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7月の紫陽花(その2)、の巻 [友人]

去年の5月のこの記事以来、何度かご紹介したカブトムシ。


今日もあたふた、のち大興奮の巻


いつものように孫達の襲来に応対しているころ、Tさんから思いがけない電話をいただきました。先日イチゴやエンドウを沢山いただいた友人です。
「ブログでスズメの写真拝見。ぴょんぴょん跳ねる姿が可愛いという小5生、生き物好きなら、カブトムシには興味がおありか?」との由。「もちろん、大好きです」というと、「庭の朽ち木に、カブトムシらしい幼虫が育っているので、希望なら取りに来ますか」とのお誘い。一も二もなく大歓迎で、ジイジバアバと小5、小2,保育園児が、揃っていただきに上がりました。
「ここです」と、Tさんが、朽ちかけた木材を持ち上げると、みんなが「わあ!」と歓声を上げるほど、沢山の大きな幼虫が、あちらにもこちらにも。遠慮なく、沢山いただいて帰りました。
昼間キーボードを買いに行った電気量販店の近くのホームセンターへ、飼育容器と「昆虫マット」を買いに行き、幼虫を放します。
小5の兄がもって記念撮影です。


妹の掌の上ではこんな大きさです。

こんなにたくさん(これでも全部じゃありません)

テレビで、オスメスの見分け方をやっていたと、試してみています。

土(昆虫マット)の上に置くとすぐに潜ってしまいます。


測定してみると、体重およそ18g~21g、体長8mm~9mmだそうです。
小2生は、ちょうど、昆虫や小さな生き物を見つけて学校に持って行くという宿題が出ているそうで、ミカンの葉でみつけたアゲハ のタマゴと、カブトムシの幼虫2匹ほどを、鼻高々で持って行くつもりです。


 


これがやがて成体に育ち、郷里の山や近くの林に放した顛末はこんな記事で書きました。


今日のあれこれ、の巻


今日は,小5,小2の孫と一緒に田舎に帰ってきました。

途中、堤防決壊の痕など、まだ洪水被害の爪痕が癒えない地域も通りかかりました。

撤去中の瓦礫の様子も瞥見しました。エアコンを効かせた車の中でも汗が引かない猛暑の中、気が遠くなるような後片付けのご苦労は、なみひととおりではありません。作業中に、熱中症で搬送される方々が、各地で多数報告されています。

こちらはと言えば、のんきな用事で申し訳ない限りですが、先日いただいたカブトムシの幼虫が、ついに羽化し、狭い飼育ケース中で争い合うので、何匹か田舎に逃がしてきたらと、ばあばが言ったのが事の起こりです。

オスばかり。四匹連れて行きました。

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裏山にクヌギの木があるので、そのあたりに放してやることにしました。

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夏の風物詩あれこれ、の巻


こちらは、飼育ケースの中のカブト虫。

時間差で、ほとんどが孵ったようです。

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先日オス4匹を、郷里の山に放しましたが、新たに生まれたのは、オスが1匹メスが4匹です。

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近所の公園に逃がしてやることにしました。

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私たちが帰ろうとしていると、子ども連れの客が、カブト虫たちを放した林の方角に歩いて行くのとすれ違いました。ひょっとして見つかって、採集されてしまうかも知れないと、少々気がかりでした。


さて、実は、このカブトムシたちの二世が、飼育ケースの中で孵化したのでした。生まれたばかりと思った成体が、しっかり産卵していたらしいのです。


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この幼虫が、サナギになり、成虫になりましたので、またまた森へ逃がしてやりました。先日、小六生とバアバで雄を放してやったそうです。昨日は、小3生とジイジも一緒に、メスを逃がしに行きました。


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クヌギの木の根元の、落ち葉が堆積している辺りに放すと、凄いスピードで潜っていきました。


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7月になっても。紫陽花は健在でした。


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ですが、昨日の記事の続きとして、二週間前に写した、種松山の紫陽花を、掲載します。


前回記事と同じく、PENTAXK30+sigma50mmMACROです。


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OLYMPUS E420+zuiko 35mmmacro +×1.4テレコンでも写しました。


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薔薇も咲いていましたが、少し盛りを過ぎた様子です。


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今日はこれにて。


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難読お名前クイズだ!の巻 [友人]

難読人名クイズです。 次のAさん、Bさんの姓は、それぞれなんとお読みすればよいでしょうか 。


A 榑松さん

B 川后さん


学生時代からの古い友人で、愛知在住のハチロークンは、当ブログの常連登場メンバーです。最近では忘れてました、の巻(2019-02-21)にも、ちらりと登場願いました。そのハチロークンが、いつだったか「日本広しといえども(あるいは、愛知県内で、と言ったかも知れません)榑松、川后の両方が読める人物、しかも両方と面識がある人物は自分だけではないかと思う」などとヘンな自慢をしていたことを思い出します。


Aは「くれまつ」さんとお読みします。


ハチロークンの地元、愛知県の愛労連(愛知県労働組合総連合)の議長が、 榑松佐一さん。あいにく、私は面識がありませんが、ハチロ-クンは地元だけに、正しく読めても不思議はありません。しかも、最近の中日新聞(2019年1月25日付)にこんな記事があります。


候補者ルポ(上) 榑松佐一さん

2019年1月25日

スーパー前で買い物客らと握手する榑松さん(左)。演説では暮らし重視の政策を訴えた=名古屋市天白区で

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二十三日、名古屋市内のスーパー。日中の買い物客は女性が中心だ。「僕は生協出身です。価格に厳しいお母さんと随分やり合いましたよ。その意味じゃ百戦錬磨です」。選挙とはまるで無関係の話で気を引くと、一気にまくしたてた。「県民の暮らしはよく分かっているつもりです。暮らしの土台を支える県政に一緒に変えましょう」

この日、県労働組合総連合(愛労連)議長の新人榑松(くれまつ)佐一さん(62)が遊説先に選んだのは、市内でも人口の多い緑、天白区。午前八時から三十~四十五分刻みで街頭演説を十一カ所でこなし、うち七カ所は住宅地にも近い大小のスーパー前だった。「人が集まりやすく、特に『口コミ力』のある女性票取り込みが狙い」と陣営関係者。本人も「選挙カーから手を振ってても、お年寄りと女性の反応はいいよ」と喜色を見せる。

「中部国際空港の二本目滑走路やカジノは不要」「教育や福祉、医療への予算配分で安心できる県政を」。主張の根幹は揺るがないが、場所などに応じて細部は工夫して変える。子連れの母親の姿を見かけると「保育士の待遇改善で保育、学童保育を充実します」。市営住宅が近いと「市営はきれいですね。県営も、単身者の入居を認め、若者支援策としての活用と修繕を進めます」と訴えた。

正午、昼食のため緑区の共産党地区事務所へ。揚げ出し豆腐に野菜の煮物など、おかず四品でご飯茶わんを空にすると、取り出したのはスマートフォン。選挙期間中も会員制交流サイト(SNS)で続けている外国人技能実習生らの労働相談だ。この日は千葉県で働くベトナム人実習生からの家賃に関する相談に平仮名で返信。「日本語だって十分通じる。よく勉強しているもの。同じ国に暮らす彼らを守ることも政治の重要な役割だ」。演説中は見せない険しい表情ものぞかせた。 


そう言えば、愛知県知事選のニュース、新聞・TVで目にしましたっけ。 ちなみに、愛労連のHPに、選挙結果と支援団体としての総括などが掲載されています。相乗りの現職に及ばなかったものの、善戦健闘の選挙だった由。お疲れ様でした。

愛労連新聞 第308号


■愛労連新聞 第308号(2019年2月10日発行) PDF版ダウンロード




一方、Bは「せんこう」さん。
ハチロークンが言うのは、広島県労連議長などを歴任した川后和幸氏のことです。こちらは、私も面識があります。というよりも学生時代の友人で、サークル活動をともにした仲でもあります。


何年も前に書いたこの記事でS氏と書いたのが彼のことです。


夏ゆくやそれぞれの老ひ輝きて


今回のために実行委員の方が手作りしてくださった、特別製の「歌集」をもとに、次から次へと「歌声」の合唱が響きます。カラオケなんか使いません。伴奏もありません。指揮は、学生時代から音楽面でも「頭角」を表していたS氏。某県の労働組合の役員を歴任し、最近まで、ローカルセンターの議長を勤めました。彼は私とは同期の入学で、専門は栽培漁業でした。学者・研究者の道が向いていると、自他共に認める人でしたが、思わぬ方面で活躍することになりました。


その川后和幸氏の身の上に、最近一大事が持ち上がっているらしいと、複数の友人から報せがありました。委細は、次の動画ニュースをご覧ください。


広島市長選 市民 団体の川后和幸氏 が出馬へ(RCC中 国放送) Yahoo!ニ ュース


これも。


http://douganews.info/?p=32829


また、中国新聞アルファにはこうありました。


【’19統一選】広島市長選の構図ほぼ固まる 継続か刷新か論戦へ

中国新聞社2019/03/03 05:59

広島市長選は、告示3週間前になってようやく構図がほぼ固まった。3選を目指す現職の松井一実氏に、ともに新人で市民団体世話人の川后和幸氏、会社員前島修氏の2人が挑む。2期8年の市政運営に対する評価をベースに、継続か刷新かを有権者に問う戦いとなる。各陣営は2日、会合を開くなどし、前哨戦の火ぶたが切られた。

▽大型事業・暮らしが争点

選挙戦は松井氏と、現市政に批判的な市民団体が擁立した川后氏を中心に展開するとみられる。松井氏は選挙公約に、紙屋町・八丁堀地区の再整備やアストラムラインの延伸などの大型事業を提示。自民、公明両党の推薦を得たほか、連合から推薦される見通しで、国民民主党も支援を検討している。川后氏は、平和行政や暮らしの充実に軸足を置いた施策を主張。支援を受ける市民の意見を基に公約をまとめたいとする。

(中略)川后氏は、中区であった「市民の願いにこたえる広島市長を誕生させる会」の集会で賛同者約120人を前に決意表明。「市民の声に従う市政を実現させる。一部の権力者や時の政府の顔色をうかがう市長であってはいけない」と訴えた。準備期間が短いとして一人一人の協力を呼び掛けた。

誕生させる会は小規模な集会を市内各地で開き、参加者の意見を公約に反映させる考え。並行して、現在約千人いる賛同者をさらに増やす活動も進める。



こんなチラシができています。

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ある友人は、川后氏立候補の報せに添えて、「人生終盤になってから、植木君といい、米田君といい、みんな大変だ。」とメールを寄せてくれました。同感、同感です。


植木君というのは、直近では、昨年11月の松山市長選挙に出馬して奮闘した植木正勝氏のこと。新聞報道はこちら。


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181117-00010002-senkyocom-pol


任期満了に伴う松山市長選挙は11月11日(日)に告示され、共産党が推薦する新人の植木正勝(うえき・まさかつ)氏(66)、現職で3期目を目指す野志克仁(のし・かつひと)氏(51)の無所属の2名が立候補しました(紹介は届出順)。
今回の市長選挙は2期8年間の野志市政への評価、中心市街地再開発の是非、人口減少対策などが争点と考えられます。

【松山市長選挙】新人 植木正勝氏 VS 現職 野志克仁氏の一騎打ち

黒瀬ダム分水を中止し、医療・福祉・地域経済を豊かに。新人 植木正勝氏

黒瀬ダム分水を中止し、医療・福祉・地域経済を豊かに。新人 植木正勝氏

植木氏は西条市出身、高知大学教育学部卒業。日用品卸売業を経て周桑民主商工会副会長や共産党東予地区委員長などを歴任しました。2012年の衆議院選挙、2013年の参議院選挙に共産党公認で出馬するも落選。現在は共産党中予地区委員長を務めています。

【松山市長選挙】新人 植木正勝氏 VS 現職 野志克仁氏の一騎打ち

松山市長選 選挙公報

植木氏は「ムダをなくし暮らし・福祉第一の市政に」をスローガンに以下の政策を掲げました。

 


また、「米田君」とは高知県議会議員の米田稔氏。議員団紹介記事はこちら


yoneda


お二人とも、過去記事で何回か話題にしました。


たとえば昨日今日の備忘メモ、の巻


自分に誇るものがないせいで、友達自慢、知り合い自慢をする習癖が身につきました.余談ついでに、友達自慢をもう一つ。

愛知県在住の友人ハチロークンが こんなニュースを知らせてくれたと、ヨシミさんが教えてくれました。

松山市長選 共産系植木氏が出馬会見

10/11(木) 17:07配信

愛媛新聞ONLINE

松山市長選

松山市長選に出馬を表明し、公約を語る植木正勝氏=11日午前、市役所

任期満了に伴う松山市長選(11月11日告示、18日投開票)で、共産党中予地区委員長の植木正勝氏(66)=北梅本町=は11日、市役所で会見し、同党推薦の無所属新人として出馬を表明。「憲法を生かした暮らし・福祉を守っていく」と述べたほか、県営黒瀬ダム(愛媛県西条市)からの松山分水中止や原発ゼロなどを公約に掲げ、現職との差別化を図るとした。

愛媛新聞社

この植木正勝氏(66)は、大学同期の友人です。以前この記事夏ゆくやそれぞれの老ひ輝きて

でも紹介(友達自慢)したことがありました。

閉会挨拶をしているのは、高知県議米田稔氏(公人なので公表しておきましょう)。彼も同期で、教育学部中学校課程の出身。学生時代、アパートに泊めてめてもらったり、箱買いのインスタントラーメン(実家からの仕送りらしい)を食べさせてくれたりしました。「ラーメン食う?」という、独特の声音が今も耳に残っています。
英語教師への道を断念して、社会運動に身を投じ、市会議員を経て県会議員を五期勤めています。
ちなみに、7月の参議院選挙で東京選挙区から立候補して見事当選した吉良よし子さんのお父さんが、米田氏の同僚県議の吉良富彦氏。お母さんも、学生時代の年下の友人です。何も私の手柄ではないですが、テレビや新聞で注目を浴びる姿は「キラキラ」まぶしくて、我がことのように誇らしい気がします。
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もう一枚の写真。真ん中の男性は、参加者の一人で、衆院選挙・参院選挙と続けて、愛媛選挙区から出馬して落選はしたものの、得票を伸ばした植木正勝君(これまた公人なので公表しておきましょう)。彼も同期で、小学校課程出身。別項で紹介した「植木正勝が植木枝盛になるに当たっての労働の役割」の筆者です。
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同い年でも、隠居を決め込んでいる我が身が、少々後ろめたく、恥ずかしい思いが拭えません。「頑張らない!」との誓いを噛みしめ、自然体、悠々自適をモットーとしたいと考えている私ですが、世の中の望ましい変革のために日々奮闘している友人、知人、先輩方の姿を思うたびに、応分の協力、応援、献身は厭うまいと思い返しているところです。




友達自慢ついでに、もうひとり同期の友人、京都市議赤阪仁氏のHPはこちら


彼についても、この記事で紹介したことがありました。2016年夏のサークル同窓会の記事です。


夏の終わりの土佐の旅、の巻(その1)


同じく同期で、病気のため勇退したものの高知県議を長く務めた牧義信君も参加してくれていました。学生時代に属したサークルは違うものの、同じ教育系サークルで、薄い間仕切りで隔てられた隣接する部室で活動していました。現在、伏見区を基盤に京都市議をしている赤坂仁君も、同期です。学生時代も、自治会執行委員長など、リーダーシップを発揮していました。そう言えば、学生自治会の委員長をつとめた歴代のメンバーが、サークルの隔てを超えて何人も参加してくれていました。


頭が下がります。もう一度、同じ言葉を繰り返します。


同い年でも、隠居を決め込んでいる我が身が、少々後ろめたく、恥ずかしい思いが拭えません。「頑張らない!」との誓いを噛みしめ、自然体、悠々自適をモットーとしたいと考えている私ですが、世の中の望ましい変革のために日々奮闘している友人、知人、先輩方の姿を思うたびに、応分の協力、応援、献身は厭うまいと思い返しているところです。




今朝の気温は10℃。寒さがぐっと和らぎました。


深山公園へ行ってみました。


今日の付録は、難読漢字クイズです。


A尉鶲


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ジョウビタキです。(♀)


B 瑠璃鶲


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以上PENTAXK5Ⅱ+AFBORG60ed(トリミング)


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ッルリビタキ。


PENTAX K-30+TAMRON AF18-250mm F/3.5-6.3 Di II LD Aspherical [IF] MACRO


上はトリミング画像。


下は、元画像です。250mmではやはり遠い?


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C篝火花


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カガリビバナ(シクラメンの別名)だそうです。


このシクラメン、寒い時期、スーパーの園芸コーナーで、値引き品として200円で並んでいました。花は一輪だけしかついていませんでしたが、小さなツボミが続いて育ってきそうでしたので、買い求めました。居間の出窓で、ガラス越しの陽射しを受けて、ようやく次々に良い花が咲いてくれています。


今日はこれにて。


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あるほどのバラ投げ入れよ、の巻 [友人]

so-netブログの尊敬するお仲間、majyo様のご逝去の報をに接し、ひどく落胆しています。


みずから選んで、ホスピスにはいられ、静かに冷静に、終末を迎える準備をなさっているご様子をうかがいながら、内心、まだまだゆっくりなさって下さいと、お祈りしていました。でも奇跡は起こりませんでした。


「たいへん穏やかな笑顔を残して旅立たれた」とお聞きし、さもありなんと安心しつつ、やはり、その潔すぎる最期に、胸つぶれる思いを禁じることができません。


日々精力的に更新されるブログでの、ほとんど命を削っての発信の傍ら、拙ブログの駄記事に対しても、いつも懇ろなコメントを頂戴しました。長いお付き合いのように感じておりましたが、探ってみると、最初に誤報もにた抱いたのはこの記事だったようです。


68歳おめでとう、日本国憲法さん、の巻(2015-05-03)


この記事の中から、深紅のバラの花を、手向けさせていただきます。


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漱石に、大塚楠緒子女史を悼んで詠んだこの句があります。


有る程の菊投げ入れよ棺の中


かぐわしい菊に勝るとも劣らぬ、甘くエレガントなバラの芳香こそ、majyo様の手向けにふさわしいのではないかと、愚考する次第です。今は安らかに、ゆっくりおやすみ下さい。貴女が最期の一瞬までもとめてやまなかった、正義と道理の実現に非力ながら力を注ぐ覚悟です。


今日はこれにて。


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はたらく自動車?クリーンエネルギー???の巻 [友人]

はたらく自動車は子どもの人気です。


こんな光景、なかなか見られません。


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それにしても、大規模な工事です。


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山が削られて、見る影もありません。


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ローカル線「姫新線」添いの「美作土居」は、旧出雲街道土居宿の面影を残すひなびた土地です。その駅からほど近い山間部で急ピッチで進められている巨大工事。メガソーラーの建設工事です。
「大変なことになってるから見に来てよ」、と誘ってくださったのは地元に住むイチローさん・アキコさんご夫妻です。


当ブログで「故旧」と呼び、折に触れて見聞を広めつつ旧交を温めてきた「大学時代の先輩・後輩の間柄で、大阪、西宮、岡山県北、岡山県南など、あちこちに生活の基盤を持つ同郷のメンバー」が、それではと、見学を企画しました。実は何ヶ月か前、一度同じ企画が実行されたのですが、その時は都合が悪くて私は参加できませんでした。


「是非写真にとってブログでアップしてよ」との要望も受けて、再度実施の運びとなりました。


脱原発は、緊急の課題です。CO2の削減も、寸秒を争うテーマです。クリーンエネルギーとしての太陽光の利用は、人類にとってきわめて重要・有用であることは論を待ちません。が、、、「自然に優しい」エネルギーのために、自然をこれほどにも破壊するというパラドックス。どこか狂っていないか?と思えてなりません。


工事計画の図面です。エリアごとに、おのおのサイトA.B.C.Gの呼び名が与えられています。


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ハザードマップでも豪雨時に土砂災害等の危険が警告されていることから、住民の反対も強かったBサイトを除き、住民への十分な説明もなくA.C.Gの工事が急ピッチで進められているそうです。


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区長宛に配られた資料写真だそうですが、工事前と、工事途中の様子が、ドローン写真で対比されています。


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この問題を報じた新聞切り抜きです(部分)


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イチローさんの知人である岡本さん(下の写真の男性)に、工事現場が見下ろせる場所まで案内していただきました。


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取り急ぎご報告まで。


今日はこれにて、


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卒業旅行は高知へ、の巻 [友人]

今年の1月で、未破裂脳動脈瘤の手術から10年、また、この夏で、肺腺癌の手術から5年経過しました。それぞれ再発などの兆しがないので、いずれの病院も「完治」とみなして、「通院終了=卒業」を許可していただきました。

昨日、卒業旅行に出かけてきました。

行き先は高知。

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じつは、この高知行きは、前々からの計画だったのでした。
ちょうど8月25日-26日と、高知でこんな全国集会が開かれました。
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2016年の8月に書いたこんな記事でも紹介した大学時代の同窓会は、3年に一度の開催を恒例としています。今年は、この母親大会に参加されるメンバーもあろうから、それにあわせて25日の夜、特例的に臨時開催してはというはこびになったのです。

夏の終わりの土佐の旅、の巻(その1)

その目的は、三年前にブログを始めたばかりの書いたこの記事(◆夏ゆくやそれぞれの老ひ輝きて)から3年を経て、また開かれる同窓会に参加すること。

今回も喜寿を迎える方から還暦前の方まで、東は東京、西は宮崎から、世代を越えて集まり、夜遅くまで、楽しく交歓したことでした。
私は母親大会への参加の予定はありませんでしたが、夜の同窓会だけには出席することにしました。
自家用車で行こうか、高速バスを使おうか、それともJRか、直前まで迷いましたが、JRでいくことにしました。
アンパンマン列車の「南風」号です。
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対向するのもアンパンマン列車。
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室内のレイアウトも撮影しておきたいところでしたが,いかんせん、車内混み合っていて、何駅も座席が空かず、立ったままでした。瀬戸大橋を渡る頃までは、まだ楽しい気分でしたが、だんだんに、特急代金を払ってまで立ち続けていることに疑問が生じてきた次第。帰りは高速バスにしよう!と決めました。
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高知駅でも、アンパンマンのお出迎えです。
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駅前の大通りにも、かわいらしいモニュメントが並んでいました。
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全国からの母親大会参加者を、現地の方達がお出迎え・案内しておられます、、、がよく見ると、このおふたり、わが大先輩のN氏、M氏ではありませんか。暑い中、お疲れ様です。
おふたりとも、夜の同窓会でご一緒できました。
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高知駅に着いたのがお昼頃。同窓会の始まりは午後6時の予定。
その間市内をいろいろ散歩して時間を潰しましたが、その模様は次回に譲ります。とにかく暑くて、汗びっしょり。
早々にホテルにチェックインして、シャワーを浴び、着替えもして、今度は高知城や隣接の高知県立文学館を見学。この次第も、次回に譲ります。
ようやく夕方になりましたので、同窓会会場に向かいます。
会場前に、こんなモニュメントがありました。
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刻まれた文字を拡大します。
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冒頭のポスターにもある母親大会のスローガン。
「生命を生みだす母親は 生命を育て 生命を守ることをのぞみます」
会場に一歩入ると、こんなモニュメントも。
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さて、同窓会には、私のように、それだけを目的に高知にやってきた人もありますし、昼間、母親大会に参加して来られたと、ご夫婦揃って参加された人も、ご夫婦と息子さん夫婦、さらには小さなお孫さんも連れて参加された人などもあり、思いの深さに胸を打たれます。
きょうはこれにて。

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共通テーマ:日記・雑感

深紅の薔薇咲くドイツの森、の巻 [友人]

6月2日の金曜日、ドイツへ行ってきました。
目的は森の散策です。
いや、ドイツと言っても、メルケル首相のドイツではなく、「ドイツの森」です。岡山県赤磐市にあるテーマパークで、正確に言うと「ドイツの森クローネンベルク」だそうです。
こんな公園です。

概要 のどかな農村の休日を体験できるテーマパーク

ドイツ風の農村をイメージしたテーマパーク「ドイツの森クローネンベルク」は約50haの丘陵に、ワイナリーやドイツの田園地帯の街並み、農産加工場、レストラン等を中心に、ブドウの果樹園、野菜畑もある。また、洋風庭園や芝すべり,パターゴルフ場,自転車広場など家族でくつろぐレクリエーション施設も充実している。公園内には6つのエリアに分かれており中世ドイツを再現した街エリア・村エリアには自家製品の加工施設もあり、ドイツの食文化が楽しめる。花エリアには約700株のバラを中心に四季折々の花を楽しむことが出来る。牧エリアでは牧羊犬の羊の追込みショーやジャージー牛の乳搾り体験など動物とふれあえる。遊エリアには自然の中で楽しめるアトラクションがいっぱい。(おかやま旅ネット)


岡山農業公園 ドイツの森 公式ページから園内マップをお借りします。


下の記事にも毎回登場いただいている、いつものわが「故旧」の皆さんに同行しての散策です。

 ●上を向いて歩いていたら、の巻(http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2017-05-13-1)
●またまた昨日の花見、の巻
(http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2017-04-08)
●連日の花見、の巻(http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2017-04-07)
●小豆島の旅、の巻(1)
(http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2016-11-22)
●蛙棲む原生林に蝮草(マムシグサ)
http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2016-06-10)
●「故旧あい集いし森の青胡桃」
(http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2014-06-11)
●故旧愉快梅雨の晴れ間の原生林http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2016-06-06
●ひなせの詩歌 第三回 土屋文明の歌、の巻
http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2016-03-04
●里村欣二は日生の生まれ、の巻
http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2016-03-01
海遠き故旧集うて牡蠣を食む
http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2016-02-29
●鵯(ヒヨドリ)の名に背きたるしとやかさ(http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2016-10-12)
●五月雨を集めて垂水(たるみ)はやからん
(http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2016-06-07)

●「故旧また集ひたる日や鹿を見つ」
(http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2015-09-30

●「そのかみの十五の吾も仰ぎ見し大き銀杏はとこしえにあり
(http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2014-11-23

●「故旧相和す刻愉快節分草(こきゅうあいわすときゆかい せつぶんそう)
(http://kazsan.blog.so-net.ne.jp/2014-03-07


この「ドイツの森」はいつ頃設立されたものでしたでしょうか?
同行の故旧の面々も、互いに「いつだったかねえ」と首をかしげます。
ただ設立当時は、連休や休日ともなると、県内外から観光バスや自家用車が押し寄せ、経路となる片側一車線の県道は、身動きできないほどの渋滞に見舞われたものでした。郷里に向かう道ですので、この渋滞は大変困りもの。記憶は鮮明でありませんが、おさなかった子どもたちとともに、飼い犬も乗せての長時間「ドライブ」には閉口したものでした。迂回路を通ってみても、これが遠回りの山道で、しかも混雑していますから、行楽シーズンの通行が憂鬱でした。
もともと、子どもたちをテーマパークや遊園地に連れて行ってやったことなどほとんどありませんし、ましてや地元ですぐに行けると思うとありがたみも薄くて足が向かないという心理が働きます。たとえば、県が鳴り物入りで誘致した「倉敷チボリ公園」などは、以前私が勤務していた学校のすぐ近くにあったのですが、家族を連れて行ったこともなく、一度も足を踏み入れることなく、赤字で閉園してしまいました。
ちなみに「倉敷チボリ公園」は、大型プロジェクト優先の長野史郎保守県政の失政を象徴する負の遺産として、このブログでも、なんどか話題にしたことがありました。
●足守の先は吉備路の紅葉かな

 岡山県では、「赤字財政」再建のためと称して、県民にサービス切り下げと負担増を強いるために、まず率先して県職員に「独自の給与カット」を何年も何年も押しつけてきましたが、そのそもそもの元凶が、長野県政だったわけですから。
私なども、退職まで、その賃金カットの「恩恵」をずいぶん被っていますから、他府県で就職した友人たちより生涯賃金では相当の格差があっただろうと、妬ましい思いにかられることも亡いわけではありません。
腹いせに、ウィキペディアから「長野士郎」の項目を少々抜粋して引用します。
こうした大規模プロジェクトのなかでも、吉備高原都市構想や倉敷チボリ公園の誘致、苫田ダムの建設事業(2005年完成)は岡山県の財政に重大な負担を残した。倉敷チボリ公園は岡山市政100周年記念事業で誘致が検討され第三セクターの汚職事件により一時は頓挫した事業を岡山県が引き継ぐかたちで倉敷市に誘致したものであり、運営の見通しや誘致効果に対しては開園前から疑問視されていた。苫田ダムの建設事業では、ダム建設に反対する地元・奥津町に対し、公共事業の補助金交付や起債手続きを遅らせるなどの「行政圧迫」を断行し町行政を機能不全に追い込んで町側に3度町長を交代させ、さらには幾度もの移転補助交付金の名目でバラマキ財政同然の行動に訴えて反対派の翻意と切り崩しを画策し、半ば強引に地元の反対を覆させるなど、強硬手段により事業を推進した。

長野退任直後の岡山県の起債制限比率は「危険水域」を超える15.5%(1996年度)で47都道府県中最下位となり、1999年度にも新たな地方債発行を停止される20.0%の基準に迫り、19.9%に達するという試算が出された。1993年度末に562億円あった財政調整基金も4分の1以下に減少するなど、破綻寸前の危機的な財政状況であった。

その後、吉備高原都市は長野の後任である石井正弘によって全事業計画を事実上、完全凍結させられている。さらに倉敷チボリ公園に至っては県側負担が圧倒的に増加し、2007年にはフランチャイズ元であるチボリ・インターナショナルとの契約の継続を断念。倉敷チボリ公園は2008年12月31日付けで閉園され、チボリ・ジャパン社は解散した。結局これらの事業は計画当初から囁かれていた通り、事実上の失敗に終わっている。


 (岡山後楽園について)これまで長い間、入園料400円の支出を躊躇して、園内に入ることはまれでしたが、去年の秋、2000円也の大枚をはたいて「年間パスポート」を入手してからは、繰り返し園内散歩を楽しんでいます。十分元は取りました。
あと何年か経って、シニア(六五歳以上)になると、一回140円、年間820円になります。待ち遠しい(笑)。
ただ1時間100円の駐車料金が意外な伏兵で、財布の中身に注意が必要です。

以前は無料の駐車スペースが利用できて重宝しました。(中略)それが、2011年7月1日、突如有料化されました。今では、駐車料金と入園料とダブルで支払わなければなりません。
県財政が赤字で、このままでは「財政再建団体」への転落が危ぶまれるとして、なりふり構わず強行された一連の「財政立て直し」策の一環です。率先垂範とばかりに公務員の賃金は連年カットされるは、公共料金は引き上げられるは、住民サービスは切りさげられるは、その余波として、我が県は全国ワースト○位に輝く記録を諸方面に渡って更新することになりました。
そもそも、県の財政赤字そのものが、住民のせいでも県職員の瑕疵によるものでもなくて、1972年初当選以来、6期24年続いた長野士郎県政の、ハコモノ中心・大型公共事業最優先の政治がもたらしたものでした。
長野士郎サンは、元自治省官僚でしたが、1972年の知事選挙に日本社会党・公明党・民社党・日本共産党が推す統一候補として出馬し、自由民主党推薦の現職加藤武徳サンを破って初当選しました。七〇年代初頭は、京都蜷川虎三、東京美濃部亮吉、大阪黒田了一をはじめ、各地に次々と革新自治体が誕生し、「太平洋ベルト地帯を革新自治体が埋め尽くした」「新幹線駅はすべて革新自治体上にある」ともいわれる、「革新上げ潮」の時代でした。
当時、故郷を離れて生活する学生であった私なども、風の便りに知事選挙の結果を聞き、他県に住む友人達と「時代は変わるものだね」と、嬉しい高揚感を覚えたことを思い出します。
でも、権力の座に就くということは、往々にしてその人物の負の要素を増幅させるような、思わぬ陥穽が待ち受けているものらしく、長野サンもご多分に漏れず、すぐに地金があらわれたというか、化けの皮がはがれたというか、早々に県民本位の革新的立場を棄て、2期目には社会党・共産党と決別し、以後自民党を与党に引き込んで、24年の長きにわたって、無類のワンマン知事として君臨することになりました。

その得意技が、ハコモノ中心の常軌を逸した大規模プロジェクト。
ほんの一例を挙げただけでも、、、
藤原審爾原作、吉田喜重監督、岡田茉莉子・長門裕之主演で映画化もされた「秋津温泉」の舞台となった鄙びてゆかしい奥津温泉に、地元の反対を押し切って強行建設した苫田ダム。

白壁と川柳が似合う街倉敷に、ミスマッチの夜型公園「チボリ公園」を、運営見通しも誘致効果も見込めないまま強引に誘致し、結局累積赤字を重ねたあげく、2008年閉園。
莫大な県費を投入して頓挫した吉備高原都市構想(後継の石井正弘自民党知事によって、現在、全事業計画を凍結中)。
大企業優先、住民生活犠牲の巨大プロジェクトを軸にした長野県政の「負の遺産」を、後継の石井正弘サン(現在は自民党参議院議員に転身なさいました。)→伊原木隆太サン(地元天満屋百貨店の社長さん)は、県民本位への根本転換をはかるのではなく、県民負担へのしわ寄せによって切り抜けようとしています。1時間100円の駐車料金を根に持って恨み言を言いつのるわけではありませんが、情けないハナシです。


「倉敷チボリ公園」のみならず、バブル期を中心に全国に広がったテーマパークの過半が、いまや見る影もなく廃れてしまっている中で、この「ドイツの森」は、こんな田舎で長く健闘しているというのが、故旧の面々の共通評価です。
開園はいつ頃だったっけ?という疑問を、なかなか解けませんでしたが、地元紙「山陽新聞」WEB版サンデジ2016年5月31日付にはこうありました。

 ドイツの森運営会社が民事再生法 負債58億円、営業・雇用は継続
テーマパーク「岡山農業公園 ドイツの森」(赤磐市仁堀中)を運営するファーム(愛媛県西条市、森貞幸浩社長、資本金3020万円)は31日までに、東京地裁に民事再生法の適用を申請、保全命令と監督命令を受けた。施設の営業と従業員の雇用は維持しながら、スポンサー企業を募って経営再建を目指す。グループ1社を含む負債総額は約58億円。
民間信用調査会社の東京商工リサーチ岡山支店によると、ファームは1964年創業、68年設立。95年開園のドイツの森をはじめ、岩手、千葉、大阪などグループで9府県の10施設を運営している。同社の売上高は2006年4月期に74億8千万円あったが、娯楽の多様化や個人消費の低迷で15年4月期は31億4千万円に減少。開園費用など借入金も膨らみ、資金繰りが悪化していた。
 ファームによると、ドイツの森は従業員約40人(うち正社員28人)で全員の雇用を維持するという。担当者は「関係者に心配と迷惑を掛けて申し訳ない。スポンサーの下で経営再建に全力を尽くしたい」と話している。

 ドイツの森は旧岡山県吉井町が地域活性化のため誘致した。総工費約50億円で約50ヘクタールの丘陵地にドイツの田園地帯や中世の街並みを再現している。園内でワインを製造販売する赤磐市の第三セクター・是里ワイン醸造場も通常通り営業を続ける。同市は「地域の大切な観光資源かつ雇用の場であり、今後も営業を続けてもらいたい」としている。

赤文字の部分に、答えがありました。1995年。20年あまり前ですね。
一度だけ家族で入園したことがあります。調べてみると2012年の5月です。
孫たちが、幼いこと。

ダッコされているのは、現在小1の女の子です。

公園の全盛期は過ぎていたはずですが、大勢の人でした。
どの遊具にも売店にも長蛇の行列が出来ていたことを覚えています。
今回は、平日であることも影響してか、入園客もまばら。観光バスで来られた県外客らしい一行と、保育園(歌謡遅延)の親子足らしい一行などのほか、ちらほらと姿が見えるだけで、広い園内がゆったり楽しめました。
上の写真に写っているミニトレインは、今日はお客もなく、池の遊覧ボートもすべて係留中でした。



食事も、行列に並ぶことなく、バイキング食べ放題を楽し見ながら、ゆったりゆっくりお話が弾みました。
公式ホームページから、レストラン『クローネ』の紹介を引用します。

 

レストラン「クローネ」(街エリア)


ここは創作バイキングレストラン。
自家製品や季節の野菜を食材にした和風や洋風、
いろんなメニューが約30品。
自家製ソーセージと地ビールでお食事はいかがですか。

《営業時間》
平日/11:00~16:00(ラストオーダー15:00)
土日祝/11:00~16:00(ラストオーダー15:00)


気になるお値段は?

  <料金>
大人(中学生以上) :1700円(税込)
小人(4歳~小学生)シニア(65歳以上):1000円(税込)
ドリンクバー:300円(アルコール類は別途料金)

「シニア1000円」が輝いて見えます。
そうそう、実は入園料金も、ありがいことにシニア600円です。

駐車料金無料ですし、シニア世代が一日ゆったり過ごすには、快適な空間だと思いました。存続を期待したいところです。

おしゃべりに夢中で、写真はあまり残っていません、しかも、同乗させていただいたヨシエさんの車に、ポケットカメラのPENTAXQ7を置き忘れて、すぐには画像を見られません(トホホ)。
もう一台持っていたpentaxk5Ⅱ+PENTAX DAL55-300で写した画像を少しだけご紹介します。
品種名は確かめていません。
赤いバラ。



ピンクのバラ。









オレンジ色?のバラ。





白いバラ。

白いノイバラのようなバラに、クマバチが吸蜜中。



この花は何でしょう。

テントウムシがいました。

ミツバチ?



今日はこれにて。

夏の終わりの土佐の旅、の巻(その1) [友人]

重い地響きを伴って、ドン、ドンと鈍い重低音が繰り返し鳴り響いて、体の芯に不吉な胸騒ぎを感じて目が覚めました。午前3時頃でした。

落雷のような爆発音という形容はあるでしょうが、反対に空爆かミサイル攻撃の轟音かとまがう連続的な雷鳴でした。冗談ではなく、爆弾でなくてほっとしました。にわかに雨音が強まり、風の音も混じります。台風の影響もあって、お天気が不安定になっているのでしょうか。

中途半端な時間に起こされて、寝付けなくなってしまいました。昨夜から気になりはじめていたこともあり、雷が遠ざかるのを待って、寝室のパソコンのスイッチを入れ、ネット検索などするうちに夜が明けました。朝から大雨・洪水の警報が出ていて、大荒れの天気でしたが、夕方にはすっかり雨も上がり、夜筒もに肌寒いほどになっています。

実は、昨日、一昨日の土日に、高知まで一泊旅行をしてきました。

その目的は、三年前にブログを始めたばかりの書いたこの記事(◆夏ゆくやそれぞれの老ひ輝きて)から3年を経て、また開かれる同窓会に参加すること。

今回も喜寿を迎える方から還暦前の方まで、東は東京、西は宮崎から、世代を越えて集まり、夜遅くまで、楽しく交歓したことでした。

会場のある建物の一室の窓ガラスにはこんな紙が貼ってありました。



若い頃、私はルイ・アラゴンのこの言葉を、いろいろな機会に好きな言葉として引いたことがありました。このブログでも、過去記事のなかでいつか書いたかと思って探って見ましたが、思い違いのようでしたのようでした。ルイ・アラゴンで言うと、ヒロシマの「原爆詩人」峠三吉が愛した詩句として、「髪にそよぐ風のように生き、燃え尽くした炎のように死ぬ」(ルイ・アラゴン)を引用したことはありました。

◆なんと言っても峠三吉でした。

同期の友人で障害児教育の実践と研究を続けてきて、今岐阜で「発達・教育相談研究所」所長を務める石橋剛さんが、会の冒頭、「発達障害が生む新たな分断と選別」と題してプチ講演をしてくれました。副題は、「私たち中高年が今、できること」。子育てを終えて一息ついていたのに、まだ出番がもとめられるのか、と苦笑いさせられる一コマもありました。

土佐の名産料理と各地の土産・名酒を味わいながらの歓談では、学生時代の思い出話から、来し方行く末の話と、話題はつきません。趣味を広げ人生を楽しみ、かつ社会的活動にも旺盛にとりくむなど、現代の諸課題にたいしてもそれぞれのやり方でしなやかに立ち向かっておられる様子を窺うにつけ、深く感銘を受けるとともに、元気とエネルギーを充填することができました。

3年前の記事でもご紹介しましたが、大学同期の米田稔君(高知県議会議員)は、この会の実行委員の一人で、今回も閉会挨拶をしてくれました。



同じく同期で、病気のため勇退したものの高知県議を長く務めた牧義信君も参加してくれていました。学生時代に属したサークルは違うものの、同じ教育系サークルで、薄い間仕切りで隔てられた隣接する部室で活動していました。現在、伏見区を基盤に京都市議をしている赤坂仁君も、同期です。学生時代も、自治会執行委員長など、リーダーシップを発揮していました。そう言えば、学生自治会の委員長をつとめた歴代のメンバーが、サークルの隔てを超えて何人も参加してくれていました。全員を取り上げてご紹介したいところですが、限りがありませんので割愛します。世代はことなり、若干すれ違ってはいますが、やはり隣室の教育系サークルで活動し、自治会執行委員長等もつとめたという縁で、元衆議院議員の春名なおあきさんも、多忙な中出席。彼のブログの8月28日付け記事に、この会のことが掲載されています。一部引用しておきます。






 私は○研の部員ではなかったのですが、同じ教育系サークル「○○教育研究会」の一員で、○○文化研究会と合わせて教育系サークル”御三家”だったよしみで
混ぜてもらったものです。米田県議、牧元県議、赤坂仁京都市議など、そうそうたるメンバーが県内外から50名も参集、昔話と明日の未来に花が咲きました。

二次会までは参加して、まだ後ろ髪引かれる思いは残りましたが、三次会は遠慮してホテルに戻ることにしました。が、思いがけず、かなり激しい雨です。用意してきていた傘は、開会の前にチェックインしてホテルに預けておいたカバンの中に、入れたままでした。コンビニで傘を調達するというアイディアも浮かびましたが、ま、夏のことですので、濡れていくことにしました。あいにくチョンボは重なるもので、どこをどう歩いたか、かなりの大回りをして、ようやくホテルにたどり着いたことでした。

途中こんな碑がありました。







さすがに自由民権運動のメッカ。日常の当たり前さの中に、ごくさりげなく、数々の歴史の刻印がしるされていることに驚きます。

そういえば、昔、受験生時代の心境をこんな歌にしてみたことがありました。(◆悪夢のインフルエンザ体験(追憶の昔語り)参照 )

この土を  維新の志士も民権の若者達も踏みて駆けしや



ところで、今回の高知行にはもう一つひそかな目当てがありました。

昨夜から気になりはじめ、未明に雷鳴で目覚めた後寝付かれず、確かめるためにネット検索などに時間を費やしたのも、それに関わる件でした。

思わせぶりですが、委細は次回。今日はこれにて。

待ち合わせ場所は紅殻の大鳥居、の巻 [友人]

この写真は、岡山市高松にある最上稲荷(さいじょういなり)の大鳥居です。







最上稲荷のHPでは、この鳥居についてこのように紹介されています。







 最上稲荷のシンボルのひとつで、昭和47年(1972)に建立されました。高さ27.5m、柱の直径4.6m、総重量2800tの規模を誇ります。平成26年(2014)に改修工事が行われ、ベンガラ色に塗りかえられました。



見上げると、雄大さが際だちます。バカでかい、とも言えます。。




鳥居上部に過かがられている扁額(縦180センチ、横90センチ、ステンレス製)には、「紅柄」の文字がきざまれています。この額には高梁市成羽町坂本の西江邸に残る江戸期のベンガラを使ったそうです。「紅柄」は、「ベンガラ」と読むそうです。

西江家のHPには、こうありました。







 本来ベンガラは「弁柄」または「紅殻」と書くのですが、西江家では、あえて「紅柄」と銘を打ちます。これは西江家のベンガラが「赤の中の赤」と賞賛され、
芸術家たちに愛されてきた品質の高さを表わしている証です。伊万里焼や九谷焼の赤色顔料として「Made In Japan」ブランドを海外で印象づけ、その名声は遠くヨーロッパにまで広がったと言われています。
純度の高い人工ベンガラが簡単に作られるようになった現代でも、西江家の「紅柄」の鮮やかで深みのある豊かな赤には到底及びません。まさに、江戸時代のナ
ノテクノロジー「紅柄」なのです。 



ところで最上稲荷は、その所在地から高松稲荷とも呼ばれます。この「高松」は四国香川県の高松ではなく、秀吉の〈つまり、黒田官兵衛の水攻めでおなじみの備中高松です。

最上稲荷のHPを引用します。







 数々の歴史舞台となった吉備平野で、

1200年間、人々の営みを見守ってきた最上さま。

 数多くの伝説とロマンを秘め、古代から豊かな文化を花開かせてきた吉備の国。雄大な造山古墳に代表される古墳群や、桃太郎伝
説の舞台としても知られています。また備中国分寺・国分尼寺など数多くの寺社が点在し、戦国時代には羽柴秀吉の備中高松城水攻めの舞台となるなど、数多く
の歴史物語に彩られた吉備平野。今なお豊かな野山が広がり、その風景は訪れる人々の郷愁を誘います。


 その風光明媚な田園にたたずむ、高さ27メートルにも及ぶ巨大な大鳥居が出迎えてくれる最上稲荷。正式名称は「最上稲荷山妙教寺」。明治の神仏分離令の際、特別に「神仏習合」の祭祀形態が許された、仏教の流れを汲む貴重な稲荷です。そのため、お寺でありながら鳥居をそなえ、神宮形式の本殿(霊光殿)があるなど神仏習合時代の形態を数多く残しています。













 秀吉本陣(一の丸)・日蓮聖人像



   平成26年(2014)の大河ドラマの主役・黒田官兵衛が羽柴(豊臣)秀吉に水攻めを献策したことで知られる備中高松城の戦。最上稲荷の境内には、この戦ゆかりの古跡があります。



  天正10年(1582)4月、中国平定のため西進する羽柴秀吉軍は毛利氏手勢の備中境目七城を攻めるため、備中高松にたどりつき、備中高松城を見下ろす龍王山に本陣を構え、砦を築きます。当山一の丸は秀吉が軍議を行った古跡と伝わります。

 開戦後、沼地の要害に守られた備中高松城を攻めあぐね本陣で悩む秀吉に、官兵衛が水攻めを進言します。これを取り入れた秀吉は、指揮するのに都合の良い石井山に本陣を移し、築堤工事を開始するのです。

 ここからは備中高松城址を始め水攻めの要所が望めるので、展望看板を参考にしてください。

 

 また、日蓮聖人立教開宗700年を記念して昭和28年(1953)にこの地に建立された日蓮聖人像が、境内を静かにお見守りくださいます。このたび、約14年ぶりに塗装改修工事が行われましたが、平成26年12月に改修工事が完了しtた大鳥居に合わせてベンガラ色の塗料でお色直しとなりまし
た。左手には数珠がかけられていますが、備前焼で作られています。

 







今朝は、退職同業者の友人ら数人が、九時半にこの大鳥居でまちあわせ、乗り合わせて、片道数十キロのドライブを沁ました。行き先は、友人Sさんが農作業と田舎ぐらしの楽しみのために購入し、月に何度かのペースで野菜作りのために通っているという、畑付きの古民家。ご本人から、話には聞いていましたが、訪ねるのは初めて。

広々とした庭でバーベキューとあいなりました。

空気はきれい、風はさわやか、畑には、トマト、なす、キュウリ、ゴーヤ、ピーマン等季節の野菜がすずなり。もぎたてをたらふく ごちそうになり、満足、満足。

最初から宿泊するつもりのメンバーは、野外ビヤガーデンを楽しみますし、日帰り予定の私たちは、ノンアルコールで、すっかり〈雰囲気に〉酔いました。

帰り際には亭主が立ててくださった抹茶などを戴き、命が伸びる一日となりました。

夕方〈と行ってもまだ日が高い)の大鳥居も、写しておきました。













鳥居のすぐそばに、ハス田がありました。










今日はこれにて。

白く紅く木の花匂ふ森しづか [友人]

この季節、山には白い花が映えると、アキコ夫人がおっしゃっていたとイチローさんがおっしゃいます。この日、アキコさんは、靱帯損傷の怪我が癒えきらず、山歩きは遠慮された由でした。
しからば、白い花の情報をお土産にしようという次第。
ここにも、山法師(ヤマホウシ)が花盛りでした。



ここにも白い花。



親切に説明板が設置してあります。
沢蓋気(サワフタギ)、別名綿織木(ニシゴリ)だそうです。テニスの名手も、一族でしょうか?

これも白い花。







藪手鞠(ヤブデマリ)だそうです。
剪定ばさみで整えたような風雅な樹形です。





白ばかりでなく、ピンクの花も目につきます。











あれは何だろうという話題に反応して、当て推量に「ウツギの一種かな?」と言ってみますと、サブローさんも肯いて、「県外の友人が.白いウツギは見慣れているけどピンクのは珍しいという。我が家の周りの山にもたくさんあるので、枝を切ってあげた」とのこと。

そういえば、過去に記事でも、ウツギの種類について、聞きかじりを書いていました。

卯の花を簪にアジアイトトンボ

長くなりますが、一部を再掲します。







 マクロレンズを持って深山公園に行った時、目を引かれたこの花。



「ウ
ツギの花」と表示がありましたが、そういえば、幹が空洞なので空木(ウツギ)と名づけられ、「ウツギの花」がつづまって「ウノハナ」と呼ばれるようになっ
たとか、「ウノハナ」が野山を一面に彩る季節を「卯月(ウヅキ)」=旧暦四月の異名とよぶようになった、などの知識は、耳にもし、人にも語った事があった
はずでしたが、すっかり忘れておりました。

翌日、田舎の実家に帰る途中、ちょっとだけ立ち寄った「自然保護センター」でも、あちらこちらにこの花が咲いておりました。







同じ「ウツギ」の名がつく木に、幾つもの品種があるそうですね。この紅白の色鮮やかなのは、「源平ウツギ」?---「ハコネウツギ」でよろしかったかしら?



最初に紹介した真っ白い「ウツギ」=「ウノハナ」は、ユキノシタ科だけれど、この「ハコネウツギ」はスイカズラ科タニウツギ属だそうですね。赤い花を咲かす「タニウツギ」もよく庭木などとして珍重されるそうです。

ころで、昔(結婚したばかりの二〇代の頃)、ご近所さんからウツギの株を戴いて、各地を引っ越しする度に移植に移植を重ねてきました、丈夫な木で、ほとん
ど世話もしないのに、初夏(梅雨)の頃、律儀に可愛い花を咲かせてくれていました。余りに丈夫な木なので、切り詰めるだけ切り詰めて、世話らしい世話もし
ないでいるうちに、いつの間にか枯れてしまったようです。思えば、不憫なことをしました。
今では不確かですが、それは「タニウツギ」だったでしょうか?
芭蕉の「奥の細道」に登場する「卯の花」は、冒頭の写真の真っ白いウツギの花でしょうね。




「白川の関」     奥の細道

許なき日かずかさなるまゝに、白川の関にかゝりて、旅心定りぬ。いかで都へと便り求めしもことわりなり。中にもこの関は三関の一にして、風騒の人、心を
とゞむ。秋風を耳に残し、紅葉を俤(おもかげ)にして、青葉の梢猶あはれなり。卯の花の白妙に、茨(いばら)の花の咲きそひて、雪にもこゆる心地ぞする。
古人冠を正し、衣装を改し事など、清輔の筆にもとゞめ置れしとぞ。
卯の花をかざしに関の晴着かな 曽良 


【解釈】
わたくし芭蕉は、旧暦の四月二十日(新暦六月七日)、那須湯本から芦野の「遊行柳」を経て更に北へと旅し、国境をめざし、そのまま奥州街道を北へ歩いて白河(白川)領に入りました。

たくしは、3月に江戸を出発しました時から、歌枕(つまり古歌に歌われた名所)としてチョー有名な「白川の関」を訪ねてみたいとずっと思っておりましたの
じゃ。とっく昔に廃止されて何百年も経っておりますから、その場所は言い伝えによるしかないのですが、このあたりだったことは間違いありますまい。 
なかなか旅に慣れることができず、気持ちばかりがはやって着かない日々を重ねるうちに、目的の白河の関にさしかかり、ようやく本腰入れて長旅を続ける心構えが定まりましたわい。
むかし、平兼盛が、「たよりあらばいかで都へ告げやらむ 今日白河の関は越えぬと(「拾遺集」)」と、何とかして関越えの感動を都の人に知らせたいと歌ったのももっともですなあ。
 
数ある中でもこの関は、奥州三関の一つに数えられ、風雅を求める人が心を寄せた場所ですじゃ。わたくしの尊崇する旅の歌人西行法師も、「白河の関屋を月の
もるかげは 人の心をとむるなりけり(「新拾遺集」)」と詠んでおりますわい。また、能因法師が、「都をば霞とともに立ちしかど 秋風ぞ吹く白河の関
(「後拾遺集」)」と詠んだ「秋風」の音を耳に聞き、同時に、「都にはまだ青葉にて見しかども 紅葉散りしく白河の関(「千載和歌集」)」という源頼政の
歌の「紅葉」を思いながら、眼前の青葉のこずえをながめていると、実にしみじみと心が動かされることですぞ。
折しも目の前には、青葉の中に卯の花が真っ白に咲いているところに、茨が白く咲き添って、まるで雪の中を、関を越えているような心地がいたします。ホント、いろんな季節がいっぺんに楽しめるようですわい。
この関を通るとき、古人(竹田大夫国行)は(能因法師の歌に敬意を表して)冠を正し、衣装を改めたと言うエピソードが、藤原清輔の「袋草紙」に書きとめられているそうですな。わたくしら一行にはその用意もありませんので、同行の弟子、曽良がこう詠んだものでした。
やつれた旅姿の私どもは、晴れ着の持ち合わせもございませんから、せめて卯の花をかざし(=かんざし。髪飾り)にして関を通ることにいたしましょうぞ。


そういえば、『奥の細道』では、奥州平泉を訪ねた場面でも、卯の花が登場します。

「平泉」の段については、以前、この記事でも触れたことがありましたが、今回はもう少し長い引用におつきあいください。

平泉

 
三代の栄耀一睡のうちにして、大門の跡は一里こなたにあり。秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。まづ高館に登れば、北上川、南部より流るる大河
なり。衣川は和泉が城を巡りて、高館の下にて大河に落ち入る。泰衡らが旧跡は、衣が関を隔てて南部口をさし固め、えぞを防ぐと見えたり。さても、義臣すぐ
つてこの城にこもり、功名一時の草むらとなる。「国破れて山河あり、城春にして草青みたり。」と、笠うち敷きて、時の移るまで涙を落としはべりぬ。
  夏草やつはものどもが夢の跡
  卯の花に兼房見ゆる白毛かな  曾良 


【解釈】
   平泉
 奥州藤原氏三代の栄華も一眠りの短い間の夢のように、すっかり滅びて潰(つい)え去り、見渡せば、平泉館の大門の跡が一里ほど手前にあるわい。秀衡の住んだ館の跡は田野となって、彼が築いた金鶏山だけが当時のままの姿をとどめておる。
かくまわれた義経らの住まいであった高館に、まず登ってみると、北上川が眼下に見えるのお。これは南部地方から流れて来る大河じゃ。衣川は、忠衡の居城であった和泉が城を巡って、高館の下で北上川に流れ落ちておる。
泰衡らの住まいの跡は、衣が関の向こう、南部地方からの出入り口を固め、外敵の侵入を防ぐと見受けられる。
それにしても、義経は忠義の家来を選りすぐって、この高館にこもり、奮戦して名声を轟かせたが、それもひとときの夢と消え、その戦場のあたりは、いま、夏草が生い茂る草原となっておるわい。
国はほろびたが、山河は以前と変わらずにある。町には春が来て、草は青々と生い茂っている。」と、杜甫の「春望」の詩の一節を口ずさみ、笠を敷いて腰を下ろし、長い時間涙を落としてしまいましたよ。
その場で詠んだわたくしの句はこれです。
青々と生い茂る夏草!この野原は、昔、義経主従らが功名を求めて奮戦した末に、はかなく消えた名残の場所であることよ。

同行の弟子、曾良はこの句を詠みました。

白く咲く卯の花を見ていると、昔ここ高館で、主君義経のために白髪をふり乱して奮戦した老将兼房の姿が浮かんでくることだよ。            


これがピンクの花だったら、紅顔の若武者を連想させたかもしれませんね。

念のためにウィキペディアを参照してみますと、タニウツギについてこうありました。







 タニウツギ(谷空木、学名:Weigela hortensis)はスイカズラ科タニウツギ属の落葉小高木で、田植えの時期に花が咲くので「田植え花」としても知られる。梅雨の時期に山道を通ると新緑の中で咲くピンクの花はひときわ映えて見えるので見つけやすい。

やはり、タニウツギで正解でしょうかね?



ところで、いつものことながら、この散策の企画と運営をすべて取り仕切ってくださたヨシミさんから、ちょっと前、この同様の歌詞について尋ねねられたことがありました。彼女は、しばしば、ギター片手に歌声のボランティアをしておられますので、みんなでこの歌を歌う際に、歌詞が気になったということらしいです。





歌詞 『夏は来ぬ』

卯の花の 匂う垣根に
時鳥(ホトトギス) 早も来鳴きて

忍音(しのびね)もらす 夏は来ぬ

さみだれの そそぐ山田に
早乙女が 裳裾(もすそ)ぬらして
玉苗(たまなえ)植うる 夏は来ぬ

橘(タチバナ)の 薫る軒端(のきば)の

窓近く 蛍飛びかい
おこたり諌(いさ)むる 夏は来ぬ

楝(おうち)ちる 川べの宿の
門(かど)遠く 水鶏(クイナ)声して
夕月すずしき 夏は来ぬ

五月(さつき)やみ 蛍飛びかい
水鶏(クイナ)鳴き 卯の花咲きて
早苗(さなえ)植えわたす 夏は来ぬ


特に、3番の「 窓近く 蛍飛びかい おこたり諌(いさ)むる 夏は来ぬ」の歌詞の意味が、おたずねの中心でした。

そういわれるとこの歌、一番の歌詞はなじみが深く「夏は来ぬ」の「きぬ」「待てど暮らせど来ぬ人の宵待草のやるせなさ」の「こぬ」を見比べて、古典文法の説明によく使いますから。

たとえばこの記事(秋立つやなまあたたかきかぜなれど)では、こんな説明をしています。

 「来ぬ」は、「きぬ」と読みます。カ行変格活用の「来(く)」の連用形に、完了・強意の助動詞「ぬ」の終止形がついたもので、「来た。来てしまった」の意味になります。

もしこれを「こぬ」と読むと、 カ行変格活用の「来(く)」の未然形に、打消の助動詞「ず」の連体形がついたことになり、「来ない」の意味になります。


「ぬ」は連用形接続、「ず」は未然形接続の助動詞ですから。→試験に出るよ(笑)。

2番目以降の歌詞は、見たことはあったにしても、しっかりと記憶にとどめてはいないことに気づきました。おたずねの箇所などは特に、意識もしていませんでした。

とりあえずは、こんな返事を返しておきました。
 おこたりは、怠り、つまり怠けることでしょう。蛍雪の功のエピソードが踏まえられていて、蛍が学問への怠け心を諌め、叱咤激励してくれるというようなことでは?こんな歌詞があること気がつきませんでしたが。

道中、これを話題に「夏は来ぬ」談義に少々時間を費やしました。

その話題の一つ。この同様の作詞者が、佐佐木信綱であったこと。

その孫(間違えてこと言ってしまいましたが)佐佐木幸綱は、俵万智の師であったことなど。

調べてみると、佐佐木信綱の出身地鈴鹿市のHPに、佐佐木信綱記念館のページがあり、こんな記事が掲載されていました。

 明治5年6月3日、佐々木弘綱(文政11~明治24年)の長男として、信綱は現鈴鹿市石薬師町に生まれ、6歳(以下、数え年)までを過ごしました。信綱は5歳より、父弘綱から「万葉集」や西行の「山家集」の歌を暗唱するよう教えられ、6歳の時に初めて短歌を作りました。
 信綱は6歳から短歌を詠みはじめ、生涯に1万余首を作歌し、第1歌集『思草』(博文館 明治36年)から第9歌集『山と水と』(長谷川書房 昭和26年)や『佐佐木信綱歌集』(竹柏会 昭和31年)など、多くの歌集を刊行しました。また、明治30年頃より竹柏会を主宰し、機関誌『心の花』の創刊(同31年)や門人の育成・指導にあたるなど、歌人として活躍しました。
 一方、信綱は学者として、特に万葉集の研究者として、不滅の大業というべき『校本万葉集』(校本万葉集刊行会 大正13~14年)を刊行するなど、万葉集の研究と普及に尽力しました。
 そして、昭和12年4月28日、信綱は第1回文化勲章を受章しました。信綱は和歌・和歌史・歌学史の分野で認められ、66歳で受章となりました。
 このほか、信綱は忙しい著作の合間に、唱歌「夏は来ぬ」(小山作之助作曲)や童謡「すずめ雀」(滝廉太郎作曲)、軍歌、北海道から九州までの学校校歌等の作詞を多数手がけました。
 晩年は、静岡県熱海市の凌寒荘へ移り、約20年間過ごしました。この間、歌人・万葉学者としての集大成である著作物の数々や、『ある老歌人の思ひ出』(朝日新聞社 昭和28年)などの自伝をまとめました。
 昭和38年12月2日、信綱は凌寒荘にて92歳で亡くなりました。信綱はその一生を歌道と万葉集研究に捧げ、多くの業績を残しました。

■信綱は、なぜ「佐佐木」か?

 信綱は明治36年(32歳)、中国へ遊学をしました。
 その時に上海で名刺を作りましたが、出来上がってきた名刺は、紅唐紙(縦約24cm×横約12cm)に「佐佐木信綱」と印刷されていました。

 この名刺を見て信綱は「見た目がよい」と大変気に入り、以後の著作物などに好んで「佐佐木信綱」と使うようになりました。

さて次回は、この佐佐木信綱つながりの記事を少々書く予定です。



今日の午後、参議院選挙に向けた演説会があります。

野党統一候補の黒石健太郎さんが登場します。

日本共産党市田忠義副委員長も。

その市田さんのHPにこんな記事を見つけました。胸を打たれましたので無断で紹介させていただきます。

 母の句集に寄せて

 七十歳を過ぎてから短歌を作り始めた義父(妻の父)が、人生の証にと歌集「朝暮」を自費出版した。今年で八十八歳、米寿である。全くの偶然だが私の母も今年米寿をむかえた。けっして上手とはいえないが母は俳句を作る。
 父亡きあと、必死で働きながら私たちを育ててくれた母。なんの親孝行もせず、逆に心配ばかりかけてきた。せめてそのつぐないに句集でもと思いたち、妻や兄弟に相談したところ「それはよい、父と母の米寿を祝い、歌集と句集の出版記念会でもやろう」と話がまとまった。
イラスト  昨年夏の参議院選挙、京都市長選挙、そして今年の総選挙と知事選挙。私にとっては多忙きわまる時期であった。しかし、仕事のあいまをぬって滋賀県の実家に帰って母の作った俳句や短歌のノート、同人誌「木耳」などをもちかえった。選挙の連続で帰宅は深夜になることが多かったが、晩酌をしながら夜中に母の作品を整理するのは私の楽しみでもあった。
夜学び昼は勤めて得しお金肉など買えと送りてくれぬ
母がこんな歌を創っていたことなどまったく知らなかった。私が法律事務所や龍谷大学の図書館に勤めながら立命の二部に学び、わずかばかりの仕送りをしていた頃の歌だと思う。おもわず涙がこぼれた。
新しき学生服やピカピカの自転車届く暮れの園舎に
これは、母が幼稚園に住みこみで用務員として働いていた頃の歌である。高校一年だった私と中学一年の弟も一緒に住みこんでいた。高校を卒業して京都に就職していた兄が私に通学用の自転車を、弟には学生服を送ってくれた。とびあがって喜んだことを昨日のことのように思い出す。
我に似ず目鼻調う子に生まれ婚期来たれど嫁ぐといわず
父が死んだため、恋人との結婚を先にのばし、旭村役場(現在の五個荘町役場)につとめて一家をささえてくれていた姉のことをうたった歌である。
母は「まえがき」に「兄は弟を可愛がり、娘は父亡き後の一家を支え、文字どうり家族が肩を寄せ合って生き抜いてまいりました。」と書いている。
母のいうとおり、とくに姉と兄、そして現在滋賀県で母と一緒にくらし、世話をし てくれている弟夫婦には私自身も感謝の気持ちでいっぱいである。
いろんなことを心の中で思いめぐらしながら必死で整理した。
母はなかなか達筆だが楷書ではないし、変体仮名を使うのでノートや手紙の字は私には読みづらい。「この字はなんと読むのか」とよく母に電話をした。ふだんは、二、三ヵ月に一度ぐらいしか電話をかけないが、句集発行のおかげで月に何度も母の声を聞くことができた。
「忙しいのにすまんなあ」と恐縮しつつ、母も私の声を何度も聞いて喜んでくれている様子であった。
とにかく、ようやく一冊の本にまとめることができてホッとしている。俳句としてのできばえがどうかは素人の私にはよくわからない。季語のない句もある。本人も、「本にするようなものではない、はずかしい」といっていた。しかし、つたなくとも母にしか表現できないなにかがにじみでていて一つひとつの作品が私の胸をうつ。
母思い汲み置きくれし水槽の水一滴も無駄に使はず 
迫りくる積乱雲におびえつつ車引く足いとどせかるる
はじめに書いたように母は幼稚園の用務員として、住み込みで働いて私たちを育て、学校へかよわしてくれた。園児たちが手を洗ったりするための水槽に、手おしポンプでくみ出した水をいっぱいためるのが、毎朝の私と弟の仕事であった。母が病気のときは学校を休んで、少し離れた小学校へリヤカーをひいて給食をとりにいったこともあった。
この頃の園児たちが、二十年、三十年たった今も、時々嫁ぎ先から郷里にもどってくると母に「お元気ですか」「長生きしてくださいね」と激励にきてくれるそうである。
母は自分の子はもちろん、人の子も自分の子供のようにかわいがった。そして自分も貧乏をしているのに、困っている人をみるとじっとしておられない性格である。
人間にも動物にも自然にたいしても、――この世のすべてにやさしく、あたたかい。それが俳句にも短歌にもにじみでているように思う。
病む足も忘れ夕餉の一刻はギターに合せ我も唄えり
百万の富よりなお尊きは母子団欒(まどい)の夕餉一刻
食後の団らんの際に母から教わったことは多い。昔から小説や歌をはじめ本を読むのが好きであった。大変なロマンチストでもある。学校で習ったことよりも母から聞いた昔話や故事、ことわざの方をいまもよく覚えている。「人間万事塞翁が馬」だとか「燕雀何んぞ鴻鵠の志を知らんや」などということばはたしか幼い頃、学校で学ぶより早く母に教わったように思う。
母はまた「影をしたいて」「国境の町」など藤山一郎や東海林太郎の歌が大好きで、よく一緒に唄ったものである。
気が弱く涙もろいが、正義感が強く、まがったことがきらいなのも母の特徴である。
私が竜大の図書館をやめ日本共産党の専従活動家になったとき「なにもお前がせんとうにたたなくとも」と当初はしぶっていたが、いまでは心から応援してくれている。
まだまだ反共風土の根強い滋賀県の田舎で「忠義さんはどこにお勤めですか」と近所の人に聞かれて「日本共産党です」というのは、はじめはいいづらかったにちがいない。しかし今は、「なんにも息子は悪いことはしていない。人のため、世のためにがんばっている」と胸をはってのべているそうである。
私は実に多くのことを母から学んだように思う。兄にも姉も弟もおそらく同じ気持ちだと思う。
あらためて心から「ありがとう、お母さん」といいたい。
米寿とはいっても現在の平均寿命から考えればそんなに年老いたわけではない。大西良慶さんの例もある。いつまでも元気で長生きして俳句をつくりつづけてほしいし、子や孫たちを見守ってほしい。
そしてこんどは白寿を記念して第二の句集をもう一度みんなでつくってみたいと思う。
               1990年5月     市田 忠義 
(この文章は、市田志ん句歌集「幾山河」のあとがきとして書いたものです。なお母は、1993年6月、89歳で亡くなりました)

今日はここまで。

蛙棲む原生林に蝮草(マムシグサ) [友人]

先日の「若杉原生林」散策を案内するために、前もって下見までしてくださったサブローさんのことは、以前この記事に書きました。↓

故旧あい集いし森の青胡桃
退職後、関西から移住して奥さんの故郷である岡山県山間部に居を定め、木工工芸品の製作にいそしむ傍ら、地元で地域おこしのとりくみとして振興されている「ジビエ」肉の処理・加工に携わったり、また岡山県自然保護センターの研修に継続的に参加されるなど、自然三昧の日々を送っておられます。
「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり(徒然草第52段 「仁和寺にある法師」)」の言葉通り、優れた案内人の存在はありがたいものです。

一昨年、同じようにサブローさんに案内していただいた時には、初めてモリアオガエルの泡巣を見ることができました。↓

いかな夢見つつ眠るや森蛙

記事の一部分を採録します。


思いがけないことがあればあるもの。先日の美作市右手地区への自然探訪の道すがら、そのモリアオガエルのふわふわとした白い泡巣に、ばったりと遭遇したのです。人生初めての出会い!しかも、道端の木に、草に、崖に幾つも幾つも、ぶらさがっているのです。思わず歓喜の声を上げる一行でした。


 あそこにも卵塊!またこちらにも!


秘めやかな願いのごとき泡巣かな


やわらかくくるまれて育ついのちかな


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この泡巣の中に眠る一粒一粒の卵たちは、静かに静かに、どんな夢を見ていることでしょう?

いかな夢見つつ眠るや森蛙

このモリアオガエルの消息について、サブローさんは、その後何度か写メで知らせてくださいました。

夏野菜稔る季節の鳥と虫

最新情報 今日のモリアオガエル ほか

午睡醒めてなお日は長き夏至の雨

たなばたといせものがたりと良寛と

そして「若杉原生林」の散策中にも、こんなものがみつかりました。



果たしてこれの正体は?

ところで、渓流沿いの湿地の中から、ひっきりなしにカエルのものらしい鳴き声が何カ所からも聞こえてきます。正体を見極めたくて、声のする場所に近づき、穴の開くほど見つめてみても、実際に棒きれで穴を開けてみても、全く姿が見えません。からかうかのように、鳴き声は大きくなりますが、結局正体不明のままでした。

たまたま鳥のさえずりを記録したくて写した動画に、カエルの鳴き声も少しだけ入っていました。手ぶれがひどくて恐縮ですが、初めのうち鳥のさえずりが、終わりのほう、蛙の声がわずかに、聞き取れるでしょうか?

【追記】というわけで、カメラで写した動画ファイルをアップするつもりが、ファイルサイズが大きすぎて失敗しました。苦労の末、ファイル形式を変換してサイズを小さくしたところ、音は聞こえるようですが、絵が不調です。代わりに静止画を一枚貼っておきます。、

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カエルがいればヘビもいる。がさごそと、山道を這って逃げる姿がありましたが、写真に残す余裕はありませんでした。

そのかわり、これ。

蝮草(マムシグサ)と言うそうです。















確かに、鎌首をもたげたマムシの姿に似ていますね。

ウィキペディアにはこうありました。

 マムシグサ(蝮草、学名:Arisaema serratum)は、サトイモ科テンナンショウ属の多年草である。有毒植物。



特徴

北海道から九州にかけて分布する。山地や原野の湿った林床に生える。 形状に変異が多い多年草で、成長すると高さは50 - 60センチメートルに達する。

葉は2個あり、楕円形の小葉が7個から15個つく。 球茎は平たい円形で地下にある。偽茎は、葉柄下部の2つの葉鞘部分が重なってできたもので、紫褐色のまだらな模様がある。この模様がマムシに似ていると考えられたところからこの名がつけられた。秋田県では「ヘビノバッコ」とも呼ばれている。雌雄異株である。

晩春に、花茎を直立させて開花する。苞(仏炎苞)は紫色に近く、白線がある。なかには苞が緑色のものもあり、アオマムシグサまたはカントウマムシグサと呼ばれる。花のつき方(花序)は肉穂花序の代表例で、苞の中にまっすぐ立つ。花期は4月から6月である。

果実は秋に橙色から赤色に熟し、トウモロコシに似た形状の果実を付ける。



毒性

全草にシュウ酸カルシウムの針状結晶、サポニン、コニインが含まれる。特に球根の毒性が強く、その汁に触れると炎症を起こす。誤って食すと口中からのどまでに激痛がはしり、唾を飲み下すことすらできないほどとなる。
また、激しい下痢や嘔吐、心臓麻痺といった症状が現れ、重篤な場合死亡する。



葉の付き方など、姿形が異なるように思えますが、これも同種でしょうか?


五月雨を集めて垂水(たるみ)はやからん [友人]

梅雨入りというだけあって、今朝は雨音で目が覚めるほどの、なかなか本格的な降りが続いています。
ただ、梅雨というと、もう少し。しんみりとしたしとしと雨かというイメージがありますが、なかなかに勢いがよろしい。
そういえば、
五月雨を集めてはやし最上川 芭蕉
の五月雨は、しとしと雨だと似合わない気もします。
「五月雨(さみだれ)」の「さ」は、農耕を表す古語だそうで、「さつき」、「さおとめ」などの語にも痕跡が残っているのだそうですね。「みだれ」は「水垂れ」。田植えの季節であっった旧暦5月に降る雨。現在の梅雨を指すのですが、その語感には、パラパラとと時に激しく乱れ落ちてくる雨粒を感じますね。今朝の雨はそんな感じです。
それにしても、昨日は一日、暑過ぎもせず雨もふらない快適なお天気だったことは、ありがたいことでした。故旧の面々、口々に「日頃の行いが良いからね」と言い、「誰の行い?」と突っ込みを入れながら、若杉原生林の散策を堪能したことでした。
「熊出没注意」の警告表示もあり、出来るだけ賑やかに存在アピールをしながら歩いたのでした。途中行き会ったのは、近畿方面から来られたらしい一組だけでしたが、やはり、そうおっしゃっていました。
下の略図の中央部、大茅(おおがや)スキー場を、通り過ぎて少し上ったたあたりに、若杉天然林入り口の駐車場はあります。

なおこの地図は、県HPのこのページからお借りしましたが、「西粟倉村」は正しいけれど、よく見ると、「東粟倉村」という旧自治体名が記載されていますね。現在は合併により美作市に所属しています(念のため)。
また、同じく県HPのこちらのページページには、こんな図が掲載されています。

これによりますと、大茅スキー場近辺の標高はおよそ600メートルほどだそうです。
大茅スキー場といえば、知る人ぞ知る県内スキー場の「穴場}で、昔、我が家の長男、長女が小学生だった頃、スキーを経験させたくて、郷里の実家を訪ねたついでに、一度だけこのスキー場に連れて来(ようとし)たことがありました。ところが、山道に入るととたんに積雪が思いの外道を埋めていて、道路の案内板に「チェーン着用」の必要が指示れていました。私の車は、暖地仕様のノーマルタイヤですし、チェーンは一応用意していたものの、装着にも運転にも自信のない私は、スキー場入り口の駐車場まで行き着くことが出来ず、ふもとのあたりでそり遊びや雪投げで、短時間遊んで、すたこら帰途についた記憶が残っています。子供用のスキー用具やスキーウェアも、確か新調したように思いますが、有効活用しないまま、あっという間に成長してしまいました。
その後、しばらくして、青葉若葉の頃、ワラビや山菜が豊富な春{初夏?)のスキー場にピクニックで訪れたこともあったと思います。曖昧な記憶です。
今回歩いた若杉原生林は、「標高950 - 1,200m付近に位置する天然林(ウィキペディア)」で、尾根の展望台は標高約1200mの位置にあるそうです。
駐車場から展望台までの散策道を、ゆっくり道草しながら、歩きます。途中、休憩がてら軽いお弁当。集合場所の道の駅で、各自パンをしいれてきました。

目標の展望台に到着した頃には、三時間が経過していました。
下りは約四〇分で駐車場までつきましたから、実質の歩行距離はさしたる者ではありませんが、わずかに負荷のかかる、「ほどよい運動」が出来ました。
展望台からの眺望です。
画面中央にそびえているのが「後山(うしろやま)」です。

ウィキペディアによる紹介記事。
 後山(うしろやま)は、兵庫県宍粟市と岡山県美作市にまたがる標高1344mの山。兵庫県側からは板場見山(いたばみやま)とも呼ばれる。中国山地東部
にあたり、氷ノ山後山那岐山国定公園の主要な一部をなす。兵庫50山、近畿百名山、中国百名山の一つ。なお、三等三角点がある山頂部分は岡山県美作市側に位置する。

こちらは氷ノ山。

同じくウィキペディアの記事。
氷ノ山(ひょうのせん)は、兵庫県養父市と鳥取県八頭郡若桜町との県境にある
標高1,510mの山である。須賀ノ山とも呼ばれる。日本二百名山やふるさと兵庫50山のひとつに選定されている。 

展望台の小屋にはこんな写真が掲示してありました。

部分的に拡大してみます。
右の方が、南方面の眺望です。

中程は、東の眺望。

左の方に氷ノ山。


岡山県と鳥取県、兵庫県の県境にほど近い、標高約1200mの場所に立つ爽快感はひとしおでした。
この山歩き、それなりに汗もかきましたが、吹く風も涼やかで快く、せせらぎの音も、鳥のさえずりも、湿地から聞こえてくる正体不明の蛙の鳴き声も、涼感を演出してくれて、別天地の爽快を心ゆくまで味わうことが出来ました。
今日は、同じような写真ですが、渓流の写真をまとめて掲載します。














 

 

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一日見つめていても見飽きることがありません。

あるいは、今日などは、この雨で増水し、激しくほとばしる濁り水と化しているかもしれません。

五月雨を集めて垂水(たるみ)早からん

あんちょくなパクリです。

今日はここまで、続きは次回です。


故旧愉快梅雨の晴れ間の原生林 [友人]

先週は鳥取県智頭町を訪ね、森林深く抱かれる快さを堪能しました。その感覚が覚めもやらぬ今日、今度は鳥取県境に近い岡山県西粟倉村「若杉原生林」を訪ねました。

同行者は、これらの記事でもご一緒した、故旧の面々です。

故旧あい集いし森の青胡桃

故旧相和す刻愉快節分草(こきゅうあいわすときゆかい せつぶんそう)


そのかみの十五の吾も仰ぎ見し大き銀杏はとこしえにあり

海遠き故旧集うて牡蠣を食む

「若杉原生林」について、岡山県のホームページ中のおかやまの自然百選のこのページにはこう紹介されています。







 ガイド

岡山県でも指折りの森林浴スポット西粟倉村「若杉天然林」は、中国山地の代表的な自然の宝庫で、面積約83ha、標高 1,200m、氷ノ山後山那岐山国定公園の特別保護地区となっています。

地元では、「若杉原生林」と呼んでおり、 県下3大河川の一つ吉井川の支流、吉野川の源流が流れています。



見どころ

生い茂る天然樹林の中には、樹齢200年以上のブナや カエデ、ミズナラなどの巨木をはじめ199種もの植物が確認されており、オオルリやヨタカ、ヤマネなど希少な動物の 生息地となっています。

林内の3kmと5kmの遊歩道を進むと、圧倒されるほどの緑のクラデーションが美しく、カラフルな虫や鳥がかれんな姿を見せ、聞こえてくるのは川のせせらぎと鳥の声だけです。

頂上若杉峠からは、山陰と山陽が同時に展望でき、近くには標高1,000m付近を林道ダルガ峰線が縦走し、知る人ぞしる絶景スポットとなっています。

もっと詳しく知るには...

http://www.vill.nishiawakura.okayama.jp/

ちなみに、西粟倉村は、「平成の大合併」の際にも、合併の道を採らず、県内でもわずか二つだけの「村」の道を選んだ自治体です。

ウィキペディアにはこうあります。







 西粟倉村(にしあわくらそん)は、岡山県の最北東端に位置し、兵庫県・鳥取県と境を接する村である。面積の約95%が山林、その内の約85%を杉や檜などの人工林が占めている。






原生林入り口の駐車場に、吉野吉井川源流の碑があります。



「森林浴の森 日本百選」と大きく掲示してあります。







いろいろな野鳥が生息しているようです。



今日の散策の案内のために、前もってここを下見してくださったサブローさんは、その下見の時、近畿ナンバーの車の方が、朝早くから鳥のさえずりを録音するために来られていたり、カメラを持って撮影にこらsれているのにであったと、おっしゃっていました。

確かに、様々な鳥の鳴き声が、賑やかに聞こえます。

ふと目の前を、カケスが横切って飛ぶのも見えました。カケスの姿は、始めて見ました。

今日は、迷った末に、長いレンズは持たずに来ました。一瞬悔やみましたが、補ってあまりある出会いがありました。

よく整備された山道を、矢印に沿って歩きます。







よく管理された杉の美林が続きます。

















各種の広葉樹の巨木も、そびえています。



































谷川の清流が、一種の湿地を形作っています。



倒木にも、転がる岩にも、こけの緑が鮮やかです。



写真が多くなりましたので、今日はここまでとします。


ほっこりと四国弥次喜多ぶらり旅(1) [友人]

少々ご無沙汰しました。
所用があって、海を越えて香川県まで行ってきました。
行き先は、学生時代の先輩Gさんご夫妻のお宅です。夏に予定するインフォーマルな同窓会の準備のために、Gさんのお宅を借りて、宿泊を伴う集まりがあったのです。
駐車場の都合もあって、極力乗り合わせて行くのがよかろうと、京都から来るM君の車に、M女史と私が乗せてもらうことにしました。
四国に渡るには、瀬戸大橋〈児島―坂出ルート=備讃瀬戸)を通るコースがまず思い浮かぶところですが、M女史のアィデアで、宇野―高松のフェリーを利用して高松まで渡り、明石大橋経由でてやって来るM君の車に拾ってもらう、という方法を採ることにしました。
往時に比べると、フェリーは運行業者も便数も激減し、「四国フェリー」だけが、ほぼ一時間ごとに運行しているようです。
ウィキペディアの記事を抜粋します。

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海遠き故旧集うて牡蠣を食む [友人]

全国の皆様。

以前、わが地方の難読地名の話題を、↓この記事でも書きました。

寂れたる師走の里や塔朱し

またまた、難読地名のクイズです。

この地名はどう読むでしょう?

「日生」



正解は、「ひなせ」でした。

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私的メモ3つ [友人]

ごくごく私的な備忘録です。
その1
今日は、中学校時代の学年の同窓会がありました。会場は、わが家から片道70kmの場所で、参加には車を利用しないわけにはいきません。宿泊施設も利用できると案内にありましたが、滅多にないことに、明日もよんどころなき予定が入っていますので、仕方ない、ノンアルコールでつきあって、とんぼ返りすることにしました。
故郷の実家から15kmほどの場所なのですが、このたびは立ち寄ることも断念しました。
受け付け開始が午前十一時ということでしたので、よほど余裕を見て、八時頃に出発しました。平日とは違って通勤ラッシュにも会わずスイスイと走りますので、よほど早く着きすぎるかと余計な心配をするほどでしたが、大丈夫!ちゃんと道に迷って、数十分間のロスタイムの後、会場にたどり着いた頃には、既に三々五々、参加者が集まってきていました。
一学年三クラスという規模の中学校でしたから、全員でも約百二十名。そのうち数名は既に物故し、消息が分からない人も数名あります。そんな中、東京、静岡、近畿など、遠方からの参加も含めて約四十人の懐かしいあつまりでした。
この同窓会は、3年前の正月に「還暦」を記念して四十数年ぶりに集まった会の継続です。

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万人の 思いはひとつ 梅雨晴れ間 [友人]


先日、このポスターを入手しました。

このポスターについての記事は、こちら


「未来をひらく憲法9条と子ども・青年の命を守る退職教職員1万人アピール」。

全国の退職教職員1万人以上の名前が記載されています。

私も、誘われて、名前を提供しました。

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鄙の里歌舞伎にしばし華やぎぬ [友人]

11月23日付のNHKwebニュース岡山放送局版に「奈義義町で横仙歌舞伎の公演」と題する記事が掲載されています。

横仙(よこせん)歌舞伎は、江戸時代以来、地域でうけつがれてきた 伝統芸能です。
横仙歌舞伎保存協議会のホームページにその全容が紹介されています。
その中の横仙歌舞伎保存会のページには、

江戸時代の農民たちは、普段の生活の中に、着るものや、食べ物、住まいや年中行事にまで事細かに決まり(御法度)がありました。

 とくに、農民の娯楽の多くは禁止され、特別な許可や多くの制限が必要でした。地歌舞伎も当然取締りの対象でした。

 往時には、日本各地、岡山県内にも多くの地歌舞伎が存在しました。しかし、圧倒的に県北に多く伝わっています。それは、県南部は大名の統治する藩領で、県北、特に奈義町は幕府の直轄地「天領」でした。

 天領では役人の数が少なく、取締りをほとんど受けることなく芝居ができたため、多くの地歌舞伎が生まれ、活発に繰り返されたと考えられています。

 しかし昭和30年代以降の高度経済成長期には、映画やテレビなどに代表される新たな娯楽の登場や、農村からの人口の流出などで、地歌舞伎の多くは顧みられる事なく姿を消して行きました。


地の地歌舞伎が次第に姿を消していく中、奈義町では故高森源一氏が中心となり、私費を投じて衣装やかつら、大小道具を買いそろえ、それを快く貸し出してい
ました。村の芝居では、指導も行い、自ら三味線を弾き、時には役者にもなり各地の地歌舞伎を育てました。そして農閑期になると歌舞伎一座を作り、県内各
地、遠くは鳥取県や広島県までも公演に出かけました。
高森氏の活動は高く評価され、昭和41年、故高森源一氏の岡山県重要無形民俗文化財指定「横仙歌舞伎技術保持者」をきっかけに有志により横仙歌舞伎保存会を発足しました。


とあります。

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そのかみの十五の吾も仰ぎ見し大き銀杏はとこしえにあり [友人]

那岐山をご存じでしょうか。
岡山県と鳥取県にまたがる高峰で、氷ノ山(兵庫県)、後山(岡山県)、とならんで、氷ノ山後山那岐山国定公園に指定されています。
この山にはイザナギ、イザナミの両神が降り立ったという伝説があり、伊邪那岐(イザナギ)の名が、山の由来になったとされます。

標高は1255.0 m。隣接する後山(岡山県第一の高峰)が標高1344mで、その高さに負けて泣いたことから「ナキノセン」と呼ばれたという、面白話も残されています。


ところで、この那岐山の鳥取県側にはJR因美線那岐駅(なぎえき)というローカル駅があります。鳥取県八頭郡(やずぐん)智頭町(ちずちょう)という、難読地名がその所在地です。
一方この山の岡山県側には勝田郡(かつたぐん)奈義町(なぎちょう)があります。
そして、その奈義町には諾神社(なぎじんじゃ)という神社があり、伊弉諾尊(イザナギノミコト)を祭っているそうです。
「伊邪那岐」は古事記による表記、「伊弉諾」は日本書紀による表記だそうです。

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なおもまだ語り足りざる六時間 [友人]

昨日は一日、ぐずついた天気ながら、折りたたみ傘はバッグの中にしまったままですみました。お昼過ぎから、ある同窓会がありました。命名するのがちょっとややこしいですが、学生時代に私も属していた教育系サークルの部員+その友人で、比較的近隣に居住するメンバーの集まりです。
近隣と行っても、南は高知、香川、愛媛、西は広島、東は愛知。それに挟まれた大阪、京都、兵庫、岡山から集いました。
年齢・学年は相前後していますが、お互いに親密な間柄でした。卒業後初めて再会した顔ぶれもあります。
退職して自適の生活を送っている人、定年年齢が65歳だったり、「定年などない」職業の人など様々ですが、それぞれに良い年輪を重ねてきました。
1時半に始めた1次会は、あっという間に予約時間が終了しました。翌日、よんどころのない用事がある由で、とんぼ返りを余儀なくされた人もいましたが、ほとんどのメンバーがカラオケ店での2次会へ。次から次へとあれやこれやの談笑が絶えず、瞬く間にお開きの時間。気づいてみると、誰も一曲も歌わずじまいでした。最近こんなスタイルの飲み会はまれではないでしょうか?
河岸を変えての3次会も、歓談の勢いは衰えず、名残はつきませんでしたが、私とカミさんの共通の友人であるS子さんが、我が家に泊まってくれることになっていたので、カミさんの迎えの車に合わせて途中退席させてもらいました。

それにしても、久々に、よくしゃべりよく笑った愉快な6時間でした。皆さんお疲れ様でした。

我が家に帰ってからは、S子さんとカミさん、私の3人で、夜更けまで4次会が続きました。

というわけで、昨日の撮影は、宴会参加者の顔、顔、顔。どれもこれもいい表情、いい味の顔、顔、顔で、何度も眺めて、楽しみました。が、肖像権の問題もありますので、ブログ掲載は控えさせていただきます。あしからず、、、。

さて連休最終日の今日は、朝から行楽日和でした。愛媛出身、高知在住のS子さんは、岡山城と竹久夢二記念館には行ったことがあるが、後楽園にはまだ入園したことがないというので、ひとときの散策を楽しんでもらうことにして、後楽園入り口まで案内してお別れしました。

折角の好天ですが、どこへ行楽に出かける当てもなく、荒れた畑の耕作に精を出しました。
にわかに思い立って、極早生と中生の2品種のタマネギを植えてみました。
ダイコン、カブ、チンゲンサイなどの間引き菜が、買い物袋一杯分採れました。


今日は掲載すべき写真がありませんので、新鮮間引きダイコンのみずみずしさをご覧ください(汗) 。

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いにしえの故郷遙か秋茜 [友人]

幼稚園から高校まで一緒に過ごし、部活動も共にした友人が、静岡県に住んでいます。

退職後、半ばボランティア的に自然保護に関わる仕事に就いていると聞きます。

昨日、その彼から近況を知らせるはがきが届きました。

「過ごしやすくなるとアキアカネが少しずつ増えてきます」と書き出され、「アカトンボが乱舞する光景は、もはや過去のことで、再現されるのは、かなりの努力が必要」「ギギやアユモドキは絶滅の危機を迎えています」と続けて、子どもの頃の記憶につながる自然情景に話題が及びます。
おかげで、思い出スイッチが、いたく刺激されるとともに、数十年を経て同じ感じ方をもつ同輩の存在に、意を強くしたことでした。

彼は、故郷を離れて久しく 、近年、ご両親を相次いで看取り、離れた故郷に、自身のアイデンティティを支える「原風景」として、ひとしおの愛着を覚えるのでしょう。この夏は、小学校時代の恩師を訪ね、健在を確認したとの由。

いにしえの故郷遙か秋茜(いにしえの ふるさとはるか あきあかね) 

 

乱舞する蜻蛉は、動きが速くて私の腕ではとても撮影出来ませんが、草の葉に止まる赤とんぼ(於深山公園)。

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カワトンボ(於深山公園)
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サナエトンボ(深山公園)
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散歩道のイトトンボ

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親の医者通いや入院といった状況に、わずかに「点と線」で対応している私とて、故郷との実質の距離は年々歳々遠ざかるばかりですが、時々、通行人か観光者のように、写真を撮ったりするだけのつながりです、、、。

父親の骨折は、手術の経過がよく、寝たきり状態を脱して、自分車いすに乗って移動できるようになり、今日は手押しの歩行器の練習をしたそうです。故郷のヒガンバナは花盛りでした。

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オマケ 実家の庭で育つキアゲハの幼虫
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も一つオマケ 物干しの鉄柱に寛ぐアマガエル 糸くずをアクセサリーに?
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