、お願いして先だって手に入れました。 (中略)  手元に届いた冊子「槙村浩生誕100周年特集『ダッタン海峡10号』」では、上の藤原義一さんも、それからわが先輩Nさんも、また、別の先輩Mさんも、それぞれ別の角度から槙村浩に光を当てる文章を寄せておられます。
冊子が配達されて、ぱらぱらと斜め読みをしているちょうどその日の夜、愛知に住む古い友人のI君から電話をいただきました。
I君は、学生時代、同じ学科、同じ専攻の一年下で、なんと、当時私の間借りしていた下宿の、隣室に入居してきて、当時ご存命だったお父様と一緒に「引っ越し挨拶」に私の部屋を覗かれたのが最初の出会いでした。
部屋には個室のバス・トイレはもとより、共同の風呂もなく、トイレは母屋のものを共同使用、洗濯機も共同使用、台所も、冷蔵庫も、エアコンも、テレビも、電 話もない、「シンプル」そのものの、昔ながらの下宿生活でしたが、それ故、ある種の共同生活に似た親密な交際が始まりました。
これを綴れば、世にあるいろいろな「青春記」の上を行く、愉快でペーソスを帯びたスリリングなドラマが生まれるはずですが、それはまたの機会に譲ります。  同一下宿での共同生活は一年ほどで終わり、それぞれに別の下宿先やアパートに引っ越しましたが、大学・私生活を問わず、濃密な交友が卒業まで続きました。
卒業後は、住む場所も仕事も隔たって、彼は、学術書を中心とする出版業の中心的役割を得て奮闘を重ね、今は退職生活に入っています。何年かに一度、同窓会のような場で出会うレベルの頻度でのおつきあいですが、一瞬で当時に戻ります。
最近では、去年の11月、この記事で書いた出会いを楽しんだばかりです。
その彼からの、突然の電話の要件は、たまたま、 槙村浩と『ダッタン海峡10号』についてでした。
そして、きっといつか、高知市平和町の墓所にお参りをしたいねと約したことでした。 今日はここまでとし、またの機会に続きを書きたいと思います。
この記事で、愛知のI君と書いたのが、今の旅の弥次喜多散歩の相棒、ハチロークンのことです。同じホテルに宿泊しましたので、午前中、待ち合わせて宿願を果たそうと思い立ったのです。

他の面々についても、詳しくご紹介したい思いは募りますが、ひとまず今日はここまで。

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小春日の出会い、の巻 [折々散歩]

一週間前にこんな記事を書きました
まぐれ当たりと空振りと、まったくもって大当たり、の巻 

 ピンチヒッターとしての出番は、来週からでしたとさ、チャン、チャン。

ちょうど一週間が経ち、今日こそリベンジ戦でした。
寒さが少し緩み、出勤前に気持ちよい朝散歩ができました。
先週の記事とほとんど同じ画像が出てきます。
ただ、撮影機材は違うのです。
今日は、OLYMPUS E-620+ズイコーデジタル 1.4x Teleconverter EC-14+シグマ 55-200mm F4-5.6 DC というお蔵で眠っていた組み合わせです。軽量コンパクトで、しかも望遠撮影のニーズに応えられないかと、昔の機材を引っ張り出してきてみたのです。
霧の朝です。常山が霧に煙っています。
刈り入れの終わった田圃は、冬の様相を見せています。



いつものように、コガモの群れが小川に寛いでいます。









カモカモエブリバディ、などと寒いシャレを口走ったりしています。
鴨たちの住む小川に、今朝もいました。カワセミです。

トリミングしないと、はっきりわかりません。



高望みはできませんが、やはり解像がいまいちですね。腕は棚に上げて、、、、(汗)
いつものジョウビタキも健在。(同じ個体かどうかはわかりません)まずは♂。





表情を見たいので、トリミングします。


 
そして♂も近くにいました。
早めに昼食をたべ職場へ行きましたら、今日は間違いなく勤務日でした。
夕方、国会中継を聴きながら帰宅しましたら、長女が一歳児を連れて来ていました。小学生も保育園児も次々に帰ってきて合流し、大いに遊びました。父ちゃんが遅いというので、夕食も一緒にし、ジイジが風呂にも入れて、機嫌良く帰りました。
ほどほどに疲れて眠いので、今日はこれにて。

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朝のうち濃霧、のち氷雨の中の三重塔、の巻 [折々散歩]


昨日は「いい夫婦の日」、今日は「いい兄さんの日」ではなくて勤労感謝の日です。勤労感謝の日と言えば、以前何か書いた記憶がありましたので探ってみると、2013年にこんな記事がありました。

勤労感謝の日の不思議

 昔から、「勤労感謝の日」って、不思議な祝日でした。子供の頃は、誰に教えられたか、「勤労する人に感謝する日」と理解していましたが、それならなぜ、働かない子供の学校がやすみになるのか? 謎でした。
いつの頃からか、「勤労できることに感謝する日」という説明をきいて、誰に対して感謝すればいいのか?疑問でした。お上に?神に?それとも雇用者に?祝日法第2条の規定では、「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」という趣旨が述べてありますが、ますますわかったようなわからないような気持ちにさせられます。
で、もう少し探ってみると、古い宮中行事である「新嘗祭(にいなめさい)」 が起こりだそう。「新嘗祭」は、祭祀を司る最高責任者たる天皇が、その年収穫された穀物を神に供え、自らも初めて食すという宗教儀式です。

天皇即位後最初の「新嘗祭」は、大嘗祭(おおにえのまつり・だいじょうさい)とも、大嘗会(だいじょうえ)とも呼ばれます。

『更級日記』に「そのかへる年の十月二十五日、大嘗会(だいじやうゑ)の御禊(ごけい)とののしるに」という文章が出てきます。

[訳] そのあくる年の十月二十五日、大嘗会の御禊が催されると大騒ぎするときに

新天皇が、大嘗会に先だって加茂川に赴いて禊(みそぎ)をするという、世間が大騒ぎする一大イベントだったのでしょう。キャロライン・ケネディ女史の馬車行列以上でしょうか?そんな騒ぎにもかかわらず、信心を最優先したい作者は、初瀨(長谷寺)に詣でるために都を出発するのでした。

その新嘗祭が新暦で言うと、おおよそ今日に相当しますが、戦後GHQの意向で、天皇行事と切り離し、「勤労感謝の日」という不思議な 祝日が制定されたのだとか。
(中略)

今夜は、三歳になる孫娘の誕生日パーティーで、お呼ばれ。

指で、三歳をアピールしています。

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久しぶりに賑やかな夕食になりました


この時三歳だった孫が、今年は七歳。光陰矢のごとしです。



さて今日の記事は、昨日に続いて三重塔の話題です。

この間続けてご紹介してきた総社市の井山宝福寺。総社市のHPにはこうあります。

 宝福寺は臨済宗東福寺派の寺院で、本山京都東福寺と結びつきが強く、地方の中でも有力な禅宗寺院です。古くは天台宗の寺院でしたが鎌倉時代中頃に県内ではいち早く臨済宗に改宗しました。盛時には塔頭・学院五十五、山外の末寺三百余を数えたと伝えられています。また、画聖雪舟が修行した寺として有名です。
 建造物では三重塔が最も古く解体修理の際、永和二年(1376)の墨書銘が発見されています。この塔は岡山県下二番目の古塔としても貴重です。
 その他の建物は戦国時代の戦火で消失したと考えられますが、歴代の住職の努力で復興され、禅宗様式の広がりをもつ重厚な構造となっています。
 宝福寺は七堂伽藍を整えた、岡山県に残る近世禅宗寺院の代表的な建物といえるでしょう。静かな境内では、春は新緑、秋には紅葉と訪れる人を楽しませてくれます。

この三重塔は「岡山県下二番目の古塔」とありますが、それでは「県下最古の塔は?」と言いますと、わが郷里の長福寺三重塔だそうです。

「岡山晴れネット」の記事から引用します。

長福寺三重塔


概要 明徳年間(1350年頃)に真言宗の寺院になった長福寺は奈良時代(757年)、唐の高僧鑑真和尚が開基したと伝えられ、当初は真木山(まきさん)の山頂にありました。しかし度重なる火災により、昭和3年に寺院が、昭和26年に三重塔が現在の場所に移りました。
高さ約22m、鎌倉時代の建築様式を伝える三重塔は、鎌倉時代中期の弘安8年(1285年)に天台宗の円源上人によって建立されました。
特徴 岡山県下で最古の木造塔建築とされ、国指定重要文化財、「おかやま県歴史の旅百選」にも選定されています。平成27年6月には、杮(こけら)葺きの屋根が葺き替えられ、真木山の四季折々の風景を楽しませてくれます。
寺院には木造十一面観音立像、絹本著色十二天像図、絹本著色両界曼荼羅図、絹本著色動明王像図など16点の国指定重要文化財が所蔵されています。
所在地 岡山県美作市真神414



「二番目」の宝福寺三重塔は、大勢の参詣者で立錐の余地がないほど、駐車場も満杯でした。一方、「県内最古」の長福寺三重塔は、私一人だけの貸し切り状態。じっくりと鑑賞・撮影できました。

濃霧注意報の出されていた午前中。周囲の山々も、朝霧に煙っています。







以下フォト蔵に掲載した写真の一部をご紹介します。

朝霧の中の美作長福寺

朝霧の中の美作長福寺 posted by (C)kazg 朝霧の中の美作長福寺三重塔

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朝霧の中の美作長福寺 posted by (C)kazg 朝霧の中の美作長福寺三重塔

朝霧の中の美作長福寺三重塔 posted by (C)kazg 氷雨降る美作長福寺



昼前頃から降り始めた雨は、氷雨と呼ぶにふさわしく、底冷えのする寒さです。この日の朝の気温、岡山市3.2℃、県北部はもっと低かったようです。

桜の枝に雨の雫、正面にぼんやり三重塔が写っています。



紅葉にも氷雨の雫。



午前中とは表情が異なって見えます。



以下、フォト蔵に載せた画像です。

氷雨降る美作長福寺 posted by (C)kazg 氷雨降る美作長福寺三重塔

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今日はこれにて。


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井山宝福寺の紅葉、の巻(3) [折々散歩]

井山宝福寺の紅葉の記事を続けています。
気合いを入れて三重塔と紅葉を撮影を撮影したいと思って、pentaxK5Ⅱ+smc PENTAX-DA 35mmF2.4ALを携行しましたが、一緒にOLYMPUS E620+ZUIKO DIGITAL 25mm F2.8をバッグに入れていました。


コンパクトな組み合わせですので
、かさばらなくて良いのですが、35mmフィルムカメラ換算で50mm相当のレンズになりますから、結局pentaxK5Ⅱ+ 35mmの組み合わせとほぼ同じ画角になります。




ということは、狭い場所で三重塔の全体像を写すには、ちょっと無理があります。

仏殿です。思い切り離れて写さないと、全体が収まりません。そうすると、杉の木の隙間から垣間見ることになります。







やはりいささか隔靴掻痒の感がして、もう少し広角撮影を試みたいので、いったん駐車場に戻り、車においていた別のカメラに取り替えてみることにしました。
コンパクトさでは引けを取らないPENTAXQ7+8.5mm F1.9 「01 STANDARD PRIME」は、ポケットに忍ばせても気になりません。このレンズは、やや広角系で、39mm相当だと言います。





三重塔の前にある塔頭「般若院」は、精進料理で有名。
そう言えば昔、若い頃、職場の懇親会に利用したことがあったような記憶がうっすらとあります。
湯豆腐は予約なしで食べられるらしい。


建物の陰に塔がのぞいています。





もう一つ、広角撮影用に準備してきていたのは、OLYMPUS E-PM1

+Panasonic LUMIX G 14mm/F2.5 ASPH。このレンズは28mm相当。これまた軽量コンパクトな、ポケットサイズの組み合わせです。
 



Panasonic 単焦点 広角レンズ マイクロフォーサーズ用 ルミックス G 14mm/F2.5 ASPH. ブラック H-H014A-K

Panasonic 単焦点 広角レンズ マイクロフォーサーズ用 ルミックス G 14mm/F2.5 ASPH. ブラック H-H014A-K

  • 出版社/メーカー: パナソニック
  • メディア: エレクトロニクス






















さてところで、今日は、濃霧の中、郷里に帰り、降り出した雨の中、我が家に戻ってきました。その行きがけと帰りがけ、二度長福寺三重塔に立ち寄り、霧の中の三重塔と雨の中の三重塔を撮影してきました。宝福寺での教訓に学んで、今日は初めからズームレンズを用意しました。その画像破壊を改めてご紹介し増すので、乞うご期待。
今日はこれにて。

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まぐれ当たりと空振りと、まったくもって大当たり、の巻 [折々散歩]

今シーズン最高の冷え込み、というニュースが連日続きます。
12月下旬から新年並みの寒さだと言います。今朝はそれでも、風のない穏やかな天気でしたので、近所の散歩道を歩いてみました。耳が痛く、手が凍えそうですが、背中に汗をかきます。
常山もそろそろ冬景色です。

麦飯山。

ROCOH CX2の広角側を使っているうちに、まったく操作が効かなくなり、レンズが飛び出たまま動かなくなりました。
家に帰って、電池を入れ替えたら、案の定、復旧しました。(まずは良かった。)
もう一台、望遠狙いで、OLYMPUS PEN Lite E-PL5+パナソニック LUMIX G VARIO 45-200mm/F4.0-5.6/MEGA O.I.Sをもって歩きました。35mmフィルムカメラ換算で最大400mmカバーできる割にはコンパクトな組み合わせなのですが、なぜか出番が少ないです。
45mm側でも、こんな望遠効果が出ます。逆に言うとこれ以上の広角撮影はできませんから、たいていの場合、別途広角用機材を持ち歩く必要が出てきます。

電線に、ムクドリ。ノートリミングでこの程度まで写せます。



スズメ。

道端のジョウビタキ♀。



これはトリミング画像。

すぐ近くの小川(農業用水路)に今年もコガモが寛いでいます。





別の用水路にも、、。







ひなたぼっこです。



カワセミにも会いました。
そうとわかっていたら、もう少し望遠が効く機材を持ってくれば良かった、といつものことながら悔やみます。そんなことが重なって、この組み合わせの出番が減ったともいえます。
もう少し大きく写したいところです。。


期待以上のまぐれ当たりでした。
オマケは我が家のナンテンの葉。すっかり色づきました。

今日は、ピンチヒッターの依頼を受けて、午後出勤。準備万端整えて、教室へ行くと、、、おや?私の担当のはずの教室で、すでに授業が始まっています。不思議です。
ばたばた慌てて確かめてみると、なんと、ピンチヒッターとしての出番は、来週からでしたとさ、チャン、チャン。
大きな空振りというか、打席にも立てない大チョンボでした(汗)
おかげで、国会中継を聞けました。
午後の衆院本会議の質疑、帰りの車で、井上義久(公明党)氏の質問をラジオで聞き、自宅で続きの岡田克也(無所属の会)氏、志位和夫(日本共産党)氏の質問をテレビで見ました。

視聴はこちら

 大島理森(衆議院議長)  14時 02分  01分
 井上義久(公明党)  14時 03分  47分
 岡田克也(無所属の会)  14時 50分  22分
 赤松広隆(衆議院副議長)  15時 12分  01分
 志位和夫(日本共産党)  15時 13分  27分
 馬場伸幸(日本維新の会)  15時 40分  22分
 大島理森(衆議院議長)  16時 02分  03分
 岩屋毅(自由民主党)  16時 05分  22分
 谷公一(自由民主党)  16時 27分  19分

それにしても、不愉快千万なのは、質問を受けているときのアベソーリと、その隣のアソー副ソーリの態度の悪さ。日馬富士じゃないですが「人が話してるのに、そのタイドはなんだよ!」と叱りつけたくなります。いえ、もちろんビール瓶で殴ったりするつもりはありませんがね。
一般に、にこにこ笑顔は、人間関係を親密に円滑にしてくれ、相互の親愛と友好をはぐくんでくれるはず、、ですが、これが、ニヤリ、ニタリ、ニヤニヤ、ニタニタ、だと、悪意がみなぎります。しかも稀代の悪相ですから、サイテーと言うしかありません。
今朝の「しんぶん赤旗」の一面に、米海兵隊員の飲酒運転死亡事故で、翁長沖縄県知事が米軍に抗議、という記事がありした。その下に早稲田大が教授の池田清彦さんのインタビュー記事が掲載されており、池田教授はこう語っています。
「安倍政権になってからむちゃくちゃですよね。数の力で暴走しています。(中略)自民党は国会での議席は多いけど、国民からの人気はありません。(中略)安倍首相は「憲法は時代にそぐわない」と発言していますが、安倍首相が一番今の時代にあっていないのではないですか。(後略)」
この指摘、まったくもって大当たりです。
今日はここまで。

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井山宝福寺の紅葉、の巻(2) [折々散歩]

昨日の記事の続きです。

テレビで、モミジ(紅葉、黄葉)の色づきのメカニズムを話題にしていて、面白く見ました。
ネット上でも、わかりやすく解説してあるサイトがいくつかあり、勉強になりました。一例に、松江気象台のhpにこんな記事がありましたので引用させていただきます。
 気象台では、カエデとイチョウを生物季節観測の対象としており、イチョウは発芽日、黄葉日及び落葉日、カエデは紅葉日と落葉日を観測しています。これらの平年値を表1に示します。島根県では、イチョウは4月中旬頃に発芽します。そして、11月中旬頃に黄葉し、10日くらい経つと落葉日を迎えます。カエデは11月中旬から下旬に紅葉し、12月初旬から中旬頃に落葉日を迎えます。これらは平年値ですので、年によってこれらより早まったり遅くなったりすることがあります)。
(中略)

カエデやイチョウはいったい何種類くらいあるの?

 まず、イチョウは裸子植物門イチョウ属に属しています。この属のイチョウ類は中生代には繁栄していましたが、過去の大きな気候変動によって多くの種が絶滅し、現在では現存種のイチョウ(写真1)しか残っていません。一方、カエデの種は多く、その数は世界中に100種以上が存在しています。この内、日本の広い範囲で見られる一般的な種としては、イロハカエデ(写真2)、オオモミジ、ヤマモミジ(写真3)などが挙げられます。松江地方気象台では、イロハカエデを生物季節観測の対象としています。

(中略)

黄葉の仕組み

 イチョウなどの黄葉は、葉に含まれているカロチノイドという色素によって起こります(図1)。

 元々葉には、クロロフィルという緑色の色素とカロチノイドという黄色の色素が含まれています。秋の初めまでは、カロチノイドがクロロフィルの強い緑色に隠れてしまっているため、葉は緑色なのですが、秋が深まり、気温が低くなると、クロロフィルの分解が始まってカロチノイドの方が目立ってくるため、次第に黄色に変化していきます。

図1 黄葉の仕組み

紅葉の仕組み

 カエデなどの紅く色づく葉には、黄葉とは違った変色の仕組みが働いています。イチョウと同じように、カロチノイドも含まれているのですが、紅葉はアントシアニンという色素によってもたらされます(図2)。

 気温が低くなると、葉の根元と枝の間に「離層」と呼ばれるコルク状の物質ができます。そのため、光合成で葉の中に作られていた糖分が、枝の方に運ばれずに、葉の中に留まってしまいます。すると、葉の中の糖の濃度が上昇します。そこに日光が当たることによって、糖とタンパク質が化学反応を起こし、アントシアニンという赤色の色素がつくられます。このアントシアニンがたくさんできることによって、鮮やかな紅に変色していくのです。

図2 紅葉の仕組み

先日散歩した後楽園の銀杏です。



























クロロフィルの分解が進んで、カロチノイドが優になった、ということですね。

ところで、RICOHのこのサイトにもこんな記事がありました。

紅葉と黄葉の違い(ちょっと横道、専門的うんちく)
色が違うから明確だが科学的に言うと
葉が赤くなるのは葉の中の緑色のクロロフィルが分解して赤いアントシアンが生成されることでおこる。黄色の方は緑のクロロフィルが分解して黄色のカロチノイドが残るから黄色くなる。
話を元に戻して
「紅葉(モミジ)」と言うのは広い意味の紅葉(コウヨウ)の中でひときわ紅色の目立つ(黄葉ではなく)狭い意味の紅葉の仲間で、カエデの仲間を総称して言います。これは広い意味での紅葉(モミジ)です。
更に狭い意味でのいわゆる「モミジ」はカエデの中の特定なやつをさします。カエデの中でも葉の切れこみの深い赤ちゃんの手のようなイロハモミジの仲間は葉が大変美しく好まれ、鑑賞されたところから人の手を広げた形の葉を代表して「モミジ」と呼ばれるようになったそうです。

私は、永らくPENTAX社のカメラをメインカメラとして使用してきましたが、今やPENTAXブランドがRICOH社に吸収合併されるに及び、リコー社のカメラを最も愛用=多用していることになります。

昨日の、井山宝福寺の紅葉狩りにも。RICOHCX2をポケットに忍ばせていました。35mmフィルム換算28mm-3000mmという画角で、望遠方面での使用をぜんていにもちあるいているのですが、広角撮影においても役に立つことを再確認しました。











































今日はここまでです。

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井山宝福寺の紅葉、の巻(1) [折々散歩]

今朝の最低気温は、岡山県南部三度C。北部一度Cと、真冬並みの冷え込みで、昼間も風が強く、凍える寒さでした。
昨夜は冷たい雨も降ったようでしたが、朝には上がり、日が射してきましたので、思い立って、紅葉を見に行ってみました。
総社市の井山宝福寺です。
以前こんな記事で書きました。
足守の先は吉備路の紅葉かな(2014-11-08)


 ゆっくりとした豊かな時間を満喫し、昼ご飯のお握りも車中で食べて、「宝福寺」にむかいます。「宝福寺」は、岡山県総社市井尻野にある臨済宗の寺で、室町時代、雪舟がここで修行し、涙でネズミの絵を描いた逸話で知られています。秋の紅葉に映える三重塔は国の重要文化財に指定されています。

とっておきの写真を撮影してみたい、と気負って、pentaxK5Ⅱにお気に入りの単焦点レンズsmc PENTAX-DA 35mmF2.4ALを携行しました。
予想以上に参詣者(主には紅葉狩)が多く、いつもの第一駐車場は満車とのことで、少し山道を登った第Ⅱ駐車場を案内されました。
こんな落ち葉道を歩いて降ります。



林の中に、見事な紅葉が色づいています。


35mmレンズでは、三重の塔の全体像を写すには、ある程度の距離を保たねばなりませんが、背中に塀があり、これ以上バックできません。

広角系のレンズは車においたままです。
この組み合わせでは、全体像が写せる場所は限られます。

やはりこんな時には、ズームレンズが恋しくなります。
35mmレンズと言えば、昔のフィルムカメラに換算すれば、およそ50mmのいわゆる標準レンズに相当します。作品作りを、この画角のみで勝負するには、よほどの割り切りと思い定めが必要と痛感します。それしかなくて、それが当たり前だった時代には、そんなことは思い至りもしなかったでしょうが。









この井戸に目が引かれました。

ほとりにこんな案内板が立てられています。

トリミングします。

井山の山号は、この千尺井に由来するそうです。
フォト蔵にアップした写真を行くまいかご紹介します。

井山宝福寺の紅葉
井山宝福寺の紅葉 posted by (C)kazg 井山宝福寺の紅葉
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今日はこれにて。

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紅葉の岡山後楽園、の巻(2) [折々散歩]

今朝の地元ローカル新聞山陽新聞に、こんな記事が掲載されていました.
WEB版を引用します。


なんと昨日散歩した岡山後楽園。夕方からはこんな優雅な催しが行われたのですか。この「幻想庭園」、季節の折々に催され、評判は上々ですが、鑑賞のチャンスに恵まれません。というより。あまり大勢のお客で賑わう場所はどうも苦手で、つい避けたくなってしまうので、仮にイベントの予定を事前に知っていても、おろらく参加はしなかったかもしれません。
大勢で賑やかな場所は苦手という気持ちは、何かの機会に、イスに着席して行儀良く舞台を観たりお話を聞いたりするような場合も同様で、できれば周囲が、せめて両脇が空席であるような環境が望ましいと感じたりしてしまいます。
ですが、流石に、市民劇場の舞台鑑賞は、そうは参りません。リーズナブルな会費で本格的な舞台が楽しめる機会だけに、大勢の会員でぎっしりと会場が埋まっていること必須ですので、座席指定された窮屈な席で鑑賞することを決していとうわけには行きません。

しかし、車で一時間程度かかる会場までいざ出かけること自体おっくうな場合もあります。特に、日中何だかくたびれたなあという感じの夕方など、少し消極的な気分になりがちです。
実は一昨日がそうでした。
日中勤務日で、授業がどうもうまく行かなくて、消耗感が募りました。

更にその日は、小4生が発熱で、珍しく小学校を休み、妹の小1生も早く帰宅し、中学生も部活がなくて早めに帰宅、その上、末の保育園児のお迎えを頼まれて、あれこれと育児の仕事もありましたが、後はばあばに任せて、少し遅れて家を出ます。会場にたどり着いた時には、開園時刻を十分ほど過ぎた頃。すると、入り口あたりまで、観客の大きな笑い声が聞こえて来ます。

係の方の誘導で、後ろ入り口からこっそりと会場に入り、後ろの方の空席に座ります。前後左右空席で、ゆったりと座れます。

演目は、三谷幸喜作 、山田和也演出、劇団ヴォードヴィルショーの喜劇『田茂神家の一族』です。







【ストーリー】エブリ村の村長を、6期24年にわたり務めてきた田茂神嘉右衛門が馬に蹴られてけがをし、引退することに。突如降ってわいた村長選挙に立候補したのは、嘉右衛門の次男・健二、三男・三太、長男(故人の嫁・たか子、弟・常吉、もうひとりの弟の娘婿で東京から引っ越してきた茂の5人。さらに、選挙管理委員会委員長は四男・四郎と、全員が田茂神姓の、抱腹絶倒の選挙戦が繰り広げられルことになります。
久々の村長選挙と会って、村では、立候補者の合同演説会が開催されることになり、私たち観客はその観衆という設定。
村の有権者はわずか一五〇人。三太の雇った選挙コンサルタント・井口の票読みによれば、健二と三太の持ち票が拮抗。サンタは、健二票切り崩しのためネガティブキャンペーンを展開しますが、やがて候補者同士によるスキャンダルの暴露合戦に発展。見かねた嘉右衛門が、引退を撤回し出馬表明したので、演説会は収ますます大混戦。
利権と情実、欲望と狡猾が渦巻く「どこにもなさそうでどこかにありそうな」人間模様が活写されます。

歌あり踊りあり、テンポの良い、奇想天外なストーリー展開は、最後まで観客を飽きさせません。大笑いして楽しく見終えたこの演劇。最後のカーテンコールで三太役の佐藤B作さんが、ご自身の故郷福島を舞台とする劇を三谷幸喜氏に依頼してできた作品だと明かされ、この村長選挙を揺るがした「ヒューマンバイオマスエネルギー」を、「原発」とよみかえてみたら?と指摘され、大いに合点したことでした。

「行こかもどろか」の葛藤の果てに、「行って良かった」と思えたひとときでした。

さて今日は、午後、「年金裁判を支援する会」の第三回定期総会がありました。同志社大学尾形健(おがたたけし)教授による憲法25条(生存権)、憲法29条〈財産権)と年金裁判を中心とした講演など、充実した(ややハードな)半日を過ごしました。これまた、「行って良かった」ひとときでした。

というわけで、今日は写真撮影の機会もありませんでしたので、昨日の後楽園の写真の続きをご紹介します。

昨日の写真は、pentaxk10d+TAMRON17-50mmf2.8で写しました。リュックには、pentaxK5Ⅱ+AFBORG 60EDを入れて歩きました。まれな組み合わせです。

AFBORGで写した紅葉。味わいが違って面白いです。































ツタの葉。











遠景です。



桜紅葉。





荻の穂。





この鳥は?何でしょう?







エナガがごちそうを食べています。





何羽もの群れが、しきりに枝から枝へ飛び移っています。







これは?シジュウカラでしょうか?



水辺のヒヨドリ。幼鳥でしょうか?







今日はこれにて。
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紅葉の岡山後楽園、の巻 [折々散歩]

今シーズン一番の冷え込みです。
病院の予約日でした。病院帰りに散歩でもしようかと、カメラだけは用意して、朝でかけました。
血液検査とレントゲンを済ませ、診察を待ちますが、なかなか呼び出しの気配がありません。やっと看護師さんに呼ばれ、「検査の結果が出ましたので、診察室前でお待ちください」と案内されます。

それからが長い。ドクターが入念に検査結果を点検しているのでしょうか?っそういえば、前回、腫瘍マーカーの数値が基準値よりもやや高く、様子を見ましょうと指摘されていたのでした。あるいは、さらに悪化しているのかも知れません。4年前の手術で。左肺の半分は除去し、リンパ節も大胆に取り去りました。もしや再発、または転移という事態が?などとくよくよしているうちに、お呼びがありました。
結果は、レントゲンも異常なし、腫瘍マーカーの数値も正常値に下がっていました。「何の揺らぎでしょうか」とドクターも訝しがる結果で透いたが、まずはめでたし。いっぺんに気が晴れました。
気をよくして、久しぶりに後楽園を散歩することにしました。
気温は下がっていますが、穏やかな日射しを浴びて、岡山城の姿もくっきり鮮やかです。











紅葉の様子は、イマイチかな?という感じですが、大勢の人出でした。外国人観光客、特にアジアのお客さんの姿が目につきます。
結婚式の前撮りらしいカップルの姿も見かけました。絶好の好天に恵まれて、眩しいほどです。
フォト蔵に写真をアップしましたので、ご紹介します。
紅葉の岡山後楽園
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雨のち晴れ、霧なお深し、の巻 [折々散歩]


濃霧注意報のニュースを聞きながら、片道60km離れた郷里の実家へ帰ってきました。朝七時過ぎに家を出たのですが、平日とあってちょうど通勤時間帯に重なり、二時間を越えました。ところが、持って行くつもりのものを、テーブルに用意して、置き忘れてしまいました。それが主な要件でしたのに。
少しだけ畑仕事をしました。寒気到来で、冷え込みが予報されていましたが、日射しがあって、汗をかきました。
庭の小菊が光を浴びて色鮮やかです。

昆虫たちが、吸蜜に余念がありません。

昨日の雨とはうって変わっての上天気でした。ですがそれもしばらくで、このあと天気は下り坂に向かい、雨ごとに冷え込みがきびしくなるようです。

というわけで今日は散歩も撮影もしていませんので、昨日の写真を掲載します。

雨の中の深山公園のサザンカです。
濃いピンク色の花があでやかです。












淡いピンク色のサザンカ。

白いサザンカ。





ハナミズキの紅葉も、散り始めています。


雨に濡れたヤマガラ。


雨に濡れたキジバト。


雨に濡れたカモたち。







元気に泳いでいます。





ニシキギが真っ赤に紅葉していました。






こちら、平成生まれの若手関取の錦木関は、九州場所初日は新入幕の大奄美を押し出しで下し、二日目は、十両西筆頭石浦を押し出して2連勝と、快調な滑り出しでしたが、三日目は三九歳で返り入幕の安美錦に、今日四日目で三八歳の豪風に敗れ、
二勝二敗となりました。



上の写真は、日本相撲協会のHPからお借りしました。


散り始めたイチョウの葉。




今日も、通る道々で大銀杏が光を浴びて黄金色に輝いていました。大銀杏について、ウィキペディアはこう説明しています。

大銀杏(おおいちょう)とは、大相撲の十両(十枚目)以上の力士(関取)が結うことができる髪形である。髷(まげ)の先端が大きなイチョウの葉に似ていることからこの名がある。

ところで、大相撲は、土俵の上の勝負以上に、日馬富士の暴行事件で大荒れです。

人が話してるときにスマホをいじる若者、これって結構神経に障ります。真剣に話しているときはなおさらですよね。カッとして、叱責したくなる気持ち、わかります。

かといって、ビール瓶で殴打する、無抵抗の相手に続けて暴行を加える。仲裁に入った相手にも、とんだとばっちり。一般社会では決して許されません。酒の上での失態、と来たら余計に弁解の余地がありません。横綱としての品格etc.以前の問題ですね。いずれにせよ、後味悪い事件です。

角界全体が自浄力を発揮して、人権感覚・市民道徳を研ぎ澄まし、暴力体質の一掃、信頼回復に取り組んでほしいものです。

今日はこれにて。

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ママは「FINISHER」(完走者)、の巻 [折々散歩]


今朝は散歩がてら、数キロ離れたドラッグストアまで歩きました。鎮痛貼り薬を買いたかったのです。四十肩でしょうか?(大胆なさば読み!)左の肩、というか腕が、力を入れるとズキンと痛くて動きません。日頃の託児所業務の「ダッコ」作業のせいかもしれません。

そんなわけですから、重いものをもって歩く気はしません。コンパクトデジカメRICOHCX2だけをポケットに入れて歩きました。そんなときに限って、こんな出会いがあります。











もう少し、望遠撮影に適したカメラを持っていたら、と思いますが、諦めるしかありません。

今日は「第3回岡山マラソン」が実施され、フルマラソンのコースが我が家近くを通ります。

三年前の初回大会については、この記事で書きました。

白玉の 歯にしみとほる 出会いかな(意味不明)

 と、突然、こんな方の姿が見えました。
スペシャルアンバサダーとしてこのイベントに参加された、ご存じ有森裕子さんです。

今日、参加者と一緒にコースを走られる予定ということは聞いていましたが、どのあたりの集団で走行されるのか、予測できず、一寸油断した一瞬の出来事でした。
(中略)
有森裕子さんのことを、最初に知ったのはいつだったでしょうか?
あるとき、世間話に「有森さんの娘も頑張ってるなあ」と話題になったことがありました。私は、知らなかったので「?」と尋ねると、「陸上競技でがんばりょうるが」という話でした。
ここでいう「有森さん」というのは、有森茂夫(しげふ)さん。裕子さんのお父さんで、私たちの同業の高校教員でした。
ですからお父さんとはずっと以前から面識がありましたし、お母さんの広子さんも、PTA活動や教育・子育てなどをはじめとする社会的活動に取り組んで来られた方でしたから、承知していたのですが、お嬢さんについてはっきり知るようになったのは、バルセロナオリンピックでの活躍以降のことのように思います。
二度のオリンピックでの活躍の後は、茂夫さんも広子さんも、「有森裕子の父」、「有森裕子の母」という立場で、子育て・教育について講演される機会が増えたように思います。
茂夫さんには、高校教員を退職されて間もない頃でしたか、当時勤務していた学校で図書の係であった私が、思いつきのようにお電話を差し上げて、図書室での講演をお願いし、ひきうけていただいたことがありました。最寄りの駅まで私の車で送り迎えし、その道中、よもやま話に花を咲かせたことを記憶しております。
2008年、七十三歳で他界されたとお聞きし、落胆したのは、それから程なくのことだったと思います。

今年もゲストとして出場されました。

お笑いタレントの小島よしおさんもフルマラソンを好タイムで完走されました。



昨日も書きましたように、大阪に住む孫のママがフルマラソンを走りました。父娘そろって沿道に並んで応援する予定でしたが、風邪のため来られなくなりました。ママ一人、岡山市在住の妹さんのもとに宿泊し、予定通り走るので、一族みんなで応援したいところでしたが、こちらの小4生も発熱、バアバもパートの仕事と、不都合が重なり、交通規制の網の目をかいくぐって応援に駆けつけた長女と一歳児と私の三人で応援することにしました。



この地図で、折り返し点となっているあたりです。

沿道は大勢の観客で一杯です、







こののぼり旗に書いてある「西高崎」という地名は、これらの記事でも話題にしたことがありました。

縁は異なもの、の巻(3)高崎という地名
ムルデルの樋門など、ご近所の干拓遺跡、の巻

ゼッケン番号を入力すると、5kmごと、中間点及びフィニッシュの通過タイムを教えてくれるインタネットサービスがあります。それを参考に、もうそろそろかと待ち構えて、ランナーの顔を一人ひとりしらみつぶしに確認したつもりですが、見つかりません。

レースそっちのけで、マイペースの遊びに興じる一歳児の動きに気を取られ、すきがあったかもしれません。



大阪で留守番をしているパパの元に、折り返し地点は無事通過したという知らせがスマホであったらしく、うっかりすれ違ってしまったようでした。せっかく一眼カメラに望遠ズームレンズを装着して待ち構えていたのですが、待ちぼうけでした。すごすごと引き揚げ、時々ネット情報をチェックしながら健闘に思いを馳せました。

初めての挑戦でもあるし、折り返し地点までは何とかがんばる、というのが当初の抱負でしたが、見事折り返し地点を突破しただけでなく、30km地点を越え、終盤最大の難関、岡南大橋の上り坂もクリアーして、見事完走でした。すごい。



抜けるような青空が、栄光を称えているようでした。



完走証と
「FINISHER」(完走者)

「FINISHER」(完走者)

備前焼の「FINISHER」(完走者)メダルの写真を添えて、「これから大阪に向かって帰ります」というメールをくれました。お疲れ様でした。

今日はここまで。

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11日の菊、の巻 [折々散歩]

藤沢周平の作品に「六日のあやめ」という作品がある、と何度か授業で口に出した記憶があります。いま、ふとした機会に、それがとんだ勘違いだったことに気づきました。
藤沢周平ではなく、山本周五郎でした(汗!)。藤沢周平を初めて読んだとき、ああ、これは周五郎だな、と思ったものでした。それ以来二人の作品が記憶の中でごちゃごちゃに入り交じってしまい、時とともその度が進んでいます。さらに、念が入ったことに、「六日のあやめ」ではなく、「四日のあやめ」でした(汗!汗!)
私が「六日のあやめ」という故事成語を知ったのは、この周五郎作品によってだったと記憶しています。
ちなみに、 大辞林 第三版の解説によりますと、こんな風に書いてあります。

むいかのあやめ【六日の菖蒲】
〔菖蒲は五月五日に使うもので、六日では遅いということから〕
時期後れで役に立たないこと。このあと、「十日の菊」と続けても言う。六日のしょうぶ。のちのあやめ。 「今更どのやうにお詫をしたとて、-、十日の菊/当世書生気質 逍遥」

周五郎「四日のあやめ」は、逆に、必要以上に先走る不適切さをなぞらえました。

四日のあやめ (新潮文庫)

四日のあやめ (新潮文庫)

  • 作者: 山本 周五郎
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1978/08/29
  • メディア: 文庫

新潮文庫の作品案内には、「武家の法度である喧嘩の助太刀のたのみを、夫にとりつがなかった妻の行為をめぐって、夫婦の絆とは何かを問いかける『四日のあやめ』」云々とあります。
夫の五大主税介(ごだいちからのすけ)と兄弟同然に仲の良い深松伴六が、私闘への加勢を依頼に来たことを、妻の千世(ちよ)は夫に伝えませんでした。争闘が終わった後でそれを知った夫に理由を問われた千世は、「申し上げればきっと大洲へいらっしゃる、それでは私闘になるし、私闘は御法度だから、あとでどんなお叱りをうけてもここは黙っていよう、そう思ったのでございます」と答えます。
助太刀をしなかった主税介の態度は、当初は、「神妙である」と評価されもしますが、次第に卑怯扱いされ非難と嘲笑の目にさらされることになります。
事件から一年が過ぎたある日、千世の兄江木重三郎が訪ねてきて、「みんなが命を賭して斬りむすんでいるとき、五大主税介ひとりは家にいた、みんなが傷ついたり斬り死にをしているとき、五大主税介ひとりは安閑と家にいたのだ」と責め、「千世を伴れて帰るから離別してくれ」と告げます。
千世はそこで真実を打ち明け、「本当のことを云わせて頂きます、お兄さま、あの朝、深松さまの知らせを聞いたのはわたくしです、主人は何も知りません、わたくしが聞いて、そのまま取次がずにいたんです」
そして主税介に、「旦那さま、わたくし正直に申します、本当はみれんな気持ちからでした、あなたにもしものことがあってはいけない、危ない場所へはやりたくない、ただそう思う気持ちでいっぱいでした。わたくしにはあなたが大事でした、いつもお側にいたい、いつまでも、・・・・・どんなものにも代えることはできない、ほかのことはどうなってもいい、夢中でそう思って黙っていたのです」
「世間の悪い評判を聞き、あなたがじっとこらえていらっしゃるのを見て、自分のしたことがどんなに悪かったか、どんなに取返しのつかないことだったかということが分かりました。わたくし、いつ離別して頂こうかと、ずっと、そればかり考えていたんです」
主税介は言います。
「千世が黙っていたのは正しかった」「考えてみろ、江木・・・・・あのとき千世が取次いだらどうなったと思う」「おれはもちろん大洲へ駆けつけただろう、いばるようだがおれの隈江流は多仲より下ではない、おれがいて多仲がいて、みんな決死でやったとすれば、死傷者の数はあんな程度では済まなかった」「あの程度で済んだからこそ、寛大な御処置にもなり、今日の祝宴も開けたのだ、それは千世が黙っていてくれたからだ」
「おれは悪評されだしてからだいぶ成長した。これまで褒められてばかりいたし、江木にも古武士の風格があるなどと云われて、自分では気づかずにいいつもりでいた。だが、悪く云われだしてから初めて、その『いいつもりでいた』自分に気が付いた。それだけでも成長だし、これからも成長するだろう、悪評の続く限りおれは成長してみせるよ」
ところで、さだまさしさんの曲に「六日のあやめ」がありました。

子供の頃から 遅れて咲いていた
六日のあやめと 笑われて泣いた
遅れまいとしたら 転んで怪我をした
十日の菊と あきらめて泣いた
やっと大人になったのに
変らないのが悲しくて
そうつぶやいたらあなたは
遠くを見ながら笑った
遅れて咲いても 花は花
実らなくっても 恋は恋
叶わなくっても 夢は夢
届かなくっても 愛は愛
ほら 一番星みつけた

この歌詞にもあるように、「六日のあやめ」は、「十日の菊」とセットで用いられることが多いです。

 とおかのきく【十日の菊】
〔菊は九月九日の節句の花であることから〕
時期後れで役に立たないもののたとえ。のちのきく。 「六日の菖蒲あやめ-」

ろくしょうじっきく【六菖十菊】
〔菖蒲は五月五日の端午の節句に、菊は九月九日の重陽の節句に必要とされるところから〕
時機に遅れて役に立たないことのたとえ。六日の菖蒲あやめ。十日の菊。

9月9日、重陽の節句については、何度も書きました。
最初に書いたのはこの記事でしょうか
重陽の節句あれこれ。最後は酒の話。(2013-09-09)



と、この辺りまで書いてきて、この記事を発見しました。
めづらしき二十五日の聖菓かな

 「六日の菖蒲、十日の菊」ということわざがあります。
菖蒲は、「ショウブ」とも読みますが、このことわざでは「むいかのあやめ」と読むのが一般でしょう。
五月五日の端午(たんご)の節句には菖蒲を、九月九日の重陽(ちょうよう)の節句には菊を飾ります。重陽の節句については、過去にこの記事この記事で蘊蓄を傾けたことがありました。
節句に一日遅れた五月六日の菖蒲、九月十日の菊では、時機に遅れて役に立ちません。「十日の菊六日の菖蒲」ともいい、時機に遅れてしまったことをたとえて言います。類義語に「後の祭り」「証文の出し遅れ」などのことばもあります。
そういえば、「後の祭り」の類義語について、この記事でも書きました。ところで、ふと思い出しましたが、山本周五郎の短編に、「四日のあやめ」という作品があります。
武士には御法度の私闘の助太刀のたのみを、夫にとりつがなかった妻。そのため夫が受ける精神的な苦痛と、夫婦の情愛の機微が描かれます。五日に必要なあやめを、早手回しに四日に用意する妻の先走り。しかしそこにあるのは、夫への、切実な慈しみの想いでした。
 千世の喉を嗚咽が塞いだ、しかし彼女は続けた、
「わたくしにはあなたが大事でした、
 いつもお側にいたい、いつまでも、
 ・・・・・・どんなものにも代えることはできない、
 あなたが御無事でいて下さりさえすれば、ほかのことはどうなってもいい、
 夢中でそう思って、それがみれんだとは気づかすに黙っていたのです」
「それでいいんだ千世、それでよかったんだよ」

こんな記事を書いたことすら忘れていました。
 「六日の菖蒲、十日の菊」 という故事成語を思い出したのは、先日半田山植物園を散歩して、いろいろな菊を見たことと、この木の実が重陽の節句を連想させたからでした。





サンシュユ(山茱萸)の実です。
古く中国では9月9日の重陽の節句には、茱萸(しゅゆ)の枝を髪に挿し、高い丘に登る(登高)という風習があったことを、この記事で書いています。
重陽の節句の蘊蓄(第二回)、の巻

 「菊は霊薬といわれ,延寿の効があると信じられ,この日,菊酒を飲むことも行われた。また,茱萸(しゆゆ)(カワハジカミ)の袋を柱に菊とともにつけ,悪気を払う風習もあった。5月5日の薬玉を,この日に茱萸袋ととりかえるのが平安時代の後宮で行われている。」とあるそうです。
「カワハジカミ」というものの実物を、私は知りません。
「薑(ハジカミ)」は、辞書には、
・「ショウガ」の古名、
・少し茎をつけたままの若いしょうがを軽くゆでて塩を振り、甘酢に漬けたもの。
・「山椒(サンショウ)」の別名。
などと解説されています。
また「川薑(カワハジカミ)」は、
1 ゴシュユの古名。〈和名抄〉
2 サンショウの別名。
とあります。
「ゴシュユ」は、「呉茱萸」で、ミカン科の薬用植物だそうです。
一方、「茱萸」がつく植物に「山茱萸(サンシュユ)」があります。ミズキ科の植物で、葉、花、実ともに、他のミズキの仲間とよく似ています。

というわけで、このサンシュユ(山茱萸)は、ハジカミ=ゴシュユ(呉茱萸)とは別物でしたね。
「タイミング遅れ」のついでに、10月に写した半田山植物園の花だよりの続きをお届けします。











白花ネムノキ。

赤花ネムノキ。




パラグアイオニバス。












コダチチョウセンアサガオ(エンゼルストランペット)




道に転がるドングリ。クヌギでしょうか?





今日のオマケは、夜の菊。今日の菊すなわち11日の菊です。モノクロ加工しています。

昨夜からの雨で、今朝は冷え冷え。昼間は、日射しはありましたが、冷たい木枯らしが強く吹いて、外出には不向きな一日でした。
小学生の音楽発表会があって、私も見学に行き、元気に頑張っているところを写真に撮りました。が、午後から、小4男子が、発熱。38度を超えたそうです。昨日も夜までサッカーを頑張ってきたのですが、寒さにやられたでしょうか?
明日は、岡山マラソンというイベントがあって、大阪の4歳の孫娘のママがフルマラソンを走る予定にしており、明日は、パパと孫娘と、そのいとこたちみんなで一緒に応援する予定でした。が、その孫娘も発熱で、来られなくなりました。だんだん良くはなっているようですが、長旅はかわいそうですので、仕方ありませんね。
今日はこれにて、、。

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霜月十日霜の朝、の巻 [折々散歩]

今日は霜月十日。
この季節、名に背いて、霜にはまだ早いといつも思うのですが、今朝は、、。


霜の朝でした。
こんな歌が思い浮かびます。

 心あてに 折らばや折らむ 初霜の  おきまどはせる 白菊の花 
         凡河内躬恒(29番) 『古今集』秋下・277
【解釈】
もしも手折るとしたら、当て推量で手折ることにしようかなあ?真っ白な初霜が降りて、それと見分けがつかなくなっている白菊の花を。

これは白菊ではなくて、白鷺ですがね。



白菊も咲いていたのですが、写しそびれました。
黄色い小菊。


桜モミジと紫色の小菊。


霧深い朝でした。













日の出のようす。







太陽の別名を天道(テントウ)といい、その太陽を目指して飛ぶからテントウムシと名付けられたという趣旨の文章を、先日留学生と読みました。

今日の写真は、コンパクトデジカメCX2で写しました。散歩カメラとして、軽くて快適です。
午後、PENTAXK5Ⅱ+AFAD+BORG60EDをリュックに背負い、FUJIFINEPIXS1を手に持って散歩しました。さすがに重いです。でも、やはり
撮影の喜びは大きいです。
とっさに飛び立った鳥を捕らえることができたりすると嬉しいです。

トリミングしてみます。

日射しが強く、上着を脱いでもセーターを脱いでも、ぐっしょり汗をかきました。
今日はここまでです。

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サヨリのち雨、の巻 [折々散歩]

最近ちょっと忙しく、ブログの更新も愛読ブログへのご訪問も滞っています。
退職後、臨時採用で週何時間かの非常勤アルバイトをしています。今年の4月からは、週2回の勤務です。それで一週間の生活リズムをつくってきたのですが、ここのところ、臨時で(もともと臨時ですが)、週一日勤務日が増えました。それ以外にもう1時間。骨折入院の方のピンチヒッターです。
わずか数時間の変化ですが、それなりに適応にエネルギーが必要です。
そんななか、昨日の日中は、仕事からも家事・育児からも自由な時間がありましたので、M師のお誘いを受けてサヨリ釣りを楽しんできました。M師は私にとっては鳥見、鳥撮りの師であり、そのほかいくつもの分野についての師でありますが、このサヨリ釣りの師であることも特記しておかねばなりません。
朝は、5℃、6℃という冷え込みで、深い濃霧が覆っている状態でしたが、釣り場につく頃は上天気。着込んできた服を次々に脱がなければ汗をかくような、強い日射しでした。海は波もなく、銀色の細いサヨリの魚影が、上からはっきりと確かめられるほどの穏やかさです。



私自身もほどほどに釣れて、しっかり楽しませていただきましたし、帰り際にM師がひとつかみ、お土産に私のクーラーボックスに釣り果をわけてくださいました。



早速唐揚げにして美味しくいただきました。
うって変わって、今日は雨。仕事から帰って。傘を差して散歩しました。思いの外気温は高く、汗をかきました。
コスモスがまだ咲いています。

季節はずれの野生の小さな朝顔も。



これはなんでしょう。




同じような場所によく似た姿で生えていますが、こちらは?



どちらもセンダングサのなかまでしょうか?
葉っぱがセンダン(栴檀)の木の葉と似ているから名付けられたと言います。
これがセンダンの葉。

まだ青いセンダンの実に雨の雫。

ブログを始めたばかりのころ、こんな記事を書きました。
栴檀の枝あたりまで溢水す   透

 栴檀(センダン)は、オウチとも呼ぶ。樹勢強く、10m、以上の喬木となって枝葉を茂らせる。通行人に木陰を提供するために、全国各地の街道端や、農地の畦などに植えられていたという。
夏には青い実がなり、秋・冬にはそれが黄色く色づいて、小鳥たちに貴重な食糧を提供する。

私の毎日の散歩コースにも、何本も植えられていて、四季折々に装いを変える。
(中略)
「栴檀は双葉より芳し」と中国のことわざに言う香木の栴檀は、別種だそうだが、誤解に基づくにせよ、その名前自体に、芳香を放つ香木というイメージがそなわっている。この 句は、洪水による浸水で,岸辺の栴檀の枝までが川水に洗われたという実景を詠んだ。烈々たる水しぶきを浴びて、栴檀の枝葉全体が、あたり一面に芳香を放っている様を想像していただけるとありがたい。



兼愛では比較的暖かくて稲刈りの時期が遅い当地でも、稲の刈り入れが進んでいますが、まだ刈り残された田圃もあちこちに見受けます。台風の影響でなぎ倒された状態で、しばらくそのままに放置されている場所もありますし、苦労して稲を抱き起こしながら一定の範囲を手刈りし、後はコンバインを乗り入れて稲刈り作業をする姿を最近、よく見かけます。

ダイサギも、農作業を見守っています。

雨と霧に煙る倉敷川下流の情景。鴨の群れが数を増してきています。



このような用水路にも秋の風情を感じます(立冬を過ぎましたから冬というべきでしょうか?)




ピラカンサが見事に色づいています。

今日の散歩は、割り切って、ポケットに入る文字通りのコンパクトカメラを持って出ました。RICOH CX2です。
久々の使用ですが、軽快で散歩が楽しくなります。写真撮影の醍醐味は、、、「それなり」というところですが、28mm~300mm相当というズームが効き、マクロ撮影も頑張っています。晴れて光量のある撮影条件なら、満足度がさらに上がるかも知れません。
今日はこれにて。

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