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くさぐさの花一途かな梅雨晴れ間 [今日の「これなあに」?]

孫たちと一緒に倉敷市種松山公園に出かけたのが、もう一週間前のことになりました。冒険性満点の遊具や、坂道、階段の上り下りを楽しむ様子はお伝えしましたが、私の内々の目標)であったアジサイの撮影については触れないままでした。
実際は、目が離せない1歳児と2歳児の守りをしながらの行動ですので、思うようにカメラをいじっているわけにもいきません。それでもみずみずしいアジサイを楽しむことは出来ました。















アジサイは、近所の散歩道にもいろいろな表情を見せています。





アジサイは七変化という別名も持つようですね。

ランタナも、七変化と呼ばれる由。

グラジオラスがすっくと背筋を伸ばし」、生気に満ちた花を次々に咲かせています。





うっかり設定をいじってしまったようで、思いがけない色に写りました。ソリッドモノカラーという設定でしょうか?

ギボウシ。

ネムの花も満開です





ムクゲです。



ムクゲを見ると、この記事で書いたあれこれが、やはり改めて思われます。
散ってまた咲く無窮花や野分ゆく
高知の平和資料館・「草の家」学芸員藤原義一さんの著書「あなたに贈る短歌の花束」からの引用を再掲します。

日本の天皇が朝鮮を植民地にしていたころ、 植民勢力が朝鮮人に愛されていたムクゲを抑圧したことを「読んでいただけるかたに」で書きましたが、ここで、もう少し詳しく、 そのことを書いておきます。
植えることも、話すことさえ
『金夏日歌集 無窮花』(一九七一年二月一日発行。光風社)を読みました。
著者の名前は、キム・ハイル。無窮花は、ムグンファと読むのだと思います。ムクゲのことです。
著者は一九二六年(大正十五年)、朝鮮慶尚北道・桃山洞の一貧農の家に生まれました。そして、一九三九年(昭和十四年)、十四歳のころ、すでに朝鮮から日本に渡っていた父をたずねて、母と長兄夫婦、次兄らと日本に渡ります。
彼が生まれる前の一九一〇年、日本は日韓併合で朝鮮を植民地にしていました。
「あとがき」で、ムクゲについて、こう書いています。
「日本帝国主義の侵略とその統治下においては、 朝鮮民族が限りなく愛するこの花を、自分の土地に植えることも、またこの花について話すことさえ許されなかったのです。
こうした抑圧のなかで、 無窮花はなおのこと私たち朝鮮民族の心に生きつづけ、私は幼い時から祖母や母に無窮花の美しさをひそかに聞かされてきましたが、祖国朝鮮に私が生まれ育った時代にはついに見ることができませんでした」
日本は太平洋戦争を始めました。
長兄は日本海軍の軍属としてとられ、戦死します。
著者も東京の戦災の炎をかぶり、両眼失明しました。

さて、きょうのこれなあに?

オミナエシかしら?

だとすると、秋の七草?

女郎花はおなじみの難読漢字ですね。




もう一つ、これなあに?

路傍の花々も、一途にいのちを謳歌しているようです。

夕方から雨になりました。

きょうはこれにて。

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