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撫川城址と庭瀬往来散歩、の巻 [折々散歩]

庭瀬城址には何度か行ったことがありました。所要目的は大賀ハス(古代ハス)の撮影でした。

その際にも周辺を歩いてみた事もありました。

この記事などに書きました。






下の「大手門」と表示された石柱は、ツタが絡まって、文字が読み取れません。

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神社の狛犬も、いかにも暑そう。

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せっかくですので、まだ訪ねたことのない撫川城址へも足を伸ばしてみることにしました。

庭瀬城址の駐車場にある案内看板(昨日も掲載しました)で、位置関係の見当をつけます。


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以前の記事に掲載したこの地図の方が精細であったかも知れません。でも、こんな地図のこと、忘れてました。
庭瀬城跡アクセスマップ
車で移動するには、余りにも狭い路地ですので、コンパクトカメラだけ持って徒歩でお散歩です。
よりによってこんな炎天下を歩かなくても、と、途中で後悔しましたが、、、。
距離はわずかですが、道順がよくわかりません。

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民家の前の生活道をくねくねと歩いて、それらしい場所に着きました。
堀に取り囲まれた、中州のような場所です。「沼城」とよばれるゆえんです。

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ネット検索で、こんな情報を仕入れました。



撫川城(読み)なつかわじょう
日本の城がわかる事典の解説
なつかわじょう【撫川城】
岡山県岡山市北区にあった平城(ひらじろ)。1559年(永禄2)、備中国の三村家親が、備前国の宇喜多直家(うきたなおいえ)の侵攻に備えて築かせたと伝えられている。三村氏が毛利氏に滅ぼされてから毛利氏の出城となったが、1582年(天正10)、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)により落城した。慶長年間(1596~1619年)以降、庭瀬藩の戸川氏の所領となり、1679年(延宝7)戸川本家が改易後、分家の戸川達冨が跡を継ぎ、城の東に陣屋を構えた。近くの庭瀬城とは、戦国時代に一体となったと考えられる。現在は周囲を水堀に囲まれ、野面積(のづらづ)みの石垣があり、撫川城址公園として住民に親しまれている。JR山陽本線庭瀬駅から徒歩10分。◇沼城(ぬまじょう)、撫川陣屋ともいう。(出典 講談社日本の城がわかる事典について)




庭瀬城(読み)にわせじょう
日本の城がわかる事典の解説
にわせじょう【庭瀬城】
岡山県岡山市北区にあった平城(ひらじろ)。1559年(永禄2)、備中国の三村家親が、備前国の宇喜多直家(うきたなおいえ)の侵攻に備えるため、撫川城(なつかわじょう)の曲輪(くるわ)の一部を利用して築かせたと伝えられている。1600年(慶長5)、関ヶ原の戦いの戦功によって戸川達安が入封し、城の拡充を図った。しかし、1679年(延宝7)、世継ぎがいなかったため戸川氏が断絶、その後20年間は倉敷代官所の支配下に置かれた。1699年(元禄12)、板倉重高(いたくらしげたか)が入城、以降明治維新まで板倉氏が10代つづいたが、1869年(明治2)に廃城となった。現在、城跡の大部分は住宅地となったが、石垣と堀を残している。JR山陽本線庭瀬駅から徒歩10分。(出典 講談社日本の城がわかる事典について)



手元の「角川日本地名大辞典33岡山県」には、「4代庭瀬藩主(戸川)安風の時、嗣子に恵まれず御家改易となり、弟の達富が名跡相続が許され撫川知行所を開き、陣屋を二分して、本丸と三の丸を撫川城とし、二の丸を庭瀬陣屋とした。」とありました。元は相当規模の城で会ったようです。


撫川城址前の案内看板。前掲の庭瀬城駐車場前のものとそっくりですが、現在地の表示が違います。
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陣屋町を東西に貫く庭瀬往来(鴨方往来)は、山陽道にも通じ、陸路と水路の交わる交通の要所であったそうな。
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江戸情緒が偲ばれる町並みがゆかしいです。
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かつては、児島湾に通ずる港でした。「庭瀬港」と表示された石柱が立てられています。
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航路の安全を守る常夜灯。
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急に現代にワープです。
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こんな看板が、立てられています。

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拡大してみます。
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看板の裏側にあるのが信城寺というお寺のようです。
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「朝顔の花が咲きはじめました。さしあげます」とありました。
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足許を見ると可憐な花。
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境内に、たくさんの鉢植え朝顔が並べてありました。大変ゆかしい思いにとらわれましたが、歩いている身の上ですので、荷物になるのも閉口絵ですので、声をかけるのを遠慮しました。
境内に移転されたという常夜灯はこれでしょうか?
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昨日は夕方から小学校のグラウンドで育成会の夏祭り。ママは育成会の役員で、準備から片付けまで忙しいので、孫達の送り迎えはジジババの役目です。
夕方と言っても、いつまでも暑いです。
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今日はこれにて。
 

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古代ハスとウチワトンボ、の巻 [折々散歩]

ハスの花を見たくなりました。

豪雨災害の直後、岡山後楽園の蓮を見に行ってみましたが、濁流をかぶったせいか、いつもの年に比べて痛々しい様子でした。

今年のハスの花、の巻
今日も朝から強い日射し。
巣立ったツバメたちが家の周りを飛び交ったり、電線で休んだりしています。
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今朝になって、ふと訪ねてみようかと思ったのは、庭瀬城跡の大賀ハス(古代ハス)。以前、こんな記事を書いたことがありました。
蓮の花あれこれ vol2 大賀博士の故郷に咲く純粋種の古代ハス(2013.8.09)
(古代ハスを発見した大賀)博士の出身地に近い、庭瀬城址の堀にも、純粋種の大賀ハスが栽培されていると知り、興味深いので、この夏尋ねてみました。6月下旬には、近所のレンコン畑で蓮の花を見るようになっていましたので、7月7日に一度尋ねてみたのですが、その時はまだ蕾も見えませんでした。
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ぞろ目を狙ったわけではないのですが、八月八日、再度訪れ、写したのがこの写真です。
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縄文の息吹を伝える淡いピンク色の花が可憐です。大賀ハスは、開花・閉じるを3回くり返し、4回目の開花後、散ってしまうそうです。初開花から散るまでの間、花色は鮮やかなピンクから次第に白色へと変化して行くそうです。
久しぶりの訪問なので、道順があやふやです。
細い小路を行きつ戻りつして、ようやくたどり着きました。
途中で飲料水を仕入れようと立ちよったスーパーが、まだ開店前の9時頃でしたが、もう暑い。
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写真の陰影を見ても日射しの強さが伝わる事でしょう。
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庭瀬城跡については、たとえばこんな記事で話題にしたことがありました。
縁は異なもの 庭瀬城跡?行ったことあります!の巻
その時ご紹介したのと同じような写真になりますが、、。

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手前の堀に、大賀ハス(古代ハス)が栽培されています。
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噴水の水が涼を演出しています。
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よく見ると、大型のトンボが、あちらへふわり、こちらへふわりと飛んだり、ハスの花に止まって休んだりしています。
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ウチワトンボ(ウチワヤンマです)
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ところで、この庭瀬城あとの数百メートル先に、撫川城跡があります(撫川は、ナツカワと読みます)。
もともと、この庭瀬城と撫川城は、一体のものであったようです。
ウィキペディアの解説を引きます。
戦国時代   
 備中国の三村元親が、備前国の宇喜多氏の侵攻に備える為に築かせたと伝えられている。
    天正10年(1582年) 羽柴秀吉の備中高松城水攻めの際に、毛利方の国境防備の城「境目七城」の一つとなり、城主の井上有景が800余人を率い守備する。この際、位置的に孤立した場所にあったため、吉川元春、小早川隆景に早々に撤退するように下命されていたが、有景はその命令に背き、秀吉軍との間で激戦が交わされた。有景の軍勢は秀吉に敗れ、宇喜多氏の領有となり、しばらくの間無城主となる。
    当時の庭瀬城の縄割りは現在の撫川城まで有ったと伝えられており、かなりの規模であった事が想像できる。
   
江戸時代
    慶長6年、宇喜多氏の重臣であった戸川達安が入城、庭瀬藩を立藩し、城を改修。城を廃して二の丸に藩庁を設置し、庭瀬陣屋として整備。そして陣屋と鴨方往来周辺に陣屋町を造成した。
    延宝7年、4代目藩主戸川安風が僅か9歳で早世し戸川氏は断絶、改易となった。その後20年間は倉敷代官所と藩主が支配するようになる。
    元禄12年、板倉重高が2万石で入封し、江戸時代の終わりまで約170年間支配した。
    寛政5年、板倉勝喜は城内に板倉氏中興の祖重昌、重矩父子を祭る清山神社を建て、社内に歴代の遺品を収蔵した。


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ところで撫川城跡がある「撫川」地域は、県指定郷土伝統的工芸品「撫川うちわ」の産地として知られています。
道路脇にこのような掲示板がありました。

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「撫川うちわ」にちなんだ場所でウチワトンボを見たわけです。お後がよろしいようで。

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夏の風物詩あれこれ、の巻 [折々散歩]

今日もまた、暑い一日。

朝6時前に外に出ると、もう暑い。ラジオ体操が始まる頃には、じりじりという音が聞こえるほど。2020年のオリンピック、7時にマラソン歩開始したからと言って何の気休めにもなるものか。沿道にミストの設備を張り巡らすそうだが、その費用と効果はどんなあんばいなのでしょう?試しに、被災地で実験してみて欲しいと思います。

オリンピックに限らず、高校野球、インターハイ、いずれも酷暑の競技、考え直すべきだと、先日友人と話したところです。オリンピックも夏の高校生競技も、いっそ、全種目ナイターゲームにするか?そういえば、私、夜間定時制高校に勤めていた頃、夜の運動会はなかなかいい感じでした。でも、夜間といえども、真夏は活動には適さなかったですがね。

昨日は、3歳児の保育園の「夕べのつどい」があり、兄弟姉妹勢揃いで参加してきました。ママは保護者会の役員で手が離せませんし、パパも仕事がすぐには帰れないので、ジジババもフル稼働です。

園長先生の挨拶が「こんばんわ」で始まるのですが、夕方といえどもかんかん照りで、とても夕涼みの気分になれません。今年は、室内にエアコンの効いた控え室が設けてありました。

かき氷が大人気です。

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空を見あげると、月。
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これは、玄関のツバメのヒナ。大きくなりました。
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最近家の前の電線に、何羽ものツバメが揃って止まり、我が家の方を覗いています。先に孵った兄姉達が、ヒナの巣立ちを待っているのいるのでしょうか。
こちらは、飼育ケースの中のカブト虫。
時間差で、ほとんどが孵ったようです。
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先日オス4匹を、郷里の山に放しましたが、新たに生まれたのは、オスが1匹メスが4匹です。
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近所の公園に逃がしてやることにしました。
日当たりの良い自然環境体験公園。酷暑を覚悟して出かけましたが、、、、
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スプリンクラーで芝生に散水中で、涼しいこと。孫達は大はしゃぎです。

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クヌギの林に逃がしてやることにしました。
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私たちが帰ろうとしていると、子ども連れの客が、カブト虫たちを放した林の方角に歩いて行くのとすれ違いました。ひょっとして見つかって、採集されてしまうかも知れないと、少々気がかりでした。
帰りに畑に寄って、スイカを取ってきました。
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いい感じです。
今日はこれにて。



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久々の後楽園散歩補遺、の巻 [折々散歩]

西日本に大災害をもたらした大雨が上がり、梅雨明けが報じられて間もない7月14日(土)、実に久しぶりに後楽園を歩きました。豪雨による狼藉の痕にも気づかぬほど、端正な庭園のたたずまいです。

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遠く岡山城が望めます。
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岡山城は、その漆黒の外壁から烏城(うじょう)または、金箔を施したシャチホコから金烏城(きんうじょう)とも呼ばれます。
そんなことを何回か書きました、たとえば2016年秋のこの記事。
岡山城は、漆黒の壁にちなんで「烏城(うじょう)」とも、シャチホコの金を会わせて「金烏城(きんうじょう)」とも呼ばれます。

カラスにちなんで、こんな写真はいかがでしょう。







ハシブトカラスのようです。

「ガーガー」と濁った鳴き声のハシボソカラスとは違い、「カー、カー」という澄んだ鳴き声で鳴きます。もともとは森林地帯に生息していたのが、いまは、都市部において急激に分布を拡げ、ハシボソカラスを駆逐するいきおいだそうですね。
性懲りもなく、またまたカラスを撮影してきました。
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これまた同工異曲ながら、「金烏城」らしいたたずまいを、いろいろな角度から写しておきました。
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きょうはこれにて。

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今年のハスの花、の巻 [折々散歩]

連日体温近い酷暑で、お散歩も尻込みしています。

「朝夕の涼しいうち」はない、と、天気予報でも言っていました。げんに夜中の室温は、エアコンが切れると30℃を超えてしまいます。

避難所生活の寝苦しさは想像に余りあります。日中の片付け、復旧作業で体調を壊す方が続出とのことで、何人も救急車で搬送されたというニュースもあとを絶ちません。

長女のムコ殿も、この間、ボランティアで復旧作業に出動の由。頭が下がります。その故もあって、昨日の午後は、2歳児が我が家に滞在。子守がてらショッピングセンターに出かけ、母ちゃんは買い物、ジイジは孫のお相手です。エアコンのよくきいた店舗内を歩き回ったことで、散歩の歩数にかぞえることにしました。

今日もまた、スーパーの店舗内を歩いただけで一日が終わっていきます。

ところで、毎年この季節、ハスの花を話題にすることが多かったのですが、今年はまだでした。

先日の大雨が上がった日、近所の蓮根田周辺を車で通ってみました。


激しい雨と溢水にいたぶられたあとですが、清楚かつ優美に花を咲かせていました。


7月14日(土)には、まったく久しぶりに後楽園を訪ねてみました。

過去に何度も書きましたが後楽園では、井田の大賀ハス(古代蓮)と、正門付近の一天四海(大名ハス)が目を楽しませてくれます。

後楽園の古代蓮

今年の大賀ハス(岡山後楽園)

少々引用します。
正門近くの花葉の池に白い大輪の「一天四海」が咲いています。別名「大名ハス」とも呼ばれる豪華な花です。
強い陽射しを受けて、白い花がまぶしく、涼しそうです。
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(中略)
 
 
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白い蓮と言うといえども紅ほのか(パクリです)
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ところが、ことしは、「花葉の池」は泥水に浸かったあとも痛々しく、「一天四海」の花弁は一輪も残っていませんでした。

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大賀ハス(古代蓮)の方は、わずかでしたが花を咲かせていました。

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たくさんのチョウトンボが舞っていましたが、暑さの中でカメラを構え、マニュアルでピントを合わせるだけの集中力と腕前とが足りず、早々に諦めました。pentaxk-5+sigma APO 120-400mm F4.5-5.6という組み合わせで、こんな被写体をAF撮影することは、私には難しいのです。



真夏の後楽園、さすがに人影もまばらです。


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正面に岡山城を望みます。
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紫陽花がまだ見頃でした。
これが、後楽園の紫陽花、今年の初撮りです。
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今日はこれにて。


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臍をくくる、の巻 [折々散歩]

先週日曜日(7月8日)、退職同業者の親睦会の今年度総会が開かれました。

今日は7月10日付け記事の続きを書きます。
開会の冒頭、副会長のGKさんは、「『戦争』・『暴力』の反対語は何でしょう?」と会場に問いかけます。出席者の1人の「対話」という回答にうなずいて、暉峻 淑子著「対話する社会へ」を紹介し、「『戦争・暴力』の反対語は『平和』ではなく『対話』。対話に向かう世界政治の流れを、さらに推し進めよう」と訴えました。
対話する社会へ (岩波新書)

対話する社会へ (岩波新書)

  • 作者: 暉峻 淑子
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/01/21
  • メディア: 新書

続いて挨拶に立ったEK会長は、「憲法9条の問題は軍事・外交の問題ととらえられがちだが、それだけではない。私たちは『憲法・教育基本法の遵守を誓った誓約書に署名して、教職に就いた。その教育基本法は、すでに、第一次アベ内閣によって改悪されたが、今憲法9条の改悪を許せば、教職員は、その改悪憲法に従って、教え子を戦場に送る教育を進めなくてはならなくなる。このように、改憲問題は、すぐれて教育の問題でもある。」と強調し、「退職教職員連名アピール」のとりくみをはじめ、アベ9条改憲NO!の運動の推進を呼びかけました。

ついで、事務局から、この1年間の経過と決算、活動計画と予算案について報告され、満場の拍手で承認されました。
討論では、活動計画を深める立場から、「年金引き下げ違憲訴訟」をはじめ年金制度の改善を求める運動、「ゆきとどいた教育を求める全国署名」のとりくみ、県北での米軍低空飛行問題や日本原演習場での米海兵隊単独訓練に反対する現地のとりくみなど、多彩な話題が具体的に報告され、設定時間が足りないほどでした。
昼食を挟んで、午後は、学習と交流の時間。高教組書記長の松本太さんが「高校現場の教師と生徒たち」と題して問題提起。最大のブラック職場とも言うべき長時間労働の常態化、高止まりする教職員の休職者数、「賃金リンク」制度の導入、職場のチームワーク・協力関係の成立しにくさ、組合組織率の低下など、現在の高校現場のなまなましい実態を聞いて、「聞きしに勝る」「想像を絶する」様変わりぶりに改めて驚かされるとともに、退職教職員として、また一市民として、学校現場の教職員と子ども・生徒たちをどう応援し、力づけていくことが可能か、いたく考えさせられました。


話は変わって、昨日から、ある人名がどうしても思い出せませんでした。

よくあることです。

私版 備忘のためのおすすめ記事、の巻

でこんなことを書きました。
物忘れを嘆く記事を、何度も書いています。
たとえば、夕焼け その2の記事は、一昨年の秋に書きました。
一部を引用します。
 ショックです。
いたく落ち込んでいます。
自分の記憶の曖昧さ、でたらめさに、改めて気づかされ、「老人力」がついたなどと笑い流す余裕もありません。
(中略)
最近しょっちゅうこんなことがあります。先日は、テレビでチラリと顔を見た女優さんの名前が浮かびません。もと夫の方のお名前は浮かび、周縁のエピソードはあれこれ浮かぶのですが、名前が思い出せないのです。
あいうえお、かきくけこ---わをん。と、何度も繰り返して、これにつなげて名前を思い出そうとしますが、無理です。ほとんど二日半、この努力をしましたが、断念。ネット検索で確認するまで思い出せませんでした。
その女優さん、大ファンというわけでもないですけれど、デビューの頃からどちらかというと好感をもって見てきて、最近は、円熟味の増した演技に魅力も感じるし、レパートリーの広い歌での活躍にも注目していて、CDを買ってカーオーディオで聴く数少ないお気に入りアーティストの一人といってもいいのに。
現実の交際でも、こんなことがしょっちゅうあり、「名前を忘れた人」リスト作って、二度と忘れないようにしようと思ったりしますが、それも面倒で、二度目三度目の忘却に直面して愕然としたりするのです。トホホ。

白状します。この、名前が思い出せなかった女優さんというのは、大竹しのぶさんのことでした。もちろん、「もと夫の方」はサンマさんです。
 この話題を、現代の高校生にしましたら、「IMALU」さんの父母、としてインプットされているようですネ。
wikipediaでは、こんな紹介がありました。
 『いまる』は父親であるさんまの座右の銘「いきてるだけでまるもうけ(生きてるだけで丸儲け)」からと、一方大竹は「いまをいきる(今を生きる)」から命名したと述べている。


今度思い出せなかった人名は、私にとって、もっと切実な存在で、思い出せないことなどあってはならない人なのですから、余計にショックでした。
たとえば、子どもや孫の名前を呼び間違えることはしょっちゅうありますが、名前を思い出せないという経験はいまのところありません。でも、近い将来そんな耄碌が襲ってくるかも知れないと思うと、こころ穏やかではありません。
思い出せたときのアハ体験が大切と聞きますが、自力で思い出せない場合には、外部記憶を頼るしかありますまいか。
余りに気がかりで夜も眠りが浅いので、今日の早朝と言いますか未明に、パソコンのスイッチを入れ、検索したらすぐにわかりました。たしか、エスパー魔美に登場する男友達の名前だったよなあ、などと取りとめもない思いをめぐらしていたのはまさしく正解で、高畑さん!高畑勲さんでした。
事の発端は、小5と小2の孫を乗せて、郷里の老父母宅まで片道60km。時間にして2時間を、どうやって退屈を紛らすか?しりとり、なぞなぞ、などなど思いつく限りの時間つぶしを、子どもたちも工夫するのですが、それにも飽きて沈黙が訪れます。
そんな帰り道、ふと話題になったのがいくつかのアニメのことでした。
そもそもそのきっかけはと言うと、老父が地元新聞に投稿予定の記事を、孫2人が読ませてもらいました。「B29」「焼夷弾」「酷い」などの意味や読み方を確認しながら、帰りの車でもう一度2人で声に出して読み、兄が言います。「いちばんよく出てくる『戦争』という漢字は読めるだろ?3・4年生になったら「ちいちゃんのかげおくり」や「一つの花」が教科書に出てくるで。」とそのあらすじを語って聴かせます。妹は、担任のM先生が、「火垂るの墓」が悲しすぎて二回目は見たくないと言ってた。などの会話をしているので、「火垂るの墓」の話題に参加してみました。原作の野坂昭如さんを論じても始まらないので、アニメの作者を話題にしようと思って頓挫してしまったのです。
子どもたちは、正しくも「おもひでぽろぽろ」や「平成狸合戦ぽんぽこ」や「かぐや姫の物語」を上げます。それらの作品の監督、高畑勲さんのお名前がどうしても思い出せないのでした。
宮崎駿さんはすぐに思い出せたのに、なぜでしょう。

一筆啓上仕り候、の巻(その2)

など、高畑さんのことは何度も書いていますのに。
さて、その高畑勲さんの短い手紙、いやはがきの一節が、「リテラ」のこの記事に紹介されています。

引用元 高畑勲監督が遺した安倍政権への無念の言葉


去年の年賀状にしたためられたという高畑さんの「願い」だそうです。

〈皆さまがお健やかに
お暮らしなされますようお祈りします
公平で、自由で、仲良く
平穏な生活ができる国
海外の戦争に介入せず
国のどこにも原発と外国の部隊がいない
賢明強靭な外交で平和を維持する国
サウイフ国デ ワタシハ死ニタイ です〉


この願いが叶う姿を見届けられないまま亡くなられたのは、残念至極です。

同じ「リテラ」の記事から、こんな文章も引用させていただきます。(見出しは引用者)


「火垂るの墓」は戦争を食い止めることはできない?

「『火垂るの墓』は反戦映画と評されますが、反戦映画が戦争を起こさないため、止めるためのものであるなら、あの作品はそうした役には立たないのではないか」
「攻め込まれてひどい目に遭った経験をいくら伝えても、これからの戦争を止める力にはなりにくいのではないか。なぜか。為政者が次なる戦争を始める時は「そういう目に遭わないために戦争をするのだ」と言うに決まっているからです。自衛のための戦争だ、と。惨禍を繰り返したくないという切実な思いを利用し、感情に訴えかけてくる」
神奈川新聞インタビュー記事(15年1月1日付)

「『火垂るの墓』のようなものが戦争を食い止めることはできないだろう。それは、ずっと思っています。戦争というのはどんな形で始まるのか。情に訴えて涙を流させれば、何かの役にたつか。感情というのはすぐに、あっと言うまに変わってしまう危険性のあるもの。心とか情というのは、人間にとってものすごく大事なものではあるけれども、しかし、平気で変わってしまう。何が支えてくれるかというと、やはり『理性』だと思うんです。戦争がどうやって起こっていくのかについて学ぶことが、結局、それを止めるための大きな力になる」
2017年4月三上知恵監督とのトークイベント

ズルズル体質の歯止めのなさ。

「政府が戦争のできる国にしようというときに“ズルズル体質”があったら、ズルズルといっちゃう。戦争のできる国になったとたんに、戦争をしないでいいのに、つい、しちゃったりするんです」
「日本は島国で、みんな仲良くやっていきたい。『空気を読み』ながら。そういう人間たちはですね、国が戦争に向かい始めたら、『もう勝ってもらうしかないじゃないか!』となるんです。わかりますか? 負けちゃったら大変ですよ。敗戦国としてひどい目にあう。だから『前は勝てっこないなんて言っていたけれど、もう勝ってもらうしかない』となるんです」
武蔵野市での講演会(15年7月)

「 絶対的な歯止め」としての9条。

『普通の国』なんかになる必要はない。ユニークな国であり続けるべきです。 戦争ができる国になったら、必ず戦争をする国になってしまう。閣議決定で集団的自衛権の行使を認めることによって9条は突如、突破された。私たちはかつてない驚くべき危機に直面しているのではないでしょうか。あの戦争を知っている人なら分かる。戦争が始まる前、つまり、いまが大事です。始めてしまえば、私たちは流されてしまう。だから小さな歯止めではなく、絶対的な歯止めが必要なのです。それが9条だった」
神奈川新聞インタビュー記事(15年1月1日付)
こんな記事を書き留めていたことさえも忘れていました。忘れたら何度も紐解いて、思い出すしかありません。ここはあきらめて、臍を括ることにします。
きょうはこれにて 


追伸

長い長い記事を書き終えて、いざタイトルをどうしようかと考えあぐね、文末の「臍を括る」を使うことにしました。「ほぞをくくる」と読むつもりです。UPして何時間かたって、なんだか落ち着かない違和感が襲ってきました。

「腹を括る」という言葉はあるけれど、「臍を括る」っていうかしら?第一、どうやっておへそをくくればよい?

それを言うなら「臍を固める」でしょ。気がついて臍を噛んだことでした。ヘソが茶を沸かすたぐいのお粗末でした(汗)

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今日のあれこれ、の巻 [折々散歩]

梅雨明けが報じられた頃から、蝉の姿を見るようになりました。

これは昨日訪ねた後楽園の庭園で見つけた空蝉です。

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今朝などは日射しとともにけたたましい蝉時雨が、並木の枝を包んでいます。
朝の散歩も結構な暑さで、早々に退散してきました。


見るともなく眺めていた朝のテレビに、注意を引かれました。

NHKドキュメンタリー - 目撃!にっぽん「政治家 野中広務の遺言~追い追い求めた“真実一路”~

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そう言えば、以前、ソネブロmajyo様の記事で何度か野中さんを話題にしておられました。たとえばこの記事。

老兵は死んだ・野中広務

少しだけ無断引用させていただきます。
今日は亡くなった野中さんの事を書きたいと思ったが時間が無い
昨夜、Twitterにて投稿した短い文章をご紹介したい

野中広務氏が亡くなられた。下記の三冊を読んでいると思うが彼をダーティーな鳩と思う。冷厳さと優しさを併せ持つ人だがその出自から麻生太郎は言う。あんな部落出身者を日本の総理にはできない。その後、野中は多くの人の前で 君に人権啓発なんて出来ない。絶対に許さん!と言った
魚住昭の自叙伝的ノンフィクションの中にある。出自に関して家族を悲しませたことをわびた。本人にも辛い本だったようだがそれがよりリアリティーに感じる。惜しい方が亡くなった
(中略)
今から何年前だろうか
HPをやっていた私は小泉時代にイラク派兵に反対していた。
その時に自民党で声を上げていたのが野中さん
政治に疎かったし、野中さんにはダーテイーなイメージを持っていたが
この人は芯がある。すごい人だと思うようになった。
今朝のNHK番組でも、そのイラク国会の時の行動が、当時の映像で紹介されていました。他にも、基地問題での沖縄県との対応、ハンセン病問題解決への尽力、大政翼賛化への危惧、改憲の動きへの懸念など、「みずからの戦争体験から一貫して反戦を訴え、弱者に対するまなざしを大切にする政治家」としての実像が、実際の映像や各界の人々の証言を通して浮き彫りにされていました。
これに触発されて、少々ググってみると、こんな記事もありました。
NHK政治マガジン2018年4月18日 特集記事 野中広務とは 何者だったのか
一部分を引用します。
野中氏は、その政治姿勢から、与野党問わず、幅広い政治家にファンがいたことで知られています。現在、兵庫県宝塚市長を務める中川智子氏は、社民党の衆議院議員時代から親交のあった1人です。平成9年に、野中氏が、衆議院本会議での委員長報告で、「大政翼賛会にならないよう若いみなさんにお願いしたい」と呼びかけたのがきっかけでした。
「感動のあまり、矢も盾もたまらず、野中事務所に走った。ちょうど野中さんも自室にいて会うことができた。『今日の野中さんの発言に涙が出た。あなたみたいな政治家に会えてよかった。本当に素晴らしかった』と話した」
当時、社民党の1年生議員だった中川氏は、その夜、議員宿舎に帰って驚きます。野中氏から、「これから困ったことがあったら何でも相談しなさい」というメッセージと、携帯電話の番号が書かれたメモが、郵便受けに入っていたのです。
それから、野中氏は、ハンセン病や、薬害ヤコブ病をめぐる問題などで、中川氏の活動に党派を超えて、力を貸したといいます。
「私が、いつも『手伝ってもらってばかりですいません』と言うと、『君は、票にもお金にもならないことに必死で取り組んでいる。本来政治家はそうあるべきだ。政治の光が当たらなければならない人を助ける議員が少なすぎる』と。『君を手伝うことは大事な仕事だと思っている』と言ってくれた」

野中氏が政界を引退した後も交流は続き、1年に数回は会って食事をしながら意見交換していた中川氏。1年に3日だけ、どうしても野中氏と会えない日がありました。野中氏が自治大臣・国家公安委員長として対応にあたった阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件と、JR福知山線の脱線事故が起きた日でした。
「野中さんは、『必死だったが救えなかった命はある。体が動かなくなるまで、この3日は欠かさず、お参りすると決めている』と。生涯を貫き、自分が関わったことを忘れずに亡くなった人たちと向き合う。自分に対して非常に厳しい方だった」
政治の裏も表も知り抜いた保守政治家ながら、ポリシーと気骨を持った、アッパレな政治家であったことは間違いないようです。
ネット上では、こんな新聞記事に出会うこともできます。しんぶん赤旗2009年6月27日付です。

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長くなりますが、一部引用します。
25歳で郷里の町会議員になり、衆院議員引退までの52年の政治生活を通じて「宿敵」だったあなた方(「赤旗」)に私の思いを語るのも、いまの時代が、そうさせるのだと思います。

■議員引退の訳

 国会議員を退いて5年8カ月。私は全国各地で、ざっと300回の講演をしてきました。招かれる先にはあなた方と親しいグループや団体、また憲法9条を守ろうという会もあります。
 いま静かに日本の政治を見ると、おかしくなっていく日本を感じます。とくに小泉内閣の5年は、短いことばで国民を狂わせて、アメリカ型の市場万能主義をそのまま持ち込み、アメリカの権益がかかわる戦場に自衛隊を派遣して、日本社会の屋台骨を粉々にしてしまいました。私は、こんな内閣と同じ時代に国会議員でいたら後世恥ずかしいと思い、議員を退いたのです。
 私自身は、軍隊経験は6カ月だけですが、あの戦争の時代とその後を体験した人間として、今日ほど日本の人々が、この国の進路を誤らないように明治以後の歴史を振り返り、平和を考えなければならない時はないと思います。

■大政翼賛会に

 01年10月、衆院本会議にテロ特措法案の採決がかかったとき、私は、本会議場を退場して棄権しました。03年6月のイラク特措法案が採決にかかったときにも本会議場を出て棄権しました。この法案が自民党総務会に示されたとき、自衛隊の派遣については慎重であるべきだといったのは、ぼくと野呂田芳成さん、谷洋一さん(ともに元農水相)の3人だけ。あとの議員は「こんなときに何をいっているのだ。自衛隊を派遣するのはあたりまえじゃないか」といっていました。
 正直いって僕はむなしさを感じました。自民党は戦争が好きな政党になってしまった。それこそ大政翼賛会時代にもどってしまったわけです。
 このできごとに先立つ1997年4月、衆院本会議で僕は、日米安保条約の実施に伴う土地使用にかんする特別委員長としての「沖縄駐留軍特措法改正案」審議報告で「この法律が沖縄を軍靴で踏みにじる結果にならぬように。…国会の審議が再び大政翼賛会的にならないように、若い人にお願いしたい」と自分の思いをつけ加えました。国会ルール違反と批判され、議事録から削除された経験があります。
 しかし、そのあと、特措法を積み重ねて自衛隊は地球の裏側まで出かけていけるようになってしまいました。
 私は、振り返って今も3つの特措法に対する自分の当時の判断は間違っていなかったと思っています。

戦争に加担しない道を

 最近、この国のこれからの平和を考えるうえで、僕が一番恐れているのは米軍再編です。米軍は米本土にあった米陸軍第1軍団司令部を座間(神奈川県)に移転させ、そこへ陸上自衛隊の司令部を集結させました。かつて日本は傀儡(かいらい)国家である「満州国」をつくり、そこに関東軍司令部を置いて、中国大陸を植民地化していく橋頭塗(きょうとうほ)をつくりました。あのときの日本の植民地政策と同じ考え方ではないでしょうか。当時と違うのは日本政府が、この米軍再編に3兆円ものお金を出そうとしていることです。
(中略)
 日米間には現在、安保条約があるだけで、平和友好条約はないです。やはり日米平和友好条約を結べる環境をつくらねば、日本はいつまでたっても米国と対等になれないと思います。

■憲法

 たしかにいまの憲法にはいろいろ矛盾はあります。しかし、わが国は日本国憲法の掲げる「戦争放棄」「恒久平和」の理念を1つのよりどころにして、自衛隊を海外に出したりすることを「卑怯(ひきょう)者」といわれても避けてきました。憲法を盾にして戦争に加担しない道を歩んできたんです。このことが戦後64年の平和につながったんです。1つ足を踏み出したら取り返しのつかないことになることは20世紀の戦争の1つ1つが物語っています。
 私は、この事実だけは何があろうと忘れてはいけないし、日本はあくまでも憲法の掲げる理念に則(のっと)って国際平和に貢献すべきだと思います。
 私自身は、憲法について、9条2項を変えて自衛隊を認め、しかし海外へ出さないという規定にすべきと考えています。あなた方とは違うかもしれないが、これが実現しないうちは、9条を含めて現在の憲法を守るべきだと思います。

■戦争の傷跡

 私の生まれ育った京都府船井郡園部町(現在の南丹市)がある口丹波(くちたんば)といわれる地方には戦争前、マンガンなどの鉱山がありました。
 僕は子どものころ、鉱山で働く朝鮮人が、背中にたくさんの荷物を背負い、道をよろよろ歩く、疲れ切ってうずくまるとムチでパチッと叩(たた)かれ、血を流しながら、はうようにまた歩き出す、そんな姿を見てきました。また私の家から300メートルほど先に大阪造兵廠(しょう)が疎開してきて、兵器を造るため連行されてきた朝鮮人が同じようにひどい仕打ちで働かされていました。
 戦後64年が経過した今も、戦争の傷は癒えていません。未処理の問題も数多くあります。
 北朝鮮との国交回復、賠償の問題も残っています。中国に日本軍が遺棄してきた化学兵器や中国残留孤児の問題もあります。多くの未解決の傷跡をみるとき、まだまだ日本は無謀な戦争の責任が取れていないと思います。そのこと自体が被害者の方々にとって大きな傷になっていると思われ、政治家の一人として申し訳ない思いです。

■歴史に学ぶ

 幕末から明治にかけて、「富国強兵」が国是となって日清・日露戦争に突入し、その結果が「満州国」という傀儡国家をつくる、あるいは朝鮮半島を植民地にするという狂った時代をつくり上げてしまいました。美化された明治の改革であったけれども、このときのスタートがあの戦争の敗戦まで至っていたのか、と思うとき、そこに焦点を当てて、もう一度、歴史を学ぶ必要があります。
 私は、子どもたちにしっかりと近現代史を教えてこなかったツケが、田母神俊雄・元航空幕僚長のような暴言を吐く人間が出てくるような、悲しい、いまの日本の狂ったような状況に拍車をかけていると思います。
 シビリアンコントロールが効かない状況が起きているのを、政治がどのようにチェックし、正常化していくのかというところにも力を置かないと自衛隊内部からの暴発によって日本の平和が脅かされる危険性があると思います。
 国の根幹を決めなくてはいけない政治家たちが、しっかりした歴史認識にたって、再び誤った道へ走っていく流れにブレーキをかけなくてはならないと思います。
     ◇
 去年あたりから「蟹工船」ブームといわれ若い人たちがまともに歴史に向かい合おうという気持ちが出ていることを非常にうれしく思い、また期待もしています。こういう輪が広がることで、日本が再び軍国主義国家になっていく道が閉ざされて、平和な国としてやっていけるスタート台に立てるのではないかと思います。
 そのための種を蒔(ま)いていく使命がわれわれにはあるんじゃないかと思っています。

政治的立場に違いはあっても、今の日本の危機をどうとらえるかについては、まったく同感で、次代に語り継いでいかなければならない
ならないと強く思ったことでした。



今日は,小5,小2の孫と一緒に田舎に帰ってきました。

途中、堤防決壊の痕など、まだ洪水被害の爪痕が癒えない地域も通りかかりました。

撤去中の瓦礫の様子も瞥見しました。エアコンを効かせた車の中でも汗が引かない猛暑の中、気が遠くなるような後片付けのご苦労は、なみひととおりではありません。作業中に、熱中症で搬送される方々が、各地で多数報告されています。

こちらはと言えば、のんきな用事で申し訳ない限りですが、先日いただいたカブトムシの幼虫が、ついに羽化し、狭い飼育ケース中で争い合うので、何匹か田舎に逃がしてきたらと、ばあばが言ったのが事の起こりです。

オスばかり。四匹連れて行きました。


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裏山にクヌギの木があるので、そのあたりに放してやることにしました。
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元気に旅立って行きました。
今日はこれにて。

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梅雨明けて朝の涼しいうちさえもない、の巻 [折々散歩]

梅雨明けとなったら、律儀なことに大変な暑さです。少しは、ほどほどに手抜きをしたらどうなの?
豪雨災害でなくなられた方が、今日現在、岡山県内で59人に及び、さらに行方不明・安否不明が多数報告されています。今日の夕刊で 、志望者のお名前が 初めて公表されました(40人分)、高齢の方が多いのが特徴です。自宅から避難できず、2階への垂直避難もままならず、せっかく弔辞に恵まれながら、「溺死」という信じがたい最期を迎えるとは、ご本人もご家族も、無念としかいいようがありません。
無事避難された方々も、酷暑の中の避難所生活、片付け・復旧作業は、想像を絶する困難を伴うでしょう。ボランティアの皆様の奮闘ぶりも伝えられていますが、熱中症対策等、健康に留意されますよう祈ります。

それを思えばのんきなものですが、朝の涼しいうちにと、プチ散歩してきました。6時台でも相当な暑さです。
これは、カラスウリの花。

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芙蓉。

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ムクゲ。

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朝食を済ませて、借りてる畑の様子を見て来ました。
掘り残しのジャガイモが、大雨に浸されて、全滅?と思いきや、無事なものもかなりありました。無惨に腐りかけているものもあって残念でしたが、掘りあげて帰りました。草取りも試みますが、汗が噴き出て、身動きするのも億劫なほどです。
雑草まみれの中に、スイカが実っていました。一週間ほど前(洪水前9に一つ、採って帰ったのですが、その時はまだ薄いピンク色で、ちょっと早すぎました。

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洪水のあと、散歩道のスイカを見ますと、雨にやられて腐りかけているものも目につきます。腐らせてしまってはがっかりなので、とりあえず一個だけ採って帰ることにしました。
学校から帰った小5生が、いみじくも「今日はスイカを取りに行きたい」と言います。ぴったりのタイミングでした。


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十分な熟れ具合で、嬉しい甘さでした。

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トマトやナスも、被害がなく、収穫できました。

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小2の女の子の、本読みの宿題は、ここ何日か、「スイミー」です。

スイミー―ちいさなかしこいさかなのはなし

スイミー―ちいさなかしこいさかなのはなし

  • 作者: レオ・レオニ
  • 出版社/メーカー: 好学社
  • 発売日: 1969/04/01
  • メディア: ハードカバー

「レオ・レオニ作  たにがわしゅんたろうやく スイミー」

孫のパパや叔母・叔父たちも、小学生の時、この作品を、大きな声で本読みしていた記憶があります。
当時、自分の知らない作品だなあと思っていましたが、ウィキペディアの解説によると「1963年に出版された。谷川俊太郎が訳した日本語版の正式な題名は『スイミー―ちいさなかしこいさかなのはなし』。光村図書出版が発行する小学校2年生用の国語教科書に1977年から載録されている」そうです
ところで、前回記事でもちょっと話題にした映画「万引き家族」で、第71回カンヌ国際映画祭最高賞のパルムドールを獲得した是枝裕和監督が、日本外国特派員協会での記者会見(6月6日)で次のように語っているそうです。

ーー実際に釣り竿を万引きした家族のことが報じられましたし、脚本を執筆するにあたって、どのような研究をしたり、人に会ったりしましたか。

是枝:実際の事件をもとに作ったというわけではありませんが、ここ数年の間に家族を巡って起きたいくつかの事件を参考にはしました。

今回の作品では血縁=血の繋がりではない繋がりを持っている家族を描こうと思い、そこから"犯罪でしか繋がれなかった家族"というアイデアが生まれました。そして年金詐欺、年老いた親が亡くなった後、その年金を頼りに子どもたちが暮らしているという状況をベースにしてみようと。さらに、その家族が優しさで集まっているのではなく、お金目当てで集まっている。最初のモチベーションをあまり優しいものにはしないようにしようと思って、そうしました。

 

 もうひとつは、家族で万引きしたという事件の裁判が始まったというニュースがありました。なぜ捕まったかというと、盗んだ物の中で釣り竿だけ家に置いてあったからだと記事に2、3行書いてあって、それがすごく引っかかっていたんです。多分、これは釣りが好きで、きっと盗んだ親子で釣りをしたんだろうと思いました。釣具店さんには申し訳ないんですけど、盗んだ釣り竿で釣りをしているイメージが最初に浮かびました。結果的にストーリー上、シチュエーションは変えましたが、映画の中で親子が釣り糸を垂らしているシーンは、最初に浮かんだそのイメージです。

 

 それから今回の取材で一番印象に残っているのは、親からの虐待を受けて施設に収容され、そこから学校に通っている子どもたちの取材に行ったときのことです。ちょうどランドセルを背負って帰ってきた女の子に「今、何の勉強してんの?」と話しかけたら、国語の教科書を取り出して、僕たちの前でいきなりレオ・レオニの『スイミー』を読みはじめたんですね。施設の職員の人たちが「皆さん忙しいんだからやめなさい」って言うのも聞かず、最後まで読み通したんです。僕たちがみんなで拍手したら、すごく嬉しそうに笑ったので、「ああ、この子はきっと、離れて暮らしている親に聞かせたいんじゃないか」と思いました。

 

 朗読をしているその女の子の顔が頭から離れなくて、すぐに少年が教科書を読む、というシーンの台本を書きました。

 

ーー政治指導者からのお祝いの言葉が無かったということですけれども(笑)、監督の頭の中に、観衆として政治を生業にする皆さんや官僚の皆さんのこともありましたか?

 

是枝:ありませんでした。

 テレビをやっていた時代、先輩に「誰か一人に向かって作れ」と言われたんですね。「テレビみたいに不特定多数に向かって流すものほど、誰か一人の人間の顔を思い浮かべながら作れ。それは母親でもいいし、田舎のおばあちゃんでもいいし、友人でもいい。結果的に、それが多くのひとに伝わる」と。20代の頃に言われて、今もずっとそうしています。

 今回は...今言われてはっきりわかりましたけれども、スイミーを読んでくれた女の子に向けて僕は作っていると思います。





ツバメが、スズメの襲撃に邪魔されながら、一回目にヒナを孵した巣は放棄して、場所を変えて二度目の巣作りに励んでいましたが、豪雨災害にもめげず、ようやくヒナが姿を見せ始めました。親鳥はかいがいしく餌を運んでやっています。

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ヒナたちは、いつもはじっと巣の奥の方に潜んでいますが、親鳥の気配を感じると競い合って自分の存在をアピールします。
大きな声で「スイミー」を読む小学生のように。
親鳥は等しくそれを受け止めて、順に餌を分配します。
親子の情愛の厳かさを感じるひとときです。
今日はこれにて。

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けさの倉敷川ほか、の巻 [折々散歩]

当ブログの執筆動機は、そもそも、家族・友人知人への安否情報と、私個人の備忘録的記録が主なものでした。
2015年8月のこの記事に、いみじくもこう書きました。
私のブログ開始は、正確には、退職の瞬間から即時というわけではなく、いくらかタイムラグがありまして、癌手術を経てのリハビリ過程で、退屈しのぎのすさびごととして始めたというのが、経過です。
その時漠然と期待したのは、①忘れっぽい自分の備忘録(紙に書く日記は,続けられないので)、②日頃ご無沙汰している友人、知人への消息、安否報告、生存確認、③自分自身の何らかの存在確認、などの雑多な要素を、お気軽に満たしてくれそうだという点。今、三年目を迎えられていることをみれば、この予感は、まんざら外れてはいなかったようです。
もちろん、当初は予期してさえいなかった、「読者」の皆様や、「ブロガー」仲間の皆様方からの、閲覧、ナイス、コメントなどなど、多大な励ましをいただいたことが,継続の最大の支えでした。
何やら、「終わりの挨拶」みたいな流れになってきましたが、そんなことはありません。まだまだ、細く長く、続けるつもり、ひきつづき、よろしくお願い申します。
昨今、時に流されて、その備忘録の記録がおろそかになっています。
小学生の夏休みの宿題さながらに、最近数日分の日記を書き溜めておきます。
5日(木)は、発熱の保育園児の保育(記事に書きました)。
6日(金)は、作品展の店番8これも記事に書きました)。
この日、入れ替わりに午後を担当してくださった方の一人は、新見在住で、早めに切り上げて帰宅されたタイミングがきわどくセーフで、180号線も水没、高速道路も通行止めになる寸前の最後の通行者だったそうです。小中学生はこの日から臨時休校。孫らは、午前中はおとなしく子供らだけで過ごし、午後はちらほら遊びにきた子もいました。
7日(土)は、午前中の早い時間に溢水状況をカメラに納めました(記事にしました)。
まもなく、ママが、災害に伴う用務多忙で、職場から呼び出しを受け、保育園児だけを私に預けていきました。この日はいつになく聞き分けよく、途中から姉も合流して穏やかに雨籠りをしたことでした。
お昼ご飯は残りの小中学生も招いて、じいじ特製焼きそばを振る舞うなどするうちに、一日がくれました。何度も防災メールが着信し、消防車がサイレンを鳴らして、なにやら放送を流しながら走る物々しい雰囲気はありました。
8日(日)は、朝方まだ雨は残り、各種警報も出されていましたが、毎年この時期に開かれる退職同業者の親睦組織の総会に出席。JRも不通、高速道路など主要道路の多くが通行止めという悪条件で、やむなく欠席された方もありながら、遠路悪路を厭わずの出席で、熱気ある会となりました。
一番の遠方は、近年埼玉に移住されたTさんで、例年通りの常連参加ですが、今回は新幹線は動いたが在来線全面ストップのあおりで、駅で一泊されての出席とか。「避難勧告」どころか「避難指示」が出されている地域からの出席も少数ではなく、総会終了後、夜に計画されている懇親会もよていどおり「決行」されました。(勝手ながら、私は、失礼しましたが。)
開会に先立ち、例年のようにHさんのアコーディオン演奏で、「鐘の鳴る丘」を合唱。
緑の丘の赤い屋根
とんがり帽子の時計台
と始まるこの曲ですが、結びの部分の歌詞に、感慨を覚えました。
昨日にまさる 今日よりも
明日はもっと幸せに
みんななかよく おやすみなさい
「歌声喫茶のび」このページに、midi音源が紹介されており、こんな記事も掲載されています。
戦争が終わった時に、戦争孤児は12万人とか。
この物語のきっかけは、アメリカ駐留軍のカトリック的な施策。
1917年にカトリックのフラナガン神父によってアメリカで「少年の町」が創設されます。
「この世に悪い子はいない。愛を持って接すれば、非行少年も必ず立ち直る」というその精神を、菊田一夫が日本人向けにアレンジしたものが「鐘の鳴る丘」。
菊田一夫は、さらに「戦災孤児は誰が作ったのか、彼らがカッパライをするのは生きるためではないか」というメッセージも込めています。


戦争が終わり、国中が貧しい中でもどこかに希望が存在していた時代。その希望の根拠が憲法に集約されていたはずの時代。そういう明るさを湛えた歌が、眩しいほどに愛おしく思われました。

「万引き家族」が話題を呼ぶなか、「『万引き家族』の主人公一家が現在の日本で決して特殊な存在でない」(是枝監督)だけでなく、そのような人々が、貧困バッシングにさらされる現代の陰湿さをおもうにつけても、是枝監督の次の指摘を、改めてかみしめたことでした。

「日本は経済不況で階層間の両極化が進んだ。政府は貧困層を助ける代わりに失敗者として烙印を押し、貧困を個人の責任として処理している。映画の中の家族がその代表的な例だ」

総会の模様は、また機会を改めて紹介する予定。

総会終了後、作品展会場を片付けて、作品を持ち帰り、一つの行事が終わりました。

9日(月)午前中、留学生相手のアルバイト。小中学校は休校が続き、おとなしく家に閉じこもっていたようです。

夕方、水位の下がった用水路で、小魚掬いをしてみました。エビや各種の小魚が捕れました。小5の孫はオタマジャクシを掬いましたが、これは逃がしてやりました。

10日(月)。

朝コンビニまでパンを買いに行きました。品揃えが薄いです。

その足で、倉敷川を見てきました。

水は引き。いつもの穏やかな表情を見せています。

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暑い一日です。避難所生活は大変だろうと思いながら、クーラーを効かせた部屋で、TVや録画を見ながらうとうとしていました。子どもたちは、やっと日常に戻り登校。プールも楽しんで帰ったようです。




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そんなに急いでどこへ行く、先は地獄か煉獄か?の巻 [折々散歩]

一昔前「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」という交通標語が流行りました。
昭和48(1973)年の全国交通安全運動の標語募集で総理大臣賞を受けた、高知県土佐署のお巡りさんだった岡本定之助さんの作品だそうです。
現在開催中の国会、捏造データにもとづいた「働かせ改革」法案に加えて、「IR」とオシャレなお化粧で飾ったバクチ解禁法案まで、会期延長してまで成立を急いでいます。そんなに急いでどこへ行く??と疑問は募ります。
アベさん、今通常国会を「働き方改革国会」と位置づけてきただけに、森友・加計をはじめ自分の不始末への追及で国会が明け暮れて、目玉法案を成立させられなかったときては、面目も立たず、秋に予定される総裁繊維も不利に働くとの計算から、なりふり構わず強行をはかろうとしているとの、評論家の皆様の指摘は、まったくさもありなんと合点できます。
でも、自民党内や支持者層にも反対の意見が根強いというカジノ(賭博場)法案を、なぜこんなに頑なに成立を急ぐのか,正直のところ疑問でした。
が、「リテラ」のこの記事は、見事にその謎を解いてくれました。
働き方改革は今国会の目玉
安倍首相「カジノ法案」強行の背景にトランプの意向! 日米首脳会談に米カジノ企業トップ3人が同席

このカジノ法案は、刑法で禁じられている賭博場であるカジノを合法化して解禁させようというもの。安倍首相はこの法案について「観光立国の実現に向け、世界中から観光客を集める滞在型観光を推進する」と喧伝するが、自治体調査ではカジノ入場者の7〜8割が日本人と想定されており、ギャンブル依存症患者の増加が医師や専門家からも懸念が示されている。さらに、今回の法案では、「特定資金貸付業務」というカジノ事業者が客に賭け金を貸し付けることを認めており、多重債務者の増加も心配されているのだ。
(中略)
「とにかく今国会でカジノ法案を成立させる──。安倍首相がここまで血道を上げる理由は、一体何なのか。じつは、カジノ法案の背景には、トランプ大統領と米国カジノ企業の意向があった。
 昨年2月、安倍総理がトランプ大統領との初の首脳会談をおこなった日の朝食会には、米国カジノ企業のトップ3人が出席していました。そのうちのひとりは、トランプ大統領の最大の支援者であります。安倍総理はその場で『カジノ推進の法律をつくった』と紹介しました。まさにカジノ企業の要求に応えるものでした」
 昨日の衆院本会議でこんな指摘をしたのは共産党の塩川鉄也議員。
 安倍首相が米国カジノ企業トップと会合をもっていた──。じつは、この朝食会は、全米商工会議所と米日経済協議会の共催でおこなわれたもので、ラスベガス・サンズの会長兼CEOやMGMリゾーツの会長兼CEO、シーザーズ・エンターテイメントのCEOなどが参加していた。そもそも、米日経済協議会は安倍政権に対して2016年の段階からカジノ法案の制定を要求しており、安倍首相が朝食会で会った企業の首脳たちはいずれも日本へのカジノ進出を狙っている。
 安倍首相がこのとき陳情を受けたことは間違いないだろう。
 しかも、安倍首相にカジノ解禁を迫り、牽引してきたのは、トランプ大統領だ。昨年6月10日付の日本経済新聞には、こんなレポートが掲載されている。
〈「シンゾウ、こういった企業を知っているか」。米国で開いた2月の日米首脳会談。トランプ大統領は安倍晋三首相にほほ笑みかけた。日本が取り組むIRの整備推進方針を歓迎したうえで、米ラスベガス・サンズ、米MGMリゾーツなどの娯楽企業を列挙した。政府関係者によると首相は聞き置く姿勢だったが、隣の側近にすかさず企業名のメモを取らせた〉
 トランプの話に「へいへい」と前のめりで御用聞きに成り下がる安倍首相と側近の姿が目に浮かぶエピソードだ。
(中略)
さらに、安倍首相がカジノ解禁に突き進む理由はもう一つある。安倍首相は、カジノ進出を狙うセガサミーホールディングス会長の里見治氏と“蜜月関係”にあるからだ。
 セガサミーといえばパチンコ・パチスロ最大手の企業だが、2012年に韓国のカジノ企業と合弁会社を設立し、昨年4月には韓国・仁川に大型カジノリゾートをオープン。カジノが解禁されれば、その恩恵を大きく受ける企業だ。実際、セガサミーは五輪東京招致のオフィシャルパートナーとなり、政界の“五輪開催のタイミングでカジノ合法化へ”という動きのなかでカジノ利権の主導権を握ろうと存在感を高めてきた。そうしたなかで、セガサミーは国内カジノ利権の主導権を握るため政界工作をおこなってきたと言われている。
 そして、カジノ解禁に向けて里見会長が目をつけたのは、安倍首相その人だった。
 ふたりの出会いは第一次安倍政権時だと見られ、2007年1月30日には赤坂の全日空ホテルで安倍首相と里見会長は会食をおこなっている。さらに政権交代によって下野してからは、さらにふたりの関係は密になったという。
(中略)
また、2015年1月には里見会長の自宅に銃弾が撃ち込まれるという発砲事件が起こったが、このときこぞって週刊誌が“カジノ利権の争いが事件の背後にあるのでは”と書き立てた。
(中略)
もともと安倍首相はパチンコ企業との癒着が指摘され続けてきた人物。父・晋太郎の時代から福岡、山口で多くのパチンコ店を経営する七洋物産は地元の有力スポンサーであり、安倍家は下関市の広大な自宅と事務所を同社の子会社であるパチンコ業者・東洋エンタープライズから格安で賃借。さらに自宅のほうは1990年に所有権が同社から晋太郎に移り、それを安倍首相が相続。地元では「パチンコ御殿」と呼ばれているというが、里見会長との蜜月の前からパチンコ業界との“下地”はこうしてつくられていたのだ。
 このように安倍首相にとっては、カジノ解禁は支持者に利権をばらまくために必ず実行しなければならない宿願であり、いまはそこに“親分”であるトランプ大統領までがその背中を押している状態にある、というわけだ。だが、カジノ法案は前述したようにギャンブル依存という重大な問題を孕むだけでなく、反社会的勢力の温床になる危険性も指摘されている。だいたい、“誰かが必ず金を巻きあげられる”という不公平な仕組みを国が公認し、「成長戦略」にしようと目論むこと自体が社会的公正にもとる行為だ。
引用だらけの記事で申し訳ありませんが、緊急性に鑑みて、カクサンしたい思いで一杯です。
こんなに急いでどこへ行こうというのでしょう?
その先には、亡国と破滅の未来が待ち受けていることは火を見るよりも明らかです。ギャンブル沼に陥って、本人自身と家族が、地獄の責め苦にさいなまれる不幸は、決して見知らぬ他人の運命とは言いきれないのです。。
ウィキペディアには「地獄」について、つぎのような記事を掲載しています。
仏教
詳細は「地獄 (仏教)」を参照
六道の最下層。閻魔の審判に基づいて様々な責め苦を受けるとされる世界。対比されるべきは、本来なら六道の最上層・天界のはずだが、実際には、成仏した者が行く六道のいずれでもない浄土(浄土は数多くあり、極楽はその一つ)と対比させられることが多い。
キリスト教
詳細は「地獄 (キリスト教)」を参照
一般的に、死後の刑罰の場所または状態、霊魂が神の怒りに服する場所とされる。しかし、キリスト教の教派により、地獄の概念や解釈は多少異なる。
反語は「天国」である。
イスラム教
「ジャハンナム」と呼ばれる。世界の終末に際しての審判において、不信心者や悪事を成した者が灼熱の責め苦を受けるとされる世界。
反語は「天国 (イスラーム)」である。
北欧神話
詳細は「ヘルヘイム」を参照
女神ヘルが支配する、名誉の戦死を遂げられなかった者が行く世界。対比されるのは名誉の戦死を遂げた者(エインヘリャル)が行くヴァルハラ。
キリスト教(カトリック)では、天国と地獄の中間に煉獄があるそうです。
wikiの解説です。
煉獄は、天国には行けなかったが地獄にも墜ちなかった人の行く中間的なところであり、苦罰によって罪を清められた後、天国に入るとされる。現行のカトリック教会の教義では、天国は「最高の、そして最終的な幸福の状態」、地獄は「神から永遠に離れ、永遠の責め苦を受ける状態と定義されているが、「天国の本質が神との一致にあるとすれば、それは当然のことだが、人間は必ずしも終始一貫、神に沿って生きているとはいえず、罪を犯すこともあり、そのため死後に神と一致しようとする際には、自分の内にある神と異質なものは清められることになる。これが煉獄であると説明されている。
バクチ解禁法案を強行した張本人たちこそ、地獄・煉獄に墜ちる定めを,思い知るべきでしょう。


17日(日)、晴れ。育休明けで5月から職場復帰した長女と、保育園にようやく慣れ始めた2歳児とが、久しぶりに顔を見せました。
3人の従姉妹達が、代わる代わるに三輪車を押して、女子会を楽しんでいました。











テントウムシも捕まえました。





18日(月)、雨、時々曇り。通勤途上のカーラジオから突如緊急地震速報が流れ,間もなく大阪を中心に最大震度6強の地震発生というニュースを聞きました。午前7時58分と言います。
とっさに,大阪在住の次男一家の安否が気になり,メールをしましたら、一応無事。電車は止まってるが、、。との返事。ひとまず安心しました。
私は,自動車運転中でしたので揺れには気づきませんでしたが、こちらの地方も震度3程度の揺れがあったらしいです。


19日(火)、雨。深夜、妙なタイミングで目が覚め,しばらく目が冴えて寝付かれないのでラジオを点けたところ、NHKの「ラジオ深夜便」が流れてきました。ちょうど、仲代達矢出演の「グスコーブドリの伝記」が始まるところでした。


これについての話題は、回を改めて書きたいと思います。

朝、出かける支度をしているところへ、長女から電話があり、2歳の保育園児が、下痢と発熱で保育園に預けることができず、父ちゃんの実家も今日は都合が悪いので、預けても良いかとの打診。お出かけの予定は、急ぐ用事でもなかったので、一日ベビーシッターに専念する覚悟を決めました。

予想よりは容態は良く、熱もほとんど平熱で、元気そのもの。泣きもぐずりもせず、むしろ大はしゃぎで、一日を過ごしてくれました。

今日はこれにて。

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六月の五月晴れ ?の巻 [折々散歩]

最近、アジア人留学生相手の日本語の授業で,日本の梅雨にちなんだ文章を扱いました。その準備の段階で、「五月晴れ」という言葉が、もともとは「梅雨の晴れ間」を意味していたことを知りました。事典にはこうありました。

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれたが,近年は,一般に新暦 5月の晴天をいう。 (ブリタニカ国際大百科事典 より)

その意味では,昨日の空模様は「梅雨晴れ」「五月晴れ」でした。
駐車条から30分かけて教育相談所まで歩きます。
遠くに岡山城を眺めながら旭川畔を歩きます。















いろいろな方角から眺める岡山城、それぞれに表情が違います。

「梅雨晴れ」は今日も続きます。
草刈りのために郷里に帰ってきました。
かんかん照りでないだけマシですが,なかなかの蒸し暑さで、汗をかきました。
帰りに寄り道して、長福寺三重塔を見てきました。





ツツジと紫陽花が咲いています。















池に睡蓮も咲き始めていました。

参拝客は私一人だけ。今日、鎌倉アジサイ寺は大勢でにぎわい、江ノ電も満員寿司詰め状態だったそうです。それに引き替え、ここでは、贅沢で優雅な時間を,独り占めできたのでした。
今日はこれにて。

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失せ物あらわる、の巻 [折々散歩]


落とし物、遺失物の話題には、続きがあります。

これまでも何度か記事にしましたが、私は、スマホではなく携帯電話(ガラケー)を使っています。そのガラケーを使うようになったのも、ここ数年で、それまでは、かなり長い間PHSを使ってきました。DDIポケット→WILLCOMとつきあってきて、コンパクトで軽い通話用端末も手軽でしたし、外出先でノートPCなどをネット接続する役にも立ちました。携帯情報機器としてはユニークなW-ZERO3(今日のスマートフォンのはしりとも言えます)が、SIMをさしかえれば共用できるのも魅力でした。残念なのは、地域によっては電波が弱く,通話もdata通信も途切れがちだったり,まったく切断してしまったりするのが悩みの種でした。経営危機に抗って、ユーザーに依拠しながら独自の役割を発揮して欲しいと期待していましたが、かないませんでした。

と言うようないきさつで、ガラケーユーザーの端くれに加わったのですが、そんないきさつは、もうすでにこんな記事で書いたことがありました。2015年の夏に,腸からの出血で入院したときの記事でした。

ありあわせツールの使い回し、の巻(第2回)

そこで、テキスト文書入力用に「ポメラ」を差し入れしてもらおうとしたところ、見つからなかったらしく、代わりに、しばらく使わずに放置してあったネクサス7(wifi版)を持ってきてくれました。
このネクサス7は、退職して職場のパソコン環境から遠ざかった状況で、外出時のネット環境を最低限整えたくて、もっぱらコストを優先させて、購入に踏み切りました。
ここで、 スマホにのりかえるという選択もありえたでしょうが、通信費がバカにならないと躊躇したのです。当時、私はガラケーももたず、PHSを利用していましたので、この回線を利用してネット接続ができないかと目論んだのですが挫折。結局wifiルーターを利用する方法しか思いつかず、相応の出費が必要でした。しかも、この取り合わせがなかなか不便で、十分使いこなせないまま時間が経過し、気がつくと最初の割引期間が過ぎて、高額な(ケイヤク通りの、ですが)回線使用料の請求を受け、驚いて解約しました。
ここで思いついたのは、格安スマホという選択肢でした。
半信半疑でフリーテルpriori2という機種を入手し使ってみましたら、値段のわりには使えます。テザリングもできて、ネクサス7の親機としてネット接続をサポートしてくれますし、場合によってはノートパソコンを外に持ち出しても、これでインターネット利用が可能です。
その意味では有用性は大きいのですが、値段のわりにはという修飾語を冠したうえでも、気になる不満も否めません。
その不満の第1は、電池の持ちがわるいこと。近くにAC電源があったり、周到に充電済みのモバイル電源を持っていない限り、使用をあきらめなくてはなりません。
その第2は、4インチという画面サイズ。コンパクトさという長所である反面、表示が小さすぎて、老眼の身には過酷です。
当初の意図どおり、子機のネット接続補助という用途に限定するなら、電源問題さえ解消すれば、ちゃんと使えますが。
そんなとき、液晶画面がやや大きいnicoという機種が、サービス価格で販売されているのを機に購入し、鞄にいれて持ち歩いています。電波の速度も遅いし、機械のスペックも見劣りしますが、手際や能率を問題にしなければ、まずまずの仕事をしてくれます。

そのあと、目移りがして,lte接続を売りにする「Priori 4」 という機種を購入し、最低限の通信契約をしたのですが,ほとんど使わないまま時が過ぎました。ふと気がつくと、フリーテルブランドを展開するプラスワン・マーケティング社は,いつのまにか楽天モバイルに買収されており、気がつかないうちに月々の料金請求額が「格安」とはいえない額になっていました。思わぬ出費の割には有効利用できていないことを反省して、解約手続きをしたのですが、機種代金の割賦の残額が相当残っていました。それは覚悟の上での解約でしたが、だんだんと未練の気持ちが沸いてきて、解約を取り消して(間に合いました)、それ以降、契約料相応の使い方をしようと、日常的に持ち歩いていました。

ところが、そんなあるとき、そのDATA通信用のスマホがどこへ行ったかわからなくなりました。

入念に思い出してみると、この日までは確かにありました。

スズメ、その他、の巻

5月15日(水) かかりつけ医に、血圧の薬をもらいに行こうと、近所のATMで、お金を下ろそうとしたら、キャッシュカードがはじかれます。窓口へ行くよう指示されますので、銀行窓口に行って相談すると、磁気のせいで読み取れなくなっているので、再発行するが、1~2週間掛かるとのこと。あたふたします。

キャッシュカードやクレジットカードをはじめ、何種類かのカード類を挟んだケースと、ガラケー、スマホを、全部同じバッグに入れていたのです。銀行窓口の方が、「磁力の強いものの近くに置いたりすると、データが読み取れなくなることがあります。たとえば携帯電話とか」とアドバイスしてくださったので、バッグを入れ替えたのがその時です。

そのあと、スマホだけが見当たらなくなったので、落としたり置き忘れたものが悪用されても困るので、早速解約の手続きを済ませました。それ以来、どこを探しても出てこなかったものが、ほんの先日、たまたま探った車の助手席の,物入れの陰に収まっていました。

そこで、いろいろな格安SIMを検討した結果、SO-NETの0SIMを契約することにし、早速昨日送られてきたSIMを装着し、利用開始したところです。

これはトホホではありません。



トホホといえば、昨日の夜、奥歯にかぶせた金属が剥がれてしまいました。たまたま今日は格別の予定がありませんので、午前中歯科医院に行ってきました。この医院、自宅からは数十分かかる距離にありますが、現職中の勤務先に近かったので、そのつながりで今も通っています。久しぶりの治療です。前回の治療はいつだったでしょうか?

こんな記事を書いたことを思い出します。
鮟鱇も目には泪か寒戻り

2007年の脳動脈瘤の手術、2013年の肺癌の手術、どちらも、オペの前に執刀医が「頑張りましょう」と声を掛けてくださり、オペ中も、麻酔でうつらうつらしている中で、「大丈夫ですか~?頑張って~」とドクターの声が聞こえてきます。
でも、点滴針から伸びる管や、計器につながった配線が身体にまとわりつく姿のままベッドに固定され、半身、または全身の麻酔によって身動きならない状態で、頑張ろうにも、頑張れることはありません。「頑張ってください。」」は、こちらのセリフで、心身共に消耗する長時間の手術を、頑張って遂行してくださるのは、あなたがた医療スタッフの皆さんでしょ。と反論したくなりましたが、それは遠慮して、「はい」とうなずいたものでした。

それに引き替え、この、歯科の治療は、患者も正味、頑張ることが求められますね。

治療中にこんな句が浮びました。

鮟鱇のやうなおおぐちあけてゐる

つるされた鮟鱇のごと為すが儘

鮟鱇も目には泪か寒戻り 

この大口を空いている様は、何に似ているだろうか、ワニかカバか、と想像をめぐらすうちに、吊し切りのために吊された鮟鱇の姿が目に浮かんだのでした。

もちろん、イメージの背景にはこの句がありました。

鮟鱇の 骨まで凍てて ぶちきらる        加藤楸邨

帰宅後、ちょいと探してみますと、こんな句もあるそうです。

泪目のまゝ鮟鱇の割かれけり    佐々木 鳴子
鮟鱇の あぎと全開 宙にあり    野口 明子
吊されて老鮟鱇の無念かな       有永 実
とめどなき大鮟鱇の涎かな      岡田 耿陽
鮟鱇に似て口ひらく無為の日々    木下 夕爾

それにしても、無理してあんぐり口を開けたせいで、顎が痛いし、肩、首筋、こめかみなど、あちこちが凝って痛い上に、治療した歯の歯茎は腫れ、飲食物がしみます。

削られて歯の痛み増す寒戻り


春長けてハチマルニーマルを考える、の巻

「8020(ハチマルニーマル)運動」という言葉には、聞き覚えがありましょう。

1989年(平成元年)より厚生省(当時)と日本歯科医師会が推進している「80歳になっても20本以上自分の歯を保とう」という運動だそうです。

愛知県に住む私の親しい友人I君が、以前、電話のよもやま話で、「8020(ハチマルニーマル)の20(ニーマル)は、頑張れば大丈夫そうだが、80(ハチマル)のほうが、怪しいね」と、出色のジョークを飛ばしていました。「座布団1枚」です。
このネタ、著作権は彼に属しますが、使わせて貰いますよ。
「80(ハチマル)」の方の保障はおぼつきませんが、「20(ニーマル)」目指して今日も歯医者通いです。


このネタは、つい先日も友人に披露したところです。

予約なしの飛び込みでしたので、多少待たされましたが、待合室で米朝会談の模様が中継されていました。額面通りには受け取れない狸と狐の政治ショーだったとしても、あの握手と軍事衝突回避・和平への歩みは、歴史の進むべき道、国際世論の求めるところでしょう。

治療は敏速で、今日一日で治療終わり。気が晴れたので、ついでにちょっと立ち寄って撮影散歩をしてみたい場所があったのですが、駐車場に向かう頃、急に強い雨が降り始めました。傘を持ってくるのを忘れていたので、散歩は諦めて、帰宅しました。



晴れ間を見て、午後、近所の散歩にでかけ,こんなチョウに会いました。

モンシロチョウ。





アゲハ。









ツマグロヒョウモン。















今日はここまで。

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ミクロサイズのトホホ、の巻 [折々散歩]

PCの不調が重なります。メインPCの常用ブラウザは、長い間Firefoxを使っています。でも、常々起動の遅さ、動きの重さにストレスを覚えることが多いのですが、その上さらに、ここにきて、些細なことでフリーズしてしまうことが頻繁になりました。
最新バージョンをインストールしなおしてみたり、設定を初期化してみたり、クッキーを削除してみたり、思いつくことはいろいろやってみましたが、いっこうに改善されません。クッキー削除で、記憶させておいたパスワードなどがリセットされ、不便になっただけで、ストレスだらけの泥沼状態が続きます。
折に触れて、代替としてグーグルChromeやOperaを使ってはみますが、一長一短があって常用するには至りません。
これまで、マイクロソフト社謹製のインタネットエクスプローラは、各バージョンとつきあってはきましたが、何かとかゆいところに手が届かない不満点が気にかかって、敬遠する気持ちが強く、ネスケ(Netscape Navigator)健在の頃は迷うことなくそれを愛用してきたところですが、時代は変わって、Firefoxとおつきあいするようになりました。動作の重さを我慢すれば、操作感は悪くはないのですが,余りに度々クラッシュ・フリーズに遭遇するようになって、やむなくウィンドウズ10付属のEdgeを使ってみています。これが意外に軽快で、さしたるトラブルもなく使えるのが皮肉です。いっそのこと、デフォルトのブラウザに設定しようかなどと思っています。
そんなことに振り回されて、目の前のパソコン作業が遅滞し、ブログ更新にまで手が回りません。
じめじめと鬱陶しい梅雨空に気が塞ぎますし、新潟県知事選自公候補の僅差勝利(昨日)、袴田事件再審棄却(今日)と、不可解・心外なニュースも、何かと気を滅入らせます。

他方、身辺では、ミクロサイズのトホホもあいつぎます。

先週の木曜日。教育相談のボランティアに、最寄りの駐車場所から片道30分弱歩いてかよい、梅雨の晴れ間の旭川畔の散策を楽しみました、



真ん中あたりに、岡山城も見えます。



ズーム。



こちらは県立図書館近辺からの眺めです。



心地よいウオーキングもでき、心穏やかでそれなりに充実した一日を送ることができたのですが,夕方駐車場所まで歩き着いていざポケットを探ると,どうしたことでしょう。キーホルダーの様子がヘンです。その日乗ってきた車のキーはありましたが、我が家の玄関ドアの鍵や、妻が乗る軽4のスペアキーなどがついた鍵束が見当たりません。バッグやポケットの中を探るも,見つかりません。どうやら,何かの弾みではずれて、落としてしまったのかも知れません。心当たりは?と考えると,一番滞在時間の長かった教育相談室の事務所が疑われます。

来週も木曜日には行く予定ですから、その時探してみようと思いながら、気がかりなすっきりしない週末を過ごしたことでした。

9日(土)は、中3生は部活(チームメートの試合の応援)で一日まるまるおでかけ。保育園児は保育園に預かってもらい、我が家へのお泊まり明けの小5生は、ママと行動で、小2生だけ、我が家で預かりました。

午前中はバアバのお出かけ先について行き,お昼はこの公園でおべんとうをかってたべました。







大きな人形の肩のあたりを拡大します。

これによじ登って,こちらに合図しているのがわかりましょうか?



梅雨晴れの土曜日でした。

明けて、10日の日曜日の夜は、懇意な友人達との飲み会を予定していました。どうせ、懇親会場まで交通機関を使って行くのなら、途中下車して教育相談の事務所に立ち寄り、鍵の行方を探してから懇親会場まで歩いて行くことにしました。

一所懸命心当たりを探した結果、私が腰掛けていたソファの、クッションの下に紛れ込んでいるのを発見。ほっとしました。そのあと、小雨の中を懇親会場まで歩き、心地よい歓談で時の経つのを忘れました。解散後、寄り道もせずにバス停に向かいましたが、日曜日のことと手、最終便がもう終わっていました。トホホ。

気を取り直してJR駅まで歩き、発車時刻表を見ると、数十分待ちで、最寄り駅方面に向かう各駅列車がありました。それに乗って、30分。降車駅が近づいた頃、ちょっとだけ居眠りをしていました。ふと気づくと駅名アナウンスがありますががよく聞き取れません。外は真っ暗で駅名表示も見えません。仕方ないので,次の停車駅までのりました。すると、なんと二駅も乗り過ごしているではありませんか。無人駅のこととて、駅前タクシーの姿もありません。仕方ないので、妻にお迎えを依頼したことでした。トホホ。

そんなこんなで、また新しいが始まりました。梅雨本番です。

我が家の庭にも鉢植えの紫陽花が咲いています。















ちょっと変わった品種です。以前、長女とムコ殿が選んでプレゼント してくれたものを、大きい鉢に植え替えました。。



散歩道のアジサイも,色とりどり。雨が大好きです。















ネムノキ。











ヒメジャノメ。



今日はここまで。


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雨降って地固まるか?の巻 [折々散歩]

朝から強い雨でした。

インフルエンザ明けから登校がままならなくなり、長期にわたって欠席を重ねるという状態ではないものの、登下校時は徒歩通学が気が進まず、車で送り迎え、ほとんど保健室で一日を過ごす日々が続いていた多かった小5男子が、今朝は雨の中、本人宣言通り、妹と登校班で登校できたと、ママがメールをくれました。喜んだのは妹だと。

この小2の妹は、ここのところ毎朝、兄とは別々に登校班登校を続けていて、やはり心細かったようで、兄を励ましたり、かばったり、叱咤したり、いじけたり、それなりに心を痛めてきたようですから。

登校班で集団登校するのは、実に何ヶ月ぶりでしょうか?最近は、他の子どもたちとは別行動で、一人で歩いて下校したり、朝も、勤務開始時間に余裕があるパパが、学校まで一緒に歩いたり、時にはママと一緒に歩くことも、、、、。試行錯誤の繰り返しですが、周囲が本人の判断・選択を、大らかに見守ることが何より大切と、改めて感じさせられます。

帰りは、兄弟とも、ジイジのお迎えで、元気で帰りました。今夜は我が家のお泊まりだそうです。





アジサイ。







タチアオイ。










ツバメがしきりに飛び交ったり、止まったりしています。



我が家の玄関先の巣で育ったヒナも、何一日前に巣立ったようです。本来なら、夜になると眠りに帰ってくるはずなのでしょうが、ルスの間にスズメがちゃっかり占拠して、枯れ草やら藁くずなどの巣材を運び込み、我が物顔で居座ってしまったため、ツバメは帰巣を諦めざるを得なかったようです。お気の毒。

スズメときたら、事もあろうに、泥でできたツバメの巣を無惨に削って、ぼろぼろに壊してしまいました。かわいげな姿に似ず陰険な振る舞い、興ざめですね。

ところで、アメリカファースト、国益至上主義のトランプさん、サミットでは、「G7ではなくG6ともうひとつ」というありさまだったそうな。一方、米朝首脳会談をめぐる動き、これも国益優先の駆け引き。狐と狸の化かし合いには違いないでしょうが、背後には、核戦争を拒み、非核・平和の朝鮮半島・北東アジアの樹立を願う、国際世論が、厳然として現実的な力を発揮していることは間違いないでしょうね。「対話のための対話は無意味」と、頑なな遠吠えを繰り返してきたアベさんも、得意の変わり身の早さで、遅ればせながら、日朝の会談を口しはじめましたか。とっくに土俵を割って勝負は終わっているのに、「まだまだ」と言い張って新しい土俵を書き加えるボクチャンルール。見苦しいことこの上ありませんが、また支持率持ち直すのですか?いくら何でも、そんな馬鹿な。

今日はこれにて。

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入梅の報せあり、の巻 [折々散歩]

昨日、山口をのぞく中国地方が梅雨入りしたとみらるとの報道が流れていました。山口の梅雨入りはまだなのかと不思議に思っていましたら、とんだ錯覚で、すでに先日、九州地方とともに梅雨入りしたのだそうでした。
梅雨のしとしと雨というイメージよりは激しい、本降りの雨が続いています。今朝の散歩は、長靴を履き、傘を持ってでかけてみました。

散歩道のアジサイも、次々に花を咲かせ、ひときわ潤いを増しています。







































ホタルブクロ











クチナシ。







あちらでもこちらでも、刈り取りの終わった麦畑が、次の耕作のために焼き払われています。このあたりの風物詩といえるでしょうが、ここ数日もくもくと白い煙が、一面を覆っていて、太陽の光もかげるほどでした。夜中も野焼きの炎が、かがり火のように田園を照らしていました。
















県北の郷里の方では、早いところでは連休の前から田植えが始まり、いまではほぼ終わっているようですが、ナードサークの周辺では、ようやく田植えの準備が始まろうかという頃合いです。秋冬の寒さの到来がそれだけ遅いせいだと思われます。

田植えによらず、籾の直播き栽培をするところもあるようで、稲苗が育ち初めている水田風景も目にとまります。



季節の推移は瞬く間で、「早苗取りしかいつのまに」という感慨を覚える日もまぢかでしょう。以前こんな記事を書きました。

葉月晦の薀蓄!!

「枕草子」にこんな記事があります。
「八月つごもり、太秦(うづまさ)に詣(まう)づとて見れば、穂(ほ)にいでたる田を人いと多く見騒ぐは、稲刈るなりけり。早苗(さなへ)とりしかいつのまに、まことにさいつころ賀茂(かも)へ詣づとて見しが、あはれにもなりにけるかな。(二百十七段)
「早苗取りしか何時の間に」は次の古歌を踏まえたもの。
 「昨日こそ早苗取りしかいつのまに稲葉そよぎて秋風の吹く」 (読み人知らず 古今和歌集秋上)
ちなみに係助詞「こそ」の結びで、過去の助動詞「き」が已然形「しか」になるのは、おなじみの「係り結びの法則」(法則と呼ぶほどのものですか?)。「こそ―――已然形」で結んで、文が終わらずに続く場合、逆接の条件節になることが多い。というわけで、この歌は、「つい昨日早苗を取ったのに、いつの間にか稲の葉がそよいで秋風が吹くことだよ」の意。



とりあえず今日はここまでです。


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麦秋更けて、の巻 [折々散歩]

あっという間に麦が熟れ、どんどん刈り取りが進んでいます。











上は6月1日撮影。下は今朝の撮影です。



枇杷の実が色づき始めています。





タチアオイが一気に咲き誇っています。



















群生するポピー。







散歩道のアジサイも次々に咲いています。











真夏並みの暑さとは言え、さわやかな晴れの日。それに引き替え、余りにも鬱陶しいのはこのニュースですね。

学校法人「森友学園」を巡る一連の問題で、大阪地検特捜部は、前国税庁長官の佐川宣寿氏(60)や財務省職員らを不起訴処分にした。問題の発覚から1年4カ月。検察の捜査は終わったが、国有地の大幅な値引きや決裁文書改ざんの背景に、安倍晋三首相らへの忖度(そんたく)があったかどうかなど、多くの疑惑は未解明のままだ。財務省は佐川氏らを処分し、幕引きを図る構えだが、与党からも麻生太郎財務相への責任追及の声が上がる。(毎日新聞



学校法人「森友学園」(大阪市)への国有地売却を巡る決裁文書改ざん問題で、財務省は4日午後、省内の調査結果を公表する。当時理財局長だった佐川宣寿前国税庁長官が事実上、改ざんなどを指示していたと認定する見通し。佐川氏を停職3カ月相当にするなど20人を懲戒や厳重注意などで処分し、麻生太郎財務相は閣僚給与1年分を自主返納する方針。麻生氏は続投する意向...(毎日新聞



明日は雨だそうです。
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孫と歩いた虫の原っぱ、の巻 [折々散歩]

6月に入って暑い日が続きます。今朝は、自治会恒例の草取り。朝8時から一時間足らずの作業ですが、大粒の汗が滴ります。
昨日は、小学生の孫兄妹をつれて、田舎に行ってきました。
農作業をするつもりもなかったので、行きがけに少し回り道をして「自然保護センター」に立ち寄ってみました。
駐車場から園内に向かう階段は、いつものことながら息切れと動悸を誘いますが、その先のなだらかな遊歩道を歩けば、緑濃い初夏の風情が心を快くリフレッシュさせてくれます。
森の緑を映し込んだ池のたたずまいは、どこかの景勝地の湖畔を思わせます。

ヤマボウシ、ヤブデマリ、ウツギ、キンシバイなど、とりどりの木の花が森を彩っています。これはヤマボウシ。



路傍の山際にササユリ(笹百合)が咲き始めています。


ササユリ生育域一帯に、立ち入り禁止のロープが張り巡らしてあり、「マムシ注意」の看板がいくつも掲げられています。盗掘の被害が相次いでいるらしく、それへの対策の意味もあるようです。
ササユリについては過去にもこんな記事で書きました
卯の花を簪にアジアイトトンボ
トカトントン再び、の巻

ところで、前回、6月10日の自然保護センターでは、ササユリの花を見ました。
この優美なユリは、その葉が笹の葉に似ているところからササユリの名があるそうです。このようなササは歓迎ですが。



この施設の「目玉」タンチョウヅルの飼育エリアへは立ち寄らず、自由散歩中のタンチョウを遠くから眺めただけで、「虫の原っぱ」へ向かいます。過去記事でも何度か紹介させていただきました。
虫の原っぱ虫三昧、の巻
剥がれ落つる記憶の欠片エゴの花
猛暑の「虫の原っぱ」でハッチョウトンボに会う、の巻
名にし負う虫の原っぱ虫三昧
孫たちは初めての来訪ですので、滅多に会えない虫や鳥が顔を見せてくれたらと、期待したのですがなかなかそうはいきません。ハッチョウトンボも見つけられませんでした。
でもこんなチョウは、名前が思い出せず、図鑑のお世話になります・
ルリシジミ?

ええとこれは???コムラサキ♀かな?

小5の兄が、イトトンボを捕まえました。

孫達もカメラを持ちたがりますので、それぞれに一台持たせます。



妹の作品










トリミング画像。





兄の作品








つぎはトリミング画像です。





今日はここまで。

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6月の花と鳥、の巻 [折々散歩]

6月になりました。

6月と言えばこの花の出番です。













深山公園のアジサイは、ようやく咲き始めたばかり。まだまだ白っぽい、淡い色をしています。

少し色づいたものもあって、この先が楽しみです。



ドクダミも季節の花(?)ですね。







ニガナ?でしょうか?







見るものすべてが、夏の近さを感じさせます。



我が家の燕の雛も、すっかり羽がはえそろい、食欲旺盛です。

右端の雛はおしりを出していますが、こうやって行儀良く?巣の外に糞を落とします。







親業は大変です。



これは深山公園で出会った光景。

カメラマンさん達が、いっせいにカメラを向けています。

何を狙っておられるのかわからないまま様子を窺っていますと、おひとりが、見えますか?」と尋ねてくださいました。「いいえ」と首を振ると、あの枝の丸い穴!と、指さして教えてくださいました。

わかりました!!!







トリミングします。







何かの雛ですねえ。

コゲラかな?

今日はこれにて。


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楽しいバス旅行の巻、補遺(その2) [折々散歩]

前回までの記事の続きです。
主な目的地のひとつ、雲辺寺。

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四国八十八箇所の66番札所。最も標高の高いお寺です。そして、ここのロープウエイのお値段も高いです。
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はるか遠くが見渡せます。
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真下を覗くと高さが実感されます。


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山頂駅。

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気温が7℃ほども低いそうです。

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道の真ん中に、県境の表示があります。
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荘厳な自然の中のたたずまい。


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五百羅漢が思い思いの表情で並んでいます。



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新緑が目に眩しい。



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この巨大な像は毘沙門天。展望塔の上に屹立しています。

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展望塔に上ると、瀬戸内海、愛媛、石鎚方面が見渡せます。


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スケールの大きな寺のたたずまいとは裏腹に、鉄筋コンクリートで改修された本堂をはじめ、一見して真新しすぎ、四囲の景観になじまない人工物が作り物めいて、どこか違和を感じずにはいられません。
同じ人工物でも、豊稔池堰堤のマルチプルアーチダムは、干魃に苦しめられ続けてきた農民たちの切実な思いを刻んで、その圧倒的な美しさが、今なお人々の胸を打たずにはいません。
今日はここまで。

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楽しいバス旅行、の巻(補遺その1) [折々散歩]

前回記事の補遺です。
案内チラシから、少々抜粋します。

◆主な探訪先
〇 萩原寺
唐から帰国した空海(弘法大師)が雲辺寺山に寺を建て千手観音像を刻んで安置し、周辺に49ヵ院を開いたが、このうち中之坊が1280(弘安3)年に山上から郷坊に移り、地蔵菩薩を本尊として地蔵院と号し、郷名により萩原寺と称した。ハギの名所としても知られる西讃の古刹。
〇雲辺寺ヶ原監的所(戦争遺跡)
日清戦争後の1896(明治29)年「富国強兵」の国策のもと善通等に陸軍第十 一師団(初代師団長は乃木希典)が設立され、雲辺寺ヶ原は山砲射撃場として接収され、1945(昭和20)年まで使用された。砲弾の着弾地点を観測するため昭和初期に建設された監的所。
〇 雲辺寺ロープウェイ山麓駅(昼食)
1987(昭和62)年春開通した雲辺寺ロープウエイは山頂まで全長2594m高低差657m。駅前で昼食。
〇雲辺寺山(徳島県三好市池田町白地)
四国八十八箇所霊場66番札所雲辺寺(真言宗)は讃岐と阿波(現德島県)の県境。標高927mの雲辺寺山の山項付近にあり、四国霊場の中ではもっとも高く、境内は約40haの広さをもちスギ・ヒノキなどの古木に囲まれ霊気漂うところ。
〇 国指定重要文化財 豊稔池堰堤(観音寺市大野原町田野々)
「月夜にも稲が焼ける」干魃に苦しめられ田野々 雨乞い踊り(県指定民俗文化財)が残るこの地に、地元最民の熱意の出役で1929(昭和4)年竣工した灌漑用の貯水池。
柞田川の上流の谷間に堤長145m提高30m中央部lこ5個のアーチと6個の扶壁をもつ石造マルチプルアーチダム。長い年月の風雪耐えたダムは、まるで中世ヨーロッパの古城を思わせる偉容と風格。今も下流の美田に豊かな実りをもたらしている。

〇 萩原寺

八十八箇所札所には数えられず、「別格」扱いだそうです。






この辺りは、萩の名所だそうです。

すでに咲いている萩もありました。
鉢に植えられて参道の売店で売られているものもありましたし、境内にもあちらこちらで、また付近の野山に自生する萩も花を着けているものがありました。

事前に下見に行ってくださった方が、生まれたばかりのチャボの雛が境内をよちよち歩くのが河合かtyたとおっしゃっていました。
かなり生長して、少年(少女)らしさを見せていました。



親鶏と比べると、やはり小さくて可愛い。


〇雲辺寺ヶ原監的所(戦争遺跡)

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今日はこれにて。次回に続きます。

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