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自然環境体験公園の雨、の巻 [折々散歩]

雨が続きます。台風の影響で今日は当地にも、軒並み大雨警報がだされています。
選挙の開票速報が始まりましたが、前評判通りに自公「圧勝」の勢い、、だそうです。野党勢力では、一人立憲民主の健闘が光りますが、憲法、くらし、平和をめぐる前途はますます多難。草の根からの大反撃が求められますね。
雨の中、この2~3日、散歩コースに自然環境体験公園を選んでみました。
独特の形状の辛夷の実が、赤く色づき、その割れ目から赤いつつやつやした種子が、顔をのぞけています

鮮やかに燃える紅葉葉楓(モミジバフウ)を、雨粒が伝っています。













これはハナミズキの紅葉。







散歩道も水浸しです。

池には、、、オオバン。







カイツブリ。








親子かな?

ジョウビタキ♂今シーズン初めて見ました。

今日はこれにて。

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秋の吉備路の歴史散歩、の巻(5)復元版(最終回) [折々散歩]

先週の吉備路への旅の記事の続きです(最終回)。

国分寺、国分尼寺の散策のついでに、その近くにある「こうもり塚古墳」も訪ねました。



全長100mの前方後円墳です。



総社観光ナビのこの記事に、紹介があります。

 こうもり塚古墳(こうもりづかこふん)
 吉備の大首長の墓と考えられる前方後円墳で、後円部には棺を納めた横穴式石室があります。
 この横穴式石室は、全長19.4mで巨大な石を組み合わせて造られており、岡山県下三大巨石墳の一つに数えられています。また、全国でも、確認されている横穴式石室の中では第4位の規模を誇ります。
 玉砂利を敷き詰めた石室には、井原市産出の貝殻石灰岩で造られた家形石棺、土を焼いて作った陶棺、そして木の棺が安置されていました。盗掘を受けていましたが、須恵器や土師器などの土器のほか、大刀や馬具をはじめとした鉄器などが多数出土しています
 この古墳は,かつて仁徳天皇に愛された吉備のくろひめの墓とされ、くろひめ塚古墳と呼ばれていました。しかし、この古墳が6世紀後半に造られたもので、仁徳天皇の時代とは100年以上も隔たりがあることから、名前の変更が考えられ、石室内にこうもりがたくさんいたことからこうもり塚古墳と改名されました。

ほとんど無数といえるほど、古代遺跡が吉備路のあちらこちらに横たわっています。もとより、すべてを訪ね尽くす訳にもいきませんので、次の見学地として、作山古墳(つくりやまこふん)と角力取山古墳(すもうとりやまこふん)を、車で案内していただきました。

作山古墳については、総社観光ナビの紹介を引用します。

 作山古墳(つくりやまこふん)
 作山古墳は、全国第10位、岡山県下第2位の規模を誇る前方後円墳で、岡山市の造山古墳(全国第4位、岡山県下最大)に次いで、5世紀中ごろに築造されたものです。
 丘陵を三段に整形加工した斜面と平らな面からなる墳丘は、現在草と木で覆われ一見山にしか見えませんが、築造当時は平らな面に5千本以上もの埴輪(はにわ)が立て並べられ、斜面には石が敷き詰められていました。
 自然の景観の中にある巨大なモニュメントは、吉備の大首長の権力を誇示したものと思われます。
 しかしながら、作山古墳は畿内の大王墓と異なり、後円部は正円ではなくだ円形で、前方部も台形状の突出がみられるなど、不整な形態をしています。また、前方部の前面には丘陵の一部が、取り除かれないまま残されていることから、作山古墳に葬られた吉備の首長は、畿内の大王ほど、古墳築造にかける余力がなかったのではないでしょうか。
 造山・作山の両古墳は天皇の墓とされていないため、中に立ち入ることができる最大の古墳です。作山古墳は12月に下草刈りをするため、このころは古墳の形がよくわかります。

角力取山古墳(すもうとりやまこふん)とは、面白いネーミングです。

これまた総社観光ナビから引用です。

 角力取山古墳(すもうとりやまこふん)
 旧山陽道を北にのぞむ低丘陵上に築かれた古墳で、吉備では最大級の方墳です。
 墳丘の外表構造については、斜面を覆う葺石(ふきいし)や、段の有無も明らかではありませんが、墳丘に立てられた埴輪(はにわ)が少量ながら採集されています。埴輪の形状から、5世紀後半に造られた古墳と考えられますが、内部の埋葬施設の構造については、まったく明らかになっていません。
 戦前は、古墳の西側に土俵を設け、御崎宮の祭りの際に奉納相撲が行なわれていたことから、「角力取山古墳」と呼ばれているようです。なお、この古墳の上には、県指定天然記念物の樹齢約450年を経たクロマツが枝を大きく広げています

このクロマツについて、ウィキペディアにはこうあります。、

 天然記念物
  • 角力取山の大松
    角力取山古墳の墳丘上に生育するクロマツ。樹高18メートル、目通り周囲5.4メートルを測る。樹齢は約450年と推定される。戦前にはさらに数本の老松があったというが、現在は1本を残すのみとなっている。1972年(昭和47年)12月9日指定[4

こんな巨大な松、見たことがありません。







帰り道の車窓から見る五重塔。名残は尽きません。



秋の吉備路散歩、消失記事の復元はここまでとします。



氷雨のような雨が続き、冬支度が間に合いません。(特に気持ちの上で)

土曜日の朝は、中学生の部活動で、隣の市に車で送るように頼まれて、その帰り、雨が少し上がっているようなので。深山公園を歩きました。

すると、いろいろな鳥に会いました。そのご報告は、会を改めるとして、今日は予告編。



そのまま保育園に向かい、運動会を参観しました。

先週は大阪の孫も運動会だったようですが、写真を送ってもらって満足しておきます。



こちらの二歳児(もうすぐ三歳)は、お遊戯の途中で機嫌を壊したのか、身じろぎ一つしなくなってみたり、



ママと一緒の親子競技で、上機嫌で三輪車を走らせたり、、、



なかなか楽しませてくれました。

この競技の途中から小雨が降り始め、終わった頃にはかなりの本降りになりました。自転車で来ていましたから、途中で引き揚げましたが、濡れました。

それ以来、ずっと冷たい会い目が降り続いています。昨日は郷里に帰りましたが、畑仕事などできるコンディションではありませんでした。

今日は仕事日ですが、さすがに上着を着用しないと寒いです。

秋と言うより初冬の気配です。皆様、お風邪など召しませぬよう、お達者で、、、、。

今日はこれにて。

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秋の吉備路の歴史散歩、の巻(4)復元版 [折々散歩]

昨日、ほとんど仕上がっていたのに、何の弾みか、すっかり消失してしまった記事の復元を試みることにします。

木曜日から降り始めた雨の影響で、ぐっと冷え込み、昨日は終日20度弱、今日も20度そこそこの気温。上着が手放せない寒さでした。数日前の30℃前後という陽気がウソのようです。
先日の、吉備路散策も、まさにその暑さの中、汗をかきながら歩いたことでした。
造山古墳を見学後昼食を摂り、次に向かったのは備中国分寺、国分尼寺のエリア。当ブログでも過去に何度も訪ねた場所です。
◇新緑の五重塔、の巻
◇重ね来し久遠の刻や秋の塔
◇備中国分寺で青い鳥を見た
◇足守の先は吉備路の紅葉かな
◇ハッチョウトンボの他にも
◇六月の花 紫陽花 総集編
◇猿沢の池かとまがう水田(みずた)かな
◇仏塔に寒の戻りの晴れ間かな
◇春まだき鄙路ゆけば何処やらん古人のさざめく聞こゆ
一部引用します。。
 今日はちょいと足を伸ばして、万葉の昔に思いをはせ、「吉備路風土記の丘」周辺の、備中国分寺五重塔、備中国分尼寺跡などをぐるりと散策してみました。

 春まだき鄙路(ひなみち)ゆけば何処(いづこ)やらん古人(いにしえびと)のさざめく聞こゆ

万葉集の話題ですので、今日は短歌で迫ってみました。お粗末。
この五重塔は、天平13年(741)の聖武天皇の勅願を機に、8世紀後半に創建されたものが、鎌倉時代末期または南北朝時代の初め頃、兵火または落雷による火災で焼失。その後江戸時代になって宝永7年(1710)に日照山国分寺として再興されたそうです。 (◇春まだき鄙路ゆけば何処やらん古人のさざめく聞こゆ)


奈良時代に建立されたのは七重塔だったそうですが、江戸時代に五重塔として再建され、現在、岡山県内唯一の五重塔として残っています。







手前に広がる田圃には、赤っぽい穂の稲が、穂を垂れています。赤米と呼ばれる古代米のようです。
そう言えば、赤米についても、重ね来し久遠の刻や秋の塔の記事で触れていました。
 赤米は、紀元前以来、日本各地で、長い栽培の歴史を持ちながら、白米に淘汰されて、「下等米」として扱われてきたようです。しかし、病害虫に強く、低肥でもよく育つ上に、ビタミン、ミネラル、ポリフェノール、食物繊維が豊富であることが、最近注目され、美容・健康の上から関心を集めています。
赤米は、赤飯のルーツともいわれ、神聖な米とされてきたようです。長崎県対馬市の多久頭魂神社、鹿児島県種子島の宝満神社と並んで、総社市の国司神社では、今日まで、神饌米として赤米の栽培が続けられてきたそうです。 

この田んぼの赤米は、「総社赤米大使」の歌手・相川七瀬さんが、市内の親子と共に田植えイベントで植えた苗が育ったものなのですね。

た。(後略)

今年のイベント記事はこちら↓
https://faavo.jp/okayama/project/2088

チューターのSさんによると、ずっと以前は、塔にもっと自由に近づくことができ、直接手で触ることもできたそうです。そして、当内部に入ることもでき、階段で塔の上の階へものぼれたと言います。それが、落書きなど見物客のマナーの悪さのせいで、現在では立ち入り禁止の柵がめぐらしてあり、やや興ざめな感は否めません。

塔頂までの高さは、34・3メートル。

塔を見あげると、初層の頭貫の上に、十二支の禽獣彫刻がはめ込まれているのが目につきます。
寅。



辰。

己は、別の面にありますが、床下に目をおとすと、こんなものが、、、。

最初は抜け殻かと思ったのですが、抜け殻にしては色が違うと口々に言いながら、じっと目をこらして観察しますが、身動きする様子がありません。死んでるのかナ???などと思案しているうち、「脱皮中では?」と誰かが推理し、なるほどと納得した次第でした。余りに暑いので、蛇も上着を脱ぎ棄てたのですかね。
本堂。

大師堂。


続いて国分尼寺跡へ、徒歩で向かいます。

コスモスが見事に群生しています。





ウィキペディアにはこう紹介されています。
 国分寺の東方に位置する。寺域は東西108メートル・南北216メートル。南北朝時代の戦火で焼失したとされるが、多くの礎石・遺構が残っている。
伽藍は以下に示すもの(南から)で、南北の軸上に配置されている。
南門 - 小規模な3間1戸。
中門 - 礎石が見られず、詳細は不明。
金堂 - 良好な状態をとどめている。桁行5間・梁間4間。
講堂
尼坊または食堂
かつて尼僧が修行に励んだ広大な敷地が、今は蕭蕭とした松林の中にひっそりとしたたたずまいを見せており、久遠の時のながれを偲ばせます。
元の記事は、まだ続くのですが、今日の復元はここまでとします。

ところで、今朝は、久々に心に快哉を叫んだニュースがありました。朝日新聞DEGITALの記事から一部引用します。
 「九条守れ」俳句訴訟、掲載拒否は「不公正」 
地裁判決集団的自衛権の行使容認に反対するデモについて詠んだ俳句を「公民館だより」に掲載することを拒まれたのは、憲法が保障する表現の自由などに反するとして、作者のさいたま市の女性(77)が、公民館を所管する市に慰謝料を求めた訴訟の判決が13日、さいたま地裁で言い渡された。大野和明裁判長は公民館側が「思想や信条を理由として掲載しないという不公正な扱いをした」などとして原告の訴えを一部認め、市に5万円の支払いを命じた。
「一方で、表現の自由を侵害されたとの原告側主張については「公民館だよりという特定の表現手段を制限されたにすぎない」として退け、句の掲載請求も認めなかった。」などの限界はあるものの、原告勝訴は揺るぎません。
この「事件」については、↓こんな記事で話題にしたことがありました。
◇いざ子ども九条危篤夏椿
◇蜂あれこれ
後者から少し引用します。
 埼玉県のある公民館で活動する俳句サークルは、毎月、会員互選の1句を「公民館だより」に掲載してきましたが、7月号に掲載予定だった会員の互選句が、「偏った意見」だとして掲載を拒否された事件があったそうです。
70代の女性の句で、
梅雨空に『九条守れ』の女性デモ
というもの。
msn産経ニュースによると、概要は次のようです。
 
「憲法9条守れ」の俳句、掲載見送る さいたま市公民館「一方に偏った意見、ふさわしくない」  2014.7.4 12:51
さいたま市大宮区の三橋公民館が発行する月報に、俳句サークルが「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」という市民の句を掲載しようとして館側が掲載を見送っていたことが4日、分かった。市は「掲載すると公民館や市の考え方だと誤解される可能性があり、判断は妥当」としている。
公民館を管轄するさいたま市生涯学習総合センターなどによると、三橋公民館は毎月、「三橋公民館だより」を発行。俳句欄があり同館で活動する俳句サークルが掲載する句を決めていた。6月24日、サークルが7月号用として女性が詠んだ9条の句を選び掲載を依頼、公民館側とセンターは相談の上、掲載を断った。
センターの小川栄一副館長は「公民館は政治的に偏った特定の事業を行ってはならないと法律で定められている。集団的自衛権をめぐる句と受け取られる可能性もあり、世論が大きく二つに別れるような問題で、一方に偏った意見を載せるのはふさわしくないと考えた」と話している。
この問題に触れて、「埼玉新聞」8月17日付けweb版が、「九条守れの俳句掲載拒否 俳人・金子兜太さん『文化的に貧しい』」という表題の記事を掲載しています。
その一部を引用します。 
金子さんは旧制水戸高時代の18歳の時に俳句を始め、俳句歴は今年で77年に及ぶ。加藤楸邨氏に師事し、戦後は社会に生きる人間を詠む「社会性のある俳句」を唱え、「社会性俳句の旗手」と呼ばれた。
 「それまでは、俳句は花鳥風月を詠むものという高浜虚子の影響力が強かった。それに対して、昭和初期の新興俳句運動や戦後になって私や仲間たちは『自然とともに社会に生きる人間を詠みたい』と主張した。今では自然そして社会に生きる人間を詠み取ろうとするのは、俳句の世界では当たり前になった。今回の句もそういう自由な気持ちの中で詠んだ句で、このような句は毎日、どこかで作られている」
 今回の俳句掲載拒否の問題を戦前の治安維持法による新興俳句運動弾圧と重ねる見方もあるが、金子さんは今回の方が根深い問題を含んでいると言う。
 「新興俳句運動の『現実を俳句に書く』とするリアリズムが危険視された。だから取り締まりは、新興俳句系の俳誌だったり運動を担っていた人たちで、俳句を詠む一般の人たちにはそれほど影響がなかった。今回は一庶民の一つの句をやり玉に挙げて大げさな問題にした。こんな拡大解釈のようなことが、お役人だけでなく社会で行われるようになったら、『この句は政府に反対する句だから駄目』などと、一つ一つの句がつぶされる事態になりかねない。有名な俳人だけでなく、一般の人たちも萎縮して俳句を作らなくなる。俳句を作る人の日常を脅かすもので、スケールは小さいが根深い問題だ」と警告する。
■新興俳句運動
 高浜虚子の弟子の水原秋桜子(しゅうおうし)が1931年ごろ始めた文芸運動。水原は自然だけでなく、人間の胸のうちや生活の事実を詠むことを主張した。主張に多くの俳人が共感し運動は広がっていった。この運動から、加藤楸邨(しゅうそん)、中村草田男(くさたお)ら有力な俳人が輩出した。純粋な文芸運動だったが、治安維持法によって、40年に「京大俳句」、41年に金子さんが投句していた「土上(どじょう)」など有力俳誌が弾圧され、新興俳句運動は壊滅する。
 
私は、以前、この記事で、リボンプロジェクトの「せんそうのつくりかた」という絵本に触れたことがありました。(中略)
このサイトこのサイトこのサイトで実物を見ることができましたので、ご紹介させていただきます。
その 中にはこんな文章が出てきます。
 
戦争のことは、ほんの何人かの政府の人達で決めていい、というきまりを作ります。
ほかの人には、「戦争することにしたよ」と言います。時間がなければ、あとで。
政府が戦争するとか、戦争するかもしれないと決めると、テレビや新聞やラジオは、政府が発表したとおりのことを言うようになります。
政府につごうのわるいことは言わない、という決まりも作ります。
みんなで、ふだんから、戦争のときのための練習をします。
なんかへんだな、と思っても、「どうして?」と聞けません。
聞けるような感じじゃありません。
 
公民館の職員のような、住民と直に接し、その文化的要求に具体的に応えることを職務とするような役目の人までが、ヒラメのように上ばかり向いて、「お上の意向」を先取りしてそれを具現することを第一義に考えるような空気が、世の中全体に広がっていくことが、この絵本の危惧した一情景ではなかったでしょうか?
 仮に、国民の間に意見の相違があって、よしんば、それがマイノリティ(少数派)に属するものであったとしても、各人の信念によってそれを心に抱き、また表明することは、かりそめにも民主主義の社会においてはなんびとも妨げられることのない、基本的な権利です。ましてや、俳句を含めて文学や芸術の表現を、「思想」や「意見」というフィルターを通して評価する事自体、芸術・文化のなんたるかを知らない粗野なふるまいと言わざるを得ませんし、その『思想』に難癖をつけて排除するなどは、暗黒時代の再来と言うべきでしょうか?しかも、問題の俳句に詠みこまれているのは、作者自身の意見というよりは、世の中の実際の「現象」、見過ごしがたい「世相」として確実に存在する実景に他なりません。 
 作者が、「女性デモ」を題材とした時点ですでに、それに共感しているかも知れないから、そこには暗黙裏に作者の意見が表明されているという強弁を労したとしても、それは、偏った意見とは言えないでしょう。
先ほど私は、「マイノリティ(少数派)に属するものであったとしても」と書きましたが、このニュースの場合は、少数派どころか、ほかなかならぬ「九条守れ」という国民多数の「意見」です。今年の実施されたどの種の世論調査でも、九条改訂反対が賛成を上回り、その差は開く傾向にあります。自前の改憲案まで掲げて世論喚起をはかってきた『読売新聞』でさえ、その世論調査(2014年3月15日)の結果は、こんな具合です。
Q、憲法9条は改正した方がよいと思いますか
   思う  30%     思わない 60%    その他 10%
9条第1項「戦争の放棄」については
  思う 17%    思わない  76%     その他6%
9条第2項「戦力の不保持」については   
  思う 39%    思わない  52%    その他 9%
こうした状況を踏まえれば、「九条守れ」を、偏った意見と言ってのけること自体、きわめて偏った意見ではないでしょうか?
ましてや、立憲主義のもとでは、憲法は、国家権力に縛りをかけ、国家権力の濫用を防止して国民の自由と権利を保障するために存在するものです。ですから、「九条」に限らず、行政なり公務員は、憲法を遵守することを義務づけられているのですし、公務員はみんな、憲法遵守を誓約・宣誓して任に就いたはずではないですか?
そのような大前提を足もとから掘り崩して、憲法を擁護する「意見」が時の政府の意向に沿わないからといって「偏っている」と断じていく空気は、なんかへんです。
なんかへんだな、と思っても、「どうして?」と聞けません。聞けるような感じじゃありません。---こんな事が重なっていくと、、、怖い怖い。
今日はこれにて。

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秋の吉備路の歴史散歩、の巻(3) [折々散歩]

連続記事の続きです。
吉備津神社→鯉喰神社の次に、チューターのSさんが案内してくださったのは、楯築(たてつき)遺跡です。なお、移動にはSさんのワゴン車を使い、運転も一切Sさん任せ。至れり尽くせりです。
公式観光サイト「倉敷観光web」のHP中の楯築神社の記事の紹介文を引用します。

 倉敷市域北東の岡山市と境を接するあたりに広がる王墓山丘陵の北端、楯築神社の境内を中心とする弥生時代後期の墳丘墓です。
自然地形を利用し盛り土を行って整えられて墳丘の規模は、現在知られている弥生時代の墳丘墓としては最大級です。円丘部は径約50m、高さ5m。墳丘頂部には5個の巨石が立っており、墳丘斜面には円礫帯がめぐっています。
岡山大学考古学研究室による発掘調査の結果、朱の敷き詰められた棺とそれを納めた木製の槨の痕跡が発見され、鉄剣と大量のガラス小玉、土製の勾玉などもみつかりました。弥生時代から古墳時代にかけての社会の変化を研究するうえで、触れずにすますことのできない全国的にも重要な遺跡のひとつです。

この近辺には多くの古墳や墳墓が存在しますが、この楯築遺跡は、弥生時代のものだと言いますから、大変古いものだそうです。



厳重に鍵のかかった保管庫があります。

怪しい男?がのぞき込んでいます(笑)

中に安置されているのはこれ。「弧帯文様」が刻まれた石です。

ウィキペディアの記事にこうあります。

 墳丘上には大正時代の初め頃まであった楯築神社に、代々伝世し、ご神体として神石(亀石)と呼ばれる全表面に毛糸の束をねじったような弧帯文様が刻まれた石が安置されていたが、現在はこの遺跡のそばの収蔵庫に祀られている。こちらは「伝世弧帯文石」と呼ばれる。 この弧帯文は、纏向遺跡の弧文円板と葬送儀礼で共通するといわれている。ここにも吉備津神社や鬼ノ城などのように温羅伝説が残っており、吉備津彦命が温羅との戦いに備えて石楯を築き、防戦準備をしたと伝わっている。

「主墳の頂上には木棺を取り囲むように5個の巨石が立てられ、また、斜面にも2列に地表の露出分だけでも高さ・幅とも1メートルあまりで20個ほどの列石がめぐらされ」(ウィキペディア)、ストーンヘンジさながらに古代史の謎への興味をかき立てます。

次なる見学地は、造山古墳(つくりやまこふん)。

吉備路には、「つくりやまこふん」と呼ばれる古墳が、「造山」と「作山」の二つあります。いずれもチョー有名な古墳ですが、名前を知るだけで訪ねたことがありませんでした。

岡山旅ネットというサイトに造山古墳のページがあります。

記事を少々引用します。

全国第4位の規模をも持つ5世紀前半の前方後円墳。
全長約360m、後円部径約224m、高さ約27~32.5m。
三段築成。後円部墳頂には形象埴輪が、墳丘斜面の各段には大量の葺石と円筒埴輪列が認められる。
墳丘上まで上がれる全国最大の前方後円墳として知られる。6基の陪塚(ばいづか)があり、馬形帯鈎が出土した榊山古墳、直弧文が彫られた石障をもつ千足古墳が著名。
(第1・2・3・4・5・6古墳)


また、岡山市のHPの中に、「埋もれた歴史再発見」というコーナーがあり、「史跡造山古墳」というページがあります。一部引用します。

全国第4位の規模は、この古墳の築造時には最大規模であったと考えられます。第1位の大山古墳(伝仁徳天皇陵=全長486m)と第2位の誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵=全長425m)とは、造山古墳より後の時期であり、第3位の石津ヶ丘古墳(伝履中天皇陵=全長365m)が同時期でほぼ同規模ですので、従来の全国最大規模の渋谷向山古墳(伝景行天皇陵=全長300m)を、大きく更新した最大規模観で出現していたと評価されます。

駐車場に車を駐めると、その広場のあたりに男の方がおられて、「ボランティアガイドですが、ご案内しましょうか?」と声をかけてこられます。わがチューターのSさんは、ちょっと思案して、即座に「お願いしましょうか」ということになりました。
説明の合間合間に、一行の面々がいろいろと細かい質問をはさみ、ボランティアガイドさんも興に乗っていろいろと話してくださるという具合で、ちょっとしたアカデミックな、プチブラタモリのような楽しい時間があっという間に過ぎました。


6基の陪塚(ばいづか)のうち、榊山古墳から出土した、馬形帯鈎のレプリカにも触らせてもらいました。馬の姿をデザインしたオシャレなベルト用のバックルです青銅製だそうで、当時日本には青銅鋳造技術はなかったそうで、朝鮮半島から伝わったものだそうです。

倉敷考古館のhpのこの記事には、こうあります。

  
ただし日本国内での出土例は、僅かに2遺跡に過ぎない。これと同類の物は、全て朝鮮半島の遺跡出土品なのである。
 考古館蔵品は、既に半世紀近くも前の収蔵品であるが、当時より朝鮮半島での出土品という認識であった。しかし日本の古墳時代遺物の中に展示するには、岡山県・吉備国であるからこそ意味があるからだった。
 日本出土遺跡が2例しかないといったが、その1例は今から百年ばかり前の出土例。現在は岡山市となっている、備中の加茂新庄にある巨大前方後円墳・造山古墳(長径360m)の正面に位置している、円墳・榊山古墳(径35m)からの出土で、今は宮内庁蔵品である。2001年に長野市浅川端遺跡から1点発見されるまでは、長く吉備の国の出土例が、日本で唯一のものであった。 


広場にはこれまた陪塚の一つ、千足古墳から出土した石障の復刻オブジェが飾られています。この石障に刻まれている模様が直弧文で、楯築遺跡の弧帯文との意匠的類似性が、興味をそそります。





駐車場広場から、造山古墳の全景望みます。予想を遙かに超える巨大さです。
巨大な前方後円墳の、右の小高い丘が円墳部分、左が方墳部分です。

下の航空写真はウィキペディア所載の画像をお借りします。

民家との比較で大きさがわかります。
Tsukuriyama Kofun, Okayama air.jpg

いよいよ、古墳の上を散策します。

仁徳天皇陵、応神天皇陵、履中天皇陵などと伝えられる他の巨大前方後円墳は、宮内庁に管轄されるため管理が厳しく、それを足で踏みつけるなど、恐れ多くて許されません。「実際に登ることのできる最大の古墳』なかなかのインパクトではありませんか。





古代キノコ?




古墳の頂から見下ろす田園風景です。

豊かな穀倉地帯が広がります。


他の田圃が碁盤状に区画整理されているのに、この正面下方に、いびつな形のエリアがあります。

どうやら、いつの時代か古墳が削られて、その跡が農地にされてしまったもののようです。


今日はこれにて。

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秋の吉備路の歴史散歩、の巻(2) [折々散歩]

昨日の吉備路散策の記事の続きです。
一昨日、故旧の面々とともに訪ねたのは、備中国一宮である吉備津神社で、吉備の中山の北西麓に北面しています。。同じ吉備の中山の、北東麓にある吉備津彦神社は、備前国一宮であり、両社とも、吉備津彦命(きびつひこのみこと)を祭神としています。その吉備津彦命に退治された鬼=温羅にまつわる伝説を、今日は話題に取り上げてみます。
現職時代、私も所属していた岡山高生研(全国高校生活指導研究会岡山支部)のHP(現在は閉鎖中)に、こんな記事がありました。温羅に関する記事を一部引用させて戴きます。

温羅太鼓(ダイジェスト)目次

1990年岡山・倉敷市で開かれた高生研第28回全国大会で,現地実行委員会が発行した情宣紙の題名が「温羅太鼓」。
「さりげなく,だが力強く」を現地スローガンに掲げ,明るく楽しいトーンを大切にとりくんだ全国大会が,岡山高生研に残した財産は何だったか?あらためて確認してみたいものです。
なお「温羅」は「うら」と読み,古代吉備の伝説上の人物。近年岡山県では,町おこしの一環として,この「温羅伝説」にスポットライトをあて,「市民参加型のまつり」として「うらじゃ」祭りが盛大に取り組まれています。
このまつりが始まったのが,1994年だそうですから,岡山高生研の「温羅太鼓」のほうが,4~5年も先輩ということになります。自慢するわけではないですが...。(2007年9月記)
No 発行年月日 主な記事
1 1989/8/2 20年ぶりの開催 来年は岡山で会いましょう 現地実行委員長の言葉

アンチ桃太郎 
温羅太鼓とは?

この情宣紙「温羅太鼓」は,岡山に伝わる温羅(うら)伝説にちなんでいる。
岡山というと「桃太郎」が思い起こされるが、温羅伝説によると桃太郎の原型は吉備の国を侵略した大和政権の吉備津彦である。「温羅」とは吉備の国の王、百済から渡来し国を豊かに拓き、乞われて王となった。
凄惨な戦いの末ついに温羅は斬首されるが,その怒りの咆哮はいつまでも続き、民人の嘆きの号泣を誘ったという。今に伝わる吉備津神社の御釜殿での鳴釜の神事をはじめたのも、この亡国の人々ではなかったのだろうか。
そして私たちも「現代の温羅」なのである。

2 1989/8/2 ようこそ岡山へ

吉備の王 温羅を探る
鯉に姿を変えて吉備津彦と戦ったが

 昔温羅(うら)という大男が百済から渡ってきて吉備の国の「鬼の城」の山頂に城を築いた。温羅は新しい学問を広め平野を耕し水路をひらき山を拓いて鉄をつくり生産は豊かに国力は大いにふるった。女子供までが敬い慕い温羅は選ばれて吉備の王となった。

侵略軍がやってくる

 一方天皇家を長とする大和政権はその頃日本全土を平定しようとしており台頭する吉備の国を討つため兵をすすめてきた。彼らは自らを吉備津彦と名乗り温羅を鬼と呼んで八方に流言を飛ばした。
 侵略軍は中山に陣を張って進軍し温羅の軍勢は鬼の城で迎え撃った。吉備津彦が矢を放つと温羅は石を投げ矢と石は空中で火花を散らし戦いはいつ果てるともしれなかった。
 この時の故事によってできた「矢喰神社」というお宮がいまだに残っておりちょうど鬼の城と吉備津彦神社の中間に建てられている。

血に染まりながら

戦いにそろそろ疲れが見え始めた頃吉備津彦が2本の矢を射たところ一本は温羅の投げた石にあたりもう一本は温羅の目を射止めた。温羅は傷つき鯉に姿を変えて血に染まった川を下った。今ではこの川を血吸川と呼び下流の地方に赤浜という地名を残している。

首を食いちぎられた

 吉備津彦は鵜に姿を変えて鯉を追い詰め温羅はとうとう首を食いちぎられた。この時のことを物語るように「鯉喰神社」というお宮がある。
温羅の首は首村の刑場にさらされたがなおもカッと目をむき真っ赤な口をあけて怒りの咆哮を続けた。その声は野越え山越え国を失った民人の嘆きの号泣をさそって幾日幾夜もとどろきわたったということである。

鳴釜で吉凶を占う 
温羅の怒りの声が聞こえる

吉備津神社には古くから「吉凶占い」として有名な大釜がある。この吉凶占いは神主がご祈祷している間に巫女さんが大釜に火を入れて炊き大釜が熱くなってきて鳴り出すとそれは『よい運勢だ」というふうに行われるこれは「鳴釜神事」と呼ばれ,神のご託宣を受ける儀式とされている。

大釜の底に首が

昔吉備の国を征服するため吉備津彦が調停から派遣されこの地方を支配していた温羅との戦いに勝ちその首をはねた。温羅の首はさらし者にされたが何年もほえ続けた。そこで吉備津彦は温羅の首を大釜の底に埋葬することにした首はそれにもかかわらず13年もの間その地方の至る所に響くほどほえ続けた。

夢の中に温羅が

ある夜吉備津彦の夢の中に温羅が現われこういった。
「私の妻,阿曽姫にこの釜で米を炊くように伝えてください。そうすれば私は吉凶占いをして見せます。あなたはこの後神様におなりください。私はあなたの下僕となりましょう。」
 吉備津彦はこの後吉備津神社の主神として祭られておりその裏には温羅の魂を鎮めるための「お釜様」がある。

以下略

「温羅太鼓」と名付けられたこの情宣紙は、1990年8月2日までに34号が発行されています。私も、当時、情宣係の一員として、この発行のお手伝いをし、大会期間中は会場となっていたホテルの一室にとまりこんで早朝から深夜まで、一日数回発行の速報の編集に携わったことが思い出されます。また、現地実行委員会が提供する文化行事として、「温羅」とその一族に焦点を当てた群読劇にも取り組み、私も演者の末席を汚したものでした。このとりくみの中心を担ってくれたのが、当ブログでも何度か紹介済みの畏友H氏でした。その彼は、早々と文字通りの「鬼籍」に入ってしまわれました。また、現地実行委員長を勤めてくださったYさんは、この行事を「花道」としてこの年退職されましたが、ほど経ずして逝去され、またほぼ時を同じくして、敬愛するM先輩も旅立たれました。
思えば、1990年の頃は、岡山の民主的高校教育運動・文化運動が、最も輝いていた時期、従って私自身にとっても、最も幸せなりし日々であったと言えるかも知れません。
とともに、感慨深いのは、先日岡山でひらかれたの全国教育研究集会=教育のつどい」を、縁の下で支えた退職者や年配の現職者の多くが、やはり、1990年の『全国大会』を支えた現地実行委員会のメンバーと重なっていることです。



ところで、温羅の話題は、更にさかのぼります。
以前書いたこの記事から関連部分を、一部引用します。
◇昨日の「今日の暦」---「パパママバイバイ」のこと

  この事件(注:横浜米軍ジェット機墜落事件)を題材に、以前私が勤めていた高校の演劇部が、創作劇として演じたことがありました。手元の資料を探ってみると、1982年のことでした。「ハトポッポのうた」という題名で、中国大会にまで出場しています。墜落事故によって大やけどを負い、ついには息を引き取った林裕一郎君(当時3歳)がいまわの際に残した言葉が「パパママバイバイ」でしたし、弟の康弘ちゃん(当時1歳)も、「ハトポッポ」の歌を口ずさみながらあと追うようにして亡くなったのでした。「ハトポッポのうた」は、このエピソードに基づいてつけられた題名でした。
私は、当時事情により学校を離れていましたので、直接はこの演劇を観ることはできなかったのですが、手元には「鬼から鬼へ」と題する玉野高校演劇部創作脚本集(玉野高校演劇部OB会発行)という冊子がありましたので、改めてひもといてみました。若者の感受性と正義感の確かさに、深く励まされる思いがします。
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なお、冊子の「鬼から鬼へ」という標題は1979年の中国大会で優勝し、1980年の全国大会に出場した作品「鬼よさらば」と、1988年の中国大会で優勝し、1989年の全国大会に出場した作品「温羅のうら」にちなんだネーミングなのでしょう。後者は、古代吉備の国「鬼の城(きのじょう)」を本拠地とする鬼=温羅の伝説に題材を採り、平和に暮らしていた吉備王国の心優しい王が温羅(うら)であり、彼らを暴力によって滅ぼした大和朝廷の、歴史の偽造により、後に鬼に仕立て上げられたのではと問うのです。
最近、町おこしの一環として、岡山県をあげたイベントとして賑やかに取り組まれる「うらじゃ祭り」などが、まだ始まる前のことで、整備される前の荒れ山だった「鬼の城」にも登って取材したと、当事者から聞いたことでした。 

今回の吉備路散策では、温羅の根城と伝えられる鬼の城(きのじょう)も、最後の見学地として訪ねる計画でした。でも、一つ一つの見学地での滞在時間がそれぞれ長引き、今回は残念ながら割愛となりました。
造山古墳から眺めた山の山頂にぼんやり見えるのが、鬼ノ城ではないでしょうか?

トリミングしてみると、復元された城門らしきものが見えます。

チューターのSさんによるレジュメでは、こうあります。

鬼ノ城 (標高約400m)、 朝鮮式山城、 石垣・列石・水門・土塁などあり
斉明天皇・・・白村江の戦い(663年)で百済を援助するも唐と新羅の連合軍に敗退

ただ、この山城については、書物への記述が一切なく、未だに謎に包まれているようです。
伝説によると、この山に棲む温羅は石を投げ、吉備津彦は矢を射て戦ったといいますが、その矢を置いたというのがこの「矢置き岩」だそうです。

吉備津神社の見学を終えた一行は、次に鯉喰神社(倉敷市)に向かいました。倉敷市公式観光サイト「倉敷観光web」のHP中の鯉喰神社の記事にこうありました。

 吉備の国平定のため吉備津彦の命が来られたとき、この地方の賊、温羅(うら)が村人達を苦しめていた。戦を行ったがなかなか勝負がつかない。その時天より声がし、命がそれに従うと、温羅はついに矢尽き、刀折れて、自分の血で染まった川へ鯉となって逃れた。すぐ命は鵜となり、鯉に姿を変えた温羅をこの場所で捕食した。それを祭るため村人達はここに鯉喰神社を建立した。

「鯉喰神社」といい「矢喰神社」といい。「血吸川」といい「赤浜」といい、異彩を放つネーミングです。「血吸川」という、おどろおどろしい名前のいわれを、Sさんはこう解き明かしてくれました。
この地方は、古代からたたら製鉄が盛んで、そのため、鉄さびが川を赤く染めたのだろう。ガッテン、ガッテンでした。



昨日は、長女が人間ドックを受診するというので、ジイジ・バアバで一歳児の子守を恃まれました。初めは寝起きで機嫌が悪かったのか、大声で泣き叫ぶので、虐待の通報を恐れるほどでしたが、程なく機嫌がなおり、診療期間近くの公園で、楽しく遊びました。
ハトが遊び相手です。



ナデシコが咲いています。

公示日で、選挙宣伝カーの声が聞こえてきます。この選挙区では県内唯一の立憲民主党、すなわち市民と野党の共同候補が立候補しています。
今日はこれにて。



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秋の吉備路の歴史散歩、の巻(1) [折々散歩]

昨日は、恒例のわが故旧のつどいがありました。
前回までのあらましは、↓こんな記事でご紹介しています。

◇深紅の薔薇咲くドイツの森、の巻
●上を向いて歩いていたら、の巻(http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2017-05-13-1)
●またまた昨日の花見、の巻
(http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2017-04-08)
●連日の花見、の巻(http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2017-04-07)
●小豆島の旅、の巻(1)
(http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2016-11-22)
●蛙棲む原生林に蝮草(マムシグサ)
http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2016-06-10)
●「故旧あい集いし森の青胡桃」
(http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2014-06-11)
●故旧愉快梅雨の晴れ間の原生林http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2016-06-06
●ひなせの詩歌 第三回 土屋文明の歌、の巻
http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2016-03-04
●里村欣二は日生の生まれ、の巻
http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2016-03-01
海遠き故旧集うて牡蠣を食む
http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2016-02-29
●鵯(ヒヨドリ)の名に背きたるしとやかさ(http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2016-10-12)
●五月雨を集めて垂水(たるみ)はやからん
(http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2016-06-07)

●「故旧また集ひたる日や鹿を見つ」
(http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2015-09-30

●「そのかみの十五の吾も仰ぎ見し大き銀杏はとこしえにあり
(http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2014-11-23

●「故旧相和す刻愉快節分草(こきゅうあいわすときゆかい せつぶんそう)
(http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2014-03-07


今回は、秋の吉備路を楽しむ計画でした。退職後、関西から郷里の美作地方に居を移した面々にとっては、吉備路は興味を持ちながらもなじみが薄い場所とあって、歴史に造詣の深い案内人を依頼することを、私が仰せつかっていました。古代史・考古学専門の友人の顔などがすぐに浮かびましたが、現職教員ですので平日は勤務があって、依頼するわけにいきません。今回は、結果的に祝日でセッティングすることになりましたが、平日実施が通例ですので、退職者の友人の中から人選しなければと悩んでいたのです。偶然、8月の「教育のつどい」のとりくみ中にご一緒したSさんに、無理を承知ででお願いしたところ、快諾してくださり、ほっとしました。
あいにく今回は諸般の事情から、女性の参加者がゼロ。むくつけき男性5人の学術の香り高い歴史散歩となりました。
集合場所は、Sさんの提案により、吉備津神社駐車場。
Sさんは、丁寧に、地図、解説入りのレジュメ資料を用意してくださっていました。
早速、吉備津神社の見学から、歴史散歩が始まりました。
吉備津神社のあらましについて、レジュメの一部を引用させていただきます。

吉備津神社・ ・ ・吉備津彦命を祀る
創建 少なくとも平安時代初期(847年)までは遡る
1357年 (社記の楝札の写し) その後2度火災にあう。
再建 1401年に工事着工、1425年に完成(足利義満の死後)
真金吹く 吉備の中山 帯にせる 細谷川の 音のさやけさ”(『古今和
歌集』905年)
建築様式・・・吉備津造、本殿の檜皮葺大屋根=比翼入母屋造
漆喰塗の基壇
本殿・拝殿=国宝(岡山県内の国宝の建物2十美術品7件) 

日々の寒暖差に面食らいます。先日の冬模様がウソのように、日射しを浴びると真夏さながらの暑さで、石段を歩くと汗が流れます。

室町時代に再建された比翼入母屋造の本殿。風格あるたたずまいです。



斜面に建てられているため、漆喰塗の基壇によって水平を保ち、その上に巨大な神殿を建てています。この技術力に脱帽です。

檜皮葺大屋根。近年葺き替え工事が行われたそうですが、桧皮を確保することが大変な難事だそうです。


銀杏の巨樹。葉はまだ緑色です。
吉備津神社に祀られている吉備津彦について、ウィキペディアにはこう解説してあります。

 伝承によると、温羅は吉備の外から飛来して吉備に至り、製鉄技術を吉備地域へもたらして鬼ノ城を拠点として一帯を支配したという。吉備の人々は都へ出向いて窮状を訴えたため、これを救うべく崇神天皇(第10代)は孝霊天皇(第7代)の子で四道将軍の1人の吉備津彦命を派遣した。
討伐に際し、吉備津彦命は現在の吉備津神社の地に本陣を構えた。そして温羅に対して矢を1本ずつ射たが矢は岩に呑み込まれた。そこで命は2本同時に射て温羅の左眼を射抜いた。すると温羅は雉に化けて逃げたので、命は鷹に化けて追った。さらに温羅は鯉に身を変えて逃げたので、吉備津彦は鵜に変化してついに温羅を捕らえた。そうして温羅を討ったという。
討たれた温羅の首はさらされることになったが、討たれてなお首には生気があり、時折目を見開いてはうなり声を上げた。気味悪く思った人々は吉備津彦命に相談し、吉備津彦命は犬飼武命に命じて犬に首を食わせて骨としたが、静まることはなかった。次に吉備津彦命は吉備津宮の釜殿の竈の地中深くに骨を埋めたが、13年間うなり声は止まず、周辺に鳴り響いた。ある日、吉備津彦命の夢の中に温羅が現れ、温羅の妻の阿曽媛に釜殿の神饌を炊かせるよう告げた。このことを人々に伝えて神事を執り行うと、うなり声は鎮まった。その後、温羅は吉凶を占う存在となったという(吉備津神社の鳴釜神事)。

私たちの見学中に、ちょうど鳴釜神事がおこなわれており、ジャストタイミングで、釜のうなる音が低く聞こえてきました。
吉備津神社は以前も、一人で何度か訪ねたことがありました。
ブログ記事に何度か書いたつもりでいましたが、どうやらこれくらいのようです。

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水車も秋模様
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落ち葉降り敷く石段」
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荘厳、雄大な回廊
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こけむした灯籠
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  ◇重ね着の紅葉の錦や村時雨(2013-11-27)
帰りの道すがら、吉備津神社にも立ち寄ってみました。ここの紅葉も見頃でした。
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ところで、この吉備津神社の近くに、吉備津彦神社というよく似た名前の神社があります。
この記事↓に書きました。

◇今日も「これなあに?」(2013-10-16-1)
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 先日、吉備津彦神社近くの「吉備の中山」中腹を散歩中に見つけました。初めて見る花でしたので、図鑑で調べるのに手間取りました。

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「龍神谷」の近くでした。 「龍神谷」とは、ミステリアスな名前ですが、近くには温羅神社の社もあり、神秘の風情が漂います。

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吉備津彦神社は備前国一宮で、この地の鬼(温羅)を退治したとされる吉備津彦命(きびつひこのみこと)を祀っています。
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なお、備中国一宮は吉備津神社で、この中山の備中側のふもとにあります。


ちなみに、Sさんによると、吉備の国は備前・備中・美作(現在の岡山県の全域)・備後(現在の広島県の一部)に当たるそうです。古代において一大勢力を擁した土地であったことは、この二つの神社の規模の立派さからも推し量られますし、この日のほかの見学地の一つ一つがそれを証拠立てているように思えました。
今回は集合地兼最初の見学地、吉備津神社の話題だけでオシマイになりました。次回は、吉備津彦に「退治」されたという温羅の話題に少し触れて、その後訪ねた見学地の話題を順次書いていくつもりです。今日はこれにて。

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明け方散歩と十五夜の月、の巻 [折々散歩]

暑くて寝苦しい夜はとっくに過ぎ去って、逆に、昨夜などは足先が冷たくて目が覚めるほどでした。二時、三時にいったん目ざめると、目が冴えてそれから一睡もできない、、、などと思いつつ、覚醒状態でいろいろあれこれとりとめもないことを考えている、、つもりが、どうも考えていることがトンチンカンでおかしい。登場者の年齢があり得ない若さであったり、やることなすことでたらめであるので、なにやら違和を感じながら、冷静に思いをめぐらすと、どうも夢を見ていたか、それとも寝ぼけていたかのうちに、時刻は四時、五時になっている、、というようなパターンが最近続きます。もうこれ以上眠れそうもないので、起き出して、朝散歩でもするのが生産的だろうかという次第で、昨朝も今朝も、夜明け時にひと歩きしてきました。
昨日(10月4日)の朝の写真です。





今朝(10月5日)の写真です。











昨夜は十五夜でした。
今朝の地元新聞「山陽新聞」は、岡山城・後楽園や瀬戸大橋、備中国分寺などを見事な月の写真を添えて、第一面に「中秋の名月」の記事を載せていました。それによると、十五夜=満月という思い込みは、どうやら勘違いだったようです。

今年の十五夜は、暦の関係で2009年以来八年ぶりに10月にずれ込んだ。美星天文台(井原市)によると、新月から満月になる'までの日数は13・9日~15・ 6日とばらつきがあるため、今年は満月より2日早い「名月」となった。

我が家から見あげた月は、始め、雲に遮られて、なかなか全体像を見せませんでした。


まさに徒然草のこんな一節が浮かびます。以前もこの記事で書きましたが、、、。↓

◇「展望レストラン」再訪、の巻


花は盛りに、月は隈(くま)なきをのみ見るものかは。雨に向かひて月を恋ひ、垂れ込めて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。
【地方語訳】
桜の花は満開を、月は曇りのねえもんだけを見るもんじゃろうか、いや、そんあこたあねえ。
降りようる雨に向こうて月を恋い慕うたり、簾を垂れえて部屋の中に閉じこもり春が暮れていく行方を知らずにおるのも、やはりしみじみ趣が深いことですなあ。

これに対して、江戸時代の国学者本居宣長は、こんないちゃもんをつけてます。

 兼好法師が徒然草に、
「花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。」
とか言へるは、いかにぞや。
 いにしへの歌どもに、花は盛りなる、月はくまなきを見たるよりも、花のもとには風をかこち、月の夜は雲をいとひ、あるは待ち惜しむ心づくしをよめるぞ多くて、心深きもことにさる歌に多かるは、みな花は盛りをのとかに見まほしく、月はくまなからんことを思ふ心のせちなるからこそ、さもえあらぬを嘆きたるなれ。いづこの歌にかは、花に風を待ち、月に雲を願ひたるはあらん。さるを、かの法師が言へるごとくなるは、人の心にさかひたる、のちの世のさかしら心の、つくりみやびにして、まことのみやび心にはあらず。
【地方語訳】
兼好法師の徒然草に、「桜の花は満開を、月は曇りのねえもんだけを見るもんじゃろうか、いや、そんあこたあねえ。」とか言うとるのは、どねえなもんじゃろうか?
 昔の歌に、花は満開を、月は無欠の満月を見たのよりかは、花を散らす風を嘆き、月の夜は雲を嫌がり、あるいは待ったり惜しんだりする気持ちを詠んだ歌が多くて、特にそういう歌に趣深いのが多いゆうのは、誰もがみな、桜は満開を心のどかに見たいし、月は満月を願う心が切実じゃからこそ、そうできんことを嘆いとるんじゃろう。花に風が吹くのを待ち焦がれたり、月に雲がかかるのを願う歌が、どこにあろうにい。あの法師が言うとるようなことは、人の心に逆ろうた、のちの世の賢こぶった心の、つくりもんの風情であって、本当の風流心じゃあねえ。


しばらくすると、すっきり晴れて、明るい月が全身をあらわしました。
PENTAXK5Ⅱ+AFBORGED60mm。


pentaxK10D+kenko500mmミラーレンズ。

FUJIFINEPIXs1。いつも使わないデジタルズームをめいっぱい効かせるとここまで大きくなります(ノートリミング)。

孫宅から電話があり、まず、小4男子が、2歳の末娘が話したいことがあるから変わるね、と紹介してくれて、電話口に出てきた末娘が「お月見をするのでお団子食べに来てください」と、招待してくれました。
中秋の名月は、別名「芋名月」とも呼ばれ、サトイモを供えて月見をする風習があるそうです。「芋名月」という言葉だけ聞きかじっていたので、サツマイモを掘ってきて、焼き芋にして孫宅に持って行きました。実りの秋のうれしさです。

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百舌とブンナと彼岸花、の巻 [折々散歩]

昨日の記事の続きです。
劇団「青年座」の「ブンナよ木から下りてこい」公演で、百舌(モズ)を演じるのは、小豆畑雅一(あずはたまさかず)さんです。
彼のブログに、こんな記事(9/21付)を見つけました。

 途中 岡山城のすぐそばを通りました。
すると、その広場の入り口に
綺麗な彼岸花が咲いていました!
{実は、百舌の台詞に 出てくるんです、彼岸花。
なんだか 明日からの台詞に変化が生まれそうな
嬉しい帰り道でした。

百舌の台詞に登場する彼岸花?とっさには思い出せませんでしたので、原作を確かめてみました。
「第三章 雀 と 百舌 が ながい 後悔 の はて に むかし話をすること」の一節です。

 「でも、百舌さん、わたしらには、人間というヤツは敵だったな」
と雀はいいました。
「人間は敵の中でもいちばん頭がよかった。 秋になると稲がみのって、 なんといってもわたしらのとり入れどきだったのに、人間はかすみあみを張つて、わたしらをいけどりにして、羽をむしって、たべたんですから」
「おれたちの仲間にも人間にたべられたのがいたさ。 おれたちはかすみあみにはかからなかったが、 子供らの空気銃がいちばんこわかったね。 てっぼうってヤツは大変なしろものだぜ。なにせ、たまがまっすぐとんできて、おれたちに命中するんだからな--」
百舌はそういってから、 しんみりと、
「おれの仲間がそのたまにあたったときのことをおぼえているよ。 さっきもいったとおり、おれたちは電線にとまるくせがあるだろう。木にとまっても、おふくろは、えもののよくみえるところは、こずえの先だといったんで、めったに、しげみの中になんかとまったことがない。 その上、また、おれたちのなき声は、人間によくおぼえられているんだ。おれたちは、えものをおどかすつもりで、あんな声をあげるんだが、人間の子供は、その声で、すぐみつけだして、空気銃をとりだして、おれたちをうつんだ。あの日友だちは、頭をやられて落ちたよ。血が花びらみたいに空にちったと思うまに、 友だちは羽をひろげて雪の中へ落ちていって雪の上へうつ伏せになって、 弾丸のぬけた頭を雪につっこんでこときれていたよ。ああ、血のふき出た友だちは彼岸花みたいにきれいだった。 人間の子供というヤツはひどいことをするね。おれたち鳥の世界では、いくら悪いヤツがいても、あんなひきょうな武器はつかわないよ。
人間の知恵というのは野蛮だよ、道具をもつと手の負えない悪魔になるのが人間だった」
百舌はそういうとまた舌打ちして、痛みが出たのか、あいててててといいました。
人間の子供は残酷だという百舌の話にブンナは感心しました。かえる仲間にもじっは人間の子供は恐れられてい た の です。 いったい、 人間 の 子供 は、 どうして かえるみる と、 あれ ほど 意地 わる を し た がる の でしょ う。 こっち が なに も 害 を 加え たり し ない のに、 足 で 追いたて たり、 ふん だり、 石 を 投げ たり、 まあ、 みつかっ たら さい ご、 ひどい 仕打ち をさ れ まし た。  

>ああ、血のふき出た友だちは彼岸花みたいにきれいだった。
凄絶な美しさです。痛ましい限りです。
彼岸花、まだまだ咲いています。









我が家の庭にも咲いています。これまた灯台もと暗しでした。

「血のような」赤い彼岸花ばかりでなく、白やクリーム色の者も風情があります。







なんと、我が家の庭にも、白花が咲いています。ずっと昔に球根を植えたのが繁殖したモノで、この季節になって思い出したように一気に咲いてくれるので、驚きます。

さて、鳶の暴虐の前には、哀れな百舌はなすすべもなくその命を差し出すしかないのですが、カエルは常にその百舌の犠牲者です。
以前書いたこの記事では、はやにえとされた無惨なカエルの骸を話題にしました。
◇冬天(とうてん)を仰ぎて骸(むくろ)乾きたり

新潮文庫の「ブンナよ木から下りてこい」の末尾には、作者水上勉からの「母への一文」というメッセージが添えられています。
一部を引用します。

 私は、この作品を書くことで、母親や子供とともに、この世の平和や戦争のことを考えてみたかった。 それから子供がよりぬきんでたい、誰よりもえらい人間になりたい、と夢を見、学問にも、体育にも実力を発揮し、思うように他の子をしのいでゆくことの裏側で、とりこぼしてゆく大切なことについても、いっしょに考えてみようと思った。まことに、今日の学校教育は、人なみの子にするというよりは、少しでも、他の子に勝る子にしあげようとする母親の願いを、ひきうけているようなところがあって、子は、ひたすら学習であけくれている。 いったい誰が人なみでいることをわるいときめたか。また、人なみでないことをダメだときめたか。そこのところをも、私は子供とともに考えたいと思った。生きとし生けるもの、すべて太陽の下にあって、平等に生きている。蛙も鳶も同じである。 だが、この世は、平等に生きているといっても、弱肉強食である。賢い者は愚かな者を蹴落し、強い者は弱い者をいじめて生きている。動物の世界だけではない。人間の世界がそれである。
ブンナは、こんな世の中で、もっとも弱いものの象徴である蛙である。ブンナという名は、釈迦の弟子の一人の名にちなんでつけられているが、賢明な弟子の苦悩を、ブンナは蛙の身でなめるという物語である。
母たちに、 右のような作者の思いがったわっておれば、子供に話しきかせる方法もまたちがってくるだろう。 今日の学歴社会を生きぬこうとする凡庸の子らに、どのような夢を作者は托したか。凡庸に生きることが如何に大切であるかを、 母親は先ず自分の心の中で抱きとって、子に話してほしい。そうであれば、ブンナが木の上で体験した世にもおそろしく、かなしく、美しい事件のすべてが、子供に、なんらかの考えをあたえ、この世を生きてゆくうえで、自分というものがどう確立されねばならぬかを、小さな魂に芽生えさせてくれる、と作者は信じる。


今日はこれにて。

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高鳴きするモズの姿をとらえました、の巻 [折々散歩]

数日前からモズの高鳴きを聞くようになりました。
昨日、ようやく姿をとらえることができました。
遠い上に、夕暮れ時のため、小さなシルエットだけです。





飛んでいきました。
夕まぐれのコスモスも、哀愁を奏でているようです。



今朝は、日の出前に、朝散歩に出かけました。
このアオサギは、この屋根の上を定位置にしています。



「ご来光」です。

辞書には、「 高山の頂上で見る荘厳な日の出。」とありました。ここは、海抜数十センチの土地ですが、、、。






ひと歩きして、ほとんど我が家が見えようかという頃になって、高鳴きが聞こえました。目をこらしてみると、いました、いました。
FUJIFINEPIX s1の強みです。ここまで引き寄せて写せます。




もう少しトリミングしてみます。





大きな声で、高鳴きしています。
毎年、秋~冬の記事にしょっちゅうモズが登場します。
一番最近の登場は、この記事↓のようです。
◇も一度一本の鉛筆、の巻
そこでも引用しましたが、この記事↓に、モズにまつわる蘊蓄をいろいろ書いています。
◇散歩道のモズが思い出させたこと、の巻
そしてこの記事↓にも。
◇ムクドリとモズが我が家の窓から見えました。

今日の記事では、くり返しません。

今日、思い出したのは、先日観劇した劇団青年座「ブンナよ木から下りてこい」(水上勉原作)の一場面です。

◇金星と月寄り添ふや野分晴

↑この記事で、劇団のHPの文章を借りて、少しだけ内容を紹介しました。

 この世にはもっともっと広く、平和で、仲間の殺されない未知の国がある。
そんな思いを胸にトノサマ蛙の子ブンナは住みなれたお寺の境内にそびえ立つ椎の木に登ります。
やっとの思いでてっぺんまで這い上がったブンナ。
そこには、ブンナがもぐり込むことの出来る土のたまった空間があった。
太陽が輝き、風に草花がそよぎ、うまい虫までが飛んでいる。
天国だ――!
しかし、そこは鳶の餌ぐらだったのです。
次々と連れてこられる傷ついた雀、百舌、鼠、蛇たち。
彼等は「死」を前に壮絶な戦いを繰り広げる。
天国から地獄に突き落とされたブンナ。
(以下略)

椎の木のてっぺんの、わずかな土の中に身を潜めているブンナの頭上に、音をたてと放り落とされたものは、瀕死の状態の雀と百舌でした。

こんな会話が聞こえて来ます(原作本から引用します)。

 「わたしをたべないだろうね……百舌さん……わたしは、鳶につつかれて、半殺しの目にあって、こんなところへつれてこられたんだ。 羽のつけねが折れて立つこともできない……。百舌さん……おまえさんは、こんなわたしを、たべたりはしないだろうね」
ブンナはびっくりしました。 雀が話している相手は仲間ではなくて、百舌らしいからです。いや、おどろいたことには、雀は、鳶にさらわれてきたようです。羽のつけねを折られ、このてっぺんにつれてこられて泣いていることがわかったのです。
「たべないさ。おれだって、おまえさんと同じ身だ。おまえさんは、羽のつけねなら、まだいいほうだ。みてごらん。 おれはうしろ首をあの、鳶のヤツのくちばしで突かれて、ここをわしづかみにされた上に、何度も地べたに落とされたから、じまんのくちばしも折れてしまった。たべはしないよ。たべたって、おれの寿命がのびるわけでもない。おれたちは、ふたりとも、やがて鳶のねぐらへつれてゆかれて、餌食になる運命なんだ。こわがらなくてもいい。雀くん……」
百舌がそういっています。ブンナは、からだがこわばりました。百舌も、鳶にやられているらしいのでした。さらに驚いたことには、この椎の木のてっぺんは、鳶がねぐらへえさをはこぶとちゅうの貯蔵場所だったのです。

今日はここまで。続きはまたの機会といたします。


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続「児島湖花回廊」のヒガンバナ、の巻 [折々散歩]

先日掲載の記事を分割しました。

さて、先日の記事で話題にした「児島湖花回廊」のヒガンバナは、別のカメラでも写していました。
下は、同じFUJI FINEPIXでも、S1の画像です。

「児島湖花回廊」のヒガンバナ

「児島湖花回廊」のヒガンバナ posted by (C)kazg 「児島湖花回廊」のヒガンバナ
「児島湖花回廊」のヒガンバナ posted by (C)kazg 「児島湖花回廊」のヒガンバナ
「児島湖花回廊」のヒガンバナ posted by (C)kazg 
  「児島湖花回廊」のヒガンバナ
「児島湖花回廊」のヒガンバナ posted by (C)kazg 「児島湖花回廊」のヒガンバナ
「児島湖花回廊」のヒガンバナ posted by (C)kazg 「児島湖花回廊」のヒガンバナ
「児島湖花回廊」のヒガンバナ posted by (C)kazg 「児島湖花回廊」のヒガンバナ
「児島湖花回廊」のヒガンバナ posted by (C)kazg
そして、olympusE620とマクロレンズの組み合わせでは?


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イノシシのおこぼれ頂戴、栗拾い、の巻 [折々散歩]

うかうかしているうちに、世の中は、とんでもないことになっています。
ここ数日、世間との回路を遮断していたというわけではないのですが、パソコンや机に向かって作業をする時間が長く、落ち着いて天下国家に思いをめぐらせる余裕がありませんでした。ようやくなんとかめどが立ち、「灰色の実務」から解放されました。
退職同業者の親睦組織の会報を編集する当番を仰せつかり、それにかかりっきりで、ここ何日かは、締切間近のやっつけ作業で、青息吐息でした。
編集後記的文章に、こんなことを書きました。

突如降ってわいた解散総選挙。モリカケ隠しよりほかに、何の大義も見当たらない自己チュウ解散。あわよくば多数議席をかすめ取り、信任を得たとばかりに改憲にまで進む狙いはミエミエ。これぞ国難!許せません。市民と野党の共同の力を、大きく育てて、立憲民主主義を取り戻すチャンスにしたいもの。野党も目先の打算に囚われず、信義を貫いてほしいもの。「消費税の使い道」などに依らずとも、政治がその気になれば教育費負担の軽減は容易なはず。「百年河清を俟つ」わけにもいきません。今年も、さしあたり、「修学援助金」、「教育全国署名」のとりくみに、いっそうのご協力を。

前回記事で、栗拾いの様子を書く予告をしていました。
毬が次々に口を開き始めています。



自然落下した栗の実を、かじったあとがあります。

イノシシの仕業でしょう。夜行性ですから、夜中のうちに食い漁り、朝には残骸が残ります。人間様は、おこぼれを頂戴するしかありませんが、昼間に落ちて来た栗はこちらのものです。

こんな大きな竿を使って、枝をたたくと、熟れた毬栗が落ちて来ます。

午前中、これだけ拾って帰りました。
午後、もう一度行ってみると、少し追加が拾えました。
栗山付近からのぞくと、遠くが眺められます。

あの庭にもこの庭にもキンモクセイが咲き始めていました。

こちらの方が少し早いように思いましたが、我が家でも、一昨日頃から香りを漂わせています。秋たけなわです。
今日の付録。
物干し竿に、アマガエルがいました。

ちかづく魔の手。











しばらく一緒に遊びました。
今日はこれにて。

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古い廉価コンデジと付き合う、の巻 [折々散歩]

昨日の記事で、コンデジで写したと書いた何枚かのヒガンバナの写真は、finepix AV100という機種に依ります。このカメラは、カメラ量販店の店頭で、セール価格で販売されていた廉価・エントリーカメラで、確か新品価格1万円内外の驚きの安値で購入したものを、操作がシンプルで、日常使いにどうかと思って、田舎の父親に贈呈していたものです。実際には、携帯カメラを使うことが多いらしくて、不要なので、孫にでもやって有効活用してほしいと、先日、返してくれたモノです。カメラに挿入されていたメモリーカードには、こんな画像が記録されていました。



「がいせん桜」を訪ねた時のものらしいです。
こんな写真もありました。

自宅の庭に、春の花が咲きそろっている様子です。
庭の池の鯉も、、。

また、冬の雪の写真もありました。







雪国並みの、墨絵のようなシーンです。exifデータを見ると、2010年の冬のようです。
あと、孫たちの姿が映っている画像があって、懐かしい感じがしました。
マクロ撮影も出来ます。



真っ赤にペンキが塗られた防火用水の看板に、なんとも微妙な保護色のアマガエルがへばりついていますが、かえって目立ちますね。
今日の小学校の運動会でも試し撮りしてみましたが、十分使える感じです。

でも、イマドキのスマホカメラに比べて優劣を問われると。。。少々悩みますね。
この日の、冗長な記事を分割しました。

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児島湖花回廊のヒガンバナ、の巻 [折々散歩]

テレビのローカルニュースや地元新聞の記事にこんなニュースがありました。

 岡山市南区築港栄町の花回廊ゴルフコースに隣接する自然緑地で、ヒガンバナが見頃を迎えつつある。一帯にはDOWAホールディングス(東京)と地域住民らでつくる「児島湖花回廊サポーターズクラブ」が植えた約40万株があり、21~25日の一般公開では一面が赤く染まった風景が楽しめそうだ。
 ヒガンバナは今月上旬から咲き始め、彼岸に合わせるかのように開花の本数が増えている。台風18号の影響もほとんどなく、一般公開の期間中に見頃となる見込み。同クラブの男性事務局長(59)は「野鳥が飛び交う緑地の雰囲気とともに、年に一度の“真っ赤なじゅうたん”を楽しんでほしい」としている。
「山陽新聞」9月19日

ほとんど地元ですのに、これまで行ったことがありませんでした。25日まで一般公開ということですが、明日24日は小学校の運動会、25日も予定があるので、今年見ようと思えば今日しかチャンスがない、と思って、行ってきました。
ところで、上の記事にある「DOWAホールディングス」(旧社名「同和鉱業」)の前身が「藤田組」であり、児島湾干拓の担い手であったこと。岡山県南の「藤田」の地名もこれに由来すること。県内屈指の渡り鳥の飛来地「阿部池」も、その干拓の産物であること。現在は一部が埋め立てられてゴルフ場となっていることなどを、過去の記事でも折に触れて話題にしてきました。

岡南逆さ富士、の巻


縁は異なもの、「青頭鳥」再考、の巻


阿部池に師走の雨やミコアイサ


ムルデルの干拓堤防、の巻


ムルデルの樋門など、ご近所の干拓遺跡、の巻


縁は異なもの(2) 鉱山縮小・閉山の余波


病室雑話 2 縁は異なもの、の巻


病室雑話 藤田という地名



その「花回廊ゴルフコース」内の「自然緑地」に約40万株のヒガンバナが植栽され、見頃の時季に一般公開されているのだそうです。




まずは、コンデジ画像で概観をご覧ください。






以下、pentaxk5Ⅱ+smc PENTAX-DA 35mmF2.4ALの画像を「フォト蔵」にupしましたので、クリックして、のぞいてみてくだされば幸いです。
「児島湖花回廊」のヒガンバナ
「児島湖花回廊」のヒガンバナ posted by (C)kazg 「児島湖花回廊」のヒガンバナ
「児島湖花回廊」のヒガンバナ posted by (C)kazg 「児島湖花回廊」のヒガンバナ
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「児島湖花回廊」のヒガンバナ posted by (C)kazg 「児島湖花回廊」のヒガンバナ
「児島湖花回廊」のヒガンバナ posted by (C)kazg
きょうはこれにて。

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おや、こんな日に、お久しぶり、の巻 [折々散歩]

久しぶりの雨です。

すっかり秋の雨という風情です。

半袖では肌寒く、上着を着て散歩に出ました。

雨ですから、防塵防滴を主眼に、

 finepixS1を持って出ました。

一眼カメラは、防塵防滴のボディを所有していますが、防滴レンズがありません。ナイロンカバーなどをくっつけて歩くこともありますがおっくうなので、傘の中で取り扱うことにして、olympusE3+zuiko digital 25mmという薄型レンズを久しぶりに引っ張り出して組み合わせてみました。まったくの気まぐれです。

雨に濡れたコスモス。













向こうに煙って見えるのは、常山です。



路傍のヒガンバナ。











以上、zuiko digital 25mmでした。

久しぶりにカワセミに会いました。いえ、、最近も時々は会っているのですが、写すチャンスがありませんでした。今日は、雨で悪コンディションですが、fuji finepixS1を持ってきています。

それでも、近づきすぎるとすぐに逃げられますから、遠くから写して、トリミングするコトします。



























飛びます。







最近、「どっちももどっち」という言葉が、しばしば脳裏に浮かびます。

8月12日、アメリカバージニア州・シャーロッツビルで、白人至上主義者やネオナチの大規模集会に反対する市民のデモ隊に、ヒトラー崇拝者の20代の白人男性が、車で突っ込み、32歳の女性を死亡させたのをはじめ、大勢が負傷するという事態が生じ、州知事は非常事態宣言を発令したと伝えられています。これに対し、白人至上主義者団体・KKK(クー・クラックス・クラン)のリーダー、ジャスティン・ムーアは女性が「死んでよかった」と発言。「今後もこうした事態が起こるだろう」と脅しのコメントを寄せたといいます。

これについて、トラン大統領は、て白人至上主義者と差別反対派の「両方に非がある」「どっちもどっち」とコメントしたといいます。

そんなばかな、ホロコーストを行ったナチスも虐殺されたユダヤ人も、「両方に非がある」、「どっちもどっち」等という強弁が許されるはずがありません。

そう思う反面、この応酬はどうでしょう。

トランプ 「『ロケットマン』は自身、および自身の体制に対する自爆任務に就いている」「米国は強大な力と忍耐力を持ち合わせているが、米国自身、もしくは米国の同盟国を守る必要に迫られた場合、北朝鮮を完全に破壊する以外の選択肢はなくなる」 (9月19日、初の一般討論演説で)
金正恩 「トランプが世界の面前で私と国家の存在自体を否定して侮辱し、わが共和国(北朝鮮)をなくすという歴代で最も暴悪な宣戦布告をしてきた以上、われわれもそれに見合う史上最高の超強硬対応措置断行を慎重に考慮する」
「前代未聞で無知で粗暴」「政治家ではなく、火遊びが好きなならず者」米国の老いぼれの狂人を必ずや、必ずや火で罰するであろう。
(歴史上初の「声明})

いやあ、どっちもどっちと言いたくなりますね。

もちろん、核戦争阻止、核兵器廃絶を求める国際世論と、大きくその方向へ進みつつある世界の潮流を足蹴にして、核開発とミサイル発射を繰り返す北朝鮮の暴挙は、言語道断、どんな口実をつけても許されません。

でも、「核兵器なき世界」の目標に背を向け、核兵器禁止条約交渉を敵視するアメリカと、その尻馬に乗って条約に反対を表明する日本政府の姿勢は、まったく道理がありません。

しかもその上で、、対話拒否、制裁強化のみを強調するアベソーリの国連演説は、異様の極みと言えました。

アベソーリこのたびの危機は、独裁者の誰彼が大量破壊兵器を手に入れようとするたび、われわれがくぐってきたものと質において、次元の異なるものです。」
「冷戦が終わって二十有余年、われわれは、この間、どこの独裁者にここまで放恣にさせたでしょう。北朝鮮にだけは、われわれは結果として許してしまった。それはわれわれの目の前の現実です。
かつ、これをもたらしたのは「対話」の不足では断じてありません。
対話による問題解決の試みは、一再ならず、無に帰した。
何の成算あって、われわれは三度、同じ過ちを繰り返そうというのでしょう。
北朝鮮に全ての核・弾道ミサイル計画を、完全な、検証可能な、かつ、不可逆的な方法で放棄させなくてはなりません。
そのため必要なのは、対話ではない。圧力なのです。」
対話嫌いはこの人の根深い本性なのかも知れませんが、外交場面でもそれ一辺倒とは、困ったことですね。

北朝鮮の暴走に、実際にブレーキをかけることが期待される最大の国、中国の反応は?自国の国益や立場はもちろん反映しているでしょうが、トランプ・アベコンビの言いたい放題よりは、よほど筋が通っているように聞こえますがね。

中国外務省陸慷報道局長我が国はこれまで同様、朝鮮半島の非核化ならびに核兵器不拡散の国際体制を支持しており、朝鮮半島の安定と平和を保証することが不可欠であり、この問題を解決するための唯一の効果的な方法とは、対話、協議、平和的調整だと考える」
「着実な対話によって核不拡散問題を解決するための成果を得てきた」
「制裁だけでどうにかなると考える国もあるが、現実にはそうした成功事例は見たことがない」


ドイツのメルケルさんも、トランプの北朝鮮を完全に破壊する以外の選択肢はなくなる」等の脅迫に対して反発してこう述べています。

「こうした警告には賛同できない」
「いかなる軍事行動も完全に不適切であると考えており、ドイツは外交的な解決を主張する」と


また、フランスのマクロンさんの国連演説を、「毎日新聞」は、こう報じています。

 マクロン仏大統領は19日、国連総会で初めて演説し、国際的な対話と、世界的な問題への対処で各国が連携する多国間主義の必要性を訴えた。「米国第一主義」を強調したトランプ米大統領と対照的な国連デビューとなった。AP通信は「危機への取り組みで深い相違」と指摘するなど、両氏の違いに焦点を当てた。
 マクロン氏はトランプ氏が離脱を表明している地球温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」について、「米国の決断は尊重し、ドアは常に開いている」としながらも、すべての政府や自治体、企業などと協力して履行する考えを示した。
 トランプ氏が強硬姿勢を見せる北朝鮮の核・ミサイル開発やイランと米欧などの主要6国が2015年に締結した核合意についても、対処方針に違いが際立った。マクロン氏は北朝鮮への対応について「緊張を高めることを拒絶する。対話の道を閉ざすことはしない」と強調し、外交による解決を探るべきだとした。イランが核開発を大幅に抑制する見返りに経済制裁を解除する内容の核合意を、トランプ氏は「最悪で一方的」と批判するが、マクロン氏は「平和に不可欠だ。破棄は大きな間違いだ」とけん制した。
 さらに、国連を「官僚主義」だと批判するトランプ氏を念頭に、「多国間主義は、外交官によるゲームだという考えが広まっている」と述べ、「テロや気候変動などは多国間主義を通じてしか乗り越えられない」と強調した。トランプ氏は「他国不干渉主義」で国益を優先するが、マクロン氏は多国間主義による国際協調を訴えた。
 国連本部でマクロン氏の演説を聞いたアフリカ連合(AU)スタッフの米国人、サバンナ・メリウスさん(34)は「力を誇示するトランプ氏と正反対で、対話を重視する。問題解決にはマクロン氏の姿勢が必要だと思う」と語った。

そもそも、この国連総会の冒頭演説で、グテレス国連事務総長はこう指摘していたそうです。

「怒りがこもった対話は、取り返しがつかない誤解につながる」

どうやら、この言葉を理解できなかった人が、約二名おられたようですね。「自分ファースト」の盟友、トランプ・アベコンビの特異さが際だった国連総会だったようです。ああ、日本国民として、はずかしい。

内政でも、「自分ファースト」の本領発揮、勝手放題の解散総選挙。モリカケ疑惑も不問に付して、アベ改憲に弾みをつける多数議席をまたもや許しました、、、とあっては、二重三重に恥ずかしい。ごめんこうむりたいものですね。

今日はこれにて。


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金星と月寄り添ふや野分晴 [折々散歩]

さんざん大荒れして、台風18号が通り過ぎました。
わが地方は、盛大に各種の警報は発せられましたが、幸いに甚大な被害らしいものはなく、今朝は台風一過の晴天に恵まれました。
夜明け頃、ふと空を見あげると、、、、、。

トリミングしてみます。
丸く囲ったあたりに注目です。

どんどん、ズームしてみます。





たまたま、FUJI FINEPIXS1を持っていましたので、望遠能力は高いです。
月はわかりますが、その近くに明るい星が寄り添っています。金星(ビーナス)のようですね。一晩吹き荒れた大風を、寄り添い合って耐えていたかのように、晴れやかな未明の空に、明るく輝いていました。
山肌の柿の木が、葉を吹き散らされ、青柿を振り落とされていました。



今日は、祝日ですが、孫宅のパパは仕事。ママも本来は休みのはずが、台風の影響で急遽勤務が入りました。バアバもパートの仕事日です。
というわけで、子守の仕事が舞い込みました。
中学生の部活動は、試合の予定でしたが、朝7時の段階で警報が出ていたら中止、となっていました。でも、警報は残っているものの影響が薄れていく見通しなので、にわかに実施となりました。車で⑳婦鉛のところですので、私が送る役を仰せつかりました。残った小学生二人と保育園児たちは、しばらく子どもたちだけでおとなしく留守番をしていましたが、保育園児のウンチの処置で機嫌が悪くなったというので、ジイジの出動となりました。
おにぎりを持って公園で遊びました、よく晴れて、さわやかでした。





夜は、演劇鑑賞に行きました。
劇団「青年座」の公演「ブンナよ木から降りてこい」です。

劇団のHPにはこんな紹介がありました。

作品について


この世にはもっともっと広く、平和で、仲間の殺されない未知の国がある。
そんな思いを胸にトノサマ蛙の子ブンナは
住みなれたお寺の境内にそびえ立つ椎の木に登ります。
やっとの思いでてっぺんまで這い上がったブンナ。
そこには、ブンナがもぐり込むことの出来る土のたまった空間があった。
太陽が輝き、風に草花がそよぎ、うまい虫までが飛んでいる。
天国だ――!
しかし、そこは鳶の餌ぐらだったのです。
次々と連れてこられる傷ついた雀、百舌、鼠、蛇たち。
彼等は「死」を前に壮絶な戦いを繰り広げる。
天国から地獄に突き落とされたブンナ。
土の中で怯え、慄きつつ、なを生きることを考える。
季節は秋から冬へ、そして長い長い冬眠――。
春がやってきた。
眠りから覚めたブンナは鼠から生まれ出てきた虫たちを食べ、
仲間が住むお寺の庭へと降りて行くのでした。


少し引用します。

 水上勉氏に「ブンナよ木から降りてこい」という児童向けの作品があります。ブンナは、釈迦の悟りの遅い弟子ブンナーガにちなんだ名前を持つトノサマガエル。木登りが得意です。
ある時ブンナは高いシイの木のてっぺんに登るが、そこは、実は鳶の巣であり、逃れがたい「生命の連鎖」の諸相に直面する場所だったのです。
、「生命の連鎖」の重みや、いのちを繋いで生きることの尊さを、子どもたちと一緒に考えさせるこの作品は、舞台演劇やアニメーション映画にもなりましたね。私は残念ながら、観てませんけれど。

抜き書きメモ
「弱いってことは、わるいことではないよね、かなしいことだけど……わるいことではないよね」(雀の言葉)
「ブンナよ、おまえはいつでも死ぬ覚悟ができているか。この世は弱肉強食の世界だ。かえるにうまれたおまえは、いつへびにみつかっても、鳶にみつかっても、みぐるしくなく、つれていゆかれる心ができていなければならない。ブンナよ、覚悟はできているか」(老蛙の言葉)
生老死悟り顔なる夏蛙より

ここで「私は残念ながら、観てませんけれど。」と書いていましたが、その残念さは、ここで晴らすことが出来ました。ところで、観劇の感想は?またの機会に譲ります。
今日はここまで。

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「蓮」と「漣」の関連と区別についての考察???の巻 [折々散歩]

昨日の記事のタシギは、ハス田で撮影しました。
セキレイはたくさんいました。

コサギも。

上の2枚は、finepixs1です。
したはPENTAXk10d+タクマ-300mm+テレプラスの画像ですが、色が見劣りしましたので、モノクロに変換してみました(トリミング)。そもそも白黒フィルムの時代ですから、カラー画質を期待してはいけないのかも知れません。ピンぼけは、ご愛敬、、、。

ハスは、もちろん、漢字で「蓮」と書きます。
明治安田生命の名前ランキングによると、男の子の名前として「蓮」は2000年以降人気があり、2014年には1位を獲得。2015年は3位。2016年は2位と、高い人気を維持しているそうです。「ハス」でのも「ハチス」でもなく、ましてや「ロータス」でもなく、多くは「レン」君とお読みするのでしょうね。
ところで、よく似たこの字は?

難読漢字のひとつでしょうか?
音読みでは、これまた、「レン」と読むのでしょうね。
これを、訓読みで「さざなみ」と読むのだそうです。
知りませんでした。
昨日の朝、中学生の孫を部活動の練習会場に送った帰り道、偶然、宇野港付近をとおりかかったら、巨大な船舶が停泊しているのが見えました。近づいてみますと、海上自衛隊の護衛艦「漣(さざなみ)」だそうです。
記念写真だけでも写して帰ろうと、車を止められる場所を探しながらゆるゆる走っておりますと、「臨時駐車場」の表示があり案内の人が立っておられます。一度通りすぎて、Uターンしてみますと、「護衛艦艇さざなみ一般開放」の見学者のための臨時駐車場だそうです。
はじめは、遠くから何枚か写すだけのつもりでしたが、せっかくの駐車場なので、成り行きで敷地内に入ってみましたら、かなり奥まった場所まで案内されました。ちょうど台風の影響で雨が降る中でしたので、傘を差して埠頭まで歩きます。よほど遠くから写さないと、広角28mm相当でも、巨大な全身が収まりません。

時刻は午前9時前でしたでしょうか?9時半乗船開始だそうで、もうすでに行列ができています。そうか、一般開放ということは、外から見るだけでなく、乗船体験ができるということなのですね。

元来、そういうのは、あまり気が進まない性分なのですが、ちょっとした気まぐれで、行列の後尾について順番待ちすることにしました。

見あげたところに救命ボートが装備されていますが、これがかなりのサイズです。しかし艦艇全体の大きさに比べると小さく見えます。

近くを、フェリーが通りかかりました。日頃は大型フェリーと思えるこの船が、なんと小さいこと。



行列に従って艦内を見学して回ります。
いろいろな装備や武器が展示され、自由に触れたり内部を見学したり出来ます。隊員の方が丁寧に接客、説明してくださいます。



















メカニックな計器類が、時代の先端を思わせます。





艦内のいくつかの部屋も公開されています。




記念撮影コーナーもあります。

制服や装備を試着できるコーナーもあり、記念写真におさまる子ども連れ家族の姿もありました。
さりげなく、掲げられているこんな掲示が目につきました。

やはり、命がけのお仕事です。
若くて精悍な、気持ちの良い海の男たち=乗組員の皆さん。常日頃から、いざという場合への心構えは固めておられることでしょう。でも、この方たちが、いたずらに「いざという場合」に直面しなくてすむように、細心の注意を払う責任は、政治にあります。
北朝鮮の愚行を最大限利用して、国民の不安と敵愾心を煽り、「異次元の圧力を科す必要がある」。「圧力をかけていかなければ、彼らは対応を変えていかない」「今のまま国際社会に挑戦を続けていけば、未来がないと北朝鮮に理解させないといけない」などなど、ますますヒートアップして、行け行けどんどんで好戦的気分を駆り立てるアベ内閣。大変困ります。
日刊ゲンダイがこんな記事を書いていました。まったく、もっとも至極です。

 元中国大使の丹羽宇一郎氏も7日付の朝日新聞で、北朝鮮情勢を口実に先鋭化する安倍政権に対してこう懸念を示していた。
〈最近、北朝鮮や中国への強硬論がまかり通っています。危ないことを格好いいことだと思っている。戦争の真実を知るべきです〉〈戦争の真実とは何か。それは、「狂う」ということです〉〈北朝鮮問題の解決については、すべての核保有国が2年間、核開発と使用を一切凍結する。その間に、唯一の被爆国日本が仲介し、米朝、米中で話し合う。これが唯一の道だと私は考えます〉


見学を終えて駐車場に向かいますが、相当歩かないと全容がカメラに収まり切りません。
s-S0303078.jpg

思いがけない体験でした。
今日は、台風接近のため一般公開中止と、朝方、TVのテロップが流れていました。
偶然の出会いも、何かの縁。護衛艦「さざなみ」について、次回また改めて、お話が続きます、、。

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ムナグロには遭へざりしかど、、、の巻 [折々散歩]

私の居住地エリアに、こんな鳥が来ていると、先日M師が教えてくださいました。





ムナグロだそうです。
ノドグロは、テニスの錦織圭さんの好物だと聞き知っていましたが、あれは魚ですし、、、。
ハラグロは?もちろん、言わずと知れたあの連中ですな。誰とは言いませんがね。
ムナグロは?面識ありません。是非会いたいです。
詳しい観察スポットまで教えてくださいました。私の日頃の行動エリアの範囲内です。
「タマシギのように巣を作っているわけではなく、移動の途中の休憩ですから2.3日しか滞在しませんので、行かれるのでしたら早いほうがいいでしょう。」とありました。
あいにく、アルバイトの仕事やら、保育園の祖父母向け行事やらが続きましたので、すぐ近くの場所なのに、なかなか出かけることが出来ません。何とか、隙を見付けて夕方や朝に出かけてみましたが、残念ながら、対面はかないませんでした。
今日も台風の雨の中、のぞきに行ってみましたが、やはり見つかりません。
残念なので、少し足を伸ばして別の場所をのぞいてみました。
雨が降っていましたので、濡れても惜しくない機材ということで、防塵防滴のPENTAXK10Dに、超オールドレンズのタクマー300mmf4+テレプラスを用意してみました。
あたりが薄暗い上に、マニュアルフォーカスによるピンぼけと、オールドレンズの不鮮明さと、色収差等など悪条件が重なって、はっきりしませんが、トリミングしてみます。
どうやら、タシギでしょうか?二羽います。





もう一台用意していたのは、防塵防滴のコンパクトカメラFUJIファインピクスS1です。





このカメラ、あなどれません。
ところで、M師からの次の便りに「私どもも翌日の朝行きましたが、いませんでした。秋の渡りはシベリアあたりから一気に南洋諸島まで渡るようで、日本への滞在は短時間のようです。」とありました。しぶしぶ納得した次第です。
とともに、この動画を広めてほしいと、依頼がありました。
先日書いたこの記事、小鳥の森がアブナイ?の巻の続きです。是非、ご覧ください。

https://youtu.be/eisNYSchODI
取り急ぎご紹介まで。
今日はこれにて。

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今日の月、の巻 [折々散歩]

留学生相手の日本語授業の前期試験が近づいていて、これまでの授業プリントの中からセレクトして、試験対策プリントを用意しようと思っていました。A4裏表5枚ほど、午前中に仕上げました。辛気くさい作業なので、朝散歩の後で取りかかることにしました。

夜明けです。



朝日を浴びて露が光っている稲田に、蜘蛛の巣が不思議な美しさで輝いています。





常山の上空を彩る蜘蛛も秋の気配です。











稲田の向こうに麦飯山を望みます。













栗の実も熟し始めている様子。



柿の葉。病葉でしょうか、色づいています。











朝顔がまだ健在です。















芙蓉(アメリカフヨウ?)に露が降りています。









空を写そうと、上を見上げると、、、、。



頭の真上に、月がありました。



パソコン作業に飽きて、畑仕事を少々。30℃超えの暑さでした。

夕方、もう一度散歩しました。その際の画像は、またの機会に譲ります。

ところで、バアバによると、小4の男の子が、夜になって表に出てきて機嫌悪く空を見上げていたそうです。月の観察という宿題があったことを、母や兄に追及されて、観察に出てきたようです。「月なんか出て内」と起こっていたようです。

朝見た月の記憶がありましたから、念のために調べてみると、私の地方の、月の出月の入りはこんな具合。

年月日 方位[°] 南中 高度[°] 入り 方位[°] 正午月齢[日]
2017/09/01 15:06 114.0 20:18 35.3 0:42 246.1 10.4
2017/09/02 15:52 113.3 21:07 36.1 1:31 246.1 11.4
2017/09/03 16:36 111.3 21:56 37.9 2:23 247.4 12.4
2017/09/04 17:17 108.2 22:44 40.6 3:18 249.9 13.4
2017/09/05 17:56 104.2 23:33 44.1 4:16 253.4 14.4
2017/09/06 18:33 99.4 --:-- ---- 5:15 257.9 15.4
2017/09/07 19:09 94.1 0:22 48.2 6:16 263.0 16.4
2017/09/08 19:45 88.5 1:10 52.7 7:18 268.7 17.4
2017/09/09 20:22 82.9 2:00 57.5 8:21 274.4 18.4
2017/09/10 21:01 77.6 2:50 62.1 9:25 280.0 19.4
2017/09/11 21:43 73.0 3:42 66.4 10:30 285.0 20.4
2017/09/12 22:29 69.4 4:36 70.1 11:35 289.2 21.4
2017/09/13 23:21 67.1 5:33 72.8 12:40 292.1 22.4
2017/09/14 --:-- ---- 6:30 74.3 13:41 293.5 23.4
2017/09/15 0:18 66.4 7:29 74.4 14:39 293.2 24.4

今日の月の出は、23:21!小4生が観察出来る時間ではないようですね。

今日はここまで。


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○○補遺補遺、の巻 [折々散歩]

昨夜から明け方にかけて、激しい雨が断続的に降りました。県内でも、何カ所かJR線が運行休止になるなど、思わぬ影響が出ました。

カレンダーには、「年金裁判」とメモしていましたので、悪天候ながら裁判所まで、公判の傍聴に向かいました。

家を出発してすぐ、運転席側面の窓ガラスに、かなり巨大なゴキブリがへばりついていることに気づきました、昨夜の雨風を避けて、サイドバイザーの陰に身を潜めていたものらしいです。運転中ですので、窓ガラスを下ろして、うまく追い払える自信もありませんし、捕獲することも容易ではなさそうです。まさか、これからゴキブリホイホイを仕掛けるわけにも行きません。

走行を始めれば逃げ出すだろウト高をくくったのは大間違いでした。「エーイ振り落としてやる」と、嗜虐的な衝動に駆られて、スピードを上げたり緩めたり(もちろん周囲の車の流れに合わせてですが)してみても、長い触覚が大きく揺れていることをのぞいては、悠然として身動きもしません。走行中、ほとんどそのことばかりを意識しながら、どれくらい走ったでしょうか。朝の通勤ラッシュの中ですから、走行距離はさほどでもないのに、数十分は彼のドライブに付き合う羽目になりました。

しばらく走り続けたあと、何度目かの赤信号で停車し、信号待ちをしている途中、彼はもそもそと動き出し、サンバイザーの陰を脱して窓ガラスを伝ってボディのあたりまで足早に降りて行きました。信号が青に変わり、発車。その弾みに、やっと彼の体は車体から離れたのでした。

もちろん、運転中ではありますし、写真に撮ったりする余裕はありませんでした。というより、写真に撮りたい対象でもありませんから。

代わりと行っては何ですが、これも今日、車のフロントグラスに乗車されたお客様です。







夕方、雨上がりに、ちょっと畑に行った帰りに、乗り込んできて、我が家まで乗って帰ったバッタです。

畑の周辺の田園風景です。先日通った山田では刈り入れが終わっていましたが、この辺りはまだ稲の葉が青々としています。



よく見ると稲の花が咲いています。



昨夜は、何度も稲光、稲妻が空を走り、大きな雷鳴がとどろいて、激しい雨が降りました。

以前こんな記事を書きました。

佳き光賜(たまは)る朝や稲太る


 「稲妻(いなづま)」「稲光(いなびかり)」とは、いずれも雷光の別名です。
古来、「つま」とは、男女を問わず配偶者を呼ぶ呼称です。「稲妻」とは、「稲」の「夫(つま)」のことで、稲妻が光ると稲が実ると言うのです。古来、稲が結実する時期に雷が多いので、こんな言葉が生まれたようです。
ちなみに「雷」は古くは,「イカヅチ」と読んだようで「カミナリ」と読むのは相当時代が下って、中世以降に優勢になる読み方であるようです。
そういえば、平安初期の『伊勢物語』に「神さへいといみじう鳴り」「神鳴るさわぎ」という表現が出てきました。神様が鳴るのが雷(かみなり)なのですね。
「稲妻」「稲光」は視覚を、雷(かみなり)は聴覚を、それぞれ刺激します。ところで、『伊勢物語」「芥川」のこの場面は、以前この記事であらすじを書いたことがありますが、今日は、念のために原文を引用しておきます。
 昔、男ありけり。女の、え得まじかりけるを、年を経てよばわたりけるを、辛うじて盗み出でて、いと暗きに来けり。芥川といふ河を率て行きければ、草の上に置きたりける露を、
「かれは何ぞ」
となむ男に問ひける。行く先遠く、夜も更けにければ、鬼あるところとも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる蔵に、女をば奥
におし入れて、男、弓・胡?を負ひて、戸口にをり。はや夜も明けなむと思ひつつゐたりけるに、鬼はや一口に喰ひてけり。
「あなや」
と言ひけれど、神鳴るさわぎに、え聞かざりけり。やうやう夜も明けゆくに、みれば、率て来し女もなし。足ずりをして泣けどもかひなし。
白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを
「稲妻」「稲光」が稲を実らせるとの言い伝えはもっともなことですが、「稲」を明るく輝かせる朝の光も、稲を着実に太らせているのではないでしょうか?これがホントの「稲光」。---そんな説は聞いたことがありませんが。

話がそれて、なかなか本題に戻れません。

そうそう、今日の主な行動は、「年金裁判」の傍聴です。裁判所に9時18分に着いて(急に細かい数字が出てきますが、駐車券に刻印された入場時刻です)、ロビーあたりをうかがいますに、それらしい様子がありません。ソファーに座って待ちます。待ちに待ちますが、気配がありません。不安になって、受付窓口出来いてみました・

「今日は年金の裁判、入ってませんか?」

「入ってますよ」

「ああ、じゃ、もう始まってるんですか?」

「いえ、11時からです」

早く着きすぎたのでした。まあ遅れるよりはましでしょう。少し時間を潰してこようと、駐車場に向かい、車で動こうと思ったちょうどその時、同業退職者のO先輩の姿をみつけました。早速声をかけますと、曰く「10時からとメモしているけど、集合時刻だったか開始時刻だったか不確かで、早めに来た」とのこと。待つうちに、三々五々、集まってこられました。正しくは、10時半集合だったそうで、ゆったり時間が過ぎました。病院の待合で、待つことに離れてますから平気ですが。

予定のの時間までには、原告、傍聴の方たちが、県内各地から続々と詰めかけ、JR普通の影響で何人かは欠席されたにもかかわらず、傍聴席は満杯。廷外廊下で待機する方も何人も出るほどでした。

開廷前の入廷行進。ケータイ(ガラケー)で写しました。



裁判は、この記事年金裁判第2回公判傍聴雑感、の巻にも書きましたが、2013年10月の年金減額を不当として争う第一次訴訟と、2015年4月に初適用されたマクロ経済スライドを違憲・違法として追加提訴した第二次訴訟とが並行して行われています。今日の公判は、それぞれ15分ずつが割り当てられていたのですが、予想通り呆気なく終わりました。

その後場所を変えて、まとめの集会があり、弁護団からの説明や質疑、意見交流が行われました。

印象に残ったこと。

出席者から、週刊ポストの年金特集の紹介がありました。








「この裁判は、子や孫に、安心して暮らせる老後を保障するためのジジババのたたかい」(原告団長東さんの言葉)

「当面重視するのは、原告の陳述書提出の取り組み。年金削減とは、一人ひとりにとってどういうことか、具体的事実に即してありのままに語る。いわば、人生を語るとりくみ。事実の力・重さで、裁判官の心を動かす。」(弁護団)

「陳述書、長くなってもかまわないが、出来るだけコンパクトにまとめる努力を。長い文章を書くのはたやすいが、短くまとめることは難しい。」(弁護団長)

いやはや、もっともです。私のブログ、まったく当てはまりますから。

今日の記事も、さっさと終わりたいのですが、とにかく、「○○補遺補遺」という意味不明のタイトルに決着を付けねばなりません。

先日写したタマシギについて、M師が「親鳥のツタンカーメンのような顔がよくわかります。この親は♂です。メスは卵を産むとすぐに次のオスを探しに出てゆきます。タマシギ♂は究極のイクメンです。」と教えてくださいました。そして、ツツドリの写真を添えてくださいました。

赤色系(メスと言われている、珍しい)だそうです。


青色系(こちらが普通)







「ツツドリはホトトギスと同じで托卵し子育てを全くしません。」とありました。

この写真は県北の公園で撮影されたそうですが、私の最寄りの公園にもツツドリの姿が見えるという情報を、実は少し以前、M師から教えていただいておりました。そこで私は、訪ねていってみたのですが、、、。







どうもこれはヒヨドリのようですね。

代わりに、エナガを写せたので満足してます。





それと、最近の散歩で写したサギたちの写真。補遺です。







もっと補遺の追加を用意していましたが、今日はこれにて中断。ごきげんよう。


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秋あれこれ、の巻 [折々散歩]

部屋の中を、カナヘビの赤ちゃんが遊んでいるのを見つけ、驚きました。
ヤモリならわかりますが、カナへビとは。どこから入ってきたのでしょう。
壁を這って逃げようとしますが、ムリです外にはつながってませんから。

捕虫網でソオッと掬って、表へ逃がしてやりました。
ところが別の日、またまたリビングにカナヘビ。
同じような場所に逃げます。

聞くと、妻も発見して逃がしたそうです。
侵入経路が謎です。部屋の中で生まれたの?と考えるとホラー感が刺激されます。
庭には同じような大きさのカナヘビが、ちょろちょろ何匹も走り回っています。
捕まえたよと、小4生がみせてくれました。

両手に、一匹ずつ捕まえています。

いろいろな蜘蛛も、すこしはすずしそう?

朝日を浴びる朝顔。


飛ぶアオサギにカメラをを向けますが、ぶれます。
日中は日射しが強くなりますが、それでも涼しい風がありがたい。

この花の正体がわかりません。毎年おなじ場所に咲きます。









トンボはなおさらです。オートフォーカスは間に合いません。マニュアルで、ようやくそれらしく写ります。ギンヤンマです。
夕焼け雲がおもしろい色とかたちをみせてくれます。

昨日は、田舎に草刈りに行ってきました。栗の木や、柿の木の下草を、少しだけ刈りました。山の斜面に切り開かれた畑で、以前は麦や野菜を耕作していました。乳幼児の私を、乳母車に乗せたまま耕作していて、乳母車ごと坂道を転げ落ちたこともあったとか。子どもの頃、ここに栗の苗を植えた日の記憶がぼんやりとあります。「桃栗三年柿八年」とか言いますが、かれこれ50年もの間、毎年、実を提供し続けてくれていることになります。
後に畑の一部が削られて、公道が通ったりして、地形もすかっりわりましたし、笹や下草が思うままに生い茂って、畑だった面影はどこにもありません。それでも、栗の実を拾ったり、柿の実を少しでもぐために木に近づけるよう、下草を払う仕事を、これまでは老父がしていたのですが、足膝の痛みもあって今年は出来ませんので、代理の作業です。
草刈り機の燃料タンクが一回空になり、給油してあらかた目一杯、作業を続けました。真夏に比べると汗の量が違いますが、それでもシャツがぐっしょり濡れます。
草刈り機ではとても刈り払えない、直系10センチ以上もあるようなハゼノキも何本もはびこっているので、これをのこぎりで切り倒すなど、ちょっとした木樵作業も楽しんで、快い疲れと足腰の痛みを土産にもらってかえりました。
まだ青いイガですが、枝を揺するとぱらぱらと落ちてきましたので、持って帰ってみました。本格的には、例年だと20日過ぎかと、父は言います。

早く熟れる品種もあって、木の上で口をひらいて、すでに実を地面に落としているとしているらしい毬もあるのですが、地面に栗の実は見当たりません。毎年のことですが、夜の間に、イノシシが実をたべて帰るらしいのです。負けないように、昼間の間にこちらが拾って帰らなければなりません、
イチジクも、どんどん熟れています、これは烏との競争です。

帰路、少し足を伸ばして、上山の棚田(上山千枚田)と言うところを訪ねてみようと思いました。

上山の棚田/美作市ホームページから引用します。



 

上山の棚田

美しい棚田風景を目指して

 かつては8300枚の棚田があったといわれる上山地区。減少してしまった美しい棚田を取り戻そうと、Iターン、移住者などの方々を中心に復興作業やさまざまな活動が行われています。

花咲くのどかな棚田や周辺では斜面地での里山の暮らしの息吹が感じられます。
地域おこし協力隊の活動HP:上山集楽(外部サイトへ移動)


中学生時代、友人を訪ねて、この地域へは自転車で行ったこともあります。往時の棚田も、見覚えがあります。
「自分の田を数えてみたがどうも一枚足りぬ、どうしたことかと気づいてみると、自分の笠が田を一枚かくしておった」というような、千枚田の伝承を聞いた記憶もあります。
離農や高齢化で、荒れていた土地を、地域おこしの・復興の取り組みが進んでいることは、全国ニュースやドキュメント番組でも取り上げられ、注目を浴び強う担っています。あのアベ昭恵夫人の「支援」も、鳴り物入りで喧伝されています。
というわけで、ちょっと一目見てやろうと思って山道を走ったのですが、、、。
確かに棚田めいた田圃はありましたが、これでは規模がイメージと違います。



この辺りでは、冬の訪れが早いので、稲の刈り取りが終わっているようです。
結局本格的な棚田風景にめぐりあえないまま、「和気町」という表示があらわれます。隣の行政区に到達してしまったようです。これは道を間違えたぞ、と、今来た道をあと戻り、、、したのですが、目的エリアにたどり着けず、平地まで「下山」してしまい、今回の訪問は実現しませんでした。オソマツ。
途中、こんな滝を見ました。







今日はここまで。

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