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夏の終わりの土佐の旅、の巻(その1) [友人]

重い地響きを伴って、ドン、ドンと鈍い重低音が繰り返し鳴り響いて、体の芯に不吉な胸騒ぎを感じて目が覚めました。午前3時頃でした。

落雷のような爆発音という形容はあるでしょうが、反対に空爆かミサイル攻撃の轟音かとまがう連続的な雷鳴でした。冗談ではなく、爆弾でなくてほっとしました。にわかに雨音が強まり、風の音も混じります。台風の影響もあって、お天気が不安定になっているのでしょうか。

中途半端な時間に起こされて、寝付けなくなってしまいました。昨夜から気になりはじめていたこともあり、雷が遠ざかるのを待って、寝室のパソコンのスイッチを入れ、ネット検索などするうちに夜が明けました。朝から大雨・洪水の警報が出ていて、大荒れの天気でしたが、夕方にはすっかり雨も上がり、夜筒もに肌寒いほどになっています。

実は、昨日、一昨日の土日に、高知まで一泊旅行をしてきました。

その目的は、三年前にブログを始めたばかりの書いたこの記事(◆夏ゆくやそれぞれの老ひ輝きて)から3年を経て、また開かれる同窓会に参加すること。

今回も喜寿を迎える方から還暦前の方まで、東は東京、西は宮崎から、世代を越えて集まり、夜遅くまで、楽しく交歓したことでした。

会場のある建物の一室の窓ガラスにはこんな紙が貼ってありました。



若い頃、私はルイ・アラゴンのこの言葉を、いろいろな機会に好きな言葉として引いたことがありました。このブログでも、過去記事のなかでいつか書いたかと思って探って見ましたが、思い違いのようでしたのようでした。ルイ・アラゴンで言うと、ヒロシマの「原爆詩人」峠三吉が愛した詩句として、「髪にそよぐ風のように生き、燃え尽くした炎のように死ぬ」(ルイ・アラゴン)を引用したことはありました。

◆なんと言っても峠三吉でした。

同期の友人で障害児教育の実践と研究を続けてきて、今岐阜で「発達・教育相談研究所」所長を務める石橋剛さんが、会の冒頭、「発達障害が生む新たな分断と選別」と題してプチ講演をしてくれました。副題は、「私たち中高年が今、できること」。子育てを終えて一息ついていたのに、まだ出番がもとめられるのか、と苦笑いさせられる一コマもありました。

土佐の名産料理と各地の土産・名酒を味わいながらの歓談では、学生時代の思い出話から、来し方行く末の話と、話題はつきません。趣味を広げ人生を楽しみ、かつ社会的活動にも旺盛にとりくむなど、現代の諸課題にたいしてもそれぞれのやり方でしなやかに立ち向かっておられる様子を窺うにつけ、深く感銘を受けるとともに、元気とエネルギーを充填することができました。

3年前の記事でもご紹介しましたが、大学同期の米田稔君(高知県議会議員)は、この会の実行委員の一人で、今回も閉会挨拶をしてくれました。



同じく同期で、病気のため勇退したものの高知県議を長く務めた牧義信君も参加してくれていました。学生時代に属したサークルは違うものの、同じ教育系サークルで、薄い間仕切りで隔てられた隣接する部室で活動していました。現在、伏見区を基盤に京都市議をしている赤坂仁君も、同期です。学生時代も、自治会執行委員長など、リーダーシップを発揮していました。そう言えば、学生自治会の委員長をつとめた歴代のメンバーが、サークルの隔てを超えて何人も参加してくれていました。全員を取り上げてご紹介したいところですが、限りがありませんので割愛します。世代はことなり、若干すれ違ってはいますが、やはり隣室の教育系サークルで活動し、自治会執行委員長等もつとめたという縁で、元衆議院議員の春名なおあきさんも、多忙な中出席。彼のブログの8月28日付け記事に、この会のことが掲載されています。一部引用しておきます。






 私は○研の部員ではなかったのですが、同じ教育系サークル「○○教育研究会」の一員で、○○文化研究会と合わせて教育系サークル”御三家”だったよしみで
混ぜてもらったものです。米田県議、牧元県議、赤坂仁京都市議など、そうそうたるメンバーが県内外から50名も参集、昔話と明日の未来に花が咲きました。

二次会までは参加して、まだ後ろ髪引かれる思いは残りましたが、三次会は遠慮してホテルに戻ることにしました。が、思いがけず、かなり激しい雨です。用意してきていた傘は、開会の前にチェックインしてホテルに預けておいたカバンの中に、入れたままでした。コンビニで傘を調達するというアイディアも浮かびましたが、ま、夏のことですので、濡れていくことにしました。あいにくチョンボは重なるもので、どこをどう歩いたか、かなりの大回りをして、ようやくホテルにたどり着いたことでした。

途中こんな碑がありました。







さすがに自由民権運動のメッカ。日常の当たり前さの中に、ごくさりげなく、数々の歴史の刻印がしるされていることに驚きます。

そういえば、昔、受験生時代の心境をこんな歌にしてみたことがありました。(◆悪夢のインフルエンザ体験(追憶の昔語り)参照 )

この土を  維新の志士も民権の若者達も踏みて駆けしや



ところで、今回の高知行にはもう一つひそかな目当てがありました。

昨夜から気になりはじめ、未明に雷鳴で目覚めた後寝付かれず、確かめるためにネット検索などに時間を費やしたのも、それに関わる件でした。

思わせぶりですが、委細は次回。今日はこれにて。

待ち合わせ場所は紅殻の大鳥居、の巻 [友人]

この写真は、岡山市高松にある最上稲荷(さいじょういなり)の大鳥居です。







最上稲荷のHPでは、この鳥居についてこのように紹介されています。







 最上稲荷のシンボルのひとつで、昭和47年(1972)に建立されました。高さ27.5m、柱の直径4.6m、総重量2800tの規模を誇ります。平成26年(2014)に改修工事が行われ、ベンガラ色に塗りかえられました。



見上げると、雄大さが際だちます。バカでかい、とも言えます。。




鳥居上部に過かがられている扁額(縦180センチ、横90センチ、ステンレス製)には、「紅柄」の文字がきざまれています。この額には高梁市成羽町坂本の西江邸に残る江戸期のベンガラを使ったそうです。「紅柄」は、「ベンガラ」と読むそうです。

西江家のHPには、こうありました。







 本来ベンガラは「弁柄」または「紅殻」と書くのですが、西江家では、あえて「紅柄」と銘を打ちます。これは西江家のベンガラが「赤の中の赤」と賞賛され、
芸術家たちに愛されてきた品質の高さを表わしている証です。伊万里焼や九谷焼の赤色顔料として「Made In Japan」ブランドを海外で印象づけ、その名声は遠くヨーロッパにまで広がったと言われています。
純度の高い人工ベンガラが簡単に作られるようになった現代でも、西江家の「紅柄」の鮮やかで深みのある豊かな赤には到底及びません。まさに、江戸時代のナ
ノテクノロジー「紅柄」なのです。 



ところで最上稲荷は、その所在地から高松稲荷とも呼ばれます。この「高松」は四国香川県の高松ではなく、秀吉の〈つまり、黒田官兵衛の水攻めでおなじみの備中高松です。

最上稲荷のHPを引用します。







 数々の歴史舞台となった吉備平野で、

1200年間、人々の営みを見守ってきた最上さま。

 数多くの伝説とロマンを秘め、古代から豊かな文化を花開かせてきた吉備の国。雄大な造山古墳に代表される古墳群や、桃太郎伝
説の舞台としても知られています。また備中国分寺・国分尼寺など数多くの寺社が点在し、戦国時代には羽柴秀吉の備中高松城水攻めの舞台となるなど、数多く
の歴史物語に彩られた吉備平野。今なお豊かな野山が広がり、その風景は訪れる人々の郷愁を誘います。


 その風光明媚な田園にたたずむ、高さ27メートルにも及ぶ巨大な大鳥居が出迎えてくれる最上稲荷。正式名称は「最上稲荷山妙教寺」。明治の神仏分離令の際、特別に「神仏習合」の祭祀形態が許された、仏教の流れを汲む貴重な稲荷です。そのため、お寺でありながら鳥居をそなえ、神宮形式の本殿(霊光殿)があるなど神仏習合時代の形態を数多く残しています。













 秀吉本陣(一の丸)・日蓮聖人像



   平成26年(2014)の大河ドラマの主役・黒田官兵衛が羽柴(豊臣)秀吉に水攻めを献策したことで知られる備中高松城の戦。最上稲荷の境内には、この戦ゆかりの古跡があります。



  天正10年(1582)4月、中国平定のため西進する羽柴秀吉軍は毛利氏手勢の備中境目七城を攻めるため、備中高松にたどりつき、備中高松城を見下ろす龍王山に本陣を構え、砦を築きます。当山一の丸は秀吉が軍議を行った古跡と伝わります。

 開戦後、沼地の要害に守られた備中高松城を攻めあぐね本陣で悩む秀吉に、官兵衛が水攻めを進言します。これを取り入れた秀吉は、指揮するのに都合の良い石井山に本陣を移し、築堤工事を開始するのです。

 ここからは備中高松城址を始め水攻めの要所が望めるので、展望看板を参考にしてください。

 

 また、日蓮聖人立教開宗700年を記念して昭和28年(1953)にこの地に建立された日蓮聖人像が、境内を静かにお見守りくださいます。このたび、約14年ぶりに塗装改修工事が行われましたが、平成26年12月に改修工事が完了しtた大鳥居に合わせてベンガラ色の塗料でお色直しとなりまし
た。左手には数珠がかけられていますが、備前焼で作られています。

 







今朝は、退職同業者の友人ら数人が、九時半にこの大鳥居でまちあわせ、乗り合わせて、片道数十キロのドライブを沁ました。行き先は、友人Sさんが農作業と田舎ぐらしの楽しみのために購入し、月に何度かのペースで野菜作りのために通っているという、畑付きの古民家。ご本人から、話には聞いていましたが、訪ねるのは初めて。

広々とした庭でバーベキューとあいなりました。

空気はきれい、風はさわやか、畑には、トマト、なす、キュウリ、ゴーヤ、ピーマン等季節の野菜がすずなり。もぎたてをたらふく ごちそうになり、満足、満足。

最初から宿泊するつもりのメンバーは、野外ビヤガーデンを楽しみますし、日帰り予定の私たちは、ノンアルコールで、すっかり〈雰囲気に〉酔いました。

帰り際には亭主が立ててくださった抹茶などを戴き、命が伸びる一日となりました。

夕方〈と行ってもまだ日が高い)の大鳥居も、写しておきました。













鳥居のすぐそばに、ハス田がありました。










今日はこれにて。

白く紅く木の花匂ふ森しづか [友人]

この季節、山には白い花が映えると、アキコ夫人がおっしゃっていたとイチローさんがおっしゃいます。この日、アキコさんは、靱帯損傷の怪我が癒えきらず、山歩きは遠慮された由でした。
しからば、白い花の情報をお土産にしようという次第。
ここにも、山法師(ヤマホウシ)が花盛りでした。



ここにも白い花。



親切に説明板が設置してあります。
沢蓋気(サワフタギ)、別名綿織木(ニシゴリ)だそうです。テニスの名手も、一族でしょうか?

これも白い花。







藪手鞠(ヤブデマリ)だそうです。
剪定ばさみで整えたような風雅な樹形です。





白ばかりでなく、ピンクの花も目につきます。











あれは何だろうという話題に反応して、当て推量に「ウツギの一種かな?」と言ってみますと、サブローさんも肯いて、「県外の友人が.白いウツギは見慣れているけどピンクのは珍しいという。我が家の周りの山にもたくさんあるので、枝を切ってあげた」とのこと。

そういえば、過去に記事でも、ウツギの種類について、聞きかじりを書いていました。

卯の花を簪にアジアイトトンボ

長くなりますが、一部を再掲します。







 マクロレンズを持って深山公園に行った時、目を引かれたこの花。



「ウ
ツギの花」と表示がありましたが、そういえば、幹が空洞なので空木(ウツギ)と名づけられ、「ウツギの花」がつづまって「ウノハナ」と呼ばれるようになっ
たとか、「ウノハナ」が野山を一面に彩る季節を「卯月(ウヅキ)」=旧暦四月の異名とよぶようになった、などの知識は、耳にもし、人にも語った事があった
はずでしたが、すっかり忘れておりました。

翌日、田舎の実家に帰る途中、ちょっとだけ立ち寄った「自然保護センター」でも、あちらこちらにこの花が咲いておりました。







同じ「ウツギ」の名がつく木に、幾つもの品種があるそうですね。この紅白の色鮮やかなのは、「源平ウツギ」?---「ハコネウツギ」でよろしかったかしら?



最初に紹介した真っ白い「ウツギ」=「ウノハナ」は、ユキノシタ科だけれど、この「ハコネウツギ」はスイカズラ科タニウツギ属だそうですね。赤い花を咲かす「タニウツギ」もよく庭木などとして珍重されるそうです。

ころで、昔(結婚したばかりの二〇代の頃)、ご近所さんからウツギの株を戴いて、各地を引っ越しする度に移植に移植を重ねてきました、丈夫な木で、ほとん
ど世話もしないのに、初夏(梅雨)の頃、律儀に可愛い花を咲かせてくれていました。余りに丈夫な木なので、切り詰めるだけ切り詰めて、世話らしい世話もし
ないでいるうちに、いつの間にか枯れてしまったようです。思えば、不憫なことをしました。
今では不確かですが、それは「タニウツギ」だったでしょうか?
芭蕉の「奥の細道」に登場する「卯の花」は、冒頭の写真の真っ白いウツギの花でしょうね。




「白川の関」     奥の細道

許なき日かずかさなるまゝに、白川の関にかゝりて、旅心定りぬ。いかで都へと便り求めしもことわりなり。中にもこの関は三関の一にして、風騒の人、心を
とゞむ。秋風を耳に残し、紅葉を俤(おもかげ)にして、青葉の梢猶あはれなり。卯の花の白妙に、茨(いばら)の花の咲きそひて、雪にもこゆる心地ぞする。
古人冠を正し、衣装を改し事など、清輔の筆にもとゞめ置れしとぞ。
卯の花をかざしに関の晴着かな 曽良 


【解釈】
わたくし芭蕉は、旧暦の四月二十日(新暦六月七日)、那須湯本から芦野の「遊行柳」を経て更に北へと旅し、国境をめざし、そのまま奥州街道を北へ歩いて白河(白川)領に入りました。

たくしは、3月に江戸を出発しました時から、歌枕(つまり古歌に歌われた名所)としてチョー有名な「白川の関」を訪ねてみたいとずっと思っておりましたの
じゃ。とっく昔に廃止されて何百年も経っておりますから、その場所は言い伝えによるしかないのですが、このあたりだったことは間違いありますまい。 
なかなか旅に慣れることができず、気持ちばかりがはやって着かない日々を重ねるうちに、目的の白河の関にさしかかり、ようやく本腰入れて長旅を続ける心構えが定まりましたわい。
むかし、平兼盛が、「たよりあらばいかで都へ告げやらむ 今日白河の関は越えぬと(「拾遺集」)」と、何とかして関越えの感動を都の人に知らせたいと歌ったのももっともですなあ。
 
数ある中でもこの関は、奥州三関の一つに数えられ、風雅を求める人が心を寄せた場所ですじゃ。わたくしの尊崇する旅の歌人西行法師も、「白河の関屋を月の
もるかげは 人の心をとむるなりけり(「新拾遺集」)」と詠んでおりますわい。また、能因法師が、「都をば霞とともに立ちしかど 秋風ぞ吹く白河の関
(「後拾遺集」)」と詠んだ「秋風」の音を耳に聞き、同時に、「都にはまだ青葉にて見しかども 紅葉散りしく白河の関(「千載和歌集」)」という源頼政の
歌の「紅葉」を思いながら、眼前の青葉のこずえをながめていると、実にしみじみと心が動かされることですぞ。
折しも目の前には、青葉の中に卯の花が真っ白に咲いているところに、茨が白く咲き添って、まるで雪の中を、関を越えているような心地がいたします。ホント、いろんな季節がいっぺんに楽しめるようですわい。
この関を通るとき、古人(竹田大夫国行)は(能因法師の歌に敬意を表して)冠を正し、衣装を改めたと言うエピソードが、藤原清輔の「袋草紙」に書きとめられているそうですな。わたくしら一行にはその用意もありませんので、同行の弟子、曽良がこう詠んだものでした。
やつれた旅姿の私どもは、晴れ着の持ち合わせもございませんから、せめて卯の花をかざし(=かんざし。髪飾り)にして関を通ることにいたしましょうぞ。


そういえば、『奥の細道』では、奥州平泉を訪ねた場面でも、卯の花が登場します。

「平泉」の段については、以前、この記事でも触れたことがありましたが、今回はもう少し長い引用におつきあいください。

平泉

 
三代の栄耀一睡のうちにして、大門の跡は一里こなたにあり。秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。まづ高館に登れば、北上川、南部より流るる大河
なり。衣川は和泉が城を巡りて、高館の下にて大河に落ち入る。泰衡らが旧跡は、衣が関を隔てて南部口をさし固め、えぞを防ぐと見えたり。さても、義臣すぐ
つてこの城にこもり、功名一時の草むらとなる。「国破れて山河あり、城春にして草青みたり。」と、笠うち敷きて、時の移るまで涙を落としはべりぬ。
  夏草やつはものどもが夢の跡
  卯の花に兼房見ゆる白毛かな  曾良 


【解釈】
   平泉
 奥州藤原氏三代の栄華も一眠りの短い間の夢のように、すっかり滅びて潰(つい)え去り、見渡せば、平泉館の大門の跡が一里ほど手前にあるわい。秀衡の住んだ館の跡は田野となって、彼が築いた金鶏山だけが当時のままの姿をとどめておる。
かくまわれた義経らの住まいであった高館に、まず登ってみると、北上川が眼下に見えるのお。これは南部地方から流れて来る大河じゃ。衣川は、忠衡の居城であった和泉が城を巡って、高館の下で北上川に流れ落ちておる。
泰衡らの住まいの跡は、衣が関の向こう、南部地方からの出入り口を固め、外敵の侵入を防ぐと見受けられる。
それにしても、義経は忠義の家来を選りすぐって、この高館にこもり、奮戦して名声を轟かせたが、それもひとときの夢と消え、その戦場のあたりは、いま、夏草が生い茂る草原となっておるわい。
国はほろびたが、山河は以前と変わらずにある。町には春が来て、草は青々と生い茂っている。」と、杜甫の「春望」の詩の一節を口ずさみ、笠を敷いて腰を下ろし、長い時間涙を落としてしまいましたよ。
その場で詠んだわたくしの句はこれです。
青々と生い茂る夏草!この野原は、昔、義経主従らが功名を求めて奮戦した末に、はかなく消えた名残の場所であることよ。

同行の弟子、曾良はこの句を詠みました。

白く咲く卯の花を見ていると、昔ここ高館で、主君義経のために白髪をふり乱して奮戦した老将兼房の姿が浮かんでくることだよ。            


これがピンクの花だったら、紅顔の若武者を連想させたかもしれませんね。

念のためにウィキペディアを参照してみますと、タニウツギについてこうありました。







 タニウツギ(谷空木、学名:Weigela hortensis)はスイカズラ科タニウツギ属の落葉小高木で、田植えの時期に花が咲くので「田植え花」としても知られる。梅雨の時期に山道を通ると新緑の中で咲くピンクの花はひときわ映えて見えるので見つけやすい。

やはり、タニウツギで正解でしょうかね?



ところで、いつものことながら、この散策の企画と運営をすべて取り仕切ってくださたヨシミさんから、ちょっと前、この同様の歌詞について尋ねねられたことがありました。彼女は、しばしば、ギター片手に歌声のボランティアをしておられますので、みんなでこの歌を歌う際に、歌詞が気になったということらしいです。





歌詞 『夏は来ぬ』

卯の花の 匂う垣根に
時鳥(ホトトギス) 早も来鳴きて

忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

さみだれの そそぐ山田に
早乙女が 裳裾(もすそ)ぬらして
玉苗(たまなえ)植うる 夏は来ぬ

橘(タチバナ)の 薫る軒端(のきば)の

窓近く 蛍飛びかい
おこたり諌(いさ)むる 夏は来ぬ

楝(おうち)ちる 川べの宿の
門(かど)遠く 水鶏(クイナ)声して
夕月すずしき 夏は来ぬ

五月(さつき)やみ 蛍飛びかい
水鶏(クイナ)鳴き 卯の花咲きて
早苗(さなえ)植えわたす 夏は来ぬ


特に、3番の「 窓近く 蛍飛びかい おこたり諌(いさ)むる 夏は来ぬ」の歌詞の意味が、おたずねの中心でした。

そういわれるとこの歌、一番の歌詞はなじみが深く「夏は来ぬ」の「きぬ」「待てど暮らせど来ぬ人の宵待草のやるせなさ」の「こぬ」を見比べて、古典文法の説明によく使いますから。

たとえばこの記事(秋立つやなまあたたかきかぜなれど)では、こんな説明をしています。

 「来ぬ」は、「きぬ」と読みます。カ行変格活用の「来(く)」の連用形に、完了・強意の助動詞「ぬ」の終止形がついたもので、「来た。来てしまった」の意味になります。

もしこれを「こぬ」と読むと、 カ行変格活用の「来(く)」の未然形に、打消の助動詞「ず」の連体形がついたことになり、「来ない」の意味になります。


「ぬ」は連用形接続、「ず」は未然形接続の助動詞ですから。→試験に出るよ(笑)。

2番目以降の歌詞は、見たことはあったにしても、しっかりと記憶にとどめてはいないことに気づきました。おたずねの箇所などは特に、意識もしていませんでした。

とりあえずは、こんな返事を返しておきました。
 おこたりは、怠り、つまり怠けることでしょう。蛍雪の功のエピソードが踏まえられていて、蛍が学問への怠け心を諌め、叱咤激励してくれるというようなことでは?こんな歌詞があること気がつきませんでしたが。

道中、これを話題に「夏は来ぬ」談義に少々時間を費やしました。

その話題の一つ。この同様の作詞者が、佐佐木信綱であったこと。

その孫(間違えてこと言ってしまいましたが)佐佐木幸綱は、俵万智の師であったことなど。

調べてみると、佐佐木信綱の出身地鈴鹿市のHPに、佐佐木信綱記念館のページがあり、こんな記事が掲載されていました。

 明治5年6月3日、佐々木弘綱(文政11~明治24年)の長男として、信綱は現鈴鹿市石薬師町に生まれ、6歳(以下、数え年)までを過ごしました。信綱は5歳より、父弘綱から「万葉集」や西行の「山家集」の歌を暗唱するよう教えられ、6歳の時に初めて短歌を作りました。
 信綱は6歳から短歌を詠みはじめ、生涯に1万余首を作歌し、第1歌集『思草』(博文館 明治36年)から第9歌集『山と水と』(長谷川書房 昭和26年)や『佐佐木信綱歌集』(竹柏会 昭和31年)など、多くの歌集を刊行しました。また、明治30年頃より竹柏会を主宰し、機関誌『心の花』の創刊(同31年)や門人の育成・指導にあたるなど、歌人として活躍しました。
 一方、信綱は学者として、特に万葉集の研究者として、不滅の大業というべき『校本万葉集』(校本万葉集刊行会 大正13~14年)を刊行するなど、万葉集の研究と普及に尽力しました。
 そして、昭和12年4月28日、信綱は第1回文化勲章を受章しました。信綱は和歌・和歌史・歌学史の分野で認められ、66歳で受章となりました。
 このほか、信綱は忙しい著作の合間に、唱歌「夏は来ぬ」(小山作之助作曲)や童謡「すずめ雀」(滝廉太郎作曲)、軍歌、北海道から九州までの学校校歌等の作詞を多数手がけました。
 晩年は、静岡県熱海市の凌寒荘へ移り、約20年間過ごしました。この間、歌人・万葉学者としての集大成である著作物の数々や、『ある老歌人の思ひ出』(朝日新聞社 昭和28年)などの自伝をまとめました。
 昭和38年12月2日、信綱は凌寒荘にて92歳で亡くなりました。信綱はその一生を歌道と万葉集研究に捧げ、多くの業績を残しました。

■信綱は、なぜ「佐佐木」か?

 信綱は明治36年(32歳)、中国へ遊学をしました。
 その時に上海で名刺を作りましたが、出来上がってきた名刺は、紅唐紙(縦約24cm×横約12cm)に「佐佐木信綱」と印刷されていました。

 この名刺を見て信綱は「見た目がよい」と大変気に入り、以後の著作物などに好んで「佐佐木信綱」と使うようになりました。

さて次回は、この佐佐木信綱つながりの記事を少々書く予定です。



今日の午後、参議院選挙に向けた演説会があります。

野党統一候補の黒石健太郎さんが登場します。

日本共産党市田忠義副委員長も。

その市田さんのHPにこんな記事を見つけました。胸を打たれましたので無断で紹介させていただきます。

 母の句集に寄せて

 七十歳を過ぎてから短歌を作り始めた義父(妻の父)が、人生の証にと歌集「朝暮」を自費出版した。今年で八十八歳、米寿である。全くの偶然だが私の母も今年米寿をむかえた。けっして上手とはいえないが母は俳句を作る。
 父亡きあと、必死で働きながら私たちを育ててくれた母。なんの親孝行もせず、逆に心配ばかりかけてきた。せめてそのつぐないに句集でもと思いたち、妻や兄弟に相談したところ「それはよい、父と母の米寿を祝い、歌集と句集の出版記念会でもやろう」と話がまとまった。
イラスト  昨年夏の参議院選挙、京都市長選挙、そして今年の総選挙と知事選挙。私にとっては多忙きわまる時期であった。しかし、仕事のあいまをぬって滋賀県の実家に帰って母の作った俳句や短歌のノート、同人誌「木耳」などをもちかえった。選挙の連続で帰宅は深夜になることが多かったが、晩酌をしながら夜中に母の作品を整理するのは私の楽しみでもあった。
夜学び昼は勤めて得しお金肉など買えと送りてくれぬ
母がこんな歌を創っていたことなどまったく知らなかった。私が法律事務所や龍谷大学の図書館に勤めながら立命の二部に学び、わずかばかりの仕送りをしていた頃の歌だと思う。おもわず涙がこぼれた。
新しき学生服やピカピカの自転車届く暮れの園舎に
これは、母が幼稚園に住みこみで用務員として働いていた頃の歌である。高校一年だった私と中学一年の弟も一緒に住みこんでいた。高校を卒業して京都に就職していた兄が私に通学用の自転車を、弟には学生服を送ってくれた。とびあがって喜んだことを昨日のことのように思い出す。
我に似ず目鼻調う子に生まれ婚期来たれど嫁ぐといわず
父が死んだため、恋人との結婚を先にのばし、旭村役場(現在の五個荘町役場)につとめて一家をささえてくれていた姉のことをうたった歌である。
母は「まえがき」に「兄は弟を可愛がり、娘は父亡き後の一家を支え、文字どうり家族が肩を寄せ合って生き抜いてまいりました。」と書いている。
母のいうとおり、とくに姉と兄、そして現在滋賀県で母と一緒にくらし、世話をし てくれている弟夫婦には私自身も感謝の気持ちでいっぱいである。
いろんなことを心の中で思いめぐらしながら必死で整理した。
母はなかなか達筆だが楷書ではないし、変体仮名を使うのでノートや手紙の字は私には読みづらい。「この字はなんと読むのか」とよく母に電話をした。ふだんは、二、三ヵ月に一度ぐらいしか電話をかけないが、句集発行のおかげで月に何度も母の声を聞くことができた。
「忙しいのにすまんなあ」と恐縮しつつ、母も私の声を何度も聞いて喜んでくれている様子であった。
とにかく、ようやく一冊の本にまとめることができてホッとしている。俳句としてのできばえがどうかは素人の私にはよくわからない。季語のない句もある。本人も、「本にするようなものではない、はずかしい」といっていた。しかし、つたなくとも母にしか表現できないなにかがにじみでていて一つひとつの作品が私の胸をうつ。
母思い汲み置きくれし水槽の水一滴も無駄に使はず 
迫りくる積乱雲におびえつつ車引く足いとどせかるる
はじめに書いたように母は幼稚園の用務員として、住み込みで働いて私たちを育て、学校へかよわしてくれた。園児たちが手を洗ったりするための水槽に、手おしポンプでくみ出した水をいっぱいためるのが、毎朝の私と弟の仕事であった。母が病気のときは学校を休んで、少し離れた小学校へリヤカーをひいて給食をとりにいったこともあった。
この頃の園児たちが、二十年、三十年たった今も、時々嫁ぎ先から郷里にもどってくると母に「お元気ですか」「長生きしてくださいね」と激励にきてくれるそうである。
母は自分の子はもちろん、人の子も自分の子供のようにかわいがった。そして自分も貧乏をしているのに、困っている人をみるとじっとしておられない性格である。
人間にも動物にも自然にたいしても、――この世のすべてにやさしく、あたたかい。それが俳句にも短歌にもにじみでているように思う。
病む足も忘れ夕餉の一刻はギターに合せ我も唄えり
百万の富よりなお尊きは母子団欒(まどい)の夕餉一刻
食後の団らんの際に母から教わったことは多い。昔から小説や歌をはじめ本を読むのが好きであった。大変なロマンチストでもある。学校で習ったことよりも母から聞いた昔話や故事、ことわざの方をいまもよく覚えている。「人間万事塞翁が馬」だとか「燕雀何んぞ鴻鵠の志を知らんや」などということばはたしか幼い頃、学校で学ぶより早く母に教わったように思う。
母はまた「影をしたいて」「国境の町」など藤山一郎や東海林太郎の歌が大好きで、よく一緒に唄ったものである。
気が弱く涙もろいが、正義感が強く、まがったことがきらいなのも母の特徴である。
私が竜大の図書館をやめ日本共産党の専従活動家になったとき「なにもお前がせんとうにたたなくとも」と当初はしぶっていたが、いまでは心から応援してくれている。
まだまだ反共風土の根強い滋賀県の田舎で「忠義さんはどこにお勤めですか」と近所の人に聞かれて「日本共産党です」というのは、はじめはいいづらかったにちがいない。しかし今は、「なんにも息子は悪いことはしていない。人のため、世のためにがんばっている」と胸をはってのべているそうである。
私は実に多くのことを母から学んだように思う。兄にも姉も弟もおそらく同じ気持ちだと思う。
あらためて心から「ありがとう、お母さん」といいたい。
米寿とはいっても現在の平均寿命から考えればそんなに年老いたわけではない。大西良慶さんの例もある。いつまでも元気で長生きして俳句をつくりつづけてほしいし、子や孫たちを見守ってほしい。
そしてこんどは白寿を記念して第二の句集をもう一度みんなでつくってみたいと思う。
               1990年5月     市田 忠義 
(この文章は、市田志ん句歌集「幾山河」のあとがきとして書いたものです。なお母は、1993年6月、89歳で亡くなりました)

今日はここまで。

蛙棲む原生林に蝮草(マムシグサ) [友人]

先日の「若杉原生林」散策を案内するために、前もって下見までしてくださったサブローさんのことは、以前この記事に書きました。↓

故旧あい集いし森の青胡桃
退職後、関西から移住して奥さんの故郷である岡山県山間部に居を定め、木工工芸品の製作にいそしむ傍ら、地元で地域おこしのとりくみとして振興されている「ジビエ」肉の処理・加工に携わったり、また岡山県自然保護センターの研修に継続的に参加されるなど、自然三昧の日々を送っておられます。
「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり(徒然草第52段 「仁和寺にある法師」)」の言葉通り、優れた案内人の存在はありがたいものです。

一昨年、同じようにサブローさんに案内していただいた時には、初めてモリアオガエルの泡巣を見ることができました。↓

いかな夢見つつ眠るや森蛙

記事の一部分を採録します。


思いがけないことがあればあるもの。先日の美作市右手地区への自然探訪の道すがら、そのモリアオガエルのふわふわとした白い泡巣に、ばったりと遭遇
したのです。人生初めての出会い!しかも、道端の木に、草に、崖に幾つも幾つも、ぶらさがっているのです。思わず歓喜の声を上げる一行でした。


 あそこにも卵塊!またこちらにも!


秘めやかな願いのごとき泡巣かな


やわらかくくるまれて育ついのちかな


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この泡巣の中に眠る一粒一粒の卵たちは、静かに静かに、どんな夢を見ていることでしょう?

いかな夢見つつ眠るや森蛙

このモリアオガエルの消息について、サブローさんは、その後何度か写メで知らせてくださいました。

夏野菜稔る季節の鳥と虫

最新情報 今日のモリアオガエル ほか

午睡醒めてなお日は長き夏至の雨

たなばたといせものがたりと良寛と

そして「若杉原生林」の散策中にも、こんなものがみつかりました。



果たしてこれの正体は?

ところで、渓流沿いの湿地の中から、ひっきりなしにカエルのものらしい鳴き声が何カ所からも聞こえてきます。正体を見極めたくて、声のする場所に近づき、穴の開くほど見つめてみても、実際に棒きれで穴を開けてみても、全く姿が見えません。からかうかのように、鳴き声は大きくなりますが、結局正体不明のままでした。

たまたま鳥のさえずりを記録したくて写した動画に、カエルの鳴き声も少しだけ入っていました。手ぶれがひどくて恐縮ですが、初めのうち鳥のさえずりが、終わりのほう、蛙の声がわずかに、聞き取れるでしょうか?

【追記】というわけで、カメラで写した動画ファイルをアップするつもりが、ファイルサイズが大きすぎて失敗しました。苦労の末、ファイル形式を変換してサイズを小さくし多ところ、音は聞こえるようですが、絵が不調です。代わりに静止画を一枚這貼っておきます。、

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カエルがいればヘビもいる。がさごそと、山道を這って逃げる姿がありましたが、写真に残す余裕はありませんでした。

そのかわり、これ。

蝮草(マムシグサ)と言うそうです。















確かに、鎌首をもたげたマムシの姿に似ていますね。

ウィキペディアにはこうありました。

 マムシグサ(蝮草、学名:Arisaema serratum)は、サトイモ科テンナンショウ属の多年草である。有毒植物。



特徴

北海道から九州にかけて分布する。山地や原野の湿った林床に生える。 形状に変異が多い多年草で、成長すると高さは50 - 60センチメートルに達する。

葉は2個あり、楕円形の小葉が7個から15個つく。 球茎は平たい円形で地下にある。偽茎は、葉柄下部の2つの葉鞘部分が重なってできたもので、紫褐色のまだらな模様がある。この模様がマムシに似ていると考えられたところからこの名がつけられた。秋田県では「ヘビノバッコ」とも呼ばれている。雌雄異株である。

晩春に、花茎を直立させて開花する。苞(仏炎苞)は紫色に近く、白線がある。なかには苞が緑色のものもあり、アオマムシグサまたはカントウマムシグサと呼ばれる。花のつき方(花序)は肉穂花序の代表例で、苞の中にまっすぐ立つ。花期は4月から6月である。

果実は秋に橙色から赤色に熟し、トウモロコシに似た形状の果実を付ける。



毒性

全草にシュウ酸カルシウムの針状結晶、サポニン、コニインが含まれる。特に球根の毒性が強く、その汁に触れると炎症を起こす。誤って食すと口中からのどまでに激痛がはしり、唾を飲み下すことすらできないほどとなる。
また、激しい下痢や嘔吐、心臓麻痺といった症状が現れ、重篤な場合死亡する。



葉の付き方など、姿形が異なるように思えますが、これも同種でしょうか?


五月雨を集めて垂水(たるみ)はやからん [友人]

梅雨入りというだけあって、今朝は雨音で目が覚めるほどの、なかなか本格的な降りが続いています。
ただ、梅雨というと、もう少し。しんみりとしたしとしと雨かというイメージがありますが、なかなかに勢いがよろしい。
そういえば、
五月雨を集めてはやし最上川 芭蕉
の五月雨は、しとしと雨だと似合わない気もします。
「五月雨(さみだれ)」の「さ」は、農耕を表す古語だそうで、「さつき」、「さおとめ」などの語にも痕跡が残っているのだそうですね。「みだれ」は「水垂れ」。田植えの季節であっった旧暦5月に降る雨。現在の梅雨を指すのですが、その語感には、パラパラとと時に激しく乱れ落ちてくる雨粒を感じますね。今朝の雨はそんな感じです。
それにしても、昨日は一日、暑過ぎもせず雨もふらない快適なお天気だったことは、ありがたいことでした。故旧の面々、口々に「日頃の行いが良いからね」と言い、「誰の行い?」と突っ込みを入れながら、若杉原生林の散策を堪能したことでした。
「熊出没注意」の警告表示もあり、出来るだけ賑やかに存在アピールをしながら歩いたのでした。途中行き会ったのは、近畿方面から来られたらしい一組だけでしたが、やはり、そうおっしゃっていました。
下の略図の中央部、大茅(おおがや)スキー場を、通り過ぎて少し上ったたあたりに、若杉天然林入り口の駐車場はあります。

なおこの地図は、県HPのこのページからお借りしましたが、「西粟倉村」は正しいけれど、よく見ると、「東粟倉村」という旧自治体名が記載されていますね。現在は合併により美作市に所属しています(念のため)。
また、同じく県HPのこちらのページページには、こんな図が掲載されています。

これによりますと、大茅スキー場近辺の標高はおよそ600メートルほどだそうです。
大茅スキー場といえば、知る人ぞ知る県内スキー場の「穴場}で、昔、我が家の長男、長女が小学生だった頃、スキーを経験させたくて、郷里の実家を訪ねたついでに、一度だけこのスキー場に連れて来(ようとし)たことがありました。ところが、山道に入るととたんに積雪が思いの外道を埋めていて、道路の案内板に「チェーン着用」の必要が指示れていました。私の車は、暖地仕様のノーマルタイヤですし、チェーンは一応用意していたものの、装着にも運転にも自信のない私は、スキー場入り口の駐車場まで行き着くことが出来ず、ふもとのあたりでそり遊びや雪投げで、短時間遊んで、すたこら帰途についた記憶が残っています。子供用のスキー用具やスキーウェアも、確か新調したように思いますが、有効活用しないまま、あっという間に成長してしまいました。
その後、しばらくして、青葉若葉の頃、ワラビや山菜が豊富な春{初夏?)のスキー場にピクニックで訪れたこともあったと思います。曖昧な記憶です。
今回歩いた若杉原生林は、「標高950 - 1,200m付近に位置する天然林(ウィキペディア)」で、尾根の展望台は標高約1200mの位置にあるそうです。
駐車場から展望台までの散策道を、ゆっくり道草しながら、歩きます。途中、休憩がてら軽いお弁当。集合場所の道の駅で、各自パンをしいれてきました。

目標の展望台に到着した頃には、三時間が経過していました。
下りは約四〇分で駐車場までつきましたから、実質の歩行距離はさしたる者ではありませんが、わずかに負荷のかかる、「ほどよい運動」が出来ました。
展望台からの眺望です。
画面中央にそびえているのが「後山(うしろやま)」です。

ウィキペディアによる紹介記事。
 後山(うしろやま)は、兵庫県宍粟市と岡山県美作市にまたがる標高1344mの山。兵庫県側からは板場見山(いたばみやま)とも呼ばれる。中国山地東部
にあたり、氷ノ山後山那岐山国定公園の主要な一部をなす。兵庫50山、近畿百名山、中国百名山の一つ。なお、三等三角点がある山頂部分は岡山県美作市側に位置する。

こちらは氷ノ山。

同じくウィキペディアの記事。
氷ノ山(ひょうのせん)は、兵庫県養父市と鳥取県八頭郡若桜町との県境にある
標高1,510mの山である。須賀ノ山とも呼ばれる。日本二百名山やふるさと兵庫50山のひとつに選定されている。 

展望台の小屋にはこんな写真が掲示してありました。

部分的に拡大してみます。
右の方が、南方面の眺望です。

中程は、東の眺望。

左の方に氷ノ山。


岡山県と鳥取県、兵庫県の県境にほど近い、標高約1200mの場所に立つ爽快感はひとしおでした。
この山歩き、それなりに汗もかきましたが、吹く風も涼やかで快く、せせらぎの音も、鳥のさえずりも、湿地から聞こえてくる正体不明の蛙の鳴き声も、涼感を演出してくれて、別天地の爽快を心ゆくまで味わうことが出来ました。
今日は、同じような写真ですが、渓流の写真をまとめて掲載します。














 

 

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一日見つめていても見飽きることがありません。

あるいは、今日などは、この雨で増水し、激しくほとばしる濁り水と化しているかもしれません。

五月雨を集めて垂水(たるみ)早からん

あんちょくなパクリです。

今日はここまで、続きは次回です。


故旧愉快梅雨の晴れ間の原生林 [友人]

先週は鳥取県智頭町を訪ね、森林深く抱かれる快さを堪能しました。その感覚が覚めもやらぬ今日、今度は鳥取県境に近い岡山県西粟倉村「若杉原生林」を訪ねました。

同行者は、これらの記事でもご一緒した、故旧の面々です。

故旧あい集いし森の青胡桃

故旧相和す刻愉快節分草(こきゅうあいわすときゆかい せつぶんそう)


そのかみの十五の吾も仰ぎ見し大き銀杏はとこしえにあり

海遠き故旧集うて牡蠣を食む

「若杉原生林」について、岡山県のホームページ中のおかやまの自然百選のこのページにはこう紹介されています。







 ガイド

岡山県でも指折りの森林浴スポット西粟倉村「若杉天然林」は、中国山地の代表的な自然の宝庫で、面積約83ha、標高 1,200m、氷ノ山後山那岐山国定公園の特別保護地区となっています。

地元では、「若杉原生林」と呼んでおり、 県下3大河川の一つ吉井川の支流、吉野川の源流が流れています。



見どころ

生い茂る天然樹林の中には、樹齢200年以上のブナや カエデ、ミズナラなどの巨木をはじめ199種もの植物が確認されており、オオルリやヨタカ、ヤマネなど希少な動物の 生息地となっています。

林内の3kmと5kmの遊歩道を進むと、圧倒されるほどの緑のクラデーションが美しく、カラフルな虫や鳥がかれんな姿を見せ、聞こえてくるのは川のせせらぎと鳥の声だけです。

頂上若杉峠からは、山陰と山陽が同時に展望でき、近くには標高1,000m付近を林道ダルガ峰線が縦走し、知る人ぞしる絶景スポットとなっています。

もっと詳しく知るには...

http://www.vill.nishiawakura.okayama.jp/

ちなみに、西粟倉村は、「平成の大合併」の際にも、合併の道を採らず、県内でもわずか二つだけの「村」の道を選んだ自治体です。

ウィキペディアにはこうあります。







 西粟倉村(にしあわくらそん)は、岡山県の最北東端に位置し、兵庫県・鳥取県と境を接する村である。面積の約95%が山林、その内の約85%を杉や檜などの人工林が占めている。






原生林入り口の駐車場に、吉野吉井川源流の碑があります。



「森林浴の森 日本百選」と大きく掲示してあります。







いろいろな野鳥が生息しているようです。



今日の散策の案内のために、前もってここを下見してくださったサブローさんは、その下見の時、近畿ナンバーの車の方が、朝早くから鳥のさえずりを録音するために来られていたり、カメラを持って撮影にこらsれているのにであったと、おっしゃっていました。

確かに、様々な鳥の鳴き声が、賑やかに聞こえます。

ふと目の前を、カケスが横切って飛ぶのも見えました。カケスの姿は、始めて見ました。

今日は、迷った末に、長いレンズは持たずに来ました。一瞬悔やみましたが、補ってあまりある出会いがありました。

よく整備された山道を、矢印に沿って歩きます。







よく管理された杉の美林が続きます。

















各種の広葉樹の巨木も、そびえています。



































谷川の清流が、一種の湿地を形作っています。



倒木にも、転がる岩にも、こけの緑が鮮やかです。



写真が多くなりましたので、今日はここまでとします。


ほっこりと四国弥次喜多ぶらり旅(1) [友人]

少々ご無沙汰しました。
所用があって、海を越えて香川県まで行ってきました。
行き先は、学生時代の先輩Gさんご夫妻のお宅です。夏に予定するインフォーマルな同窓会の準備のために、Gさんのお宅を借りて、宿泊を伴う集まりがあったのです。
駐車場の都合もあって、極力乗り合わせて行くのがよかろうと、京都から来るM君の車に、M女史と私が乗せてもらうことにしました。
四国に渡るには、瀬戸大橋〈児島―坂出ルート=備讃瀬戸)を通るコースがまず思い浮かぶところですが、M女史のアィデアで、宇野―高松のフェリーを利用して高松まで渡り、明石大橋経由でてやって来るM君の車に拾ってもらう、という方法を採ることにしました。
往時に比べると、フェリーは運行業者も便数も激減し、「四国フェリー」だけが、ほぼ一時間ごとに運行しているようです。
ウィキペディアの記事を抜粋します。

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海遠き故旧集うて牡蠣を食む [友人]

全国の皆様。

以前、わが地方の難読地名の話題を、↓この記事でも書きました。

寂れたる師走の里や塔朱し

またまた、難読地名のクイズです。

この地名はどう読むでしょう?

「日生」



正解は、「ひなせ」でした。

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私的メモ3つ [友人]

ごくごく私的な備忘録です。
その1
今日は、中学校時代の学年の同窓会がありました。会場は、わが家から片道70kmの場所で、参加には車を利用しないわけにはいきません。宿泊施設も利用できると案内にありましたが、滅多にないことに、明日もよんどころなき予定が入っていますので、仕方ない、ノンアルコールでつきあって、とんぼ返りすることにしました。
故郷の実家から15kmほどの場所なのですが、このたびは立ち寄ることも断念しました。
受け付け開始が午前十一時ということでしたので、よほど余裕を見て、八時頃に出発しました。平日とは違って通勤ラッシュにも会わずスイスイと走りますので、よほど早く着きすぎるかと余計な心配をするほどでしたが、大丈夫!ちゃんと道に迷って、数十分間のロスタイムの後、会場にたどり着いた頃には、既に三々五々、参加者が集まってきていました。
一学年三クラスという規模の中学校でしたから、全員でも約百二十名。そのうち数名は既に物故し、消息が分からない人も数名あります。そんな中、東京、静岡、近畿など、遠方からの参加も含めて約四十人の懐かしいあつまりでした。
この同窓会は、3年前の正月に「還暦」を記念して四十数年ぶりに集まった会の継続です。

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万人の 思いはひとつ 梅雨晴れ間 [友人]


先日、このポスターを入手しました。

このポスターについての記事は、こちら


「未来をひらく憲法9条と子ども・青年の命を守る退職教職員1万人アピール」。

全国の退職教職員1万人以上の名前が記載されています。

私も、誘われて、名前を提供しました。

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鄙の里歌舞伎にしばし華やぎぬ [友人]

11月23日付のNHKwebニュース岡山放送局版に「奈義義町で横仙歌舞伎の公演」と題する記事が掲載されています。

横仙(よこせん)歌舞伎は、江戸時代以来、地域でうけつがれてきた 伝統芸能です。
横仙歌舞伎保存協議会のホームページにその全容が紹介されています。
その中の横仙歌舞伎保存会のページには、

江戸時代の農民たちは、普段の生活の中に、着るものや、食べ物、住まいや年中行事にまで事細かに決まり(御法度)がありました。

 とくに、農民の娯楽の多くは禁止され、特別な許可や多くの制限が必要でした。地歌舞伎も当然取締りの対象でした。

 往時には、日本各地、岡山県内にも多くの地歌舞伎が存在しました。しかし、圧倒的に県北に多く伝わっています。それは、県南部は大名の統治する藩領で、県北、特に奈義町は幕府の直轄地「天領」でした。

 天領では役人の数が少なく、取締りをほとんど受けることなく芝居ができたため、多くの地歌舞伎が生まれ、活発に繰り返されたと考えられています。

 しかし昭和30年代以降の高度経済成長期には、映画やテレビなどに代表される新たな娯楽の登場や、農村からの人口の流出などで、地歌舞伎の多くは顧みられる事なく姿を消して行きました。


地の地歌舞伎が次第に姿を消していく中、奈義町では故高森源一氏が中心となり、私費を投じて衣装やかつら、大小道具を買いそろえ、それを快く貸し出してい
ました。村の芝居では、指導も行い、自ら三味線を弾き、時には役者にもなり各地の地歌舞伎を育てました。そして農閑期になると歌舞伎一座を作り、県内各
地、遠くは鳥取県や広島県までも公演に出かけました。
高森氏の活動は高く評価され、昭和41年、故高森源一氏の岡山県重要無形民俗文化財指定「横仙歌舞伎技術保持者」をきっかけに有志により横仙歌舞伎保存会を発足しました。


とあります。

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そのかみの十五の吾も仰ぎ見し大き銀杏はとこしえにあり [友人]

那岐山をご存じでしょうか。
岡山県と鳥取県にまたがる高峰で、氷ノ山(兵庫県)、後山(岡山県)、とならんで、氷ノ山後山那岐山国定公園に指定されています。
この山にはイザナギ、イザナミの両神が降り立ったという伝説があり、伊邪那岐(イザナギ)の名が、山の由来になったとされます。

標高は1255.0 m。隣接する後山(岡山県第一の高峰)が標高1344mで、その高さに負けて泣いたことから「ナキノセン」と呼ばれたという、面白話も残されています。


ところで、この那岐山の鳥取県側にはJR因美線那岐駅(なぎえき)というローカル駅があります。鳥取県八頭郡(やずぐん)智頭町(ちずちょう)という、難読地名がその所在地です。
一方この山の岡山県側には勝田郡(かつたぐん)奈義町(なぎちょう)があります。
そして、その奈義町には諾神社(なぎじんじゃ)という神社があり、伊弉諾尊(イザナギノミコト)を祭っているそうです。
「伊邪那岐」は古事記による表記、「伊弉諾」は日本書紀による表記だそうです。

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なおもまだ語り足りざる六時間 [友人]

昨日は一日、ぐずついた天気ながら、折りたたみ傘はバッグの中にしまったままですみました。お昼過ぎから、ある同窓会がありました。命名するのがちょっとややこしいですが、学生時代に私も属していた教育系サークルの部員+その友人で、比較的近隣に居住するメンバーの集まりです。
近隣と行っても、南は高知、香川、愛媛、西は広島、東は愛知。それに挟まれた大阪、京都、兵庫、岡山から集いました。
年齢・学年は相前後していますが、お互いに親密な間柄でした。卒業後初めて再会した顔ぶれもあります。
退職して自適の生活を送っている人、定年年齢が65歳だったり、「定年などない」職業の人など様々ですが、それぞれに良い年輪を重ねてきました。
1時半に始めた1次会は、あっという間に予約時間が終了しました。翌日、よんどころのない用事がある由で、とんぼ返りを余儀なくされた人もいましたが、ほとんどのメンバーがカラオケ店での2次会へ。次から次へとあれやこれやの談笑が絶えず、瞬く間にお開きの時間。気づいてみると、誰も一曲も歌わずじまいでした。最近こんなスタイルの飲み会はまれではないでしょうか?
河岸を変えての3次会も、歓談の勢いは衰えず、名残はつきませんでしたが、私とカミさんの共通の友人であるS子さんが、我が家に泊まってくれることになっていたので、カミさんの迎えの車に合わせて途中退席させてもらいました。

それにしても、久々に、よくしゃべりよく笑った愉快な6時間でした。皆さんお疲れ様でした。

我が家に帰ってからは、S子さんとカミさん、私の3人で、夜更けまで4次会が続きました。

というわけで、昨日の撮影は、宴会参加者の顔、顔、顔。どれもこれもいい表情、いい味の顔、顔、顔で、何度も眺めて、楽しみました。が、肖像権の問題もありますので、ブログ掲載は控えさせていただきます。あしからず、、、。

さて連休最終日の今日は、朝から行楽日和でした。愛媛出身、高知在住のS子さんは、岡山城と竹久夢二記念館には行ったことがあるが、後楽園にはまだ入園したことがないというので、ひとときの散策を楽しんでもらうことにして、後楽園入り口まで案内してお別れしました。

折角の好天ですが、どこへ行楽に出かける当てもなく、荒れた畑の耕作に精を出しました。
にわかに思い立って、極早生と中生の2品種のタマネギを植えてみました。
ダイコン、カブ、チンゲンサイなどの間引き菜が、買い物袋一杯分採れました。


今日は掲載すべき写真がありませんので、新鮮間引きダイコンのみずみずしさをご覧ください(汗) 。

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いにしえの故郷遙か秋茜 [友人]

幼稚園から高校まで一緒に過ごし、部活動も共にした友人が、静岡県に住んでいます。

退職後、半ばボランティア的に自然保護に関わる仕事に就いていると聞きます。

昨日、その彼から近況を知らせるはがきが届きました。

「過ごしやすくなるとアキアカネが少しずつ増えてきます」と書き出され、「アカトンボが乱舞する光景は、もはや過去のことで、再現されるのは、かなりの努力が必要」「ギギやアユモドキは絶滅の危機を迎えています」と続けて、子どもの頃の記憶につながる自然情景に話題が及びます。
おかげで、思い出スイッチが、いたく刺激されるとともに、数十年を経て同じ感じ方をもつ同輩の存在に、意を強くしたことでした。

彼は、故郷を離れて久しく 、近年、ご両親を相次いで看取り、離れた故郷に、自身のアイデンティティを支える「原風景」として、ひとしおの愛着を覚えるのでしょう。この夏は、小学校時代の恩師を訪ね、健在を確認したとの由。

いにしえの故郷遙か秋茜(いにしえの ふるさとはるか あきあかね) 

 

乱舞する蜻蛉は、動きが速くて私の腕ではとても撮影出来ませんが、草の葉に止まる赤とんぼ(於深山公園)。

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カワトンボ(於深山公園)
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サナエトンボ(深山公園)
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散歩道のイトトンボ

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親の医者通いや入院といった状況に、わずかに「点と線」で対応している私とて、故郷との実質の距離は年々歳々遠ざかるばかりですが、時々、通行人か観光者のように、写真を撮ったりするだけのつながりです、、、。

父親の骨折は、手術の経過がよく、寝たきり状態を脱して、自分車いすに乗って移動できるようになり、今日は手押しの歩行器の練習をしたそうです。故郷のヒガンバナは花盛りでした。

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オマケ 実家の庭で育つキアゲハの幼虫
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も一つオマケ 物干しの鉄柱に寛ぐアマガエル 糸くずをアクセサリーに?
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朝露や友の無事なる報せあり [友人]

過去のブログ記事を再読していますと、これは自己顕示なのか、露出症なのかと、いささか鼻白む思いを抱く事があります。

それを知ったとて、誰の得にもならない私人のプライバシーの暴露、みたいなことにならないように気をつけよう、と自戒しつつも、今日の話題は、またまた個人情報ネタです。

二日ほど前、お手紙が届きました。

関西に住むA子さんからです。私の過去のブログ記事にも、何度か登場していただいた古い友人で、ご夫婦共々長いつきあいです。
こんな記事や、こんな記事 、こんな記事こんな記事こんな記事こんな記事 などでお出まし願いました。 

夫のイチローさんは、私と同郷の先輩でもあり、退職後、マンションと故郷の実家とを月に半々ぐらいのペースで行き来する生活をされています。そのおかげで、最近はときどき交流の機会があるので、遠くに住む友人たちからはうらやましがられたりしています。

A子さんは、その田舎暮らしの印象などを綴ったB4裏表印刷の手書き新聞スタイルの「たより」を、友人・知人の方々に向けて発信しておられ、私のもとにも送ってくださるので、いつも、嬉しく懐かしく読みます。

このたびの「たより」には、その微笑ましい記事の余白に添え書きして、 先日の台風被害について、共通の友人の消息を伝えてくださいました。

ひとりは広島安佐南区に住むS君。語れば尽きぬ間柄ですが、今なお隠居できずにちょっとした要職にあるので、 個人情報に触れることは避けますが、懐かしい人です。無事だったそうです。
被害の中心地だった安佐南区という地名から、直ちにS君を思いましたが、根拠もなく無事なはずだと思い込んでいました。先日電話で話したばかりでしたし。

いまひとりは、高知に住むH女史。避難したが無事だったそうです。
この記事でも チラリと登場していただきました。

彼女とも、最近電話で話す機会がありました。

お二人とも、私自身、台風のニュースを見ながら、真っ先に浮かんだ人たちの筆頭なのですが、何故か、自分から安否を確かめようとはしなかったのが、我ながら不思議です。というより、自分のうかつさ、薄情さを再認識しています。

A子さんは、これまた共通の友人である京都に住むM君から、二人の安否情報を聞いて、私に教えてくれたのでした。このM君、多忙な身にもかかわらず、いつも親身な思いやりを示してくれる人でしたし、さればこそ、こんな肝心なときにさりげなく自然に人間味を発揮することができるのだと、改めて気づかされます。 

すみません、皆さん。私のうかつさ、薄情さは、たぶん「天然」のもので、悪気はないのです。  


追伸 

こんなことを書いている折も折、携帯していなかった携帯電話を見てみると、昨日の夕方付けでメールが届いていました。高知の大先輩Nさんからでした。

Nさんは、この記事この記事にも登場していただきました。 先の台風の話題のS君やH女史も、共通の友人です。

そのメールには、先の京都に住むM君からのメールが転送してあり、S君の無事が伝えてありました。

S君の住まいは、安佐南区でも被害の大きかった地区の近くだったそうですが、とりあえず被害はなく、ボランティアを組織して救援に当たるそうだと書いてありました。頭が下がります。


カメラのデータをこと細かく書くのも、 厄介な自己顕示欲が疑われますが、それをく否定はしないものの、実はもう一つ理由があります。

デジタルカメラの便利機能exif情報は、純正レンズを使用した場合には、レンズ名や焦点距離、オート露出の場合なら絞りやシャッター速度まで記録されるので、大変結構です。が、いかんせん、私がしばしば使うレンズは、旧時代のオールドレンズであったり、アダプターを介在して他社レンズを使ったりという次第。そんな遊びの結果、その画像がどういう組み合わせで写したものだったか、exifデータには残らず、私の耄碌した海馬では、当然、思い出せず、フラストレーションのもととなります。

そんなわけで、記憶が残っているうちに備忘的にメモしておこうという意図で書き記していますので、煩わしいでしょうがお見逃しください。

さてpentaxk5Ⅱ+トキナ-90mmマクロの組み合わせによる画像を、順不同で貼っておきます。AFADを使った場合と直に装着した場合とがありますが、煩わしいので省略します。

稲の葉の朝露

 

 

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露草
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チョウチンカズラ
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ケツメイシ
先日のブログで、黄色い花をアップしました。そのときは豆科だとは思いながら、ケツメイシに結びつきませんでした。莢を見て思い出しました。
以前、いただいたお茶は美味でした。
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ヒラタアブ
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イトトンボ
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待宵草
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ダイサギ
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アオサギ
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クマゼミ
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アブラゼミ
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ヒャクニチソウ
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チェリーセージ
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 いずれも路傍に生きる慎ましいクリーチャー(創造物)ですが、マクロレンズを通すと、思わぬ魅力に気づきます。

つぎは、ファインピクスS1の、スーパーマクロモードで撮影した画像。よく似た題材ですが、また個性が違って面白い絵になります。

ヒャクニチソウ
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キバナコスモス
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最後は、pentaxQ7の画像。レンズは?確かオールドレンズだったと思いますが、はっきりわかりません。

 

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 50mmクラスのレンズが、望遠マクロレンズもどきに使えるのは楽しいことです。

ただ、ピント合わせがどうも、、、。

しかも手持ち撮影では、画面が揺れて揺れて、、、。

悩ましいことです。

 

 

 

 

 

 


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故旧あい集いし森の青胡桃 [友人]

岡山県美作市右手(うて)という地区は、木地師の里として知られています。

私の学生時代の先輩である「三郎さん」は、関西在住でしたが、退職後、奥様の実家のあるこの地区に移り住んで「木工みや工房」をひらき、木工工芸品の制作に励んでおられます。

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上は、「木工みや工房」にて作業中の三郎さん近影
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上は、工房で制作中の作品
 

過去のブログで紹介したとおり、大学時代の先輩・後輩の間柄で、大阪、西宮、岡山県北、岡山県南など、あちこちに生活の基盤を持つ同郷のメンバーが、故郷の自然探訪を楽しむ企画を、最近何回か催しました。

昨年11月誕生寺を訪ねて  

今年3月故郷に節分草を訪ねて

今回は、「三郎さん」が、森の緑濃い右手周辺を案内してくださいました。

一行は、まず、発起人格のM女史のご実家にちょっと立ち寄らせていただきました。

庭には見事なグミの木が、たわわに実をつけていました。子どもの頃は「ぐいび」と呼んで、誰しも夢中でむしって食べたものでした。

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梅雨と田植えの時期に結びつく、郷愁の果実です。
これは「びっくりグミ」と呼ばれる大粒の品種でしょうか。
お母様の許しを得て、ジューシーな甘酸っぱい実を、懐かしく味わいました。
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先輩の「イチローさん」が、グミの小枝を片手に、にこやかにモデルになってくださいました。
大昔、大学の夏休み、帰省中のことでしたか、 50ccバイクで山越えをして、私の実家まで訪ねてくださったことがありました。学生時代、アパートの隣室に住んだこともありました。
学内でも、私生活でも、しょっちゅう一緒に行動する機会がありました。今日も同行の奥さんもまた、親しい友人です。
卒業後は、30年以上も、ほとんど年賀状だけのおつきあいでした。それが、退職後、こうして繰り返しご一緒する機会ができ、嬉しく、そしてなんとも不思議な気分です。
大病を克服され、お元気そうで何よりです。
 
庭にはシャラ(ナツツバキ)のツボミもふくらみ始めていました。
この花は、咲いたらその日のうちに散るのだそうです。
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 先日訪ねた半田山植物園でも、シャラの木を見つけました。
 
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 平家物語冒頭の、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。」と描写されるのが、「沙羅」ですね。
釈迦入滅の時、その床の四辺にあった沙羅樹がたちまち枯れて白色に転じたと言われます。
日本ではこの「ナツツバキ」を「沙羅」と呼び、庭木として植栽しますが 、釈迦入滅を見届けた「沙羅」の木とは別種だとも聞きます。

さて、「三郎さん」との待ち合わせ場所は、「久賀ダム」の駐車場。
 
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雨に洗われて緑濃い久賀ダムです。
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手前右側の木をよく見ると、青い実がなっています。
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オニグルミの実です。少し見渡しただけでも、あたりには、オニグルミの見事な大木が何本も生えています。
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このトンボが止まっているのも、オニグルミの葉ですね。
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三郎さんによると、11月頃になれば、熟れた胡桃が採り頃だそうです。
木になっている実をもぎ取るもよし、 落ちている実を拾うもよし、、、とか。
今回の探訪は、 ここまでがプロローグで、このあと素敵な出会いが待ち受けています。
次回の記事をおたのしみに。
 
 
 
 

 


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新しき客人もあり梅雨の入り(あらたしきまろうどもありつゆのいり) [友人]

梅雨入り宣言があったようです。

久しぶりに雨が続き、猛暑がしばしやわらいでいます。

さて今日のカテゴリー「友人」に分類しようか、はたまた「家族」か、それとも「客人」を新カテゴリーとして立てようか、迷いましたが、「ペット」も含めて友人とみなすことにしました。

さて、この川魚は、先日家の近くの用水路で孫と一緒に釣ったもの。モツゴだと思いますが。今も、水槽でくつろいで泳い000でいます。

この水槽と魚にまつわるエピソードを、一昨日の記事にしたつもりでしたが、操作ミスで記事全体が消えてしまっていました。脱力感に打ち勝てませんので、写真だけを「再掲載」します。
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水槽用蛍光灯の光線の加減でしょうか、実際以上に赤みがかって写っていますが、 それにしても、巧まぬ美しさを感じます。


「新しき客人」というのは、そのほかに、このお方。

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妻が、お友達から、今年卵から孵ったカイコを数匹譲っていただきました。

体長3~4cmほどの、思いのほかかそやかな、控えめな大きさの幼虫です。3令(齢)くらいになるのでしょうか?

一番気がかりは、餌の桑の葉ですが、どこにでも自生しているという状況ではありません。

散歩道に一本、小振りな桑の木を見つけましたが、葉をむしり取るのもはばかられます。人口餌もあるそうですが、桑の葉で飼育していたものを人口餌に切り替えることは難しいらしいのです。

窮したあげく、ネットで「食用桑の実」(マルベリー)の苗を購入してみました。本当にこれを食べてくれるかどうか、確信はありません。

ところが、お友達は、カイコと一緒に、数日分の桑の葉と、鉢植えの桑の苗まで、揃えてくださったのです。
これで当座はしのげそうです。

成長とともに、食欲はきわめて旺盛になるそうですが、どうなりますか?

こちらは、今朝の雨に濡れた食用マルベリー。

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故旧相和す刻愉快節分草(こきゅうあいわすときゆかい せつぶんそう) [友人]

大学時代の先輩・後輩の間柄で、大阪、西宮、岡山県北、岡山県南など、あちこちに生活の基盤を持つ同郷のメンバー七人が、落ち合って、故郷の自然探訪を楽しみました。

はじめに美作市河会(かわい)地区のセツブンソウ群生地。盛期は、実際の節分の頃だったそうですが、まだけなげに咲いていました。

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 五弁が基本だそうですが、六弁、八重などの変異もみられます。
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小さな固まりの群生が、そこここにみられます。
盛期には、あたり一面を真っ白な花が覆うのだそうです。
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ほかにも、いろいろな種類の山野草をみることができました。

雪割草。

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アズマイチゲ。10℃を越えないと花弁は開かないのだそうです。
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ユキワリイチゲ

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福寿草
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これは?名前を聞いたのですが、思い出せません。
オウレンでしたっけ?
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湯郷温泉近くでの、心配りの行き届いたコース料理の昼食を挟んで、少し離れた田殿(たどの)地区を訪ねました。

田殿神社(清滝神社)近くのセツブンソウ群生地は、こちらの方が北に位置するせいか、今が盛りといった感じでした。雪花が舞う天候で、節分の頃にもひけをとらない寒さゆえ、むべなるかなとも思えましたが。

 

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キバナノアマナを発見。

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 こんな苔にも春の気配は感じられます。

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近くにある高さ5メートルほどの清滝(きよたき)も、水量が豊富で早春の清冽な気配を漂わせていました。

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私たちの一行の一人Mさんが、自生地そばの「アトリエ清滝」さんと顔見知りである関係から、不躾にぞろぞろとお邪魔した上に、お茶とお菓子までいただいて、くつろいだ歓談の時を楽しむことができました。
開放的な大窓から見える丹精込めた庭と、その先にそびえる山、その麓に位置する田殿神社(清滝神社)。これらの織りなす心安らぐ景観は、四季折々の美しい自然の推移が想像されて、副交感神経の働きを大いに刺激するくつろぎの時間を愉しませてくれました。

ひとまずは、それぞれの職をリタイアし、次のステージでの「未知」の体験に踏み出しているお互いの、微苦笑交じりの近況報告は、身に染みて共感できて、実に愉快なひとときでした。

学生時代には、こんな再会を得る時があろうなどとは考えもしなかったねと、感慨を誘ってくれたセツブンソウでした。

 



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大雨の中を嬉しき宅急便 [友人]

今日は朝から雨で、大雨警報も発令中ですので、おとなしく家の中に閉じこもっています。
窓の外は暗いし、気圧は低いし、気分も体調もからっとしません。
と、チャイムの音がして、宅急便が届きました。
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なんと、高知のNさんが、早速、映画ポスターを送って下さったのです。昨日のメールのやりとりですから、こんなに早くとは思いもしませんでした。
「水濡れ厳禁」のシールとともに、ビニールで厳重にカバーされた丁寧な梱包。頑丈な段ボール箱の中には、さらに厳重な梱包。
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はやる心で、梱包を開きます。.
「更級日記」で少女時代の作者が、おばから物語の数々を櫃(ひつ)に一杯プレゼントされ、「はしるはしる、わづかに見つゝ、心もえず、心もとなく思源氏を、一の巻よりして、人もまじらず、木帳の内にうちふして、ひきいでつゝ見る心地、后のくらひもなににかはせむ。」と、胸をわくわくさせながら先を読み急ぐ場面をふと思い出したりしています。
先日、このブログで書いたとおり、私がホテルに置き忘れたポスターは、今井正監督「橋のない川」第一部、森川時久監督「若者たち」、山田洋次監督「同胞」、野村芳太郎監督「砂の器」などでした。
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ところが、送って下さった箱を開けてみると、それらの他に、なんと、ジブリ関係の「風の谷のナウシカ」「魔女の宅急便」「天空の城ラピュタ」「隣のトトロ」をはじめ、貴重な名画のポスターがどっさり。目もくらむようなプレゼントでした。
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ところで、地元の岡山シティミュージアムで開かれていた「山本二三展」が、終了しました。色々な方から好評を耳にし、是非見学したいと思いつつ、機会を逃してしまいました。残念。
山本二三氏と言えば、ジブリアニメの美術監督・背景画作者として知られていますが、「未来少年コナン」が美術監督としてのデビューだったのですね。「未来少年コナン」については、我が子がまだ小さかった頃、職場の先輩のBさんに全巻ダビングして戴いたものを、しょっちゅう見ていました。
てっきり、「風の谷のナウシカ」も山本二三氏の作品と思い込み、 「山本二三展」のお土産に原画をくださったUさんに、的外れなメールを送っていました。汗顔のいたり。

「山本二三」の素敵な原画、ありがとうございます。
私も、30年ばかり前の東京在住時代、帰宅途中ふとビデオショップに立ち寄り、たまたま「風の谷の
ナウシカ」のビデオを、買いました。(レンタルという習慣がまだなかったので、
一万円を超える出費の「大人買い」でした。)
「ナウシカ」については何も知らず、宮崎監督についても何も知らず、もちろん
山本二三さんについても、何の知識も持ち合わせていないのに、たまたま手に取
ったビデオのカバーの絵に惹かれたのでしょうかね?もちろん多少の内容解説も
参考にしたのでしょうが、その時の心境は思い出せません。
でも、子どもたちも、そのビデオ、すり切れるまで見ました。登場人物の台詞も、
宙で覚えて、日常の遊びの会話の中にも登場していました。おもえば、ベータ方
式のビデオでしたから、の地にVHSのものも手に入れたり、何度もテレビ録画し
たりしたのでしょうね。ナウシカをはじめ、ジブリは、やはり特別のクオリティ
を持ったアニメだと思いますし、その価値は原画に負うところ大だと思います。
後略

何も知らぬ私をひきつけた「風の谷のナウシカ」の美術監督は、中村光毅さんだそうですね。「タツノコプロ」を中心に手がけた作品は、なじみ深いものばかり。
錯覚その2。「ナウシカ」は宮崎駿作品ではあるが、厳密には「ジブリ」ではなく、「トップクラフト」の制作。
等、にわかネット検索で、訂正がてら補足しておきます。





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夏ゆくやそれぞれの老ひ輝きて [友人]

「友が皆 我より偉く 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻と親しむ」という啄木の歌が、ことあるたびに念頭に浮かびます。でもそこに、自虐や自嘲の感情が入り込む余地はなく、ただ、感嘆の想いが募るばかりです。この日も、この歌が脳裡を幾たびも駆け巡りました。
この日、高知に一泊で出かけたわけは、学生時代のサークル(教育系の研究サークル)の同窓会に参加するためでした。
1950年代から1970年代まで、50名参加の大盛況で、旧交を温めたり、大先輩の経験談に耳を傾けたり、懐かしい、エネルギー充填のひとときは、瞬く間に過ぎました。
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今回のために実行委員の方が手作りしてくださった、特別製の「歌集」をもとに、次から次へと「歌声」の合唱が響きます。カラオケなんか使いません。伴奏もありません。指揮は、学生時代から音楽面でも「頭角」を表していたS氏。某県の労働組合の役員を歴任し、最近まで、ローカルセンターの議長を勤めました。彼は私とは同期の入学で、専門は栽培漁業でした。学者・研究者の道が向いていると、自他共に認める人でしたが、思わぬ方面で活躍することになりました。
この会の司会を務めて下さったM氏も、同期で栽培漁業学科の出身。彼は、専門の道に進み、某府の栽培漁業センターの所長として活躍、この春退職されました。この会を企画・準備してくださった実行委員のメンバーです。
この会の発起人、兼事務局長、兼裏方の、全てを担って下さったN氏は、文科の大先輩。
高知県を中心に活動する映画配給会社の社長です。会社の創設者だった故鎌倉信一郎さんは、映画『虹をつかむ男』の主人公(西田敏行が演じています)のモデルと言われます。「人口の過疎はあっても、文化の過疎はつくらない。」が持論でした。
N氏は、会社の倉庫に眠っていた往年の名画のポスターを、何種類も会場まで持ってきて下さり、「欲しかったら持って帰ってよい」とのこと。初演当時のまま、美しい保存状態のポスターで、全部欲しかったのですが、遠慮して、今井正監督「橋のない川」第一部、森川時久監督「若者たち」、山田洋次監督「同胞」、野村芳太郎監督「砂の器」などのポスターをget。うきうきして、ホテルまで持ち帰り、ベッド脇に大切に丸めて置いたのです。
ところが、なんと、うかつにも翌朝、出発時にホテルに置き忘れてしまいました。朝の散歩の帰りが、雨にたたられ、沈着さを書いたせいもあるでしょう。置き忘れたことを思い出したのは、高速バスでほとんど瀬戸内海を渡ってしまってからというお粗末。かなり自己嫌悪というか自己不信です。とほほ。

閉会挨拶をしているのは、高知県議米田稔氏(公人なので公表しておきましょう)。彼も同期で、教育学部中学校課程の出身。学生時代、アパートに泊めてめてもらったり、箱買いのインスタントラーメン(実家からの仕送りらしい)を食べさせてくれたりしました。「ラーメン食う?」という、独特の声音が今も耳に残っています。
英語教師への道を断念して、社会運動に身を投じ、市会議員を経て県会議員を五期勤めています。
ちなみに、7月の参議院選挙で東京選挙区から立候補して見事当選した吉良よし子さんのお父さんが、米田氏の同僚県議の吉良富彦氏。お母さんも、学生時代の年下の友人です。何も私の手柄ではないですが、テレビや新聞で注目を浴びる姿は「キラキラ」まぶしくて、我がことのように誇らしい気がします。

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もう一枚の写真。真ん中の男性は、参加者の一人で、衆院選挙・参院選挙と続けて、愛媛選挙区から出馬して落選はしたものの、得票を伸ばした植木正勝君(これまた公人なので公表しておきましょう)。彼も同期で、小学校課程出身。別項で紹介した「植木正勝が植木枝盛になるに当たっての労働の役割」の筆者です。

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他にも大勢、学術、研究、教育、実業、家庭などの各分野で、「オンリーワンの花」を咲かせている方々の、輝く姿に接することができました。学生時代に顔見知りの方も、そうでない方もいらっしゃいますが、世代の垣根、歳月の垣根を越えて、心の底から打ち解けてくつろぎ、また胸中に熱くみなぎるものをともに感じたひとときでした。語り続け、歌い続けた4時間近く(現実には、開会2時間ほど前には会場に着いていて、何人かと雑談をしていましたから、およそ半日)が、瞬く間に過ぎ、3年後の再会を約してわかれました。
その後、大概は2次会に向かわれましたが、「病み上がり」の私はさすがに自粛させてもらいました。
夏ゆくやそれぞれの老ひ輝きて

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