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ひとまずの開通報告、の巻(3) [趣味]

前回記事は、未完成のまま、下書き保存したつもりが、うっかり公開してしまっていました。

改めて、続きを書きます。

L01Sに適合するSIMは「VoLTE対応ナノsim」であることに気づき、sim変更を依頼。送られてきたsimを挿入したところ、プロファイル設定はうまくいったけれども、どうしても回線につながらない、というところまで、前回書きました。

万事休す、まったくのお手上げで、今回の計画自体を諦めるしかないかと思いかけていた矢先、mineoのサポート記事に気がつきました。つまり、新しく送られてきたsimを、古いsimと差し替えるだけでsim変更が完成すると思い込んでいたのが早とちりで、「マイページ」からの「回線切替手続き」が必要だったのです(汗)この手続きを終えたら、呆気なく開通したのでした。

シリーズ「ひとまずの開通報告」、これにてオシマイ。 昨日は強い雨でした。 今朝の散歩は、晴れて朝日が顔を見せていましたが、足許や路傍の花は、ぐっしょりと雨の雫に濡れていました。

アジサイ、長い花期もそろそろ終わりかけでしょうか?

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チェリーセージ昨日の記事とは違う色の花です。
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コスモス
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ムクゲ
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八重のクチナシ。
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アガパンサス
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ヒャクニチソウ
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雨上がりの朝の田園風景。
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きょうはこれにて。


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ひとまずの開通報告、の巻(2) [趣味]

前回記事の続きです。

私が購入したホームルーターはこのタイプです。

au Speed Wi-Fi HOME WHITE L01s HWS32SWA

au Speed Wi-Fi HOME WHITE L01s HWS32SWA

  • 出版社/メーカー: KDDI
  • メディア: エレクトロニクス
このタイプも販売されていますが、、、品薄状態のようです。それに、前回記事にも書きましたように、AU回線を使ってみたい事情もあったので、、、、。(でも、結局は、両方とも同一の本体で、使用回線は関係ないらしいですが。)
UQ Speed Wi-Fi HOME L01 HWS31SWU WHITE

UQ Speed Wi-Fi HOME L01 HWS31SWU WHITE

  • 出版社/メーカー: UQ
  • メディア: エレクトロニクス
また、先代の機種もあり、中古で出回っている商品を入手する方法も考えてみましたが、なんのスキルもなく扱える方法ではないと、断念しました。
Huawei 【au版】Speed Wi-Fi HOME L01 HWS31MWA ホワイト

Huawei 【au版】Speed Wi-Fi HOME L01 HWS31MWA ホワイト

  • 出版社/メーカー: Huawei
  • メディア: エレクトロニクス
au回線を使える格安simといえば、mineo。というわけで、これを発注。
mineo エントリーパッケージ au/ドコモ対応SIMカード データ通信/音声通話 (ナノ/マイクロ/標準SIM/VoLTE)

mineo エントリーパッケージ au/ドコモ対応SIMカード データ通信/音声通話 (ナノ/マイクロ/標準SIM/VoLTE)

  • 出版社/メーカー: ケイ・オプティコム
  • メディア: エレクトロニクス
このパッケージでnet注文すると、手数料が割安でsimが送付されてくる、という仕組み。
L01Sの対応simサイズは[nano」simであることを確認して発注。送られてきたsimを、説明書通りに挿入し、電源ON。
そして、こんな記事を参照させていただきながら、いろいろ設定を試みます。
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けれども、どうやってもうまくいきません。
L01sとパソコンをLANケーブル、または無線でつないで、「プロファイル設定」しようと思っても、「デバイスがロックされました」とはねられます。この現象に苦しめられること10日あまり。
あきらめきれず、近所のauショップに持ち込んで「simロック解除ができますか?」と相談してみました。
店員さんは、親切に「この商品がSIMロック解除ができる商品かどうか調べてみます」といろいろ調べてくれた結果、「この商品はsimロック解除に対応していません」との答え。「やはりsimロックがかかっているのですか?」と問うと、さっきと同じ「simロック解除に対応していません」との答え。これ以上の説明を聞くのは難しいと判断してすごすごと帰ったのでした。
その後、あれこれ情報を確かめているうちに、最初読み流していた指摘に気づきました。
mineoによるL01sの成功例は、「VoLTE対応ナノsim」によるものでした。このVoLTE対応」というところを無視して、単なる「ナノsim」で接続しようとしていたことに気づいたのでした。(VoLTE対応」なんて言われてもわけわからんし)。
ちなみに、先代のL01機では「非VoLTE対応ナノsim」が適合だったようです。ああややこしい。
そこで、mineoのサポートページをさぐっていますと「SIMカード変更・再発行」ができることを知りました。 
指示される通り手続きをして、simカードの到着を待ち、新しいsimを挿入して、改めて「プロファイル設定」に挑みます。今度は、「デバイスがロックされました」表示が出ることこともなく、すんなり、プロファイル設定ができました。
大喜びで、インタネット接続を試みますが、どうやってもうまくいきません。赤色ランプ点灯の状態のままで、回線がつながらないのです。どこをどう探ってもこれへの対処法は見当たりません。
万事休す。
以下次回です。

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ひとまずの開通報告、の巻 [趣味]

以下の記事は、昨日書きかけて中断していたものです。
夜、小学生二人がお泊りで、そのおつきあいのためにパソコンに向かう余裕もなく、また中途からパソコンそのものも占領されたため、仕上げができないまま寝てしまいました。
遅ればせながらの掲載です。

今朝はまだ晴れていました。
路傍の花の種類が変わりました。
グラジオラス。


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擬宝珠。
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アガパンサス。
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ヒマワリ。
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チェリーセージ。
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早朝の田園風景。
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関東近辺では梅雨明けが報道されていましたが、中国地方では大雨警報や注意報が出されている地方もあります。郷里の父母宅へ行ってきましたが、昼前頃から、強い雨でした。
さて、今日の記事は、自慢話になります。エヘン。
ここのところ懸案だった実家のインタネット環境の改善が、ようやく目鼻が付きました。
旧式のモデムによるダイアルアップ接続で、ジーコジーコとインタネットにつなぐ方式では、「重い」、「遅い」、の上に最近では意外に課金もかさむようになり、「三重苦」状態からの脱却が宿題でした。
素人頭を悩ませて、いろいろ方策を考えました。
方策1 光回線に変えるーーー黄金の解なのですが、経費が難。→採用しない。
方策2 ISDN回線に変えるーーー基地局が遠いため、費用ほどにはこうかが期待できないはず。→採用しない。
方策3 携帯電話回線を使った接続の可能性を探る。
候補1 モバイルルーターを用いる案ーーー充電池の劣化など、故障例の報告あり、採用しない。
候補2 固定型ホームルーターを用いる案。
第1案 so-netの紹介による接続。WiMAX2+を利用。
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エリア検索してみますと、WiMAX2+のサービス圏内かどうか。微妙なのです。それと代金を勘案して、→採用しない。

第2案 ソフトバンクのかんたんwifi

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心は惹かれますが、辺地故、電波状態を考慮すると安定接続に不安がのこります。あと、代金も、考えて→採用しない。

第3案 auスマートポート
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 実家近くにauのアンテナが立っていますので、電波の強さは他の回線にまさると思われます。ただ、 経費が難。→採用しない。

第4案 格安SIMは使えないか?と考えての試行錯誤が、今日の記事のポイントです。
思わせぶりはこの辺までにして、結論です。
以下の方法で成功しました。
○使用したルーター機種名:Speed Wi-Fi HOME L01s au版
この機種は、HUAWEI社が製造してAUに提供しているもののようで、ほかに、Wimax仕様がある模様(前掲第1案)。
市場への出回り状態からも、値段からも、au版が一番入手しやすい模様。しかも、実質はどうやら同一品質らしい(たぶん)。
○利用した格安SIM:mineo au回線利用プラン
auの回線が利用できるのがこの社のアドバンテージです。
docomo回線を利用する格安SIMでもよいのでしょうが、電波状況を考えたとき、家の近くにアンテナ(中継局)があるauが確実かと考えた次第。

しかしこれが苦労の始まりだったかも?
以下次号といたします。

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アナログ人間の悪あがきは、今なお続くのだ!の巻 [趣味]

ホームページの更新実務をお手伝いしている教育系団体の事務所で、先日、現職女性教師の友人にお会いした際の雑談で、私のパソコン趣味の来歴を問われて、すぐには答えられませんでした。パソコンや情報機器などには「縁なき衆生」と、長らく思い定めてきたアナログ人間の私が、見よう見まねでパソコン環境に近づいたいきさつは、はっきり思い出せません。
職場で使用する必要からシャープ「書院」のユーザーとなった私は、自宅用にも、買い換え買い換えて3台ほどを使い継ぎましたが、最後に使った廉価版のラップトップ型のワープロに、何の不自由も感じてはいませんでした。
「書院」とのつきあいについては何度火書きました。たとえばこの記事。

吾、まさに「非公式」主義者なりき。

「正しいやり方」知りません。
損な性分だと思います。
素直じゃないのです。
小学校の時、先生に「聞くは一時の恥、聞かぬは一生(または、末代)の恥」という金言を教わり、まさに自分に当てはまると自覚したものの、生来、自分から問うたり、手ほどきを受けたりすることが、大の苦手というか、とにかく億劫なのです。
できれば人に聞かずに、自分で見つけたいのです。
私、折り鶴の正しい折り方知りません。でも、私流の折り方で、できあがりはそれっぽい折り鶴が折れます。
子どもの頃、折り方を人に聞くのが恥ずかしく、人の折り鶴を元にほぐして、折り跡通りにたどって折ってみて覚えたので、折り順が違い、できあがりも不格好です。
でも今更矯正できません。
私、キーボードの正しい指使いできません。
ワープロ(主にsharp書院)を、人より遅れて使い始めた頃、手ほどきを受けるのが恥ずかしく、片手でキーをたたいて文字入力を始めたのがそのまま癖になっています。改めて確かめてみると、私の使う指は、もっぱら、右手の中指と、左手の人差し指と中指だけ、、、、のようです。少なくとも句の段落は完璧にこの三分の指で打ちました。
「片手で、早撃ちだねえ」と、からかい半分に感心されたものです。
私、テンキーも計算機も、人差し指と中指で打ちます。
正しい指使い、覚えられません。いえ、本気で覚えようとしてません。
できれば、人が通る道は、避けて歩きたいのです。
そのためよく迷子になります。
定年後、カルチャーセンターとか健康教室とか、いろいろな「習い事」を勧められることもありますが、どうも、「習い事」は気が進みません。
が、ワープロそのものが衰退し、各メーカーとも市場から次々に撤退していったのが先だったか、周囲の流れに影響されて、デスクトップ型のウィンドウズパソコンを購入したのが先だったかはっきりしませんが、もどかしさいっぱいの茨の道がそのころ始まりました。「安物買いの銭失い」という警句の正しさを、いつも思い知らされるのが、私の購買傾向ですが、わかっちゃいるけどやめられないのです。この記事でも書きました。

じゃじゃ馬カメラもまた楽し

私のコンセプトはけちけち路線です。
でも子供の頃に教えられた「安物買いの銭失い」の格言通りの失敗を、繰り返しても懲りることなく、後悔の連続です。
最初のPC購入もまさにそれ。12月のボーナス商戦のまっただ中だったでしょうか、家電量販店の店頭に、メーカー希望価格の何割引かで残り1台並んでいた格安物件を、深い考えもなく買って帰ったのでした。
NEC9821CX2。キャンビーというニックネームで、かわいらしい蜂のマスコットキャラクターが、電化製品のような敷居の低さを演出していました。ステレオスピーカーも付属していて、高音質で音楽も動画も楽しめる、そしてこれ一台でTVも見えるし、マルチに楽しめる、、、はずでした。
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時はウィンドウズ3.1の時代。HDDは850mb。CPUは、ペンティウム75。そのほか、こんな仕様でした。
●CPU Pentiumプロセッサ(75MHz)
 ●PCIチップセット VLSI Supercore594(Wildcat) [PCI Rev:2.0]
 ●セカンドキャッシュ オプション(最大512KB)
 ●メモリ 標準8MB、最大128MB
 ●ウィンドウアクセラレータ CIRRUS LOGIC社製 GD5430 (VRAM:1MB)
本体に内蔵(ローカルバス接続)
 ●フロッピィディスク 3.5インチ x 1(3モード対応)
 ●CD-ROM 内蔵(4倍速)
 ●サウンド  PCM録音・再生機能、FM音源機能(86音源互換)
 ●汎用拡張スロット 3スロット
 ●FAXモデム専用スロット 1スロット(S15T、S17T型番は実装済み)
 ●本体外形寸法 355(W) x 385(D) x 126(H) mm
 ●本体重量(モデル名) 約7.6kg(S15)、約7.9kg(S17)
 ●発売 1995年6月
 ●備考 赤外線通信機能搭載(IrDA 115,200bps)
その非力さに気づく知識は皆無でした。そして、それ自体で自己完結した一体型パソコンという最大の特徴が、最大の欠点でもあったのです。
つまり、きわめて拡張性が乏しいというこの機種と格闘することが、私のパソコン入門期のすべてでした。
ウィンドウズ95のインストール、メモリの増設、cpuアクセラレータの装着HDDの増設、高速CDDの換装。モデムの装着。パソコン通信、インタネットの接続などなど、どれもこれも、ひとすじなわではいかない超難問でした。
たとえばHDDの換装もこんな具合。
何の記念かな?HDD換装。
パ ソコンを始めたばかりの頃、購入時に装着されていた850MB(メガバイト)のhddが手狭になって、ファイルの整理や圧縮に苦労した挙げ句、これに行き 詰まり、迷った末に、大枚をはたいて2GB(ギガバイト)の外付けSCSI (スカジー)を買い、これを起動ドライブにするための涙ぐましい苦労を、感慨深く思い出します。思えば、PCIバスもなくて、一定のレベルの転送速度で外 部機器を接続できるインタフェイスとしては、NEC独自の「Cバス」だけという仕様のNECPC9821パソコンで、これにSCSI (スカジー)ボードを差し込んで、やっとHDDが繋がるという、知恵の輪かパズルのような工作遊びは、楽しい遊びでした。
その頃、2GBのHDDの購入に、罪悪感を含んだ蜜の味を感じたものでしたが、いまや、その1000倍の2tb(テラバイト)!隔世の感が在りますね。
でも、このバカでかいHDDさえ、遠からず手狭になるだろうことも容易に予想でき、なかばあきれる思いで技術進歩の成り行きを注目しているところです。
安物買いの故に、相応のスキルアップが要求された「パソコン人生」だったようです。
ところで、目下の課題は、旧式モデムによるダイアルアップ接続でインターネットにつないでいる郷里の父のパソコンを、もっとましな環境に引き揚げられないかという難問。
これについては次回に続きます。今日はここまで。

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あれやこれやの備忘日録、の巻 [雑話]

「退職記念」(いえ、正確には、肺ガン手術成功記念)にこのブログを初めてから、5年近くになります。前回掲載記事で、記事数1501を数え、拙いブログにもかかわらず、大勢の方がご訪問くださり、感謝に堪えません。

そうした読者の方々のなかでも、おそらく毎記事をチェックしてくれている顔見知りが、確実に一人は存在します。今年91歳になった老父です。
パソコンは、PC9821時代から、私のお古を何代か使い継ぎ、今は中古のウィンドウズパソコンと、お古の ディスプレイとのセットで使ってもらっています。
田舎暮らしのこととて、ネット環境が整わず、今なおジーコジーコと懐かしい音がするモデムを使ったダイアルアップ接続で、インターネットにつないでいます。
インターネットの利用は、私のブログ閲覧がほとんど唯一のものだと言います。
初期の契約では、一定限度までは従量制で、接続時間に応じて課金されるがも、上限を越えると定額になるというコースを利用していたつもりですが、いつの頃からかそのコースが廃止になり、完全従量制に変更されました。そのため、時によるとつなぎっぱなしコースをも上真ある請求がくることも起こります。実際には考えられないほどの長時間使用上回る請求がくるのですが、あるいは「切断」がうまくできずに長時間の接続がカウントされることもあるのかもしれません。いっそつなぎ放題のコースを契約した方が安上がりかなどとと考えているうちに、つなぎ放題のコースも廃止されていました。
接続速度が半端なく遅いうえに、接続料金が馬鹿にならない、と来ると、他の接続方法を検討すべきかと、ここ1~2週間、頭を悩ませています。光回線に踏み切るには、「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」といった躊躇を禁じ得ませんし、isdnなどというちょっと旧式の接続方法も、「ベストエフォート」という方式がネックです。田舎のこととて、基地局までの距離が半端なく遠いのです。
という状況の中で、携帯電話の回線を用いて格安SIMでつなぐ方法はないかなどと、試行錯誤をくりかえしては挫折しています。
先週21日(木)も帰郷の際、お墓周りの草刈りついでに、いろいろいじってみましたが、うまくいきません。万事休して、もとの環境に戻そうとしたところ、ダイヤル発信音がありませんというコメントが表示され、にっちもさっちもいかなくなりました。万策尽きて、そのまま放置して帰ったのですが、なんとその夜から、父母宅の電話が不通になりました。こちからかけても呼び出し音がしないし、向こうからも一切発信できないのです。
困り果てて、もう一度帰郷したのが、23日(土)、やっとの事で電話回線は復旧しました(モジュラー線の接触不良のようでした)が、環境刷新はかないませんでした。
事態は少しも改善しませんが、もう一つチャレンジしてみたい方法があります、その件は又、後の機会に、、、。



小2の女の子が、貝殻集めに興味があるとかで、ばあばが海に連れて行き、浜辺で貝殻を拾ってきました。それを日光に乾かして、部屋の中に持って入ったのが24日(日)、その貝殻の中から、体長1mm以下の小さな生き物が這い出しました。「カニの赤ちゃん」と女の子が言います。虫眼鏡で見てみると、なるほどそのようです。他にも、小さな海の生き物らしいものが、乾いた環境を這い回っています。
小さなガラスビンに入れたそれらを、海に返しに行くことにしました。小5の男の子が同行しました。ついでに、磯辺を観察していると、ヤドカリやらカニやら、小さなハゼやらが見つかり、結局これらを、海水とともに小さなガラスビンにいれてもって帰ることになりました。500CCペットボトル2本文の海水も一緒に汲んで帰り、飼育ケースに放しました。
最近、カメラを持たず行動することが多く、記録撮影ができていません。
翌25日、追加の海水を汲みに、じいじ1人で出かけてきました。
梅雨の晴れ間が続いています。
小5生は、田植え体験。小2生はプール。水遊びが嬉しい夏の暑さでした。






飼育ケースに、海水を追加し、海砂も加えてやりました。



カニ君の記念写真です。



しばらく散歩写真も写していません。
田園は、すっかり早苗に彩られています。
これはきのうの早朝風景です。







今日は、午前中退職同業者の親睦会の打ち合わせ会、午後は年金裁判の傍聴と、なかなか多忙です。カメラ散歩はできませんが、会場移動等で7200歩余り。これをもって今日のウォーキングに替えることにしました。
今日はこれにて。

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「沖縄慰霊の日」にグスコーブドリを思う、の巻(3) [今日の暦]

冗長で読みにくかった前回記事を、分割して補筆しました。





県民の4人に1人が亡くなったという73年前の沖縄では、ブドリやネリが直面した一家離散の悲劇が、もっと大規模に、もっと残酷に子どもたちを襲ったのでした。

一家離散の悲劇といえば、「米国で不法移民の子2千人以上が親と引き離されている問題で、トランプ大統領は20日、不法入国で拘束された親子をともに収容するための大統領令に署名した。一方、不法入国者を訴追して収監する「ゼロトレランス」(不寛容)政策は続けるとしている。(朝日新聞degital)」そうです。
また、地元紙山陽新聞の6月22日付けコラムも、家族が引き裂かれる現代の悲劇を告発しています。

父親を過労自殺でなくした小学1年生が「ぼくの夢」という詩を書いている。大きくなったらタイムマシンをつくり、行きたい所があるという。〈お父さんの死んでしまう まえの日に行く そして「仕事に行ったらあかん」て いうんや〉▼「全国過労死を考える家族の会」のホームページで紹介されている。過労による突然死や自殺で大切な家族を失う人をこれ以上、増やしたくない。遺族らは1991年に会を結成し、活動してきた▼その家族の会が強く反対しているのが、政府が今国会での成立を目指す働き方改革法案である。

「お父さんの死んでしまう まえの日に行く」タイムマシン以外にも、「働き方改革法」が成立する「まえの日」に行くタイムマシン、「カジノ法」が成立する「まえの日」に行くタイムマシンを大勢の子どもたちが切望しなくてすむように、家族泣かせの悪法を成立させないたたかいこそが肝要でしょう。


ところで、戦争のない状態を平和と捉える「消極的平和」に対し、貧困、抑圧、差別などのない状態を「積極的平和」とする概念を唱えたのはヨハン・ガルトゥング博士でした。「平和とは、あたり前に生きること。その命を精一杯輝かせて生きること」(相良さん)という言葉は、まさにそれと相通じる明察でしょう。
以前、こんな記事を書きました。

「追伸」の補足と今日の愉快な鳥見散歩、の巻


憲法前文に明記された平和主義は、単に戦争や暴力のない状態を目指すだけではなく、 「専制、隷従、圧迫、偏狭、恐怖、欠乏」などの除去をめざしています。ノルウェーの社会学者ヨハン・ガルトゥングが、「戦争のない状態を平和と捉える『消極的平和』に対し、貧困、抑圧、差別など構造的暴力のない状態を『積極的平和』とする概念を提起」(ウィキペディア)したのと、軌を一にする先進性は、特筆されるべきものでしょう。
ウィキペディアは、そのヨハン・ガルトゥング氏のコメントを次のように紹介しています。

 安倍政権の掲げる積極的平和主義に関して、ガルトゥングは「安倍首相は『積極的平和』という言葉を盗用し、私が意図した本来の意味とは正反対のことをしようとしている」「私が1958年に考えだした「積極的平和」の盗用で、本来の意味とは真逆だ」「積極的平和は平和を深めるもので、軍事同盟は必要とせず、専守防衛を旨とします。平和の概念が誤用されています」と述べ、さらに「積極的平和は全く軍事的なものではない」として、「安全保障関連法案は、平和の逆をいくものです。成立すれば、日本は米国と一致協力して世界中で武力を行使していくことになるでしょう。そうなれば、必ず報復を招きます。日本の安全を高めるどころか、安全が脅かされるようになります」と批判している。

 アベさんがひねり出した造語「積極的平和主義」は、海外では“Proactive Contributor to Peace”(「平和への積極的な貢献」)などと翻訳され、平和学における「積極的平和」(Positive Peace)とははっきり区別されているそうです。なんと、わが外務省も、総理の会見などの英訳で“Proactive Contributor to Peace”という表現を使っているそうですね。(フリージャーナリスト志葉玲さんのこの記事=安倍首相は「積極的平和」の意味を理解できていないので、戦場ジャーナリストが懇切丁寧に指導しますよ!志葉玲参照)

「積極的平和」という概念をイメージしようとするとき、宮沢賢治のしばしば用いた「本当の幸い」という言葉を思い出します。

・みんなのほんたうの幸福を求めてなら私たちはこのまゝこのまっくらな海に封ぜられても悔いてはいけない。(「宗谷挽歌
・全く全くこの公園林の杉の黒い立派な緑、さはやかな匂い、夏のすゞしい陰、月光色の芝生がこれから何千人の人たちに本当のさいはひが何だかを教へるか数えられませんでした。(「虔十公園林」)
・「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」
「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。
「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。(「銀河鉄道の夜」)

「グスコーブドリの伝記」の末尾の文章にも、この「みんなの本当の幸い」というテーマが読み取れるように思います。

けれどもそれから三四日たちますと、気候はぐんぐん暖かくなってきて、その秋はほぼ普通の作柄になりました。そしてちょうど、このお話のはじまりのようになるはずの、たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かいたべものと、明るいたきぎで楽しく暮らすことができたのでした。


「このお話のはじまりのような」、穏やかで楽しく美しい森の暮らしぶりこそ、中三の少女相良さんが言い当てた、「平和とは、あたり前に生きること。その命を精一杯輝かせて生きること」そのものの具体的あらわれでしょう。それと真逆の方向へと進むアベ政治の、劣化し腐敗しきった逆立ちを根本的に正して、「みんなの本当の幸い」にむかう政治がいまほど切望されるときはありません。

今日はこれにて。



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「沖縄慰霊の日」にグスコーブドリを思う、の巻(2) [今日の暦]

先日、NHKの早朝ラジオ番組「ラジオ深夜便」で聴いた、仲代達矢が読む(演じる)宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」について、触れてみたいと思っていました。

昨日の沖縄慰霊の日に朗読された相良倫子さん(今年)、安里有生君(5年前)の詩が、連想を呼びました。

「グスコーブドリの伝記」は、過去の記事でも、話題にしたことがあります。

イーハトーブのパクリです、の巻。

先日のこの記事に、momotaro様からありがたいコメントをいただきました。
 こちらをお訪ねするといつも驚きます。多様な生物に溢れているので。
海辺で山があるからなのでしょうが、まるで別世界です。
ふと、ナードサークとはどういう意味なのかなぁと思って検索してみました。するとずらっとこのブログ関連のことが出てきました。ということは、これは一般用語ではないのでしょうか。宮沢賢治の小説に出てきそうですが…
機会がありましたら教えてください、恥ずかしながらお尋ねします!

わたしの思わせぶりなブログタイトル「ナードサークの四季」の名づけに関して、興味を持っていただき、検索までしていただいたとのこと。恐縮至極です。
取り急ぎ、以下のコメントをお返ししましたが、あるいは、ほかの読者の方にも同様お手数をおかけするかも知れないと思い、再掲することにします。
> 多様な生物に溢れている
コメントいただいて、改めて思い至りました。日頃は有り難みに気づきませんが、ほとんど近隣エリアで、あれこれの生き物に会えるのは幸せなことです。
> ナードサークとは
お手間を取らせて申し訳ないです。全くのでっち上げの造語ですm(_ _)m ゴメンナサイ
ご推察の通り、宮沢賢治が岩手をモチーフに「イーハトーブ(イーハトヴォ)」という理想郷を想い描いたのにあやかって、わが居住地の地名をもじってみました。2003年頃から数年間、見よう見まねで作って遊んでいたホームページに、「ナートサークの四季」と名づけた写真コーナーを置いたのが始まりです。その後、「平成の大合併」のあおりで、もとの地名は消滅してしまいましたが、、、。
> 恥ずかしながらお尋ねします!
恥ずかしながらお答えしました(汗) 

上述のホームページ(現在は存在しません)には、宮沢賢治の作品「グスコーブドリの伝記」に関する紹介文を、載せていました。以前、高校生向けに書いたものをもとにしています。参考までに再掲させていただきます。

 
宮沢賢治というと、「注文の多い料理店」だとか、「風の又三郎」だとかの沢山の童話を思い出す人も多いだろう。また、彼の死後、発見された手帳にメモ書きしてあったという、次の詩も有名だろう。 
雨ニモマケズ/風ニモマケズ/雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ/丈夫ナカラダヲモチ/欲ハナク/決シテ怒ラズ/(中略)/アラユルコトヲ/ジブンヲカンジョウニ入レズニ/東ニビョウキノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ/西ニツカレタ母アレバ/行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ/南ニ死ニサウナ人アレバ/行ッテコハガラナクテモイイトイヒ/北ニケンクヮヤソショウガアレバ/ツマラナイカラヤメロトイヒ/ヒデリノトキハナミダヲナガシ/サムサノナツハオロオロアルキ/ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセズクニモサレズ/サウイウモノニワタシハナリタイ
 この詩は、あの侵略戦争のさなか、「欲しがりません勝つまでは」のスローガンとともに、国民全体に犠牲と我慢を強要した戦争推進勢力によって、もてはやされ、利用されたが、それは、賢治の本意とは正反対のものだった。賢治は、「憎むことのできない敵を殺さないでいいように早くこの世界がなりますように、そのためならば、わたしのからだなどは、何べん引き裂かれてもかまいません」(烏の北斗七星)と考える人であって、戦争遂行のために、欲のない柔順な「デクノボー」であれと説教を垂れるような人間ではなかった。
 賢治のふるさと岩手は、北海道を除くと日本一の面積をもちながら、畑や田圃にできる土地は少なかった。山林が多く、それも大半が国家と皇室の所有だった。農家の平均耕地は50アール以下。農家でありながら米が食えず、生まれた赤子を“間引き”したり、娘を身売りする例も少なくなかった。
しかも、稲が実らぬ「寒い夏」が、たびたび発生し、数年に一度の割合で凶作に見舞われた。
 賢治は、この貧しい農村で、質屋と古物業を営む資産家の長男として生まれた。賢治が、物事をつきつめて考えず、与えられた地位に安住する人間であったなら、富裕な旦那衆のひとりとして悠々と人生をエンジョイすることができたかもしれない。しかし、彼の知性と人生にたいするきまじめさは、貧しい農民の犠牲のうえに成り立っている宮沢一家の繁栄に無批判ではいられない。
 父親と対立しながら、みずからの意志で盛岡高等農林学校(今の岩手大学農学部)に主席入学し、科学的農業のありかたを学んだ彼は、助教授としての研究生活への薦めを断って、貧しい東北農民の幸福のために身を捧げる道を選ぶ。彼をつき動かしたものとして、熱心な仏教徒としての信仰心が指摘されるが、その背後には東北農民の貧困という現実への憤りと農民への共感があった。
 賢治は、その童話のなかで、岩手をイーハトーブ、盛岡をマリオ、仙台をセンダートなどと呼び、独特の世界を作り上げた。グスコーブドリは、イーハトーブの木こりの子どもで、ネリという妹がいた。ところが飢饉になって、ブドリの父も母も、子のために、自分たちは食物をとらず、森の中に姿をかくして死んでしまう。妹のネリも知らない男に連れ去られ、行方不明になる。
 残されたブドリは、大人たちにだまされたり脅されたりしながら成人し、クーボー大博士の信頼を得て火山局に努めることになる。老ペンネン技師に学んだ彼は、電気で肥料とともに雨を降らせるなど、農業の発展に貢献する。行方不明のネリとも再会でき、楽しい日々が訪れる。
しかし、ブドリが27歳のとき、またあの恐ろしい寒波がやってくるとの予報が出た。火山島を爆発させれば、空中の炭酸ガスが増え、気温を高めることができると、彼は提案する。しかし、そのためには最後の一人が島に残らねばならない。その役を買って出たブドリにクーボー博士は言う。
 「それはいけない。君はまだ若いし、いまの君の仕事にかわれるものはそういない。」 「私のようなものは。これから沢山できます。私よりもっともっと何でもできる人が、私よりもっと立派にもっと美しく、仕事をしたり笑ったりして行くのですから」
63歳のペンネン技師が「僕がやろう」というのをふりきり、火山を爆発させて、ブドリは死ぬ。童話は、「そして、たくさんのブドリのお父さんやお母さんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かいたべものと、明るい薪で、楽しく暮らすことができたのでした」と結ばれる。
 賢治は、花巻農学校の教師として、数学・農業・化学・英語・気象・稲作実習など、国語以外のすべてを教え、農村青年と生活をともにした。彼は、単に授業をするだけでなく、よい音楽を聞かせ、西洋美術の複製を見せ、自分で作詞作曲したミュージカルをやらせたりもした。農業実習が終わると、川に行って泳ぐ、泳ぎ疲れると、賢治を囲んで、みんなが話を聞く。石や鉱物や、地質学や、鮎や魚の話。
 そんなとき、賢治は突然言った。「人間はなぜこの世に生まれたか?」
「私はこの問題を、こんな風に考えています。人間はなぜ生きるかということを知らなければならないために、この世に生まれてきたのです。そして、この問題を本気になって考えるか考えぬかによって、その人の生存価値が決定すると思います」
 賢治は、「わたくしにとって、実に愉快な明るいものでありました」という4年4カ月の教師生活に、別れを告げる。農学校に来れるのは、農民と言っても比較的裕福な自作農の子弟だ。大多数の農民は、無知のまま、貧困のまま放置されている。農業学校だけでは、この貧しい農村を豊かにできない。農民が百姓仕事を
しながら、芸術をも楽しむゆとりを持つにはどうすればよいのか。
 賢治は、自分自身農業に専念しながら、近在の農民に、肥料や稲作について無料で
指導する毎日を送ることになる。金持ちの息子の道楽と思われることを嫌った彼は、仕事に出るのはだれよりも早く、また、一人でもたの農民が残っていれば、その人が帰るまで、仕事をやめなかった。個々の農民の相談に応じて、2000枚もの肥料設計を書いてやった。菜食中心の粗食に耐え、時にはトマトを何個かかじるだけの日もあった。ついに、過労のため、結核になる。しかし、少し調子がよいと、畑仕事をしたり、農民の相談にのったりするから病気は治らない。
 一九三三年九月、急性肺炎の高熱をおして、板の間に正座して長時間の相談に応じたのがもとで、病状悪化し、生命を閉じる。三七歳だった。
 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(農民芸術概論綱要)ー---賢治の信念であり、自らに課した戒めでもあった。
参考:戸石泰一エッセイ集「愛と真実」、吉村英夫「ワクワク近代文学八話」


上の紹介文は、それなりに要点を押さえているとは思います。それ故、敢えて再掲させてもいただいたわけですが、ラジオ深夜便での仲代さんの読みを聞いて、自分のこれまでの読解がいかに浅く表面的だったかを、いたく感じさせられました。
何しろ、作品の冒頭部分からして、牧歌的で懐かしい、幸せなりし幼時を描いた場面として、それなりの印象を持っては読んだのですが、仲代さんの読みは、まったき宇宙としての森の豊饒さと、そこに暮らすブドリの家族の、生命の喜びに満ちた日々を活き活きとイメージさせるものでした。ああ、そのゆえにこそ、抗うことのできない飢饉のむごさ、一家離散の無惨、自然の猛威による蹂躙への無念さが際立つのだと、改めて感じました。かけがえのない大切なものが、眩しいほどのかがやきをもって描かれてこそ、ブドリの身を捨てての献身の意味が薄っぺらなものでなくなるのです。

一 森
 グスコーブドリは、イーハトーヴの大きな森のなかに生まれました。おとうさんは、グスコーナドリという名高い木こりで、どんな大きな木でも、まるで赤ん坊を寝かしつけるようにわけなく切ってしまう人でした。
 ブドリにはネリという妹があって、二人は毎日森で遊びました。ごしっごしっとおとうさんの木を挽ひく音が、やっと聞こえるくらいな遠くへも行きました。二人はそこで木いちごの実をとってわき水につけたり、空を向いてかわるがわる山鳩の鳴くまねをしたりしました。するとあちらでもこちらでも、ぽう、ぽう、と鳥が眠そうに鳴き出すのでした。
 おかあさんが、家の前の小さな畑に麦を播いているときは、二人はみちにむしろをしいてすわって、ブリキかんで蘭の花を煮たりしました。するとこんどは、もういろいろの鳥が、二人のぱさぱさした頭の上を、まるで挨拶するように鳴きながらざあざあざあざあ通りすぎるのでした。
 ブドリが学校へ行くようになりますと、森はひるの間たいへんさびしくなりました。そのかわりひるすぎには、ブドリはネリといっしょに、森じゅうの木の幹に、赤い粘土や消し炭で、木の名を書いてあるいたり、高く歌ったりしました。
 ホップのつるが、両方からのびて、門のようになっている白樺しらかばの木には、
「カッコウドリ、トオルベカラズ」と書いたりもしました。

前掲の紹介文で、私が「ところが飢饉になって、ブドリの父も母も、子のために、自分たちは食物をとらず、森の中に姿をかくして死んでしまう。妹のネリも知らない男に連れ去られ、行方不明になる。」とあっさり書いた内容は、決して外れてはいないでしょうが、仲代さんの朗読は、重さ、むごさに胸をかきむしられる思いを募らせる迫真性でした。

記事をここでいったん中断し、続きは次回に譲ります。



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共通テーマ:日記・雑感

「沖縄慰霊の日」にグスコーブドリを思う、の巻 [今日の暦]

今日は戦後73年目の「沖縄慰霊の日」。
過去にもこんな記事を書きましたが、今日もまた思いは同じで、同工異曲の記事になりそうです。

沖縄慰霊の日に思う


沖縄慰霊の日に思い出すこと。


沖縄慰霊の日に思い出すこと(その2)


沖縄慰霊の日に思い出すこと(その3)


沖縄慰霊の日に思い出すこと(その4 最終回)

今日の「毎日新聞web版」は,こんな記事を伝えています。

追悼式では、沖縄県浦添市立港川中学3年の相良倫子(さがらりんこ)さん(14)が、自作の平和の詩「生きる」を朗読した。沖縄戦を生き抜いた曽祖母の体験を聞き、「平和とは、あたり前に生きること。その命を精一杯輝かせて生きること」と考えた。生まれ育ったこの美しい島から伝えたい。「鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。命よ響け。生きゆく未来に。私は今を、生きていく」
相良さんの詩は県平和祈念資料館が募った「平和の詩」971点の中から選ばれた。
 うるま市に住む94歳の曽祖母は戦前から理容店で働き、地上戦を体験。友人が目の前で被弾して命を落としたことや家族と離ればなれになった話を聞き、相良さんは「戦争の残酷さを感じた。曽祖母の存在から平和や戦争について考える機会が増えた」と振り返る。
 5月に曽祖母が入院したことで、「生きる」を詩のテーマに決めた。「優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた」「青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった」。作品では「戦争の残酷さがより伝わる」と美しい島の現在の情景と73年前の戦場を対比的に描いた。
 「戦争は人を鬼に変えてしまうから絶対してはいけない」と教えてくれた曽祖母。「この詩が一人でも多くの人に平和や戦争について考えるきっかけになってほしい」と願う。「一日一日を大切に。平和を想って。平和を祈って。なぜなら、未来は、この瞬間の延長線上にあるからだ。つまり、未来は、今なんだ」【佐野格】

また、同じく今日の「朝日新聞web版」は、相良さんの詩の全文を掲載しています。長い詩ですが引用させていただきます。

私は、生きている。/マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、/心地よい湿気を孕(はら)んだ風を全身に受け、/草の匂いを鼻孔に感じ、/遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。
私は今、生きている。
私の生きるこの島は、/何と美しい島だろう。/青く輝く海、/岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、/山羊(やぎ)の嘶(いなな)き、/小川のせせらぎ、/畑に続く小道、/萌(も)え出づる山の緑、/優しい三線の響き、/照りつける太陽の光。
私はなんと美しい島に、/生まれ育ったのだろう。
ありったけの私の感覚器で、感受性で、/島を感じる。心がじわりと熱くなる。
私はこの瞬間を、生きている。
この瞬間の素晴らしさが/この瞬間の愛(いと)おしさが/今と言う安らぎとなり/私の中に広がりゆく。
たまらなく込み上げるこの気持ちを/どう表現しよう。/大切な今よ/かけがえのない今よ
私の生きる、この今よ。
七十三年前、/私の愛する島が、死の島と化したあの日。/小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。/優しく響く三線は、爆撃の轟(とどろき)に消えた。/青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。/草の匂いは死臭で濁り、/光り輝いていた海の水面は、/戦艦で埋め尽くされた。/火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、/燃えつくされた民家、火薬の匂い。/着弾に揺れる大地。血に染まった海。/魑魅魍魎(ちみもうりょう)の如(ごと)く、姿を変えた人々。/阿鼻叫喚(あびきょうかん)の壮絶な戦の記憶。
みんな、生きていたのだ。/私と何も変わらない、/懸命に生きる命だったのだ。/彼らの人生を、それぞれの未来を。/疑うことなく、思い描いていたんだ。/家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。/仕事があった。生きがいがあった。/日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。/それなのに。/壊されて、奪われた。/生きた時代が違う。ただ、それだけで。/無辜(むこ)の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。
摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。/悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。/私は手を強く握り、誓う。/奪われた命に想(おも)いを馳(は)せて、/心から、誓う。
私が生きている限り、/こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。/もう二度と過去を未来にしないこと。/全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。/生きる事、命を大切にできることを、/誰からも侵されない世界を創ること。/平和を創造する努力を、厭(いと)わないことを。
あなたも、感じるだろう。/この島の美しさを。/あなたも、知っているだろう。/この島の悲しみを。/そして、あなたも、/私と同じこの瞬間(とき)を/一緒に生きているのだ。
今を一緒に、生きているのだ。
だから、きっとわかるはずなんだ。/戦争の無意味さを。本当の平和を。/頭じゃなくて、その心で。/戦力という愚かな力を持つことで、/得られる平和など、本当は無いことを。/平和とは、あたり前に生きること。/その命を精一杯(いっぱい)輝かせて生きることだということを。
私は、今を生きている。/みんなと一緒に。/そして、これからも生きていく。/一日一日を大切に。/平和を想(おも)って。平和を祈って。/なぜなら、未来は、/この瞬間の延長線上にあるからだ。/つまり、未来は、今なんだ。
大好きな、私の島。/誇り高き、みんなの島。/そして、この島に生きる、すべての命。/私と共に今を生きる、私の友。私の家族。
これからも、共に生きてゆこう。/この青に囲まれた美しい故郷から。/真の平和を発信しよう。/一人一人が立ち上がって、/みんなで未来を歩んでいこう。
摩文仁の丘の風に吹かれ、/私の命が鳴っている。/過去と現在、未来の共鳴。/鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。/命よ響け。生きゆく未来に。/私は今を、生きていく。

この詩を読む前に,私は今日のブログ記事をこう書き起こそうとしていました。
今朝(6/23)の地元紙「山陽新聞」のコラムに、こんな詩が紹介されていました。

おともだちとなかよし
かぞくが、げんき
えがおであそぶ。
ねこがわらう。
おなかがいっぱい
ヤギがのんびりあるいている

コラムはこう続きます。

沖縄全戦没者追悼式で5年前、作者の安里有生君が朗読した詩「へいわってすてきだね」だ。純粋で真っすぐなことばは、人気絵本作家の長谷川義史さんにも響き、絵本になった。(中略)▼世界に目を転じると,笑顔で遊べず、おなかをすかせた子どもたちがまだまだいる。冒頭の詩はこう結ぶ。「へいわがつづくようにぼくも、ぼくのできることからがんばるよ」。まずは大人が頑張らねば。

6歳(当時)の少年の思いと、14歳の少女の思いの切実さが、等しく胸を打ちます。平和とは、平和の願いとは、決して抽象的な飾り文句ではなく、子どもたちがその手で掴み、五感で感じ取ることのできる、具体的でシンプルな実体でなければなりません。「平和とは、あたり前に生きること。その命を精一杯輝かせて生きること」けだし至言です。

以下、次回に続きます。



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そんなに急いでどこへ行く、先は地獄か煉獄か?の巻 [折々散歩]

一昔前「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」という交通標語が流行りました。
昭和48(1973)年の全国交通安全運動の標語募集で総理大臣賞を受けた、高知県土佐署のお巡りさんだった岡本定之助さんの作品だそうです。
現在開催中の国会、捏造データにもとづいた「働かせ改革」法案に加えて、「IR」とオシャレなお化粧で飾ったバクチ解禁法案まで、会期延長してまで成立を急いでいます。そんなに急いでどこへ行く??と疑問は募ります。
アベさん、今通常国会を「働き方改革国会」と位置づけてきただけに、森友・加計をはじめ自分の不始末への追及で国会が明け暮れて、目玉法案を成立させられなかったときては、面目も立たず、秋に予定される総裁繊維も不利に働くとの計算から、なりふり構わず強行をはかろうとしているとの、評論家の皆様の指摘は、まったくさもありなんと合点できます。
でも、自民党内や支持者層にも反対の意見が根強いというカジノ(賭博場)法案を、なぜこんなに頑なに成立を急ぐのか,正直のところ疑問でした。
が、「リテラ」のこの記事は、見事にその謎を解いてくれました。
働き方改革は今国会の目玉
安倍首相「カジノ法案」強行の背景にトランプの意向! 日米首脳会談に米カジノ企業トップ3人が同席

このカジノ法案は、刑法で禁じられている賭博場であるカジノを合法化して解禁させようというもの。安倍首相はこの法案について「観光立国の実現に向け、世界中から観光客を集める滞在型観光を推進する」と喧伝するが、自治体調査ではカジノ入場者の7〜8割が日本人と想定されており、ギャンブル依存症患者の増加が医師や専門家からも懸念が示されている。さらに、今回の法案では、「特定資金貸付業務」というカジノ事業者が客に賭け金を貸し付けることを認めており、多重債務者の増加も心配されているのだ。
(中略)
「とにかく今国会でカジノ法案を成立させる──。安倍首相がここまで血道を上げる理由は、一体何なのか。じつは、カジノ法案の背景には、トランプ大統領と米国カジノ企業の意向があった。
 昨年2月、安倍総理がトランプ大統領との初の首脳会談をおこなった日の朝食会には、米国カジノ企業のトップ3人が出席していました。そのうちのひとりは、トランプ大統領の最大の支援者であります。安倍総理はその場で『カジノ推進の法律をつくった』と紹介しました。まさにカジノ企業の要求に応えるものでした」
 昨日の衆院本会議でこんな指摘をしたのは共産党の塩川鉄也議員。
 安倍首相が米国カジノ企業トップと会合をもっていた──。じつは、この朝食会は、全米商工会議所と米日経済協議会の共催でおこなわれたもので、ラスベガス・サンズの会長兼CEOやMGMリゾーツの会長兼CEO、シーザーズ・エンターテイメントのCEOなどが参加していた。そもそも、米日経済協議会は安倍政権に対して2016年の段階からカジノ法案の制定を要求しており、安倍首相が朝食会で会った企業の首脳たちはいずれも日本へのカジノ進出を狙っている。
 安倍首相がこのとき陳情を受けたことは間違いないだろう。
 しかも、安倍首相にカジノ解禁を迫り、牽引してきたのは、トランプ大統領だ。昨年6月10日付の日本経済新聞には、こんなレポートが掲載されている。
〈「シンゾウ、こういった企業を知っているか」。米国で開いた2月の日米首脳会談。トランプ大統領は安倍晋三首相にほほ笑みかけた。日本が取り組むIRの整備推進方針を歓迎したうえで、米ラスベガス・サンズ、米MGMリゾーツなどの娯楽企業を列挙した。政府関係者によると首相は聞き置く姿勢だったが、隣の側近にすかさず企業名のメモを取らせた〉
 トランプの話に「へいへい」と前のめりで御用聞きに成り下がる安倍首相と側近の姿が目に浮かぶエピソードだ。
(中略)
さらに、安倍首相がカジノ解禁に突き進む理由はもう一つある。安倍首相は、カジノ進出を狙うセガサミーホールディングス会長の里見治氏と“蜜月関係”にあるからだ。
 セガサミーといえばパチンコ・パチスロ最大手の企業だが、2012年に韓国のカジノ企業と合弁会社を設立し、昨年4月には韓国・仁川に大型カジノリゾートをオープン。カジノが解禁されれば、その恩恵を大きく受ける企業だ。実際、セガサミーは五輪東京招致のオフィシャルパートナーとなり、政界の“五輪開催のタイミングでカジノ合法化へ”という動きのなかでカジノ利権の主導権を握ろうと存在感を高めてきた。そうしたなかで、セガサミーは国内カジノ利権の主導権を握るため政界工作をおこなってきたと言われている。
 そして、カジノ解禁に向けて里見会長が目をつけたのは、安倍首相その人だった。
 ふたりの出会いは第一次安倍政権時だと見られ、2007年1月30日には赤坂の全日空ホテルで安倍首相と里見会長は会食をおこなっている。さらに政権交代によって下野してからは、さらにふたりの関係は密になったという。
(中略)
また、2015年1月には里見会長の自宅に銃弾が撃ち込まれるという発砲事件が起こったが、このときこぞって週刊誌が“カジノ利権の争いが事件の背後にあるのでは”と書き立てた。
(中略)
もともと安倍首相はパチンコ企業との癒着が指摘され続けてきた人物。父・晋太郎の時代から福岡、山口で多くのパチンコ店を経営する七洋物産は地元の有力スポンサーであり、安倍家は下関市の広大な自宅と事務所を同社の子会社であるパチンコ業者・東洋エンタープライズから格安で賃借。さらに自宅のほうは1990年に所有権が同社から晋太郎に移り、それを安倍首相が相続。地元では「パチンコ御殿」と呼ばれているというが、里見会長との蜜月の前からパチンコ業界との“下地”はこうしてつくられていたのだ。
 このように安倍首相にとっては、カジノ解禁は支持者に利権をばらまくために必ず実行しなければならない宿願であり、いまはそこに“親分”であるトランプ大統領までがその背中を押している状態にある、というわけだ。だが、カジノ法案は前述したようにギャンブル依存という重大な問題を孕むだけでなく、反社会的勢力の温床になる危険性も指摘されている。だいたい、“誰かが必ず金を巻きあげられる”という不公平な仕組みを国が公認し、「成長戦略」にしようと目論むこと自体が社会的公正にもとる行為だ。
引用だらけの記事で申し訳ありませんが、緊急性に鑑みて、カクサンしたい思いで一杯です。
こんなに急いでどこへ行こうというのでしょう?
その先には、亡国と破滅の未来が待ち受けていることは火を見るよりも明らかです。ギャンブル沼に陥って、本人自身と家族が、地獄の責め苦にさいなまれる不幸は、決して見知らぬ他人の運命とは言いきれないのです。。
ウィキペディアには「地獄」について、つぎのような記事を掲載しています。
仏教
詳細は「地獄 (仏教)」を参照
六道の最下層。閻魔の審判に基づいて様々な責め苦を受けるとされる世界。対比されるべきは、本来なら六道の最上層・天界のはずだが、実際には、成仏した者が行く六道のいずれでもない浄土(浄土は数多くあり、極楽はその一つ)と対比させられることが多い。
キリスト教
詳細は「地獄 (キリスト教)」を参照
一般的に、死後の刑罰の場所または状態、霊魂が神の怒りに服する場所とされる。しかし、キリスト教の教派により、地獄の概念や解釈は多少異なる。
反語は「天国」である。
イスラム教
「ジャハンナム」と呼ばれる。世界の終末に際しての審判において、不信心者や悪事を成した者が灼熱の責め苦を受けるとされる世界。
反語は「天国 (イスラーム)」である。
北欧神話
詳細は「ヘルヘイム」を参照
女神ヘルが支配する、名誉の戦死を遂げられなかった者が行く世界。対比されるのは名誉の戦死を遂げた者(エインヘリャル)が行くヴァルハラ。
キリスト教(カトリック)では、天国と地獄の中間に煉獄があるそうです。
wikiの解説です。
煉獄は、天国には行けなかったが地獄にも墜ちなかった人の行く中間的なところであり、苦罰によって罪を清められた後、天国に入るとされる。現行のカトリック教会の教義では、天国は「最高の、そして最終的な幸福の状態」、地獄は「神から永遠に離れ、永遠の責め苦を受ける状態と定義されているが、「天国の本質が神との一致にあるとすれば、それは当然のことだが、人間は必ずしも終始一貫、神に沿って生きているとはいえず、罪を犯すこともあり、そのため死後に神と一致しようとする際には、自分の内にある神と異質なものは清められることになる。これが煉獄であると説明されている。
バクチ解禁法案を強行した張本人たちこそ、地獄・煉獄に墜ちる定めを,思い知るべきでしょう。


17日(日)、晴れ。育休明けで5月から職場復帰した長女と、保育園にようやく慣れ始めた2歳児とが、久しぶりに顔を見せました。
3人の従姉妹達が、代わる代わるに三輪車を押して、女子会を楽しんでいました。











テントウムシも捕まえました。





18日(月)、雨、時々曇り。通勤途上のカーラジオから突如緊急地震速報が流れ,間もなく大阪を中心に最大震度6強の地震発生というニュースを聞きました。午前7時58分と言います。
とっさに,大阪在住の次男一家の安否が気になり,メールをしましたら、一応無事。電車は止まってるが、、。との返事。ひとまず安心しました。
私は,自動車運転中でしたので揺れには気づきませんでしたが、こちらの地方も震度3程度の揺れがあったらしいです。


19日(火)、雨。深夜、妙なタイミングで目が覚め,しばらく目が冴えて寝付かれないのでラジオを点けたところ、NHKの「ラジオ深夜便」が流れてきました。ちょうど、仲代達矢出演の「グスコーブドリの伝記」が始まるところでした。


これについての話題は、回を改めて書きたいと思います。

朝、出かける支度をしているところへ、長女から電話があり、2歳の保育園児が、下痢と発熱で保育園に預けることができず、父ちゃんの実家も今日は都合が悪いので、預けても良いかとの打診。お出かけの予定は、急ぐ用事でもなかったので、一日ベビーシッターに専念する覚悟を決めました。

予想よりは容態は良く、熱もほとんど平熱で、元気そのもの。泣きもぐずりもせず、むしろ大はしゃぎで、一日を過ごしてくれました。

今日はこれにて。

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一筆啓上、行行子、の巻 [雑話]

先日歩いた自然環境体験公園の、松の木のてっぺんで、大きな声でしきりにさえずっているホオジロがいました。(exifによると、5月31日の撮影でした)

トリミングします。

「一筆啓上仕り候」と繰り返しています。
そのあと、足を伸ばした児島湖畔で、こんな鳥に会いました。

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以下トリミング画像です。


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甲高い声で賑やかにさえずっていました。この声は草原などでよく聞くのですが、姿を見ることは稀です。ヨシキリ(オオヨシキリ?)でしょうか。
doudesyo様のブログ「ほっと 野鳥
の6月15日付今年も来たね、オオヨシキリ でも見事なお写真が掲載されています。



ヨシキリについては以前こんな記事を書きました。
仰々し 仰々しとや  行行子

声を振り絞って囀っています。
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活動場所や見た目の類似から、すでに見知ったオオジュリンかと思っておりましたが、帰宅後ネットで調べてみますと、どうも鳴き声が一致しないと感じました。
鳥の鳴き声の「ききなし」をまとめたこのページを参照させていただくと、「仰々しい、行行子」という仰々しい鳴き声は、まさしくあの謎の声の主にぴったりと思えます。web上にある「オオヨシキリ」の写真を参照しても、ほぼ間違いないと思うのですが、いかがでしょうか?
そう言えば、確かに草野心平のこの詩では、「行行子」と書いて「ヨシキリ」と読ませていました。「ギョウギョウシ」という鳴き声からの名付けだったのですね。

富士山   

ー作品第肆ー 
川面(かわづら)に春の光はまぶしく溢れ。
そよ風が吹けば光たちの鬼ごっこ
葦の葉のささやき。
行行子(よしきり)は鳴く。
行行子の舌にも春のひかり。
 
土堤の下のうまごやしの原に。
自分の顔は両掌のなかに。
ふりそそぐ春の光に却って物憂く。
眺めていた。
  
少女たちはうまごやしの花を摘んでは
巧みな手さばきで花環をつくる。
それをなは(縄)にして縄跳びをする。
花環が圓を描くとそのなかに富士がはひる。
その度に富士は近づき。
とほくに坐る。
 
耳には行行子。
頬にはひかり。 

 ちなみに「うまごやしは」シロツメクサつまりクローバーですね。
 

ここでも書いたとおり、「行行子」という別名は、その鳴き声にちなんでいるようです。



ところで、先日(5/26)亡くなった津本陽さんに「月とよしきり」という作品があります。
私は、山本周五郎や池波正太郎、野村胡堂、司馬遼太郎など、いわゆる時代小説は、人並みに好んで読んでいる方だと思います。藤沢周平などは、文庫でも読み,全集も予約購読で全巻を読みましたから、愛読書と言っても過言ではありません。ところが不思議に、津本陽さんの作品は、わずかに何作か読んだ記憶があるだけで、この「月とよしきり」が、私の手元にあるほとんど唯一の津本作品です。
というのも、何ヶ月か前、古本屋の百円均一コーナーに並んでいたものを何気なく手にとって,そのほかの何冊かと一緒に買って帰り、夜寝る前にペラペラめくっては閉じ、を何度か繰り返し、読み切らないままに寝かせておいたものなのです(汗)。
津本陽逝去のニュースを聞いて、改めて取り出してきて読んでみた次第です。
この作品、江戸千葉周作道場の高弟で、類い希な剣才のゆえに前途を嘱望されながら、ふとした不運なアクシデントから道場を破門となり、辛苦の人生を歩むこととなった無頼の剣豪、平手造酒を主人公とする時代小説です。
bookデータベースにはこうあります。

天保八年。北辰一刀流玄武館で師範代を務める平手造酒は、師・千葉周作の命により、廻国修業に出た。油断により友を死なせ、道場を破門された。つまずき始めた造酒は、他流試合で破った水戸藩士の恨みを買い、祝言を挙げた藤が殺される。その後に妻としたおいとにも死なれ、自暴自棄になって酒におぼれていった。『天保水滸伝』で有名な伝説の剣豪、不運に見舞われ続けた、その知られざる半生。

ヨシキリはというと、作品中では平手が房州に滞在中、利根川沿いの芦草の茂みから、その鳴き声が聞こえてくる場面がありました。
そういえば、三波春夫の「大利根無情」も,田端義男の「大利根月夜」も、平手造酒を歌った楽曲でした。
「大利根無情」の歌詞中には、ヨシキリが登場してきます。



また、「利根の川風袂に入れて」というフレーズが耳に残る有名な浪曲がありましたっけ。「天保水滸伝」だそうですね。

利根の川風たもとに入れて、月に竿さす高瀬舟、一目関の戸叩くは川の、水にせかれる水鶏鳥、恋の八月大利根月夜、佐原囃子の音も冴えわたり、葭の葉末に露置くころは、呼ぶや蛍のそこかしこ、潮来あやめの懐かしさ、わたしゃ九十九里荒浜育ち、と云うて鰯の子ではない」

これまた平手造酒や、侠客笹川繁蔵らが活躍するお話。
山本周五郎の「花も刀も」も、平手造酒を描いています(昔読みましたが,すっかり筋を忘れました 汗)。



さて、津本作品「月とよしきり」によれば、その平手造酒が、道を踏み誤り、坂道を転げ落ちるように、洋々たる前途を失っていくきっかけとなったのは、「大目録皆伝」を前に命じられた関東諸国の廻国修行の旅の途中、ヤクザ者に不意を襲われて、朋輩岡野直豪が、不運にも命を失った事件。同行の造酒も、その油断がとがめられて破門となったのでした。
その襲撃事件は、平手と岡野が、成り行きで笹川繁蔵が開く賭場に招かれて,用心棒役を演じることになったことが原因で、博徒同士の縄張り争いに巻き込まれた事に起因していました。
千葉周作の姪お藤は、造酒と恋仲にあり、造酒の破門が解けるよう尽力しますが果たせず、失意の造酒を追って江戸を棄てて嫁いで来ます。造酒にとっては心穏やかで満たされた新婚生活が始まりますが,それも束の間、造酒を狙った鉄砲の弾に当たって息を引き取ります。これまた博徒の争いの,とんだとばっちりでした。
自暴自棄になった造酒は、心身ともに荒れすさび、自他の命のやりとりにも無感覚になりかけますが、それを一歩手前で引き留めたのは、「おいと」の存在でした。おいとは、父親の借金のカタの身売りされようとしていたところを造酒が救った少女でした。出会いの一節を引用します。

(造酒と友人市左衛門、亀之助の)三人は妓楼へ売られようとしていたところを造酒が助けてやった、 十五歳の娘おいとの身のうえについて話しあっていた。市左衛門はいう。
「あれは銚子の網元甚兵衛に雇われている漁師の勘三の娘でござんすよ。勘蔵はふだんはいっばしのはたらきをする奴で、女房と娘をかわいがる実直な男でしたが、どんな魔がさしたのか、この夏の清滝村(海上郡海上町)岩井不動明王の祭礼のとき、繁蔵がたてた野天博打で、いかさまにひっかけられたのでござんすよ」
「岩井不動専の博打か。どこかで聞いたことがあるが、この辺りじゃさかんなものらしいな」
「そうでござんすねえ。九十九里浜から飯岡にかけての漁場じゃ、漁師の給金は盆と節季に払われるものですから、金を懐に入れた連中を、繁蔵や助五郎といった貸元が、子分をやって賭場に誘いこみ、いかさまをやって素っ裸にしてしまうんですよ。岩井不動尊の縁日の博打場では、一日の寺銭が千両にもなるといわれやすが、まあそれは法螺でござんしょうがね。それでもかなりの稼ぎでしょうねえ。
寺銭とは博打を開帳した貸元と呼ばれる大親分が、金銭を持っていない客に元手を貸し、博打をさせるときの利足である。寺銭は五分とるのが通例で、勝負が一回きまるたびに勝ったほうから出す。だが客を詐欺にかけて身ぐるみ引きはがすいかさま博打のときは、ばれると貸元にも迷惑がかかるので、その危険負担分として一割五分の寺銭をとることもあった。

恩義を感じたおいとは、存命中のお藤と造酒の身の回りの世話を献身的にこなし、お藤にも家族同然にかわいがられます。時は移り、お藤亡き後、すさみ果てて各地を転々とする造酒が時折思うのは,おいとのかいがいしい気遣いと献身ぶりでした。彼女だけが自分に安らぎを与える存在であることに気づいた造酒は、紆余曲折の末、おいとを後妻に迎えます。ところがそのおいとも造酒との子を宿しながら、難産で母子ともに帰らぬ人となります。作品本文から少し引用します。

造酒は逆境に陥ると、実力勝負で生き抜いてやろうと、ふるいたつ性格であった。
 だが、おいとがいなくなってのち、彼の反撥心は消えてしまった。おいとは造酒の追いかけてゆけない冥途にいる。
 おいとが妊ったのは、天保十一年暮れであった。俺の子ができるのかと、造酒は身内が震えるほどの感動を覚えた。
 おいとは体調がよく、悪阻で食べたものを吐いては、空腹だといってまたすぐに食膳にむかった。造酒はおいとがいとおしくてならなかった。
 生れてくる子と三人になれば、いままでとはまったくちがう、張りあいのある世帯を持てるようになる。
 造酒はわが子の生れてくる日を待ちわびた。だが翌年に、おいとは難産であっけなく死んでしまった。胎児は娘であったが、臍の緒が首に巻きついていて、死産であった。
 おいとが苦しむのを、枕もとで脂汗をかきながら見守っていた造酒は、彼女が息をひきとったとき、産婆が驚いて腰を抜かしたほどの大音声で叫んだ。
 「神仏はどこにいるのだ。なにゆえ、俺を一人でこの世に残したのか」

一人残された造酒は、ますます酒に溺れ,生活は荒れ、繁蔵の用心棒としての日々を送ります。繁蔵と対立していたのは、博徒でありながら十手持ちでもあった飯岡助五郎。両者の関係悪化が頂点に達した天保15(1844)年、大利根河原で繰り広げられた争闘(大利根河原の血闘)で、造酒は命を落とします。
千葉県東庄町にその墓が建てられているそうです。

しかし、「月とよしきり」では、造酒の命を奪ったのは、飯岡助五郎方の子分たちではなくて、当日の「血闘」で勝利を収めた繁蔵だった、ということになっています。繁蔵は、日頃から造酒を「虫が好かない」、「いまいましい」と感じており、当日の血闘に加わらなかった造酒を、「ついでに」「当たっても当たらなくても」「せめて驚かしてやりたい」と、短銃で撃ったのでした。

造酒は、繁蔵の放った最初の一発で、耳の下を撃ち抜かれ、声をあげる間もなく、瞬間にこときれた。
 かつて朋友岡野直豪が、名もない三ン下にヒ首で脇腹をえぐられ、不慮の死を遂げたように、造酒もまた、落雷に遭ったような、思いがけない死にめぐりあってしまった。
造酒と岡野は、いずれも剣の天才を持っていながら、不運の生涯を終えた。



刑法が禁じる賭場を合法化する「カジノ法案」が、衆院内閣委員会で強行されました。「成長産業」どころか、無辜の民に、思いがけない窮乏化・困苦化を強いる亡国産業に他なりません。可愛い娘を妓楼へ売ろうとしたおいとの父親が、現代の世に無数に現れかねない非道な環境を、国家ぐるみでつくるのは、犯罪そのものです。
何でそんなに急ぐの?という疑問は、回を改めて考えたいと思います。
きょうはこれにて。

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六月の五月晴れ ?の巻 [折々散歩]

最近、アジア人留学生相手の日本語の授業で,日本の梅雨にちなんだ文章を扱いました。その準備の段階で、「五月晴れ」という言葉が、もともとは「梅雨の晴れ間」を意味していたことを知りました。事典にはこうありました。

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれたが,近年は,一般に新暦 5月の晴天をいう。 (ブリタニカ国際大百科事典 より)

その意味では,昨日の空模様は「梅雨晴れ」「五月晴れ」でした。
駐車条から30分かけて教育相談所まで歩きます。
遠くに岡山城を眺めながら旭川畔を歩きます。















いろいろな方角から眺める岡山城、それぞれに表情が違います。

「梅雨晴れ」は今日も続きます。
草刈りのために郷里に帰ってきました。
かんかん照りでないだけマシですが,なかなかの蒸し暑さで、汗をかきました。
帰りに寄り道して、長福寺三重塔を見てきました。





ツツジと紫陽花が咲いています。















池に睡蓮も咲き始めていました。

参拝客は私一人だけ。今日、鎌倉アジサイ寺は大勢でにぎわい、江ノ電も満員寿司詰め状態だったそうです。それに引き替え、ここでは、贅沢で優雅な時間を,独り占めできたのでした。
今日はこれにて。

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失せ物あらわる、の巻 [折々散歩]


落とし物、遺失物の話題には、続きがあります。

これまでも何度か記事にしましたが、私は、スマホではなく携帯電話(ガラケー)を使っています。そのガラケーを使うようになったのも、ここ数年で、それまでは、かなり長い間PHSを使ってきました。DDIポケット→WILLCOMとつきあってきて、コンパクトで軽い通話用端末も手軽でしたし、外出先でノートPCなどをネット接続する役にも立ちました。携帯情報機器としてはユニークなW-ZERO3(今日のスマートフォンのはしりとも言えます)が、SIMをさしかえれば共用できるのも魅力でした。残念なのは、地域によっては電波が弱く,通話もdata通信も途切れがちだったり,まったく切断してしまったりするのが悩みの種でした。経営危機に抗って、ユーザーに依拠しながら独自の役割を発揮して欲しいと期待していましたが、かないませんでした。

と言うようないきさつで、ガラケーユーザーの端くれに加わったのですが、そんないきさつは、もうすでにこんな記事で書いたことがありました。2015年の夏に,腸からの出血で入院したときの記事でした。

ありあわせツールの使い回し、の巻(第2回)

そこで、テキスト文書入力用に「ポメラ」を差し入れしてもらおうとしたところ、見つからなかったらしく、代わりに、しばらく使わずに放置してあったネクサス7(wifi版)を持ってきてくれました。
このネクサス7は、退職して職場のパソコン環境から遠ざかった状況で、外出時のネット環境を最低限整えたくて、もっぱらコストを優先させて、購入に踏み切りました。
ここで、 スマホにのりかえるという選択もありえたでしょうが、通信費がバカにならないと躊躇したのです。当時、私はガラケーももたず、PHSを利用していましたので、この回線を利用してネット接続ができないかと目論んだのですが挫折。結局wifiルーターを利用する方法しか思いつかず、相応の出費が必要でした。しかも、この取り合わせがなかなか不便で、十分使いこなせないまま時間が経過し、気がつくと最初の割引期間が過ぎて、高額な(ケイヤク通りの、ですが)回線使用料の請求を受け、驚いて解約しました。
ここで思いついたのは、格安スマホという選択肢でした。
半信半疑でフリーテルpriori2という機種を入手し使ってみましたら、値段のわりには使えます。テザリングもできて、ネクサス7の親機としてネット接続をサポートしてくれますし、場合によってはノートパソコンを外に持ち出しても、これでインターネット利用が可能です。
その意味では有用性は大きいのですが、値段のわりにはという修飾語を冠したうえでも、気になる不満も否めません。
その不満の第1は、電池の持ちがわるいこと。近くにAC電源があったり、周到に充電済みのモバイル電源を持っていない限り、使用をあきらめなくてはなりません。
その第2は、4インチという画面サイズ。コンパクトさという長所である反面、表示が小さすぎて、老眼の身には過酷です。
当初の意図どおり、子機のネット接続補助という用途に限定するなら、電源問題さえ解消すれば、ちゃんと使えますが。
そんなとき、液晶画面がやや大きいnicoという機種が、サービス価格で販売されているのを機に購入し、鞄にいれて持ち歩いています。電波の速度も遅いし、機械のスペックも見劣りしますが、手際や能率を問題にしなければ、まずまずの仕事をしてくれます。

そのあと、目移りがして,lte接続を売りにする「Priori 4」 という機種を購入し、最低限の通信契約をしたのですが,ほとんど使わないまま時が過ぎました。ふと気がつくと、フリーテルブランドを展開するプラスワン・マーケティング社は,いつのまにか楽天モバイルに買収されており、気がつかないうちに月々の料金請求額が「格安」とはいえない額になっていました。思わぬ出費の割には有効利用できていないことを反省して、解約手続きをしたのですが、機種代金の割賦の残額が相当残っていました。それは覚悟の上での解約でしたが、だんだんと未練の気持ちが沸いてきて、解約を取り消して(間に合いました)、それ以降、契約料相応の使い方をしようと、日常的に持ち歩いていました。

ところが、そんなあるとき、そのDATA通信用のスマホがどこへ行ったかわからなくなりました。

入念に思い出してみると、この日までは確かにありました。

スズメ、その他、の巻

5月15日(水) かかりつけ医に、血圧の薬をもらいに行こうと、近所のATMで、お金を下ろそうとしたら、キャッシュカードがはじかれます。窓口へ行くよう指示されますので、銀行窓口に行って相談すると、磁気のせいで読み取れなくなっているので、再発行するが、1~2週間掛かるとのこと。あたふたします。

キャッシュカードやクレジットカードをはじめ、何種類かのカード類を挟んだケースと、ガラケー、スマホを、全部同じバッグに入れていたのです。銀行窓口の方が、「磁力の強いものの近くに置いたりすると、データが読み取れなくなることがあります。たとえば携帯電話とか」とアドバイスしてくださったので、バッグを入れ替えたのがその時です。

そのあと、スマホだけが見当たらなくなったので、落としたり置き忘れたものが悪用されても困るので、早速解約の手続きを済ませました。それ以来、どこを探しても出てこなかったものが、ほんの先日、たまたま探った車の助手席の,物入れの陰に収まっていました。

そこで、いろいろな格安SIMを検討した結果、SO-NETの0SIMを契約することにし、早速昨日送られてきたSIMを装着し、利用開始したところです。

これはトホホではありません。



トホホといえば、昨日の夜、奥歯にかぶせた金属が剥がれてしまいました。たまたま今日は格別の予定がありませんので、午前中歯科医院に行ってきました。この医院、自宅からは数十分かかる距離にありますが、現職中の勤務先に近かったので、そのつながりで今も通っています。久しぶりの治療です。前回の治療はいつだったでしょうか?

こんな記事を書いたことを思い出します。
鮟鱇も目には泪か寒戻り

2007年の脳動脈瘤の手術、2013年の肺癌の手術、どちらも、オペの前に執刀医が「頑張りましょう」と声を掛けてくださり、オペ中も、麻酔でうつらうつらしている中で、「大丈夫ですか~?頑張って~」とドクターの声が聞こえてきます。
でも、点滴針から伸びる管や、計器につながった配線が身体にまとわりつく姿のままベッドに固定され、半身、または全身の麻酔によって身動きならない状態で、頑張ろうにも、頑張れることはありません。「頑張ってください。」」は、こちらのセリフで、心身共に消耗する長時間の手術を、頑張って遂行してくださるのは、あなたがた医療スタッフの皆さんでしょ。と反論したくなりましたが、それは遠慮して、「はい」とうなずいたものでした。

それに引き替え、この、歯科の治療は、患者も正味、頑張ることが求められますね。

治療中にこんな句が浮びました。

鮟鱇のやうなおおぐちあけてゐる

つるされた鮟鱇のごと為すが儘

鮟鱇も目には泪か寒戻り 

この大口を空いている様は、何に似ているだろうか、ワニかカバか、と想像をめぐらすうちに、吊し切りのために吊された鮟鱇の姿が目に浮かんだのでした。

もちろん、イメージの背景にはこの句がありました。

鮟鱇の 骨まで凍てて ぶちきらる        加藤楸邨

帰宅後、ちょいと探してみますと、こんな句もあるそうです。

泪目のまゝ鮟鱇の割かれけり    佐々木 鳴子
鮟鱇の あぎと全開 宙にあり    野口 明子
吊されて老鮟鱇の無念かな       有永 実
とめどなき大鮟鱇の涎かな      岡田 耿陽
鮟鱇に似て口ひらく無為の日々    木下 夕爾

それにしても、無理してあんぐり口を開けたせいで、顎が痛いし、肩、首筋、こめかみなど、あちこちが凝って痛い上に、治療した歯の歯茎は腫れ、飲食物がしみます。

削られて歯の痛み増す寒戻り


春長けてハチマルニーマルを考える、の巻

「8020(ハチマルニーマル)運動」という言葉には、聞き覚えがありましょう。

1989年(平成元年)より厚生省(当時)と日本歯科医師会が推進している「80歳になっても20本以上自分の歯を保とう」という運動だそうです。

愛知県に住む私の親しい友人I君が、以前、電話のよもやま話で、「8020(ハチマルニーマル)の20(ニーマル)は、頑張れば大丈夫そうだが、80(ハチマル)のほうが、怪しいね」と、出色のジョークを飛ばしていました。「座布団1枚」です。
このネタ、著作権は彼に属しますが、使わせて貰いますよ。
「80(ハチマル)」の方の保障はおぼつきませんが、「20(ニーマル)」目指して今日も歯医者通いです。


このネタは、つい先日も友人に披露したところです。

予約なしの飛び込みでしたので、多少待たされましたが、待合室で米朝会談の模様が中継されていました。額面通りには受け取れない狸と狐の政治ショーだったとしても、あの握手と軍事衝突回避・和平への歩みは、歴史の進むべき道、国際世論の求めるところでしょう。

治療は敏速で、今日一日で治療終わり。気が晴れたので、ついでにちょっと立ち寄って撮影散歩をしてみたい場所があったのですが、駐車場に向かう頃、急に強い雨が降り始めました。傘を持ってくるのを忘れていたので、散歩は諦めて、帰宅しました。



晴れ間を見て、午後、近所の散歩にでかけ,こんなチョウに会いました。

モンシロチョウ。





アゲハ。









ツマグロヒョウモン。















今日はここまで。

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ミクロサイズのトホホ、の巻 [折々散歩]

PCの不調が重なります。メインPCの常用ブラウザは、長い間Firefoxを使っています。でも、常々起動の遅さ、動きの重さにストレスを覚えることが多いのですが、その上さらに、ここにきて、些細なことでフリーズしてしまうことが頻繁になりました。
最新バージョンをインストールしなおしてみたり、設定を初期化してみたり、クッキーを削除してみたり、思いつくことはいろいろやってみましたが、いっこうに改善されません。クッキー削除で、記憶させておいたパスワードなどがリセットされ、不便になっただけで、ストレスだらけの泥沼状態が続きます。
折に触れて、代替としてグーグルChromeやOperaを使ってはみますが、一長一短があって常用するには至りません。
これまで、マイクロソフト社謹製のインタネットエクスプローラは、各バージョンとつきあってはきましたが、何かとかゆいところに手が届かない不満点が気にかかって、敬遠する気持ちが強く、ネスケ(Netscape Navigator)健在の頃は迷うことなくそれを愛用してきたところですが、時代は変わって、Firefoxとおつきあいするようになりました。動作の重さを我慢すれば、操作感は悪くはないのですが,余りに度々クラッシュ・フリーズに遭遇するようになって、やむなくウィンドウズ10付属のEdgeを使ってみています。これが意外に軽快で、さしたるトラブルもなく使えるのが皮肉です。いっそのこと、デフォルトのブラウザに設定しようかなどと思っています。
そんなことに振り回されて、目の前のパソコン作業が遅滞し、ブログ更新にまで手が回りません。
じめじめと鬱陶しい梅雨空に気が塞ぎますし、新潟県知事選自公候補の僅差勝利(昨日)、袴田事件再審棄却(今日)と、不可解・心外なニュースも、何かと気を滅入らせます。

他方、身辺では、ミクロサイズのトホホもあいつぎます。

先週の木曜日。教育相談のボランティアに、最寄りの駐車場所から片道30分弱歩いてかよい、梅雨の晴れ間の旭川畔の散策を楽しみました、



真ん中あたりに、岡山城も見えます。



ズーム。



こちらは県立図書館近辺からの眺めです。



心地よいウオーキングもでき、心穏やかでそれなりに充実した一日を送ることができたのですが,夕方駐車場所まで歩き着いていざポケットを探ると,どうしたことでしょう。キーホルダーの様子がヘンです。その日乗ってきた車のキーはありましたが、我が家の玄関ドアの鍵や、妻が乗る軽4のスペアキーなどがついた鍵束が見当たりません。バッグやポケットの中を探るも,見つかりません。どうやら,何かの弾みではずれて、落としてしまったのかも知れません。心当たりは?と考えると,一番滞在時間の長かった教育相談室の事務所が疑われます。

来週も木曜日には行く予定ですから、その時探してみようと思いながら、気がかりなすっきりしない週末を過ごしたことでした。

9日(土)は、中3生は部活(チームメートの試合の応援)で一日まるまるおでかけ。保育園児は保育園に預かってもらい、我が家へのお泊まり明けの小5生は、ママと行動で、小2生だけ、我が家で預かりました。

午前中はバアバのお出かけ先について行き,お昼はこの公園でおべんとうをかってたべました。







大きな人形の肩のあたりを拡大します。

これによじ登って,こちらに合図しているのがわかりましょうか?



梅雨晴れの土曜日でした。

明けて、10日の日曜日の夜は、懇意な友人達との飲み会を予定していました。どうせ、懇親会場まで交通機関を使って行くのなら、途中下車して教育相談の事務所に立ち寄り、鍵の行方を探してから懇親会場まで歩いて行くことにしました。

一所懸命心当たりを探した結果、私が腰掛けていたソファの、クッションの下に紛れ込んでいるのを発見。ほっとしました。そのあと、小雨の中を懇親会場まで歩き、心地よい歓談で時の経つのを忘れました。解散後、寄り道もせずにバス停に向かいましたが、日曜日のことと手、最終便がもう終わっていました。トホホ。

気を取り直してJR駅まで歩き、発車時刻表を見ると、数十分待ちで、最寄り駅方面に向かう各駅列車がありました。それに乗って、30分。降車駅が近づいた頃、ちょっとだけ居眠りをしていました。ふと気づくと駅名アナウンスがありますががよく聞き取れません。外は真っ暗で駅名表示も見えません。仕方ないので,次の停車駅までのりました。すると、なんと二駅も乗り過ごしているではありませんか。無人駅のこととて、駅前タクシーの姿もありません。仕方ないので、妻にお迎えを依頼したことでした。トホホ。

そんなこんなで、また新しいが始まりました。梅雨本番です。

我が家の庭にも鉢植えの紫陽花が咲いています。















ちょっと変わった品種です。以前、長女とムコ殿が選んでプレゼント してくれたものを、大きい鉢に植え替えました。。



散歩道のアジサイも,色とりどり。雨が大好きです。















ネムノキ。











ヒメジャノメ。



今日はここまで。


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雨降って地固まるか?の巻 [折々散歩]

朝から強い雨でした。

インフルエンザ明けから登校がままならなくなり、長期にわたって欠席を重ねるという状態ではないものの、登下校時は徒歩通学が気が進まず、車で送り迎え、ほとんど保健室で一日を過ごす日々が続いていた多かった小5男子が、今朝は雨の中、本人宣言通り、妹と登校班で登校できたと、ママがメールをくれました。喜んだのは妹だと。

この小2の妹は、ここのところ毎朝、兄とは別々に登校班登校を続けていて、やはり心細かったようで、兄を励ましたり、かばったり、叱咤したり、いじけたり、それなりに心を痛めてきたようですから。

登校班で集団登校するのは、実に何ヶ月ぶりでしょうか?最近は、他の子どもたちとは別行動で、一人で歩いて下校したり、朝も、勤務開始時間に余裕があるパパが、学校まで一緒に歩いたり、時にはママと一緒に歩くことも、、、、。試行錯誤の繰り返しですが、周囲が本人の判断・選択を、大らかに見守ることが何より大切と、改めて感じさせられます。

帰りは、兄弟とも、ジイジのお迎えで、元気で帰りました。今夜は我が家のお泊まりだそうです。





アジサイ。







タチアオイ。










ツバメがしきりに飛び交ったり、止まったりしています。



我が家の玄関先の巣で育ったヒナも、何一日前に巣立ったようです。本来なら、夜になると眠りに帰ってくるはずなのでしょうが、ルスの間にスズメがちゃっかり占拠して、枯れ草やら藁くずなどの巣材を運び込み、我が物顔で居座ってしまったため、ツバメは帰巣を諦めざるを得なかったようです。お気の毒。

スズメときたら、事もあろうに、泥でできたツバメの巣を無惨に削って、ぼろぼろに壊してしまいました。かわいげな姿に似ず陰険な振る舞い、興ざめですね。

ところで、アメリカファースト、国益至上主義のトランプさん、サミットでは、「G7ではなくG6ともうひとつ」というありさまだったそうな。一方、米朝首脳会談をめぐる動き、これも国益優先の駆け引き。狐と狸の化かし合いには違いないでしょうが、背後には、核戦争を拒み、非核・平和の朝鮮半島・北東アジアの樹立を願う、国際世論が、厳然として現実的な力を発揮していることは間違いないでしょうね。「対話のための対話は無意味」と、頑なな遠吠えを繰り返してきたアベさんも、得意の変わり身の早さで、遅ればせながら、日朝の会談を口しはじめましたか。とっくに土俵を割って勝負は終わっているのに、「まだまだ」と言い張って新しい土俵を書き加えるボクチャンルール。見苦しいことこの上ありませんが、また支持率持ち直すのですか?いくら何でも、そんな馬鹿な。

今日はこれにて。

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入梅の報せあり、の巻 [折々散歩]

昨日、山口をのぞく中国地方が梅雨入りしたとみらるとの報道が流れていました。山口の梅雨入りはまだなのかと不思議に思っていましたら、とんだ錯覚で、すでに先日、九州地方とともに梅雨入りしたのだそうでした。
梅雨のしとしと雨というイメージよりは激しい、本降りの雨が続いています。今朝の散歩は、長靴を履き、傘を持ってでかけてみました。

散歩道のアジサイも、次々に花を咲かせ、ひときわ潤いを増しています。







































ホタルブクロ











クチナシ。







あちらでもこちらでも、刈り取りの終わった麦畑が、次の耕作のために焼き払われています。このあたりの風物詩といえるでしょうが、ここ数日もくもくと白い煙が、一面を覆っていて、太陽の光もかげるほどでした。夜中も野焼きの炎が、かがり火のように田園を照らしていました。
















県北の郷里の方では、早いところでは連休の前から田植えが始まり、いまではほぼ終わっているようですが、ナードサークの周辺では、ようやく田植えの準備が始まろうかという頃合いです。秋冬の寒さの到来がそれだけ遅いせいだと思われます。

田植えによらず、籾の直播き栽培をするところもあるようで、稲苗が育ち初めている水田風景も目にとまります。



季節の推移は瞬く間で、「早苗取りしかいつのまに」という感慨を覚える日もまぢかでしょう。以前こんな記事を書きました。

葉月晦の薀蓄!!

「枕草子」にこんな記事があります。
「八月つごもり、太秦(うづまさ)に詣(まう)づとて見れば、穂(ほ)にいでたる田を人いと多く見騒ぐは、稲刈るなりけり。早苗(さなへ)とりしかいつのまに、まことにさいつころ賀茂(かも)へ詣づとて見しが、あはれにもなりにけるかな。(二百十七段)
「早苗取りしか何時の間に」は次の古歌を踏まえたもの。
 「昨日こそ早苗取りしかいつのまに稲葉そよぎて秋風の吹く」 (読み人知らず 古今和歌集秋上)
ちなみに係助詞「こそ」の結びで、過去の助動詞「き」が已然形「しか」になるのは、おなじみの「係り結びの法則」(法則と呼ぶほどのものですか?)。「こそ―――已然形」で結んで、文が終わらずに続く場合、逆接の条件節になることが多い。というわけで、この歌は、「つい昨日早苗を取ったのに、いつの間にか稲の葉がそよいで秋風が吹くことだよ」の意。



とりあえず今日はここまでです。


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麦秋更けて、の巻 [折々散歩]

あっという間に麦が熟れ、どんどん刈り取りが進んでいます。











上は6月1日撮影。下は今朝の撮影です。



枇杷の実が色づき始めています。





タチアオイが一気に咲き誇っています。



















群生するポピー。







散歩道のアジサイも次々に咲いています。











真夏並みの暑さとは言え、さわやかな晴れの日。それに引き替え、余りにも鬱陶しいのはこのニュースですね。

学校法人「森友学園」を巡る一連の問題で、大阪地検特捜部は、前国税庁長官の佐川宣寿氏(60)や財務省職員らを不起訴処分にした。問題の発覚から1年4カ月。検察の捜査は終わったが、国有地の大幅な値引きや決裁文書改ざんの背景に、安倍晋三首相らへの忖度(そんたく)があったかどうかなど、多くの疑惑は未解明のままだ。財務省は佐川氏らを処分し、幕引きを図る構えだが、与党からも麻生太郎財務相への責任追及の声が上がる。(毎日新聞



学校法人「森友学園」(大阪市)への国有地売却を巡る決裁文書改ざん問題で、財務省は4日午後、省内の調査結果を公表する。当時理財局長だった佐川宣寿前国税庁長官が事実上、改ざんなどを指示していたと認定する見通し。佐川氏を停職3カ月相当にするなど20人を懲戒や厳重注意などで処分し、麻生太郎財務相は閣僚給与1年分を自主返納する方針。麻生氏は続投する意向...(毎日新聞



明日は雨だそうです。
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孫と歩いた虫の原っぱ、の巻 [折々散歩]

6月に入って暑い日が続きます。今朝は、自治会恒例の草取り。朝8時から一時間足らずの作業ですが、大粒の汗が滴ります。
昨日は、小学生の孫兄妹をつれて、田舎に行ってきました。
農作業をするつもりもなかったので、行きがけに少し回り道をして「自然保護センター」に立ち寄ってみました。
駐車場から園内に向かう階段は、いつものことながら息切れと動悸を誘いますが、その先のなだらかな遊歩道を歩けば、緑濃い初夏の風情が心を快くリフレッシュさせてくれます。
森の緑を映し込んだ池のたたずまいは、どこかの景勝地の湖畔を思わせます。

ヤマボウシ、ヤブデマリ、ウツギ、キンシバイなど、とりどりの木の花が森を彩っています。これはヤマボウシ。



路傍の山際にササユリ(笹百合)が咲き始めています。


ササユリ生育域一帯に、立ち入り禁止のロープが張り巡らしてあり、「マムシ注意」の看板がいくつも掲げられています。盗掘の被害が相次いでいるらしく、それへの対策の意味もあるようです。
ササユリについては過去にもこんな記事で書きました
卯の花を簪にアジアイトトンボ
トカトントン再び、の巻

ところで、前回、6月10日の自然保護センターでは、ササユリの花を見ました。
この優美なユリは、その葉が笹の葉に似ているところからササユリの名があるそうです。このようなササは歓迎ですが。



この施設の「目玉」タンチョウヅルの飼育エリアへは立ち寄らず、自由散歩中のタンチョウを遠くから眺めただけで、「虫の原っぱ」へ向かいます。過去記事でも何度か紹介させていただきました。
虫の原っぱ虫三昧、の巻
剥がれ落つる記憶の欠片エゴの花
猛暑の「虫の原っぱ」でハッチョウトンボに会う、の巻
名にし負う虫の原っぱ虫三昧
孫たちは初めての来訪ですので、滅多に会えない虫や鳥が顔を見せてくれたらと、期待したのですがなかなかそうはいきません。ハッチョウトンボも見つけられませんでした。
でもこんなチョウは、名前が思い出せず、図鑑のお世話になります・
ルリシジミ?

ええとこれは???コムラサキ♀かな?

小5の兄が、イトトンボを捕まえました。

孫達もカメラを持ちたがりますので、それぞれに一台持たせます。



妹の作品










トリミング画像。





兄の作品








つぎはトリミング画像です。





今日はここまで。

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6月の花と鳥、の巻 [折々散歩]

6月になりました。

6月と言えばこの花の出番です。













深山公園のアジサイは、ようやく咲き始めたばかり。まだまだ白っぽい、淡い色をしています。

少し色づいたものもあって、この先が楽しみです。



ドクダミも季節の花(?)ですね。







ニガナ?でしょうか?







見るものすべてが、夏の近さを感じさせます。



我が家の燕の雛も、すっかり羽がはえそろい、食欲旺盛です。

右端の雛はおしりを出していますが、こうやって行儀良く?巣の外に糞を落とします。







親業は大変です。



これは深山公園で出会った光景。

カメラマンさん達が、いっせいにカメラを向けています。

何を狙っておられるのかわからないまま様子を窺っていますと、おひとりが、見えますか?」と尋ねてくださいました。「いいえ」と首を振ると、あの枝の丸い穴!と、指さして教えてくださいました。

わかりました!!!







トリミングします。







何かの雛ですねえ。

コゲラかな?

今日はこれにて。


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