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若草の刈り払われて薫りけり [今日の暦]

カレンダーの今日の欄に「清明」と印刷してありました。

はて、何のことかしら?

陰陽師の安倍晴明に関係あるのかな?(清と晴の違いはありますが――)

ところで、安倍晴明って安倍晋三と関係あったっけ?ウィキペディアによりますと、「(奈良県にある安倍文殊院には、)平成22年(2010年)には、安倍氏と関わりがあるとされる安倍晋三が『第90代内閣総理大臣
安倍晋三』名義で石塔を寄進している。」とあります。

デンデン殿の遠い先祖が安倍清明に繋がるかどうか、その辺のところは眉唾ですが、今渦中の人安倍昭恵夫人が、陰陽道どころか、神がかり的な現象やスピリチュアルな世界にめっぽう興味がおありの様子は、あれこれ漏れ聞こえて参ります。それだけじゃなくて、夫のデンデン殿も相当のものとネットでは話題になっておりますな。出典は、言論サイト「BLOGOS」に掲載されたという、安倍昭恵総理夫人と社会学者の西田亮介氏との対談。少々孫引きいたします。

 
「日本の精神性が世界をリードしていかないと地球が終わる」 安倍昭恵氏インタビュー

安倍:あと先祖を信じていて。うちの実家は森永製菓というところなんですけど。曾祖父(森永太一郎氏)がアメリカに渡って、向こうでお世話になったのが牧師さんで。日本に帰ってきてから会社のシンボルをエンゼルマークにするんですよね。

お菓子の会社が、ある程度の大きさになった時、父方の方の曾祖父(松崎半三郎氏)に社長が変わるのですが、その後、太一郎はずっと全国を布教して歩くんですね。子供たちがきちんと栄養を摂れて、幸せに暮らせるようにということをずっと考えていた人なので。

森永太一郎は佐賀の伊万里出身なんですけど、今も私は九州の方に向いている感じがしちゃうんですよね。そこに立ち返って行っているような。誰かの意志がいつも降りてくる感じ。

例えば、大本教の出口なおさんとか。最近だと、広島で折り鶴を織って、10歳で亡くなった佐々木禎子さんとか。なんだか導きがあって、パールハーバーの折り鶴を見たら、そのあと連絡がありました。

佐々木さんの甥子さんと会って話をしたり、ニューヨークで「グラウンドゼロのところに寄贈した鶴があるんで、観に行ってください」と言われたりとか。

「折り鶴の平和プロジェクト作りましょうよ」みたいな話が出てきたりとか。ちょっと行くと、物事がバーっと動いていくのは、私の力ではなくて、何かに動かされて、そこにいて。それこそ渦を巻いていってるんだなって。

主人自身も特別な宗教があるわけじゃないんですけど、毎晩声を上げて、祈る言葉を唱えているような人なんですね。


西田:何をお祈りされているんですか?

安倍:感謝の言葉を。

西田:それは誰に対してですか?

安倍:神様なのか、先祖なのか、分からないですけど。何か自分の力ではないものに支えてもらっていることに対しての感謝を。

西田:どこに向かって?虚空に向かってなんですかね?

安倍:分からないです。多分、自分に言い聞かせているのかもしれないけど、よく分からないです。

【BLOGOS 2016.11.9.】


「 毎晩声を上げて、祈る言葉を唱えているような人」「どこに向かって?」「分からないです。」――――ちょっとコワイ、、。

なんてとりとめもない考えをめぐらせておりましたら、ニュースで、今日は、二十四節気の一つ、「清明」だと教えてもらいました。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典にはこうあります。

清明
せいめい
二十四節気の一つ。太陰太陽暦の3月節 (3月前半) のことで,太陽の黄経が 15°に達した日 (太陽暦の4月5日か6日) に始り,穀雨 (黄経 30°,4月 20日か 21日) の前日までの約 15日間であって,その頃季節的にすがすがしい南東の風が吹くので,清明と名づけられた。現行暦ではこの期間の第1日目をさす。昔中国ではこれをさらに5日を一候とする三候 (桐始華,田鼠化為じょ,虹始見) に区分した。それは,桐の花が咲きはじめ,もぐら (田鼠) が家鳩 (じょ) に化け,虹が見えはじめる時期の意味である。


ちなみに沖縄地方では「清明」をシーミー、ウシーミー(お清明)と呼び、一族でお墓にお参りするしきたりがあるそうですね。

昨日今日と、二日続けて、郷里の老父母のもとを訪ねてきました。

きのうは、今春中2、小4,小1になる孫を連れて、昼飯をごちそうになりに行きました。一歳児を連れた長女も合流し、賑やかで楽しいひとときを過ごしました。

庭に咲いていたラッパ水仙。







梅も咲いていました。



ハナモモです。




庭のフキノトウ。



野原のヒメオドリコソウ。



タンポポの綿毛。



畑の野菜に花が咲いています。











春たけなわ。いい季節になりました。

が、思わぬアクシデントがありまして、みんなが外出から帰ってきて、一足先に車から降りて、家の入り口の鍵を開けようとしてくれていた父が段差で転倒し、肩を強打。念のために病院を受診すると、骨折。入院の必要はないが、三角巾で固定して一ヶ月ほど加療が必要ということでした。

不幸中の幸いと申しますか、はたまた好事魔多し、花に嵐と申しますか、人生一筋縄では行きません。



今日は届ける物もあり、一人で郷里まで往復してきました。

上天気で、清明の名にふさわしく、草木の勢いもきわめて盛んです。と言うことは、冬の間じっと我慢してきた雑草も、春の気を受けて旺盛な生命力をみなぎらせています。

慣れない草刈り機を使って、近くの畑の周辺の草刈りをして来ました。春というには強すぎる陽射しで、汗びっしょりになりました。

刈り払われた草の青い香りが、鼻腔深くに快くしみこみます。平安の憩いを邪魔されたアマガエルや昆虫たちが、ぴょんぴょんと何匹も飛び出してきます。残念ながら、カメラを携行する余裕はありませんので、目で見て楽しんだだけでした。

春分の日に春分の日を考える、の巻 [今日の暦]

きょうは春分の日。

 ウィキペディアには、「春分の日」をこう解説してありました。
春分の日(しゅんぶんのひ)は、日本の国民の祝日の一つであり、春分日(天文観測により春分が起こるとされる日)が選定される。通例、3月20日から3月21日ごろのいずれか1日。

しばしば、「昼と夜の長さが同じになる。」といわれるが、実際は昼の方が長い。詳細は春分を参照のこと。また、本項において、国民の祝日となる日を「春分の日」、天文学上の春分が生じる日を「春分日」と区別する。

国民の祝日

「春分の日」は、日本の国民の祝日の一つである。1948年(昭和23年)に公布・施行された国民の祝日に関する法律(祝日法、昭和23年法律第178号)によって制定された。祝日法第2条では「自然をたたえ、生物をいつくしむ。」ことを趣旨としている。「春分の日」の日付については後述。

休日としては、1878年(明治11年)改正の年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム(明治11年太政官布告第23号)による春季皇霊祭から続くもので、1947年(昭和22年)に廃止される休日ニ關スル件(昭和2年勅令第25号)までこの名称だった。

(中略)

日付

「春分の日」の具体的日付は、たいてい3月20日から3月21日ごろのいずれか1日となる。祝日法の上では「春分の日 春分日」つまり同法上の「春分の日」を「春分日」とすることのみが規定され、日付は固定されていない。実際の各年の「春分の日」は、国立天文台が作成する『暦象年表』という小冊子に基づき閣議において決定され、決定する日の前年2月第1平日付の官報で暦要項として公告される。すなわち、天文学における「春分日」は、天文観測に基づいて地球の運行状態などが変わらないと仮定できる範囲で2年後以降のものも計算により特定できるが、国民の祝日としての「春分の日」は前年の2月にならなければその通りとまでは確定できない。ただし、これまでのところ天文計算によって求められた「春分日」以外が「春分の日」とされたことはない。


読んでもよくわかりません。けっこうややこしいのですね。

国立天文台のHPにこんな記事がありました。

まず、春分の日・秋分の日はいつどのようにして決まるのでしょうか。

祝日としての春分の日・秋分の日は、前年の2月1日に、春分の日・秋分の日の日付が書かれた「暦要項(れきようこう)」が官報に掲載されることによって、正式決定となります。例えば、2001年2月1日の官報には、2002年の春分の日・秋分の日が書かれた暦要項が掲載されています。逆に、それより前には、春分の日・秋分の日は「まだ正式には決まっていない」ということになります。(ただし、行政機関の休日には官報が発行されませんので、2月1日が該当する場合には翌日以降の掲載となります。)

しかし、カレンダーを作っていらっしゃる方や、何年か分の行事予定を立てられている方などの中には、来年、あるいはさらに先の年の春分の日・秋分の日を知りたいと思っている方はたくさんいらっしゃるようです。実際、「正式決定でなくてもよいので、もっと先の春分の日・秋分の日を教えてほしい」というご要望をいただくことがよくあります。

日本の祝日を定めている「国民の祝日に関する法律」によれば、春分の日は「春分日」、秋分の日は「秋分日」を採用するとされています。「春分日」「秋分日」というのは天文学上の呼び名で、次のように定義されています。

太陽は星々の間を移動していて、その通り道を「黄道」といいます。また、地球の赤道を天にまで延長したものを「天の赤道」といいます。黄道と天の赤道は、お互いが傾いているために2点で交わり、その交点のうちの一方を「春分点」、もう一方を「秋分点」と呼びます。そして、太陽が春分点・秋分点の上を通過する瞬間がそれぞれ「春分」「秋分」と定義され、「春分」「秋分」を含む日のことを、それぞれ「春分日」「秋分日」と呼ぶのです。

地球の運行状態などが現在と変わらないと仮定すると、将来の春分日・秋分日を計算で予想することができます。計算結果を下に載せておきます。ただし、地球の運行状態は常に変化しているために、将来観測した結果が必ずしもこの計算結果のとおりになるとは限りませんので、あくまで参考としてご覧になってください。
表1 西暦2000~2030 年の春分日・秋分日 西暦年 春分日 秋分日
2000年 3月20日(月) 9月23日(土)
2001年 3月20日(火) 9月23日(日)
2002年 3月21日(木) 9月23日(月)
2003年 3月21日(金) 9月23日(火)
2004年 3月20日(土) 9月23日(木)
2005年 3月20日(日) 9月23日(金)
2006年 3月21日(火) 9月23日(土)
2007年 3月21日(水) 9月23日(日)
2008年 3月20日(木) 9月23日(火)
2009年 3月20日(金) 9月23日(水)
2010年 3月21日(日) 9月23日(木)
2011年 3月21日(月) 9月23日(金)
2012年 3月20日(火) 9月22日(土)
2013年 3月20日(水) 9月23日(月)
2014年 3月21日(金) 9月23日(火)
2015年 3月21日(土) 9月23日(水)
2016年 3月20日(日) 9月22日(木)
2017年 3月20日(月) 9月23日(土)

2018年 3月21日(水) 9月23日(日)

(以下略)


ちなみに、国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)の定めはこうです。

第2条
「国民の祝日」を次のように定める。

元日1月1日年のはじめを祝う。
成人の日1月の第2月曜日おとなになったことを自覚し、みずから生き抜こうとする青年を祝いはげます。
建国記念の日政令で定める日建国をしのび、国を愛する心を養う。
春分の日春分日自然をたたえ、生物をいつくしむ。
昭和の日4月29日激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。
憲法記念日5月3日日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する。
みどりの日5月4日自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ。
こどもの日5月5日こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。
海の日7月の第3月曜日海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う。
山の日8月11日山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する。
敬老の日9月の第3月曜日多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う。
秋分の日秋分日祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。
体育の日10月の第2月曜日スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう。
文化の日11月3日自由と平和を愛し、文化をすすめる。
勤労感謝の日11月23日勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう。
天皇誕生日12月23日天皇の誕生日を祝う。


善良な国民としましては、「自然をたたえ、生物をいつくしむ。」という法の定めの通り今日一日を過ごす所存です。

朝のゴミ出しをかねて、朝散歩。昨日と同じようなコースをたどってみます。

手前にシルエットで写っているのがコブシの木。小川を挟んで正面にソメイヨシノの並木道が続いています。遠い連山の陰から、朝日が顔を出します。



大きな花を咲かせている枝もあります。




こちらは、モクレンのツボミ。



真ん中の木がモクレンです。



これは別のモクレンの木です。ご近所のオタクの庭にそびえています。大きな白い花弁がつぎつぎとひらきはじめています。



野菜の黄色い花が朝日を浴びています。



路傍のヒメオドリコソウ。今日も霜を宿しています。



ピンクの木瓜のつぼみ。





 ご近所のスノーフレーク。



キタテハですか?日中暖かくなると、蝶の姿をちょくちょく見かるようになりました。



拡大します。



ツグミは、依然としてよく姿を見せます。



農機具と並んで、なんか面白い気がしました。



先日、M師から、大変珍しい種類のツグミの情報を教えていただきました。

図鑑にも載ってない珍しい鳥だそうです。

まずこれは、ギンムクドリというそうです。











そして、これはカラムククドリだそうです。







撮影はM師。著作権もM師に属しますから画像のコピーはお控えくださいね。撮影場所は、ご友人のお庭だそうです。驚きです。

「自然をたたえ、生物をいつくしむ。」ことへの、思いを強くしたことです。

ところで、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ためには、普天間基地の辺野古移設、駄目でしょう。ジュゴンだけじゃない、美しい沖縄の自然と生物にとってメーワクこの上なし。もちろん、県民のくらしや安全にとっても、、、、。

オスプレイの飛行訓練、駄目でしょう。

osupureihikou.jpg


共産党山下芳生議員の国会質問(3/13)によると、CV22オスプレイの横田基地配備にあたり、2015年に米軍が作成した環境レビューには「鳥類は飛行場周辺における巣作りをやめる可能性が高く、他の場所に巣を作るだろう」と記載されている由。「鳥類はいなくなるけど、他で巣をつくるからいいんじゃないのと。こんな無責任な環境レビューはない」(山下氏)。まったくです。

無差別空爆、駄目でしょう。昨日の記事にも書きました。戦争は最大の自然破壊です。平和実現の道を探ることこそ最大の自然愛護、生命尊重でしょう。

とくに、最大の自然破壊兵器は、なんといっても核兵器です。核なき世界実現へと向かう世界の流れに、唯一の被爆国日本の政府が消極的?駄目でしょう。

原発再稼働、駄目でしょう。「自然」と「生物(人間を含む)」への壊滅的な損害は、取り返しがつきません。

またまたとりとめのない素人政治談義に終わった春分の日でした(汗)。

夜になってから、かなり大きい雨だれの音がきこえています。春に一歩近づくのでしょうか?春だというのに、インフルエンザ罹患者がまた増えました。小三の孫が熱を出し、休日診療医を受診したところ、やはりA型だそうです。恐るべしインフルエンザですね。

きょうはこれにて。


洒落にもならぬ911の119、の巻 [今日の暦]

身の回りのことであれこれしている内に、ブログ更新が滞っています。

前号記事が9/11付けでした。

9.11のできごとについて書きかけていました。

このブログを始めたばかりの2013年の9月に、こんな記事を書きました。

◆もうひとつの911

 今日、9月11日は、サルバドール・アジェンデ大統領の命日!です。1973年、あれからもう、40年になるのですね。

wikiの「チリクーデター」の記事から引用します。
東西冷戦の最中の1970年、サルバドール・アジェンデ博士を指導者とする社会主義政党の統一戦線である人民連合は自由選挙により政権を獲得し、アジェンデは大統領に就任した。なおこれは、南アメリカにおいて自由選挙で社会主義政党が選ばれた初めての例であった。
しかし、アジェンデ政権の行う社会主義的な政策に富裕層や軍部、さらにドミノ理論による南アメリカの左傾化を警戒するアメリカ合衆国は反発し、アメリカ政府に支援された反政府勢力による暗殺事件などが頻発した。そして、遂には1973年にアウグスト・ピノチェト将軍らの軍部が軍事クーデターを起こした。
首都のサンティアゴは瞬く間に制圧され、僅かな兵と共にモネダ宮殿に篭城したアジェンデは最後のラジオ演説を行った後、銃撃の末に自殺した。クーデター後にピノチェトは「アジェンデは自殺した」と公式に発言したが、実際にはモネダ宮殿ごと爆破されたため、当時は誰も遺体を確認できなかった

(中略)

なお、一般に「9・11」というと、2001年のアメリカ同時多発テロ事件を指す事が多いが、ラテンアメリカでは1973年のチリ・クーデターを指す事も多い。 

ピノチェト率いるクーデター軍に包囲され、激しい銃撃を受けながら、アジェンデは勇敢に最後のラジオ演説を行います。私は、学生時代、この最後の演説が録音されたテープを手に入れ、銃声が響く中、毅然として国民に静かに訴えるアジェンデの肉声を心に刻みました。選挙で選ばれたアジェンデ人民連合政権は、当時の若者達にとって希望の灯台でしたが、初めて聞いた大統領の肉声が、最後の声とは、皮肉なことでした。
ユーチューブに「アジェンデ最後の演説日本語字幕つき」を見つけました。

http://www.youtube.com/watch?v=SG3f08LVwhE


一方のアメリカ同時多発テロから、すでに15年。感慨を禁じ得ません。

このテロを契機として、アメリカはアフガニスタン侵攻、ひきつづくイラク戦争につきすすみますが、それはテロの根絶に結びつかないばかりか、新たな憎悪の連鎖、報復の連鎖を生み、その泥沼から抜け出す道を人類は未だ見いだしていません。

これまでも、繰り返し引用しましたが、当時書いたこんな記事が、なお過去のものになっていないことは、痛ましい限りです。


◆ジャイアンとスネ夫に関する覚え書き、の巻


 2003.2.15

それにしても、イラク・朝鮮半島情勢は、人類史を逆戻りさせる愚劣さです。「ならず者国家」を成敗する先頭を、一番のならず者が突っ走るの図。泣くに泣けず笑うに笑えぬ出来損ない笑劇に、どこまでつきあわねばならないのでしょうか?

「空爆」は、民衆の側から見れば、「空襲」です。逃げまどう民衆を念頭に入れないアメリカの視点は、ベトナム以来変化なしということか?「戦場」が常に自国の外にあったアメリカにとって、逃げまどう民衆の姿はイマジネーションの限界の外にあるのかもしれません。

では、日本の姿勢はどうなの?「悪い政府」の統治下であろうがなかろうが、各地の大空襲とヒロシマ・ナガサキの辛酸を嘗めた日本の民衆の視座からは、「空爆やむなし」の結論は、生まれる余地のないもの。にもかかわらず、NATO傘下のヨーロッパ諸国に比べてさえもふがいない追随三昧。嘆かわしい限りです。

2003.2.26 

フランスのリベラシオン紙のコラムは、ブッシュを裸の王様にたとえたと言います。前々からそう思ってました。「王様は裸だよ」の声を、率直に伝えてあげる方が忠義かつ親切というものでしょうに。「お美しい」「お似合いでげす」のおべっかを、自分ばかりか周囲にも強要する幇間(太鼓持ち)の罪は如何?リンク集を緊急編成しました。

2003.4.20 ブッシュさん、3歳児をひねりつぶして、「勝った勝った」と誇っても、誰も腹でケーベツするだけ。ただ、手のつけられない乱暴者のやることだから、顔をしかめて黙って見ているまでのこと。

でも、ブッシュさんは気づいているのかしら?あなたに突如「ならず者国家」の烙印をおされ、第2第3のイラクとしての標的にさらされるおそれを感じている国々が、このイラク戦から何を学ぶか?について。

「力こそ正義」という、ブッシュ流の新しい(実は西部開拓時代以前の未開野蛮な)むき出しの力の政策の前では、国連中心の国際秩序を誠実に遵守することは愚挙であり、ましてや国連査察に誠実に応じたり、大量破壊兵器の廃棄など馬鹿正直に実行するなどもってのほか。細菌兵器、化学兵器、核兵器、無差別テロ攻
撃・・・いずれをとわず、物量に勝るアメリカに「軍事的」に対抗する道すなわち無限の軍拡の連鎖、憎悪と報復の連鎖への道をひた走るしかない、と、向こう見ずな破滅的な決意を促したに違いないことを。

ブッシュ=アメリカをジャイアンに喩えた人がいました。ジャイアンは、自分のコンサ-トを誰もが歓迎しているに違いないと信じているのでしょうね。メーワクに感じながら、「いや」と言い出せないのは、ジャイアンに正義が存するからではなく、彼の腕力をはばかる故であることは、誰もが知っています。知らぬはジャイアン一人でしょう、かわいそうなジャイアン。

そして、ジャイアンの正義は、彼の腕力を上回る力(ドラエモン由来の)によってついえ去るしかないのです。ジャイアン少年は、心底、真の友情を求めながら、たまたま他を圧する腕力と粗暴さを備えていたが故に、怯えと追従と憎しみをもって遇されるしかなかったのです。もしも彼が、平凡な腕力の少年であったなら、その純朴な個性はより好ましい輝きを増し、周囲から真に愛され、好ましい友情を獲得できたに違いないのに・・・。

リンカーンの国、ホイットマンを生んだ国、民衆愛と寛容な民主主義の伝統ある朗らかなアメリカが、なぜこんなにも野蛮で狭量なふるまいしかできないのでしょうか。ベトナム戦争への苦い反省も忘れたかのように。ソ連、東欧の自滅をへて、対立軸を失い、「一人勝ち」してしまったことの不幸なのでしょうか?ジャイアンの不幸、孤独との相似が、なにやら真実味を帯びてきました。



また、今年7月、◆英チルコット委員会報告で際だつ日本の頬被り体質?の巻では、こう書きました。

アメリカでは独立調査委員会が2005年3月、イラクの大量破壊兵器(WMD)の問題を巡る米情報機関の判断は『完全に過っていた』とする報告書を公表しました。

オランダでは、独立調査委が10年1月、「イラク侵攻は国際法上の権限がなかったとする約550ページの報告書を公表しました。

「ブッシュのプードル」と揶揄されたブレア政権がイラク戦争支持を表明するよりも早く、ブッシュ演説のわずか3時間後、「アメリカのポチ」を演じ続けるわが日本政府は、全世界に先駆けてイラク戦争支持を表明したのでした。(当時、その小泉内閣で官房副長官をつとめていたのがアベさんでした。)

さて、その日本政府の政策決定の是非は、どう検証されたのでしょうか?

(中略)
日本政府は2012年12月、「対イラク武力行使に関する我が国の対応」という短い報告書を発表。開戦の大義名分とされた大量破壊兵器(WMD)が発見さ
れなかったことを「厳粛に受け止める」としましたが、公表されたのはA4・4枚の「概要」だけで、報告書の全容は、「公開すると関係国との信頼関係を損なう恐れが高い情報が多く含まれている」(外務省)として公にされていません。
昨年の「戦争法案」審議においても、アベ首相は「大量破壊兵器を所有していないことを証明できなかったイラクが戦争を招いた」などと、大義なきイラ ク戦争への支持・加担の責任を回避し続けています。

過去の過ちへの検証も反省もないまま、なし崩し的に新しい過ちに足を踏み出すのは、日本の保守政治の(あるいは日本人の?)お家芸なのでしょうか?

すでに周到に戦争法も秘密保護法もととのい、近く「アベノミクス選挙」と称するカモフラージュでまんまと議席の2/3をかすめ取ろうものなら、一気呵成に「悲願」の改憲もやってのけ、自由に戒厳令体制をしくことができるフリーハンドを手に入れた暁には、地球のどこかでアメリカが引き起こす戦争に、当事者として「わが軍」を心置きなく参戦させられる『美しい日本』が現出するはずと、アベ一族のお歴々、うっとりと夢見ておられるのでしょうか。しかしそれは、「無知の無恥」というものですぞ。

9/10(土)は、じいじ.ばあばは郷里の実家を訪ね、ちょっとだけ草掃除の手伝いをし、野菜をたくさんもらって、帰り道、娘のアパートに寄って、お裾分けして帰りました。生後一〇ヶ月の孫が、ハイハイとつかまり立ちを見せてくれました。

家の近所に住む四人の孫たちは、それぞれ、部活やサッカー、保育園の行事などで大忙しだったようです。

翌日の9/11(日)、上の記事を書きかけていましたら、ママが、一歳半の孫娘を連れて来て、昨日から熱があって手が反せないので、家事の間、ちょっと預けて帰りました。

いつものように、ジイジ、バアバ二人がかりで、あやしたり機嫌を取ったりしていましたが、突然フラッとして後ろに倒れそうになったり、急に目を見開いて怖いものを見たような大声を上げたかと思うと、ひきつけを起こしてけいれんを始めました。

慌てて、バアバがママのところに抱いて帰り、私が119番に電話をしました。

 大昔、自分の娘が二才の頃、顔を割れたガラスで切る大けがをして救急車を呼んだことがありましたが、その時の法が平静でいられたようで、今回は我になく取り乱し、声がうわずってしまいました。幸い、10年ほど前から、ごく近所に消防署の出張所があり、そこに救急車も常置してあるらしく、思いもかけない素早さで、サイレンが聞こえ、安心しました。幸い、最寄りの総合病院の救急外来で診察を受け、二時間ほど点滴してもらって、無事に帰りました。40℃を超えていたらしい高熱も下がり、昨日一日保育園を休ませましたが、境南愛護ともなかったように登園しています。

 救急車をタクシー代わりに使うべからずというキャンペーンを、もっともなことと思うので、極力危急の時にかぎって利用するつもりですが、そうはいっても、これまでも何度かお世話になりました。

中一の孫は、幼児の頃、鍋のなかの熱い味噌汁を浴びてやけどをし、初めてお世話になりました。二度目は、熱けいれんで。一人で二度も救急車で運ばれた経験は、必ずしも多くはないでしょう。ママ曰く、前回の経験があるので、今度は落ち着いて対処できたたようで、救急隊員の質問への応答ぶりから、「医療従事者ですか?」とたずねられたそうです。

最初の味噌汁事件では、親・大人の監督責任をとがめられたようですが、いずれの経験も、「タクシー代わり」と非難されようもない重篤な症状でしたので、救急隊・病院ともに懇ろな対応をしてくださり、感謝に堪えません。

と、考えをめぐらせているうちに、ふと思いました。このように、一市民の生命・健康が優先されることは、人間として当然の権利には違いありませんが、時と場合と条件によってはそれが満たされないことも希ではないのではないか。たとえばテロ、たとえば空爆、たとえば自然災害といった危急の事態のもとでは、人一人の命はいきおい軽んじられざるを得ないのでしょう。

「恵まれた環境に感謝」「日本に生まれてよかった」と言う感想に終わるのではなく、人一人の命と健康が、ひとしく重んじられる世界、世の中を、展望したいと切実に思うのです。

9/12(月)は、パソコン作業には追われたのですが、ブログ更新に手が回りませんでした。
それにしても、涼しくなりました。

9/13(火)は、未明から激しい雷鳴がして、土砂降りの雨でした。

雨がやっと上がった昼前に、少しだけ散歩しました。





昨日、今日の散歩道で出会ったアオサギをご紹介します。



























きょうはこれにて。

71年目の終戦記念日の日常雑話、の巻 [今日の暦]

71年目の終戦記念日です。

地元紙「山陽新聞」の今日付夕刊の第一面は、見出しに

終戦71年 戦没者追悼式 

首相「加害」に触れず 

陛下、再び「深い反省」


と、ズバリ。

そして、記事のリードでは、「安全保障関連法の本格運用や憲法改正論議の加速が見込まれ、平和の在り方も問われる中、安倍晋三首相は式辞で『戦争の惨禍を決して繰り返さない』と強調。ただ2013年以降3回の式辞と同様に、歴代首相が触れたアジアへの加害と反省には言及しなかった。天皇陛下はお言葉で、昨年につづき、『深い反省』に触れられた。」と、書いています。記事本文でも「首相は、(中略)過去3回と同じく『不戦の誓い』との文言は使わなかった。」と指摘しています。

これを見た妻が.「こんなことを書いたら、また自民党が怒るで」とつぶやきます。

「easops tongue」という言葉が思い出されます。直訳すれば「イソップの舌」「イソップの言葉」といったところでしょうか。「奴隷の言葉」と訳されたりします。専制独裁の元で、身の安全を保つためには、遠回しの言い方が求められたということなのでしょうが、今やあたかも、時代の約束事に成り上がっている感もあります。オソロシヤ。



一昨日立ち寄った蒜山(ひるぜん)高原の眺めです。









高速道を通って、実家に向う途中、夕日が見えました。運転中ですので撮影などできません.ロケーションはいまいちですが、ちょっとした停車スペースに車を停めて、証拠写真を残しておきます。







その夜の月です。



トリミング画像です。



一夜明けて、翌朝の故郷の景色。







稲穂が、ここまで実っています。

さらに県北部の寒冷地帯では、もっと田植えが早いので、稲穂の生育も早いはずです。















故郷の初秋の朝景色

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先週受けていた半年に一度のCT,MRIの検査結果を聞きに、今朝は病院へ行ってきました。手術後三年目にして転移の兆候はなし。おかげさまで順調です。

昨日は保育園児の姉と、小三の男の子と一緒に深山公園へ行き、蝉の抜け殻などたくさん拾ってきました。田舎のおじいちゃんも、拾ってくれていました。それらを元に、小3生は今日は夏休みの自由研究を我が家で、兄の中学生は自分の家で、貯まっている宿題をフル稼働。明日が提出日のものもあるそうです。お盆を過ぎると、急に夏休みの終わりが見えてくるようです。

きょうはこれにて。

何かとせわしい山の日は暑かった、の巻 [今日の暦]

「山の日」という休日が新設されたことを忘れていました。

大阪の孫一家が、昨夜帰省してくるはずでした。パパの仕事が上がってから、夜中に車を走らせて、深夜~未明に到着するはずが、pm11時過ぎに連絡があり、高速の途中でバッテリートラブルに遭い、JAFを呼んだ由。それからしばらくして、修理は困難で、レッカー車で引っ張って、大阪にひきかえすことになったとのことでした。大事故につながらなくて余暇ってものの、不運な盆休みです。
結局、高速バスの今夜の便に空き席があったので、pm10時ころ到着予定。ご苦労なことです。
今朝は、ひんやり過ごしやすい朝でした。

朝散歩から帰ったころは、かなり気温が上がり始めています。

そして、夕方には、、、。

朝散歩はいつものコース。稲の背丈がかなり伸びています。
冬の訪れが早い県北部では、田植えが早いので、もう7月の頃から稲穂が実っていますが、こちらはまだまだすくすくと成育中です。

早朝から農作業。というより、早朝こそが作業の適時でしょう。



今朝の稲穂の雫。

トリミングします。

路傍の朝顔。




田圃の中のこの花の名。また忘れました。



唐辛子も色づいて。








セセリチョウですが、、チャバネセセリかイチモンジセセリか、見分けられません。

全部、チャバネセセリでいいのかな?














夏休み中の孫のお供で、今日もメダカ取り。






日中は余りに暑いので、夕方5時前頃に出かけましたが。まだまだ暑い。

今日はこれにて。


そのとき十歳の私は、補遺 [今日の暦]

昨日の記事の仕上げの頃は、ほとんど居眠りをしながら作業していましたので、集中力が続きませんでした。そうでなくとも長い文章になっているので、ほどほどに切り上げりのは妥当と言えましょうが、もう一つだけ、胸を打たれたエピソードに紹介をしておきたいと思います。

昨日の記事に、「戦争は、一〇才の子どもたちの手元から大切なものを次つぎともぎ取っていき、岡山空襲は、いわばとどめに、街を、家を、家族を、友人を焼き尽くしました。」と書いた時に、もう一つ念頭にあったのはこのエピソードでした。







 クレパスの涙

その夜、ぐっすり眼っていた。祖母のただならぬ声。醒めきらない目に、 一面赤く染まった縁側のカーテンが映った。蚊帳の中を通いながら祖母は、「たえこ、くにこ空襲よ。たえこ、くにこ、早う、うはよう」

と線り返しながら、一年生の弟を抱えるように蚊帳をたぐっていた。

えっ空襲。

昼間の空襲警報の不気味なサイレンの音は何度も聞いて敏感になっていたが、サイレンの音は聞こえない。

同じ布団に寝ていた妹を揺り起し、手を引っ張って玄関から防空壕に逃げ込んだ。気が付くと妹は金魚柄、私は朝顔柄の浴衣の寝巻ににランドセルを背負っていた。

前後して父が四歳と二歳の第を、母は一歳になったばかりの弟を抱いて防空壕に入った。そこへ、一週問ほど前に離れへ疎開してきている親戚の年寄りと子どもが入ると、畳一枚ほどの防空壕は身動きできない。

この玄関前の防空壕は私の誕生記念に祖母が植えた八重桜の木を伐ってその跡に父が掘ったものだった。

一人で防空域の外に立って様子を見ていた父は「こりゃひどい。家が焼けだしたら危ない。橋の下へ迷げよう」と、家族と観戚を次々に防空壕から出した。

轟音と共に黒い機影が不気味に一機また一機と頭上をいく。機影が視界から消えた合間に小腰を屈めて二人、三人と順番に地続きの畑の東側を流れる用水へ急ぐ。

用水の岸辺から見る南の空は燃え上がって赤く、その明かりに照らされたおびただしい数の機影が旋回し交錯しながら腹から焼夷弾の束を吐き出す。後からあとから降る黒い塊は、落ちながら火を噴き二十にも三十にも炸裂し、辺りを照らす。還くで、近くでドーンドーン、ドーン、ザッザザーッ。止む間もな<聞こえる。

「あっ、来たっ」機影が近付くと目を瞑って橋の奥に逃げこむ。息を凝らして身を寄せ合っていると爆音が違のく。そっと橋の下から覗く。その間に父は家に駆け込み、先ずは先組の位牌を、次に箪笥の引き出しを一本ずつ持ち出す。父が家に入つている間、心配で妹と抱き合つて「爆弾が落ちませんように」と析った。

空を焦がす炎は拡がるばかりだった。

「学校に落ちた」

誰かが叫んだ。いっも見償れた二階建ての校合がまたたく間に燃え上がり、燃え盛る炎の中に、一段と高く立っていたドームのてっべんの尖塔が一瞬浮かびあがり、そして崩れ落ちた。私の御野国民学校が焼けた。

「クレパスが、クレパスが焼ける!」

とっさに頭をよぎった。泣き出したいほど胸が震えた。 学用品配給の籤引きで当たった、えんじ色の箱に入つた十二色サクラクレパスだった。私の宝物だった。

その日の前目、ハンカチに包んだクレパスと開墾用の鍬を持って登校した。クレバスは机の中に置いて三野公園下の旭川の中州に向かった。慣れない開塑と暑い陽の中を往復四キロも歩いて学校へ戻った私は、二階の教室へ寄る気にもなれず帰宅していた。

夜が白みかけたころ、ようや爆音は止み、機影も消えた。幸いみんなが最も心配していた隣の兵器廠も兵舎も被爆を免れた。家も家族も無事だった。

(中略)

人の波がいっとき途切れたときだった。煤けた顔の若い母規が晒のおんぶ紐で赤ちゃんをおんぶして、前を見やったまま裸足で歩いてきた。片手で小さな風呂敷包みを胸に抱きかかえ、他方の手を後ろに回し、赤ちゃんのお尻のあたりを支えていた。しかし弟と同じくらいの赤ちゃんは、胴体だけで頭は無かった。私は声も出なかった。祖母に駆け寄ったが、何といえばいいのやら、ただ祖母の胸に蹲っているだけだった。

低く垂れこめた空から、生ぬるい黒い雨がしょぼしょぼと降りだした。〈後略)


十歳の少女が引き受けるには、余りにもむごく、痛ましい体験です。いま、地球上のどの子どもも、決してこのような辛さを味わうことのない、平和で理性的な世界を築かねば、と強く思います。「集団的自衛権」の名のもと、他国(アメリカ)がひきおこした地球の裏側の戦争にまでも、「わが軍」を派遣して戦闘に参加させ、「殺し、殺される」事態を招来するアベ流の「積極的平和主義」はごめんこうむりたい。消費税引き上げ延期、アベノミクスの評価を問うなどとして、選挙の争点をぼかしながら、あわよくば2/3の与党議席を獲得した暁には、一気呵成に「明文改憲」に突き進む、なんてシナリオ、なおさらごめんですよね。

今日掲載のアジサイは、六月二〇日の深山公園。
またまた枚数が増えました。




深山公園のアジサイ2016

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今日はこれにて。


取り急ぎ、岡山空襲の日を走り読み、の巻 [今日の暦]

今日は何かと時間に追われる一日で、よほどブログ更新はお休みしようかと思ったのですが、「今日は何の日」の話題に一言触れないわけにはいかないと思い、取り急ぎ雑文を綴ります。
きょうは、「岡山空襲の日」です。
ウィキペディアの記事を借ります。


 岡山空襲(おかやまくうしゅう)は、第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)6月29日の午前2時43分から午前4時7分にかけてアメリカ軍により行われた岡山県岡山市に対する空襲。計画段階では戦略爆撃だったが、ほとんど無差別爆撃として実行された(後述)。この空襲ではアメリカ軍の爆撃機・ボーイングB-29およそ140機[1]が用いられ、空襲警報が出されず全くの不意打ちであったため死者が1737人にも及んだ。
6月29日には岡山市・佐世保市のほか宮崎県延岡市、福岡県門司市(現:北九州市門司区)が空襲を受け、夜には長崎県佐世保市が空襲を受けた(佐世保大空襲)。

ちょうど今、「第39回岡山戦災の記録と写真展‐空襲とわたしのまち岡山」と銘打って、岡山空襲の実相を伝える展示が、↓ここで明日まで催されています。、

岡山シティミュージアム/岡山空襲 展示室 - 岡山市

また、過去の展示の記録も見ることができます。

・2015年開催【第38回岡山戦災の記録と写真展】(PDFデータ)>>>

・2014年開催【第37回岡山戦災の記録と写真展】(PDFデータ)>>>

・2013年開催【第36回岡山戦災の記録と写真展】(PDFデータ)>>>

・2012年開催【第35回岡山戦災の記録と写真展】(PDFデータ)>>>

・2011年開催【第34回岡山戦災の記録と写真展】(PDFデータ)>>>

・2010年開催【第33回岡山戦災の記録と写真展】(PDFデータ)>>>

・2009年開催【第32回岡山戦災の記録と写真展】(PDFデータ)>>>

・2008年開催【第31回岡山戦災の記録と写真展】(PDFデータ)>>>

・2007年開催【第30回岡山戦災の記録と写真展】(PDFデータ)>>>

・2006年開催【第29回岡山戦災の記録と写真展】(PDFデータ)>>>



岡山空襲に先立つ六月二〇日の水島空襲について、去年はこれら↓の記事を書きました。

もう一つの「今日は何の日」

四歳の目に焼きつきし夏の空
ここには、四才で水島空襲を体験されたM先輩の「手記」を紹介させていただきました。
そして、先日は、一〇才で岡山空襲・終戦を体験された方々の手記をもとにした朗読/演劇に接する機会がありました。


概略は、この記事に書きました。

沖縄慰霊の日に思い出すこと(その3) 
今日は少し補足をしようと思います。
この朗読/演劇の原作は、 「操山高校五期生の会」のは、約二年の月日をかけて編集発行された手記「その時10歳の私は」。





実は、ちょっとしたいきさつから、我が家の本棚に、その冊子を一冊をおあずかりしています。



というのは、この本の編集・発行の中心を担われたお一人が、同業の先輩(しかも職場も長くご一緒していただきました)の高垣章二さんで、昨年夏の同業者の作品展(この記事参照七夕雑話、

)にこの本を出展されたのですが、片付けの際に、成り行きで私にしばらく保管をゆだねられたのでした。内容を拝読するにつけ、いつかこのブログで紹介したいものと思っておりましたが、このたびの演劇/朗読の機会は、良い潮時と言うべきでしょうか。

舞台の最初のシーンは、校庭らしき広々とした場所に壇が据えられていて、そこに校長が登壇し、全員起立の子どもたちに訓話をたれる場面です。

校長役は、私も親しい同行のお仲間で、地元で演劇活動にも取り組まれているIさんでした。しっかり板について、すごみさえ感じる演技でした。

原作本の冒頭にある「出征する教師を送る」と題された手記が元になっているようです。







天に代わりて不義を討つ、忠勇無双の我が兵は、歓呼の声に送られて、今ぞ出で立つ父母の国、勝たずば生きて還らじと、誓う心の勇ましさ

この歌はかっての日本陸軍の出陣の歌です。私の小学校時代のこの歡にまっわる悲しい出来事(思い出)を、お話ししようと思います。

私は父が満鉄(南満州鉄道株式会社)の技術者であった関係で中国(旧満州国)の撫順という所で生まれ、敗戦後日本に引き揚げて来ました。学校は満鉄の社員子弟のための学校でしたので、生徒は殆んど満鉄社員の子弟で仲間意識が強い集団でした。もちろん生徒は全員日本人でした。
そのような学校が昭和二十年頃から雰囲気が少し変わってきました。

ある日の朝、学校に登校すると学級担任が教室に来て、全員講堂に集合せよとの事、教室前の廊下に整列して識堂に行くと、上級生は全員すでに集つていました。四年生以上の生徒が全員集合すると、
校長と一人の教師が登壇し、校長の話が始まりました。

「まことにおめでたいことに、先生(校長と一緒に登壇した教師)は、お国のために出征されることとなりました。先生のご活躍を析って、本校の教師、生徒全員でお送りいたしましょう。」

そして儀式の最後に冒頭の陸軍の出陣の歌を全員で合唱し、万裁三唱しておめでたい儀式は終了しました。

教師を送る儀式は、この後度々行われ、戦争が激しくなってきたことを肌で感じることとなりました。



たまたま、昨日は、今年の作品展の展示作業日で、かの高垣章二さんも顔を見せておられ、短時間でしたがお話できる時間がありました。

岡山の小学校でも、満州の小学校ほどの儀式はなかったものの、途中で出征していく教師はあった。その後は、まだ十代の代用教員が補充した。とのことでした。

高垣さんの手記は、浦吉ゆかさんが、是非にと希望して朗読された由。最初の文章そのままではなく、朗読用に幾分加筆調整されたそうですが、手記の原文から少し引用させていただきます。







 あの日、あの炎

北の空だけ暗かった。 パラパラと幾つか燃えながら落ちてくる。一つの火がパッと幾つかに分かれて拡がり、また、拡がる。火は次々に落ち、拡がり、空を赤黒く染め、ゆっくりと落ちて来る。”あれが焼夷弾か、燃えながら落ちるんだ。何故あんなにゆっくりなんだろ〟道路わきに造られた防空壕が目に入る。慌てた母親が、私の腕を掴んで引き戻し、耳元で「そんな所に入ったら死んでしまう!」”でも空襲だよ?防空壕に入ると死ぬって?〟母の厳しい表情に思わず言葉を飲み込む。

大勢の人が、道幅いっばいに北に向かって急ぐ。”岡山に、こんなに人がいたんだ〟誰も大声では話さない。ただ急ぐ。”待てよ、あの火の弾は、頭上を通過して後ろの方に、南に流れていく。だから、北に向いて逃げてれば良いのか〟”でも、飛行機は何処かな?B29は?〟と探してみるが機影なし、爆音も聞こえない。と、またもや「何をキョロキョロしてるの!
しっかり歩きなさい!」

道の真ん中でメガホンを持つた男が「道を逃げるな!」

と怒鳴つている。服装から兵隊でも警察でもない、警防団か。”道を逃げるなって?〟「田圃に入つて散らばれ。 バラバラに逃げろ!」”そうか、そういうことか〟今度は私が母親を引っ張って田圃に降りた。

私は、家を出るとき〔あの靴〕で逃げようと決めた。 数日前くじで引き当てた新品の運動靴。 そのため靴紐を通したりと手間がかかった。手早く支度した母親が、外で待っている。っいに、「何をぐずぐずしてるの」と入つて来るや「何故そんなもの履く!」”だって、学級に二足だけ配給があったんだよ。くじで当てたんだ〟「バカね。そんな靴履いて」むっとした私は、”だったら、何を履くの!〟すかさず「長靴を履きなさい」″えっ、ナガグツ…〟と云いかけたが、逆らえる雰囲気ではない。
不承不承、長靴を履いた。

たしかに、まだ水こそ入つてはいないが、田植え前の田圃、〔あの靴〕で田圃に入る気にはならなかったろう。


こうして九死に一生を得て、避難先から戻ってくると、途中で風向きが変わったおかげか、家は奇跡的に焼け残っており、あの運動靴も無事。ところが、喜んで履いてみると、何日もしないうちに靴底が破れ、粗悪なボール紙がのぞく始末。落胆の顛末が思い出となったそうです。「運動靴一つが、どんなに貴重に思えたか、今の子どもにはわからないだろうね」と、笑っておられました。

浦吉ゆかさんについての話題も、興味津々でした。

高校演劇の全国大会は、県予選・中国大会を経て、翌年度行われるので、予選を勝ち抜いた有力メンバーが卒業して、新しい体制で挑むことになるのですが、玉野高校が初めて全国大会に出場したとき、浦吉さんは一年生で出場することになったとか。演目は「鬼よさらば」以前この記事で、ちょっと話題にしたことがありました。

昨日の「今日の暦」---「パパママバイバイ」のこと

こんな事を書いていました。







 手元には「鬼から鬼へ」と題する玉野高校演劇部創作脚本集(玉野高校演劇部OB会発行)という冊子がありましたので、改めてひもといてみました。若者の感受性と正義感の確かさに、深く励まされる思いがします。

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なお、冊子の「鬼から鬼へ」という標題は1979年の中国大会で優勝し、1980年の全国大会に出場した作品「鬼よさらば」と、1988年の中国大会で優勝し、1989年の全国大会に出場した作品「温羅のうら」にちなんだネーミングなのでしょう。後者は、古代吉備の国「鬼の城(きのじょう)」を本拠地とする鬼=温羅の伝説に題材を採り、平和に暮らしていた吉備王国の心優しい王が温羅(うら)であり、彼らを暴力によって滅ぼした大和朝廷の、歴史の偽造により、後に鬼に仕立て上げられたのではと問うのです


本題に戻ります。

すべてに渡ってご紹介もし、感想なども述べたいところですが、力に余ります。印象的なシーンだけをピックアップしてみます。







 人生最悪の日一愛犬チェリ-との別れ

ある日、町内会長さんが「犬をお国のために供出してください。別れが辛いでしょうがお願いしまずと玄関にに出た母に気の毒そうに云って帰られた。

隣の部屋で間いていた私は「おかあちゃん私いやよ、いやよ」と母のひざをたたいて泣いた。母の私の背中を摩って無言で泣いていた。

我が家の愛犬チェリーは、:私の誕生祝いにと父の会社 の人が贈つてくれた生後二ヶ月位の血統書付きの茶色の柴犬だった。私と同年で一緒に育った。雌なので兄がチェリーと名付けたそうだ。家族全員に良く懷きとても利口
で、家族の誰かが帰つて門に近付くと「ヮンー、ヮンー 」と鳴いて知らせた。

「お父ちゃん、チェリーは連れ.で行かれたらどうなるの」「淑子はもう三年.生だから本当の事を教えよう。戦争で寒い北国で戦つている長隊さんの防寒服に使われるんだよ」「じゃあチェりーは殺されされるの?」「そういう事に.なるな」苦しそうに父は俯いて腕を組んだ。私は目の前が真っ暗になった。

戦争は、一〇才の子どもたちの手元から大切なものを次つぎともぎ取っていき、岡山空襲は、いわばとどめに、街を、家を、家族を、友人を焼き尽くしました。

岡山市のHPに、市内に残る戦災の遺跡というページがあり、こんな記述があります。


 昭和20年6月29日市内中心部を焦土に変えた岡山空襲。
 65年以上経った今でも被災した建築物が各地に残っています。
 現地を訪ねると、当時の惨状を思い浮かべるとともに平和の尊さを感じずにはいられません。




(右写真は『岡山市史 戦災復興編』より)
 岡山市役所の焼け跡の写真
 岡山城石山門跡の写真  

5 岡山城石山門跡(丸の内一丁目)



 



 石山門は、廃城となった富山城(矢坂山)の大手門を移築したものと伝えられ、西の丸の石垣と南側の方形の石垣の上に渡り櫓を構えた櫓門で、石垣の間が通路になっていました。
 岡山城廃城の後も残り、天守閣と共に国宝に指定されていましたが、昭和20年(1945年)6月29日未明の岡山大空襲により焼失してしまいました。
 石垣に残る赤茶けた焼け跡が空襲の激しさを今に伝えています。




          平成8年3月説明板設置


 岡山城天守台の写真  

9 岡山城天守台(丸の内二丁目)



 



 岡山城の天守閣は慶長2年(1597年)に竣工、その外観から烏城または金烏城とも呼ばれ、戦災前は国宝に指定されていました。
 昭和20年(1945年)6月29日未明の岡山大空襲により市街地は焼け野原となり、天守閣は焼失、天守台の石垣も焼けて赤く変色してしまいました。
 その後、天守閣は再建され、石垣も一部が修復されたものの、今も焼けて変色したままであり、空襲の激しさを伝えています。




          平成9年3月説明板設置





岡山城も、後楽園も、再建されて現在はこの静かな穏やかなたたずまいを見せていますが、むごたらしく焼け焦がされたのでした。










東京大空襲についても、この記事(昨日の「今日の暦」ーーー3月10日のえとせとら)をはじめ何度か話題にしたことがありますし、イラク、シリア等への空爆のニュースにも、爆撃に焼かれる子どもたちのことが思われてなりません。大昔つくっていたhpの更新履歴に、こんな事を書きました。


  2003.2.15 トップページと作品のページを多少更新しました。

それにしても、イラク・朝鮮半島情勢は、人類史を逆戻りさせる愚劣さです。「ならず者国家」を成敗する先頭を、一番のならず者が突っ走るの図。泣くに泣けず笑うに笑えぬ出来損ない笑劇に、どこまでつきあわねばならないのでしょうか?

「空爆」は、民衆の側から見れば、「空襲」です。逃げまどう民衆を念頭に入れないアメリカの視点は、ベトナム以来変化なしということか?「戦場」が常に自国の外にあったアメリカにとって、逃げまどう民衆の姿はイマジネーションの限界の外にあるのかもしれません。

では、日本の姿勢はどうなの?「悪い政府」の統治下であろうがなかろうが、各地の大空襲とヒロシマ・ナガサキの辛酸を嘗めた日本の民衆の視座からは、「空爆やむなし」の結論は、生まれる余地のないもの。にもかかわらず、NATO傘下のヨーロッパ諸国に比べてさえもふがいない追随三昧。嘆かわしい限りです。



2003.2.26 フランスのリベラシオン紙のコラムは、ブッシュを裸の王様にたとえたと言います。前々からそう思ってました。「王様は裸だよ」の声を、率直に伝えてあげる方が忠義かつ親切というものでしょうに。「お美しい」「お似合いでげす」のおべっかを、自分ばかりか周囲にも強要する幇間(太鼓持ち)の罪は如何?リンク集を緊急編成しました。



2003.4.20 ブッシュさん、3歳児をひねりつぶして、「勝った勝った」と誇っても、誰も腹でケーベツするだけ。ただ、手のつけられない乱暴者のやることだから、顔をしかめて黙って見ているまでのこと。

でも、ブッシュさんは気づいているのかしら?あなたに突如「ならず者国家」の烙印をおされ、第2第3のイラクとしての標的にさらされるおそれを感じている国々が、このイラク戦から何を学ぶか?について。

「力こそ正義」という、ブッシュ流の新しい(実は西部開拓時代以前の未開野蛮な)むき出しの力の政策の前では、国連中心の国際秩序を誠実に遵守することは愚挙であり、ましてや国連査察に誠実に応じたり、大量破壊兵器の廃棄など馬鹿正直に実行するなどもってのほか。細菌兵器、化学兵器、核兵器、無差別テロ攻撃・・・いずれをとわず、物量に勝るアメリカに「軍事的」に対抗する道すなわち無限の軍拡の連鎖、憎悪と報復の連鎖への道をひた走るしかない、と、向こう見ずな破滅的な決意を促したに違いないことを。

ブッシュ=アメリカをジャイアンに喩えた人がいました。ジャイアンは、自分のコンサ-トを誰もが歓迎しているに違いないと信じているのでしょうね。メーワクに感じながら、「いや」と言い出せないのは、ジャイアンに正義が存するからではなく、彼の腕力をはばかる故であることは、誰もが知っています。知らぬはジャイアン一人でしょう、かわいそうなジャイアン。

そして、ジャイアンの正義は、彼の腕力を上回る力(ドラエモン由来の)によってついえ去るしかないのです。ジャイアン少年は、心底、真の友情を求めながら、たまたま他を圧する腕力と粗暴さを備えていたが故に、怯えと追従と憎しみをもって遇されるしかなかったのです。もしも彼が、平凡な腕力の少年であったなら、その純朴な個性はより好ましい輝きを増し、周囲から真に愛され、好ましい友情を獲得できたに違いないのに・・・。

リンカーンの国、ホイットマンを生んだ国、民衆愛と寛容な民主主義の伝統ある朗らかなアメリカが、なぜこんなにも野蛮で狭量なふるまいしかできないのでしょうか。ベトナム戦争への苦い反省も忘れたかのように。ソ連、東欧の自滅をへて、対立軸を失い、「一人勝ち」してしまったことの不幸なのでしょうか?ジャイアンの不幸、孤独との相似が、なにやら真実味を帯びてきました。

これを引用しながら、2013年秋のオバマよ!お前もジャイアンか!の記事ではこう続けて書いています。

 一方、アメリカは、オバマの登場で、人権と民主主義の方向に劇的に舵を切る大刷新が果たされるかと、世界中が期待しました。社会保険制度、医療制度の改善の分野では、たしかに大きな胎動を感じます。

でも、大量破壊兵器である化学兵器を使ったとして、シリアへの空爆に走る姿は、やはりジャイアンでした。「オバマよ、お前もか?」です。


さらに、アメリカCIAによる盗聴の標的が「友人」たちにまで向けられていたことに、激しい怒りが集中しています。


一方、我らが安倍さんは、アメリカのシリア空爆方針を受けて、8月28日の記者会見で、こう述べました。


「日本政府としては、シリアにおいて化学兵器が使用された可能性が極めて高いと考えています。化学兵器の使用はいかなる場合でも許されるものではありません。シリア情勢の悪化の責任は、人道状況の
悪化を顧みないアサド政権にあることは明らかであります。日本政府は、事態の改善のため国際社会と緊密に連携していきます。 」


そして、記者の質問に対しても、たびたび「国際社会との連携」を口にしました。



も、その国際社会はというと、国連は、ロシアと中国の反対で、武力行使に賛同することはなく、アメリカが頼りにしていたイギリスも、議会が武力介入を否決
し、ドイツも米国に協力せず、「国際社会」は総じてイラク空爆に批判的です。その状況の下で、国際社会と連携するとは、アメリカにきっぱりNOということ
でしょうが。日本はやっぱり、性懲りもなくスネ夫を演じるのでしょうかね。



そして、戦争法(安保法制)強行前夜の昨年夏、

ジャイアンとスネ夫に関する覚え書き、の巻

の記事でこう書きました。

 このころは、「安倍さん」と、漢字で表記していました。これまた感慨深いです。

引用だらけのつぎはぎ記事ですが、ひとまず、これにてオシマイ。

呆気なき記事消失や桜桃忌 [今日の暦]

今日、かなり力を入れて書いた記事が、また何かの弾みで消失しました。ほぼ完成間近になった頃、一歳児の求めに応じて近所を散歩して帰って、仕上げに取りかかろうとした矢先、何が起こったのか編集ソフトが緊急終了し、再起動してみると何のデータも残っていません。愚痴を言う元気もありません。

思い出して再構築するのは、又の機会に譲ります。

ですので、簡単に今朝の散歩のご報告です。

昨夜から今朝にかけて、かなりの勢いで雨が降っていました。心配だったのは。昨日掘りあげて軒下に乾かしているジャガイモが、雨のしぶきを浴びて濡れてしまっていること。家の中に持ち込んで、扇風機で乾かしたのち、新聞紙でくるんで冷蔵庫に保管することにしました。常用の冷蔵庫は日常の食材のために手狭ですので、いつもは電源を入れていない来客用の小型冷蔵庫におでまし願いました。入り切らない残りは、台所において、早めに使い切ることにします。

午前中傘を差して散歩してみました。「防塵防滴」のFuji FINEPIX s1を携行しました。

湖のようにも見えますが、水が張られた水田です。



直まきの田んぼでしょう。









こちらの田んぼは、田植えの準備が整っています。





こちらも、湖とも美枝舞うsが、目をこらすと、わずかに緑井との者が水面にぽちぽちと首をのぞけています。田植えが終わったばかりの苗が、雨による増水のために、見え隠れしているのでしょう。


この苗を機械で植えます。



あちらこちらで田植えが終わっています。



















昨日栗の花の写真を載せましたが、今日は、可愛い毬栗になっていました。




道ばたにほおずきの花が咲いていました。



今日は桜桃忌。

太宰治の誕生日ですが、多摩川上水に入水した遺体が発見された日でもあります。

『桜桃』の、後半の一節を引用します。

「涙の谷」

 そう言われて、夫は、ひがんだ。しかし、言い争いは好まない。沈黙した。お前はおれに、いくぶんあてつける気持で、そう言ったのだろうが、しかし、泣い
ているのはお前だけでない。おれだって、お前に負けず、子供の事は考えている。自分の家庭は大事だと思っている。子供が夜中に、へんな咳(せき)一つしても、きっと眼(め)がさめて、たまらない気持になる。もう少し、ましな家に引越して、お前や子供たちをよろこばせてあげたくてならぬが、しかし、おれには、どうしてもそこまで手が廻(まわ)らないのだ。これでもう、精一ぱいなのだ。おれだって、凶暴(きょうぼう)な魔物ではない。妻子を見殺しにして平然、というような「度胸」を持ってはいないのだ。配給や登録の事だって、知らないのではない、知るひまが無いのだ。……父は、そう心の中で呟(つぶや)き、しかし、それを言い出す自信も無く、また、言い出して母から何か切りかえされたら、ぐうの音(ね)も出ないような気もして、 

(中略)

生きるという事は、たいへんな事だ。あちこちから鎖がからまっていて、少しでも動くと、血が噴(ふ)き出す。

 私は黙って立って、六畳間の机の引出しから稿料のはいっている封筒を取り出し、袂(たもと)につっ込んで、それから原稿用紙と辞典を黒い風呂敷に包み、物体でないみたいに、ふわりと外に出る。

 もう、仕事どころではない。自殺の事ばかり考えている。そうして、酒を飲む場所へまっすぐに行く。

「いらっしゃい」

「飲もう。きょうはまた、ばかに綺麗(きれい)な縞(しま)を、……」

「わるくないでしょう? あなたの好(す)く縞だと思っていたの」

「きょうは、夫婦喧嘩でね、陰(いん)にこもってやりきれねえんだ。飲もう。今夜は泊るぜ。だんぜん泊る」

 子供より親が大事、と思いたい。子供よりも、その親のほうが弱いのだ。

 桜桃が出た。

 私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、見た事も無いかもしれない。食べさせたら、よろこぶだろう。父が持って帰ったら、よろこぶだろう。蔓(つる)を糸でつないで、首にかけると、桜桃は、珊瑚(さんご)の首飾りのように見えるだろう。

 しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐(は)き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。


この春実った、鉢植えの桜桃です。







今日はこれにて。

憲法記念日に家の中でひとり憲法を考える、の巻 [今日の暦]

今日は憲法施行69年目の、憲法記念日。
今年の11月3日には、公布70年を迎えます。
戦後70年・被爆70年の去年、憲法学者がこぞって「違憲」と指摘するなか、集団的自衛権容認の「戦争法」を数を恃んで強行したアベ内閣は、今度は「緊急事態条項」など戒厳令条項の導入をはじめとする明文改憲の動きをあらわにしています。選挙中はダンマリを決め込んで、選挙後にやりたい放題、のつもりでしょうが、その手は桑名の焼き蛤です。
先日、私の探鳥の師匠、M氏がメールをくださいました。
鳥の情報に添えてこうありました。
 私やKAさんKOさんは戦後の民主教育はじめから受けて育った世代です。小学校の入学前に教科書が無いので姉が自分たちが使った教科書に墨を塗って用意してくれていた所に新しい教科書が届きました。
姉の教科書は「ススメ ススメ、ヘイタイススメ」で始まりますが、新しい私の教科書は「よいこ よいこ みんなよいこ」で始まりました。2年か3年生の時に新しい憲法を学びました。
クラスの皆が戦争放棄のことを聞いて「ワーッ!ほんなら先生日本はスイスの様な国になるんかな」と大喜びをした様な記憶があります。これを押しつけだ等と言う人の気が知れません。沖縄その他の米軍基地こそ押しつけでしょう。この夏の参議院選挙は生徒として教師としてズーッと戦後の民主主義教育にかかわった者としてその真価が問われる事になりそうです。

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「すばらしい野天の五月のお祭りだ」、の巻 [今日の暦]

今日は5月1日 メーデーの日です。

1886年5月1日に、合衆国カナダ職能労働組合連盟(後のアメリカ労働総同盟、AFL)に結集するアメリカの労働者が、8時間労働制を要求してストライキに立ち上がったことがメーデーの始まりといわれます。

10数時間もの長時間労働を強いられていた労働者が、「仕事に8時間を、休息に8時間を、おれたちがやりたいことに8時間を!」(「8時間労働の歌」)と叫び、シカゴ、ニューヨーク、ボストンなど万人以上の労働者が、ストライキに立ち上がり、その結果、20万人あまりの労働者が8時間労働制をかちとったのでしました。

しかし、資本家側は8時間労働制が広がることを警戒し、権力をつかって反撃を強めます。運動の中心地だったシカゴでは、2日後の5月3日に機械労働者4人が警察官に射殺され、翌4日にはヘイマーケット広場で労働者の集会が襲撃を受け、多数の犠牲者が出るなどの事件が続いたのをきっかけに、資本家側は8時間労働の約束をほごにします。

 労働者側は、これにひるまず戦線を立て直し、ふたたびゼネストでたたかうことを決め、世界に共同行動を呼びかけました。これをうけて、「第2インターナショナル」は89年7月の結成大会で、1890年5月1日をアメリカの労働者と連帯し、世界各国で一斉に集会やデモをすることを決め、アメリカ、ヨーロッパ、中東欧、オーストラリア、ラテンアメリカなど世界各地で数十万の労働者が集会とデモをくりひろげました。これ以降、毎年5月1日に世界各国でメーデーが開催されるようになった。この日を「法律で8時間労働日を決めるよう要求する国際デモンストレーションの日とする」と決定しました。これが第一回メーデーでした。

 その後、戦前のメーデーは1935年の第16回までとりくまれましたが、36年の2・26事件で戒厳令が敷かれたのを機に禁止され、終戦後の46年の第17回メーデーまで、労働者はメーデーに結集する権利すらうばわれたままでした。

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またまた3月15日の蘊蓄、の巻 [今日の暦]

今日は3月15日。去年も一昨年も同じ題材の記事を書きました。

●「3月15日と『風立ちぬ』と馬酔木の三題噺(2014年)」

●「今日は何の日?(2015年)」



上の2015年の記事はこんな書き出しでした。


今日は3月15日。

今日の記事は、「3.15事件」を題材に書こうと思い、いろいろ構想を練ったのですが、 去年の3月15日付の「3月15日と『風立ちぬ』と馬酔木の三題噺」という記事と大幅に重複する内容であることに気づきました。自分が過去にどんなことを書いたか、覚えていないものですね。


その記事を少し引用します。


1828年、日本で初めて行われた普通選挙の直後の3月15日、無産政党の活動に危機感を抱いた田中義一内閣は、立候補した左翼活動家やその応援者たちにたいして、治安維持法違反容疑による一斉検挙を全国で展開しました。

当時、非合法状態にあった日本共産党や、労働農民党などの関係者約1600人が検挙され、狂暴な弾圧・拷問が加えられたのでした。

ここでも書いたとおり、「3.15事件」に取材した小説に、小林多喜二の「一九二八年三月十五日」があります。

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80年目のニイニイロク、の巻 [今日の暦]

2.26事件から80年だそうです。

今朝の地元紙『山陽新聞』(27面 くらし)には、「二・二六事件から80年 渡辺和子さんに聞く 平和は日々の暮らしから」というインタビュー記事が掲載されていました。

旧陸軍の青年将校らが武力反乱を起こした二・二六事件は、日本が戦争に向かった転機として昭和史に刻まれる。雪が縁側の高さまで降り積もったその日、9歳の少女は陸軍大将の父が凶弾に倒れるのを目の当たりにした 、、、。

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雛飾り草もむしりし雨水かな [今日の暦]

今日は暦の上では、二十四節気の一つ「雨水」。立春から数えて15日目頃とか。地下の虫たちが動き始めるという「啓蟄」までの期間を言うこともあるそうですね。

空から降る雪が雨に変わり、氷が溶けて水になる時季。草木が芽生え、農耕の準備を始める目安とされました。このあと、寒さがぶりかえすこともありますが、三寒四温を繰り返して、春に向かいます。

地方によっては、この日に雛人形を飾る風習もあるそうです。

これは、上の女の子の雛人形。ママの実家から贈っていただいたものですが、わが家に飾り付けしています。

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美しい国はいづこぞ紅梅忌 [今日の暦]



きょうは、地元出身の女流詩人永瀬清子さんの忌日で「紅梅忌」と呼ばれます。同時にまた、その生誕記念日でもあります。

現赤磐市(旧熊山町)松木の生家の向かいには、和気清麻呂の墓と伝えられる塚があり、それにあやかって「清」と名づけられたのだとか。梅の咲く頃生まれ、同じ日に亡くなられたのです。

今朝の地元紙『山陽新聞』の朝刊コラム「滴一滴」にこんな記事がありました。

 詩人の谷川俊太郎さん(84)は10代後半に詩を書き始めて間もなく、父の勧めで1冊 の詩集に出合い、衝撃を受けた。それが赤磐市出身の詩人、永瀬清子さん(1906~95年)の「諸国の天女」だったという▼「読んでしびれた」と谷川さん。今月14日、同市で開かれた永瀬さんをしのぶ詩の朗読会に参加し、語った。今年は永瀬さんの生誕110年に当たる▼女性が自由に生き方を選べなかった時代を生きた人である。婿を取って家を継ぐため、親が決めた人と結婚した。戦後、故郷で農業をしながら4人の子を育てた▼日中は農作業に精を出し、家族が寝静まった深夜に詩を書いた。産後の1、2カ月を除いて作品を詩誌に送り続けたという彼女にとって、詩作は生きることと同義だったのだろう▼〈諸国の天女は漁夫や猟人を夫として/いつも忘れ得ず想っている/底なき天を翔けた日を〉。各地に残る羽衣伝説に発想を得て、世の女性たちを「天女」と呼んだ。家族のために尽くし、自らの夢や理想は心に秘めて地上にとどまっているのだ、と▼女性の活躍が叫ばれ、女性の生き方が問い直されている今、あらためて注目されるべき詩人に思える。きょう2月17日は永瀬さんの誕生日。梅咲くころに生まれ、くしくも同じ日に亡くなった。彼女を慕う人々は命日をこう呼ぶ。「紅梅忌」と。 

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鳥殿に無沙汰侘ぶるや晦日節(みそかぜち) [今日の暦]

1月も今日で終わりです。古来「晦日節(みそかぜち)」と呼ばれ、 地方によっては、新しく餅 をついて神に供え、松の内に年始回りに行けなかった親類を訪問するなどのならわしがあるそうです。
しばらく、戸外の散歩をしていません。それ故、ここのところ、写真も撮っていません。ちょっと確かめてみたら、直近の撮影履歴は、1月20日。大阪に出かけた日でストップしています。
ひとつは、ここのところの、厳しい冷え込みと雨のせいです。また、こなすべき仕事がかさんで、余裕がないのも理由です。もう一つ、先日に記事でも触れましたが、出産を前にした娘のアッシーとして、スタンバイしている事情もあります。
最近の散歩と言えば、妊婦の散歩につきあって、ゆっくり歩いて近所のストアーに買い物に出かけたり、あるいは遠出して大規模店舗のフロアーを歩く程度です。

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凍風(いてかぜ)に露天風呂こそゆかしけれ千切れ千切れの湯気のまにまに [今日の暦]

今日は大寒。名前通りの冷え込みです。
先週末以来、しばらくご無沙汰いたしました。
身辺雑事に紛れて、ブログの訪問も更新も怠りました。
産休中の娘が、いよいよ臨月にさしかかりましたので、わが家で寝起きすることになりました。産院に連れて行くにも近く、産後のケアにも便利だろうということで、婿殿とはしばらく離ればなれで生活することになります。
適度な運動や散歩が大切なのでしょうが、最近、寒すぎて戸外を散歩ということになりません。と言うわけで、小さな買い物がてら、大規模ストアのフロアーを歩くお供をしたりしています。

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「薄氷は張つたりけり」、の巻 [今日の暦]

冬らしい冷え込みが続きます。待望の積雪を得てスキーシーズンの到来、と思ったのも束の間、あり得ないスキーバスの転落事故が、前途ある若者の命を奪いました。痛ましいことです。
事故の状況、原因は、目下調査中だそうですが、真っ先に脳裏にひらめいたとおり、「業界最安値」を売りに、苛烈なコスト競争を生き抜いてきた新参企業の陥りがちな暗黒面(ダークサイド)が、背後に存在しているようです。つまり、労働者の生活、労働条件、健康を削ることによって徹底したコストダウンをはかりつつ、最も大切にされるべき「安全」を二の次、三の次に追いやってしまっていたという、ありがちな(あってはならない)利潤追求体質が、それでしょう。
犠牲者の多くは、卒業・就職を前にした学生さんたちで、センター試験実施に伴う休講と、それに続く土日の休みを利用して、気心の知れた友人たちとともに、生涯記憶に残る楽しい想い出を、青春の一ページに刻むはずでした。むごく、残念なことです。ご冥福を祈ります。
ところで、今日1月17日は、阪神淡路大震災から二十一年目のメモリアルディです。
震災の起こった1995年は、大学入試センター試験は、1月14日・15日センター入試が実施され、その直後の1月17日、未曾有の地震災害が全国を震撼させたのでした。
この震災はたくさんの教訓を残しましたが、「関西では地震が起こらない」「日本は安全だ」などの、根拠のない「安全神話」が崩壊し、自然の猛威を前にして人類は微力であることが痛感させられたことは、なによりもまず銘記されなければならないでしょう。それだけに、人知の限りを尽くして天災に備え、安全を確保することの必要性が、痛切に自覚されたのでした。
これを契機に、利益追求や栄達や抗争や排他競争などよりも、生命の重みを再認識し、慈しみあい、いたわり合い、共同し合うことへと、人々の切実な思いが向かったのも、自然なことでした。「ボランティア元年」という言葉の誕生はそれを象徴していました。

(地震被害に加えて、悲惨な大津波と、人知の未熟をあざ笑うが如き原発事故が重なった2011年3月11日の東日本大震災は、その思いを、よりいっそう新たにさせました。悲しみはなお癒えず、復興もまだ道半ばであるのに、新たな安全神話を繰り出しながら早くも原発再稼働をすすめる勢力の、度し難い鈍感さ、想像力の欠如、脳天気ぶりは、あきれるばかりです。)

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あるじなき庭に蝋梅かおりたる [今日の暦]

今日は「小寒」。「寒の入り」だそうです。
それにしても、例年にない暖かさです。
遠くまで行かなくても、歩いて数分のご近所の庭に、ロウバイが咲いています。いつの頃からか空き家になっているようですが、今年も12月の早い時期に咲いているのを見つけました。いつでも写せると高をくくっているうちに、時期を過ぎてしまうかも知れないと思い立ち、カメラを持ってぶらりと出かけました。
すると、途中の木の枝に、見かけぬ鳥の姿がありました。
でも、持って出たレンズが、マクロレンズでしたから、豆粒にしか写りません。

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よのなかの災い去れや猿団子 [今日の暦]

今年もよろしくお願いします。


2016年1月1日



よのなかの災い去れや猿団子 kazg

古来、申年は、病や災厄が去る年と言われます。

今年こそ、世界中に、真に穏やかな平和と安心が訪れますように。

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存分に撮り納めして歳暮るる [今日の暦]


大みそかです。
これにちなんで書こうと思った蘊蓄は、なんと一昨年のこの記事に、いっぱい書いておりました。
大晦日の蘊蓄 その他

この記事では、井原西鶴の「大晦日定なき世の定かな」という句をひき、『大晦日あはぬ算用』という文章を話題にしました。また、これを下敷きに、太宰治が『新釈諸国噺』の冒頭に、『貧の意地』という短編を書いたことにも触れました。その太宰が、『新釈諸国噺』を高く評価していたことも書きました。
もうネタ切れです。
ちと強引に、話題を転じます。

西鶴の作品を現代風にアレンジした太宰の小説集『新釈諸国噺』の一編に、わが故郷「美作」が登場します。
西鶴四十七歳の作品『日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)』をもとにした「破産」という作品です。
こんな書き出しです。

むかし美作の国に、蔵合という名の大長者があって、広い屋敷には立派な蔵が九つも立ち並び、蔵の中の金銀、夜な夜な呻き出して四隣の国々にも隠れなく、美作の国の人たちは自分の金でも無いのに、蔵合のその大財産を自慢し、薄暗い居酒屋でわずかの濁酒に酔っては、
 蔵合さまには及びもないが、せめて成りたや万屋に、
 という卑屈の唄をあわれなふしで口ずさんで淋しそうに笑い合うのである。この唄に出て来る万屋というのは、美作の国で蔵合につづく大金持、当主一代のうちに溜め込んだ金銀、何万両、何千貫とも見当つかず、しかも蔵合の如く堂々たる城郭を構える事なく、近隣の左官屋、炭屋、紙屋の家と少しも変らず軒の低い古ぼけた住居で、あるじは毎朝早く家の前の道路を掃除して馬糞や紐や板切れを拾い集めてむだには捨てず、世には何染、何縞がはやろうと着物は無地の手織木綿一つと定め、元日にも聟入の時に仕立てた麻袴を五十年このかた着用して礼廻りに歩き、夏にはふんどし一つの姿で浴衣を大事そうに首に巻いて近所へもらい風呂に出かけ、初生の茄子一つは二文、二つは三文と近在の百姓が売りに来れば、初物食って七十五日の永生きと皆々三文出して二つ買うのを、あるじの分別はさすがに非凡で、二文を出して一つ買い、これを食べて七十五日の永生きを願って、あとの一文にて、茄子の出盛りを待ちもっと大きいのをたくさん買いましょうという抜け目のない算用、金銀は殖えるばかりで、まさに、それこそ「暗闇に鬼」の如き根強き身代、きらいなものは酒色の二つ、「下戸ならぬこそ」とか「色好まざらむ男は」とか書き残した法師を憎む事しきりにて、おのれ、いま生きていたら、訴訟をしても、ただは置かぬ、と十三歳の息子の読みかけの徒然草を取り上げてばりばり破り、捨てずに紙の皺をのばして細長く切り、紙小縒を作って五十組の羽織紐を素早く器用に編んで引出しに仕舞い、これは一家の者以後十年間の普段の羽織紐、息子の名は吉太郎というが、かねてその色白くなよなよしたからだつきが気にくわず、十四歳の時、やわらかい鼻紙を懐に入れているのを見て、末の見込み無しと即座に勘当を言い渡し、播州には那波屋殿という倹約の大長者がいるから、よそながらそれを見ならって性根をかえよ、と一滴の涙もなく憎々しく言い切って、播州の網干というところにいるその子の乳母の家に追い遣り、その後、あるじの妹の一子を家にいれて二十五、六まで手代同様にしてこき使い、ひそかにその働き振りを見るに、その仕末のよろしき事、すりきれた草履の藁は、畑のこやしになるとて手許にたくわえ、ついでの人にたのんで田舎の親元へ送ってやる程の珍らしい心掛けの若者であったから、大いに気にいり、これを養子にして家を渡し、(中略) 

けちを見込まれたこの養子でしたが、環境が変われば人柄も変わります。


 やがて隠居夫婦も寄る年波、紙小縒の羽織紐がまだ六本引出しの中に残ってあると言い遺して老父まず往生すれば、老母はその引出しに羽織紐が四本しか無いのを気に病み、これも程なく後を追い、もはやこの家に気兼ねの者は無く、名実共に若大将の天下(以下略)

思うがままの散財の挙げ句、蔵の金が底をつきます。
内蔵はからっぽでも、この年の瀬さえしっぽを出さずに、やりくりをすませば、来年になれば何とかなると、待ちかねた除夜の鐘を聞き、ほっとして女房に酒の支度を言いつけた時、眼光鋭い浪人が訪ねてきて、「さいぜん、そなたの店から受け取ったお金の中に一粒、贋の銀貨がまじっていた。取かえていただきたい。」と迫ります。
「もう店をしまいましたから、来年にしていただけませんか。」と切り抜けようとしますが、浪人は聞き入れず、大声を挙げて、「百両千両のかねではない。たかが銀一粒だ。これほどの家で、手許に銀一粒の替が無いなど冗談を言ってはいけない。おや、その顔つきは、どうした。無いのか。本当に無いのか。何も無いのか。」と近隣に響きわたるほどの高声でわめきます。万屋の窮状はすっかり知れ渡るところとなり、「わずか銀一粒で大長者の万屋ぐゎらりと破産。」
どこぞの国の末路を見るようです。もはやお蔵は空っぽ、借用証文ばっかりうずたかく積み上げられているけれど、らいねんになったら消費税引き上げで、なんとかやりくりしてみせると、庶民の財布を当てにして、法人税引き下げと史上空前の軍事費大盤振る舞いのお大尽。「ぐゎらりと破産。」の前に、放蕩息子にはお引き取り願いたいですな。

ところで、今日の本題はここから。
去年の大晦日関連の記事はこちらです。
大晦日のカワセミ
大晦日の散歩で、今年の撮り納め(鳥納め)。去年と同じような鳥に出会いました。
朝の光の中のコガモです。

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