So-net無料ブログ作成
検索選択
折々散歩 ブログトップ
前の20件 | -

梅雨なれば雨降る夜を愛おしむ [折々散歩]

入梅が報じられてから、わずか一日雨が降っただけで,後はずっと快晴と言っていい上天気が続いてきました。
留学生たちに「梅雨にはいると、毎日雨が降り続き、時に雨が上がってもじめじめと蒸し暑い不快な天気が続きます。でも、農作物にとっては、大切な恵みの雨です。」というような説明をしましたのに、まったくカラカラに乾燥した毎日で、ちょっとばつが悪いです。
それよりなにより、畑が干からびて、丈夫はずのサツマイモ苗も活着しないまま枯れたり、かろうじて根付いても生育しないなど、作物へのダメージが心配です。庭に植えたトマトやきゅうり、ピーマン、ブロッコリーなどは適宜水やりもできる野で、まずまずの生育ぶりですが。
昨日の夕方は、ポリタンク20㍑杯の水を車に積んで、小4生と畑の水やりにいってきましたが、文字通り焼け石に水で、気休めにもなりません。
そんななか、やっと昨日の夕方から雨で、ちょっとほっとしています。でも、それが激しい大雨と激しい風で、地方によっては河川の氾濫に見舞われるなど、困ったものです。
今日も一日雨の予報でしたが、ほとんど降雨はなく、午後には青空がのぞきました。
カメラにナイロン製の防水カバーを施し、雨傘を準備してご近所散歩に出かけましたが、全く不要でした。この時期、田圃に水が張られ、田植えが進んでいます。











昔は、大勢の早乙女が、とはいかなくても、家族総出、地域総出の田植え風景が見られたのでしょうが、この広大な水田を見渡しても、あちらに一台、こちらに一台、と、トラクター式の苗植え機が走っているのが見えるだけ、また、苗を植えず、種を直播きするするところも多いようです。

コチドリがいました。



アオサギです。



おや、顔が写りません。

小4の孫が言うには、田圃にカエルが沢山いるよ。それを狙ってサギも多いよ。なるほど、教えられます。

用水路の水草の上に、アオスジアゲハです。



どこからかツマグロヒョウモン♀が飛んできて、畑に止まります。

大輪のヒマワリも咲いていました。
朝の曇った状態で。

そしてこれは、午後の晴れた状態で。



もうすっかり夏の風情です。
ところで、先日留学生相手にこんな日本語教材をつくってみました。(ふりがなは省略します)
 日本語読解学習プリント 
➌次の文章を読んで後の問に答えなさい。
日本の 古都 京都は、平安の世から続く王朝文化が色濃く残り、数多くの神社仏閣とともに、数々の祭が現在まで伝えられています。
 その中で、1000年以上の歴史ある春の「葵祭」と、夏の「祇園祭」、そして、平安遷都1100年祭の記念行事として明治28年(1895)に建てられた平安神宮の祭りである「時代祭」が、「京都三大祭」と呼ばれています。
葵祭は、正式には賀茂祭と呼ばれ、京都市の下鴨神社と上賀茂神社で、5月15日(陰暦四月の中の酉の日)に行なわれます。平安時代の優雅な王朝装束に葵の葉を飾った行列で知られ、平安時代、「祭」といえばこの賀茂祭のことを指しました。
祇園祭のはじまりは869(貞観11)年。当時、京の町では疫病が流行し、大勢の死者が出る悲惨な状況でした。医学の発達していなかった当時、猛威を振るったこの病を、人々は神仏に祈願することで収めようとしました。
そして国の数にちなんで66本の矛を神泉苑に立て、さらに祇園社の神輿を担いで参集しました。こうして祈祷により疫病退散を祈った「祇園御霊会」が、祇園祭の起源だと言われています。
この「祇園御霊会」は、疫病が流行した時のみ行われていましたが、970(天禄元)年より毎年行われるようになりました。その後、時代が進むにつれてこの御霊会に民衆が積極的にかかわるようになり、徐々に祭りの要素が付け加えられてゆきます。
応仁の乱(1467~77年)で祭りは途絶えましたが、1500(明応9)年に町衆の手で再興されました。以後、中国やペルシャ、ベルギーなどからもたらされたタペストリーなどを各山鉾に飾るようになりました。これらの懸装品の豪華さゆえに、山鉾は「動く美術館」とも呼ばれます。江戸時代にも火災に見舞われたが、町衆の力によって祭りの伝統は現代まで守られています。2009年にはユネスコ無形文化遺産に登録されました。

問1 京都三大祭りのうちで、一番新しいものは次のどれですか。正しいものを選んで記号で答えなさい。
ア 葵祭   イ祇園祭   ウ時代祭   エ祇園御霊会   オ賀茂祭
問2 祇園祭の起源とされるの次のどれですか正しいものを選びなさい。
 ア祇園御霊会  イ疫病  ウ応仁の乱  エ 夏祭り  オ賀茂祭
問3 平安時代、「祭」といえば何をさしていたか、答えなさい。
問4 それでは「花」といえば何をさしていたでしょうか?
話題提供のつもりです。

答えは、もちろん、問1 ウ  問2 ア  問3 葵祭(賀茂祭)  問4 桜



問4は、何人もが、口々に答えてくれました。



「葵」について中国人学生が、「ヒマワリのこと?」と尋ねてくれました。そういえば向日葵の漢字表記は、中国語由来だそうですね。ヒマワリはなじみの深い植物で、種も至ってポピュラーな食材なのだそうですね。



散歩道のタチアオイ。



















ところで、先日ドイツの森で見たこれもタチアオイでしょうか?見慣れない色でした。







きょうはこれにて。



孫とアジサイ、の巻 [折々散歩]


日々の暮らしが慌ただしくて、当ブログはweb日記の用をなしません。

先週の記事で、2歳の保育園児のアデノウィルス感染について書きましたが、幸いにもほどなく回復し、治癒証明を得ることができ、登園許可が出ました。保育園に行ってくれたら、こちらは平安で、ありがたいことです。

代わって、市内に住む長女が一歳児を連れて数日滞在しました。すわ夫婦の危機?といったことではありません。念のため。

梅雨入り以降、一日しか雨が降らず、畑もカラカラです。16日(金)早朝、水やりに行きました。畑付近からの眺めです。















その日の日中は、おにぎり弁当を持って、深山公園で遊びました。



後ろの立て看板を拡大します。







花が咲いています。







坂道で転んじゃいました







アジサイが見頃です



























土曜日(17日)は、郷里まで草刈りに同行しました。(既報)

実家の庭のアジサイです。



クチナシの花も、かぐわしく咲いています、







日曜日(18日)の地元紙「山陽新聞」に、県内のアジサイの見所の記事が載っていました。

ネット記事はこちら
記事の概要をご紹介します。

アジサイ見頃 各地で涼しげに咲く 岡山県内の主な観賞スポット紹介 

 岡山県内各地でアジサイが見頃を迎えている。梅雨に入ってから続く好天の下、植物園や神社では青、紫、ピンクなどの花が涼しげに咲き、訪れた人を楽しませている。主な観賞スポットを紹介する。

=岡山市=
 ■RSKバラ園(北区撫川)
 ■半田山植物園(北区法界院)
 ■たけべの森公園(北区建部町田地子)
 ■吉備津神社(北区吉備津)

=備前市=
 ■大瀧山西法院(大内)

=倉敷市=
 ■種松山公園西園地(福田町福田)
 ■安養寺(浅原)
 ■住心院(木見)

 =総社市=
 ■アジサイロード(総社市清音軽部)

=高梁市=
 ■弥高山公園(川上町高山)

=新見市=
 ■済渡寺(法曽)

=津山市=
 ■長法寺(井口)

=真庭市=
 ■普門寺(田原山上)

 =美作市=
 ■大聖寺(大聖寺)

これらの名所には、訪れたことのある場所もありますし、そうでないところもあります。

なかでも、倉敷市の「種松山公園西園地」は、過去、こんな記事で紹介したことがありました。

雨の日の種松山のアジサイ、の巻
白蓮とくちなし夫人と紅い薔薇、の巻

放縦といふべかんなる薔薇雫


種松山の紫陽花の巻(第一回)


種松山の紫陽花の巻(第2回..


この日は、数日前から滞在していた長女と1歳児が、夕方には家に帰ることにしていましたが、昼間の子守計画が未定でした。たまたま、従兄弟たちも、ママがPTAの会議だというので、「種松山公園西園地」一緒に出かけることにしました。近くのスーパーでそれぞれお気に入りのお弁当(おにぎりとかサンドイッチとか)を仕入れて、二台の車で出かけました。

この公園は、入園料無料、駐車料金無料、かなり大規模な遊具もあって、意外な穴場といえます。

1歳児がとことこ坂道を歩きます。



手前が、アデノウィルス感染でぐったりしていた2歳児です。元気なもので、この階段を上までのぼります。



これは木組みの遊具。



長い滑り台。











アジサイもよく咲いていました。

以下、次回に続きます。きょうはこれにて。


仏塔の丹色新たや梅雨晴れ間 [折々散歩]

入梅の声を聞いてから、雨が降ったのは七日(水)だけで、晴れまたは曇りの日が続いています。

予報では今日が雨ということでしたから、昨日草刈りのために郷里に帰ってきました。朝、七時前に家を出たので、九時前には到着し、作業を始めましたが、朝から暑いこと。日中には30℃にななるということで、1時間ほどで早々に切り上げましたが、それでも汗びっしょりになりました。

子ども時代の遊び友達のH君は、三人兄妹の末っ子なのですが、遠方に住む兄二人の代わりに後を継ぐということで、しばしば泊まりがけで帰ってきて、農作業などに精を出しておられましたが、最近ご両親を立て続けに亡くされました。帰りがけにばったり会ったので、車の中からちょっとだけ挨拶がてら言葉を交わしました。基本的に本拠をこちらに置き、本格的に後継の生活を確立していくことにされる由。「これから田植えをしなくては」、と忙しそうでした。父に聞くと、いまではたいていの農家が稲苗を購入するのが一般だが、H君は、先輩農家に教わりながら、昔ながらに種籾から苗を育て手いるそうで、そのことを話題にすると、「昔は誰でもそうしていたのだから」と、何でもない様子で言っていました。かっこいいぞ、H君!



帰り道、長福寺の三重塔に立ち寄ってみました。

遠くから見ても、丹(に)の鮮やかさが、緑の中に映えて見えます。





田植え作業中の姿ものどかです。



ツツジは終わり、紫陽花はもう少し早いという段階でした。





























お寺の池に睡蓮が咲いています。







シオカラトンボ。



山門の付近を、しきりにひらひらと待っている群れがいました。

テングチョウのようです。







その帰り、さらに自然保護センターへ立ち寄ったのですが、その記事はまた機会を改めてお伝えします。



ところでこの日の午後、こんな集会があったそうです。朝日新聞digital の記事から引用します。http://www.asahi.com/articles/ASK6B4397K6BPPZB005.html

  「共謀罪」の趣旨を含む組織的犯罪処罰法改正案に反対する集会が10日、岡山市北区石関町の石山公園であった。岡山弁護士会が主催し、弁護士や野党議員、市民ら約600人(主催者発表)が参加し、「参院で廃案を」と訴えた。
 日弁連共謀罪法案対策本部担当副会長を務める吉岡康祐弁護士は、「捜査の対象として一般市民が巻き込まれる可能性もあり、監視社会につながる」と指摘。市内の女子高校生(17)もマイクをにぎり、「次の世代に内心の自由が保障される社会を残すことは、私たちの行動次第」と訴えた。(中略)

参加はできませんでしたが、全面的に応援したいです。

今日はこれにて。


置き忘れカメラの中の画像かな [折々散歩]

車の中に置き忘れていたカメラを、ヨシエさんが、幸便に託して届けてくださいました。

先日のドイツの森での写真が、沢山SDカードに入っていました。






















































































梅雨入りを聞くや否やの中休み、の巻 [折々散歩]

わが居住地も含めて、広い地方での梅雨入りが報じられています。
留学生相手の日本語の教材として、こんなのをつくってみました。
実際には、漢字に適宜ふりがなを振っていますが、煩雑になりますのでふりがなは割愛します。

 1 つぎの文章を読んであとの問に答えなさい。
六月に入り、雨の多い季節になりました。
この季節を代表する花は、なんと言っても②紫陽花でしょう。

地元岡山の和菓子店が、この花を模した和菓子をつくっています。ホームページから引用します。


紫陽花 あっさりとした味わいの半小豆あんを、ふんわりとした食感のお餅で包みました。 雨の中濡れそぼる紫陽花の姿をあらわしたお菓子です。(半小豆あん・・小豆あんと白あんを合わせたあん。)

六月のことを、古い時代には「③水無月」と呼んでいました。京都では、水無月という名前の和菓子を、六月三〇日に食べる習慣があるそうです。
ディア: その他
京の水無月 2個

京の水無月 2個

  • 出版社/メーカー: 株式会社ファミリーネットワークシステムズ
  • メディア: その他
問一 傍線部①の季節をなんと呼びますか。
問二 傍線部②の花の名前の読み方をカタカナで書きなさい。
問三 傍線部③水無月の読み方をひらがなで書きなさい。

ついでにこんな資料も付けました。

 【参考】
6月16日は「和菓子の日」です。
昭和54年(1979年)に全国和菓子協会が制定しました。
『和菓子の日』の由来は平安時代に始まった行事で、6月16日には菓子を食べて厄除招福を願う、嘉祥(かじょう)の儀式が宮中や武家で行われていました。
848年(嘉祥元年)6月16日に、仁明天皇が御神託に基づき、16個のお菓子やお餅などを神前にお供えし、疫病を除け健康招福を祈願したことが始まりです。
江戸時代には、江戸城の大広間に約2万個の菓子が並べられ、将軍から大名や旗本に分け与えていました。
この『嘉祥の日』を現代に復活させたのが「和菓子の日」です。

あわせて、インタ-ネット上にこんな記事があったのを紹介しました。
http://www.itm-gr.co.jp/weblog/news_topics/?p=2738

 


もう一題、日本語能力検定試験用問題集から、『和菓子』を扱った文章を借りましたが、著作権に配慮してここに掲載することは控えます。

我が家の鉢植えの紫陽花も咲き始めています。



紫陽花と言えば、これまでも、下記の記事の焼き直しを何度か繰り返しています。
梅雨はじめ紫陽花色の淡きこと

 紫陽花の季節です。

この季節になると浮かんでくるフレーズは、「紫陽花色のものの降るなり。」という詩句。三好達治のこの詩の一節です。

乳母車
      三好達治

  母よ――
  淡くかなしきもののふるなり
  紫陽花いろのもののふるなり
  はてしなき並木のかげを
  そうそうと風のふくなり

  時はたそがれ
  母よ 私の乳母車を押せ
  泣きぬれる夕日にむかって
  轔々と私の乳母車を押せ

  赤い総ある天鵞絨の帽子を
  つめたき額にかむらせよ
  旅いそぐ鳥の列にも
  季節は空を渡るなり

  淡くかなしきもののふるなり
  紫陽花いろのもののふる道
  母よ 私はしってゐる
  この道は遠く遠くはてしない道

          三好達治  「乳母車」 『測量船』


三好達治については、以前、達治忌にちなんで書いたこの記事でも触れました。

それにしても、わかったようでわからないのが、空から降ってくる「紫陽花色のもの」とはなあに?

若い母が押す乳母車に乗った幼い「私」の目に映る、透明感に輝く光のさざめきなのでしょうが、それは何色だったのでしょう?

なんとなく、深い青色をイメージしていましたが、紫陽花にもいろいろな色がありますよね。


梅雨入りが発表された七日(水)だけは、かなりの降雨量でしたが、早くも中休み、昨日も今日も暑くなりました。
今日は、1歳の孫とデートです
今日も乳母車を用意はしましたが、おとなしく乗っている時間はわずかで、すぐに降りて自分で歩きたがります。







手をつなごうとしてもふりほどいて、どこまででも一人で歩きたがります。

時々、座り込んだりします。



新幹線が行き来する場所です。



このカミキリムシ。何という種類でしょう?



ムクドリ。

アオサギ。

付録は、ちょっと前近所で写したアオサギです。

今日はこれにて。

梅雨入り直前の備忘録、の巻 [折々散歩]

ブログの更新を怠ると、日々何があったのかすぐにわからなくなってしまいます。
6月3日(土)の、深山公園のお散歩では、こんな鳥にも会いました。
枝陰に見え隠れするのは、、、、メジロでした。

そしてこれは?
シジュウカラの幼鳥?







ホオジロ・





その後、夕方、長女と1歳児の孫がひょっこりやってきました。
あんよが上手で、手をつなぐとふりほどいて一人で歩きたがります。





四日の日曜日は、自治会の大掃除。朝からつよい日射しのなか、近所の公園の草取りなどに汗を流しました。それから何をしたっけ?忘れました。
五日(月)、六日(火)は、所用があって出かけましたが、水曜(つまり今日)が雨との予報がありましたので、少しずつ畑仕事をこなしました。
玉ねぎとジャガイモ、掘りあげました。育ちは悪いですが、ジャガイモはふかしても焼いてもほくほく、玉ねぎは甘いです。
田舎の両親の畑のものに加えて、先日は、イチゴ狩りをさせていただいたお友達から、お土産に立派な玉ねぎもいただいて帰りましたので、当分、ジャガイモと玉ねぎをふんだんに使った、贅沢な食卓が期待できます。
昨日は、そのお友達から、ピーナッツの苗をわけてもらいました。種から育てたものが沢山あるのでと、お裾分けをいただいたのです。うまく育つか?楽しみです。
玉ねぎとジャガイモを振り上げた後に、ピーナッツと、追加のサツマイモ苗を植え着けました。
「捕らぬ狸」ですが、畑には、スイカも、ピンポン球からテニスボール程度のものがいくつか育ちつつあります。あと、カボチャも採れるでしょうか?
畑からみえるむ麦畑、次々に借り入れ作業が進んでいます。



昨日の夕方行った時には、すっかり刈り取られていました。

予報通り、今日は雨。中国地方も含めて広範囲に、梅雨入りした模様です。
今日の散歩は、断念しました。
車で通りかかった場所から、こんな鳥が見えました。

トリミングします。

バンでした。
追伸
一昨年の今頃は、蚕を育てるために、桑の葉集めに奔走していました。
こんな記事を書いています。
今日のおカイコほか

 お蚕の食事用に、園芸店で苗木を買った「マルベリー(大実桑)」という桑の木が、玄関先の鉢で、実をつけ、黒く熟し始めています。





今年は、ちょっと沢山熟しました。



生食もしてみました。
手や口が真っ黒になります。
孫たちには、余り評判が芳しくありませんので果実酒をつくることにしました。
ついでに梅の実も買ってきて(これの方が高い)、焼酎漬けと梅漬けを少々つくりました。
今日はこれにて。

何も無ぇ田舎の庭のいのちかな [折々散歩]

吉幾三さんの「おら東京さ行くだ」ではありませんが、私の郷里は何もない村です。いや、遅ればせにテレビは小学生の高学年の頃(今から50年以上昔)、茶の間にやってきました。電話は?そういえば高校生の頃、クラス代表として出席すべき生徒会の会議をサボって帰ったら、生徒会長から電話でおとがめがありました。その時はまだ家に電話がなく、ご近所の商店の家を通しての「呼び出し」でした。
当時の高校生の自治力と言いますか、会議への厳格な姿勢は、今思えば愛おしく胸を打ちます。居眠り放題、欠席放題、ヤジ放題、私語放題、にやにや放題の国会センセー方に、その真摯さを求めるのはムリなのでしょうかね。高校までは、10kmばかりの距離がありますので、丁重にお詫びして出席をお断りしましたけれどね。
バスの便や、お店や、若者や、子どもの遊ぶ声は、昔よりさらに激減しています。空き家だけは、たっぷりあります。
そんな、何にもない田舎にも、ここかしこにいのちの営みが見られます。
見上げると、リーリーという鳴き声が聞こえます。







逆光気味で、色や姿がはっきりしませんが、カワラヒワのようです。実家近くでは、年中姿を見せるわけではなく、むしろ珍しい鳥とも思えますが、最近、よく目にします。
この日姿を見かけた鳥は、他にスズメ、ツバメ、トビ、カラス、そしてシジュウカラくらいです。
ノアザミの花。


マツバウンランの花。。




シシウドの花

よく見るとヒラタアブが吸蜜中です。

シシウドとテントウムシ。








シシウドとテングチョウ。




世に出たばかりのバッタ。






紫陽花の葉に止まるでんでんむし。

葉陰から顔をのぞけるカナヘビ。




ツマグロヒョウモン(?)の幼虫。

シオカラトンボ。

そしてこれは?
脱皮中のトンボのようです。
ムギワラトンボ(シオカラトンボの♀)でしょうか?

脱皮という行為は、命がけの通過儀礼なのでしょう。途中で力尽きたのか、身動きしません。
事ほどさように、脱皮して新しい姿を獲得することは、きわめて困難な、しかし避けて通ることのできない挑戦課題なのでしょうね。
たとえば、「古い上衣よ さようなら  さみしい夢よさようなら(『青い山脈』 作詞:西條八十  作曲:服部良一)」という潔いかけ声とはうらはらに、社会のシステムとそれを支える人間の感性を新しくゆたかに変革して、憲法の理想を地上に真に実現することは、至難の業だったのでしょうね。
「若い血潮の 予科練の 七つボタンは 桜に錨」(『若鷲の歌』 作詞:西條八十 作曲:古関裕而)「貴様と俺とは 同期の桜 同じ兵学校の 庭に咲く 咲いた花なら 散るのは覚悟 みごと散りましょう 国のため」(『同期の桜』 作詞:西條八十 作曲:大村能章)と若者を鼓舞した心性が、「古い上衣よ さようなら」へと真に昇華するためには、身をさいなまれるような痛苦の反省を経た自己変革の過程が絶対的に不可欠と言えるでしょう。そうでなかったとしたら、またぞろ 雲行きが怪しくなれば、それの空気を忖度して「古い上着が懐かしい」と声高に合唱する事態も、容易に到来しかねないでしょう。
そもそも、「戦後レジームからの脱却」を説くアベさんがめざしているのは、どうやら旧体制(アンシャンレジーム)への復帰に他ならないようです。
それもそのはず、アベさんが最も敬愛しているという母方の祖父、岸信介氏は、東条英機内閣で商工大臣を務め、東京裁判でA級戦犯に問われた人物。
その仲良しの「お友達」で構成されている内閣や党中枢に、同じような旧体制の申し子たちがわんさか寄り集まっていることが、まっとうな国への脱皮を頑強に妨げているのでしょう。
たとえば、自民党副総裁の高村正彦サンは、特高警察上がりの高村坂彦元衆院議員の四男です。
また、秘密保全プロジェクトチームの座長(元官房長官、外相)だった故町村信孝サンも、内務省警保局長出身の町村金五元参院議員。内務省警保というのは、特高警察の元締めです。
特高警察と言えば、自民党中川雅治参院議員の義父は、鹿児島県特高課長を経て戦後、警視総監、参院議長となった原文兵衛氏。
親と子、祖父と孫は、あくまでも別人格ですから、親や祖父がどのような立場であろうと、その責任を引き受けるべきいわれはもちろんありません。ただし、人々に塗炭の苦痛をしいた戦争と人権抑圧の元凶の、立場や思想を無批判に擁護、肯定し、”DNA”を引き継いでその復権をはかるとするなら、決して免罪の余地はありません。

旧聞に蔵しますが、「炎上」事件で騒がせた中川雅治参議院議員のこんなブログ記事(2015年8月記事)が目に留まりました。

 中川 私の中学時代は男子校でしたが、クラスの悪ガキを中心に皆いつもふざけていて、ちょっと小さくて可愛い同級生を全部脱がして、着ていた服を教室の窓から投げるようなことをよくやっていました。脱がされた子は素っ裸で走って服を取りに行くんです。
当時、テレビでベンケーシーという外科医のドラマがはやっていました。ベンケーシーごっこと称して、同級生を脱がして、皆でお腹やおちんちんに赤いマジックで落書きしたりしました。やられた方は怒っていましたが、回りはこれをいじめだと思っていませんでしたね。今なら完全ないじめになり、ノイローゼになったりするケースもあるのかなあと思います。いじめられている方も弱くなっているという側面はありませんか。

悪質な人権侵害を、些細な悪ふざけと過小評価するだけで、みじんも心を痛めている形跡のない人権感覚の希薄さが際立っています。
よく似た話があるものです。これまたアベさんの「お友達」の一人、熊田裕通衆院議員のHP上の文章。この方、「スポンサーは政権に批判的なマスコミに広告を出すな」などの発言が話題を呼んだ「文化芸術懇話会」のメンバーでもあります。

 今では想像もつかない(?)と思いますが、中学・高校の時は決していい子じゃない、というかやんちゃな悪ガキでした。母は何度も学校に呼び出され、時には涙を流していました。「お宅はどういう教育をしとるんだ」と、担任に厳しく言われていたそうです。
 先生とイタチゴッコをするのが楽しみで、グループでいつもワアワアやってました。そう、こんなことがありました。ある時、産休補助でみえた若い女性教師が生意気だということになって、いつかギャフンと言わせようと仲間とチャンスをうかがっていたんです。
 放課後、先生がトイレ掃除の点検にやってきました。好機到来です。中に入ったところで外からドアを押さえて閉じ込めたんです。そして、天窓を開け、用意していた爆竹を次々に投げ込んだんですよ。はじめは「開けなさい」と命令していた先生も、そのうち「開けてください」とお願い調になり、最後は涙声で「開けて~」と絶叫調に変わってきた。「やった~」と快感でしたね。
 「もういいか」とドアを開けると、廊下にモワァーっとたちこめる煙。その中を先生が一目散に職員室に逃げ込む。すると反対に、担任がぼくらの教室に駆け込んで来て…。後はご想像に任せます。

こんな悪質ないじめ、暴力、威嚇、破廉恥、ハラスメントを、臆面もなく自慢する神経!あたかもこれはレイプを手柄として自慢する心性に似てはいませんか?しかも、こんな感性が、アベ一族の中にあっては例外じゃないらしいのがコワイ。
根拠のない「印象操作」と逆ギレされるのもイヤなのですが、時間切れにつき、今日はここまでといたします。

追伸。

一つだけ、最近最も胸に刺さっている話題を、関連メモとして書いておきます。




首相腹心記者の強姦告発会見 全国紙は1行も報じなかった

首相腹心記者の強姦告発会見 全国紙は1行も報じなかった

詩織さんの強姦告発会見が新聞で報じられない不可解

「レイプは魂の殺人です。山口氏が権力者側で大きな声を発信し続けている姿を見た時は胸が締めつけられました。この2年間、なぜ生かされているのか疑問に思うこともありました。レイプという行為は私を内側から殺しました」

 5月29日、東京・霞が関の司法クラブで行われた記者会見。スラリとした体形に整った目鼻立ちが印象的な美女は、大きな瞳を潤ませて声を絞り出した。

 この女性は海外でジャーナリストとして活動する詩織さん(28才)。家族の意向で苗字こそ明かさなかったが、30人以上の記者や多くのカメラが並ぶ前で顔と名前を公開した。彼女が訴えたのは強姦の被害。被害者が身元を明かせば、好奇の目に晒され、さらなる心の傷を負う可能性もある。レイプ被害者として、極めて異例の会見だった。

 それでも詩織さんは勇気を振り絞って会見に臨んだ。彼女が被害を訴えた相手は、元TBSテレビ報道局ワシントン支局長でジャーナリストの山口敬之氏(51才)。安倍晋三首相(62才)の腹心として知られ、テレビ出演も多く、「総理に最も食い込む男」と呼ばれている。安倍首相への直接取材を行った著書『総理』や『暗闇』が代表作だ。

 今回の問題が根深いのは、レイプという卑劣な犯罪もさることながら、犯罪行為が恣意的にもみ消された疑いがあることだ。それも「私の知り得ない何か“上のパワー”」(詩織さん)が働いた形跡があるのだ。

(以下略)

「レイプは魂の殺人です」

アベ一族、少なくとも今日の話題に登場願った方々のうち、この言葉に切実味を覚えることができるのはどなたでしょうか?

ででぽぽの咽び啼く朝師を送る [折々散歩]


哀愁のこもったむせび泣きのようなキジバトの鳴き声で目が覚めました。5月30日の朝です。

キジバトをデデッポポー(ててっぽっぽう)と呼ぶそうだという話題は、郷里出身の詩人永瀬清子さんに触れたこの記事に書きました(もう一つの11月3日、の巻http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2015-11-02

 おしまいに、永瀬さん八十一歳の時の詩「あけがたにくる人よ」を紹介します。
 あけがたにくる人よ  永瀬 清子
ててっぽっぽうの声のする方から
私の所へしずかにしずかにくる人よ
一生の山坂は蒼くたとえようもなくきびしく
私はいま老いてしまって
ほかの年よりと同じに
若かった日のことを千万遍恋うている

その時私は家出しようとして
小さなバスケット一つをさげて
足は宙にふるえていた
どこへいくとも自分でわからず
恋している自分の心だけがたよりで
若さ、それは苦しさだった

その時あなたが来てくれればよかったのに
その時あなたは来てくれなかった
どんなに待っているか
道べりの柳の木に云えばよかったのか
吹く風の小さな渦に頼めばよかったのか

あなたの耳はあまりに遠く
茜色の向うで汽車が汽笛をあげるように
通りすぎていってしまった

もう過ぎてしまった
いま来てもつぐなえぬ
一生は過ぎてしまったのに
あけがたにくる人よ
ててっぽっぽうの声のする方から
私の方へしずかにしずかにくる人よ
足音もなくて何しにくる人よ

涙流させにだけくる人よ

『あけがたにくる人よ・1989年・思潮社刊』より

淡く、かつ熱い乙女の恋心のような、みずみずしい感性がほとばしります。




ででぽぽの咽び啼く朝師を送る



片道80kmを走り、師の葬儀に参列します。

その前に、畑に植えたばかりのサツマイモ苗に水やりをしました。カンカン照りの日が続きますが、前日に水やりをできていません。一日くらいなら大丈夫でしょうが、活着前にこの日照りに何日も晒されたのでは可哀想と、ポリタンクで水を運び、短時間で水やりを済ませてきました。

11時の葬儀開始予定時刻を目指して、8時半に家を出たのですが、さいわいひどい通勤ラッシュにかかることなく、10時半頃に会場に到着できました。
こんなところでしかお目にかかることができない方も含めて、懐かしい方々のお顔も拝見し、また何人かとは言葉を交わすこともできました。

文芸部の先輩だったFさんや、訃報を知らせてくださったMさんらに促され、棺の中の先生と最後のお別れをし棺に花を手向けました。生前そのままの慈愛に満ちた穏やかな、安らかな寝顔でした。

白百合の花を足元に置かせていただきました。



白百合を棺に手向けて師と別る


出棺の合図のように、鶯の声が山に響きわたりました。

あちらでもこちらでも、よく聞こえます。



出棺の刻(とき)ぞ鶯啼けや啼け



実家に立ち寄り、少しばかり農作業などをして、一泊しました。

あちらにもこちらにもテイカカズラが咲いています。清楚な花です。

そういえば、亡くなられたM先生からは、わずか数時間、古文の「補習授業」を受けただけでしたが、藤原定家についても学んだような、、、記憶はアイマイです。



朝日がのぼり初めましたが、雲に遮られて、拝めません。

暑くなりすぎないことはありがたいのですが、、。



今日はここまでです。


五月尽受け容れ兼ぬる訃報かな [折々散歩]

30度を超える暑さで、それだけで疲れます。

ベトナム出身の留学生が、「暑い」「クーラーをつけてください」と訴えます。日本の学校環境では、5月にはまだクーラーがつかないのが一般的でしょうが、考えてみると「非人道的」かも知れません。何人もが机に伏さって、暑さに耐えております。日本人の学生の我慢強さがよくわかります。

そんな仕打ちを受けてもアベ政権を許容する我慢強さと通じているか?と思ったりしています。

訃報を聞きました。高校時代の敬愛する恩師。

授業を受けたのは、「補習」の何時間かだけですが、いろいろないきさつで大人の方たちの「句会」に誘っていただき、一人前扱いをしてくださったことを嬉しく思い出します。

この記事のM先生がその人です。

草むしる老婆は今なく枯葎(かれむぐら)

 木下透は私の高校生時代の筆名です。

そのころ、こんな句を作りました。

屈まりて草むしる老婆の背に真夏   透

「こごまりて」と読ませるつもりでした。

国語のM先生は、「こごまりて」は方言の匂いがするね、「かがまりて」と読む方が自然かも、と添削してくださったのでしたっけ。

「バッテリー」や「NO6」などで世に知られるようになった作家、あさのあつこさんは、私の通った高校で2歳ほど年若い同窓生ですが、国語教師に「君の文章が好きだ」と言われた一言が、後に作家の道へ進む遠いきっかけとなった旨、語っておられました。

WEB本の雑誌【本のはなし】作家の読書道第34回:あさのあつこさんという記事 に、こんな風にありました。

あさの : それと、ちょっと遡るのですが、高校生時代に現国の夏休みの宿題で短い物語を書いてくる、というものがあって。
20枚くらい書いて出したら、先生が「オレはお前の文章が好きだ」といってくれて。後で聞いたら結構いろんな子にそう言っていたらしいんですが、「文章が
好きだ」と言われたことがすごく嬉しくて、書きたいな、という気持ちはその時に芽生えていたんです。ただ、それをどういう形で作品化したらいいのかをずっ
と考えていました。それで、後藤さんの作品に出会って、このやり方でできるんだ、ということを教えられたんです

詮索好きの仲間が、あさのさんご本人に質したところ、記憶の細部は曖昧であるらしく、あるいは授業担当だったM先生だったかも知れないということのようです。私などの印象では、上のエピソードから彷彿とさせられるのは、亡くなったU先生の面影です。でも、あさのさんの別の文章では、中学時代の事として語られていますし、実のところは謎。いやむしろ、「秘すれば花」なのかもしれません、、、。

私自身はU先生の授業を受け、部の顧問という縁もあって深く敬愛しておりましたが、俳句に関しては、時折句会などに交えていただいたことがあるだけの縁であるM先生に、格別の敬慕の念を抱いていました。

「こごまりて」は決して私の日常の語彙ではなく、長年の農作業と老いのために、肩や背の骨そのものが曲がり、からだが縮こまって小さくなってしまった様を伝えるニュアンスを、より表しているような気がしたのでした。「かがまりて」は「かがんで」という言い回しとさほど遠くなく、それだけにありきたりな感じがしたのですが、、拘泥するほどのものでもありませんね。

季は変わってしまいますが、

草むしる老婆の肩に重たき春    透
というのも作り、添削を仰ぎました。「重たき春」が字余りという指摘をいただいたように記憶しています。「重き春」「春重く」「春重し」、、どれでも言いようにも思いますが、絡みつくような春愁の感じを、字余りで表現してみたかったのでしたが。

いずれにしても、遠い昔のエピソードとなりました。

「モデル」となった「老婆」はとっくに亡くなられ、数えるに第三世代の時代となり、家屋敷は残したまま、都会に出られて幾星霜となりました。年に何度か帰郷し

て草取りや家屋敷の掃除・管理をなさっていますが、庭草の勢いはさかんで、今の季節には枯れムグラ に覆われることになります。

そこで一句。

草むしる老婆は今なく枯葎(かれむぐら)


M先生との思い出は、こんな記事ともシンクロします。



ひとの死をさもありと聞く驟雨かな

ひとの死をさもありと聞く驟雨かな

【解釈】「人の死」というきわめて重い事実を、「(無常のこの世であるから)そういうこともあるのだと聞いている自分がある。折しも表は、激しいにわか雨が降りしきっていることよ。

 初めは「他人の死を」と書いて「他人」に「ひと」というルビを振って、句会に出しました。一種の「偽悪」というか「露悪」の意識もあって、所詮他人の運命は、他人事なのだから、という虚無感を協調した傾向があったかもしれません。それは、エゴイズムの宣言と言うよりは、人間存在の孤立性への自覚または諦観といったものの誇張表現だったのでしょうが、さすがにそれが誰の目にも鼻についたようで、せめて「人」または「ひと」と表記することをすすめられました。

「ひとの死を」と改めてみて、句境が随分平凡になったような気が、当時はしていましたが、「さもありと聞く」よりほかにはいかようにもし難い、人間存在の否応なさが、自ずとあらわれているように、だんだん思えてきました。


追憶はとりとめもない物思いに私を誘い、そのいかんともしがたい懐かしさをもてあますことになります。

明日は葬儀に参列する予定。

遠く郷里近くの会場ですので、明日はブログ更新はお休みです。



今日の写真は、昨日の散歩画像の残りから。

毎日同じような画像を載せていますが、これはリコーGR200による広角写真です。



正面は常山です。







手前はスズメ。向こうは?



今度は手前が、、、、ヒバリ。



頭上に、時ならぬバトルが展開されています。















鳶と烏の攻防です。

小川のアオサギが、採餌中です。



獲物をゲット。









悠然と飛び去ります。



モンシロチョウ、花から花へ。













今日はこれにて。


麦秋散歩、の巻 [折々散歩]

25℃に満たない快適な初夏の雰囲気が、気持ちを散歩に駆り立てます。
「そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず(奥の細道)」というほど風流なはなしではありませんが、パソコンに向かってもそわそわ落ち着きません。明日のアルバイトのための資料をやっつけ仕事でしあげて、古いと近所の散歩道を歩いてみます。
散歩にふさわしい軽快な出で立ちは?といつも悩みます。
昨日は、「軽量コンパクト」にこだわって、pentaxQ7+01 STANDARD PRIME(標準単焦点レンズ)を広角用に、pentaxQ10+06TELEPHOTO ZOOMを望遠用にと割り切って携行してみました。カメラを2台もっていても、チョー軽いです。
前者の撮影画像は、こんな具合。

下が後者の画像。
F2.8の明るさで、Q10だと35ミリ判換算で最大約250.0mmという望遠レンズになります。最短撮影距離も1mまで寄れますので、ちょっとしたクローズアップ撮影も可能です。
ナミアゲハ(少しトリミングしました)

オオキンケイギクに止まるモンシロチョウ。



こうした用途では十分満足です。
が、こんな時に限って、こんな出会いがあるんですねえ。



思い切ってトリミングします。



カワセミです。
やっぱり、重くても300mmレベル以上の望遠レンズを持ち歩くべきかと、いつものように後悔します。
その反省を踏まえて、今日は望遠系は、PENTAXk-r+dal55-300mmを持って出ました。
やっぱり、それなりに、ストレスなく撮影できます。
楠の新緑。

オオキンケイギクにモンシロチョウ。

ツマグロヒョウモン♀



聞き慣れない、高く可愛い鳴き声がします。
よく見ると、思いがけない場所に、コゲラがいます。
でも。コゲラは、ギーーギーーという濁った声で鳴くはずだが、、とよく見ると、どうやら幼鳥?

思いがけない近くにいたのですが、それでも小さいですからトリミングしてみます。





やはり、多少重くても、望遠レンズをつけて歩くべきかと、幾回目かの感想を持ったものでした。
田圃にイヌタデ(あかまま)の花。
この花を見ると、中野重治の「歌」という詩をいつも思い出します。

 歌                  中野重治

お前は歌ふな
お前は赤まゝの花やとんぼの羽根を歌ふな
風のさゝやきや女の髪の毛の匂ひを歌ふな
すべてのひよわなもの
すべてのうそうそとしたもの
すべての物憂げなものを撥き去れ
すべての風情を排斥せよ
もっぱら正直のところを
腹の足しになるところを
胸先きを突き上げて来るぎりぎりのところを歌へ
たゝかれることによって弾ねかへる歌を
恥辱の底から勇気をくみ来る歌を
それらの歌々を
咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌ひ上げよ
それらの歌々を
行く行く人々の胸廓にたゝき込め

お前は歌へ お前は赤まゝの花やとんぼの羽根を存分に歌へ vol2
この記事に書きましたので、詳細は割愛しますが、、。
これは、い草の仲間?ホタルイ、イヌホタルイ等という名前が浮かびますがわかりません。

この季節の、ナードサークの風物詩は、やはり麦畑です。
快晴の麦秋の田園風景
快晴の麦秋の田園風景 posted by (C)kazg 快晴の麦秋の田園風景
快晴の麦秋の田園風景 posted by (C)kazg 快晴の麦秋の田園風景
快晴の麦秋の田園風景 posted by (C)kazg 快晴の麦秋の田園風景
快晴の麦秋の田園風景 posted by (C)kazg 快晴の麦秋の田園風景
快晴の麦秋の田園風景 posted by (C)kazg 快晴の麦秋の田園風景
快晴の麦秋の田園風景 posted by (C)kazg 快晴の麦秋の田園風景
快晴の麦秋の田園風景 posted by (C)kazg 快晴の麦秋の田園風景
快晴の麦秋の田園風景 posted by (C)kazg 快晴の麦秋の田園風景
快晴の麦秋の田園風景 posted by (C)kazg 快晴の麦秋の田園風景
快晴の麦秋の田園風景 posted by (C)kazg 快晴の麦秋の田園風景
快晴の麦秋の田園風景 posted by (C)kazg 快晴の麦秋の田園風景
快晴の麦秋の田園風景 posted by (C)kazg 快晴の麦秋の田園風景
快晴の麦秋の田園風景 posted by (C)kazg
今日はこれにて。

高気圧に覆われて、の巻 [折々散歩]

すっかり高気圧に覆われて、よく晴れました。

快晴に誘われて、自然環境体験公園を散歩しました。

PENTAXk-r+TAMRONSP500を持って出ました。

田園の麦がこんな風に熟れています。



ミサゴが大きな獲物を運んでいます。



シロタエギクでしょうか。



アブが止まっています。







ビヨウヤナギが光を浴びて黄金色に輝いています。



PENTAXQ7+06レンズに+3のクローズアップレンズをつけたものも一緒に持って行きました。コンパクトなマクロ撮影用カメラとして、花などを写したらどうだろうか、試してみようと思ったのです。

































道すがら、畑の様子を見に行くと、タマネギが薹立ちして花が咲き始め、ジャガイモも一部葉が変色し横倒しになっているところがあります。まだ未熟な様子ですが少し掘りあげて、その後にサツマイモの苗を追加して植え付けることにしました。

タイミングが悪いのか、苗がなかなか見つからず、ホームセンターや園芸店をはしごして、10本ばかり仕入れてきて、植えつけました。

前回植えた苗は、水やりもほどほどに放置していたせいでしょうか、半分ほどしか活着していません(とほほ)。タマネギのできも、先日「イチゴ狩り」させていただいた友人宅でいただいたものや、田舎の父母の畑のものに比べると、まったく貧弱なできです。ジャガイモも、まだ十分太っていない小さな玉で、少々がっかりでした。いずれも、写真に残す気力もわかない出来でした。

でも、持ち帰ったものを早速調理してみると、タマネギは甘くて柔らかく、ジャガイモはほくほくとして味わい深いごちそうでした。

畑の近くに、よく響く声で歌っている鳥がいます。

ヒバリでしょうか。



















小1の女の子は、お腹が痛いと、今朝お医者さんに診てもらってから登校した由。帰りは車で迎えに行ってほしいという依頼を受けて、連れて帰りましたが、元気なようです。小4生は、1泊の「山の学校」から今日帰ってきました。夕方は少年サッカーの練習だそうです。中2生は、体育祭だったそうで、「暑い、喉渇いた」とかえってきました。

「焼きジャガイモ」を提供したら、残さず食べました。おやつになりますね。

ところで、わが地方ゆかりの加計問題。

前川次官の発言、黙殺できる問題じゃないでしょ。

証人喚問、応じても良いとおっしゃっているのですから、クロシロつけてくださいよ。



毎日新聞の画像をお借りしました。

今日はこれにて。

剥がれ落つる記憶の欠片エゴの花 [折々散歩]

昨日は朝7時前に家を出て、田舎の両親の元へ向かいました。少しでも涼しいうちに、草刈り作業を済ませたいと思ったからですが、途中朝の通勤渋滞に引っかかって、意外に手間取り、到着は9時を過ぎました。すでに日射しはなかなかの強さで、わずかの作業時間なのに汗が噴き出します。
昼食を済ませ、新タマネギや、ソラマメ、グリーピースなど採れたての野菜類をお土産に、缶ビールも持たせてもらって帰りました。
帰り道、ママからのメールで、保育園への迎えを頼まれましたので、5時には帰り着きたいところですが、途中寄ってみたいところがありました。
先日の記事これだけは忘れない、の巻で「最近のNHKニュースで「岡山県自然保護センター(和気町)」で今年もハッチョウトンボが舞い始めたという報道があった」話題にした「岡山県自然保護センター(和気町)」です。
この記事猛暑の「虫の原っぱ」でハッチョウトンボに会う、の巻のとおり、去年は7月に、ここでハッチョウトンボを撮影しています。
帰りの時間が縛られていますから、ゆっくりはできません。ごくごくハイスピードで、最寄りの道をせかせかと歩いてみました。
入り口にこんな鳥がいました。





本物のヤマセミにお目にかかったことがありません。
この公園にも棲んでいるそうなのですが、、見つけられません。
以前もここに模型が飾ってありましたが、どうやら新しいものに交換されているように見受けます。
ハッチョウトンボ観察の本命の「湿性植物園」もちょっと遠いのでスルーして、去年と同じ「虫の原っぱ」をたずねてみましたが、残念ながら目当てのハッチョウトンボを見つけることはできませんでした。
他に行く幾種かのトンボを写して帰り増したが今日の記事では割愛します。
きょうの話題はこちら。

IMGP29661.jpg

先日の記事で、このチョウをイチモンジチョウかアサマイチモンジか?と悩んでいましたら、早速、Enrique様が、「前翅のつけ根側の白点がはっきり写っていますので,アサマイチモンジです」と教えとくださいました。いつものことながらありがとうございます。確かに図鑑などには、この白点について指摘してありますが、まったくそこに注意が及びません。
実は昨日、「虫の原っぱ」で撮影したこのチョウも、アサマイチモンジということでよろしいでしょうか?








それではこのチョウは?

一所懸命、図鑑を調べましたが、まったく埒があきません。
たまたま、過去の記事をみていて、やはり「虫の原っぱ」でこのチョウをイチモンジチョウ撮影していたことに気づきました。
名にし負う虫の原っぱ虫三昧
しかも,去年の夏のこの記事では、
サトキマダラヒカゲは海峡を越えるか、の巻
やはり、 Enrique様から、コメントをいただき「私が子供時代はサトキマダラヒカゲとヤマキマダラヒカゲは同一種とみなされていて,単にキマダラヒカゲと言われていました。それだけに区別は大変ですが,サトで間違いないと思います。」と教えていただいていたことを、やっと思い出しました。

見上げると、、鶴です。

実はこの「自然保護センター」は、丹頂鶴の飼育では全国有数の施設です。
5月12日(木)にメスのタンチョウのユリが40歳の誕生日を祝ったとTVニュースが伝えていました。ユリは昭和52年5月12日生まれ、岡山県では初めて40歳を迎えるタンチョウで、国内2位の長寿だそうです。
詳しくはこちら。
↓ユリのお話(平成29年.1月号 センターだよりより)
「長寿の祝い」.pdf
この日も鶴の鳴き声がしきりに聞こえていましたが、時間の関係でスルー。
鶴は先年亀は万年と申しますが、池に亀がいました。日本中特定外来種のミシシッピアカミミガメが席巻しています。ところが、本当に久しぶりに、在来種の亀を見たのでした。

この亀はイシガメ?クサガメ?いろいろ悩んでおりましたが、古い記事にこんなことを書いていたとを「発見」しました』。
卯の花を簪にアジアイトトンボ

 「自然保護センターの」山の側の道縁に、一休みしていました。産卵のために池から登ってきたようです。通りかかった職員の方、もっともっと山道の高いところに登って産卵するでしょう。卵は、イタチや。蛇や、烏に食われてしまうことが多いです。と教えてくださいました。
「でも、この亀は臭いからきらい」と、正直に付け加えて、、、。

私も、近寄って嗅いでみようとは思いませんでしたが、子どもの頃の記憶では、イシガメ(石亀)にくらべて、クサガメ(臭亀)は、子ども達の間でも人気がなかったことを覚えています。今では、外来のミドリガメの方が優勢になっていますが、私の子ども時代にはミドリガメなどいませんでした。

通りかかった年配の自然愛好家の方が(退院されて一週間足らずだそうで、杖をついてゆっくり歩いておられましたが)、「ペットショップで、売り上げた外来種は、必ず一件一件、買い手の登録をして、常に定期的に存在確認をすべきだ。飼えなくなって、川や池ににがすようなことのないように。」と、意気軒昂におっしゃっていました。まったくそうですね、とうなずくばかりでした。

記憶が次々と剥落していくことを、日々実感しています。
先日は、ある場所でお会いして、懐かしく挨拶を交わしたたごく親しい先輩のお名前がとっさに思い出せませんでした。とっさに思い出せなかったばかりか、そのあと何日も何日も思い出せず、数日後にふと思い出すことができました。こんなことがしばしばあります。年賀状の返信に「あなたはどなたでしたか?」「思い出せません」などという一言をいただき、当惑したことが幾度かありましたが、今では、その境地がよく理解できる気がします。
中島敦の『山月記』の一節に、虎に変身する李徴(りちょう)がこう嘆く場面があります。

今少してば、おれの中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかりうもれて消えてしまうだろう。ちょうど、古い宮殿のいしずえが次第に土砂に埋没するように。そうすれば、しまいに己は自分の過去を忘れ果て、一匹の虎として狂い廻り、今日のように途で君と出会っても故人ともと認めることなく、君を裂きくろうて何の悔も感じないだろう。 
一体、獣でも人間でも、もとは何かほかのものだったんだろう。初めはそれを憶えているが、次第に忘れて了い、初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか? いや、そんな事はどうでもいい。己の中の人間の心がすっかり消えて了えば、恐らく、その方が、己はしあわせになれるだろう。だのに、己の中の人間は、その事を、この上なく恐しく感じているのだ。ああ、全く、どんなに、恐しく、かなしく、切なく思っているだろう! 己が人間だった記憶のなくなることを。この気持は誰にも分らない。誰にも分らない。己と同じ身の上に成った者でなければ。

日々、自分のなかの記憶が剥落していき、ついには自分が自分であった記憶さえ消失してしまう、、、恐ろしい予感ではありませんか。
私は、10数年前、脳幹近くに未破裂動脈瘤が肥大しつつある頃、生命活動そのものが日々衰退していく将来を予感しておびえたことがありましたが、奇跡的に健康を取り戻したいま、この記憶力の衰退、記憶の剥落という恐怖を、半ば本気、半ば冗談で、味わっているこの頃です。

この花も、確かに見覚えはあり、名前を調べた覚えはあるのに思い出せません。







掲示板を見てやっと思い出しました。
これはヤマボウシ、覚えていますとも。

これは、えーと。エゴノキ。いつも忘れて思い出せないのですが、「気分勝手」な木というヒントで、思い出すことにしています、





そしてこれは?ガマズミと表示板がありました。秋になると真っ赤に熟す、あれですね。

この可憐な花。図鑑で調べなきゃと思いながら帰りました。









手間がかかりました。
やはりこれしか思い当たるものがありません。
この記事に登場するシラン(紫欄)でしょうか?
お名前は?しらん!
下の記事の花も、同じ場所で写したのでした。忘れてました。
卯の花を簪にアジアイトトンボ

ところで今日は、朝から雨でした。
散歩に出かける気力も沸かず、パソコン仕事をふたつほど仕上げた後、いつものかかりつけ医に血圧のお薬をもらいに行きました。お昼まで少し時間があるので、ちょっと足を伸ばして深山公園へ行ってみました。雨が少し上がってい手、雨上がりのいい雰囲気でした。ウグイス、ホトトギス、キビタキの声がよく聞こえ、キビタキは姿もはっきり見えたのに、カメラを構えてまごまごするうちに撮り逃がしてしまいました。
ヤマボウシの高木が、今年も見事に花盛りでした。









そしてこれも、、エゴノキです。





全体像です。

足下に花びらが一杯散り敷いています、。



この花びらの一枚一枚が、剥がれ落ちていく記憶のかけらであるような錯覚とともに、名状しがたい愛惜を覚えました。

しかし、昨日、衆院本会議で暗黒政治の再来に道を開く「共謀罪」を強行した、自民・公明・維新という名前は決して忘れないし、アベシンゾーというソーリの名前も忘れることはないでしょう。(時々ナカソネヤスヒロという名前と混同してしまうことがありますが)
敬愛するA先輩が、採決強行直後、FBにこう投稿しておられました。
 共謀罪衆議院通過!!
この日、この時間、この時の内閣、最悪の内閣最低の首相であった事、それに加担した政党を一生忘れない!!
怒りを込めて!
まったく同感です。

今日はここまで。

イチゴ狩りに誘われて庭のニワトリと戯れる、の巻 [折々散歩]

昨日こんな記事を書きかけていましたが、途中で睡魔に負け、眠ってしまいました。



行こうか行くまいか、葛藤の末、行くことにしました。
始まりが午後2時の会合です。
そのためには、明日のアルバイト仕事の材料を仕上げておかねばなりません。午前中はもっぱらそれに時間を注ぎ、プリンターの不調も相まって、準備が完成しないまま、午後2時が近づきましたので、とりあえず会場へ。

が、15分前には会場の駐車場が空っぽ。ひとまわりして時間を潰し、5分前にもう一度会場へ、でも、駐車場は空っぽ。それでも戸、2時まで待ってみましたが、人の気配がありません。
さすがに不安がわいてきて、会場を間違えたかなと、いったん自宅に帰り、案内チラシで確かめてみることにしました。すると、会場は記憶通りで間違いなかったのですが、日付が昨日の土曜日でした。トホホ、何といううかつ。自己不信が募ります。

そんなこんなで一日が過ぎ、夕方になりました。実は今朝方、妻のお友達から、畑にイチゴが沢山実っているので、孫といっしょにとりにこないかとおさそいがありました。夕方、パートから帰った妻に伝え、孫たちにもはかると、行きたいというので、皆で押しかけました。

もぎたてイチゴをどっさりいただきました。持ち帰ったいちごは、生食やジュースで皆でたらふくいただきました。写真にとることも忘れていました。

庭でニワトリを飼っておられます。

子どもたちの一番の興味は、そちらにあったようです。











麦がすっかり熟れてきました。



暑さのせいか、アオサギが蹲って休憩(?)しています。



今日はここまで。

新緑の五重塔、の巻 [折々散歩]

昨日のヒイゴ池湿地訪問でハッチョウトンボに会えなかった帰り、備中国分寺五重塔に立ち寄ってみました。 新緑の備中国分寺五重塔
新緑の備中国分寺五重塔 posted by (C)kazg 新緑の備中国分寺五重塔
新緑の備中国分寺五重塔 posted by (C)kazg 新緑の備中国分寺五重塔
新緑の備中国分寺五重塔 posted by (C)kazg 新緑の備中国分寺五重塔
新緑の備中国分寺五重塔 posted by (C)kazg 
  新緑の備中国分寺五重塔
新緑の備中国分寺五重塔 posted by (C)kazg 新緑の備中国分寺五重塔
新緑の備中国分寺五重塔 posted by (C)kazg 新緑の備中国分寺五重塔
新緑の備中国分寺五重塔 posted by (C)kazg 新緑の備中国分寺五重塔
新緑の備中国分寺五重塔 posted by (C)kazg 新緑の備中国分寺五重塔
新緑の備中国分寺五重塔 posted by (C)kazg 新緑の備中国分寺五重塔
新緑の備中国分寺五重塔 posted by (C)kazg 新緑の備中国分寺五重塔
新緑の備中国分寺五重塔 posted by (C)kazg 新緑の備中国分寺五重塔
新緑の備中国分寺五重塔 posted by (C)kazg 新緑の備中国分寺五重塔
新緑の備中国分寺五重塔 posted by (C)kazg 新緑の備中国分寺五重塔
新緑の備中国分寺五重塔 posted by (C)kazg 新緑の備中国分寺五重塔
新緑の備中国分寺五重塔 posted by (C)kazg 新緑の備中国分寺五重塔
新緑の備中国分寺五重塔 posted by (C)kazg 新緑の備中国分寺五重塔
新緑の備中国分寺五重塔 posted by (C)kazg 新緑の備中国分寺五重塔
新緑の備中国分寺五重塔 posted by (C)kazg 新緑の備中国分寺五重塔
新緑の備中国分寺五重塔 posted by (C)kazg 新緑の備中国分寺五重塔
新緑の備中国分寺五重塔 posted by (C)kazg 新緑の備中国分寺五重塔
新緑の備中国分寺五重塔 posted by (C)kazg 新緑の備中国分寺五重塔
新緑の備中国分寺五重塔 posted by (C)kazg 新緑の備中国分寺五重塔
新緑の備中国分寺五重塔 posted by (C)kazg 新緑の備中国分寺五重塔
新緑の備中国分寺五重塔 posted by (C)kazg
五重塔というと、幸田露伴。

五重塔 (岩波文庫)

五重塔 (岩波文庫)

  • 作者: 幸田 露伴
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1994/12/16
  • メディア: 文庫

「金色夜叉」の尾崎紅葉と人気を二分し「紅露時代」を築きました。

金色夜叉 (新潮文庫)

金色夜叉 (新潮文庫)

  • 作者: 尾崎 紅葉
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1969/11/12
  • メディア: 文庫

今年は露伴生誕百五十年。
露伴は1867(慶応3)年生まれ。
尾崎紅葉のほか、夏目漱石、正岡子規が同い年です。

坊っちゃん (新潮文庫)

坊っちゃん (新潮文庫)

  • 作者: 夏目 漱石
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2003/04
  • メディア: 文庫

子規句集 (岩波文庫)

子規句集 (岩波文庫)

  • 作者: 正岡 子規
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1993/04
  • メディア: 文庫

露伴の娘(次女)は幸田文。その娘が青木玉、更にその娘が青木 奈緒さんと、4代続く文筆家。

流れる (新潮文庫)

流れる (新潮文庫)

  • 作者: 幸田 文
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1957/12/27
  • メディア: 文庫
父・こんなこと (新潮文庫)

父・こんなこと (新潮文庫)

  • 作者: 幸田 文
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1967/01
  • メディア: 文庫


幸田文の箪笥の引き出し (新潮文庫)

幸田文の箪笥の引き出し (新潮文庫)

  • 作者: 青木 玉
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2000/08
  • メディア: 文庫
幸田家のことば: 知る知らぬの種をまく

幸田家のことば: 知る知らぬの種をまく

  • 作者: 青木 奈緒
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2017/02/15
  • メディア: 単行本

・・・というような話題から何か記事を書いてみたいと努力しましたが実りませんでした(汗)あしからず。
今日も暑い一日でした。
今日はここまで。

これだけは忘れない、の巻 [折々散歩]

共謀罪が衆院で強行されました。
とにかく最近忘れっぽくて困りますが、これだけは忘れないようにしなくてはなりません。
強行採決の口火を切ったのは、最後の質問者、「野党」維新の丸山穂高議員。「30時間以上質疑してきた。これ以上は足を引っ張る事が目的のピント外れの質疑は必要ない。論点も整理されて時は来た。私の質疑のあと、ただちに採決してほしい」とさ。このヒト法務委員でもない外野のヒト。維新という存在、「補完勢力」という手厳しい呼び方にいささかためらいもありましたが、今やそれ以外の何者でもありませんね。
そういえば、昭和初期、5・15.2・26等のクーデター事件を引き起こした青年将校や民間右翼の唱えたスローガンが「昭和維新」でしたね。彼らの暴力的な妄動によって妄動によって掃き清められた道の先には、暗黒の国家総動員体制が待っていました。役目を終えた「昭和維新」のスローガンは、用済みとなって立ち消えて行きました。その歴史を知った上で、彼らは「維新」を名乗っているのでしょうかね。
書きたい記事はこれではありませんでしたが、備忘のために記録しておきます。



今日書きかけていたのは、以下の話題でした。
昨日の留学生相手の日本語学習でこんな教材を使いました。

 1 次の文章を読んて、後の問に答えなさい。

日本には200種(しゆ)以(い)上(じよう)のトンポがすんでいます。大きく分けると、翅(はね)を閉(と)じてとまるイトトンボや、カワトンボの仲(なか)間(ま)、翅(はね)を開(ひら)いてとまるヤンマや、アカトンボなどの仲(なか)間(ま)に分けられます。幼(よう)虫(ちゆう)は水の中で暮(く)らします。池や田んぼにすむもの、川にすむものがあり、好(この)む水の深(ふか)さや、 流(なが)れの速(はや)さなどの環(かん)境(きよう)も種(しゆ)類(るい)によって様(さま)々(ざま)です。様(さま)々(ざま)な環(かん)境(きよう)の水(みず)辺(べ)があることが、トンボが生きていくためには、とても大切なことです。(海野和男「トンポのなかま」)
注 翅=虫の羽。

問1 この文章で述べられている事実を次から選び、 記号で答えなさい。
ア 日本にすんでいるトンポは、200種より少なぃ。
イ イトトンボとヤンマは、同じ仲間だ。
ウ 幼虫は、水の中で育つ。
エ トンボは、川にしかすんでいない。

問2 つぎの①~④の写真のトンボの名前を、アイウエから選びなさい。











ア カワトンボ
イ アカトンボ
ウ イトトンボ
エ ヤンマトンボ

2 つぎの文章を読んで後の問に答えなさい。

 「とても小さいトンボを見たのですが、 まだ子(こ)供(ども)ですか?」
 お母さん方からよく受(う)ける質(しつ)問(もん)である。昆(こん)虫(ちゆう)は幼(よう)虫(ちゆう)時(じ)代(だい)は脱(だつ)皮(ぴ)して大きくなるが、成(せい)虫(ちゆう)になるとそれ以(い)上(じよう)大きくならない。いくら小さいからといっても成(せい)虫(ちゆう)はりっぱな大人で、それ以(い)上(じよう)大きくならないのだ。ただし、体(たい)重(じゆう)は羽(う)化(か)後日数がたつにしたがって増(ぞう)加(か)する。これは胸(むね)の筋(きん)肉(にく)が発(はつ)達(たつ)したり、卵(たまご)ができたりするためである。
 ところで、日本で1番小さいトンボはハッチョウトンボで、体長(頭(とう)部(ぶ)の先(せん)端(たん)から腹(ふく)部(ぶ)の先(せん)端(たん)までの長さ)は2センチに満(み)たず、トンボというより、小(こ)型(がた)のアブのように見える。このトンボは世(せ)界(かい)的(てき)に見ても最(さい)小(しよう)レベルの大きさである。
 反(はん)対(たい)に、日本で1番大きいのはオニヤンマで、体長は10センチ余(あま)りもある。ただし世(せ)界(かい)にはもっとビッグなトンボがおり、 オニヤンマは世(せ)界(かい)レベルで見ると大(おお)関(ぜき)か関(せき)脇(わけ)クラスである。(新(あら)井(い)裕(ゆたか)著(ちよ)『トンボ入門」)

問1 本文の内容と一致するものを次から選び記号で答えなさい。
ア トンボは、羽化したばかりは小さいが、餌を食べることによってだんだん身体が大きくなっていく。
イ ハッチョウトンボは、小型のアブほどの大きさだ。
ウ 世界で一番大きいトンボはオニヤンマだ。。
エ トンボは幼虫時代も、大きさが変わらない。
問2 日本で一番小さいトンボは何ですか?カタカナで書きなさい。


3 つぎの文(ぶん)章(しよう)は、『山(さん)陽(よう)新聞』の記(き)事(じ)(2016年5月17日)です。これを読んで後の問(とい)に答えなさい

総(そう)社(じや)でハッチョウトンボ舞(ま)い始(はじ)め湿(しつ)地(ち)に世(せ)界(かい)最(さい)小(しよう)の「赤」映(は)える

 世(せ)界(かい)最(さい)小(しよう)級(きゆう)のトンボ・ハッチョウトンボが、総(そう)社(じや)市(し)福(ふく)井(い)のヒイゴ池湿(しつ)地(ち)で舞(ま)い始(はじ)めた。愛(あい)らしい真(ま)っ赤(か)な姿(すがた)が湿生植(しよく)物(ぶつ)の緑(みどり)と鮮(あざ)やかなコントラストをなしている。
 日当たりの良(よ)い湿(しつ)地(ち)に生(せい)息(そく)するハッチョウトンボは体長2センチほどで、1円玉(直(ちよつ)径(けい)2センチ)にすっぽり隠(かく)れる大きさ。成(せい)長(ちよう)するにつれ雄(おす)だけが赤くなる。
 ヒイゴ池湿(しつ)地(ち)は岡(おか)山(やま)県(けん)内有(ゆう)数(すう)の繁(はん)殖(しよく)地(ち)。地元の自(し)然(ぜん)保(ほ)護(ご)団(だん)体(たい)・北の吉(き)備(び)路(じ)保(ほ)全(ぜん)協(きよう)会(かい)によると、今年は例(れい)年(ねん)より数日早く12日に初(はじ)めて確(かく)認(にん)された。
 17日は30匹(ひき)以(い)上(じよう)がスイスイと飛(と)び交(か)い、植(しよく)物(ぶつ)の葉(は)や茎(くき)で羽を休めていた。かれんなトンボの“舞(まい)”は8月中ごろまで楽しめるという。
 総(そう)社(じや)市(し)環(かん)境(きよう)課(か)と同協(きよう)会(かい)は「湿(しつ)地(ち)は貴(き)重(ちよう)な自(し)然(ぜん)の宝(ほう)庫(こ)。むやみに踏(ふ)み荒(あ)らさないようマナーを守(まも)って観(かん)察(さつ)してほしい」と呼(よ)び掛(か)けている。

問1 ハッチョウトンボの説明として正しいものにすべて○をつけなさい。
ア ハッチョウトンボは、世界でも最も小さいトンボの一つだ。
イ ハッチョウトンボは、10円玉に隠れるほどの大きさだ。
ウ ハッチョウトンボは、日当たりのよい小川に住んでいる。
エ ハッチョウトンボは、雌だけが真っ赤になる。
オ ハッチョウトンボは、岡山県でも、総社市のヒイゴ池湿(しつ)地(ち)など、限られた場所だけにすんでいる。


実際のワープロ印刷物にはルビ(ふりがな)をつけているのですが、ブログ記事用にコピペすると、ふりがなが( )の中に入ってしまうので、読みにくいですね。
こんな教材を思いついたわけは、最近のNHKニュースで「岡山県自然保護センター(和気町)」で今年もハッチョウトンボが舞い始めたという報道があったので、トンボつながりの話題を集めてみたのでした。
引用した地元ローカル紙「山陽新聞』には、去年5月のヒイゴ池のハッチョウトンボが紹介されていました。
古いブログ記事からハッチョウトンボやその他のトンボの写真を引っ張りだし、授業に臨みました。
ハッチョウトンボ♂

ハッチョウトンボ♀

思ったほどには、反応がありません。、
暑いせいもあるのでしょうが、退屈して居眠りする学生も、、。ま、いいか、内心の自由は尊重しなくては。
それはそれとして、授業でハッチョウトンボを話題にしたことから、撮影意欲がむくむくとわいてきました。今日は五月晴れの上天気とあって、久しぶりにヒイゴ池湿地を訪ねてみました。時季的に、ひょっとしてハッチョウトンボに出会えないかと期待したのです。
すると、意外に大勢の訪問者がありました。立ち話で、テレビニュースや新聞記事に、今年のハッチョウトンボの情報が出ていたそうです。
帰宅後調べてみると、今年も、去年と同じ5月17日付けの「山陽新聞」にこんな記事がありました。
https://this.kiji.is/237599396957488630?c=75768590128873475

 

総社でハッチョウトンボふわり

 世界最小級のトンボ・ハッチョウトンボが総社市福井のヒイゴ池湿地で舞い始めた。1円玉(直径2センチ)にすっぽり隠れてしまうほどの小さな「赤」が、湿地の緑の中をふわりと飛んだり羽を休めたり。愛らしい姿を見せている。

 ハッチョウトンボは日当たりの良い湿地に生息する。体長2センチほどで、成長につれて雄だけが赤みを帯びる。

 地元の自然保護団体・北の吉備路保全協会によると、今年は例年並みの11日に初確認された。今月下旬から6月中をピークに、8月ごろまで見ることができるという。

 17日は10匹以上が湿生植物の葉や茎で羽を休めていた。湿地ではトキソウもかれんな淡いピンクの花をつけ始めている。

 総社市環境課と同協会は「湿地には貴重な植物が多い。立ち入らないようマナーを守って観賞してほしい」と呼び掛けている。


我ながら、良い狙いだったのですが、、、、残念。目を皿にして探したのに、発見できませんでした。
その代わり、こんなトンボを写して帰りました。








それから絶滅危惧種のトキソウ(朱鷺草、鴇草)も。








今日は小1の孫が動物園へバス遠足で、解散地点までジイジがお迎えを頼まれました。楽しい遠足だったようです。こんな遠足の場合も、地図や双眼鏡、メモ帳などを持ってると、共謀罪に問われるらしいです。
今日はここまで。

花盛りのオオキンケイギクほか、 [折々散歩]

朝夕は肌寒いほどでしたが、日中はよく晴れました。

サツマイモの苗を、昨日買ってきていました。行きつけのホームセンターで先日見かけた芋苗は、青々として新鮮そのもの。植え付けには少し早いらしいです。というわけで昨日は、ご近所の園芸店をのぞてみますと、ほどよく干からびて(笑)かなり根を出し始めている状態でしたので、安納芋と鳴門金時の苗を一〇本ずつ買っていたのです。

植え付けたあとは水やりもほとんどせずに、放置しているので、雑草だらけになりますので、少しでも状態が改善しようかと、100円ショップで、95cm×5mの黒色マルチシートを買って、利用してみることにしました。

ちょっと疲れて散歩に出かける気力が沸かず、庭のプランターの土いじりなどをするうちに夕方になりました。

以下、ご近所周りのプチ散歩の写真です。(by OLYMPUS EP2+LUMIX45-200mm)

ホタルブクロが咲いています。

ハナショウブかな?

アイリス、アヤメ、イチハツなどとの区別がわかりません。







これは?

センダン(オウチ)の花です。芳香があります。



シャクヤク?











赤いバラ。



群生するポピーやヤグルマソウ。







オオキンケイギク。

野原一面を黄金色に飾るこの花。息を呑むほど鮮やかですが、特定外来生物で、在来環境に害を及ぼしているらしい。と知って幻滅しておりましたら、なんとこの花から抗がん剤の成分が発見されたとか、、、去年の「毎日」(6/30)にこんな記事がありました。

 全国の河川敷などで在来野草の生態系を壊し、厄介者となっている特定外来生物「オオキンケイギク」の花に、抗がん作用のある物質が含まれていることを、岐阜大工学部の纐纈(こうけつ)守教授らが突きとめた。論文は今月、エルゼビア社(オランダ)発行の医薬品化学分野の学術誌に掲載された。研究室は、製薬への応用を目指している。

https://mainichi.jp/articles/20160630/k00/00e/040/228000c



今日の撮影画像は以上ですが、ついでにストック画像から近所の花々です。

まずは、PENTAXk01+pentax35mmDA L F2.4 AL。



次の3枚は、pentaxq7+06TELEPHOTOzoom











きょうはこれにて。


五月晴れの日曜日をいかに過ごしたか、の巻 [折々散歩]

昨日の雨は昼には上がり、畑仕事を少々と、夕方の散歩を楽しみました。
麦が色づいています。



麦畑をバックに気取ったポーズのアオサギ。





飛翔するアオサギ。



飛翔するツバメ。

スズメ。





ムクドリ。


今日も快晴。ゆっくり撮影散歩を楽しみたい心境ですが、ちょっと予定がはいっています。葛藤のすえ、こんな一日の過ごし方をしました。
午前中は、「子育て・教育のつどい」に参加しました。

全体会の記念講演は、世取山洋介氏(新潟大学准教授)の「子ども・教育があぶない!~「教育再生」のねらいと子どもの権利」。

「今の教育現場の状況は、次々襲ってくる『改革』の追い立てられて多忙の極。たとえるなら、わけもわからず洗濯機の中に放り込まれ、ぐるぐるかき回されながら、それがどんな洗濯機なのか、何のためにかき混ぜられているのか、今が洗濯中なのか脱水中なのか、それとも乾燥中なのかもわからないという状態。」

まったくその通りです。

その事態を解き明かすキーワードは「新自由主義教育改革」。その展開を3段階に分けると、次のとおり。

第一段階=1980年台中曽根第2臨調+臨教審

特徴は、「教育の自由化」と教育費の刈り込み。

第二段階=森、小泉、安倍第一次政権(2001~2009)。

「教育改革国民会議」+「経済財政諮問会議」

特徴は「投資としての教育」

【目的】

当時の経済・労働力政策への教育政策の従属。(第一次、第二次産業の法規、狭く構成された第三次産業(教育、福祉、医療は除外)の重視。

・公教育はムダのカタマリ→ダウンサイジング。

・エリートを早期に選別し、ノンエリートを早く沈める。

【手法】

経済学の手法 会社を競争的環境に置き、階層化する

・企画部門と実施部門との分離、両者の契約関係での関係づけ

【裏付け理論】

・「主人代理人理論」

お金をもらっている代理人が、財布のひもを握っている主人の思いの通り(パペット)にならないのはなぜ

 ・処方箋 ①スタンダード、②評価③競争④賞罰

【安倍第1 次政権下に確立した手法】

スタンダード=学習指導要領:教育課程に関する基準をはるかに超え、学力観、教育内容、教育方法を全面的に規定したものへ

評価=学テ、教員評価、学校評価

競争=学校選択

賞罰=学校統廃合、昇進

学校の階層=教育職の多層化

教師の脱専門化=教員免許更新制度の導入



第三段=安倍第二次

・教育再生実行会議

・特徴は「人材育成としての教育」

ポイントは「学校体系の複線化」

・リーマンショック後、金融業に依存する産業構造への反省から、製造業に着目

さらに尾は輸出業の保護(公共インフラ、原発等)

。新産業を支えるエリート、グローバル人材の育成と、中堅人材の効率的育成。競争の激化+非エリート層の教育の経済的自己負担化

予想される学校体系はこんなふう?ぞっとします。



子ども、親、教職員をぐるぐるかき回して疲弊させている洗濯機の正体が、少しだけ見えた気がしました。

後半のテーマは、世取山氏の専門分野である「子どもの権利」「子どもの権利条約」に照らして、日本の公教育の問題点とその解決策を探ることで、これまた知的刺激に富むお話でした。

レジュメからほんの少し引用します。

社会経済構造が与えるプレッシャーそれを測る4つの指標
・社会的に有用な人材を育成したいという社会経済構造の欲求のもとでのプレッシャー
・プレッシャーへの子どもの対応
・プレッシャ一源をなくすための攻撃=校内最力
・プレッシャーの転嫁=いじめ
・プレッシャーの回選=不登校
・プレッシャーを感じる自分の破壊=自殺

すべての指標が改善されていません。

午後は、分科会がありますが、もうひとつの別の予定があります。

参議院議員の吉良よし子さんの国政報告演説会が、午前中は岡山市、午後は倉敷市で開かれるというのです。午後の部なら参加できそうなので、40kmばかり離れた会場に車で移動することにします。

会場の場所はおおざっぱに調べたつもりでしたが、ぐるぐる回ってもたどり着けません。仕方がないのでコンビニで尋ねますが、自信なさそうな応答。結局二軒のコンビニで、それぞれお茶のペットボトルを買って道を聞き、ようやく開会時間前に到着できました。

吉良よし子さんについては、以前もこんな記事で触れましたが、彼女のお母さんが私たち夫婦の共通の友人であることから、他人と思えません。

これでまた病気自慢に箔がつき
まわり道してつづき聞くカーラジオ

四方山話でもして、お土産の一つも持って帰ってもらいたいところでしたが、会場一杯の聴衆の、後ろの方で、初々しいお話を聞かせていただきました。身内の子どもの学芸会を見守る心境さながらで、はらはらドキドキものですが、それは僭越な取り越し苦労というもので、堂々とした感銘深いお話でした。

これまた学芸会さながらに、沢山写真を撮りました。持ち帰って妻にも見せねばなりませんので。



























印象に残ったお話をちょっとだけメモしておきます。

その1

「親が教師なので、家には戦争の絵本などが沢山あり、子どもの頃それを読んで戦争が怖くてたまらなかった。親に言うと、大丈夫、日本には憲法9条があって戦争から守ってくれるとの答え。安心した。

平和を守ること、憲法を大切にすること、共産党を支持するようになった原点。」



その2

谷川俊太郎の詩の紹介。

「生まれたよ ぼく」



生まれたよ ぼく

やっとここにやってきた

まだ眼は開いてないけど

まだ耳も聞こえてないけど

ぼくは知ってる

ここがどんなにすばらしいところか

だから邪魔しないでください

ぼくが笑うのを ぼくが泣くのを

ぼくが幸せになるのを

(後略)



子どもたちが、存分に笑い、泣き、幸せになることをさまたげない、そんな世の中にしたい。



書いているとまだまだ沢山、お話の内容を思い出しましたが、今日はここまでといたします。


上を向いて歩いていたら、の巻 [折々散歩]

ちょっと前から書きかけていた記事ですが、なかなか完成しません。
タイミング遅れになりましたが、今日2本目の記事として、とりあえずアップすることにします。

一昨晩は、おでかけ帰りに空を見上げますと、見事な明月でした。
車に積んでいたolympusE3+zuiko70-300+テレコン1.4倍で写してみます。
露出をオートで撮影すると、、、明るすぎます。

心持ちマイナス補正(-0.3)をして撮影しても、まだ、白トビしてます。

-2.3の補正でこのレベルになります。

少しだけトリミングとレタッチを施してみます。

性懲りもなく「見上げてごらん」というフレーズを思い浮かべます。
こんな記事を書いたことがあります。(見上げてご覧)

御巣鷹山での日航機墜落事故の追悼番組などでは、生前の坂本九さんの若々しい映像とともに、歌声が流されることの多い曲でもありますから、なじみは深いものがあります。
(中略)
この曲が、いずみたくの作曲であることは、辛うじて記憶していたようにも思いますし、この舞台がいずみたくを取り上げた作品であることは、うすうす事前の情報により、インプットしてはいました。
(中略)
舞台は、オリジナル作品で描かれた働き学ぶ夜間高校生の青春群像を縦糸とし、「音楽への情熱と才能を、生活のためのコマーシャルソングづくりに浪費するのでなく、日本初の日本のミュージカルをつくろう」という永六輔(役名:永田)の呼びかけに促されて、和製ミュージカルの創造に精魂傾けるいずみたく(役名:泉川)の姿を横糸として、紡ぎ上げられます。

また、後に、こんな記事も書きました。
見上げてご覧、の巻(大阪の旅最終回)

 空を見上げていると、ついつい「見上げてご覧」というフレーズが浮かんできます。 
見上げてごらん 夜の星を
 小さな星の 小さな光りが
 ささやかな幸せを うたってる

 見上げてごらん 夜の星を
 ぼくらのように 名もない星が
 ささやかな幸せを 祈ってる 
以前この記事で書きましたので繰り返しません。
もう一つ思い出すフレーズはこれです。
Hannah, can you hear me?
Wherever you are, look up Hannah.
The clouds are lifting, the sun is breaking through.
We are coming out of the darkness into the light.
We are coming into a new world.
A kind new world where men will rise above their hate, their greed and their brutality.
Look up Hannah.
The soul of man has been given wings - and at last he is beginning to fly.
He is flying into the rainbow - into the light of hope, into the future,
the glorious future that belongs to you, to me, and to all of us.
Look up hunna. Look up.

 ハンナ、僕の声が聞こえるかい?いまどこにいようと、さあ上を向くのだ。空を見るのだ、ハンナ!
 雲が切れる!太陽が現れる!闇が去って、ぼくたちは光の中に出るのだ。新しい世界-貪欲と憎悪と残忍さを忘れたより良い世界がいま、来ようとしているのだ。
 空をごらん、ハンナ!もともと人間の魂は翼を与えられていたのだ。だがついに、いま初めて空を飛び始めたのだ。虹の中へ―希望の光の中へと、いま飛んでいるのだ。空をご覧、ハンナ!上を向いて!
(チャップリン「独裁者」最後の演説より) 
 

先日の憲法記念日に岡山市で開かれた今年の「憲法集会」の模様は、何回かご報告しました。そこで演じられた松元ヒロさんの舞台で、永六輔さんのエピソードが熱く語られたこともすでに書きました。その舞台でのフィナーレに流れたのが、この「見上げてごらん 夜の星を」の曲でした。
それとともに、舞台では、同じ坂本九が歌った「上を向いて歩こう」(永六輔作詞・中村八大作曲)も話題にされました。「スキヤキソング」として海外にもよく知られたこのヒット曲が、失恋の悲しみを歌ったものではなく、安保闘争の挫折をきっかけにつくられたものだったことは知る人ぞ知る事実でしょうが、松元さんはそのあたりの事情をつぶさに語ってくれました。
この歌詞は、早稲田大の先輩に当たる中村八大さんから、「歩く歌」というテーマで歌詞を書いてほしいととオーダーがあったときに、永さんは、実際に自分もデモに参加した60年安保闘争での挫折の体験を元に作詞したものだそうです。
放送作家としてテレビの仕事に携わっていた永さんは、安保反対の国会デモに出ていた永さんは、当時台本を担当していたテレビプロデューサーから、「番組をとるかデモをとるか?」と詰問され……「デモをとります」と、番組を降板したのだそうです。
それだけの意気込みで参加していたデモは蹴散らされ、安保闘争は「敗北」します。 デモの帰り道、泣きながら夜空を見上げた経験が、この歌詞を生んだのだそうです。これまた、知らざりしこと多きかな、でした。
永六輔さんは『上を向いて歌おう―昭和歌謡の自分史』という著書の仲で、聞き手の矢崎泰久さんとこんなやりとりを交わしています。

上を向いて歌おう  昭和歌謡の自分史

上を向いて歌おう 昭和歌謡の自分史

  • 作者: 永 六輔
  • 出版社/メーカー: 飛鳥新社
  • 発売日: 2006/11/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)







この会話に登場する樺美智子さんとは、6月15日のデモで警官隊と衝突した際に圧死した東京大学在学中の女子学生でした。ちなみに、以前この記事で少し触れたことがありいました。

 現代日本文学大系39巻は島木赤彦や木下利玄らと並んで土屋文明が取り上げられています。折り込み附録として添えられた「月報」に、諏訪高女校長時代のエピソードを、文芸評論家臼井吉見がこう書いています。
 諏訪高女の校長のとき、上級生の平林たい子が修学旅行をすっぽかして、堺枯川を訪ねて上京するという事件があった。当時として普通の校長なら、おびえうろたえて、退学を申し渡すところだろう。この日文明校長は、たい子を呼びつけて、「おやじが三味線弾いて、娘が踊るか、よし、帰れ!」と一言あびせただけですんだという。これほたい子自身から聞いた話である。(中略)
平林たい子の同級生伊藤千代子は、のちに非合法運動に関係して捕えられ、獄から松沢病院へ移されて、そこで死んだ。のちに歌人土屋文明は彼女の出身校の東京女子大を訪ねた折、次のような歌を作っている。
高き世をただめざす少女等ここに見れば 伊藤千代子がことぞかなしき
こころざしつつたふれし少女よ新しき光の中におきて思はむ
こうした思いは、文明の胸底にいよいよ烈々と伝わっている(後略)

(中略)

 前述『六月風』に所収の、「某日某学園にて」と題する一連の作品には、上記の2首のほかこんな歌が収められています。

 語らへば眼(まなこ)かがやく処女(おとめ)等に思ひいづ諏訪女学校にありし頃のこと
芝生あり林あり白き校舎あり清き世ねがふ少女(おとめ)あれこそ
まをとめのただ素直にて行きにしを囚(とら)へられ獄に死にき五年(いつとせ)がほどに
思想的には、伊藤千代子の抱いたマルクス主義・社会主義とは距離のある、自由主義・リベラリズムの立場でしたが、官憲の非道な弾圧と、ファシズムの暴虐にたいして、静かな鋭い告発を投げかけていて、心打たれます。
時代ははるかに下って、1960年の安保闘争の頃にこのような歌があります。
旗を立て愚かに道に伏すといふ若くあらば我も或は行かむ
安保改定反対の国民の声を無視して、条約締結を強行しようとする岸信介(アベさんのおじいちゃん)の渡米に抗議して、学生たち、労働者たちが、旗を立て「愚かに」道に伏している。いかにもそれは、成算のない愚かな行為かも知れぬが、自分が若かったなら、或いはともに行動しただろうと、共感を示しているのです。
一ついのち億のいのちに代るとも涙はながる我も親なれば
六十年安保闘争のさなか、女子学生樺美智子さんが機動隊と衝突して死亡した事件を悲しんで詠んだ歌でしょう。
わが「故旧」の一人アキコさんは、大学入学したての頃、樺美智子さんのこの詩を愛唱しており、私はそれによって樺美智子の名前を知りました。
 「最後に」

誰かが私を笑っている
向うでも こっちでも
私をあざ笑っている
でもかまわないさ
私は自分の道を行く
笑っている連中もやはり
各々の道を行くだろう
よく云うじゃないか
「最後に笑うものが
最もよく笑うものだ」と
でも私は
いつまでも笑わないだろう
いつまでも笑えないだろう
それでいいのだ
ただ許されるものなら
最後に
人知れずほほえみたいものだ
1956年 美智子作
念のために付け加えるならば、彼女の属した「ブント(共産主義者同盟)」の、冒険主義的・挑発主義的な行動は、権力に弾圧の口実を与えるもので、決して賛同することはできません。


永さんの訃報を知った日、書いたのはこの記事でした。
憲法を棄つると云ふか!蝉時雨

 参議院選挙の結果を受けて、どのマスメディアも「改憲勢力2/3超!」と口をそろえて報じています。でも、これっておかしくありません?インチキじゃん?
「改憲勢力」と言われるヒトたち、選挙中は憲法についての自党の姿勢をちゃんと国民に訴えて、信を問うたの?
選挙公報での公約はもとより、投票日当日の新聞広告(これ自体投票日の選挙運動を禁じる公選法に抵触するとの批判がありますが、それはひとまずさておいて)でも、また、うっとうしいほど執拗にyoutubeで流された広告でも、アベノミクス一本槍ではなかったですか。
マスコミもひどいでしょ。どの政党・政派が改憲をめざしているかいないかとか、憲法のどこをどう変えるつもりとか変えないつもりとか、今度の選挙が終わったら改憲へアクセルをふかすつもりとか、どうとかこうとか、選挙中は全くといっていいほど報道しなかったじゃありません?
(中略)
永六輔さんの訃報が伝えられました。今日の記事は書き終えたつもりでしたが、急いで付け加えます。永さんも、人一倍憲法を愛する人でしたから。こんな記事を引いて、追悼したいと思います。
特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 永六輔さん
(前略)
■ 永さんは、戦争放棄を定めた憲法9条を守る会に賛同する一方で、「99条を守る会」を個人的につくっている。まるで冗談みたいな名前だが、実際はとても論理的だ。99条は、憲法尊重擁護の義務を定めているのだ。
天皇又(また)は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
しかし、現実は、自民党議員をはじめとする政治家は、守るどころか、憲法、特に9条を変えようと必死だ。
「99条を守っているのは天皇陛下だけなの。他の連中は守っていません。守っていないだけじゃなくて、無駄遣いはするわ、ごまかすわ」と、不愉快そうに言った後、声のトーンを変えた。「僕は天皇陛下を尊敬しています。99条を守っているから。僕はまじめに、天皇陛下が大好き」。その表情は、無邪気でうれしそうだ。
憲法条文を見ると、政府などの権力を縛り、国民の権利を守ろうとする姿勢が一貫して流れている。
永さんは、「憲法は国民には何も厳しいことは言っていないの。国民は安心して生きていれば、何もしなくていいんです」と話した後、「政治がしっかりしていれば」と、付け加えた。
でも、政治家はしっかりしていませんよね?
「していません」と、きっぱり。
その政治家を選んだのは国民......。
「そうです」
ということはやっぱり、国民が悪いということになるんですか?
「そう考えると、おしまいになっちゃう」
おちゃめな言い方に、カメラマンと3人、一同大笑い。 「投票して誰かを選ぶんじゃなくて、投票して誰かを落とす選挙にすべきだと思う。選ばれて政治家になっちゃったヤツはしょうがないけど、『こいつだけは許せない』っていう人は落とされちゃう。そこまで徹底しないとダメだよ」
■ 永さんは、東京・浅草の浄土真宗のお寺に生まれ、さまざまな立場、境遇の人たちに触れて育った。
中学生の時に習い事の月謝代稼ぎにNHKラジオに投稿した台本やコントが次々に採用され、高校生でスタッフに。20歳前後はちょうどテレビが開局する草創期。試験放送の段階から携わって現在の日本のテレビ放送の礎を築いた。
しかし、「明治維新が終わっていない」元凶の一つは、テレビだと指摘する。国民が民主主義に目覚める前に、テレビの時代が来てしまったのが問題だという。
「テレビって、『なんでこんなことやっているんだ?』っていう番組が多い。僕はそのテレビを作ってきたのね。とっても恥ずかしい」。
(中略)
永さんは、そんなテレビが嫌になって、昔から親交の深い黒柳徹子さんと、筑紫哲也さん(昨年11月に死去)の番組に年に1回ずつ出る以外は、ほとんどテレビには出演していないという。
「明治維新が終わっていない」という閉塞(へいそく)感漂う日本の状況を変えるにはどうしたらいいのだろうか。
「しょっちゅう旅をしているから、僕は知らない街へ行きます。そういう時、振り返るんですよ、歩きながら。どういう道を歩いてきたかを確認すると、帰りに迷わないの。でも、振り返らないで歩くと、ちょっとしたカーブで迷っちゃう。日本という国は、立ち止まって振り返って......ということをしないまま来ちゃっているからね」。だから迷っているのだという。
「『上を向いて歩こう』じゃなくて、『振り向きながら歩こう』」と、永さんは、自身が作詞した坂本九の大ヒット曲に絡めて、提案した。そのためには、新聞も本も、仲間との会話も、歴史を学ぶことも必要になってくる。
(後略)

永さんが亡くなる数ヶ月前、松元さんに「憲法9条をよろしく」と託したエピソードは、先日も書きました。
折も折、リテラのこの記事 安倍の9条加憲は日本会議幹部の発案が指摘するように、憲法9条と、99条共々に危機に瀕する事態が進んでいます。

 安倍首相が3日に突如打ち出した“2020年新憲法施行宣言”が大きな物議を醸している。本サイトでも指摘してきたように、これは総理大臣の権限を大きく越えた発言で、明らかに憲法尊重擁護義務(99条)違反だ。ところが、国会で安倍首相はその発言が自民党総裁としてのものであると二枚舌を駆使し、「読売新聞を熟読してもらいたい」などと、うそぶいたのである。

アベさんが打ち出したこの「新方針」の狙いをリテラの記事はこう暴いています・

 しかし、安倍の従来の持論といえば、少なくとも9条2項「戦力の不保持」を削除したうえで自衛隊を明記することだった。それがなぜ突如、一見軟化したかに思える「1項、2項を据え置きで3項追加」に方針転換したのか。
 実は、昨年の参院選のすぐ後、日本会議の中枢メンバーが、ずばり「「三分の二」獲得後の改憲戦略」と題して、この「9条3項加憲」を打ち出していたのだ。
(中略)
“理論派”の伊藤(哲夫)氏が、「明日への選択」16年9月号で提案したものこそ“自衛隊条項の戦略的加憲”だった。伊藤氏はまず、“中国の脅威”を強調するなどして〈「反戦・平和」の抵抗運動〉を押さえ込み、〈護憲派への徹底した「反転攻勢」を始めるべき〉としたうえで、こう述べている。
〈ところで、もう一方で提案したいと考えるのが、改憲を更に具体化していくための思考の転換だ。一言でいえば、「改憲はまず加憲から」という考え方に他ならないが、ただこれは「三分の二」の重要な一角たる公明党の主張に単に適合させる、といった方向性だけにとどまらないことをまず指摘したい。むしろ護憲派にこちら側から揺さぶりをかけ、彼らに昨年のような大々的な「統一戦線」を容易には形成させないための積極戦略でもある、ということなのだ〉
(中略)
日本政策研究センターの「明日への選択」では、伊藤氏による“戦略的加憲論”を掲載した翌々月号で、同センター研究部長の小坂実氏が、こんな本音を暴露していた。
〈「戦力」の保持を禁じ、自衛隊の能力を不当に縛っている九条二項は、今や国家国民の生存を妨げる障害物と化したと言っても過言ではない。速やかに九条二項を削除するか、あるいは自衛隊を明記した第三項を加えて二項を空文化させるべきである〉(同誌11月号「今こそ自衛隊に憲法上の地位と能力を!」)

よくもまあ、ズバリと本音をかたるものですな。
上を向いて歩いていたら、電線にツバメ。





柿の木にカワラヒワ



イチジクの木に幼いスズメ。


おや?トビでしょうか?何かぶら下げています。



どうも獲物は魚のようです。

昨日の里帰りの途中、三徳園「小鳥の森」によってみました。M師の奥様がここでキビタキを撮影されたと聞きましたので、あやかりたいと思いまして。
確かに高い梢の上でしきりにさえずっています。でも、結局はっきり見ることも撮影することもできませんでした。上を向いて歩いていると、見慣れない花が。

トチノキの花だそうです。

トチノキは、トチメンボーの正体知って面食らう、の巻の記事で話題にしましたが、花は初めてです。
そしてこれはヤマボウシ。





今日はこれにて。

パステル色の春景色、の巻 [折々散歩]

昨日、子守の合間に書いた記事をやっと投稿して、安心して風呂にはいって寝た、、、、、つもりが、今朝見ると、アップされていません。どこかで操作を誤ったのでしょうか?

たいした記事でもないのですが、消失は辛い。がっかりです。

復元を試みましたが、今日はもう気力が沸きません。またの機会に可能ならば試みることにします。

今日は、父の通院のために、田舎に帰ってきました。

前回の帰省時に、カメラを一台、置き忘れて帰っていました。PENTAXQ10です。コンパクトなカメラであるが故に、自動車の座席の隙間に落としていました。探し出して拾ってくれていましたので、今日は持ち帰ることができました。

こんな写真を撮っていました。















あれから10日。景色の様相がずいぶん変わっていました。桜は散り、木々の新芽が山を彩っています。柔らかいパステルカラーです。

PENTAXK10D+AFAD+タクマー55mmf1.8という組み合わせです。

消失記事では、このレンズについて書いていたのですが、その話題はまた回を改めて「復元」を試みる予定です。

現代的なカリカリの描写ではないので、こんな柔らかい風情を描くにはかえって似合っているかもと思えました。



















病院の行き帰りの道々、どこもかしこも、こんな情景が車窓を流れます。何度も車を停めて撮影したいところですが、そうも行かず、買い物に寄ったお店の駐車場から見える景色を写したのが上の写真です。

次は、実家周辺の山景色。

















東西南北、どちらを向いても、最高に美しい季節だと思えます。

























同じような写真ばかりですが、飽きることがありません。

次は別のカメラです。OLYMPUSE-PM1+LUMIX G 14mm F2.5 ASPH。

文字通りポケットカメラです。

ツツジが見事に咲いていました。







今日はここまで。


世界共通語を話す鳥?の巻 [折々散歩]

今年度は、アルバイトが週2回になりました。実働時間が大きく増えるわけではないので、収入も大差ありませんが(涙)。そうはいっても通勤に片道一時間前後はかかりますし、勤務時間にカウントされない手待ち時間もありますから、拘束される時間は増えて、ブログ更新もブログ訪問も怠りがちです。

くわえて、目下編集中の半ば「公共」の文章がありまして、あたら佳日を、PCにむかって鬱々と過ごしております。小学校新入生の孫が、お昼には集団下校で帰ってきて、保護者が引き取らねばなりません。ばあばがパート勤務の日は,そのお迎えの役目を、私が担うことになります。昼ご飯を食べさせて、夕方まで子守となれば、これまた私の自由は制約を受けます。いえ、決して愚痴を言っているわけではございません。幸せですとも、はい。

ただ、悩ましいことは、先日導入したOFFICE2003の不具合か、あるいは別の要因か、苦労して編集を進めていたword文書が、「ファイルが破損しています」と言うメッセージが出てまったく開けません。いつもなら用心して残しておく元ファイルを残さず「上書き保存」を続けてきた油断がたたりましたバックアップファイルの自動作成も設定していませんでした。後悔先に立たず。これまでも同じ過ちをおかして何度ほぞを噛んだでしょう(涙)。

いろいろ調べてwordの「ファイル修復コンバータ」なるものを利用してみましたが、まるで意味をなさない文字列が表示されるばかり。ワードパットやエディターで開けば、画像その他のレイアウトは諦めるとしてもテキスト文書部分だけは助かる可能性もあるという情報にすがって,試してはみたものの徒労でした。レスキューソフトも試してみますが、これも効なし。
と言うわけで、未練を残しながらも諦めて、一度やった編集作業の単調なやり直しを鬱々と進めているところです。

そんなこんなで、ここのところ、気ままな散歩もままならず、写真の整理もままなりません。

ところで、今朝の地元ローカル紙「山陽新聞」にこんな記事がありました。

一分を拡大してみます。

シジュウカラの鳴き声によるコミュニケーションでは、語順が大きな意味を持っているのだそうです。記事の一部を引用します。
 語順
枝に止まって休むフクロウなどの猛禽類を見つけると、 シジュウカラは「ピーツピ、ヂヂヂヂ」と鳴き、集団で追い払う。この複雑な鳴き声は、「警戒しろ」を意味する「ピーツピ」と、「集まれ」を意味する「ヂヂヂヂ」の組み合わせではないかと仮説を立て、録音した鳴き声をスピーカーで流して実験した。
その結果、「ピーツピ」では周囲を警戒するように首を振る行動、「ヂヂヂヂ」ではスピーカー に近寄る行動が見られた。「ピーツピ、ヂヂヂヂ」に対しては警戒しながら音源に接近したが、語順を入れ替えるとそれらの反応は目立つて減少した。
シジュウカラの鳴き声には、語順に意味がある「文法」があると考えられるという。鈴木さんは「シジュウカラは『文法』を用いて、170種類を超えるメッセージをつくっているのではないか」と考えている。
so-netブログのお仲間momotaro様の先日の記事早くも散り始めたさくらにシジュウカラの写真が紹介されていました。

記事本文の「もう少し咲いててほしいさくらはどんどん散り始め、散ってくれなければ困る政権はまだ散る気配なし・・・月に群雲、花に風、アベに追い風?、そういつまで吹かんでしょう」という部分に同感しながら、それには触れず、私は、こんな他愛のないコメントを寄せました。
 シジュウカラ、可愛い小鳥ですね。四十雀と書きますが、四十という数字の意味は不明、「シジュウ」は鳴き声からの命名だとか。にわか調べの受け売りでした。

一昨日の散歩でシジュウカラを見かけ、鳴き声のことを思い出した矢先、今朝の新聞記事に出会いましたので、書き留めておくことにしました。















ここのところ、暖かいを通り越して,暑い日が続きます。ここのところ、わが地方でも、25℃を超える夏日になっています、

一昨日の散歩では、こんな方にもお会いしました。



しきりにモーモーと鳴いています。

ウシガエルの鳴き声はどんな「文法」によっているのでしょうか?



そしてこんなお方も。



ミシシッピアカミミガメ。

いずれも特定外来生物というメーワクな存在ですが、日本の夏を彩る、今やごくポピュラーな生物と言えますね。

若葉の萌え始めた枝に、ヒヨドリです。



これは、カワラヒワですか?



今日はわずかの時間、桜並木を散歩しました。

早朝の桜並木。











コガモです。

群れのほとんどがいなくなりましたが、数羽だけ残っています。



お昼前、小1生の出迎えがてら、散歩道歩きます。

青い麦が風にそよいでいます。









桜の枝に、、、。シメでしょうか?



















桜散る小径に、ツグミです。







水に浮かぶ桜の花びらが風流です。

淀んだ農業用水路と、言わなければわかりませんよね。







桜の花びらをくわえた風雅なスズメが舞い降りてきました。

カメラを取り出してもたもたしているうちに、花びらを棄てて飛び去ってしまいました。



道端の水たまりに,これまた風雅なスズメが,水浴をしていました。











ひとひらの花びらが舞うかと見えたのは、モンシロチョウでした。







今日はこれにて。


前の20件 | - 折々散歩 ブログトップ

↓訪問記念にクリックして下さると、励みになります。

にほんブログ村 写真ブログへ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ
フォト蔵にアップしている私の写真はこちらです。

写真販売サイトにも画像を掲載しています。

写真素材 PIXTA
RSS RSS1.0 | RSS2.0