So-net無料ブログ作成

盆と台風と終戦記念日と、の巻 [家族]

大阪の孫一家が帰ってくるのを機に、12日には集まれるものだけでもと、郷里に集合。お墓参りをしたり、スーパーで買い求めたお弁当で会食を楽しんだり、いとこ同士楽しく遊びました。


IMGP5427


前回の記事に書いた、畑のスイカ、みんなで食べてみましたが。まずまず甘く熟れていました。


00ZZ0062


13日は、お盆だというのに、私が所属している年金者組合の集まりがあって、孫と遊ぶ楽しみが奪われると嘆いている方もおられましたが、同感でした(笑)


14日は、台風接近前のさなかでしたが、近くの施設で子どもたちがプール遊びをできるチャンスはこの日だけと、決行しました。すると、同じ考えの家族連れで、芋の子を洗うラッシュ状態でした。写真を写そうとしていますと、監視員さんからとがめられ、断念。他のお客さんからクレームがあるのだそうで、、。わが孫だけしか写していないと抗弁したのですが、望遠レンズを向けられることに抵抗があるのだそうです。確かに、肖像権の問題は念頭には置いているつもりです。特に、集会やデモに参加していると、何だか怪しいオジサンたち(公安の人?)が、バチバチ撮影してるのは、不快ですものね。


最初はこんな青空でしたが、昼頃には一天にわかにかき曇り、かなり激しい風と雨に見舞われました。


IMGP5447


IMGP5448


台風の予想針路を見ると、わが地方を直撃する勢い。深夜から明け方未明にかけて、激しい風音に何度も目を覚まさせられました。台風そのものはまだ太平洋上にあって、上陸はまだ先なのに、これは先が思いやられるという状況が今日の午前中続きました。早々と、県下各地域に暴風警報や波浪、高潮などの警報も出され、海に近い地域では避難勧告も出されました。


が、意外にも、だんだんと影響が薄まり、広島に上陸、というニュースを聞く頃には、雨も風もむしろ収まり、外出もできるほどになりました。これくらいで済んで、有り難いことでした。


さて、今日は、終戦記念日。


今朝の地元紙「山陽新聞」の読者投稿欄に、「トピック終戦記念日」という特集が蟻、その一つに、こんな投稿がありました。


815


郷里の老父が、投稿したものです。下書きは読ませてもらっていましたが、若干の字数調整や、表現の補正はあったようですが、ほぼそのまま、掲載されていました。


記録のために、文字起こしをしておきます。


74回目の終戦記念日が来た。終戦の日、私は18歳で、ある駅の引き込み線の作業に汗を流していた。
硫化鉄鉱産出で東洋一と言われる鉱山があった。軍属の人が大勢来て、軍需工場を下に作るために大きな横穴を掘っていた。
工場の材料を受けるのに必要なホームを造るために、近くの村へ動員があった。本家のおじさんが村長をしていたので、東京空襲で焼け出されて故郷の岡山県へ帰つていた仲間3人は、勤労奉仕に借り出されたのだった。
15キロもある仕事場まで、みんな歩いて行き、鉱山の集会所で雑魚寝をした。食事は軍属の人と同じく作業員宿舎があり、近くの国防婦人会の人たちの奉仕で、麦飯のおにぎり1個とジャガイモをお皿1杯だった。暑い8月に上半身裸でつるはし、スコップで作業をした。
予定は10日くらいだったが、5日目の昼ごろ集められて、軍人さんから、涙ながらに「作業をやめて帰れ」と言われた。玉音放送は聞いていないが、戦争は終わり、悲しいようなホッとしたような苦い思い出である。


父は、90歳を超えてから何度か新聞投稿しているようですが、なかなか採用されないと嘆いていました。今回も、結びの部分が不満なようで、何度か書き直し、この形にまとめたものの、なお不満は残ったようでした。


そう言えば、去年の8月の投稿について、この記事でご紹介しました。


家族3題(代)噺、の巻


その末尾の部分を再掲させていただきます。


8月には広島、長崎に原子爆弾が落とされ大勢の人が亡くなった。あと1年も戦争が続いたら徴兵検査を受けて軍隊に入り、現在の自分がなかっただろうと思うと戦争の恐ろしさをつくづく思う。
あのひどい戦争の状況を知る人が少なくなった今、戦争を知らない若い人に、戦争は絶対駄目だと強くお願いする。


今回の投稿も、ついつい同じような結論になってしまうと、迷ったようですが、やはり、言いたいことはこれに尽きるのだと思います。それだけに、孫や曾孫も、正面から受け止めてくれればと思います。


今日はこれにて。


nice!(35)  コメント(2) 
<

フォト蔵にアップしている私の写真はこちらです。

写真販売サイトにも画像を掲載しています。
写真素材 PIXTA