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縁の下で考える(その2)の巻 [折々散歩]

昨日の記事で話題にした、30年も前の「全国教研』で、私が参加したのは『国語』分科会でした。生活綴り方運動、作文教育などで知られる国分一太郎先生らも助言者のお一人で、夜の酒席も含めて身近に接する機会もありました。不思議なことにどんなお話を伺ったか、ほとんど覚えていません。
記録によると1985年ご逝去とありますから、最晩年のお姿を拝見したことになります。85年の札幌市での集会では、お元気だった記憶がありますが、その年の2月に逝去されたようです。その前後の記憶はまったくあいまいです。
その後、、県内の教研(教育研究)集会には参加してきましたが、全国教研には参加する機会がないまま、時が過ぎました。
記憶と記録をひもとくうちに、一気に時代は変わり、1998年1月に滋賀県で開かれた教研に参加したことが、思い出されました。
その頃には、労働組合運動をめぐる動きを反映して、教職員組合運動にも大きな変動がありました。要求と運動を、政府・財界の許容する枠内に「自粛」する「連合(日本労働組合総連合会)」路線への傾斜を強める日教組「主流」が、組織内外の批判と懸念を押し切って「連合」加盟を強行したのを機に、日教組から離脱した単組(都道府県本部)などを中心に、全日本教職員組合協議会を結成(1989年)、後に日高教も合流して、全教(全日本教職員組合)が結成されます(1991年)。こうした元で、日教組、日高教共同開催という全国教研は幕を閉じ、全教・日高教主催の全国教研から、今日の「実行委員会」主催の教研へと発展しています。
そんな歴史の過程で、1998年の教研に参加した模様を、こんな文章にしたことがありました。

  今年で10回目を迎えた全国教研集会に、初めて(合同教研時代は別として)参加しました。
 「行く春をあふみの人と惜しみけり(芭蕉)」の句からの連想からか、なぜか、湖水朦朧としたのどかな情景を思い描いてしまうのですが、「防寒対策を」との事前レクチュアどおり、近江の冬は格別の厳しさでした。
 連山に雪を戴き、周辺の道路脇にも積雪の残る全体会場は、右翼街宣車の騒音や機動隊の警備のものものしさとはうらはらに、うちとけた親密さと、明るい熱気に包まれていました。10年ぶり、20数年ぶりの知己の顔もちらほら見え、懐かしいひとときを味わうことができました。
 主催者挨拶、基調報告も、現場の苦悩と希望への共感に裏付けられた、真摯で温かいメッセージと、私には感じられました。そして、何よりも、米倉さんの記念講演に、感銘を受けました。
 分科会は、レポート報告者という任もあって、「特設1 子どもから地域からの教育改革」に参加。私の出番は、分科会初日の最後で、「『こんな高校をつくろう』高教組『高校像検討委員会』の提言づくりに参加して」と題して、岡山県の教育事情と県の進める高校再編の動きにふれながら、我々の対案としての「提言」(特に、提言①「こんな高校をつくろう」の部分)の紹介を行いました。時間の制約もあって意を尽くさぬ報告となった上に、全体の論議の流れと噛み合いにくかったせいもあってか、質問もコメントもないまま終わり、やや疲労感の拭えぬ一日でした。ただ、望外にも、翌日の情宣紙に「参考になる」との参加者の声を載せていただき、いくらか報われた思いでした。
 「教育改革」という遠大なテーマを扱う分科会であることから、レポートも、多様な学校種別・分野にわたり、また、議論の内容も、教育政策の全体を扱うものから、運動論にかかわるもの、学校外・地域の教育のありかたなど、多岐にわたったため、自分がどう議論に参加していいか戸惑っているうちに時間が過ぎ、正直、消化不良のまま、多分に欲求不満が残ったことは否めません。
 そのなかで、印象に残った点だけを幾つか書いて、分科会紹介に代えます。
(中略)
  ところで私は、基本的に「特設1」分科会に出席するつもりでしたが、せっかく来たのだからという欲心から、分科会の「ハシゴ」をしてしまいました。
 二日目の朝、T商のT先生の導きで、分科会開始前の移動時間に、ちょっと寄り道して近隣の史蹟を見学することに。愉快な弥次喜多道中のしめくくりとして、メンタムで知られる「近江兄弟社」ゆかりの「近江兄弟社学園」を(幼稚舎が、明治期の洋風校舎の面影を残していると)訪ねたところ、ふと見ると、校門前に「特設分科会2 子どもの権利条約」の案内看板。なんと、(うかつといえばうかつですが)、同学園の施設が、分科会場になっていたのです。
 これも何かの縁と、午前中は二人でその分科会に参加。出てみてよかった。「子どもが本音でのれる行事」を通して荒れを克服し自治を育てるとりくみ(滋賀・小)や「たっぷり遊んだ子どもは元気がいいぞ」(東京・父母)と題する学校施設を利用した子ども・青年の「遊び場・たまり場」づくりの取り組みなど、わくわくするレポートと、熱い意見交換が、刺激的でした。
 最終日は、どうしても出たかった「中等教育」分科会に出席。「青年期教育の実践」「中・高の接続はどうあるべきか」「子ども・青年はどんな学校を求めているか」という、個人的に関心をそそられるテーマは、すでに前日までに終わっていて残念でしたが、当日の報告は、中高連携(高知)、高校統廃合(北海道)、学校移転に抗して生徒・教職員・父母・市民ぐるみでとり組んだ学校づくり(私学)など、「特1」分科会と通いあう内容で、私の内部では首尾が整い、満足でした。最後に紹介された、日高教定通部・日本の教育改革をともに考える会の、それぞれの提言は、深く学び、合意を広げていきたい内容でした。  

今回参加した分科会は、私の希望によるものではなく、運営の必要に応じて、たまたま割り当てられたものでしたが、「文化活動・図書館」という名前の分科会でした。
でも、その内容は、期せずして20年前の問題意識と響き合うものでした。

あくまでも、縁の下で支える裏方に徹するつもりでいましたが、レポート発表や議論が興味深く、ついつい聴き入ってしまいました。
この分科会の共同研究者(「助言者」ではなく、こう呼ぶことにも、この教研集会のともに歩もうとする姿勢があらわれています。)のお一人、増山均先生は、「遊びは子どもの主食です」という印象的なフレーズを、キーワードとして紹介してくださいました。

上は、日本小児科学会の提言ポスターです。
下のブックレットは、増山先生の著作です。

内容紹介の一部をコピーしてご紹介します。


子どもの権利条約31条。これまで意識してきませんでしたが、その重要性を改めて痛感させられました。

 第31条
1.締約国は、休息及び余暇についての児童の権利並びに児童がその年齢に適した遊び及びレクリエーションの活動を行い並びに文化的な生活及び芸術に自由に参加する権利を認める。
2.締約国は、児童が文化的及び芸術的な生活に十分に参加する権利を尊重しかつ促進するものとし、文化的及び芸術的な活動並びにレクリエーション及び余暇の活動のための適当かつ平等な機会の提供を奨励する。

日本ユニセフ協会による抄訳はこちら
話題は次回に続きます。
今朝の散歩写真です。







虹が出ていました。




今日はここまで。

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縁の下で考えたこと、の巻 [折々散歩]

適切な言葉がなかなか浮かばないもどかしさを、しょっちゅう経験します。
先日の教研(教育研究集会)分科会でも、要員としての自己紹介で「枯れ木も山の賑わい」と言ってしまいましたが、本当に言いたかったのは「縁の下の力持ち」として役立ちたいと言うことでした。
前回、岡山で全国教研が開かれたのは、1975年1月の第24次教研(1974年度)だったそうです。その頃は、小中学校教職員中心に組織する県教組(研教職員組合)が加盟する日教組(日本教職員組合)と、私たち高校;障害児学校教職員中心に組織する高教組(高等学校教職員組合)が加盟する日高教(日本高等学校教職員組合)の共同開催でした。
その後、教職員組合運動の組織的変遷を経て、この合同教研は歴史を閉じ、今回の「みんなで21世紀の未来をひらく教育のつどい-教育研究全国集会2017)は、高教組が加盟する全教(全国教職員組合)など、「つどい実行委員会」の主催で開かれます。実行委員会は、教職員団体、学者研究者などの他、教育と子育てに心を寄せるはばひろい労組、市民団体等によって構成されています。私たち退職者の会も、その一員です。
誰しも、集会の成功に貢献したい気持ちは、山々です。この酷暑のさなか、高齢の要員には、熱い日射しの中での業務は避け、出来るだけ涼しい場所での仕事を割り当てるよう配慮するので、積極的に応援してほしいと依頼され、三日とも協力できますよと申し出ましたら、初日の全体集会は、会場地下通路付近の「警備」を割り当てられました。物理的な警備の主体は若く屈強な警察官が担ってくれますので、私たちは「ご苦労様です」と声をかけつつ、通行人に通行止め箇所の周知と、経路の案内をする役目です。全体会そのものの内容が十分には聞こえないのは残念でしたが、同一部署に割り当てられた友人と、ゆったりと四方山話が交わせたことは、ありがたく、心豊かな時間でした。
二日目三日目の分科会は、会館責任者・分科会責任者という、私には少々肩の荷が重い役目がわりあてられ、心身に常ならぬ緊張と疲労を覚えたことでした。「縁の下」の徹するつもりが、少しは明るみに姿を現さねばならない羽目になりました。
ただ、分科会の様子を、最初から最後まで、会場内で傍聴できたことは、久々の知的刺激で、遙か昔の記憶がいろいろと蘇ってきたのも、余禄でした。
共同研究社の先生が、昔は冬に、体育館でストーブを焚いて行ったこともあったと改装しておられましたが、そう言えば、私がかつて実際に参加したことがある全国教研は、下記の通りですが、いずれも内容よりも、寒かった記憶だけが、真っ先に蘇りました。

続きは次回、今日はここまでです。

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盆明けスケッチの巻 [折々散歩]

早いものです。お盆も明けて、早や8月も下旬です。
疾風のような勢いで、集まっては離れましたが、お互いの存在を確かめ合った家族のひとときでした。
二日続けて、庭や近くの広場で、花火を楽しみました。メンバーは若干の変化がありましたが、、。
14日の夕方です。
「忍者玉」という、煙ばかりを噴き出す花火。いがらっぽい煙の匂いがスゴイ。

これ、家族です。まだ欠けてますが、大勢集まったものです。

翌日は8月15日。
朝から雨でしたが、次男の車で、実家までママと姫を迎えに行き、その足で私の郷里の老父母の家を訪ねました。
県内と言っても高速道路を利用しないと遠いです。山深い土地ですので、トンネルが必須です。

この子も、鯉のエサやりが大好きです。



保護色で、黒いバックに体色をあわせた幼いアマガエルです。

デンデンムシが何匹もいました。触ってみたいのに、指がこわばって、尻込みしてしまいます。。

夕方、従兄妹と一緒に花火です。
ちょっと雨が降った後ですが、これを逃すとチャンスがないので、ある限りの花火につぎつぎと点火します。








おもしろうてやがてかなしき花火かな(2013年8月)の記事に「打ち上げ花火も、轟音一発、空一面を彩って大きく花開いたあとの闇と静寂が、もの悲しさを募らせますが、線香花火の刹那の美こそ、『あはれ』
の極と思えます。」と書きましたが感慨は同じです。
次男一家もきのうは無事大阪に帰着、今日は職場、保育園ともに日常生活の再開のようです。
近所に住む孫たちは、夏休み宿題の仕上げに追われる日々です。
絵も描きました。
小4生が、常山が見える稲田の風景を描きました。

小1の孫は、家族が常山をバックに並んでいるという設定で似顔絵を描きました。

これは今朝の常山。



雨も降ったので、稲葉に水玉の雫がたっぷり宿っています。





暑さがぶり返した昼間、「宿題疲れ」の小学生兄妹と、魚掬いです。

今日はこれにて。

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葉月の朝のプチ散歩、の巻 [折々散歩]

25℃を超える夜を「熱帯夜」というそうです。でも明け方、室温計が25℃や26℃を指していたら、涼しさを感じてしまいます。最近の就寝時の室温は32℃、エアコンの温度設定は28℃でも寒いほど。
先日ベトナム出身の留学生に「お国の夏とどっちが暑い?」と聞いたら、すかさず「ニッポン」と答えました。「今年の暑さは格別」という会話が、朝の散歩中あちこちから聞こえてくるお決まりの挨拶になっています。
薄暗いうちの散歩が、涼しくていいです。
今日は、寝苦しさのせいで何度も目が覚め、二度寝三度根の後に目覚めると、6時近くになっていました。
玄関先の温度計は、27度Cを超えていました。exifデータで確かめると、5時55分の撮影です。

室内温度はさらに高く、28度Cを超えています。〈6時ジャスト)

今日は小学生孫二人のお供で午前中用事があるので、散歩は諦めました。
ここ数日の朝散歩。薄暗いうちから出かけています。







だんだんと日の光が強くなり、気温も一気に上昇していきます。





朝日を浴びる月見草(小待宵草?)

猫じゃらし(エノコログサ)




ツチガエルが何やら深い思索にふけっています。





稲葉の朝露とイトトンボ。
朝露とイトトンボ
朝露とイトトンボ posted by (C)kazg 朝露とイトトンボ
朝露とイトトンボ posted by (C)kazg kazg 朝露とイトトンボ
朝露とイトトンボ posted by (C)kazg 朝露とイトトンボ
朝露とイトトンボ posted by (C)kazg 朝露とイトトンボ
朝露とイトトンボ posted by (C)kazg
朝露とイトトンボ
朝露とイトトンボ posted by (C)
日が高くなると、汗が噴き出し、ゆっくり撮影しようなどという心のゆとりは、失せてしまいます。
今日これにて。

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小鳥の森がアブナイ?の巻 [折々散歩]

前回の記事で農業後継者の問題に少しだけ言及しましたところ、M師から、「ナードサークで農業改革について触れておられたので、お伝えしなければと思いました。」と、昨日、次のようなメールをいただきました(一部抜粋)。
 (前略)三徳園というのは元は農業研修施設だったようですが、ご承知のように現在は別名「小鳥の森」として県民に親しまれている公園です。この公園に国から五億円の予算がついて農業従事者を育成するための施設を作ることが決まったようです。かなりの木を伐採し資料館(高松農高から移設された木造建築で三徳園のシンボルになっている。)も改築されるようです。
 周辺住民にこのことが知らされたのは、工事を行う業者も決定し工事が始まる直前の7月初めでした。多くの木が伐採されると(すでに巨木が惜しげも無く伐採されております。)小鳥の住む環境が破壊されてしまいます。これを知った地域の方、野鳥愛好家、県野鳥の会などが県に話し合い、申し入れを行いましたが、県からは通り一遍の回答で作業はどんどん進んでおります。マスコミにも連絡しましたが、RSKが木が伐採されている様子を放映し県の説明を流しただけでした。ただ木の伐採はノコギリとかチェンソーでの伐採ではなく重機を使って大木を根こそぎ倒してゆくまさに破壊的映像で、見た人には衝撃を与えたようです。
 F先生は専門家である自分達の意見を聞くこともなく事業が進められることに憤っておられました。農業施設を作るなら別の場所がいくらでもあるのではないか、平地にこのような森林施設があるところは稀であり貴重だと言っておられます。私も小鳥の森に出かけた時に、よく保育園児や車椅子の方などをお見かけしました。山には出かけられない人でも気軽に出かけられる森林施設です。県に申し入れをしても担当者の通りいっぺんの回答があるだけなので、現在知事に直訴する手はないかなど検討されています。
 (後略)
「三徳園」の工事計画については、少し前にもM師から概略を伺っており、山陽放送(RSK)のニュース番組での報道予定についても教えていただいていました。録画予約をしていたのですが、時間は正しかったのですが、日にちを間違えて一日遅れで録画しており、見損ねました(汗)
「三徳園」、「小鳥の森」は、当ブログの過去記事でも、しばしば訪問して、野鳥や樹木、花などの撮影を楽しませてもらっている場所です。たとえばこんな記事。

上を向いて歩いていたら、の巻

青い鳥尋ねあてたる年はじめ

縁は異なもの、「青頭鳥」再考、の巻

故郷の川面におはすミサゴかな

再生の象徴 楷の葉は緑

時至れば花咲くならんおのづから

笹鳴くや鶯宿の主おはすらん

お名前は? 鶯宿、紅さし、そして南高

春の夜の夢途絶えさせ地震(なゐ)震ふ

冬の日や鏡の上の巫女秋沙

豊饒の小鳥の森の日の光

私が初めてトラツグミに会ったのも、この場所でした。

われもまた たずねあてたり とらつぐみ

の記事で、「場所は、敢えて伏せますが、県内某所」と書きました。心ない観察者によって場所が荒らされることを警戒しての配慮でしたが、今では時効でしょうね(笑)。この時も、M師に教わった情報でした。
その大恩あるM師は、昨日のメールで「お暇な時に現地取材をされ(現在入場禁止ですがどこからでも入れます)ナードサークで取り上げていただければ大きな力になると思います」と書き添えてくださいました。「大きな力」にはまったくほど遠いですが、たとえお一人・お二人にでも、お伝えしないわけには行くまいと、早速「現地取材」に出向いてきました。
施設の大部分にロープが張り巡らされ、物々しい立ち入り禁止の表示があちらにもこちらにも掲示されています。











(上の図は、HPからコピーしました)
この工事について、岡山県のHPには、こんなQ&Aが掲載されています。
Q&A [PDFファイル/106KB]
 三徳園の再整備に関するお問い合わせ (Q&A)
(問1)
なぜ、 三徳園に農業の担い手育成の拠点施設を整備するのですか。

・ 三徳園は、 昭和 9年に現在の第一生命保険(株)の創始者である矢野恒太氏が若手農業者を養成する施設である 「三徳塾」 を創設し、 その後県に寄付されたもので、昭和43年に現在の三徳園に改称されるまでの間、約1, 400名の卒業生を輩出 しています。
・現在は、古農具等の展示や農業者等が交流する建物のほか、農作物や郷土樹木等の展示園を有する農業公園として、 山林エリアに整備した小鳥の森と合わせ、 多くの県民にご利用いただいておりますが、 建物につきましては、 いずれも50年以上が経過して老朽化が進み、 利用者の安全を確保することが困難な状況になっております。
・また、 本県農業の現状をみますと、 この10年間で農業就業人口が約4割減少し、 農業者の平均年齢も7 0歳となるなど、 担い手の育成は喫緊の課題となっております。
・ このため、 三徳園に本県農業の担い手を確保 ・ 育成するための拠点施設を整備することで、 次代を担う人材育成の加速化を図り、 併せて、 公園利用者の安全性や利便性を確保することとしたものです。
「農業の担い手育成」は、もとより重要ですが、「公園内の森を切り開いて畑にしなければならない理由がどこにあるのか」という疑問に答えることもなく、市民の声に耳を傾けることもないまま、工事は進んでいるようです。
いずこも同じです、、、、か?

重機が間断なく轟音を響かせて山肌を削り続けています。
傷跡が無惨です。自然災害による壊滅ではなく、人為による破壊・蹂躙であることが、皮肉なことです。
正面の建物は、M師のメールでも「三徳園のシンボル」と紹介されている農業展示館(明治35年に建設された高松農業高校の本館を移築復元した建物)です。その、文化的価値を思えば、修復・保全が望ましいと思えますが、コストがかかりますかね?安上がりに、「公園利用者の安全性や利便性を確保」するには、「改修」がおトクということですかね?

廃墟に似合う鳥と言えば、カラスでしょうか?





左側へ進むと、小鳥の森エリアです。

「小鳥の森」へは、何カ所か入り口があり、それは工事によってもふさがってはいません。

次のような立て看板から、森や樹木への愛情と畏敬が読み取れます。







このコメントに込められた自然感と、工事強行を譲らない県の姿勢との間には、計り知れない落差があるように思えてなりません。
県HPのQ&Aの続きに、小鳥の森に関わる記載があります。
(問2)
三徳園には小鳥の森もありますが、 どこの樹木を伐採するのですか。
・三徳園は、 総面積が18.1ha(園地9.0ha、 山林9.1ha)あり、 このうち山林エリアの一部を小鳥の森(4ha)としていますが、 このたびの工事は、 園地内の
一部を対象とした整備であり、 山林(小鳥の森)は対象にしておりません。
園地エリア、山林エリア、工事対象エリア及び小鳥の森の位置は、 こちらをご覧ください。
・ 工事対象エリア内の樹木は、 郷土樹木園の一部など、 必要最小限の範囲で伐採を行いますが、 移植可能な樹木は植え替えるとともに、 新たな植樹も予定するなど、 引き続き、 野鳥観察などもできる緑豊かな農業公園となるよう努めることとしております。
工事対象エリアの詳細は、 こちらをご覧ください
「郷土樹木園の一部など、 必要最小限の範囲で伐採」とあり、「移植可能な樹木は植え替える」などとも書いてありますが、移植に適さない季節との指摘もあり、性急な工事強行は嘆かわしい限りです。

「郷土樹木園」というのは、県内に自生する樹種約500種のうち,245種を自然に近い形で植栽展示。自然環境の違いによって植生を分類し,県下の自然の復元を目指すというユニークな庭園です。特筆すべきは、樹木にそれぞれ名鑑がつけられていて、私など、樹木にまったく詳しくない人間にとっては、この上なくありがたい配慮と、つねづね思ってきました。


今から20年数年前の1993年(平成5年)岡山県議会で、当時の長野史郎知事が、三徳園についてこんな答弁をしているのを、偶然見つけました。
故矢野恒太翁が農業の若い担い手を育成するため,昭和9年に創設したもので,農山村の伝統と文化的遺産を保持する施設を初め,各種樹木園を整備し,青少年の農業研修や交流の場として年間約12万人が利用しているところであります。  
御指摘の郷土樹木園には現在241種を植栽しておりまして,植生上,非常に育てにくいホンシャクナゲやレンゲツツジなど200種のものが残されております。今後とも,土壌改良や日照等を含めた植生の環境改善に十分配慮しながら,いまだ植えられていない樹木の収集に努めてまいりたいと思います 
当ブログでは、長野史郎元知事の県政の負の「業績」について、幾度か批判記事を書いてきましたが、この答弁からは、三徳園への、ある種の思い入れを感じ取ることができるような気がして、好感を覚えてしまいました。
(郷土の)自然にたいする愛着と畏敬、胸の奥深く刻み込まれた思い入れを蹴散らして、「本県農業の担い手を確保 ・ 育成するための拠点施設」づくりを優先させる発想は、「もはや、農政の大改革は、待ったなしであります。何のための改革なのか。強い農業を創るための改革。農家の所得を増やすための改革を進めるのであります」と叫ぶアベ農業改革の、ドライで無神経で威勢の良い、白々しくて脳天気なかけ声と、奇妙に響きあっているように思えます。
「国から五億円の予算がついて」という一言に影響された先入観、色眼鏡による印象かも知れません。けれども、「行け行け、ゴーゴーどこまでも」と、行き先も確かめず地獄までも疾走するのが、とりもなおさずアベ流というものですから、農業再生のためにも、アベ農政(アベの所為=momotaro様)にNOを突きつけることがまず肝要と思われます。。
「あわてない、あわてない。ひと休み、ひと休み」(一休さん)という姿勢が大切に思われてなりません。

さて、Q&Aのつづきがあります。
(問3)
三徳園は鳥獣保護区内にありますが、 樹木の伐採は問題ないのですか。
・ 三徳園は、 鳥獣保護管理事業計画において指定されている鳥獣保護区内にある施設であることから、 このたびの工事では、 当該計画を踏まえた上で、 必要最小限の範囲で樹木の伐採を行うこととしております。
・なお、 このことについては、 当該計画や鳥獣保護管理法を所管する部署とも協議し、 問題ない旨を確認しており、 引き続き、 工事期間中におきましても、法令等を遵守して取り組むこととしております。

「当該計画や鳥獣保護管理法を所管する部署」との協議や、「法令等」の「遵守」は、当たり前過ぎるほど当たり前の必要条件といえます。それだけこと足れりとするのは、「関係法令に基づき適切に実施」(加計問題でのアベ答弁)と、「法令遵守」を口実に、それ以外の重要な社会の要請をシャットアウトするアベ内閣の手法とソックリです。

ことは県立「公」園の運営に関わる、進め方の問題です。「法令遵守」にくわえて、その道の専門家や、地域住民・市民・県民、公園利用者、自然愛好家の声に耳を傾け、その妥当性を社会的に検証することが、つよく求められているのではないでしょうか?

今日はこれにて。

稲葉の露その他、 の巻 [折々散歩]

ご近所から、鯛や桃を頂いたというので、お裾分けを頂戴しに郷里の実家に帰ってきました。
ついでに、少々草刈りをするつもりで、早朝6時過ぎに出発。さすがに車の通行は少ないとはいうものの、ほどほどの車間距離で、ずっと車列は続いています。暑さを避けて行動したい心理でしょうかね。
8時過ぎ、実家に着いてみますと、すでに数人の方が傘刈りなどの作業を始めておられます。シルバー人材センターの方だそうで、ご近所さんの依頼で、お盆を前に、庭や農道、畑などの草刈りを、二日がかりで続けておられる由。お見受けするところ、七〇~八〇歳代のまさにシルバー世代で、炎天下の作業、頭が下がります。お達者そのものですが、暑さにはお気をつけください。
町内放送で、熱中症の注意が呼びかけられていました。連日のことだそうです。
朝方、少し曇り気味で、幸い気温の上昇が思ったほどではありませんが、私自身は、一時間ほどで作業をやめ、早々にシャワーを浴びて休息しました。それでも汗が噴き出ます。作業じまいを促しても、老母は、刈り払った草の後始末やら、目につく草の引き抜きやら、、私の作業衣の洗濯やら、あれやこれや休むことなく動き回ります。
日本の農村は、総じてこのような高齢者の汗によって担われています。
そして、このような高齢者が、後継を得ないまま次々と姿を消し、かつて田畑であった場所が大自然の浸食にさらされ、瞬く間に山林原野にもどっています。
電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんな政治が悪いのよ!と短絡するつもりはありませんが、昨今の、有害獣によるあいつぐ被害、未曾有の豪雨・土砂災害の頻発、、、、、、これらは、大企業優先、農業・農村・地方軽視の歴代保守政治の貧困と、決して無縁とは思えません。
こうした現状どこ吹く風の、アベソーリの脳天気なセリフが、白々しく思い出されます。

四季の移ろいの中で、きめ細やかに育てられた、日本の農産物。世界で豊かな人が増えれば増 えるほど、人気が高まることは間違いありません。そのためにも、「攻めの農業政策」が必要です。日本は瑞穂の国です。息を飲むほど美しい棚田の風景、伝統 ある文化。若者たちが、こうした美しい故郷(ふるさと)を守り、未来に「希望」を持てる「強い農業」を創ってまいります 。
(首相官邸HPより、第183回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説、動画をご覧になりたい方はこちら

「息を呑まなくてもいいから草刈ってくれ」という揶揄も、あちらこちらから聞こえて来ます。
「月間日本」hpの鈴木宣弘 大企業による大企業のための農業改革という記事
は的確にこう指摘しています。

大企業の、大企業による、大企業のための農業改革

―― 安倍政権は農業に市場原理を導入する農協改革法案を閣議決定しました。これは、昨年5月に規制改革会議の農業ワーキングループが提出した「農業改革による意見」に基づいています。そのメンバーは大企業の役員です。また産業協力会議の農業分科会では、前ローソン社長の新浪剛志氏が主査を務めています。

鈴木 そもそも、この農協改革は誰のため、何のためにやるのか。その内容を見れば一目瞭然です。「今だけ、カネだけ、自分だけ」という私利私欲に塗れた大企業の、大企業による、大企業のための農業改革だと結論せざるをえません。これは「大企業が儲かる農業」をつくるために、農協や農家を中心とする「大企業が儲からない農業」をぶち壊すという改革なのです。

 安倍総理は「もはや、農政の大改革は、待ったなしであります。何のための改革なのか。強い農業を創るための改革。農家の所得を増やすための改革を進めるのであります」と謳っていますが、農家を殺そうとしているとしか思えない。農産物の販売価格と生産コストの赤字を補てんする「戸別所得補償制度」は撤廃する、減反政策を転換して米価は戦後最低水準に暴落する、農家を国際競争に晒すTPP参加を目指す、これで農家が潰れないわけがないではありませんか。

 安倍総理は「日本は瑞穂の国です。息を飲むほど美しい棚田の風景、伝統ある文化。若者たちが、こうした美しい故郷を守り、未来に『希望』を持てる『強い農業』を創ってまいります」と謳いながら、稲作を至難の業にし、コメ農家を窮地に追い詰め、コメ農家の後継者を絶望させているではありませんか。

 結局、安倍総理は本音では99%の農家は潰れてもいい、1%の企業の農業事業が儲かればいいと思っているのでしょう。「農家の所得を増やす」といいますが、その「農家」とは既存の農家ではなく、農業に参入した企業のことだというにすぎません。(後略)


今朝は六時前に家を出て、ブラブラ散歩です。
雲の間から朝日がのぞき、暑さの前触れが伝わってきます。







今朝の常山です。

稲葉の露に息を呑みました。
というのも。呼吸をすると、カメラがぶれるので、じっと我慢してピントをあわせ、静かにシャッターをおさなくてはなりません。
稲葉の朝露
稲葉の朝露 posted by (C)kazg 稲葉の朝露
稲葉の朝露 posted by (C)kazg 稲葉の朝露
稲葉の朝露 posted by (C)kazg P7306193
P7306193 posted by (C)kazg 稲葉の朝露
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P7306218 posted by (C)kazg 稲葉の朝露
稲葉の朝露 posted by (C)kazg 稲葉の朝露
稲葉の朝露 posted by (C)kazg 稲葉の朝露
稲葉の朝露 posted by (C)kazg
父によると、先日津山の町に、「178」のナンバープレートの自動車が、全国から集まったそうです。
7月22日、津山市でB'zのボーカル稲葉浩志さんの公演があったため、全国からファンが駆けつけたというのです。。
津山市のHPにこんな記事がありました。



  津山が誇る世界的なミュージシャンで、B’zのボーカリスト稲葉浩志さんが津山で公演を行います。
津山市にとって数十年の悲願だった待望のライブが開催されるという朗報を受け、市内では喜びの声が湧き上がっています。
 
「B’z SHOWCASE 2017 -B’z In Your Town-」 津山公演
と き 7月22日土曜日 午後6時開演
ところ 津山文化センター
津山市で生まれ育ち、高校生までを過ごし、ロック魂の礎を育んだ稲葉さん。昨年発刊した津山市市勢要覧でも「歌い手としての稲葉も「津山産」だと胸を張って言えます」と津山への熱い郷土愛に満ちたメッセージを寄せていただいています。
誰もが望んではいるけれども、なかなか実現しなかった夢。ますます大きくなって手の届かない存在となったB’zの公演がついに現実のものになります!
今回の凱旋公演が、より多くの市民にとって稲葉さんの偉大さや郷土への誇りを再認識できる機会となり、津山のまちに新たなエネルギーが吹き込まれることを願っています。

稲葉さんの故郷として心から歓迎します!

鯛は、ご近所さんが釣ってこられたものを、鱗や内臓を取って調理した状態でくださり、冷凍保存してあります。今日は、そのまま焼いて、鯛飯に炊いて食べました。長男長女の一家にもそれぞれお裾分けできましした。


追伸。
最後は、稲葉ではなく、もはや飽き飽きの稲田のお噂です。
南スーダン国連平和維持活動(PKO)部隊の日報の隠蔽問題の責任を問われて、岡部 俊哉陸上幕僚長、黒江哲郎防衛事務次官がそれぞれ退任。現場だけに責任を取らせることへの不満が噴出する中、稲田サンもついに辞任という選択肢しか残らなかったものらしい。姑息なのは、辞任の発表時期で、民進党蓮舫さんの辞任発表のタイミングに敢えてぶつけることで印象を薄めようとした、、、というのがもっぱらの噂ですネ。
このドタバタの隙を突いて、北朝鮮がICBM(大陸間弾道ミサイルらしきものを発射とな。物騒至極ですな。

ところで、このICBMが発射されたのが、朝鮮北部の慈江道(チャガンド)からだと聞き、ある感慨を覚えました。この地名は一度だけ話題にしたことがありました。去年の冬の記事でした。

縁は異なもの、「青頭鳥」再考、の巻


 実は、父の出生地は、植民地時代の朝鮮半島でした。5才の頃までそこで育ち、冬の寒さ、松の実をよく食べた記憶、オウリョッコウが近かった記憶、など、いろいろとかすかな記憶があるようです。かねがね、一度は訪ねたいと思ってきたが、もう今となっては無理ながら、せめてどんな場所だったか、地図があったら探してほしいと、ずいぶん前、頼まれていました。
戸籍簿の記述に、朝鮮平安北道江界郡云々とあるのを頼りに、地図を参照してみますが、なかなか難渋しました。

なにしろ、国交断絶状態にある北朝鮮に属するだけに、余計に地図情報などが入手しにくい事情もあるのかも知れません。観光旅行向けの案内書や地図のようなものも見あたりません。アマゾンで、地図を入手し、中身も確かめないで送っておいたのですが、「平安北道江界郡」なる場所は見つかりません。
先月、一番下のゼロ歳児の孫とその母親(私の長女)と一緒に田舎を訪ねた際、ことの次第を話していると、長女がスマホで、ちょこちょこっと検索ながら、「オウリョッコウって、鴨という字を書く?」と尋ねます。父も私も、とっさには返答できず口ごもっているあたりで検索作業はお預け、話題が他へ移りました。
「オウリョッコウ」は「鴨緑江」。疑う余地はないはずなのに、いざ問われると、動転して迷ってしまう。
ウィキペディアにこうあります。
 鴨緑江(おうりょくこう、北京語:Yālù Jiāng、ヤールージャン、満州語:ᠶᠠᠯᡠ
ᡬᠢᠶᠠᠩ 転写:Yalu giyang、朝鮮語:압록강[2])は、中華人民共和国(中国)東北部と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との国境となっている川である。白頭山(中国名:長白山)に源を発し黄海に注ぐ。水の色が鴨の頭の色に似ていると言われたことからこの名前がある。(中略)
さらにこうもありました。
 日露戦争時には日本軍とロシア軍が激戦を繰り広げた(鴨緑江会戦)。また、朝鮮戦争時には北朝鮮軍を支援する中国軍が鴨緑江を越え、国連軍が両国を結ぶ鴨緑江沿いの要衝に爆撃を行った。
そうでした。なぜとっさに思いださないのでしょう。地理音痴、歴史音痴の面目躍如です。
「朝鮮平安北道江界郡」を地図上で確かめることにしばし難儀したのですが、結論は次の通りと考えて良さそうです。
「江界郡」をウィキペディアで調べると、「 江界市」に行き当たります。
 江界市(カンゲし)は、朝鮮民主主義人民共和国の慈江道の道都。人口約22万人(1993年)。
おや?「平安北道」ではなくて「慈江道」?
ヒントは同じくウィキペディアのここにありました。
 平安北道 (日本統治時代)

平安北道(へいあんほくどう、ピョンアンプクト)は、日本統治時代の朝鮮の行政区画の一つ。現在の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平安北道・慈江道を合わせた地域にあたる。道庁所在地は新義州。

旧平安北道が、今は平安北道と慈江道に分割されていて、江界郡(現江界市)は慈江道に属するということですね。
我が家の古い「平凡社百科事典」をひもとくと、こうありました。
  慈江道 Jakangdo 朝鮮北部の道。鴨緑江をへだてて中国に接し,他は両江道,威鏡南道,平安南・ 北道の4道にかこまれている。
1949年新設された道で, もとは平安北道と咸鏡南道の一部に属していた。面概約15,400㎞, 首都は江界市。
〔自然〕 (中略) 鴨緑江およびその支流と清川江の流域が道のほとんどを占めており鴨緑江の本流の過半(約4ookm)は道内を流れている。気温は北部の中江で年平均3.6
℃, 1月平均-21.1℃, 8月平均21.6℃である。南部の熙川(きせん)地方では,年平均7~8℃, 12~3月間は月平均0℃以下である。
中江は朝鮮の最低記録地で. 1933年に一43.6℃を記録した。雨量は年平均800mm以下で, 熙川地方は年1,300mmで最も多い。
〔産業〕土地利用率は7%で, そのうら水田面積の比率は10%未満である。 耕作地の大部分は火田で, 蓋馬台地, 茂山高原の火田が大きな比重を占めている。
そのうえ,生物の成長期間が短いので農業はふるわない。農作物は耐寒作物を主とし, トウモロコシ, ダイズ, アワ,亜麻.、大麻, タバコを産する。畜産業も盛んで、慈城・満浦・中江郡には国営農牧場・種畜場があり,羊,豚, メンヨウが多い。(後略)
知れば知るほど、鴨緑江と深い縁がありました。

今日はこれにて。

ヨーチョー三昧、の巻 [折々散歩]

さっき、孫たちが長旅から帰ってきました。
早速、姫二人が、ただいまのあいさつにやってきました。
発熱以来、機嫌の悪かった二歳児は、体調が良いのかにこにこ、お利口さんになって帰ってきました。
最近、鳥の写真が撮れません。
ご近所散歩でよく出会うのは、アオサギ。

こちらは少し姿が違いますね。
アオサギの幼鳥とお見受けします。



先日、深山公園で写した鳥といえば、、、。
珍しい鳥!と思ったら、これは雀(スズメ)の幼鳥?



これは山雀(ヤマガラ)。

自然環境体験公園では、、、。
河原雀(カワラスズメ=セキレイ)ですね。ハクセキレイ?

これなあに?と思いましたよ。
すぐ目の前の小川で、水浴びしてます。



黄色いおしりが見えてるよ。

枝の上に飛び上がりました。












ははあ。カワラヒワの幼鳥と見ました。
水鳥の姿も減り、目に入るのは、オオバンくらいでしょうか ?
カイツブリの幼鳥。大きくなりました。

自然保護センターの池。
まさに夏景色です。

手前はネムノキです。

アンリ・ルソーに、こんな雰囲気の絵がありません?



タンチョウノヒナ誕生のニュースを知っていました。
残念ながら、親の姿しか見えませんでした。




これは、3年前の記事です。

タンチョウの雛健やかや梅雨晴間


 タンチョウの夏」という語呂合わせが浮かびます。はたまた「タンチョールのせいだよ、オラしっちょーる」とか(オソマツ)。

 

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今日はこれにて。

虫の原っぱ虫三昧、の巻 [折々散歩]

昨日、郷里の実家の庭で、ハグロトンボを何尾も見ました。

黒い羽根とメタリックな胴、ひらひらと優雅に飛ぶ姿が魅惑的で、ついつい、追いかけてしまいます。

















帰り道の途中で、和気町の自然保護センターに寄ってみました。

耐えがたい暑さが、気持ちを萎えさせましたが、いざ歩いてみると木陰もあり涼風も時折吹いてしのぎやすい散歩道です。

「虫の原っぱ」へ向かいます。

期待したのは、希少な蝶や、ハッチョウトンボとの出会いでしたが、それはかないませんでした。

草原にバッタがいます。



















これはオニヤンマ。



ギンヤンマも、からかうように目の前を旋回しますが、カメラには収まってくれません。

イトトンボ。



シオカラトンボ。



これは?何トンボ?



セミの鳴き声もよく聞こえますが、さすがに山深い土地なのでしょう、クマゼミが聞こえません。

ニイニイゼミのどちらかというと控えめな鳴き声が、目立つほどです。







あと、実際に姿を見つけることはかないませんでしたが、ヒグラシのカナカナカナという哀愁漂う鳴き声が、しきりと聞こえていました。

ホタルブクロも涼しげです。



稲田サン、辞任か?というニュースを耳にしました。

蓮舫さんも辞任ですか?

悪事や過ちの責任を取って辞任、は当然。遅すぎたくらいです。

「力及ばす敗北」の責任を取って辞任、はいささか無責任では?辞めて終わりでなく、敗北の原因を明らかにし、それを打開する道筋を示す責任がありませんか?国民はそれを望んでいるはず。

今日はこれにて。

蓮の露あれこれ、の巻 [折々散歩]

レンコン田のハスの花を、これまで何度もご紹介しています。
一番最近には、サナエでしょうか?の巻の記事で一枚だけ画像を載せましたが、その時写した水玉を宿した蓮の葉と花の写真です。
土の中の蓮根(レンコン)を食用にするために栽培されている蓮ですから、観賞用の花ではありませんが、純白で清楚です。



ほんのりピンク色の花も咲いています。









更に濃いピンクもあでやかです。















ハスの花にまつわる蘊蓄もあれこれ書き散らしたような気がします。2013年8月の「蓮の花あれこれ」という記事の一部を引用させていただきます。

 最近では栽培農家も減少しているようです。
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この写真は、蓮の実。姿が蜂の巣に似ていることから「ハチス」と呼ばれ、転じて「ハス」となったとされますね。この蓮の実、昔から食用に供され、今でも東南アジア等では一般的な食物らしい。
「源氏物語」にも、「あの世でも、きっと蓮の葉の上で一緒に暮らしましょ」なんて台詞がよく出てきます。「蓮の実」も、薫と匂宮という二人の貴公子との愛の板挟みとなって入水自殺を図った「浮舟」が、横川の僧都の妹(尼君)のもとに身を寄せていた時、来訪した中将(尼君の死んだ娘の夫)を尼君がもてなす場面で「人びとに水飯などやうの物食はせ、君にも蓮の実などやうのもの出だしたれば、馴れにしあたりにて、さやうのこともつつみなき心地して」 などとありました。にわかな来客へのとっさのご馳走という感じですかね。ドライフルーツだったのでしょうかね。
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蓮の葉に羽を休めるヤンマトンボ。ギンヤンマでしょうか?
来む世にも 逢うこともがも ギンヤンマ



「蓮の露」と書いて「はちすのつゆ」と読む作品があります。良寛和尚の晩年の弟子で、淡い恋愛関係にあったかとも言われる女性貞心尼(ていしんに)の自筆の歌集です。

良寛和尚については、こんな記事を書いたことがありました。

マクロスライド?なんのこと?---消えた傑作の巻?

 「世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我はまされる」(良寛)という境地が、私の目下の心境に近いのですが、時には「世の中にまじる」のも、「アリ」だと感じたひとときでした。

この歌は、ずっと昔、M師から教えられ心に残っている歌です。

良寛和尚、ほかにも、軽妙で、それでいてしみじみとした歌や句を、沢山残しておられます。

この記事でも少し触れました。

散る桜残る桜も放哉忌(意味不明)


  今朝の地元紙『山陽新聞』のコラム「滴一滴」は、〈散る桜残る桜も散る桜〉という句を引いて、「美しく輝く命にも、終わりは等しくやって来る。そんな思いを桜に託したのだろうか▼出撃した兵士たちがしきりに口にしたのが、この句だったという。」と紹介し、終戦四ヶ月前の1945年の今日、帰るあてのない「水上特攻」として、沖縄へ向かう途中の戦艦「大和」が、米軍の猛攻を受けて沈んだエピソードに触れています。(web上の新聞記事はこちら)
コラムは、
犠牲者は大和の乗組員約3千人、護衛艦を含め約4千人に上る。大和は今も東シナ海の深さ350メートルの海底に眠っている▼先月は、フィリピンの海に沈ん
だ戦艦「武蔵」とみられる映像を無人潜水機が中継して話題になった。戦後70年。空襲、原爆、終戦…と節目の鎮魂が続く。悲劇を忘れてはならない。

 と、結んでいます。

 この記事で、改めて意識したのですが、この〈散る桜残る桜も散る桜〉という句は、倉敷市玉島の円通寺ゆかりの禅僧・良寛の句だと言います。

円通寺には、これまでも幾度か訪れたことがあります。

正確には、円通寺に近い国民宿舎「良寛荘」を利用したことが、何度かあり、そのついでに、円通寺と、それを中心とする円通寺公園も、ぶらりと見学したことがあります。

そこには、いくつもの記念碑が建てられており、良寛の辞世の歌とされる「形見とて 何かのこさん 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉」や、いかにも良寛さんらしい「霞立つ 長き春日を 子供らと 手毬つきつゝ この日暮しつ」の歌碑もあります。

思い返せば、一昨年の4月に亡くなった畏友H氏の案内で、西行ゆかりの地を訪ねるツアーで訪れたのが、一番最近の訪問だったかも知れません。


その良寛和尚を敬愛していた貞心尼は、初めて歌を贈ります。(「蓮の露」)

 師つねに、手まりを、もてあそび給ふ、と、ききて奉るとて、貞心尼
  これぞこの、仏の道に、あそびつつ  つくやつきせぬ、みのりなるらん
【解釈】良寬様は常に、仏の道を学ぶ手段として手鞠をついて遊んでおられますが、いくらついてもつき終わる ことがないのが、仏道の教えというものなのでしょうか。

 これに良寬ははこう返します。

 つきてみよ、一二三四五六七八 九十 (ひふみよいむなや、ここのとお)
十(とお)とおさめて、またはじまるを
【解釈】無心に手まりをついてごらんなさい。一二三四五六七八九十で、十までついたらまた一から始めます。仏道修行も同様で、これで終わりということはなく、得られたと思ったところから、またさらに始まるでしょう。

以後、良寬和尚が亡くなるまで、二人の間には、数々の歌のやりとりがありますが、蓮に関わる部分を少し引用します。

 ある夏の頃まうでけるに何ちへか出で給ひけむ見えたまはず
ただ花瓶に蓮の挿したるがいと匂ひてありければ                  
来て見れば人こそ見えね庵守りて匂ふ蓮の花の尊さ


【解釈】ある夏の頃、良寬様をお訪ねしたところどこかへお出かけ中でしたろうか、姿がお見えになりませんでした・ただ、花瓶に蓮が咲いてあるのが大層美しうございましたので、こんな歌を残して帰りました。
来てみれば、お姿は見えませんが、庵を守って美しく咲きにおう蓮の花の尊いことです

御かへし                     
御饗(みあへ)するものこそなけれ小瓶なる蓮の花を見つつ偲ばせ
【解釈】
(良寬様からの)お返歌
貴方をもてなすご馳走もありませんが、小瓶にある蓮の花を見ては私をお偲びくださいな

                     
御はらからなる由之翁のもとよりしとね奉るとて
極楽の蓮の花の花びらによそひて見ませ麻手小襖
【解釈】
ご兄弟の由之翁から、布団をくださるということで
極楽の蓮の花の花びらになぞらえてご覧くださいませ、この夜具を

御かへし                     
極楽の蓮の花の花びらをわれに供養す君が神通
いざさらば蓮の上にうち乗らむよしや蛙と人は見るとも
【解釈】(良寬様からの)お返歌
極楽の蓮の花の花びらを私に贈ってくれる貴方の神通力は、たいしたものだ
さあそれなら、仏の蓮の台(うてな)のような布団の上に乗りましょう。たとえ人々が蓮の葉に乗る蛙のようだと見るとしても


昔、妻が、こんな絵を描いたのを思い出しました。



蓮の葉の真ん中あたりに、アマガエルがちょこんと座っています。





今日は両親もジジババも出勤で、中2と小4の兄弟は留守番。小一生は学童保育へ、二歳児は保育園へ預かってもらいました。元気回復で、ほっとしました。

今日はこれにて。



セミとカワセミと、アカトンボと桑の実と、エトセトラエトセトラ、の巻 [折々散歩]


昨日今日と、基本的に孫守から「解放」されて、自由時間を得ました。とはいえ、この暑さでは、どこへもお出かけする気も起こりません。

少しだけ朝散歩をと、7時過ぎに家を出て歩き始めましたが、もう強い日射しです。

蝉の声が、朝から最高潮です。

アブラゼミ。









クマゼミ。







これはカワセミ。(2番煎じのオソマツ)

レンズが18mm-250mmズームですので、望遠が足りません。大幅トリミングします。

































マクロレンズを主に使うつもりで歩いたのですが、こんな時に限って望遠レンズを用意しなかったことが悔やまれます。

露の雫も、日射でかなり蒸発してしまっているらしく、わずかしか見つかりません。もう少し早朝に歩かなくてはいけません。











フヨウ。







キバナコスモス。









タチアオイ。





やはり散歩には、望遠系が必須ですね。

ウチワヤンマ。

250mmではちょっと遠いです。



トリミングします。







アカトンボ。アキアカネでしょうか?

ノートリミング画像はこの程度。



トリミングします。







稲の葉に止まっていました。



逃げた後をよく見ると、脱皮の後でしょうか?


アカトンボについては再三記事にしてきました。古いところでは、忘れ得ぬ故郷(ふるさと)永遠(とわ)に赤とんぼ(2013.9.23

 一
夕焼、小焼の 赤とんぼ
負われて見たのは いつの日か


山の畑の 桑の実を
小籠(こかご)摘んだは まぼろしか


十五で姐(ねえ)やは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた


夕焼、小焼の 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先

三木露風は、数え年七歳で母と離れ、可愛がってくれた「姐や」も嫁いでゆき、寂しい幼少年時代を送ります。
この歌について、後に作者自身、こう語っています。

「思ふに、だれにとってもなつかしいのは幼い時の思ひ出であり、また故郷であらう。幼年の時故郷にいない者は稀である。幼年と故郷、それは結合している。であるから、その頃に見たり聞いたりしたことは懐旧の情をそそるとともに、また故郷が誰の胸にも浮かんでくるのである。
 私は多くの思ひ出を持っている。「赤とんぼ」は作った時の気持ちと幼い時にあったことを童謡に表現したのであった。
 「赤とんぼ」の中に姐やとあるのは、子守娘のことである。私の子守娘が、私を背に負ふて広場で遊んでいた。その時、私が背の上で見たのが赤とんぼである。」(露風 「赤とんぼの思ひ出」 『日本童謡全集』 より)

夫の放蕩がもとで離婚し、故郷の愛児と別れて生地の因幡に去ることになった露風の母は、後に、鳥取県の生んだ女性解放運動の先駆者として知られる「碧川かた」と言う女性でした。ウィキペディアの記事
(中略 )
「赤とんぼ」の歌にまつわる、次のエピソードも忘れられません。
《「赤とんぼ」には、伝説化した話がある。56(昭和31)年、東京・立川の米軍基地拡張に反対した砂川闘争で、警官隊と立ち向かった学生や農民たちからわき出た歌が「赤とんぼ」だった。「日本人同士がなぜ戦わなければならないのか」と歌声は問いかけた、と伝えられる。
当時、動員された学生は3千人。雨の中、警官隊と肉弾戦となり負傷者が続出した。最後に向き合ったのは学生ら50人と、警官150人だった。「今だから話しましょう」と、全学連の砂川闘争委員長として現地で指揮した政治評論家の森田実さん(75)はこう語る。
「警官があと半歩出れば私たちは負ける状況で、獰猛な相手を人間的な気持ちにさせようとした。勇ましい『民族独立行動隊』を歌えば警官も勢いづける。そこで『赤とんぼ』を選び、日没までの30分、繰り返し歌った。警官隊は突撃して来なかった。私たちは人道主義で戦った。警官にも純粋な気持ちがあった」
母のぬくもりを懐かしみ、郷愁を誘う「赤とんぼ」は、自らの人間性を思い出させる歌でもあった。この美しい感性を、日本人は持ち続けられるだろうか。
「赤とんぼ みな母探す ごとくゆく」(畑谷淳二)》(朝日新聞2008.9.20記事)


砂川闘争の話題は、次の記事でも書きました。

赤とんぼと桑畑とムクドリと。

 「砂川闘争」(1955年から1960年代まで続いた、在日米軍立川飛行場の拡張に反対する住民運動)の際、、警官隊と対峙する住民と支援者館の中から、この、「赤とんぼの歌」がわき起こり、警官達も、ともに口ずさんだというエピソードも、前回紹介しました。
今日の話題は、「砂川闘争」にまつわるもう一つの歌について。
学生時代、仲間達がことあるたびに歌い、八月にひらかれた同窓会でも、自ずと合唱がおこった曲です。

桑畑
作詞 門倉 訣
作曲 関 忠亮
1.桑畑の しげる葉は
  亡き母の 背におわれ
  苗植えた 昔から
  とぶ鳥さえ なじんでたが
2.桑畑は 今荒れて
  爆音は ワラ屋根に
  さける程 たたきつけ
  桑畑は 吹きさらし
3.桑畑は 握りこぶし
  振り上げて ならび起ち
  畑守る この私と
  芽ぐむ春を もとめうたう
4.春になったら 枝を伐り
  かおる葉を カゴにつもう
  むく鳥よ 高く舞い
  このよろこび 告げてくれ

桑の葉を蚕の餌に利用するため、養蚕が盛んな地方では、必ず桑の木が栽培されていました。
古くは、中国の詩人陶淵明の「桃花原記」では、俗界から隔絶した「桃花原」=桃源郷=理想郷に立ち並ぶ農家も田畑も池も、桑畑もみな立派で美しい所だったと記述されています。養蚕と絹織物は、満ち足りて平和な自給自足の村の象徴でもあり、桑畑はその象徴でもあったのです。

桑の実は「マルベリー」と呼ばれ、西洋では、ベリーの中でも最上級の味覚として珍重されるそうですが、厳密には食用の西洋桑と、蚕のエサのにする山桑とは、品種が異なるとか。

しかし、熟した桑の実は、生食しても甘酸っぱく美味ですし、果実酒にもよく会います。かつては、子どもたちの貴重なおやつだったようです。

この写真は、去年の6月、福島県奥会津で見かけたものです。今年、近所で写した画像もあったはずなんですが、見つかりません。失礼。

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「赤とんぼ」の歌にも、「山の畑の桑の実を小篭に摘んだは幻か」と歌われています。


蚕の餌として桑の葉を収穫した後の、茎の部分は、姿が握りこぶしに似ているのだそうです。砂川・立川基地のある東京多摩地方には、桑畑が多く、拳を振り上げて立ち並んだ桑の木々の上空を、米軍機は爆音をとどろかせて、我が物顔で行き交ったのでした。

「ムクドリよ高く舞いこの喜び告げてくれ」という結びの歌詞を、私は好きでしたが、ムクドリがどんな鳥かを知ったのは最近のことです。

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今日も、ブラックベリーがこんなに採れました。







果実酒はつくっているのですが、子どもにも提供できるように、ジュースにしてみました。桑の実サワーシロップ(酢+砂糖)とブレンドしてみました。



これにさらに果実酒をブレンド。



やはり、大人味でした(笑)。

気づかずにいるとこんな巨大キュウリが出来ました。

30cm定規と比べています。



金瓜も採れましたが、貧相。



今日はこれにて。


瑞穂の国の稲田し美はし、の巻 [折々散歩]

梅雨明けのカンカン照りの日射を全身に浴びて、稲がすくすくと生長しています。美しい稲田の光景は、日々刻々と変化していきます。

一方こちらの稲田サンは、お名前にまで「美」の字を戴いていながら、ちっとも美しくありません。(先日の記事美しい稲田と早苗、そして、、、の巻と同工異曲でした。オソマツ)







念のために申し上げます。「美しい」「美しくない」は、決して容貌への評価ではありません。
男性女性を問わず、いやしくも政治家たるものにとって、容姿容貌が何かの価値を持つとは思いません。もちろん、市井の民以上に、公衆の面前に姿をさらすことが避けられない仕事柄、容姿容貌がまったく無視されることは、たしかにあり得ないでしょう。でも、その際、基本的にものを言うのは、内側からおのずとにじみ出す、知性や意志力や、思慮深さや共感力、献身性、真摯さ誠実さ正直さといったもの、要するにその人の人間性のレベルであって、それこそは、政治家の価値を判断する大きな根拠とはなり得るでしょう。
しかし、それすらも、受け手の嗜好や趣味、主観に大きく左右されるものですから、絶対的なものではありません。
それなのに、なぜ、「美しくない」などと何度もケチをつけるのか?
地元紙『山陽新聞』の昨日(7/21)づけ朝刊にこんな記事が載っていました。

一部を拡大してみます。

これは氷山の一角。
日本国憲法遵守義務を負った「公僕」=国民のしもべ、国民の代理人たるべき国会議員(のみならず閣僚)の職を、思うままに私物化して特権にあぐらをかき、重ね重ねのやりたい放題。その不適切な言動が発覚して批判をあびても、「ああいえば、上祐」(古い!)ばりの詭弁で言い抜けようとする姿勢が、そもそも美しくないんです。潔くないんです。汚いんです。
「地位に恋々としがみつく」(スガ官房長官のセリフ)というのは、前川さんにじゃなく、こんなヒトにつかうべきじゃないんでしょうか?もちろん、ほかならぬ親分がソックリさんなんで、致し方ないとはいうものの、子どもたちにしっかり市民道徳を身につけさせたい国民の願いを、嘲笑うかのような非道徳のお手本。困るんです。
稲田サン、辞任の意思を問われて「やるべきこと、なすべきことをする」と辞任を否定なさったそうですが、「やるべきこと、なすべきこと」とは、真実を明らかにして潔く辞任なさることではありませんか?

一連の報道の中で、どうにも理解が出来なかった部分があります。自身の「認知力」「理解力」の衰えに、まったく自信を失っている昨今だけに、ニュースを聞き、繰り返し記事を読んでも、単語の羅列が堂々めぐりするだけで少しも理解できないもどかしさに、気持ちが落ち込みました。
それは報道の「稲田防衛大臣は、破棄したとしていたPKO部隊の日報を陸上自衛隊が保管していた問題をめぐって、21日夕方、事実関係の解明を進める防衛監察本部の聴取に応じました。」という部分です。
そもそも「防衛監察本部」ってなに?国権の最高機関である国会の場ですら、真実を覆い隠し「知らぬ存ぜぬ」を貫いている厚顔な人物の口を割らせて、真実解明を進めるような権限と能力が「防衛監察本部」があるの??????
けれども、「東京新聞」のこの記事を読んでようやく合点がいきました。

 防衛相直轄組織が稲田氏聴取  日報「隠蔽」 解明に疑問
二十一日に南スーダン国連平和維持活動(PKO)部隊の日報隠蔽(いんぺい)問題を巡る特別防衛監察の聴取を受けたと記者団に明かした稲田朋美防衛相。防衛監察に全面的に協力する姿勢を示すことで、自らの疑惑を払拭する狙いがある。ただ、監察を行う防衛監察本部は防衛相直轄の組織。組織的隠蔽を了承したと指摘される稲田氏の関与の有無を解明できるのか疑問が残る。
(中略)
 報告書の公表は来週中とみられる。その直前に稲田氏から短時間、事情を聴いたからといって、稲田氏がこれまでと同じ主張を繰り返すなら、全容解明が進むとは思えない。稲田氏の隠蔽への関与が指摘されて以降、政権幹部は防衛監察で事実関係を明らかにすると繰り返している。
 防衛監察は防衛相の職員に対する監督権限を監察本部に委任する仕組みで、本来は監督者である防衛相らは調査対象にはならない。実際、監察の開始からこれまでの約四カ月間、稲田氏の聴取は行われていなかった。二十一日も、あくまで稲田氏が聴取に「協力」した形だ。
(後略)

やっぱりそうだ。
国会を上回る特別な権限を持った(こんなものあるはずもなく、あってはなりませんが)第三者機関などではまったくなく、「防衛相直轄の組織」じゃありませんか?
念のために関係法令も調べてみました。

 防衛省設置法
(昭和29年法律第164号)
第三章
本省に置かれる職及び機関等
第五節
特別の機関
(防衛監察本部)
第二十九条
防衛監察本部は、職員の職務執行における法令の遵守その他の職務執行の適正を確保するための監察に関する事務をつかさどる。
2防衛監察本部の長は、防衛監察監とする。
3防衛監察監は、防衛大臣の命を受け、第一項の監察を行う。
4防衛監察本部の内部組織は、政令で定める。
5防衛監察本部の位置は、防衛省令で定める。

第29条3項に「防衛監察監は、防衛大臣の命を受け、第一項の監察を行う。」とあるとおり、防衛大臣が任命する「部下」ですよ!どう逆立ちしても、上司が隠したがっている秘密を暴いたりなどできるはずもなく、暴くつもりもあるはずがない。そう理解して、やっとこの茶番の低レベルさを合点したのでした。それにしても不思議なのは、どうしてこんな低レベルな茶番で、国民をだましおおせると思うのか、という点です。
それともこちらの理解が致命的にまちがっているのか?考え始めると、悩みが尽きません。
体温に近い不快な暑さと、ひっきりなしにダッコをせがみ、ダッコしていてもすぐに機嫌を損ねて大声で泣く発熱幼女と、一歩外に出るとわんわんしゃんしゃんと襲いかかってくる蝉時雨のけたたましいうなり声に妨げられて、落ち着いて考えることができないのも、いらだたしい限りです。
きのうは、日中、孫殿の要求(脅迫)に応えて、ダッコしてママを探しに炎天下を歩いたり、自転車に乗せて走ったり、ショッピングカートに乗せてスーパーの店内を歩いたり、、、、で、歩行・自転車走行距離はある程度かせぎましたが、快適さにはほど遠いので、 隙を見て、夕方、プチ散歩にでかけました。
アブラゼミ。



ニイニイゼミ。

クマゼミが写せませんでしたので、今日の画像を補足します。



ツクツクボウシの声も聞きましたが、姿は発見できませんでした。
空蝉。



そしてこのチョウは?
キアゲハでしょうか?








アオサギ。


二歳児の熱はほとんど下がりましたが、体調は万全ではないのでしょう、終始ご機嫌斜めで、声をからして泣き続けます。虐待通報を恐れるほどです。
今朝は、パパとママがそれぞれちょっとお出かけで、午前中短時間預かりましたが、その後は解放されましたので、ちょっと長い記事が書けます。
昼食後の腹ごなしに、畑に出てみてたあと、自然環境体験公園に足を伸ばしました。
畑は恐ろしい勢いで雑草が生い茂っていますが、抵抗を諦め、トウモロコシとオクラを収穫して帰りました。



ほったらかしでこんな恵みを受けられるなんて、ちょっと気がとがめます。
自然環境体験公園での画像は後日に譲ります。
今日の付録。
先日小1の女の子が、ひいじいちゃんにかいた絵はがきです。
「おじいいちゃん」とい「い」が一文字多いことを指摘すると、いったん書きなおしかけましたが「これでいい」と、すぐに決断しました。細部にこだわらない神経は、見上げたものです。
お昼御飯に回転寿司をごちそうになりました。
彼女の好物は卵焼きです。いえ、卵焼きしか食べません(左端)。
デザートはチョコバナナ。
先日、畑で採れたスイカの絵など書きました。


暑さにお気をつけください。
また天候の急変にもご用心。
今日はこれにて。

朝日に輝く稲葉の露、の巻 [折々散歩]

小中学生の孫たちは今日から夏休み。末の二歳児は高熱が、上がったり下がったり。親たちは仕事、私もアルバイト日ですので、パートが休みのバアバが子守をした一日でした。
中学生は部活があったり、小4生は自分でプールに行ったり、小1生は宿題やお絵かきや、学校ごっこや、ビデオや、妹の世話で、一日を送れますが、問題は二歳児。体調が悪いと、機嫌も悪く、四六時中おんぶやだっこを要求して、手
がはなせません.
夕方、何かの弾みで、少し機嫌が良くなりました。熱も平熱にもどっています。このまま、奇跡的に回復してくれるか?明日もまたスリル満点です。
さて、今朝は、灼熱地獄になる前に、短時間の散歩。

OLYMPUSE620に先日中古購入したマクロレンズをつけて歩きます。ミラーレスシステムの比ではありませんが、お散歩カメラとしては十分軽くてコンパクトです。

画像はすべてノートリミングです。





蝉の鳴き声が、朝早くから絶頂です。
空蝉。

クマゼミ。



アブラゼミ。



朝日を浴びるネコジャラシ(えのころぐさ)。



朝日を浴びるピンクのコスモス。

稲葉の朝露。












朝日を浴びるムクゲ。


朝日を浴びるフヨウ(アメリカフヨウ?)

孫たちの夏休みは、楽しく順調な滑り出し。発熱の保育園児も、熱はかなり下がった様子。さて明日はどうなりましょうか?
今日はこれにて。

梅雨明けし日も孫守のてんやわや [折々散歩]

昨日の記事にお寄せいただいた majyo様のコメントを読んで、思い出しました。
一昨年の一〇月に、この記事とんぼのめがねで、わかりやすい紙芝居(http://www.fukutoku-group.co.jp/fukutoku-pics/10004003.pdf)の紹介とともに、「とんぼのめがね」の歌と額賀医師のことを書いてくださっていました。
一部引用させていただきます。

 額賀氏は昭和26年にお亡くなりになるまで、とんぼのめがねに代表されるように
広野町の原風景を元に日本の良さを広く伝える歌をいくつも作られました

この歌の原風景となったのは、福島県の広野町です。豊かな地域ですが
福島第一原発から20キロで避難指示となり、その後は解除されましたが、
今では原発で働く方が町民の2倍で、戻らない人も多いと言われています。
とんぼのめがねの里は、今や日本の命運を決める福島原発の最前線基地となりました。


広野町のHPを訪ねてみると、震災と原発被災の傷跡が生々しく伝わってくる気がしますが、観光情報のこの記事には、ほっとなごみます。
とんぼのめがね歌碑

 とんぼのめがね歌碑
更新日: 2014年5月10日

平成6年より童謡の里として「ひろの童謡まつり」を初めて開催し、これを記念して平成7年11月、築地ヶ丘公園(広野町大字下浅見川字築地・広野中学校東隣)内に歌碑を建立しました。歌碑の文字は、「とんぼのめがね」作曲者、平井康三郎先生により書かれています。
「とんぼのめがね」は、昭和23年に上浅見川箒平での情景を作詞されたものです。

この作品は、広野町に住む医師で、高名な童謡作家であった額賀誠志(誠)が、戦後の混乱した中でも、子供達には童謡を通し明るく育って貰いたいと願い創作したもので、NHKのラジオで全国放送され、今も子供達に愛唱されている童謡の代表作です。

二歳児の熱は上がったり下がったりで、今日の午前中はママが休みを取って子守をしましたが、午後は、終業式を終えた小中学生とともに、ジジババが見ルことになりました。一昨日38度越えの熱を出した小1の女の子は、今日は元気に小学校へ行って帰り増した。初めての通知簿をもらって帰って、ちょっと興奮気味でした。
二歳児の歌のレパートリーはどれくらいあるのでしょう。蝶を見ると「チョウチョチョウチョ菜の葉にとまれ」と歌い、夜に空を見上げては「きらきらひかる おそらのほしよ」と歌います。
そう言えば、先日、兄姉がたちが田舎塀って帰った日、ママと留守番をしていたお土産に、百円ショップでシャボン玉セットを買って帰りましたら、すぐに大喜びで遊びました。(その時は元気いっぱいだったのですが、、。)

「シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた」
の歌も、うろ覚えに口ずさみます。

wikiから引用します。

作詞に関する説

 
歌詞にはシャボン玉で子どもが遊んでいる様子が描かれているが、これに夭逝した子供への鎮魂の意を見出す説もある。
1908年、雨情は後に協議離婚に至った妻のひろとの間に、長女「みどり」をもうけた。人形のように愛らしい赤ん坊であったが、産まれて7日目に死んでしまった。当時は、乳幼児が死ぬのはさほど珍しいことではなく、2~3割の子供が学齢前に死亡していた。そのため、夫婦は子供を何人も産み、一所懸命育てた。雨情もその後何人かの子供を授かっているが、長女の死を後々まで悔やんでいたという。 雨情は後に生まれた娘・恒子も亡くしている。当時、2歳。1924年(大正13年)9月のことである。
そしてある日、村(茨城県多賀郡磯原村)の少女たちがシャボン玉を飛ばして遊んでいるのを見た雨情が、娘が生きていれば今頃はこの子たちと一緒に遊んでいただろうと思いながら書いた詩が、この「シャボン玉」だというのが最もよく知られる説である。しかし、これを裏付けるような決定的事実は無く、説の段階を越えていないとも言われている。
以上の鎮魂歌説は、テレビ番組において定説であるかのように放送されたため、一般に広まった。しかしその他にも、時期的な観点から実子ではなく親類の子への鎮魂歌であるという説や、特定のモデルはなく子どもの死一般を悼んだものとする説、特に鎮魂の意は無いという説など、諸説存在する。 なお、雨情自身が子どもの死との関連について触れている資料は一切無い。雨情の遺族の間でも意見が分かれており、現状では鎮魂歌説を含めいずれの説も確たる根拠を欠いていると言える。

歌詞
著作権法の規定により、1995年末に著作権が失効している。
シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた

シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
産まれてすぐに
こわれて消えた

風、風、吹くな
シャボン玉飛ばそ

「鎮魂歌説」のバリエーションとして。私たちは学生時代、これは貧困のため我が子をも「間引き」せざるを得なかった農民たちの嘆きの歌だ、という説を信じていました。これは、フォークシンガー高石ともやさんが、伝聞をもとにコンサートなどで広めた野が始まりだそうですね。

フォークシンガー「高石ともや」の解釈

 ただ、高石の解釈は、それともまた少し違っていた。
 彼によると、この 「シャボン玉」 というのは、日本がまだ貧しかった時代に、口減らしのために 「間引きされた子供たち」 のことだという。 
 昭和の初期まで、日本では大飢饉などに襲われたときは、産んだ子供に十分な食糧を与えることができなかった家庭では、泣く泣く、親たちが産まれたばかりの子供をぼろ布などに包んで圧死させる風習があった。
 そうしないと、一家全員が、食べていけないこともあり得たともいう。 
 「シャボン玉」 は、そのような一家の犠牲にならざるを得なかった嬰児たちを弔う歌であると、彼はいうのだ。


真偽のほどは別として、シャボン玉の儚さを、嬰児の命の儚さに重ねあわせることは、無視できないリアリティをもって心をとらえずにはいません。人間の、ことに嬰児の命は、壊れやすくもろいものであって、ささやかな暴力の前にも、ひとたまりもありません。貧困は、それ自体、抗しがたい暴力とも言えます。そして言うまでもなく、最大の暴力は、戦争です。

「風、風、吹くな
シャボン玉飛ばそ」

自然現象としての風や雨には、吹くな、降るな、と願うしかないかも知れませんが、人為的所為であるはずの貧困や迫害や戦争には、人知による制御をくわえることが可能ですし、また不可欠です。政治の役割が思われてなりません。

ところで、荒々しい自然の猛威を見せつけた豪雨災害の爪痕も癒えませんが、関東から中国地方で梅雨明けが発表されたようです。
文字通りの夏の雲が発達しています。

先日深山公園で撮影したアジサイの花も、そろそろ時節はずれになりましょうか?














これはペンタスでしたっけ?
ペンタス(Pentas)は、ギリシア語で数字の「5」を意味するPente(ペンテ)が語源で、ペンタスの花びらの数が5枚であることに由来しているそうです。。
そういえばペンタゴン(アメリカ国防総省本庁舎)も、5角形、5階建てだそうですね。ーーーテナことを過去記事でも書いておりました(汗)。(懐かしの切り抜きメモ、の巻)



蟻も、活発にうごきまわっています。


これはヒメウラナミジャノメかな?


トリミングしてみます


これも?

これは、ヒメジャノメ?

二歳児も、雨の日には、
「あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン」
とうたいます。

以前、過去記事「あめあめふれふれ」のこころだ!で、こう書きました。

歩きながら、自然と「♪雨雨降れ降れ」というフレーズが、頭に浮かぶ。「♪雨雨降れ降れもっと降れ」とい八代亜紀が歌った「雨の慕情」(作詞 阿久 悠 作曲 浜 圭介)ではなく、童謡の「あめふり」だ。

「あめふり」
北原白秋作詞・中山晋平作曲

あめあめ ふれふれ かあさんが
じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

かけましょ かばんを かあさんの
あとから ゆこゆこ かねがなる
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

あらあら あのこは ずぶぬれだ
やなぎの ねかたで ないている
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

かあさん ぼくのを かしましょか
きみきみ このかさ さしたまえ
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

ぼくなら いいんだ かあさんの
おおきな じゃのめに はいってく
ピッチピッチ チャップチャップ
ランランラン

蛇の目傘は、傘の中央にヘビの目のような輪の模様が描かれた、おしゃれな和傘で、装飾的用途で目にすることはあるが、実用の記憶はない。私の幼少期の記憶には、番傘があるだけだ。当時でも、一般家庭では、こうもり傘が優勢だったと記憶するが、小学校に常備してあった「置き傘」は、番傘だった。小学生の手には、ずっしり重く、油紙特有のにおいが印象に残っている。

蛇の目の模様を持ったチョウ。ジャノメチョウが、イノコズチの葉にくつろいでいた。

IMGP1612.jpg

 シジミチョウも、クローズアップ撮影。

IMGP1624.jpg

「あめふり」の歌は、比較的恵まれた、小市民的な幸福に包まれた家庭で、健やかに育った子どもの、健全なヒューマニズムがにじみ出ていて、好ましい。トルストイの「幼年時代」「少年時代」などにも通う所があるかも知れない。
  (中略) 
が、同時に、私は「雨雨降れ降れ」のフレーズに対する条件反射のように、次の歌を想い出す。
 
日雇い母さんの歌


雨が降ると母さんの
「お帰り」って声聞けて
うちはうれしいけど
今日のごはんに困ります

夜もふけて母さんに
「ねなさい」ってしかられて
うちはつまんないねえ
封筒はりが手伝えない

朝も早く母さんに
「がんばれ」って手を振って
うちは考えるなぜ
働くものは貧しいの

うちは考えるなぜ
はたらくものは貧しいの

うろ覚えなので、ネットで検索してみたが、見つからない。この夏の、高知で開かれた学生時代のサークル仲間の「同窓会」で配られた、「記念歌集」に採られていたので、引用させていただいた。

作詞者も作曲者もわからないが、あるいはこの記事で「日雇いの母さん」と記述されている歌がそれかも知れないと、勝手に推測しているが、正確の所をご存じの方が会ったら、ご教示を願いたい。


百円玉二個と十円玉四個の賃金なので「ニコヨン」と呼ばれたと、小学校の社会科で習った。雨が降ると仕事がないので、暮らしに窮する。

当時は丸山明宏)の 「ヨイトマケの歌」の世界と二重写しになる。野太い美輪明宏の歌声も、迫力十分だが、意外にも?、大竹しのぶのCDに収められたそれが、情感が深くて素敵だ。  


またまた話が広がり、収集がつかなくなりました。
今日の付録です。
先日採って帰った畑の黒玉スイカ。
熟れていいい色でした。
子どもたちにも、甘いと好評。

トマトがたくさん熟れます。



出来損ないトウモロコシも、甘さではまけません。
今日はこれにて。

蝉時雨浴びてしとどに濡れにけり [折々散歩]

暑くならないうちにと、早朝散歩にでかけてみました。6時前に家を出たのですが、もうとっくに日は昇って、さかんに輻射熱を放出しはじめています。ちなみに、後で調べてみると、今朝の日の出は5時04分だそうです。明るいわけです。
ソリッドモノカラ-でお届けします。緑色だけをカラーにする設定ですが、、、画面全体が緑です(笑)






歩き始めた頃には、まだ蝉の声も聞こえず、早朝の静寂を味わうことが出来ましたが、それも束の間。ふと気がつくと、あちらの木こちらの茂みに、蝉時雨がうねりのように響き渡ります。
一週間前、今年初めて蝉を見たという記事を書きました。その日に見たのは、ニイニイゼミだけでしたが、その後、家の周りにも沢山の抜け殻を見るようになりました。

下は、昨日、深山公園の散歩で、見つけた空蝉です。

泥をまとったこの空蝉は。ニイニイゼミのようです。
この日も、我が家の近くではクマゼミの声が大きく鳴り響いていましたが、不思議に、深山公園ではニイニイゼミの声しか聞きませんでした。少し涼しいのでしょうかね。
苔に差す光も、涼しげです。

マクロレンズで地面の苔を写したつもりが、意図に反して遠景にピントが合ってしまいました。

ムクゲの花も、すずしそう。

一方、今朝の散歩道では、アブラゼミとクマゼミが、圧倒的に優勢と感じられました。







アメリカ芙蓉。

オシロイバナ。

キバナコスモスとネコジャラシ。

グラジオラス。

けたたましい蝉時雨の中を、短時間一歩きしてきただけの朝散歩でしたが、汗びっしょりで、朝からシャワーを浴びて着替えが必要でした。

蝉時雨浴びてしとどに濡れにけり


と、のんびりこんな記事を書きかけていますと、急に、田舎へご機嫌伺いに出かけるはなしがまとまりました。最初は長女とムコドノが、一歳児を連れて出向くはなしでしたが、ついでにジイジバアバと、小学生の孫二人も合流しようということになりました。

私個人としては、一昨日行ったばかりですが、他の面々は普段、なかなか予定があわず、久しぶりです。


捕虫網と虫かごを用意していきました。









虫を捕まえて入いる途中、家の前の小溝で、沢ガニを見つけました。


虫かごを開けて、昆虫たちを逃がし、その後に、沢ガニを入れることにしました。

持ち帰りたいところですが、飼育に苦労した経験がありますので、また来たときに観察することにして、元の場所に逃がしてやりました。

慌ただしい一日でした。何度も汗びっしょりになり、何度もシャワーし、何度も着替えました。

夕方、庭のトマトを収穫すると、色とりどりです。

黄色いトマトは、熟れ具合がわかりづらいですが、赤色よりも栄養価が高いのだとか?

今日はこれにて。

クマゼミの蝉時雨を聞きました、の巻 [折々散歩]

暑い日が続きます。

でも、これは畑作業には好適と、昨日は郷里の畑の草刈りと耕耘をしてきました。前回言ったときには、雨続きで畑の泥が水を含み、耕耘機が動かせそうもないので、作業をあきらめて帰ったのでした。

昨日は打って変わって上天気。涼しいうちにと思ったのに、通勤渋滞の影響もあって、到着が9時過ぎになりましたから、もうかんかん照り。一時間あまりの作業で、汗びっしょりになりました。

老簿と二人で作業をしておりますと、見かけたご近所さんが缶ジュースをさしいれてくださったり、近寄って話しかけてこられたり、田舎の人情を感じます。過疎・高齢化の進む山村は、耕作放棄状態の田畑が荒れ、人手の隙を突くようにして、たけ高い草が思うままに浸食してきています。「自然の猛威」は。こんな場面でも痛感させられます。

昼食を食べに出かけた先で、同じ集落の「同級生」のM君にばったり出会いました。何年ぶりでしょう。体をこわしていて、同窓会などでもしばらく会っていませんから、本当に久しぶりです。週三回の透析生活と、聴力が不自由を嘆きますが、想像以上に元気そうで、ちょっと嬉しい出会いでした。

きょうも朝から灼熱地獄。

クマゼミがシャシャンシャンと大合唱していることに気がつきました。その蝉時雨に覆われた近所の散歩道は、太陽光の直射が厳しそうですので、ちょっと敬遠し、きょうは木陰のある深山公園を散歩する個にしました。特に物珍しい出会いはありませんでしたが、写真を整理してから記事を書こうと思っているうちに時間切れ。文字だけの記事になりました。




最後に、友人から次のような緊急の転送メールをいただきましたのでご紹介します。

「浅田達雄さんを支える会」からの訴えです。

 「ささえ69号」を送ります。7月19日の第20回口頭弁論結審(予定)の傍聴希望者は急ぎ事務局へメール・電話でご希望ください。福山から4人、東京から一人の予約が届いています。

ネット署名を19日当日までに1000人にできるだけ近づけたいです。団体の事務局関係者の中でまだネット署名が終わってない方、ぜひご協力をお願いします。下記アドレスをCtrlキーを押しながらクリックしてください。署名ができます。

https://www.change.org/p/65%E6%AD%B3%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E3%81%A8%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E6%94%AF%E6%8F%B4%E3%81%97%E3%81%A6%E3%82%82%E3%82%89%E3%81%88%E3%81%AA%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%82%8B-%E9%87%8D%E5%BA%A6%E9%9A%9C%E5%AE%B3%E8%80%85%E3%82%92%E5%91%BD%E3%81%AE%E5%8D%B1%E6%A9%9F%E3%81%AB%E3%81%95%E3%82%89%E3%81%97%E3%81%9F%E5%B2%A1%E5%B1%B1%E5%B8%82%E3%81%AE%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E3%81%AB%E5%AF%BE%E3%81%99%E3%82%8B%E5%85%AC%E6%AD%A3%E3%81%AA%E5%88%A4%E6%B1%BA%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%81%BE%E3%81%99?recruiter=383893112&utm_source=share_petition&utm_medium=copylink&utm_campaign=share_petition


「浅田訴訟」については

T4ってなんだっけ?の巻

の記事で話題にしました。

誰もが、65歳になり得ます。そして、誰もが障害者になる可能性があります。
浅田さんのたたかいは、浅田さんひとりの問題ではありません。応援したいです。今日はここまで。

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「子どもを守る歌(最終章)」から始まった、の巻 [折々散歩]

退職同業者の今年度の総会が終わり、これに合わせて開催されていた作品展も終了しました。
去年と一昨年の総会については、↓この記事に書きました。

「一本の鉛筆」から始まった、の巻

桑畑の歌から始まった、の巻

今年の総会も、H先輩のアコーディオン伴奏で「子どもを守る歌 (最終章)」の合唱から始まりました。H先輩の紹介は、上の記事にこう書いています。
 伴奏してくださるH先輩は、実は専門は理科(生物)なのですが、美術も絵画も堪能で知られています。お噂で聞き及んだところでは、若かりし頃は、平均台の上で横転も軽々こなされたとか。天は二物も三物も与えられるものですな。

今年の作品展にも二点の絵画作品を出展されていますし、毎年欠かさず、数点ずつの作品を発表してくださっています。
ところで、「子どもを守る歌」(最終章)の歌詞は、こうです。
【作詞】上野 博子
【作曲】荒木  栄

国の隅々から 湧き上がる声は
子供を守る父母の 教師の叫び
初めて巻いたはちまきの 鮮やかな白さ
初めて組んだスクラムの力強さ

私は起ち上がった
みんなは起ち上がった
この闘いが平和を守る
「勤評反対!」
「戦争反対!」
子供達を 戦争へおくるな!  
曲の紹介で、H先輩もおっしゃっていたとおり、この作品がつくられた一九五〇年代後半の社会情勢を色濃く反映した「勤評反対!」という文言以外は、まったく現下の情勢をそのまま表現しているようではないかと、参加者一同、深く感じたところです。

ただ、念のために付け加えると、私個人としては、この最終章は、生硬なアジテーションの趣が強く、全体から切り離してこの箇所だけを取り出すと、いささか感情移入しにくいきらいがあると感じます。

やはり、この曲には、この優しくやわらかな歌い出しが、不離不可分と思えます。
子供達よ 健やかに育ちゆく 子供達よ
「先生!」と呼びかけて 今日も集まる
54人のつぶらな瞳 私の愛する 子供達よ
どう教えたらよいのだろう どう知らせたらよいのだろう
私の上に みんなの上に 覆い掛かる暗い影を
この影をこの暗い影を

一クラス54人という学級規模に、時代を感じます。108の瞳というわけです。それはさておき、子どもたちと教師とで織りなすささやかな平穏が、得体の知れない脅威によって脅かされている。その不安といたたまれなさを皮膚感覚として共感するところから、この曲は私の心に刻まれています。
過去記事で、この「子どもを守る歌」を話題にした最初は、2013年11月のこの記事だったと思います。一部引用します。

だまされも だましもせぬと 誓うた日 

 この詩(「戦死せる教え児よ」竹本源治)と重なって、しきりに頭をよぎる、歌の一節があります。

「子供を守るうた」

(【作詞】上野博子【作曲】荒木栄)

ねえ、みんな 

この中に一人でも 

わけも分からず 

怒鳴られたり 笑われたり


人を蹴落として 自分だけがいい子になろうとしたら 

どんなに どんなに 悲しいことだろう

御(み)国(くに)の為に 死ねと教えた昔 

命を散らした教え子の顔が 

目に浮かぶ 目に浮かぶ 

良心の呵責が弱さを支え 

平和を守る心が 私を鍛えた

明るい太陽の その下で 

すくすくと伸びる子供達よ 

笑い顔 おこり顔 おどけた顔で 

野の花のように 

美しく育てよ育て 

平和な未来を 築くために

 「勤評(キンピョウ)は戦争への一里塚」という合い言葉のもと、教師の「勤評闘争=勤務評定反対闘争」が、戦後間もない1950年代にたたかわれました。

日本が再軍備に向かう「逆コース」と呼ばれる一連の動きの中で、憲法と教育基本法(1947年版)の理想を諸改革が、次々と進められました。

その一環として、「勤務評定」により教師を序列化し、待遇に差を付け、お互いを競争に駆り立て、ひいては「お上」「御国」に盾つかない忠良な教師をつくり、子供の「人格」形成よりも 、「お上」「御国」に役立つ「人材」育成に専念させようとする動きがありました。(安倍さんと一緒やね。)

これにたいする「勤評反対」のたたかいは、「再軍備反対、戦争反対」のたたかいと一体のものでした。「子どもを守る歌」はこのたたかいを題材にし、それを励ますものでした。

この歌を、今の世に再び蘇らせなければならないのは悲しいことですが、子どもたちが、「野の花のように美しく」育つためには、知る権利と言論表現の自由、平和と真実の教育の自由が死活的に必須だと、改めて思うのです。


さらに、去年の8月の記事御国のために死ねと教えた教科書、の巻 では、こんなことを書きました。 
 先日の日本よい国 きよい国 に思う、の巻の記事のつづきです。雑誌「人権21」掲載の吉永隆光先生の「戦時中の国民学校教科書の実相」という文章から、「芸能科音楽」の話題をたどります。
(中略)
 これらの歌は、なにがなんでも「国のために死する」ことを最高の美であることを知らしめ、「無言のがいせん」では「おぢさんあなたが手本です」と死をすすめるような内容にまでになっている。「特別攻撃隊」は、緒戦のハワイ真珠湾を奇襲攻撃した特殊潜航艇で戦死した乗組員が、 後に九軍神として英雄視された事を讃美したもので、歌うことによりその忠勇に感激させ忠君愛国の精神を養わせるものであった。
このように教材の多くは神国日本を礼讃し、大東亜戦争を聖戦とし児童を皇国民として錬成する役割を受けもったのが音楽科であったのである。
子どもたちにとって、最も信頼すべき学校・教師が、その権威の力を背景に、子どもたちを勇んで戦場におもむかしめる魔法の刷り込み。これこそ『洗脳』というべきものでしょう。これに疑問を覚えたり、異を唱えたものには「非国民」として排斥・迫害され、その声も消し去られてしまったのですから、『洗脳』の効果は絶大といわねばなりません。



上野博子作詞、荒木栄作曲「子供を守る歌」の一節が、脳裏をめぐります。

「御国の為に 死ねと教えた昔
命を散らした教え子の顔が
目に浮かぶ 目に浮かぶ」

過去にもこれらの記事で触れました。
◇さらにもう一つの11月3日、の巻
◇だまされも だましもせぬと 誓うた日 
◇八日目の蝉もをるらん原爆忌 

この曲の歌詞とメロディが、うたごえサークルおけらのhpに掲載されていますので、この際紹介させて戴きます。
今、このような歴史を美化し、その再現をはかろうとする勢力が勢いを増しています。くどいようですが、イナダ防衛相の過去の発言を、majyo様の記事から引用して再掲します。
ここまで来たか防衛大臣
 新聞やテレビでは伝えていないのだろう
彼女の発言を列挙するけれど 知らない方は驚く
極右のタカ派です

命を捨てて国を守れ
国民の一人ひとり、みなさん方一人ひとりが、自分の国は自分で守る。そして自分の国を守るためには、血を流す覚悟をしなければならないのです

靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです

祖国のために命を捧げても、尊敬も感謝もされない国にモラルもないし、安全保障もあるわけがない。そんな国をこれから誰が命を懸けて守るんです

「教育体験のような形で、若者全員に一度は自衛隊に触れてもらう制度はどうですか」「草食系」といわれる今の男子たちも背筋がビシッとするかもしれませんね」

どこの世界に自国を自分で守らないと宣言する国があるでしょうか

もちろん核武装論者です

 



報道によると、さすがに、次の内閣改造では、イナダさんを外すらしいですね。でも、大もとのアベさんが反省もなく頂点にある限り、国民の不安と不信は和らぐことはなく、ひきつづく支持率低下はとどめようがないでしょうが。

なお、この記事でご紹介した「戦時中の国民学校教科書の実相」(吉永隆光氏)の論文の抜き刷りも、作品展の「論文」コーナーに展示していただきましたことを付記しておきます。




さて、本題の「総会」の記事のもどります。
午前中は、活動の経過や新年度の計画、予算・決算案が提案され、承認されました。

「人生を語ることは、憲法を語ること。自分自身満州に生まれ、引き揚げ後は、憲法と共に生きてきた」(副会長開会あいさつ)「歴史に残る時代。こんなひどい政権はかつてない、国民の声を聞かないだけでなく、ウソを言う。憲法があぶない。」(会長あいさつ)という情勢のもと、日本国憲法をまもれ、政治に生かせ、戦争法の廃止と立憲主義の回復、市民と野党の共闘を拡大・発展させる、などのとりくみの大切さが強調されました。
午後は、岡山教育文化センターの田中博さんを講師に、「教育勅語と道徳の教科化」というテーマで講演を聞き、その後自由な意見交流が交わされました。
印象にのこったご意見を列記します。

「森友学園問題を契機に教育勅語がクローズアップされ、学校でこれを教えてもよいという閣議決定がなされたことを逆手にとって、子ども・国民を戦争に駆り立てるために教育勅語がいかに利用されたかをきちんと教えることが大切だ。ある意味、これはチャンスだ、とある機会に発言したところ、年配の参加者から、教育勅語はそんなに甘いものではないと、強い反論があった。」(HT氏)

「教育勅語の刷り込みは、背後に暴力を伴う強制がつきものだった。」(ST氏)

「戦時中、自分が通っていた小学校では、暗唱教育を受けていなかったが、空襲を受けて転校した先では、熱心に暗唱指導がなされており、自分以外は全員暗唱でき、肩身の狭い思いをした。」(ST氏)

「教育勅語は、日本語としても美文と言え、言語のちからとして、その浸透力は侮れないのではないか。」(HM氏)

「教育勅語は、古来の大和ことばによるのではなく、もったいぶった響きのある漢文訓読の文体。アベの大嫌いな中国で生まれた儒教を元に、明治政府が考案したものだ。」(CS氏)

「『一旦緩急あれば』以下の部分が本質だと、切って捨てることはできない。日本人に色濃く存在する、義理・人情的な情緒を刺激する面があるのではないか?」(HM氏)

「義理人情は自分も否定しない。」(HI氏ほか)

「教育勅語を中心とする戦前の道徳教育は批判してきたが、私たち自身の道徳教育はどうあるべきかの論議は足りなかったのではないだろうか?」(EK氏)

「我々の道徳は、憲法の理念に基づく人権・民主主義を基本にした、近代的市民道徳だ」(CW氏ほか)

「生徒に与謝野鉄幹の『妻をめとらば(人を恋ふる歌)』を教える時、『友を選ばば書を読みて 六分の侠気 四分の熱 』に着目し、『侠気』とは、世のため人のためにはたらく精神だと語る。」(SI氏)

などなど、多彩な意見が相次ぎ、予定の時間があっという間に経過するほどでした。



ところで、満州で終戦を迎え、無事引き揚げることができたことを僥倖だったと話されるAN女史は、教育勅語の暗唱は、国民学校の5年生から始められたと教えてくださいました。私にとって、それは意外で、驚きでした。これまで私は、教育勅語は、森友学園の幼稚園児さながらに、年端もいかない幼児に、無理矢理頭ごなしに暗唱させたのだと思い込んでいました。しかし、戦前の軍国教育は、もう少し手強い存在だったのではないかと思い知らされたことでした。つまり、「洗脳」教育が最も有効に機能する発達段階を待って、確実に忠君愛国の少国民を育てるシステムが周到に用意されていたのだと、改めて戦慄を覚えたのでした。

今朝は雨が上がっていましたので、短時間散歩しました。

芙蓉の花が咲いています。















稲苗がますます元気です。



朝食を済ませて、ちょっとパソコン作業をしてから、思い立って畑へ行ってみました。

雑草で、大変なことになっていました。



草取りに挑戦しましたが、暑さに負けて、諦めました、

ビフォア&アフターの写真をお見せしたいところですが、アフターはまだ途中やめです。

草の間から、トウモロコシとスイカを収穫して帰りました。





実は娘の嫁ぎ先から、立派なスイカを二つもいただき、一つはほとんど食べきりました。大きくて甘いスイカです。

残りの一つを並べて大きさ比べをしてみます。



我が家のスイカも、小玉スイカというわけではなく.ちゃんと大玉の苗を植えました。やはり雑草の陰では大きくなれなかったようです。

切ってみると、真っ赤に熟れてはいました。





庭のトマトはこんな具合。雨に打たれて実がはじけてしまいます。




収穫の喜びは十分味わっていますが、素人農園も、なかなかむずかしいものです。

今日はここまで。


五月雨と飛沫くは蝉のいばり哉 [折々散歩]

退職同業者の作品展を、続けてご紹介しています。
今日は、そのお仲間の年次総会が開かれ、作品展も夕方には終了します。
昨日の記事では、私が出品した写真作品を掲載させていただきました。
今日は、プリントまで試みながら、最終セレクトでボツにしたものを、ちょっと不憫に思えて、未練の余りに、ここに掲載させていただきます。自己満足の極みですが、、。

花と虫





田園の四季
















夕映え














オソマツでした。

昨日は、雨が降ったり、強い日ざしが照りつけたりで、蒸し暑い一日でした。
じっとしていても大汗が吹きますが、夕方、ちょっとだけ散歩しました。
田圃の稲苗が、すくすく伸びています。

持ち歩いた機材が、OLYMPUSE620+zuiko18-180mmという中途半端なスペックなので、見つけたものが小さくしか写せません。
下の写真は、すべて大幅トリミングしています。
オオキンケイギクにベニシジミ。

初ゼミ、見ました。
ニイニイゼミです。

五月雨と飛沫くは蝉のいりかな(さみだれとしぶくはせみのいばりかな)
【解釈】
あたかも梅雨の雨のように、宙に飛沫をあげるものをよく見ると、蝉の尿であったよ!

我が家に帰り着く直前、用水路に、青い鳥を見かけました。
その時の
小4の孫に下の写真を見せて、これは何?と問うてみますと、「カワセミ」と答えました。









付け加えて、「川の蝉」と申します。
お後がよろしいようで。

七月になりました、の巻 [折々散歩]

七月になりました。
時季遅れになってしまわないうちに、梅雨らしい写真は、今のうちに掲載しておくことにします。
深山公園のアジサイ(続き)です。



深山公園水生植物r園で見たスイレン。


















ヤマモモが熟れています






ヤマモモについて、過去記事に書いていなかったかと探してみましたが、こんな記事に、チラッと写真を載せただけでした。


ニオドリも問うらん私いい子でしょ

五島美代子の歌う母の歌、の巻

ネット上にはこんな情報がありました。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ヤマモモ
やまもも / 山桃
[学]Myrica rubra Sieb. et Zucc.

ヤマモモ科の高木。高さ15~20メートル。枝はもろく、多くの細枝がある。葉は長さ5~10センチメートルで広倒披針(ひしん)形または倒披針形、革質で先がとがる。成木は全縁または浅い鋸歯(きょし)があり、実生(みしょう)の幼苗期は葉縁の切れ込みが深い。雌雄異株。3月ころ葉腋(ようえき)に発育した花穂は、雌花序は長さ1~2センチメートルの棒状になり、柱頭は紅色で2裂した雌しべを4~5個つけ、雄花序は長さ3センチメートルの長い筆の穂先状になり、多量の花粉を飛ばす。果実は径1.5~2センチメートルの球形で、6~7月に成熟する。果色は濃紅赤色、赤色、帯淡紅白色などがある。甘・酸味が強く多汁で、生食のほか、砂糖漬け、焼酎(しょうちゅう)漬けにする。ジュースは淡紅色になる。樹皮は乾燥し楊梅皮(ようばいひ)とし、下痢や打撲症に効く。また諸媒染剤により、茶、黄、黄金、褐、緑黒色などの染料にする。関東地方以西から九州、および台湾を含む中国暖地に分布し、山地に生える。[飯塚宗夫]
また、こんな効能や栄養成分がある由(http://nag448.info/wp/archives/4171.htmlより引用)。

ヤマモモ(山桃)の主な甘味成分は疲労回復や身体のエネルギー源になるブドウ糖です。酸味成分は人間が生きていくのに必要なエネルギーを生み出し、疲労回復に必要な成分であるクエン酸です。またヤマモモは、糖質の代謝を助けエネルギーをつくり出し疲労回復に役立つビタミンB1や細胞の新陳代謝を促進し、皮ふや粘膜の機能維持や成長に役立つビタミンB2また、皮ふや粘膜の健康維持をサポートしたり、脳神経を正常に働かせるのに役立つナイアシンや動脈硬化を予防しストレスをやわらげる働きのあるパントテン酸そして、貧血予防に役立つビタミンである葉酸、抗酸化ビタミンであるビタミンCを多く含みますので活性酸素の発生や酸化力を抑え、動脈硬化、皮膚や血管の老化を防ぎ、免疫力を高めます。さらに、骨や歯を構成するのに必要なミネラルであるカルシウムやリン、マグネシウムなどを含みます。カリウムも多く含まれますので疲労回復や利尿作用、高血圧の予防に役立ちます

ヤマモモ(山桃)は、機能性のある栄養としてはポリフェノールの一種のアントシアニンやカロテノイドの一種のβ-カロテンを含みますので強力な抗酸化作用を期待できます。

主な栄養素 100gあたりの栄養価
β-カロテン 19㎍
ビタミンB1 0.04mg
ビタミンB2 0.03mg
ナイアシン(B3) 0.3mg
パントテン酸(B5) 0.21mg
ビタミンB6 0.05mg
葉酸 26㎍
ビタミンC 4mg
ビタミンE 0.3mg
カルシウム 4mg
リン 5mg
鉄分 0.4mg
マグネシウム 7mg
カリウム 120mg

(やまもも-生)

五訂日本食品標準成分表より

 妻の亡くなった父が元気だった頃、ヤマモモの苗をもらったことがありました。盆栽や庭いじりが好きだった彼は、サツキや、椿や、山野草など、いろいろな鉢や苗を、「土産」に持ち帰らせてくれました。
ヤマモモは鉢に植えて育てていましたが、すぐに根を張りますので、庭に下ろしました。年々大きく成長し、梅雨時になると、たわわに実を付けるようになりました。生食もし、果実酒にもしましたが、処理しきれないまま地に落ちるものも沢山ありました。ざるに入れて職場に持って行くと、同僚に珍しがられたこともありました。
狭い庭に、子どもの勉強室としてプレハブ小屋を建てました。その際に、山桃の根を傷つけたか、だんだんと樹勢が弱り、ついには枯れてしまいました。プレハブ小屋は、子どもはほとんど使わず、私の「秘密基地」とし手、書斎兼、書庫兼、ジャンク部品置き場兼、作業場兼、執務室兼、オーディオ室として利用しました。長いLANケーブルを居間から床下を這わせて、LAN環境も整え、インタネットアクセスも、家庭内LAN接続も可能な快適空間になっていました。ただ、空調設備がオソマツで、寒暑にさらされる苛酷な環境ではありました。(子どもがこの部屋を使いたがらなかった主な理由はそれでした)。
子どもたちが次々独立し、自公密度が減少したのにともない、このプレハブ小屋は取りつぶし、その跡は「菜園」にしています。いまは、青々とした夏草が旺盛に生い茂っています。
 ヤマモモは、近所の公園にも、何本も植栽されていて、子どもたちが採って食べていた情景が、ずっと以前にはありましたが、だんだんとそんな姿もなくなっていきました。何しろ、公園で遊ぶ子どもの姿そのものを見なくなリました。「公園の子どもたちはどこに消えたか?」ミステリーのテーマになりそうです。
 さて公園のヤマモモは?公園内の「安心安全」への配慮から、近年、見晴らしの悪い植栽は、低い位置で伐り込まれる用になりました。そのため、どの木々も、寸詰まりのみじめな姿をさらしていて痛ましい限りですが、このヤマモモも例外ではありません。そのせいで、かつてはたわわに実を付けていた雌木にも、実を見ることがありません。
木陰も減り、夏は灼熱、冬は寒風吹きさらしで、私たち老人にとっても、憩える場所とは言えません。思いは複雑ですね。
今日はこれにて。

美しい稲田と早苗、そして、、、の巻 [折々散歩]


美しい稲田。

美しい早苗が青々と育っています。









次は、美しくない稲田。



動画はこちら↓

https://mainichi.jp/movie/video/?id=119738900&inb=ys




 都議選の自民党公認候補の応援演説で
「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」と
本音がポロリ、
自身の地位を利用した所属政党候補への支持を呼びかけるのは
自衛隊の政治利用で大きな問題です。
撤回したそうだが、立場を踏まえないトンでも発言には理解できない。

行政機関や公務員は、厳しく政治的中立を求められており、時には私人としての公民権の行使に対しても、不当に、度を過ぎた制限が加えられる場合さえあります。教育公務員には、なおさら、「地位利用」のレベルを超えて、政治活動そのものが禁じられているかのような制約が、近年特に強められています。

そんな中で、官庁としての防衛省、公共組織としての自衛隊、国家機関の職としての防衛大臣が、特定政党の候補者への支持を呼びかけるなど、言語道断です。

世界有数の実力装置を、自分の意のままになる「私兵」と錯覚し、その威力を振りかざして、国民(都民)に特定の政党への指示や不支持、特定の政治方向への指示や不支持をあおるなど、あってはならない恐ろしい事態と言わなければなりません。

この稲田氏については、こんな記事が思い出されます。

The Huffington Post 2014/9/10からの引用です。

 9月3日の内閣改造で総務相に就任した高市早苗氏ら自民党の国会議員3人が、ネオナチ団体の代表と写ったツーショット写真が物議をかもしている。47NEWSが報じた。

第2次安倍改造内閣で総務相に就任した高市早苗衆院議員や、自民党の稲田朋美政調会長ら国会議員3人が、極右団体代表の男性と議員会館で会い、ツーショットで撮った写真が団体のホームページに一時公開されていたことが9日、分かった。議員側は「男性の人物像は知らなかった」と説明した。



(47NEWS「高市氏らが極右代表と写真 海外主要メディアも報道」より 2014/09/09 21:41)

この団体は、「国家社会主義日本労働者党」(NSJAP)。公式サイトの記述によると、1982年に発足した。ナチ党と同様、国家社会主義思想や反ユダヤ主義を掲げ、ホロコーストの否定や外国人労働者の排斥などを訴えている。

問題の写真は、2011年6月から7月にかけて、NSJAPの山田一成代表が議員会館に行った際に撮影されたもので、高市氏のほか、自民党政調会長の稲田朋美氏、副幹事長の西田昌司氏の3人とのツーショット写真がNSJAPの公式サイトに掲載されていた。現在、該当ページは内容が変更されている

国際的にも波紋が広がっており、イギリス紙「ガーディアン」は9月9日、「ネオナチ写真が安倍首相のために頭痛を引き起こす」という記事の中で、「これらの政治家が山田のネオナチ思想を共有しているという証拠はないが、安倍政権の右傾化がますます進んでいるという非難を加速させた」と報じている。


これがその写真。

イナダ、いやだな。





早苗、美しい名前。



最新ニュースの早苗サン。せっかくのすがすがしい藤井四段の話題に、何でこの人が露出するの?







梅雨らしい雨が、今朝も続いていました。

ホウジャクに食い荒らされたらしくみじめな丸裸になっていた我が家のクチナシが、葉もよみがえり、けなげに花を咲かせています。













かかりつけ医にいつもの薬をもらいに行き、その足で深山公園へ。傘なしで、歩けそうです。

夏椿が雨に洗われてすがすがしい。



散歩道を彩るアジサイが、いよいよ見ごろとなっています。





















































もっともっとたくさん写しましたが、似たような画像なので割愛します。

雨に濡れたアジサイは、やはり惹かれます。おかげで散歩がはかどりません。

今日は、いつもとは行き先を変えて、水生植物園へ歩いてみました。

道のわきに、生い茂っている笹が露を宿しています。昨日の草刈りでは、にっくき敵と思えた笹ですが、こうしてみるとゆかしい姿です。















七夕ももう近いことですね。

これは葦の葉でしょうか。







サワグルミの高木がそびえています。



新枝の先に雌花序が垂れ下がり、枝の基部から雄花序が、多数垂れ下がる、そうです。









午後は車の定期点検。ついでにリコール対象のタカタのエアバッグの部品交換も済ませました。オイル、オイルエレメント、エアコンガス、エアコンフィルターなども交換し、不調だったリモコンキーの電池交換もしてもらって、梅雨ながら気分爽快です。

今日はこれにて。

悪を伐る思いで笹藪刈り払う [折々散歩]


以前、こんな記事を書きました。(2013/08)

友人が新ブログ始めました。

 
さっき、友人が新たにブログを始めたという知らせを下さり、早速閲覧させて戴きました。
以前、写真「朝の光景」を贈ってくれたHさんです。
DSC_0074.JPG
名づけて「春風通信ブログ版」。勝手にリンクを張らせていただきます。
http://blogs.yahoo.co.jp/haru_ushiroyama_0815
年若い(比較の問題!)「同郷人」ですが、彼の住まいは、岡山県の最高峰「後山」のふもと。
昨日実は、私も小学校の同窓会で郷里に帰っていたのですが、同郷=同一市内とは言っても、後山は遠いです

このHさんと、最近久しぶりに会い、我が家に近いファミレスで、ドリンクバーを嗜みながら、二時間余りも四方山話を楽しみました。男同士で、しらふで、何の緊急性も、何の脈絡もないはなしを、よく続けられるものだとお思いかも知れませんが、イヤこれが、実に愉快な時間でした。

以前は彼も岡山市内に住んでいましたが、数年前、県北の郷里に職場と居を移してからは、お目にかかる機会もなかったのですが、所用で近くに来たついでにと、連絡をくださり、デート約束をしていたのです。

Hさんは、生業の傍ら、農村(山村)生活者、地域興しに精を出し、自然愛好家、薪ストーブ愛好家、薪ストーブピザ職人、かつ、自称書道家・シンガー、など、多彩な顔の持ち主です。

話題は多岐に渡り、すべてをご紹介するわけにもいきませんが、いくつか再現してみます。

ちょっと以前の彼のブログをのぞくと、こんな記事があります。

愛の水株式会社株主総会

 本日、夕方、第15期愛の水株式会社株主総会があり、出席してきました。父が生きていたころ、地域の方々が150人ほどで立ち上げた会社です。こんな田舎では珍しく、わずかですが毎年配当金があったそうです。ところが、今回は、自動販売機の牛上げが20%もダウンして、配当金なし。かわりに草刈り機の刃を記念品としていただきました。なんと田舎らしいことでしょう。
ちなみに、自動販売機で買うと、100円で20~25リットルの水がでてきます。安い焼酎でもこの水で割るととてもまろやかになり、毎日、愛飲してます。私が飲んでいるのは、自動販売機で買うのではなく、2枚目の写真の試飲用の無料の水です。今まで、どんなに日照りが続いても枯れたことがない、年中14℃の湧水です。
後山の地層を数十年くらい?かけて染み出てきているとのことです。塩素消毒せず、地中のミネラル以外はなにも入っていないクリアな水なので、アトピーが改善された方もいるようです。みなさんも一度飲んでみてください。
 
イメージ 1
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この「愛の水」を、大きなペットボトル(2.7l?)一杯、お土産に持ってきてくださいました。コーヒーにもお茶にも好適ですが、記事の通り、焼酎の水割りが、信じがたいほど美味しく感じられました。

こちらは最近の記事。

父の日の贈り物
 
イメージ 1
もうすぐ、父の日。こんなのもらったらうれしいなの見本です。本物には子供の名前を書かせて、108円の実費をいただこうと思います100円ショップってすごいですね。(これは、実費750円くらいのものです。)

このウチワを、お土産にくださいました。

あと、最近のホットな一連の記事。

父の日に藤井聡太4段の扇子2本

要約すると、藤井聡太四段のグッズ、「大志」のサイン入り扇子をネットークションでゲットしたそうな。しかも二本。しかも公式価格の10倍から十数倍の値段で!!



手に取って見せてもらうと、ありがたみ満点です。

これを持った記念写真も写してくれました。(画像非公開ですが)



さて、23日(金)に続き、今日も、所用があって郷里に帰って来ました。そのついでに、23日は実家そばの畑の耕運と草刈り、今日は山の畑の草刈りをしてきました。山の畑は、柿の木が数本植わっている隙間に、以前は農作物を耕作していましたが、今は荒れて笹と下草が茂り放題、秋に柿を取りに踏み入るのもはばかられるブッシュ状態です。これまでも、何度か草刈り機で挑戦してみたのですが、笹に負けてはかどりません。その草刈り機の刃を、笹にも対応するものに代えてくれたので、試してみた次第。

さすがに新しい刃だけあって、切れ味が違います。

強靱な笹の茂みを、エンジンの回転をあげてばっさばっさと刈り払っていると、その手応えは、疲れと同時にここちよい爽快感をさそい、こんなふうに徹底してこの世の悪を除去してしまいたい思いに駆られます。

夕方、雨になり、今日の作業のタイミングの良さを喜びました。


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