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はしごもさすがに2軒が限度?の巻 [雑話]

goo辞書にこうありました。
ウィキペディアには『はしご酒』をこう解説してあります。
本来は、梯子を1段ずつ登っていくように、なじみの店を1軒ずつ尋ね歩いて飲むということであった。植木等の『スーダラ節』で歌われるように、サラリーマンらが帰宅前に数軒訪れることも多い。
「はしご酒」という言葉を覚えたのは確かに「スーダラ節」からだったかも知れません。
チョイト一杯の つもりで飲んで
いつの間にやら ハシゴ酒
気がつきゃ ホームのベンチでゴロ寝
これじゃ身体に いいわきゃないよ
分かっちゃいるけど やめられねぇ
酒は飲まず、まじめ一方の植木等さんが、当初この歌を歌うことに抵抗を覚え、郷里の父植木 徹誠(てつじょう)さんに相談したところ、浄土真宗の寺の住職だった徹誠さんは、「『わかっちゃいるけどやめられない』は親鸞の教えに通じる」と助言したそうです。大ヒット曲「スーダラ節」誕生にまつわるエピソードです。若かりし頃より労働争議に参加し、部落差別や戦争に反対する言動から治安維持法違反にによる投獄も経験し、戦後も民主主義や人権をまもる運動に取り組んだ徹誠さんの人間観の深さが偲ばれます。
ところで、今日話題にする「はしご」は、その「はしご酒」ではなく、「転じて、いくつかの場所を続けてわたり歩くこと。」のほう。
午前中は、年金者組合の支部のあつまり、午後は、一風変わった教育講演会。さらに夜は,演劇鑑賞の予定が入っていたのですが、さすがに3つのはしごはハードに過ぎ、演劇鑑賞はチケット代金を棒に振ることにはなりますが、諦めることにしました。
さて、午前中の年金者組合のあつまり。
まず、県本部副委員長の近藤劭さんからの報告と、担当弁護士のお一人清水加奈子さんによる講演をもとに、年金問題・年金裁判についての学習を深めました。
近藤さんがまとめてくださった報告レジメが,端的でわかりやすいと思いましたので、許諾を得て掲載させていただきます。(小見出しはkazg)
年金者組合岡山市南区支部定期総会にあたって
年金裁判運動についての報告 2018年7月27日 近藤 劭


高齢者の実収入は低下、負担は増大--社会保障のあり方が問われている

いま高齢者の家計収入が悪化し、(唐鎌教授の分析による と)この 14年間で月額 1 万8714 円も実収入が低下。世帯年収に換算すると14年間に22万5千円の低下。実収入が低下した最も大きな理由は社会保障給付費(年金給付額)です。 つまり社会保障政策(主として年金政策)を通じた、 政府に主導された実収入の低下なのです。
実収入が低下する中で、直接税と社会保険料負担は14年間で月額6,000円も上昇し年間7万4千円余の負担増。私たちは年金の減額そして税金・健康保険料・介護保険料などの諸負担を引き上げられ、収支両面から挟み撃ちにされ、 消費税増税でさらに追い打ちをかけられています。
税金を国民一人一人の幸せのために使うのか、 それとも戦争する国造りのために使うのか。社会保障のあり方がいま問われています。
政策形成訴訟としての年金裁判---3年余の歩み
年金裁判は最低保障年金確立のための政策形成訴訟、年金削減を進める今の政治を変えさせる役割を担う裁判です。
私たち年金者組合が2015年5月29日に56人で「年金引き下げ違憲訴訟」 を提訴して3年2か月が経過しました。
岡山県では第一次(憲法に反する特例水準の解消による減額処分)が56人、第二次(マクロ経済スライ ドを適用した年金減額は意法違反)が203人で原告数は重複もあり217人です。
2018年6月26日 第一次9回第二次6回口頭弁論が開かれ、その都度90人の仲間が参加。公正判決を求める署名(裁判の併合審査を求める署名も含め)7,966筆を提出しています。
年金裁判を支援する岡山の会も2015年9月26日に結成され県労会議、人権連、新婦人、浅田訴訟、生保訴訟の原告、社保協など、66団体281人が参加し20l7年11月には3回目の総会も開催されました。
弁護団は則武透、古謝愛彦、原幸徳、清水加奈子、吉村清人の5人の弁護士が参加され、27回の弁護団会議も開催され、 年金裁判をわがことのように受け止め全面的な指導を得ています。
全国的には44都道府県5168人が提訴し史上最大の社会保障裁判になっています。(全国の弁護団は300 人を超える)
憲法訴訟としての年金裁判 ---その争点は
この年金裁判は憲法訴訟です。憲法25条、l3条、29条が問われている裁判です。国の立場は年金生活者がどのような生活をしているか、暮らしをしているかということより、年金制度をとにかく形だけでいいから維持する、 莫大な積立金は維持するという立場です。
年金だけで生活できない人が数百万人いることは認めるものの、 憲法25条は年金だけで保障されるものではない、 いざとなったら生活保護があるから、年金だけで健康で文化的な最低限度の生活ができなくても問題ないと主張。 年金を下げるのは 「公的年金制度への不信・不満が高まり、 国民年金の納付率が下がっている。 この不信解消のために払いすぎている年金受給者に対する年金を下げなければならない」 という本末転倒のもの。
裁判闘争の今後
裁判では原告からは今後さらに学者の意見書も提出し、国との論争点を明確にして立証活動に入っていく流れになります。
原告の陳述書は72人が提出し、6月26日の口頭弁論では、陳述書をまとめた準備書面を提出しました。 次回10月2日は100号法廷(岡山地裁で最大の法廷、傍聴席が100ある)でパワーポイントを活用した弁護団の陳述が行われます。是非この口頭弁論にご参加ください。午後2時半に集合し、入廷行進後3時~ 口頭弁論です。
今後、原告の陳述書づくりをさらに進めます。そして原告側から総論立証、学者、現役世代、若者からの証人をたて、 年金制度と社会保障をめぐる本質的対立点を法廷で議論し、 安心できる年金制度の確立は可能であることを明らかにしていきます。
これからの裁判運動は、年金減額するな!最低保障年金をつくろう!裁判所は憲法にのっとって公正な判決を行え!年金は毎月支給しろ!の宣伝・署名を旺盛に進め、年金パンフを活用しさらに広い団体の協力を得て世論と運動を広げることが大切です。
そのためにも、裁判を支える募金活動も今年も1人500円を目途にすすめますので、 この面でもご協力をお願いします。

午後は「シカゴ&岡山教育交流のつどい」と題して、アメリカ・シカゴから訪日されているサラ先生に、アメリカの教育事情をうかがう企画。


学力テストの成績を学校統廃合に結びつける動きに、広範な教職員、市民、生徒達が立ち上がりました。運動の先頭に立った若い女性教師サラ・チェンバース先生らは、当局ににらまれて馘首されますが、、、、。
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実は,この企画、以前書いたこの記事で紹介した、山本由美先生の紹介で実現したもの。

月日のたつのは、の巻

「子育て教育のつどい」に参加し、山本由美先生(和光大学)の「みんなで子どもたちを育てよう いま求められる、本物の教育力」と題する記念講演を聴きました。

「全国学力テスト、学校選択制、学校統廃合、小中一貫教育などの現代の新自由主義教育改革について批判的なスタンスで調査研究し、それらが子どもに与えるダメージについても研究対象に」(和光大学HP教員紹介のページより)しておられる立場からの、豊富な資料と克明な分析により、私たちが、目の当たりにしている学校状況の重苦しさやしんどさ、日頃うすうす感じていた疑問や不満が、どんな背景・どんな力によってもたらされたものか、腑に落ちた思いがしました。
サラ先生たちのことは、こんな本にも紹介されています。
学校を取り戻せ!   シカゴ、足立、貧困と教育改革の中の子どもたち

学校を取り戻せ! シカゴ、足立、貧困と教育改革の中の子どもたち

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 花伝社
  • 発売日: 2016/08/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
教育改革はアメリカの失敗を追いかける  学力テスト、小中一貫、学校統廃合の全体像

 

教育改革はアメリカの失敗を追いかける  学力テスト、小中一貫、学校統廃合の全体像

  • 作者: 山本 由美
  • 出版社/メーカー: 花伝社
  • 発売日: 2015/07/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
サラさんは断言されました。
「日本でも、必ず同じような事態が起こるでしょう」
「日本の人たちは、礼儀正しく従順だと聞きます。しかし、この(学力テストの成績を教師の評価と結びつけ、(公立)学校を潰していく)攻撃は、従順なだけでは食い止められません。肝心なのは、その攻撃が、学校、生徒にどのような害をもたらすかを明らかにし、父母、生徒、市民に広く知らせ、ともに立ち上がることです。」
最後にサラさんは参加者全員に起立を促し、次のCHANTをみんなで唱和しました。
They say cut back.
We say fight back!
They say cut back.
We say fight back!
彼らは「削減する」という。
我々は「反撃する」という。
彼らは「削減する」という。
我々は「反撃する」という。
とても刺激的な、しかも楽天的で痛快なお話でした。元気をもらいました。
でも、午前・午後の学習会のはしご、結構エネルギーを要します。さすがに、夜の演劇鑑賞までは余力が泣く、今日の行事はこれにて終了。
最後に身辺メモ。
○昨日、大阪在住の次男に二人目の子どもができました。私にとっては7人目の孫です。明日にでも顔を見に行くつもり。
○今夜、近所に住む孫一家が、ママの実家に里帰りです。
○台風接近中とか。
○火星も接近中とか。
今日はこれにて。

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言うまいと思えど、の巻 [雑話]


高校時代、英語の時間にこんな一文を習いました(うろ覚えですが)。

You might say, but today's at fish .

「言うまいと思えど今日の暑さかな」と言うのだそうです。

ちなみに冬になると、「some fishes.」=「寒さかな」となるのでしたっけ。


今日は、退職同業者親睦組織の打ち合わせ会があり、午前中参加してきました。

F先輩は、豪雨災害のあと、二週間、ずっと、倉敷市真備町で被災された大先輩Kさんのお宅へ、復旧のお手伝いに張り付いておられた由。他にも、お手伝いしなければならないはずの方が何人もおられるはずだが、敢えて連絡を取ることもしなかったとのこと。人手を欲しがっておられるのは間違いないが、身体は一つしかないのでーーーと。

元同僚で、新任時以来、大変お世話になったTさんも、お宅が2階まで冠水。今は、お子さんのお宅に身を寄せておられるらしいと、風の便りに聞きます。

他にも、それぞれの同僚や知人の被災が話題にになります。

我々高齢者も、少しでもお手伝いにはせ参じたいところだが、返って厄介をかけることになっても、と、だれもが躊躇しています。F先輩に寄れば、真備町は、救急車がひっきりなしに走り回っている。その多くはボランティアと。

熱中症による搬送、16日~22日に全国で2万2647人との由。うち死亡が65人。もはや非常事態ではないですか。

人類の英知のすべてを費やして、全力で対応すべき事態といえるでしょう。
snsにこんな投稿がありました。
まったくその通りです。
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あとはカンパでよろしく、あとはボランティアでよろしく----。確かに多くの国民は、お人好しですので、カンパもやります。ボランティアもやりましょう。、、、、が、竹槍でB29に立ち向かうような無力感を、少しでも和らげ励ますには、思い切った財政措置と、十分な人材や重機、物資の投入が、最低限必要でしょう。

現地をはげますという点では、これなどは、一服の清涼剤でしょうか。渡海先生、やりますな。


「嵐」二宮さんが岡山県に義援金 真備の避難所で被災者を激励


西日本豪雨の被災地支援のため、人気アイドルグループ「嵐」の二宮和也さん(35)が23日、岡山県庁に伊原木隆太知事を訪ね、県に義援金5千万円を贈った。

 二宮さんは義援金の目録を知事に手渡し「報道を最初に見たときは、現実だと受け止められなかった。嵐として、一人の人間としてできることをすぐにやろうと決めた」と話した。避難支援グッズ960セットも贈呈。これに知事は「応援の気持ちを形にしていただき、本当にありがたい。みんなで前を向いて頑張りたい」と述べた。


ところで、今日の最高気温のデータはこんな具合(気象庁最新データ)。恐るべき酷暑です。

津山市 津山(ツヤマ)* 37.4 ] 13:39] +6.1 +0.8 最も暑い時期を上回る 7月の観測史上最高今年最高
岡山県 新見市 新見(ニイミ) 35.2 ] 13:58] +5.6 -0.5 最も暑い時期を上回る  
岡山県 北区 福渡(フクワタリ) 36.6 ] 13:20] +4.3 +0.4 最も暑い時期を上回る  
岡山県 和気町 和気(ワケ) 37.1 ] 14:05] +5.7 +0.6 最も暑い時期を上回る 7月の観測史上最高今年最高
岡山県 高梁市 高梁(タカハシ) 38.7 ] 14:52] +6.2 +0.9 最も暑い時期を上回る 今年最高
岡山県 北区 日応寺(ニチオウジ) 37.0 ] 14:14] +6.4 +2.0 最も暑い時期を上回る 観測史上最高今年最高
岡山県 北区 岡山(オカヤマ)* 38.1 ] 15:45] +5.5 +0.5 最も暑い時期を上回る 7月の観測史上最高今年最高
岡山県 瀬戸内市 虫明(ムシアゲ) 35.5 ] 15:09] +4.5 +0.5 最も暑い時期を上回る 今年最高
岡山県 倉敷市 倉敷(クラシキ) 35.7 ] 15:37] +4.0 +0.5 最も暑い時期を上回る  
岡山県 笠岡市 笠岡(カサオカ) 35.5 ] 15:39] +3.2 +0.5 最も暑い時期を上回る  
岡山県 玉野市 玉野(タマノ) 36.9 ] 16:33] +5.8 +0.4 最も暑い時期を上回る 今年最高


2020オリンピック、打ち水で対処しようとは、風流に過ぎますな。

今朝は、朝早くからいろいろな鳴き声が騒がしく聞こえて来ました。

まず日の出と競い合うように、蝉が鳴きます。

シャンシャンシャンと大声を上げて無数のクマゼミの声が、うねりながら耳に響いてきます。1/fゆらぎのリラックス効果もあるのでしょうけれど、それより、そのけたたましさと、じりじりと照りつける熱射のせいで、いらいら感がつのります。

未明の頃から、鳥の賑やかなさえずりも聞こえます。いつもの朝のように、スズメもしきりにさえずっていますが、それとは別に、聞こえるのは、複数の小鳥のさえずりです。

ツバメが何羽も集まっています。


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巣の中で、大きな口を開けて餌をねだっていたヒナも、その姿はもう幼鳥と言って良い成長ぶりです。
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先に巣立った仲間たち、兄姉たちが、旅立ちを促しているのでしょうか?
以前、4月に書いたこの記事で、我が家の玄関での今年一回目の巣作りを紹介しました。
その写真をご覧くださったM師が、こんなールをくださっていたことを思い出しました。
日本野鳥の会では福島の原発事故後白斑のあるツバメや、尾羽の長さに差のあるツバメが観察されたため断定はできませんが被曝の影響かと調査がされておりました。普通に部分白化することもあります。kazgさんの写したつばめには全部に白化が見られます、注意深く観察してみてください。
健康に健やかに育ちますように。、、、。




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夢の形見!の巻 [雑話]

加藤剛さんの逝去を知り、いろいろな物思いをしています。
おおやけになったのが、西日本災害の時機であったため、意識の大半がそちらへと向かい、悼む思いに現実味が備わらないまま、記事にする余裕もありませんでした。
そんなとき、今日の地元紙「山陽新聞」に、ペリー萩野氏による追悼記事が掲載されていました(おそらく共同通信系の各紙にも掲載されていたのでしょうか)
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ペリーさんが、「常に姿勢が正しく、言葉を丁寧に選ぶ人だった。」「あまりにも規則正しい生活をするので加藤さんを見ていると時間がわかる』とさえ言われていた。」「まじめ一本でこちらがふざけて放したこともまじめに受け取られてしまって、謝ったこともある。そうした人柄も素敵だった」「何をやっても加藤さんの役になる。折り目正しく、正義感がある。」と書いておられるそのいずれもが、まさに腑に落ち、まったくそうだったに違いないと確信されるのでした。
もちろん、私にとっては、テレビや映画を通してしか知る機会のない俳優さんでしたが、中・高校生頃に熱心に視聴した「三匹の侍」(平幹二朗さん、長門勇さんと、絶妙ののコンビネーションでした)、「大岡越前」(竹脇無我さんとの、相互に敬しあう友情と、無欲の処世の潔さに、清涼感を与えられました)など、役柄そのものの高潔さを疑うことはありませんでした。映画「砂の器」で演じた天才音楽家の陰影深い哀しみも、人間洞察のなせるわざと感じました。
その加藤剛さんについて、日刊スポーツはこのような記事を寄せています。
加藤剛さんが6月18日、落語家桂歌丸さんが7月2日に亡くなった。剛さんは80歳、歌丸さんは81歳だった。2人が歩んだ世界は違ったが、ある共通点がある。それは戦争体験があり、反戦への思いが強かったことだった。

 加藤さんは、木下恵介監督の映画「この子を残して」で長崎の原爆で被爆し、子どもを残して亡くなった医学博士の永井隆氏を演じ、舞台「コルチャック先生」ではユダヤ人孤児院の院長で、子どもたちを救うためナチスによってガス室に送られたコルチャックを演じ、何度も再演を重ねた。 加藤さんは戦争で身内を2人も亡くしている。1人は軍医だった義兄で、南方の島で戦死した。2番目の姉は結核を患い、戦後の食糧難の中で満足な治療も受けられず、28歳の若さで亡くなった。

 だから、改憲に走る安倍晋三首相に批判的だった。「憲法は、戦争で命を奪われた人たちの夢の形見だと思っています。多くの犠牲の上に、今の平和な世の中がある。だから私たちには、子どもたちのために憲法を守る使命があると思います」。

 歌丸さんも、戦時中の空襲で横浜の生家が焼失している。千葉に疎開し、道端の草やサツマイモばかり食べていたため、戦後になっても「私はね、サツマイモが食えねえんだよ」と話していた。

 加藤さんと同じく、安保法制をめぐって議論が沸騰した当時、テレビの報道番組のインタビューに対し、「戦争を知らない政治家が戦争に触れるなと言いたくなるんです。戦争を知らなかったら、戦争をもっと研究しろって言うんです。戦争っていうのは良い物なのか悪い物なのか、この判断をきっちりとしろって言いたくなるんです」と熱く話していた。

 毎年8月には浅草にある「はなし塚」法要を欠かさなかった。戦時中、時局に合わないとして、「明烏」など53の落語を高座にかけることを禁止された。当時の苦い経験を風化させないようにと、「はなし塚」が建立され、歌丸さんも「そのまま封印しちゃいけない。できる限り(法要を)続けていく」と使命感を持っていた。

 知性ある端正な演技で魅了した加藤さん、怪談噺で円熟味を増していた歌丸さん。その演技、芸をもう見られない喪失感がある一方で、戦時中に少年時代を過ごした数少なくなっている戦争体験者で、反戦を発信してきた2人の切実な思いを忘れてはいけないだろう。      【林尚之】

加藤さんも歌丸さんも、「しんぶん赤旗」に何度か登場しておられました。
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ひとまず今日はこれにて。

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あれやこれやの備忘日録、の巻 [雑話]

「退職記念」(いえ、正確には、肺ガン手術成功記念)にこのブログを初めてから、5年近くになります。前回掲載記事で、記事数1501を数え、拙いブログにもかかわらず、大勢の方がご訪問くださり、感謝に堪えません。

そうした読者の方々のなかでも、おそらく毎記事をチェックしてくれている顔見知りが、確実に一人は存在します。今年91歳になった老父です。
パソコンは、PC9821時代から、私のお古を何代か使い継ぎ、今は中古のウィンドウズパソコンと、お古の ディスプレイとのセットで使ってもらっています。
田舎暮らしのこととて、ネット環境が整わず、今なおジーコジーコと懐かしい音がするモデムを使ったダイアルアップ接続で、インターネットにつないでいます。
インターネットの利用は、私のブログ閲覧がほとんど唯一のものだと言います。
初期の契約では、一定限度までは従量制で、接続時間に応じて課金されるがも、上限を越えると定額になるというコースを利用していたつもりですが、いつの頃からかそのコースが廃止になり、完全従量制に変更されました。そのため、時によるとつなぎっぱなしコースをも上真ある請求がくることも起こります。実際には考えられないほどの長時間使用上回る請求がくるのですが、あるいは「切断」がうまくできずに長時間の接続がカウントされることもあるのかもしれません。いっそつなぎ放題のコースを契約した方が安上がりかなどとと考えているうちに、つなぎ放題のコースも廃止されていました。
接続速度が半端なく遅いうえに、接続料金が馬鹿にならない、と来ると、他の接続方法を検討すべきかと、ここ1~2週間、頭を悩ませています。光回線に踏み切るには、「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」といった躊躇を禁じ得ませんし、isdnなどというちょっと旧式の接続方法も、「ベストエフォート」という方式がネックです。田舎のこととて、基地局までの距離が半端なく遠いのです。
という状況の中で、携帯電話の回線を用いて格安SIMでつなぐ方法はないかなどと、試行錯誤をくりかえしては挫折しています。
先週21日(木)も帰郷の際、お墓周りの草刈りついでに、いろいろいじってみましたが、うまくいきません。万事休して、もとの環境に戻そうとしたところ、ダイヤル発信音がありませんというコメントが表示され、にっちもさっちもいかなくなりました。万策尽きて、そのまま放置して帰ったのですが、なんとその夜から、父母宅の電話が不通になりました。こちからかけても呼び出し音がしないし、向こうからも一切発信できないのです。
困り果てて、もう一度帰郷したのが、23日(土)、やっとの事で電話回線は復旧しました(モジュラー線の接触不良のようでした)が、環境刷新はかないませんでした。
事態は少しも改善しませんが、もう一つチャレンジしてみたい方法があります、その件は又、後の機会に、、、。



小2の女の子が、貝殻集めに興味があるとかで、ばあばが海に連れて行き、浜辺で貝殻を拾ってきました。それを日光に乾かして、部屋の中に持って入ったのが24日(日)、その貝殻の中から、体長1mm以下の小さな生き物が這い出しました。「カニの赤ちゃん」と女の子が言います。虫眼鏡で見てみると、なるほどそのようです。他にも、小さな海の生き物らしいものが、乾いた環境を這い回っています。
小さなガラスビンに入れたそれらを、海に返しに行くことにしました。小5の男の子が同行しました。ついでに、磯辺を観察していると、ヤドカリやらカニやら、小さなハゼやらが見つかり、結局これらを、海水とともに小さなガラスビンにいれてもって帰ることになりました。500CCペットボトル2本文の海水も一緒に汲んで帰り、飼育ケースに放しました。
最近、カメラを持たず行動することが多く、記録撮影ができていません。
翌25日、追加の海水を汲みに、じいじ1人で出かけてきました。
梅雨の晴れ間が続いています。
小5生は、田植え体験。小2生はプール。水遊びが嬉しい夏の暑さでした。






飼育ケースに、海水を追加し、海砂も加えてやりました。



カニ君の記念写真です。



しばらく散歩写真も写していません。
田園は、すっかり早苗に彩られています。
これはきのうの早朝風景です。







今日は、午前中退職同業者の親睦会の打ち合わせ会、午後は年金裁判の傍聴と、なかなか多忙です。カメラ散歩はできませんが、会場移動等で7200歩余り。これをもって今日のウォーキングに替えることにしました。
今日はこれにて。

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一筆啓上、行行子、の巻 [雑話]

先日歩いた自然環境体験公園の、松の木のてっぺんで、大きな声でしきりにさえずっているホオジロがいました。(exifによると、5月31日の撮影でした)

トリミングします。

「一筆啓上仕り候」と繰り返しています。
そのあと、足を伸ばした児島湖畔で、こんな鳥に会いました。

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以下トリミング画像です。


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甲高い声で賑やかにさえずっていました。この声は草原などでよく聞くのですが、姿を見ることは稀です。ヨシキリ(オオヨシキリ?)でしょうか。
doudesyo様のブログ「ほっと 野鳥
の6月15日付今年も来たね、オオヨシキリ でも見事なお写真が掲載されています。



ヨシキリについては以前こんな記事を書きました。
仰々し 仰々しとや  行行子

声を振り絞って囀っています。
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活動場所や見た目の類似から、すでに見知ったオオジュリンかと思っておりましたが、帰宅後ネットで調べてみますと、どうも鳴き声が一致しないと感じました。
鳥の鳴き声の「ききなし」をまとめたこのページを参照させていただくと、「仰々しい、行行子」という仰々しい鳴き声は、まさしくあの謎の声の主にぴったりと思えます。web上にある「オオヨシキリ」の写真を参照しても、ほぼ間違いないと思うのですが、いかがでしょうか?
そう言えば、確かに草野心平のこの詩では、「行行子」と書いて「ヨシキリ」と読ませていました。「ギョウギョウシ」という鳴き声からの名付けだったのですね。

富士山   

ー作品第肆ー 
川面(かわづら)に春の光はまぶしく溢れ。
そよ風が吹けば光たちの鬼ごっこ
葦の葉のささやき。
行行子(よしきり)は鳴く。
行行子の舌にも春のひかり。
 
土堤の下のうまごやしの原に。
自分の顔は両掌のなかに。
ふりそそぐ春の光に却って物憂く。
眺めていた。
  
少女たちはうまごやしの花を摘んでは
巧みな手さばきで花環をつくる。
それをなは(縄)にして縄跳びをする。
花環が圓を描くとそのなかに富士がはひる。
その度に富士は近づき。
とほくに坐る。
 
耳には行行子。
頬にはひかり。 

 ちなみに「うまごやしは」シロツメクサつまりクローバーですね。
 

ここでも書いたとおり、「行行子」という別名は、その鳴き声にちなんでいるようです。



ところで、先日(5/26)亡くなった津本陽さんに「月とよしきり」という作品があります。
私は、山本周五郎や池波正太郎、野村胡堂、司馬遼太郎など、いわゆる時代小説は、人並みに好んで読んでいる方だと思います。藤沢周平などは、文庫でも読み,全集も予約購読で全巻を読みましたから、愛読書と言っても過言ではありません。ところが不思議に、津本陽さんの作品は、わずかに何作か読んだ記憶があるだけで、この「月とよしきり」が、私の手元にあるほとんど唯一の津本作品です。
というのも、何ヶ月か前、古本屋の百円均一コーナーに並んでいたものを何気なく手にとって,そのほかの何冊かと一緒に買って帰り、夜寝る前にペラペラめくっては閉じ、を何度か繰り返し、読み切らないままに寝かせておいたものなのです(汗)。
津本陽逝去のニュースを聞いて、改めて取り出してきて読んでみた次第です。
この作品、江戸千葉周作道場の高弟で、類い希な剣才のゆえに前途を嘱望されながら、ふとした不運なアクシデントから道場を破門となり、辛苦の人生を歩むこととなった無頼の剣豪、平手造酒を主人公とする時代小説です。
bookデータベースにはこうあります。

天保八年。北辰一刀流玄武館で師範代を務める平手造酒は、師・千葉周作の命により、廻国修業に出た。油断により友を死なせ、道場を破門された。つまずき始めた造酒は、他流試合で破った水戸藩士の恨みを買い、祝言を挙げた藤が殺される。その後に妻としたおいとにも死なれ、自暴自棄になって酒におぼれていった。『天保水滸伝』で有名な伝説の剣豪、不運に見舞われ続けた、その知られざる半生。

ヨシキリはというと、作品中では平手が房州に滞在中、利根川沿いの芦草の茂みから、その鳴き声が聞こえてくる場面がありました。
そういえば、三波春夫の「大利根無情」も,田端義男の「大利根月夜」も、平手造酒を歌った楽曲でした。
「大利根無情」の歌詞中には、ヨシキリが登場してきます。



また、「利根の川風袂に入れて」というフレーズが耳に残る有名な浪曲がありましたっけ。「天保水滸伝」だそうですね。

利根の川風たもとに入れて、月に竿さす高瀬舟、一目関の戸叩くは川の、水にせかれる水鶏鳥、恋の八月大利根月夜、佐原囃子の音も冴えわたり、葭の葉末に露置くころは、呼ぶや蛍のそこかしこ、潮来あやめの懐かしさ、わたしゃ九十九里荒浜育ち、と云うて鰯の子ではない」

これまた平手造酒や、侠客笹川繁蔵らが活躍するお話。
山本周五郎の「花も刀も」も、平手造酒を描いています(昔読みましたが,すっかり筋を忘れました 汗)。



さて、津本作品「月とよしきり」によれば、その平手造酒が、道を踏み誤り、坂道を転げ落ちるように、洋々たる前途を失っていくきっかけとなったのは、「大目録皆伝」を前に命じられた関東諸国の廻国修行の旅の途中、ヤクザ者に不意を襲われて、朋輩岡野直豪が、不運にも命を失った事件。同行の造酒も、その油断がとがめられて破門となったのでした。
その襲撃事件は、平手と岡野が、成り行きで笹川繁蔵が開く賭場に招かれて,用心棒役を演じることになったことが原因で、博徒同士の縄張り争いに巻き込まれた事に起因していました。
千葉周作の姪お藤は、造酒と恋仲にあり、造酒の破門が解けるよう尽力しますが果たせず、失意の造酒を追って江戸を棄てて嫁いで来ます。造酒にとっては心穏やかで満たされた新婚生活が始まりますが,それも束の間、造酒を狙った鉄砲の弾に当たって息を引き取ります。これまた博徒の争いの,とんだとばっちりでした。
自暴自棄になった造酒は、心身ともに荒れすさび、自他の命のやりとりにも無感覚になりかけますが、それを一歩手前で引き留めたのは、「おいと」の存在でした。おいとは、父親の借金のカタの身売りされようとしていたところを造酒が救った少女でした。出会いの一節を引用します。

(造酒と友人市左衛門、亀之助の)三人は妓楼へ売られようとしていたところを造酒が助けてやった、 十五歳の娘おいとの身のうえについて話しあっていた。市左衛門はいう。
「あれは銚子の網元甚兵衛に雇われている漁師の勘三の娘でござんすよ。勘蔵はふだんはいっばしのはたらきをする奴で、女房と娘をかわいがる実直な男でしたが、どんな魔がさしたのか、この夏の清滝村(海上郡海上町)岩井不動明王の祭礼のとき、繁蔵がたてた野天博打で、いかさまにひっかけられたのでござんすよ」
「岩井不動専の博打か。どこかで聞いたことがあるが、この辺りじゃさかんなものらしいな」
「そうでござんすねえ。九十九里浜から飯岡にかけての漁場じゃ、漁師の給金は盆と節季に払われるものですから、金を懐に入れた連中を、繁蔵や助五郎といった貸元が、子分をやって賭場に誘いこみ、いかさまをやって素っ裸にしてしまうんですよ。岩井不動尊の縁日の博打場では、一日の寺銭が千両にもなるといわれやすが、まあそれは法螺でござんしょうがね。それでもかなりの稼ぎでしょうねえ。
寺銭とは博打を開帳した貸元と呼ばれる大親分が、金銭を持っていない客に元手を貸し、博打をさせるときの利足である。寺銭は五分とるのが通例で、勝負が一回きまるたびに勝ったほうから出す。だが客を詐欺にかけて身ぐるみ引きはがすいかさま博打のときは、ばれると貸元にも迷惑がかかるので、その危険負担分として一割五分の寺銭をとることもあった。

恩義を感じたおいとは、存命中のお藤と造酒の身の回りの世話を献身的にこなし、お藤にも家族同然にかわいがられます。時は移り、お藤亡き後、すさみ果てて各地を転々とする造酒が時折思うのは,おいとのかいがいしい気遣いと献身ぶりでした。彼女だけが自分に安らぎを与える存在であることに気づいた造酒は、紆余曲折の末、おいとを後妻に迎えます。ところがそのおいとも造酒との子を宿しながら、難産で母子ともに帰らぬ人となります。作品本文から少し引用します。

造酒は逆境に陥ると、実力勝負で生き抜いてやろうと、ふるいたつ性格であった。
 だが、おいとがいなくなってのち、彼の反撥心は消えてしまった。おいとは造酒の追いかけてゆけない冥途にいる。
 おいとが妊ったのは、天保十一年暮れであった。俺の子ができるのかと、造酒は身内が震えるほどの感動を覚えた。
 おいとは体調がよく、悪阻で食べたものを吐いては、空腹だといってまたすぐに食膳にむかった。造酒はおいとがいとおしくてならなかった。
 生れてくる子と三人になれば、いままでとはまったくちがう、張りあいのある世帯を持てるようになる。
 造酒はわが子の生れてくる日を待ちわびた。だが翌年に、おいとは難産であっけなく死んでしまった。胎児は娘であったが、臍の緒が首に巻きついていて、死産であった。
 おいとが苦しむのを、枕もとで脂汗をかきながら見守っていた造酒は、彼女が息をひきとったとき、産婆が驚いて腰を抜かしたほどの大音声で叫んだ。
 「神仏はどこにいるのだ。なにゆえ、俺を一人でこの世に残したのか」

一人残された造酒は、ますます酒に溺れ,生活は荒れ、繁蔵の用心棒としての日々を送ります。繁蔵と対立していたのは、博徒でありながら十手持ちでもあった飯岡助五郎。両者の関係悪化が頂点に達した天保15(1844)年、大利根河原で繰り広げられた争闘(大利根河原の血闘)で、造酒は命を落とします。
千葉県東庄町にその墓が建てられているそうです。

しかし、「月とよしきり」では、造酒の命を奪ったのは、飯岡助五郎方の子分たちではなくて、当日の「血闘」で勝利を収めた繁蔵だった、ということになっています。繁蔵は、日頃から造酒を「虫が好かない」、「いまいましい」と感じており、当日の血闘に加わらなかった造酒を、「ついでに」「当たっても当たらなくても」「せめて驚かしてやりたい」と、短銃で撃ったのでした。

造酒は、繁蔵の放った最初の一発で、耳の下を撃ち抜かれ、声をあげる間もなく、瞬間にこときれた。
 かつて朋友岡野直豪が、名もない三ン下にヒ首で脇腹をえぐられ、不慮の死を遂げたように、造酒もまた、落雷に遭ったような、思いがけない死にめぐりあってしまった。
造酒と岡野は、いずれも剣の天才を持っていながら、不運の生涯を終えた。



刑法が禁じる賭場を合法化する「カジノ法案」が、衆院内閣委員会で強行されました。「成長産業」どころか、無辜の民に、思いがけない窮乏化・困苦化を強いる亡国産業に他なりません。可愛い娘を妓楼へ売ろうとしたおいとの父親が、現代の世に無数に現れかねない非道な環境を、国家ぐるみでつくるのは、犯罪そのものです。
何でそんなに急ぐの?という疑問は、回を改めて考えたいと思います。
きょうはこれにて。

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老いという豊かな世界を再認識!の巻 [雑話]

ちょっとご紹介ががおくれましたが、4月4日、退職同業者親睦組織の、最寄りの支部の交流会に参加してきました。
午前中は、県北奈義町在住の俳優で介護福祉士の菅原直樹さんを講師に、「ワークショップ」を体験しました。

俳優・介護福祉士・奈義町アートデザインディレクター・四国学院大学非常勤講師など多彩な顔を持つ菅原さんは、「老いと演劇」OiBokkeShiを主宰。演劇公演やワークショップを通して、老い、認知症、介護などの問題をともに考える活動を進めておられます。
劇団名の「OiBokkeShi(オイボッケシ)」とは、「老い」「ボケ」「死」。誰もがたどるこの道を、深刻に悲観的にのみ受け止めるのではなく、老いという豊かな世界を再認識していこうという思いからのネーミングだそうです。
HP(「老いと演劇」OiBokkeShi)には、こんな紹介があります。

「老いと演劇」OiBokkeShiとは?

Facebookカバーよみち2

俳優で介護福祉士の菅原直樹を中心に、2014年に岡山県和気町にて設立。

「老人介護の現場に演劇の知恵を、演劇の現場に老人介護の深みを」という理念のもと、介護現場・劇場などで創作上演、一般市民向けの演劇ワークショップ等を実施。

演劇という、太古から営々と築き上げられた芸術活動によって、「老い」「ボケ」「死」の明るい未来をあぶり出し、地域社会の活性化を目指す。

■主宰者プロフィール

撮影:野田明宏
撮影:野田明宏

菅原直樹

俳優、介護福祉士。「老いと演劇」OiBokkeShi主宰。青年団に俳優として所属。小劇場を中心に前田司郎、松井周、多田淳之介、柴幸男、神里雄大など、新進劇作家・演出家の作品に多数出演。2010年より特別養護老人ホームの介護職員として働く。介護と演劇の相性の良さを実感し、地域における介護と演劇の新しいあり方を模索している。2014年より認知症ケアに演劇手法を活かした「老いと演劇のワークショップ」を全国各地で展開。OiBokkeShiの活動を密着取材したドキュメンタリー番組「よみちにひはくれない~若き“俳優介護士”の挑戦~」(OHK)が第24回FNSドキュメンタリー大賞で優秀賞を受賞。




ここに紹介されているドキュメンタリー番組の「よみちにひはくれない」という題名は、現在91歳の「看板俳優」岡田忠雄さんが、好んで口にすることわざだそうです。

デジタル大辞泉の解説
夜道(よみち)に日は暮れない

帰る夜道にはもう日も暮れる心配はない。腰を落ち着けてゆっくりと物事をするように勧めるときの言葉。

岡田さん自身、認知症の妻を介護しながら、菅原さんとの出会いを通してOiBokkeShiの演劇活動にとりくむようになったそうで、2015年作品「認知症徘徊演劇『よみちにひはくれない』は、妻の徘徊体験を演劇化したものだとか。
その日常が、テレビのドキュメンタリー番組でも紹介されたそうです。
テレメンタリー2018「演じて看る 〜91歳 認知症介護の日常〜」

地元山陽新聞夕刊のコラム「一日一題」(2016年9月2日)に、菅原さんが、こんなことを書いておられます。



ところで、「ワークショップ」とはどんなことをするのか、いささか緊張して身構えている参加者に、菅原さんは言います。
「---みずからをすべて自由に解放して、心の中にある怒りや悲しみをありのままに表現してください---などということは言いません」---うろ覚えですが、こんな感じの一言で、ほっと場が和みます。
ワークショップの最初のプログラムは、「体を使った遊び」。身体を使って遊びながらリハビリテーションを行うという意味で、名付けて「あそびりてーしょん」。
1は頭、2は鼻、3は肩という風に、身体の部位に番号を付け、司会者(や鬼)が任意に唱える数字に合わせて、対応する身体の部位を指さします。



次には、自分以外の人の身体の部位を指さします。相手が固定しないように、順次違う人の身体の部位を指ささなければなりません。 からだと脳を同時に使う遊びです。なかなか思うに任せないもどかしさとともに、童心にもどった楽しさを味わいながら、心身のリフレッシュができました。
次には椅子取りゲームの変種。「鬼」は、足腰が不自由な高齢者のペースで、ゆっくっりゆっくり歩かなければなりません。空いた椅子をめざしてようやくたどり着きそうになった頃合いを見計らって、すかさず誰かが席を移動します。一度腰を上げたらその席に戻ってはいけないルールです。
「決して本気にならないでください。怪我をします。」と冗談めかしていう菅原さんの「忠告」が、むべなるかなと思えるくらい、白熱します。
菅原さんは言います。「遊びは面白い。できない人が盛り上げてくれる。世の中では、できることが良いことで、できないと反省し、練習してできるようになることが求められる。でも、以前できたことができなくなるのが老い。自分はダメだと深刻に受け止め、自分の老いを拒絶したくなるもの。だが、いまある瞬間を楽しむのが遊びの価値観。」
無邪気に笑いながら、参加者同士の親和感が高まる「遊び」です。全体の中での関係性を判断しながら、適切に行動していく「力」を、遊びを楽しみながら回復していけるのでしょう。現職の頃、「集団遊び」のネタとしてストックしておきたかったと、切に思ったことでした。
介護の現場さながらに、いくつかのシチュエーションを設定し、介護する側とされる側の両方を演じあって、トンチンカンな被介護者の応答を、拒絶するのではなくそのまま受け入れて尊重する演技を体験するメニューもあります。



菅原さんは言います。
アルツハイマー型認知症には、中核症状として記憶障害や見当識障害があり、おかしな言動をしてしまうことがある。でも、「貴方の言っていることは間違いですよ」といちいち正すと、傷つくし混乱する。こちらが見えていないものでも、見えたふり(演技)をすることも大切。箒と間違えて傘を手に持って掃き掃除している人には、「お掃除ありがとうございます。僕が使いやすい箒を持っていますから、こちらに変えてみませんか」と交換してあげるとか。客観的な事実や論理や理屈よりも感情に寄り添うことが大切。

参加者の感想を一部紹介します。

楽しかった。
「相手を受け入れることが大切だ。」とはよく聞くが、なかなか難しい。
年寄りへの対応も、意左内孫への対応も、受け入れる態度が日頃まったくとれていない自分を大いに反省。 


介護の話は観に済まされる話でした。拒否するか、受け入れるか、身内になると逃げることができないので、余裕がなくなり、受け入れると言うことはなかなか難しいと思います。あと何年か後には、自分が介護される立場になると、わがままな老人になるだろうと思うと、情けないような気がします。


おもしろかった。
楽しかった。
人に指示的なことをするのは慣れているけれど、指示されるのはめったにないことなので新鮮だった。認知症の人に寄り添うことの大切さはわかったけれど、実際には難しい気がする。


すべての人に価値がある。
すばらしい話であった。
体を動かしながらの話がよかった。


久しぶりに自分を解放する時が持てて気持ちがよかった。
介護の問題が押し迫ってくる頃なので、生活の中で自然に演じたり演じられていることがあると思った。


身近に迫っている老いについて一条の光が差し込んだ気持ちになりました。いま一瞬を大切にして行けば、だんだん、衰えることについて悲観的にならなくてすむのだと発見することができました。母を介護中の自分にとっても、視点を変えることができて、これから、いい関係を持てそうです。ありがとうございました。


老いと、介護する立場と介護される立場の気持ちは、お互いにコミュニケーションをとりながら、人間としての肯定感を保ちながrら、付き合いたいものだと思いました。施設で働く人は、利用者である老人への配慮もしつつ、演劇的な接し方を工夫してやっておられるのだろうと思いました。楽しくワークショップに参加できました。

きょうはこれにて。

追伸:「首相案件」!またまた出ました。朝日新聞第一面記事。

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ミーハー雑感、の巻 [雑話]

「ミ-ハ-」という言葉を使うことがありますが、その意味はよく知りません。
ウィキペディアにはこうありました。

 ミーハーとは、世の中の流行や芸能人の動静に今まで無知の人が熱中したり、影響を受け知ったかぶりの行為をする者(主に若年の女性)に対しての呼称である。通常はカタカナで「ミーハー」と表記するが、かつてはみいはあ、みいはあ族などと呼ばれた事もあった。昭和初期に生まれた俗語であり、テレビが普及し始めた1950年代後半、大宅壮一が唱えた「一億総白痴化」とほぼ時期を同じくして用いられた。元々は低俗な趣味や流行に夢中になっている教養の低い者や、そのような人を軽蔑して言う蔑称で、特に若い女性のことを指していた。現在では男性にも使われる言葉である。最近の用法としては、「ある事象に対して(それがメディアなどで取り上げられ)世間一般で話題になってから飛びつく」という意味でのものがほとんどである。
語源
文献によってはみいちゃん・はあちゃんの略として、当時の女性の名前は「みよ」「はな」など「み」「は」で始まる名前が多かったことから。
みいはあを音階のドレミファとかけたもの
英語の「Me」&「Her」から。
などの説も唱えられている。
後に、音階のミとファより高い「ソーラー族」なる単語も生まれたが、世間には浸透しなかったという。

2.3日前、愛知に住む旧友ハチロークンから電話をいただきました。用件があらかた終わって、気がかりだった点を尋ねてみました。彼が、ファンクラブに入会し、会員証とブロマイドを肌身離さず持っているという女性歌手は誰だったっけ?という点です。うろ覚えの記憶が正しくて、水森かおりさんでした。遅ればせながら、最近テレビで見ることが多く、その歌唱力はなかなかのものと最近感じていました。今夜もNHKテレビの歌謡番組に出演されていました。
ハチロークンに言わせると、人柄が抜群なのだそうです。
ハチロークンには、以前この記事にご登場願いました。
夏の終わりの高知行、の巻(その5)

 
槙村浩について、私は、2014年12月24日のこの記事で、「槙村浩については、また、別の機会に触れたいと思っています。」と書きました。この約束の実行を何度か試みましたが、いつも挫けて、先延ばししてきました。
今日は少しだけ、書いてみたいと思います。 (中略)  NET検索してみますと、上で引用したweb記事で紹介されている 「草の家の学芸員、藤原(ふじ・はら)義一(よし・かず)さん」が、ご自身のブログのこの記事に、槙村浩関連のネット記事へのリンク集を作っておいでです。勝手に紹介させていただきます。
さっき触れた昨年12月24日のこの記事にも書いたとおり、高知のN先輩からのお便りにより、高知市にある「草の家」が、昨年秋に「槙村浩生誕100周年特集『ダッタン海峡10号』」を発行されたことを知り、お願いして先だって手に入れました。 (中略)  手元に届いた冊子「槙村浩生誕100周年特集『ダッタン海峡10号』」では、上の藤原義一さんも、それからわが先輩Nさんも、また、別の先輩Mさんも、それぞれ別の角度から槙村浩に光を当てる文章を寄せておられます。
冊子が配達されて、ぱらぱらと斜め読みをしているちょうどその日の夜、愛知に住む古い友人のI君から電話をいただきました。
I君は、学生時代、同じ学科、同じ専攻の一年下で、なんと、当時私の間借りしていた下宿の、隣室に入居してきて、当時ご存命だったお父様と一緒に「引っ越し挨拶」に私の部屋を覗かれたのが最初の出会いでした。
部屋には個室のバス・トイレはもとより、共同の風呂もなく、トイレは母屋のものを共同使用、洗濯機も共同使用、台所も、冷蔵庫も、エアコンも、テレビも、電 話もない、「シンプル」そのものの、昔ながらの下宿生活でしたが、それ故、ある種の共同生活に似た親密な交際が始まりました。
これを綴れば、世にあるいろいろな「青春記」の上を行く、愉快でペーソスを帯びたスリリングなドラマが生まれるはずですが、それはまたの機会に譲ります。  同一下宿での共同生活は一年ほどで終わり、それぞれに別の下宿先やアパートに引っ越しましたが、大学・私生活を問わず、濃密な交友が卒業まで続きました。
卒業後は、住む場所も仕事も隔たって、彼は、学術書を中心とする出版業の中心的役割を得て奮闘を重ね、今は退職生活に入っています。何年かに一度、同窓会のような場で出会うレベルの頻度でのおつきあいですが、一瞬で当時に戻ります。
最近では、去年の11月、この記事で書いた出会いを楽しんだばかりです。
その彼からの、突然の電話の要件は、たまたま、 槙村浩と『ダッタン海峡10号』についてでした。
そして、きっといつか、高知市平和町の墓所にお参りをしたいねと約したことでした。 今日はここまでとし、またの機会に続きを書きたいと思います。
この記事で、愛知のI君と書いたのが、今の旅の弥次喜多散歩の相棒、ハチロークンのことです。同じホテルに宿泊しましたので、午前中、待ち合わせて宿願を果たそうと思い立ったのです。

もはや彼も、水森かおりファンにかけては、ミーハー以外の何者でもありますまい。
ミーハー度にかけては、私も、昨日の記事で話題にした有森裕子さんへの態度は、人後に落ちません。そして、これらの記事で話題にした吉良よし子さんへの態度もまた、ミーハーそのものとみなされるかも知れませんが、実は、いずれも知人・友人の娘さんへの親愛の感情なのです!
五月晴れの日曜日をいかに過ごしたか、の巻
入院記念日に思うこと、の巻
これでまた病気自慢に箔がつき
その吉良よし子さんが、facebook二、このような投稿をされていましたので、紹介させていただきます。

記事の引用です。

 「共産党は、自衛隊は違憲だからなくすって言ってるんですよね?」
―11月5日に放送された『加藤浩次VS政治家』というテレビ番組に出演したとき、司会の加藤氏や自民党議員などからつっこまれました。
「たしかに自衛隊は違憲だという立場ですが、いますぐなくせなんて言っていません。誰もが、憲法どおり自衛隊がなくても大丈夫と思える平和な国際社会をつくろうと言っているんです。」
と共産党の政策を説明しましたが、
テレビを観ていたみなさんは、どんな感想を持たれたでしょう。
実は、テレビで流されたのはごく一部。
収録時間は6時間にも及び、もっと突っ込んだ議論もしたんです。そこであぶり出されたのは、むしろ自民党の矛盾です。
たとえば、タレントのパックンが
「ところで自民党のみなさんは自衛隊は違憲という立場ですか?」と鋭く質問。
それに対して自民党議員は「…合憲です」と必死で説明。
そしたら、パックンに
「え、じゃあ自衛隊がいま合憲なら、あえて9条を変える必要はないじゃないですか?」と返され、
スタジオでも「たしかに!」と声が上がり、自民党議員はタジタジに。
私も「あなたたちこそ矛盾してるでしょう?」声を上げましたが、この場面はあえなくカット。
他にも放送されなかったいろんな“たたかい”はあり・・・
【その1】
「共産党は、憲法ができたとき自衛権がないからといって9条に反対した。なのにいま9条守れと言うのはおかしい」などといってくる自民党議員がいて、
「当時の議事録をちゃんと読んで下さい。自衛権に触れているのは最後の一部分。むしろ、ちゃんと『“他国との”戦争放棄』と明記し、「他国間の戦争に絶対に参加しない」とも記せ、と言っている。その上で、当時の首相が自衛権を否定する発言を行っていたのでそれについて苦言を呈したということ。むしろ、当時から一貫して集団的自衛権を否定しているのが共産党の立場です。」と反論した。でも、この場面もカット。
【その2】
沖縄辺野古の基地建設の話になったとき、
「民意民意と言うけれど、現地の座り込みには住民は参加していない。オール沖縄と言うけど、こないだの総選挙でも4区では負けてるじゃないか」などといちゃもんをつけてくる議員がいて、
「地元の方はいますよ」「なにより、沖縄県知事選でも、地元の名護市長選でも基地建設反対をかかげた県知事、市長が当選している。その民意を、違う、と仰ることこそ違うんじゃないですか?」と反論し、ぐうの音も出なくさせた場面。
これもカットされてしまいました。
ところで、この番組は最後、まるで9条のせいで、海外に派遣された自衛隊が危険にさらされているというような言い方で終わっていましたが、それに対する反論はもっとしっかりやりたかったと思います。
だって、自衛隊員が危険な目にあっているのは9条のせいではなくて、9条に反して海外派遣が強行されているからでしょう?
それに、「9条のおかげで犠牲者ゼロだった」という、イラクに派兵された陸上自衛隊の幹部の方の証言(2007年1月22日の赤旗記事)もあるんです。
http://www.jcp.or.jp/…/aik07/2007-01-22/2007012215_01_0.html
むしろ、9条こそ、自衛隊員や国民の命を守る砦です。
その9条の根幹である9条2項を無効にする安倍政権の改憲が、自衛隊員を含む国民の命を危険にさらすのは間違いありません。
こういう話、もっとスッキリわかりやすく語る力をつけて、「安倍9条改憲NO」の世論を広げたい。
がんばります。

がんばれ、よし子ちゃん。



冷たい雨の一日でした。
モミジが適期だという深山公園を歩いてみました。
これまた、ミーハーの心境です。
































今日はここまでです。

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心正しき ものの為 月よりの使者 ここにあり、の巻 [雑話]

昨日はまとまった雨が降りましたが、それも上がり、今日は晴れたり曇ったりの一日でした。
夜に外に出て、ふと見あげてみると、晴れた空に明るい月が浮かんでいました、そう言えば、明日が中秋の明月で、後楽園等では観月の特別イベントがあるとか、ニュースで言っていましたっけ。
いろいろためしてみました。ノートリミング画像で、小さい順に並べてみます。(レタッチソフトで少々画像修正を適用)。
pentax k10d+AFAD+ミニボーグ50アクロマート。天体望遠鏡用のレンズですから本来の使い方ということになりますか?(笑)

olympusE3+ズイコーデジタル ED 70-300mm F4.0-5.6

FUJIFINEPIXs1。

pentax k10d+KENKOミラーレンズ500mm F6.3 DX

最後に、pentax k10d+AFAD+ミニボーグ50アクロマートの画像をすこしトリミングします。

ネット上に月面地図の画像がありましたが、ソックリですね(当たり前ですが)。

この天文画像は山村博一様よりお借りしています。

「正義の味方・月光仮面」じゃないですが、疾風(はやて)のようにあらわれた「立憲民主党」。
これですっきりした、と今日もみんなで話しました。
よく聞き知っている「月光仮面は誰でしょう」の歌の他に、三船浩作曲の「月光仮面の歌」というのがあるそうですね。
その二番が、良いです。
       辛いだろうが 今しばし
       待てば幸福 やってくる
       まずしい人よ 呼ぶがよい
       悲しい人も 呼ぶがよい
       心正しき ものの為
       月よりの使者 ここにあり
       我が名は月光 月光仮面
庶民のための政党は、すべからくこうあるべしと思います。
今日はここまで。

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も一度一本の鉛筆、の巻 [雑話]

昨日の記事で氷川きよし君が歌った「一本の鉛筆」について書きかけました。
きょうはそのつづき。何の義理も恩義もありませんが、NHKの回し者みたいな記事を書くことになります。。
8月5日に放送された「思い出のメロディ」という番組を、見るともなく見ていました。
NHKの予告広告をコピーします。






「紅白歌合戦」や、そのほかの歌番組(最近「歌番組」などというものもほとんど目にしませんが)に比べて、格段に心惹かれる歌手や歌曲が多く、話題にすれば切りがないのですが、印象深かったものを二つに絞ってご紹介します。
一つは、倍賞千恵子さんの歌を久々に聴いたことです。何を隠そう、私は隠れ倍賞ファンです(威張っていうことではないですが)。
こんな記事を書いたことがありました。

散歩道のモズが思い出させたこと、の巻


 「俺がいたんじゃ お嫁にゃ行けぬ
わかっちゃいるんだ 妹よ
いつかおまえの 喜ぶような
偉い兄貴に なりたくて
奮闘努力の 甲斐もなく
今日も涙の 今日も涙の
日が落ちる 日が落ちる」
と寅次郎が無条件に愛する妹「さくら」のイメージが強いですが、「歌手」倍賞智恵子サンを、私かなり好きです。レコード、音楽テープ、CD、、、何枚か持ってます。最初に買ったLPレコードは、この人のものだったかも知れません。買うのは、ちょっと照れくさかったのですが、クラシック好きの友人にちらりと打ち明けると、彼も評価していて、安心した覚えがあります。「島原の子守歌」が特に好きかも。

その倍賞さんが、葛飾柴又で「さくらのバラード」を歌いました。じーんときました。
ネット上にこんな投稿が掲載されていましたが、いずれも同感です。


もう一つ、特筆したいのが、昨日も書いた氷川きよしの「一本の鉛筆」。
ネット上でも大好評でした。







美空ひばりと「一本の鉛筆」については、以前も、書きました。

「一本の鉛筆」から始まった、の巻


 ウィキペディアにはこうあります。
 ひばりが最初の広島平和音楽祭に出演するにあたって、総合演出を担当していた映画監督、脚本家の松山善三が作詞を、作曲を映画音楽の作曲で有名な佐藤勝が作曲をそれぞれ手がけた。なお、当初は平和音楽祭の実行委員長も務めていた古賀政男が作曲する予定であったが、古賀が体調を崩したため佐藤勝の作曲となった。『一本の鉛筆』と『八月五日の夜だった』は、ともに広島市への原子爆弾投下について描かれた作品である。
ひばりは、父の増吉が徴兵され、母の喜美枝がその間辛い思いをしていたのをそばで見て育っており、自身も横浜大空襲を体験していたこともあって、戦争嫌いだったという。そのようなこともあってひばりは広島平和音楽祭の出演依頼を快諾したという。
リハーサルでは冷房付きの控室が用意されており、広島テレビのディレクターがひばりを冷房付きの部屋に誘導したところ、ひばりは「広島の人たちはもっと熱かったはずよね」とつぶやき、ずっと猛暑のステージのかたわらにいたという。ステージの上からは「幼かった私にもあの戦争の恐ろしさを忘れることができません」と観客に語りかけた。
それから14年が経った1988年、ひばりは第15回の「音楽祭」に二度目の出演を果たした。当時、ひばりは大腿骨骨頭壊死と慢性肝炎で入院した翌年であり、歩くのがやっとで段差を1人で上ることさえ困難な状況だった。ひばりは出番以外の時は音楽祭の楽屋に運び込んだベッドで点滴を打っていた。しかし、観客の前では笑顔を絶やさず、ステージを降りた時には「来てよかった」と語ったという。翌1989年6月に、ひばりは死去した。

 一本の鉛筆があれば
  私は あなたへの愛を書く
  一本の鉛筆があれば
  戦争はいやだと 私は書く

一本の鉛筆があれば
  八月六日の朝と書く
  一本の鉛筆があれば
  人間のいのちと 私は書く


この時の記事では、スペースの関係で、歌詞の一部分だけを引用したのでした。しかし、氷川君の歌を聴いて、どの歌詞にもゆるがせに出来ない深い意味があることに気づかされました。それほどに、思いを込めて歌う氷川君に、教えられた思いがしたのでした。

サークルおけらの「おけら歌集」にこの 一本の鉛筆の歌の歌詞や音源、その他紹介文が掲載されています。


過去記事で引用しなかったこの部分を、改めてしみじみと胸に刻んだことでした。

一枚のザラ紙があれば
私は子どもが欲しいと書く
一枚のザラ紙があれば
あなたを返してと私は書く

昨日も引いた棘三吉の詩と、なんと響き合うことでしょう。

 

 ちちをかえせ 
ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせ 
わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの
にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ

ちなみに広島の平和祈念公園には、この詩が刻まれた詩碑が建てられており、裏面には大原三八雄氏による英訳が刻まれています。



確か私も、自分で写した写真があるはずなのですがすぐには見当たらず、ネット上からお写真を(無断で)お借りしました。
MITTY様こと三登 浩成様のブログ「広島の視線」の2014年11月25日付の、峠三吉の詩碑 の記事中のお写真です。なお、三登 浩成様は、面識はありませんが、「広島の平和公園でガイドをしているFIGの代表で、胎内被爆者」 (プロフィールより)だそうで、学ぶことの多い記事と、美しく優しいお写真でブログを綴っておられます。



台風5号が接近中で、未明から強い風と雨が、わが地方にも影響を及ぼしています。学童保育はお休みのようで、孫たちの守をしてやれば良いのですが、あいにく今日は午前中、私の通院日。(これから出かけます。)
孫たちは、兄妹仲良く、家の中で、おとなしく、留守番をしている、はずです。
今日はこれにて。


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踏んだり蹴ったり、の巻 [雑話]

昨日のことわざ・慣用句の続きです。

「踏んだり蹴ったり」

「一難去ってまた一難」

昨日の昼間の段階では、島根県を中心とする中国地方の災害を案じておりましたら、なんと九州地方の豪雨災害が容易ならざる事態になっています。

熊本大地震の傷跡も癒えないうちに、相次ぐ災厄。たまったものではありません。少しでも被害が軽からんことを祈ります。

当地の方は、並みのレベルの土砂降りはあったものの、災害につながるような規模のものではなく、酷暑がしばし緩んでありがたかったくらい、、、、と言うと、罰が当たります。

打って変わって、今日は、またまた真夏日の暑さ。日中は、とても屋外に出る気がしません。

昨日は、トウモロコシの初収穫。

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痩せてはいますが、粒が揃いました。塩を降って蒸し器で蒸して、孫たちに一切れずつ与えると、二歳児が「甘くおいしい」と、回らぬ舌で一人前のことを言います。

トマト、きゅうりも、もぎたてがごちそうです。(写真撮影忘れました)

この季節、友人、知人からも、ナスやきゅうりといった新鮮野菜を沢山いただきます。文字通り、自然の恵みです。慈愛深い自然が、うって変わって牙をむく。恐ろしいことです。人間のか弱さが浮き彫りにされます。英知を尽くして、自然と折り合うすべを探らなければ、と痛感します。

核開発や戦争準備や、人間同士愚かな争いに労力を費やしている場合ではありません。

一歳児の孫が、最近「初海!」を体験したそうです。

こんなささやかな幸せが、乱暴に踏みにじられるようなことがあっては困ります。

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庭のキアゲハの幼虫はますます成長し、パセリの葉は、ますます丸裸になっていきます。

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今日はここまで。




 

つれづれのことわざ三昧、の巻 [雑話]

今朝は早朝から、島根県を中心に、甚大な大雨災害に対する物々しい警報が、繰り返し報じられています。台風は過ぎ去ったのに、センジョウコウスイタイとやらのせいで、激しい雨量が予想されるのだとか。このセンジョウコウスイタイという専門用語、最近の大雨災害の際にしばしば耳にするようになっていましたが、耳から聞いたのでは意味が思い浮かびません。
「戦場」「扇状」「千丈」、のほか、洗浄,線上、洗滌、千畳、煽情等も思い浮かべてもますが、ピンと来ません。
正しくは「線状降水帯」だそうで、激しい雨が長時間降り続く恐れがあり、「数十年に一度の甚大な災害」が予想され「最大級の警戒」が必要だそうです。くれぐれも被害なきことをお祈りします。

自然災害ならずとも、ごくプライベートな事情から、こんな言葉が脳裏をぐるぐる回っています。
「弱り目に祟り目」
「泣き面に蜂」
今日から、退職同業者の作品展が開かれます。

過去のものは、こんな記事でご紹介しました。


「一本の鉛筆」から始まった、の巻(2016-07-04)


取り急ぎ、岡山空襲の日を走り読み、の巻
(2016-06-29)

2年目と言われて気づくうかつかな(2015-07-15)

この記事に書いた感想は,現在にもそのまま当てはまります
 「安保関連法案」が、今日にも衆院委員会採決、という動きが伝えられています。

昨日も何人かの友人と話しましたが、実に不愉快。不本意。精神衛生に障ります。

「丁寧に説明する」とおっしゃりながら、一方的に自分の理屈を繰り返すだけで 、相手の質問に答えない、はぐらかす、時には恫喝する、、これで審議は尽くしたとして採決をごり押しする。やっぱ、なんかカンジワルイわるいですよね。

過去にも、語彙力の貧困が話題になった宰相は複数おられました(現在、副総理をなさっておられるお方なども)が、アベサンの場合、その饒舌さとは裏腹に、語彙認識がかなりずれていらっしゃるのではないかと感じるフシがままありますね。

普通「丁寧に」というからには、たとえ意見が違ったとしても、相手の存在を認め、その気持ちを斟酌し、思いが少しでも通じ合うように、相互の間隙を埋め、一致点が広がり、合意が進むように、心を砕くことを、期待します。でも、あべサン達の「丁寧」には、そんな要素はひとかけらもないらしい。

桑畑の歌から始まった、の巻(2015-07-14)


半田山植物園のバラの巻(3)
(2015-07-12)

七夕雑話(2015-07-07)

せせらぎのかそけき音や半夏生(2014-07-02)



昨日は、朝から作品の搬入、飾り付けということで、私自身も作品を持ち込むとともに、会場の設営のお手伝いをすることにしていました。ところで、前日の月曜日は、アルバイト勤務日でしたが、仕事を終えて帰宅し、荷物をそのまま車に積んだままでしばらく気づかなかったのですが、お昼に食べた、空の弁当箱がない。さては、職場に忘れてきたかと気づいたものの、次の勤務日は木曜日。しかも私の席は、曜日ごとに利用者が入れ替わる共有席。こんな高温多湿の季節に、汚れた弁当箱を放置していると悲惨な事態に陥ることは必定で、すみやかに持ち帰らなければなりません。

というわけで、その朝は、一旦職場に立ち寄ってから作品展会場に向かおうと、少し早めに余裕を持って家を出たのですが、折からの台風接近で.思わぬ渋滞に巻き込まれ、予想以上に時間がかかりました。 空の弁当箱は、予想通り、自席の机の下に置き忘れていましたので、こっそり回収して展示会場に向かいますが、10分ほどの遅刻。前途多難を暗示する一日の始まりでした。

入場者にお配りする出品目録を作成するという役割を与えられていました。事前に編集していたものを、当日の最終調整を施した上で印刷するため、パソコンと印刷機を借りられる場所まで、雨の中、車でひと走り。ついでにおあずかりした作品を運搬、などの大役を無事やり遂げることができました。午後も会場設営・展示を手伝いながら、ゆっくり作品鑑賞も楽しませていただいて、夕刻帰路につきました。

ここまでは、満ち足りた思いとともに、快い疲労を味わいながらの帰路でした。 と、これで終われば言うことなしですが、、、。

「好事魔多し」

「油断大敵」

「一寸先は闇」

帰もうすうすぐ自宅が見えようかというあたりでした。交差点の赤信号で列の後尾について停まり、信号が変わって、アクセルに足を乗せたときでした。どうもおかしい。プスン、プスンと力ない反応で出力が出ません。そしてそのままエンスト。 ガソリン切れです。

ガス欠エンストは2度ほど記憶にあります。一度は早朝、まだガソリンスタンドが営業を始める前の、真っ暗な時間帯。近くのGSに電話して見ますが、らちがあきません。困り果てて、わずかに面識のあるご近所の自動車関係業者の方に不躾なお願いをすると、ご親切にも缶入りのガソリンを持ってきて注油してくださいました。ありがたいことでした。

もう一度は、白昼、下り坂を運転中エンスト。そのまま惰性で走らせて、さいわい眼の前にあったガソリンスタンドに滑り込んだ?のでしたか?この時の記憶は、極めてあいまいです。

2つの経験の後先も覚えていません。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」

「二度あることは三度ある」

のことわざ通りの展開です。

「三度目の正直」

「仏の顔も三度まで」

とも言いますから、三度目はちょっと怖い。

ですから、決して熱さを忘れたわけではなく、エンプティランプが点滅すれば、できるだけ直ちに注油するようにしてました。まだガソリン残量は底をついているようではなく、10lもそれ以上も残っていて、まだ相当距離を平気で走るはず、という状態でも、

「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」

ことが多かったのです。

今回も、エンプティランプには一昨日の通勤時に気づいてました。帰宅後、保育園のお迎えや、孫たちを載せての買い物に車を走らせましたが、雨模様でもありましたので給油は避けました。そして当日の朝は、時間に急かされていましたので、給油しないまま出かけたのでした。後々考えますと、置き忘れの弁当を取りに回り道しなければ、無事に家まで帰り着けたかもしれません。

「後の祭り」です。

 国道上とあって、後続車も多く、降りて車を押してGSまで、というわけにもいきませんから、思いあまってJAFに助けを 求めました。これが正解で、30~40分後には、10L缶入りのガソリンを持ってレスキューに駆けつけてくださいました。

会員証を見せますと、1994年入会とありましたので「長い間ありがとうございます」と感謝されました。

脱輪、パンク、ほかに何があったっけ?頻繁にではありませんが、困ったときに助けていただいています。

「苦しいときの神頼み」

「持ちつ持たれつ」

おかげさまで無事、帰り着くことが出来ました。


今日は午前中、作品展の会場係の一員を仰せつかりました。

だんだんと岡山県内の各地にも警報が発せられるという悪天候の中ですので、人影もまばらですが、同じ館内で開かれている催しへの参加者が、三々五々訪れてくださいました。

そうはいってももてあます、手待ち時間のつれづれに、この記事を書き進めているところです。

展示作品についての詳報は、機会を改めるとしまして、一つだけ特記すべきことがあります。それは、ででぽぽの咽び啼く朝師を送るの記事でご紹介した恩師故M先生の生前の絵が、奥様のご厚意で出品されていたことです。

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若かりし日には国体にも出場されたスポーツマンで、専門の文学はもとより、音楽にも造詣が深いことは存じ上げていましたが、絵を描かれることは知りませんでした。ちょうど、同一会場で市民講座の活動中で、休憩の傍ら作品展をのぞいてくださった、わが故旧のおひとりヨシエさんも、M先生が描かれることは知らなかったとおっしゃっていました。1993年の作品とされるめざしの絵が好きです。
もうお一人、同じ時期に亡くなられた故K先生の遺作も出品されています。
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今日はここまで。

子どもが登校した後で警報を出されても困るわけよ、の巻 [雑話]

台風16号の影響はいかがでしたか?被害に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。

我が地方は、朝方はちょっと強い雨が降る程度でしたが、八時半過ぎた頃に警報が出されました。子どもたちはいつも通りに登校していますから、急遽閉校、下校ということになれば、ジイジの家に帰ってくることになります。

学校からは、勤務先のママのところに連絡が入るはずですので、それを受けて適宜対処しなければなりません。

スタンバイモードで待ち構えながら、ママとメールのやりとりをしていましたが、九時過ぎに学校から連絡があったらしく、小学生も中学生も学校待機で、平常授業をしながら様子を見て、台風の影響が薄らいだところで下校という方針だそうです。賢明な判断でしょう。

雨風が強まる中、子どもたちを下校させるわけにはいきますまい。

我が家の雨樋は、老朽化のため、大雨になると氾濫して軒下を水びたしにします。



玄関先の睡蓮蜂も雨だれが面白い波紋を描いています。







ここには金魚とメダカがいましたが、この夏の日照りで大部分が死にました。小川から網ですくって捕ってきたメダカが、わずかに数匹、生き延びています。放っておくとボウフラが大繁殖しますので、それを餌にする小魚が住んでいてくれることはありがたいのです。



庭の片隅に、こぼれ種から育ったホセンカが、ヒッソリ花を咲かせています。



以前こんな記事を書きました。◇紅(くれない)の翼広げる鳳(おおとり)の想いを知るや汝(な)は鳳仙花

一部引用させていただきます。








朝鮮半島では鳳仙花で染めた爪が初雪が降るまで残っていれば恋がかなうという、ロマンチックな言い伝えがあるそうです。
沖縄では「てぃんさぐ」と呼ばれ、民謡「てぃんさぐぬ花」に歌われています。

ホウセンカを歌った歌は数多く、私などはまず、


      「悲しいですね 人は誰にも
   明日流す涙が見えません」


     と歌い始め


     「ほうせんか 私の心
   砕けて 砕けて 紅くなれ
   ほうせんか 空まであがれ
   あの人にしがみつけ」


と繰り返す、中島みゆき「ほうせんか」(作詞作曲 中島みゆき)を真っ先に浮かべます。

加藤登紀子が歌う「鳳仙花」は哀調を帯びたメロディが心に残ります。










  赤いほうせん花 お庭に咲いたよ
    灼けつく夏の日 暑さも知らずに
    かわいい娘は 爪先染めたよ


    赤いほうせん花 お庭に咲いたよ
    やがて夏去り 秋風吹けば
    ほうせん花種蒔け 遠くへはじけよ



この曲は「洪蘭坡」(ホン・ナンパ)というヴァイオリニスト・作曲家としても著名な、朝鮮人音楽家の作曲だそうです。

彼は1897年生まれで、植民地時代の1917年から日本にわたり、東京音楽学校で学びますが、3・1独立運動(1919年)を機に帰国し、独立運動に参加しました。独立運動は弾圧を受けて挫折しますが、1920年、「哀愁」というヴァイオリン独奏曲を作り、5年後に友人である声楽家、金享俊(キム・ヒョンジュン)が詩をつけたのが「鳳仙花」でした。それは四季折々の鳳仙花の姿に寄せて、日本の植民地支配の下で苦しむ朝鮮人の哀しみと、春風とともに蘇る鳳仙花になぞらえて祖国独立への希求を歌ったもので、人々に深く愛唱されたそうです。そのことがもとで、日本の官憲から、日本の朝鮮支配に抵抗する危険人物として日常的に監視されるとともに、軍歌の作曲や軍歌の指揮・演奏など、その意に反して日本軍国主義への協力を強要されたのでした。この肉体的、精神的苦痛のため、太平洋戦争開戦間近の1941年、43歳の若さで亡くなりました。彼の生涯については、「中央日報」のこの記事がよく伝えています。

2005年には、「日本統治時代に親日活動を行なった人物」として「第1回親日派人名簿」に掲載され、日本統治時代の強いられた協力をとがめられたのは、いたわしい事でした。


その後、家族らの異意申し立てなどにより2009年には、親日名簿から除外されたそうですが、去年の秋には、「蘭坡音楽賞」の候補に選ばれた作曲家のリュ・ジェジュン氏やソプラノのイム・ソネ氏が、「親日派音楽家の名で賞を受けたくない」として受賞を拒否した(この記事参照)と伝えられるなど、国民感情は依然複雑なようです。占領する側、支配する側が、とっくに忘れてしまった歴史の記憶を、踏みつけにされた側は、やすやすとは「水に流す」わけにいかないということでしょう。


1
かきねの鳳仙花 燃え立つ夏の日
可愛い少女は お前の花びら見つめ
微笑む 麗しい鳳仙花
2
季節は巡り 秋風吹いて
お前の真っ赤な 花びら奪って
哀れな鳳仙花 目をとじ眠る
3
凍てつく大地に お前は眠る
平和な世界を 夢見て
春風吹けば もいちど

目を覚ませ 鳳仙花




「赤い花なら曼珠沙華」と、先日来ヒガンバナ。曼珠沙華を話題にしていますが、我が家の庭では白いヒガンバナがすっかり開花していました。







世話もしないのに、毎年律儀に咲いてくれます。

子どもたちが学校で面倒を見てもらえるようなので、午後は予定通り、年金裁判の傍聴に出かけることにしました。そのご報告は、次回といたします。

今日はこれにて。

ついに、「無償」のユーワクに負けました、の巻 [雑話]

windows10の無償アップグレードが、「明日まで」、と、繰り返し繰り返し表示されますが、この誘惑に決して負けず、サポート終了までwindows7を使い倒そうと決心していました。そもそもその時までマシンが健在かどうかの保証もないわけですから、アップグレードによっていらぬトラブルに巻きこまれるリスクを考えれば、このまま無問題状態で使い続けるほうが得策と、判断したためです。

が、この決心は、今日の午前中まで持ちませんでした。つい、ふらふらと、「アップグレードを実行する」ボタンを押してしまっていたのです。しかも、必須のバックアップも一切とらずに、、。暑さのために、注意散漫、集中力欠如、破れかぶれの怖いもの知らずという心境に陥っていたのでしょうか?

意外や意外、これまで経験したどんな種類のインストール作業やグレードアップ作業よりもやすやすと、アップグレードが完了してしまいました。というわけで、今のこの記事は、windows10環境で書いています。

そして今のところ、まだ何のトラブルにも遭遇することなく、ほとんど無問題で、パソコン作業が進んでいます。決してすべての動作をチェックしたわけではありませんので、軽々に判断はできませんが、今のところアップグレードは「正解」ということにしておきましょう。

 


 相模原の事件について、とりとめもなく思いを巡らせています。

昨日の記事でもご紹介した、鳥越俊太郎さんの亡くなられたお父様が運営委員長、立ち上げ人として尽力された「ひかり共同作業所」を前身とする「福岡ひかり福祉会」が、以下のような声明を発表されたそうです。

①被害者の方々に心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。
②万感の怒りと抗議を表明します。
③(法人の「めざすもの」)の精神を堅持して、人としての尊厳を守るための取り組みを永続します。

「現時点で事件の全容はつかめていませんが、このような事態を未然に防ぐために法人として何ができるか、何をしなければならないかを検討、対策に当たりたいと考えています。



 関係者の皆様におかれましては、できる限り冷静さを失うことなく、普段通りの生活を送られることを呼び掛けます。合わせて、職員のみなさんには、マスコ
ミなどの情報に惑わされることなく、仲間やお年寄りとその家族の気持ちに寄りそい、日々の実践に取り組まれることを呼び掛けます。」

大脇 友弘さんの写真
 

 特に最後のこの一節は、重く心に響きます。
「関係者の皆様におかれましては、できる限り冷静さを失うことなく、普段通りの生活を送られることを呼び掛けます。合わせて、職員のみなさんには、マスコ ミなどの情報に惑わされることなく、仲間やお年寄りとその家族の気持ちに寄りそい、日々の実践に取り組まれることを呼び掛けます。」

「寄りそう」という言葉は、このような使われ方をしてこそ真実味を持つのだと改めて感じた次第です。(アベさんが、ことあるごとに多用する 「沖縄の心に寄り添う」「東北に寄り添う」「被災者の心に寄り添う」「不安な気持ちに寄り添う」 etc.の空虚さとの、なんという違いでしょう。)

ところで、本と雑誌の知を再発見 リテラ、の最新の記事がナットクです。石原慎太郎もネットも障がい者排除支持 障がい者抹殺思想は相模原事件の容疑者だけじゃない! 石原慎太郎も「安楽死」発言、ネットでは「障がい者不要論」が跋扈

 一部を引用します。

私が直感していた戦後最悪レベルのとんでもない凶悪な事件だけに、容疑者の異常性に注目が集まるが、残念ながら容疑者の“弱者を排除すべし”という主張は現在の日本社会において決して特殊なものではない。

たとえば、昨年11月に茨城県教育総合会議の席上で教育委員のひとりが「妊娠
期にもっと(障がいの有無が)わかるようにできないんでしょうか。4カ月以降になると堕ろせないですから」「(特別支援学級は)ものすごい人数の方が従事
している。県としてもあれは大変な予算だろうと思った」「意識改革しないと。生まれてきてからでは本当に大変です」などと発言し、さらに橋本昌・茨城県知
事までもが「産むかどうかを判断する機会を得られるのは悪いことではない」と擁護・同調するような発言をするという騒動があった。

教育行政にかかわる人物が公然と「金のかかる障がい児は産むべきではない」という見解を開陳するなどおぞましいが、それを容認してしまう空気がいまの日本社会にはある。

石原慎太郎は、都知事に就任したばかりの1999年9月に障がい者施設を訪れ、こんな発言をした。
「ああいう人ってのは人格があるのかね」
「絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状況になって……」
「おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う」
「ああいう問題って安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」

ほとんど植松容疑者の言っていることと大差ない。舛添のセコい問題などより、こういった石原の差別発言のほうがよほど都知事としての資質を疑いた
くなる。しかし、当時この発言を問題視する報道は多少あったものの、そこまで重大視されることはなく、その後、4期13年にわたって都民は石原を都知事に
選び続けた。

「障がい者は生きていても意味がない」「障がい者は迷惑だ」「障がい者は税金がかかる」

 これらは基本的にナチスの重度障害者を本当に抹殺していったナチスドイツの政策のベースになった優生学的思想と同じものだ。

 

おとといの記事で 直感的に思ったままを書きましたが、ここに根拠が確認された気がします。


 今朝の散歩道の景色を、おもちゃレンズで写してみました。

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田舎から持ち帰った赤紫蘇のおかげで、梅は、いい色に染まりました。
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ようやく雨が上がり、昨日と今日は、晴れ間が見えましたので、土用干しの仕上げにかかっています。
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孫たちの庭のトマトは、草に覆われながらも、日々甘い実を提供してくれます。
明日の夜あたりから、孫一家は、ママのお里にみんなで移動の予定なので、どっさり収穫しておきました。
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少し遅く植えていたメークインを掘りあげました。 日差しが強くて、かなり疲れます。
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スイカも収穫しました。大玉は育たず。小玉スイカだけ実りました。
 
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0歳児がひょっこりやってきました。
 
ハイハイを始めました。目をらんらんと輝かせて、 面白そうなものの近くまで這って行きます。
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離乳が少しずつ進んでいます。おかゆ、コマツナなどを食べます。
スプーンを自分の手で持ちたがります。
小さな子どもは皆、好奇心旺盛で自発性に富んでいます。
いとこの兄ちゃんがあやすと、喜びます。
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庭の百日紅の花に、カマキリがいました。
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 小3の孫がそおっと捕まえました。
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が、その瞬間、体を捻じ曲げてに鎌を向けてきて、指先を強く挟まれましたのでたまらず放り出してしまいました。
今日はこれにて。

 


飼育中のツマグロヒョウモンすべて羽化、の巻 [雑話]

夏休み中の中1と小3の孫が、朝から来訪、宿題は、持ってきていますが、その前に、マンガ本にどっぷり。

飼育中のツマグロヒョウモンが、2匹羽化して蝶になりました。これで、無事に全部巣立ちました。

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早朝からニュースは相模原の事件で持ちきり。言葉を失う凄惨さです。

「障害者はいなくなってしまえ。」冷酷な、思い上がったこのセリフ。でもそれは、わずか70数年前「劣等人種はいなくなってしまえ」と、ユダヤ人たちを大量虐殺したナチスの若者たちのセリフと全く同じではないですか。おそらく深い心の闇を抱えた、尋常でない精神状態の犯人による「異常な猟奇殺人」には違いないでしょう。でも、その行動に実際に足を踏み出すか否かは別として、社会的弱者にたいする偏見と憎悪、差別と排除の空気は、しずかに醸成されているのではありませんか。

たとえば、野放しのヘイトスピーチ、傍若無人のネトウヨたちの言動の、向けられている敵意の方向は、あの犯人の若者と、才を言い出す差異を見出すことが困難ではないでしょうか。

そして、困ったことに、今、特異な暴走政権を形づくっている「日本会議」勢力と、その共感者、支援者たちの奏でる主題歌が、まさにこの「劣等者は生きる価値なし」のメロディではなかったでしょうか。

いや、すべては謎。軽々しい論評は避けることにしましょう。

ところで今日は、大事な会合を忘れていました。仕方なく、小3生に同行を頼んで、遅ればせながら出席しました。(大汗)

今日はこれにて。


庭のクチナシにオオスカシバがいた、の巻 [雑話]

今日は、週一度のパートタイムアルバイトの日で、暑くて少々くたびれました。

朝七時過ぎの涼しいうちに家を出ますが、通勤中の自動車の中は、アコンをつけていてもガラス越しの輻射熱で、汗がにじみます。癪場に到着した頃は、まぶしい日差しで、駐車場から玄関まで歩く間にも日干しになりそうです。激しい勢いでクマゼミの鳴き声が耳元まで押し寄せて来る感じです。

帰宅は夕方でしたが、少しも暑さがゆるみません。

というわけで、今日は散歩してません。

庭のクチナシの木にオオスカシバが遊んでいました。

過去にも、

これなあに?蝶か雀か また蜂か
レスキューソフトの効用の巻
毬栗
朝顔と思うておった縷紅草
蝶の日の葉月八日の蝶の舞

等の記事で、オオスカシバの写真を載せています。
たびたびホバリングしてくれるのですが、それなりに動きが素早くて、上手にキャッチできません。


クチナシに遊ぶオオスカシバ
クチナシに遊ぶオオスカシバ posted by (C)kazg 


クチナシに遊ぶオオスカシバ
クチナシに遊ぶオオスカシバ posted by (C)kazg 

 

昨日の記事へのコメントで、majyo様が「奇跡のみかんの木」とおっしゃってくださいました。そう言われて思い出しました。

同じように、以前、枇杷(ビワ)を食べたあと、子どもが土に埋めた種から芽が出て、すくすくと大木に育ち、実をつけました。何年かの間、結構大粒でおいしい実がなりました。枝葉が茂りますので大きく剪定して、枇杷の葉茶や枇杷の葉酒等も試してみたこともありました。
いつの頃か、幹をカミキリムシだかにかじられたのが元で、枯れました。今思えば、残念です。

 先日の散歩で見つけたカミキリムシ。
葉陰のカミキリムシ

  陰のカミキリムシ posted by (C)kazg 

こちらは何年も前に写した写真です。
イチジクの葉に止まるカミキリムシ

イチジクの葉に止まるカミキリムシ posted by (C)kazg

ちょっとした忍者かなにかのような、精悍なスタイルですね。

きょうはここまで。

ブログ編集エディタってどうよ、の巻 [雑話]

退職記念と肺癌手術記念にブログを始めて3年が近づきました。
最初の記事はこれでした。

孫の手作り特製野菜サラダ

見よう見まね、行き当たりばったりで記事を書いては、世間の皆様のお目を汚していながら、ちっとも成長というものがありません。
いつも同じようなトホホをやらかして、くじけています。
その、最たるものが、度々見舞われる記事消失。思い起こせば、いくつかのパターンがあるようで、最も原初的なのは、ブログを始めたばかりの頃、so-netブログの編集画面で直接編集中に、時間が経過しすぎて、記事が消滅するパターン。完成していない記事を、書きかけたまま。席を離れたり、ほかの作業をする時には、下書き保存しておくという鉄則をしりました。しかし、途中で居眠りしてしまった場合は、、、トホホです。

秀丸やメモ帳などのテキストエディターで文章だけは編集して、画像の貼り付けだけを最後に行って記事を完成させる、という方針も、考えては見ましたが、たくさん画像を貼り付けたいときなどにはやっかいです。とくに、そんな、写真ベタベタの記事が多いので、方針通りにいきません。

あれこれ試してみましたが、比較的満足度が高いのは、ホームページビルダーの、おまけ機能のような、ブログ編集機能を使う方法。文字による記事と写真を両方配置して、完成段階まで編集できるので、嬉しいのです。が、、これが、思わぬじゃじゃ馬で、保存したはずの記事が何の前触れもなしに消滅していたり、「投稿」に失敗してそのまま消滅したり、泣くに泣けないトラブルが、時折洗われます。いつもそうならきれいさっぱりあきらめますが、ごくまれに起こる、というのがにくいところです。

ブログエディターという選択肢は、以前から気になっていました。

 

Windows Live WriterとScribefireという二つのソフトが有力のようです。

 が、どうも、インストールがうまくいかなかったり、so-netブログにうまく接続できなかったり、どうも敷居が高いと感じていました。けれども、余りに度重なる消失事件に、何とか打開をはかりたく、今日いくつかの試みをしてみました、

Windows Live Writerはなぜかインストールできません。

このパソコンのブラウザは、主としてとしてFirefoxを使っていますが、Firefox用のScribefireは、うまく設定できませんでした。

以前使ったことはあるが、このパソコンには導入していないGoogle Chrome とoperaをダウンロードしインストールして、それぞれ用のScribefireをためしてみました。

結論としては、なぜだか理由はわかりませんが、たった一つだけ成功したのは、operaでScribefireを使う方法でした。

きょうは、これで編集しています。

文字の入力は、これまでのところ快適です。

一度編集を途中やめにしてブラウザを閉じてみましたが、再起動すると元通りの画面が洗われてほっとします。

つぎは、写真を貼ってみたいと思います。

---うまくいきません。

 

 

 

フォト蔵にアップしたセミの写真をご覧ください。 桜の枝のニイニイゼミ
桜の枝のニイニイゼミ posted by (C)kazg

桜の枝のニイニイゼミ
桜の枝のニイニイゼミ posted by (C)kazg

桜の幹のアブラゼミ
桜の幹のアブラゼミ posted by (C)kazg 


桜の枝のクマゼミ

桜の枝のクマゼミ posted by (C)kazg

桜の枝のアブラゼミ
桜の枝のアブラゼミ posted by (C)kazg

桜の幹のアブラゼミ
桜の幹のアブラゼミ posted by (C)kazg

空を見上げるアブラゼミ
空を見上げるクマゼミ posted by (C)kazg

桜の枝のニイニイゼミ
桜の枝のニイニイゼミ posted by (C)kazg

桜の枝のニイニイゼミ
桜の枝のニイニイゼミ posted by (C)kazg

桜の幹のアブラゼミ
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桜の枝のクマゼミ

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桜の枝のアブラゼミ
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桜の幹のアブラゼミ
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空を見上げるアブラゼミ
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今日はこれにて。


巴の姿しばしとどめむ、の巻 [雑話]

先日のこの記事で、木曾殿(源義仲)の最期の場面を話題にしました。
源義仲は、源頼朝の従弟にあたり、幼時、父・義賢が甥の源義平(悪源太)に殺されたあと、乳母(めのと)の夫である中原兼遠により、木曾の山中にかくまわれ成長したと伝えられます。
治承四年(1180)、後白河天皇の第三皇子である以仁王の令旨により、平家追討の挙兵をし、北陸道を経て真っ先に入京します。
その功績をたたえて、後白河法皇は、義仲に「朝日将軍」の称号を与えますが、次第に、軋轢が生じてきます、田舎者丸出しの粗暴な振る舞いが京の公家達の反感を買ったうえ、皇位継承問題にも口を出すなどに立腹した後白河法皇は、義仲平家追討の院宣与えて都から遠ざけ、一方で、密かに鎌倉の源頼朝に義仲追討を命じます。
寿永三年(1184)、義仲は、頼朝が派遣した源範頼・義経の軍勢に追われ、悲劇的な負けいくさの末、粟津の松原(滋賀県大津市)で最期を遂げました。

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台風11号直撃!皆さんご無事ですか?の巻 [雑話]

台風11号の影響が広がっています。

皆さん、ご無事ですか?

我が地方では、早々と昨日のお昼から警報発令。

孫の通う小学校は、一日前倒しで終業式を済ませたそうです。同じような措置をとった学校が多いと聞きます。

夕方には、周辺地域に「避難準備情報」や「避難勧告」が次々に出されますが、わが家近辺への影響はそれほどでもあるまいと高をくくっておりましたら、深夜になって激しい風と雨の音で、なかなか寝付かれません。

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駆け足の備忘録 [雑話]

この間、いろいろなことがありすぎて、備忘録が、書ききれません。

時系列順に箇条書きにしてみます。

11日(土) 「STOP戦争法 7.11怒りの市民大行進」を歩きました。そのあと、年金者組合の支部の小さな集まりがありました。



12日(日) 退職同業者の寄り合い。



13日(月)東京芸術座「蟹工船」観劇。
前回、ケータイをなくして大騒ぎしてから、はや2ヶ月です

今回は、東京芸術座「蟹工船」。村山知義さんの演出を継承しているそうです。



14日(火) お友達と四方山雑談。



15日(水) 病院で検査。血液監査とCT(断層写真)と、MRI(核磁気共鳴画像法)。転移しやすい場所が、脊髄、骨盤、脳なのだそうで、年に一回調べてもらってます。

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写真共有サイト「フォト蔵」へのリンクが辛い、の巻 [雑話]

知らないということはおそろしいもので、このso-netブログでの写真掲載の方法を悩んでいます。

ソネブロ標準の掲載方法は、見よう見まねででうまくやってるつもりでしたが、不満もありました。

その1 アップロードに時間がかかります(ちょっと休んでコーヒーを飲めばすむことですが。)

その2 容量制限(1ファイル1mb未満、1ブログの1GB未満)が気にかかります。器にはまだまだ空きがあると思っていても、直ぐに満杯になってしまうのが、世の定め。対策を考えておかねば、、と思案のあげく、思いついた素人対策は。

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