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井泉水忌の麦、の巻 [今日の暦]

昨日書きかけて未完成のまま寝てしまった記事を、遅ればせに掲載します。


昨日は、俳人荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)の命日だったことにちなんだ話題です。


荻原井泉水について、ブリタニカ国際大百科事典にはこう解説してあります。


[生]1884.6.16. 東京
[没]1976.5.20. 鎌倉
俳人。本名,藤吉。第一高等学校を経て 1908年東京大学言語学科卒業。ゲーテのエピグラム,シラーの2行詩から俳句の理論を発見,河東 (かわひがし) 碧梧桐の新傾向俳句運動に参加,雑誌『層雲』にその新理論を発表,さらに季題無用論を唱えたことで碧梧桐らと分裂,以後同誌を主宰して尾崎放哉,種田山頭火ほか多くの俊才を育てた。「俳句は象徴詩である」と主張,心境的な自由律俳句を発展させた。 55年昭和女子大学教授。 65年芸術院会員。代表句集『原泉』 (1960) ,『長流』 (64) 。




屋久島をはじめ、南の地方は激しい雨で被害の拡大が懸念されます。わが地方も、きのうごろから雨の予報でしたが、時たま、ぱらぱらっと降る程度で、風だけが強い荒れたお天気です。

今朝の夜明け頃。


虹が見えました。


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朝日を浴びた麦畑。


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コレットに「青い麦」という作品がありましたが、これは「黒い麦」ですね。これがライ麦でしょうか。サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」は知っていますし、ライ麦パンは食べますが、実際のライ麦畑には、確信が持てません。


 


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実は昨日も、別の場所でこの麦を写しました。


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周囲の多くはこんな麦畑です。


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おそらくこれは、わが地方で多く生産されているビール麦(ビールオオムギ)で、○リンビール岡山工場へ運ばれて、「一番搾り」などに加工されるのだそうです。それにしても、麦畑、美しい光景です。有用性の故に美しく感じるのか、アプリオリに美しいのか、考えれば考えるほど難しいテーマです。


荻原井泉水にこんな句があります。小豆島 土庄町渕崎 本覚寺境内に句碑が建てられているそうです。


佛を信ず麦の穂の青きしんじつ


大正九年の春(三十七才)、下の句とともに小豆島で詠んだ句のひとつです。


島島の眺めよろしきこの島の神
汗も塩となる塩田かせぎの痩せよう
金色に熟れおもたくて落ちたり木の實
遍路行く方麦の穂は光りつづけり
岩に据えて瓢すわりよき山の頂き


   

弟子筋に当たる山東火、放哉については何度も書きました。たとえば、この記事。


散る桜残る桜も放哉忌(意味不明)


岡山後楽園の桜道 posted by (C)kazgこの記事この記事)が、空海を敬慕してその足跡を訪ねたのが西行、西行を敬慕して、その足跡を訪ねたのが良寛だといわれます。
その良寛さんを敬慕した人は、少なくはないでしょうが、その一人が、種田山頭火でした。

山頭火の句「岩のよろしさも良寛様の想ひで」が刻まれた石碑もここに建てられています。

さて、その 山頭火を思い出すと、決まって思い出す自由律俳人に、尾崎放哉がありますが、今日はまさに彼の忌日、「放哉忌」だそうです。

尾崎放哉については、この記事や、この記事や、この記事や、この記事で話題にしました。享年41歳。若すぎます。


一番古い記事がこれでしょうか?


羽毛舞わせて食われる鳥を喰う鳥だ


最近、尾崎放哉の句を斜め読みした影響か、リズムが移ってしまったかも知れません。

昔から、 放哉は好きです。

咳をしても一人 放哉

等は、特に好きです。どんな人生を歩んだ人だったか、など、ほとんど知りませんでした。 吉村昭の「海も暮れきる」は、克明な調査に基づいて書かれていて、彼の生活と句とが不離一体のものとして心にしみこんできます。


その尾崎放哉の葬儀に当たって小豆島を訪ねた井泉水は、こう書いています。


「(略)瀬戸内海の春はほんとうに長閑だった。麦が青く伸ぴてゐる畠も、船の近くに見えた。雲雀の鳴いてゐるのも聞こえた。彼の小豆島も亦、その通りに違ひない。此佳い風景の中にー此春光を待ちあぐんだ末にー彼が死んでしまったとは如何にも残念な事におもはれた。(略)・・・」(「放哉を葬る」(層雲大正十五年六月~八月号))




「層雲」は、後にプロレタリア俳句運動に向かう橋本夢道や栗林一石路らを輩出。興味は尽きません。


麦を詠んだ句をメモしておきます。


ふるさとや麦の穂うるるしんじつに 栗林一石路
勤めの青年麦の穂をあおあおもちくる 栗林一石路
食わぬ野郎にもまばゆいばかりに熟れた麦畑 橋本夢道


夜になって強い雨が降り、今朝は快晴です。


今日はこれにて。


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母の日は花盛り、の巻 [今日の暦]

小学生と保育園児の孫たちが、母の日のプレゼントにカーネーションを贈りたいというので、一昨日、数百メートル離れた近所のスーパーの花屋さんまで買いに行くお供をしました。


ついでにバアバにも、買ってプレゼントしてくれました。


末の保育園児が選んだカスミソウです。


pentaxQと03魚眼レンズで写しておきます。


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それに刺激されたわけでもありませんが、昨日は、草刈り作業のために、妻と郷里まで帰ってきました。途中、形だけ、カーネーションの鉢植えを買っていきました。


一気に気温が上がり、真夏のような陽射しでしたが、湿度は少なくて作業も快適でした。


帰り道、道路脇に、黄色い花が咲き乱れているのに気づきました。あれはたしか、と名前を思い出すのに時間がかかりましたが、オオキンケイギクでしたね。


過去記事でも何度も話題にしています、たとえば2014年の今日(5月12日)の記事。


収獲


人様が不要と見なしたあれこれのジャンク品をいろいろ物色するうちに、こんなレンズに目がとまりました。

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smc PENTAX-M zoom 1:4.5 80mm-200mm

税込み2160円、ジャンク品としては決して安くはありませんが、素人目には悪くない商品のように見えました。
そもそも、単焦点ものならいざ知らず、フィルム時代のズームレンズは、発展途上期で画質が期待できないことになっていますし、老眼のこの目にはマニュアルフォーカスによるピント合わせはとても辛い、、、、と知りつつ、何本か同じようなスペックのものを買ってしまっています。しかし、よく考えると純正もののマニュアルズームレンズは、一本も持っていませんぞ。
「買っても何に使うの?他のマニュアルレンズ同様、滅多に持ち出すことなく収蔵庫の肥やしになってしまうのに。似たようなスペックの、たとえばこの展示棚で2本も買ったTAMRON製のズームレンズは、死蔵していることを忘れたの?」という突っ込みを跳ね返し、買ってみました。
使い道は、①PENTAXQで使ってみる。②AFアダプターを介してKシリーズで使ってみる。という2案が魅力的に思えます。


(中略)

早速、レンズの使用実験。
とりあえず、PENTAXQ7に装着して、その辺をぶらりと散歩してみます。
コンパクト・かわいいの要素を捨て去った、いかめしいスタイルになります。

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AFが使えないのは、やっぱり辛い。望遠だとなおさらです。そして、前にも書きましたが、明るい場所では液晶が見づらくて、液晶フード無しにはピント合わせは無理です。

オオキンケイギク?咲きそろうと見事ですが、特定外来生物だとか。

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このおじゃんクレンズ、最近、断捨離しました。


こんな画像が撮れて、なかなかどうして、捨てたものでもない、と思えたのですが、何しろ重くてかさばり、出番が少ないので、涙を呑んでさようならしました。


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オオキンケイギクについては去年の5月、こんなことを書いています。すっかり忘れていました。


暑かったり寒かったり、晴れたり降ったり、の巻(2)


オオキンケイギクが、日に日に黄金色に咲き広がっています。あまりの鮮やかさに、ついついカメラを向けてしまいます。


過去の記事を探ってみると、この花は毎年のように今の季節の記事に登場します。

たとえば、鍬を探して三千里!の巻の記事。

「オオキンケイギク(大金鶏菊)」も黄金色の花を咲かせています。あたり一面を鮮やかに彩るこの花は、子ども時代には見覚えがありません。在来種にとっては迷惑な、米国生まれの「特定外来生物」だそうです。

オオキンケイギク(大金鶏菊)クローズアップ
オオキンケイギク(大金鶏菊)クローズアップ posted by (C)kazg

オオキンケイギク(大金鶏菊)の群生
オオキンケイギク(大金鶏菊)の群生 posted by (C)kazg

またこんな記事。

花盛りのオオキンケイギクほか、

オオキンケイギク。
野原一面を黄金色に飾るこの花。息を呑むほど鮮やかですが、特定外来生物で、在来環境に害を及ぼしているらしい。と知って幻滅しておりましたら、なんとこの花から抗がん剤の成分が発見されたとか、、、去年の「毎日」(6/30)にこんな記事がありました。

全国の河川敷などで在来野草の生態系を壊し、厄介者となっている特定外来生物「オオキンケイギク」の花に、抗がん作用のある物質が含まれていることを、岐阜大工学部の纐纈(こうけつ)守教授らが突きとめた。論文は今月、エルゼビア社(オランダ)発行の医薬品化学分野の学術誌に掲載された。研究室は、製薬への応用を目指している。

https://mainichi.jp/articles/20160630/k00/00e/040/228000c

オオキンケイギクから抽出された抗がん有効成分は、「4−メトキシランセオレチン」という物質だそうです。さてその続報は、今のところ見つかりません。さらなる朗報を期待したいところです。

 


 


昨日の夕方のプチ散歩で、今年もいっせいに咲いていることに気づきました。


やはり魚眼レンズで撮影しました。


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タンポポが、あたり一面に綿毛を飛ばしています。


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麦刈りが始まったようです。


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水路に初夏の空が映って清々しく感じます。


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我が家の庭の隅に、今年も可愛いバラが咲きました。ずっと以前、ご近所さんいただいた小枝の挿し木が大きく育ち、毎年忘れずに咲いてくれます。


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今日は、こんな行事に参加する予定です。



きょうはこれにて。


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今日は何の日?の巻 [今日の暦]

4月の番組編成替えで、早朝のラジオ番組も様子が変わったようです。NHKの「「マイあさラジオ」と称していた番組が「マイあさ!」に呼称変更になったのかな?名称は変わっても「今日は何の日」のコーナーがありました。


第一に挙げられたのが、「国家総動員法」公布。1938年の今日のこと。 国民生活の全てが国家の統制下に置かれました。


第二に紹介されたのは、1989年の今日、 初の大型間接税としての消費税導入。3%で始まり、その後5%、8%に引き揚げられ、今度は10%ですと?

エイプリルフールとはいうものの、どちらも悪いジョークですね。


来年以降、「今日は『令和』への改元の日」、という一行が加わるのですか?


さすがウィキペディア。出典についてこんな紹介をしています。


「令和」の出典は『万葉集』巻五の「梅花謌卅二首并序(梅花の歌 三十二首、并せて序)」にある一文。以下に、原文、書き下し文、現代日本語訳の一例、および、題詞を表す。
《原文》 ※約物は後世に調整された形。※太字は新元号に採用された字。

    于時、初春月、氣淑風、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。

《書き下し文》 ※ここでの読みは文語とする。
時に、初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。

《現代日本語訳の一例》 ※太字は新元号に直接関わる語。

    時は初春の令月(※すなわち、何事をするにも良き月、めでたい月)、空気は美しく(※『初春』の『令月』を受けての解釈では、瑞祥の気配に満ち)、風は和やかで、梅は鏡の前の美人が白粉で装うように花咲き、蘭は身を飾る衣に纏う香のように薫らせる。

(中略)
上野誠(万葉学者、奈良大学教授)によると、この詩が詠まれたのは、大伴旅人の大宰府の邸宅で催された「梅花の宴」だと言う。それは天平2年1月13日(ユリウス暦730年2月4日)に催され、大宰帥であった旅人の邸宅は、政庁(第二期)の北西にある坂本八幡宮(現・福岡県太宰府市、地図)付近と考えられている。


「平成」は日本人が戦争で殺し殺されることのなかった時代。「令和」もまたそれが続いて、「よき和やかな」時代であってほしいものです。


それにしても、初めて出典として国書を採用した、と話題になってますが、なんとも、こじつけっぽいですね。一文のなかに、この二文字がたまたま出てくるというだけのことで、「令」と「和」との間には何の意味的関連も脈絡もないわけですから、これで「出典」と呼ぶことすらも抵抗を覚えますがね。


大伴旅人については、当ブログでも何度か話題にしたことがありますが、そう言えば、2015年の今日(4月1日)こんな記事を書いています。


貸切の桜並木に春の雨


4月になりました。
年度が変わり、世の中では、新たな生活が始まっている事でしょう。
隠居者の私は、とりあえず朝の散歩に出かけました。
予報通り朝から雨、時折風も出て、「花に嵐」の風情です。

いつもの散歩道のソメイヨシノが、 日増しにほころびを増しています。

春雨に濡れるソメイヨシノ

春雨に濡れるソメイヨシノ

(中略)

去年もこの記事で紹介した大伴旅人と西行の歌碑が、桜の花につつまれています、

ソメイヨシノの花と大伴旅人、西行の歌碑

農業用水が流れる小川の対岸が桜並木。手前には菜の花が自生しています。

春雨に煙る桜並木と菜の花


今年は早くから暖かくなっったので例年よりサクラが早いだろうと言われてましたが、こうして見比べてみると、この年よりも遅いかも知れません。


昨日今日と、ビールの適温よりも冷たい朝が続きます。


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旅人の歌碑がある樋門の辺りは、日当たりがよいせいか、例年通り他の場所より早く開花が進んでますが、、、


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散歩道の桜並木は、全体としてまだツボミがふくらみ始めたばかりの状態です。これは昨日の朝の写真で酢が、今日も冷たい雨風で、大きく進んではいないでしょう。


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今日はこれにて。


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ふたつの菜の花忌??の巻 [今日の暦]

今日は「菜の花忌」


「デジタル大辞泉」などによると「司馬遼太郎の忌日」とあります。


菜の花忌(読み)ナノハナキ

デジタル大辞泉の解説

なのはな‐き【菜の花忌】

司馬遼太郎忌日2月12日菜の花を好んだこと、また作品「菜の花の沖」があることによる。


他方、「デジタル大辞泉プラス」には、上記にプラスしてこう解説されています。


菜の花忌
浪漫派の詩人、伊東静雄の忌日。3月12日。
菜の花忌
歌人、前田夕暮の忌日。4月20日。

前田夕暮はおくとして、司馬遼太郎と伊東静雄、同じく今日が忌日で、ともに「菜の花忌」と称するそうです。


司馬遼太郎の没年は1996年(平成8年)、伊東静雄は1953年(昭和28年)ですから、元祖は伊東静雄ということになりますか(笑)


伊東静雄を紹介するHPに、菜の花忌についての記事があります。


詩人伊東静雄が没したのは、昭和28年3月12日であった。
郷土諌早では、上村肇を中心とした文学関係者が、伊東静雄の詩風の典雅と人格の高風を欽慕して詩碑の建立が計画され、全国の文化関係者に詩碑建設の趣意書が発送されたのは、昭和29年1月である。
その趣意書に名前を連ねた主な賛助者は、林富士馬(詩人)、蒲池歓一(詩人)、野田宇太郎(詩人)、桑原武夫(京大教授)、保田与重郎(作家)、富士正晴(詩人)、小高根二郎(詩人)、庄野潤三(作家)、佐藤春夫(作家)、三好達治(詩人)、川副国基(早大教授)、田中克己(詩人)、清水文雄(詩人)、北村徳太郎(代議士)を始めとする25名であった。
やがて全国から浄財が寄せられ、昭和29年11月23日建立の除幕式が挙行された。除幕式には、伊東花子未亡人、令姉江川ミキ氏、蒲池歓一氏、松永伍一氏、丸山豊氏他多数の文学関係者の来席を見た。
「菜花忌ーさいかきー」第1回が始まったのは、昭和40年3月、伊東静雄13回忌からであり、その後「菜の花忌」とやさしく呼ばれるようになった。


伊東静雄についてウィキペディアは詩人としての出発点をこう記述しています。


1935年(昭和10年)処女詩集であり代表作『わがひとに与ふる哀歌』を発行し、萩原朔太郎から「日本にまだ一人、詩人が残っていた」と賞賛を受け一気に名声を高めた


同時代作家達からの評価や、影響を受けた作家達への興味は尽きませんが現代作家の第一人者大江健三郎の短編「火をめぐらす鳥」(1991年)では、伊藤静雄の詩「鶯」高校時代に読み《身体の芯に火の玉があり、その熱でシュッシュッと湯気のたつような涙が噴出するのに、茫然と》した思い出を語っています。「火をめぐらす鳥」はまさしくこの詩に触発された作品で、その締めくくりの部分に、伊東静雄のこの詩から次の一節を引用しています。
「私の魂」といふことは言へない
その証拠を私は君に語らう


私も、伊東静雄の詩は高校時代読んだ記憶はありますが、「鶯」という作品は、あいにく印象に残っていません。私の記憶に残っているのはこの詩です。


自然に、充分自然に


草むらに子供は※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)く小鳥を見つけた。
子供はのがしはしなかつた。
けれども何か瀕死に傷いた小鳥の方でも
はげしくその手の指に噛みついた。

子供はハツトその愛撫を裏切られて
小鳥を力まかせに投げつけた。
小鳥は奇妙につよく空を蹴り
翻り 自然にかたへの枝をえらんだ。

自然に? 左様 充分自然に!
――やがて子供は見たのであつた、
礫のやうにそれが地上に落ちるのを。
そこに小鳥はらく/\と仰けにね転んだ。

(青空文庫より)


司馬遼太郎は、はるかにポピュラーでしょう。テレビドラマや映画の原作としても、沢山の有名作品が残っています。


司馬遼太郎記念館のHP菜の花忌について書かれたページがあります。


2月12日は司馬遼太郎の命日「菜の花忌」です。司馬遼太郎は野に咲く花、とりわけタンポポや菜の花といった黄色い花が好きでした。『菜の花の沖』という長編小説があることにも由来します。

記念館の書斎の前には、直径1メートルほどのヒューム管があります。司馬遼太郎はここに菜の花を植え、春の開花を楽しみにしていました。このあたりは、小さいながら雑木林風の庭になっていて、今も同じようにボランティアの皆さんが菜の花を植え、来館者をお迎えしています。

また、この日の前後には、1997年以来、毎年、東京と大阪交互にシンポジウムや講演会を開いています。会場に全国から贈られる菜の花約3500本が飾られ、終了後、入場者にお配りするのが恒例になりました。記念館やその周辺の道路にも菜の花が飾られ、この日の来館者にプレゼントしています。


二つの「菜の花忌」は、創始者争いに陥ることなく、平和的に共存しておられるようです(笑)。前掲の伊東静雄HPの菜の花忌のページの続きです。


時は流れ第34回の「菜の花忌」には一つのメッセージが寄せられた。「ようやく司馬遼太郎の書斎の前の庭にも菜の花が咲き始めました。同じ野花を愛された詩人の魂にこの花をささげます。」発信者は司馬遼太郎夫人、福田みどりさんだった。


今日のプチ散歩で見かけた菜の花です。(正確には野菜の花)


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梅の花。


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野の花。タネツケバナ?


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ムクドリ。


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ハクセキレイ。


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コガモ。


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コガモの群れがほとんどいなくなりました。


今日の付録。スズメです。


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今日の画像は、PENTAXK30+KENKO ミラーレンズ 400mm F8。少しでもコンパクトなお散歩カメラを探る、果てなき実験はつづきます。


きょうはこれにて。


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またまた3月10日に思う、の巻 [今日の暦]

今日は3月10日。昨日の記事で東京大空襲に触れました。


so-netブログの先輩、ChinchikoPapa様の最新記事に、その日の空襲被爆の模様が、息詰まるドキュメンタリーのように迫真的に描かれています。無断でリンクを貼らせて戴きます。


1945年3月11日のヴァイオリンソナタ。


こんな記事が満載です。


当時、防護団の防空・防火訓練で必ず唄われた歌に、『空襲なんぞ恐るべき』Click!というのがあった。親父も、ときどき嘲るように口ずさんでいた歌だ。
1 空襲なんぞ恐るべき/護る大空鉄の陣
老いも若きも今ぞ起つ/栄えある国土防衛の
誉れを我等担いたり/来たらば来たれ敵機いざ
2 空襲なんぞ恐るべき/つけよ持場にその部署に
我に輝く歴史あり/爆撃猛火に狂うとも
戦い勝たんこの試練/来たらば来たれ敵機いざ
陸軍省と防衛司令部の「撰定歌」として、全国の防空・防火訓練で必ず唄われていた。この勇ましい歌に鼓舞され、東京大空襲で消火を試みようとした人々は、ほぼ全滅した。


記事の核心は、翌11日のこと。


燃えるものはすべて燃えつくし、ようやく延焼の火も消えつつあった翌3月11日、19歳の少女が巣鴨の住居焼け跡の防空壕からヴァイオリンケースを抱えながら、ひたすら日比谷公会堂をめざして歩きはじめた。


東京大空襲の翌日、日比谷公会堂で催された巌本真理(メリー・エステル)の演奏会。珠玉の映画の一シーンのように、胸に迫ります。




朝から冷たい雨です。


かなり本格的な降りになっています。


今日の散歩は、スーパーやホームセンターの店舗内を、物色しながら歩く程度。せいぜい4000歩といったところですが、傘を差して外歩きをする元気はありません。


ちょっとだけ家の周りを歩いてみました。


我が家の玄関先のボケ。


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散歩道のコブシの花が開き始めています。


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この桜は、品種は何でしょう?


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ニホンスイセン。


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今日はここまで。


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東京大空襲に思いを馳せる、の巻 [今日の暦]

久しぶりに、早乙女勝元さんのお姿を拝見し、感慨を覚えました。


朝日新聞DIGITAL3月8日付のこの記事にリンクを貼らせて戴きます。   一部引用します。


「焼夷(しょうい)弾攻撃だけで一夜にして10万人もの人が亡くなったというのは、核兵器の被害と何ら変わらない。通常の火薬兵器でも核並みの被害を出すんです」。そう語るのは、作家の早乙女勝元さん(86)。館長を務める東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)によると、原爆被害を除く全国の空襲による民間人の死者数は、東京23区と約530市町村で推定約20万3千人に上る。2014年11月に地域史を調べて積み上げた数字で、これは二つの原爆で亡くなった犠牲者(広島14万人、長崎7万人)に匹敵するという。

(中略)

1970年に発足した「東京空襲を記録する会」に、早乙女さんは発起人の1人として加わった。背景にはベトナム戦争があった。60年代後半、沖縄の米軍基地を飛び立ったB52爆撃機がたびたび北ベトナムを空爆。下町で反戦集会に携わるなか、教科書では広島・長崎の原爆に触れても、東京大空襲の無差別爆撃に関するくだりはほとんどないことに気づいた。首都最大の受難史ともいえる惨禍の記憶を後世に伝えたい。その思いは「記録する会」の結成につながった。


ほんの先日、映画「あの日のオルガン」を観て、東京大空襲に思いを馳せたばかりでした。


平穏な日常こそがしあわせ、の巻


ところで、東京大空襲については、2015年に、こんなことを書いています。


昨日の「今日の暦」ーーー3月10日のえとせとら


1945(昭和20)年3月10日未明、米軍の約300機のB29爆撃機による空襲により、都内で26万戸以上の建物が焼け、100万人以上が罹災、およそ10万人が犠牲となりました。(中略)

この残虐な空襲を指揮したのは、米海軍のカーチス・ルメイ将軍でした。のちのベトナム戦争では、空軍参謀長として、「(北)ベトナムを石器時代に戻してやる」と豪語して北爆を推進した人物でした。

1964年航空自衛隊創立10周年に来日した彼に、こともあろうに、日本政府は、航空自衛隊の戦術指導に対する功績を称えて勲一等旭日大綬章を授与したのでした。これが象徴するように、長期にわたって政権に君臨する日本の歴代保守政権は、東京大空襲を初め、その後日本全国に及んだ空襲・空爆(わが岡山市は、6月29日未明、空襲を受け、市内が焦土と化しました)と、その極致としてのヒロシマ・長崎の原爆投下による被災について、その真相を明らかにすることに消極的です。

他人を恨まないサムライ精神の美徳なのか、それともジャイアンの無法を、常に無条件に賞賛受容するスネ夫精神の発露なのか?

ご自身の体験と、綿密な取材をもとに「東京大空襲」(岩波新書)、「東京が燃えた日―戦争と中学生」などの著者で、作家・児童文学作家の早乙女勝元(さおとめ かつもと)さんは、12歳でこの大空襲を経験されました。
3月10日付の朝日新聞デジタルが、近影とともにインタビュー記事を掲載していました。

政府・行政当局が消極的ななか早乙女さんは「東京空襲を記録する会」を結成し、東京大空襲の惨状を掘り起こし次世代に語り継ぐとりくみに中心的役割を果たしてこられました。この「東京空襲を記録する会」を母体に、2002年、「東京大空襲・戦災資料センター」が東京都江東区にオープンし、とりくみを継続しています。

江東区と言えば、大空襲の被害が最も大きかった地帯の一つです。私も若い頃、ホンの一時期、江東区の下町に住んでいたことがありました。 よちよち歩きだった子ども二人を遊ばせた公園にも、黒く焼け焦げた遺体がうずたかく積まれたと記録されており、ゆるがせにできない身近な出来事と感じたことでした。

東京が燃えた日―戦争と中学生 (岩波ジュニア新書 (5))


 


2013年の9月に書いたこの記事でも早乙女勝元さんを話題にしました。


昨日の「今日の暦」---「パパママバイバイ」のこと


この事件(注 1977年9月27日の横浜米軍機墜落事件)を描いた「パパママバイバイ」の原作者の早乙女勝元さんは、東京大空襲の実体験者で、学生の頃も何回か、そして就職してからも別の土地で、講演をお聞きする機会があり、そのたびに感銘を受けました。静かな語り口の中にも、平和への切実な希求と楽天的な勇気がみなぎるお話が、印象に残っています。

パパママバイバイ (子ども平和図書館)

パパママバイバイ (子ども平和図書館)

もはや、講演の内容は細切れにすら思い出せませんが、ただ一つ、確か小林多喜二を引き合いに出してでしたか、「私は、あるいは、凶暴な肉体的暴力に対して、耐え抜くことはできないかも知れない。でも、日常生活の中で求められるささやかな勇気を、自分なりに発揮することならできると思う。」というような趣旨のお話は、長い間私自身への戒めとなったことは確かです。
この事件を題材に、以前私が勤めていた高校の演劇部が、創作劇として演じたことがありました。手元の資料を探ってみると、1982年のことでした。「ハトポッポのうた」という題名で、中国大会にまで出場しています。墜落事故によって大やけどを負い、ついには息を引き取った林裕一郎君(当時3歳)がいまわの際に残した言葉が「パパママバイバイ」でしたし、弟の康弘ちゃん(当時1歳)も、「ハトポッポ」の歌を口ずさみながらあと追うようにして亡くなったのでした。「ハトポッポのうた」は、このエピソードに基づいてつけられた題名でした。

(中略)


 


思えば、他でもなく、私の父も空襲体験者で、以前、その旨を地元新聞に投稿した話題は、この記事で紹介しました。


家族3題(代)噺、の巻


父の新聞投稿を再掲させて戴きます。


若者に絶対駄目と願いたい

○○○○ 91 (美作市)

年を重ねても昔のことはよく覚えている。 「欲しがりません勝つまでは」と教育された。国民学校高等科2 年で卒業して、東京の軍需工場へ就職した。 先輩の指導を受けて、油だらけになり懸命に働いた。会社には私立の青年学校があり、ほとんどが軍事教練だった。
戦争は激しくなり、東京の空には毎日のよぅに米軍機が偵察に来るようになった。19 45年3月10日、東京大空襲があり10万人以上の人が命を失った。 5月25日の大空襲では、庭の防空壕に避難したのでみんな助かった。が、工場も寄宿舎も丸焼けになったので命からがら田舎へ帰った。
8月には広島、長崎に原子爆弾が落とされ大勢の人が亡くなった。あと1年も戦争が続いたら徴兵検査を受けて軍隊に入り、現在の自分がなかっただろぅと思うと戦争の恐ろしさをつくづく思う。
あのひどい戦争の状況を知る人が少なくなった今、戦争を知らない若い人に、戦争は絶対駄目だと強くお願いする。


たまたま難を免れて無事であったからこそ、今私が存在し得ているのだと思えば 、なおさら他人事とは思えません。




今朝は、冷え込みました。玄関先につるした温度計を見てみると、ほとんど0度でした。朝食のパンを切らしていたので、近くのコンビニまで歩いて買いに出ました。


天空には、星が瞬いています。


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雑木林と見えるのは、ソメイヨシノの桜並木です。蕾がふくらむのはいつの頃になるでしょうか。


PENTAXk30+TAMRON AF18-250mm F/3.5-6.3 Di II
LD Aspherical [IF] MACRO で写しました。


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こちらは、OLYMPUS E-PL7+M.ZUIKO 17mm 2.8。


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晴れた夜明けです。


午前中、所用がありましたが、時間調整のため寄り道をしてみました。


河津桜が咲きそろっています。


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ヒヨドリが花と戯れています。


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けたたましい囀りです。


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カワラヒワも沢山います。モミジバフウの実をついばんでいるようです。


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ツグミ。


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黄色いスイセンが群れ咲いています。


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昼間は、熱いほどの陽射しでした。


午後、小5の孫は、友達と一緒に、魚をすくいにアミとバケツと長靴をもって小川に出かけ、妹たちもついて行って遊んだようです。帰ってきて、今度は近所の公園や我が家を遊び場に、元気に楽しんでおりました。


今日はこれにて。


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啓蟄雑話、の巻 [今日の暦]

今日は啓蟄


去年書いた記事をコピペします。


啓蟄にちなんで穴の鼠を思う,の巻


去年の啓蟄の日、こんな記事を書きました。
啓蟄や這い出る虫も命がけ、の巻

今日は啓蟄だそうですね。
過去にも、この日にちなんだ記事を、何度か書いていますので、能書きはほどほどにいたします。
啓蟄や律儀な虫は凍えたらん
啓蟄雑話
ウィキペディアにこうあります。

啓蟄(けいちつ)は、二十四節気の第3。二月節(旧暦1月後半から2月前半)。「啓」は「開く」、「蟄」は「虫などが土中に隠れ閉じこもる」意で、「啓蟄」で「冬籠りの虫が這い出る」(広辞苑)という意を示す。春の季語でもある。

毎年、同じようなことばかり思いつくものですが、今日は漢字にこだわってみます。「蟄」は画数も多く難しい漢字ですが、「虫」に関係ありそうなことはなんとなくわかります。
ところで、最近話題の「改ざん」の、「ざん」てどんな漢字だったっけと、気になり始めたのは昨日のこと。たしか「ネズミ」を含んでいたよな。ネズミが大事なものを思うままにかじって、変形させてしまうイメージだったっけ?等と思い巡らし、あとで確かめてみようと思ったまま、今朝になりました。
なんと、何気なく目を通していた今朝の『しんぶん赤旗』に、こんな記事を見つけました。

穴と鼠の合体でした。とてもこの字はそらでは書けません。


森友問題と言えば、ちょうど籠池サンの公判が大阪地裁で開かれるそうです。


HUFFPOSTの記事を引用します。


森友学園の籠池泰典・前理事長「安倍首相はエセ保守」元NHK記者の ..

学校法人「森友学園」(大阪市)の前理事長、籠池泰典被告(66)と妻の諄子被告(62)に対する補助金詐欺事件の初公判が3月6日、大阪地裁である。

籠池夫妻は国や大阪府、大阪市の補助金をだまし取ったなどとされる詐欺や詐欺未遂罪に問われている。

裁判に先立ち、籠池夫妻は単独取材に応じ、「安倍首相の関与を隠すための国策捜査だ。勝たないかん」と全面的に争う姿勢を鮮明にした。

インタビューの中で、泰典被告は一連の問題が発覚する前、小学校で使う副読本を安倍晋三首相側に渡していたことや、昭恵夫人から100万円を寄付された際、昭恵夫人から「内緒に」するよう口止めされたことも明らかにした。

かつては信奉していた安倍首相を「エセ保守だ」と指摘。その上で、「保身のために我々を切り捨てた。国民もだまされている。退陣するまで闘う」と「宣戦布告」した。


森友問題における「捏造、改竄」の概要は頭に浮かびますが、はて、厚生労働省の地下資料って何でしたっけ??


目下、国会で追及中の毎月勤労統計改竄のことではないですよね。


ああそうでした。こんなこともありましたっけ。


https://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000121538.html


野党議員が厚生労働省を訪れ、当初、「なくなった」とされながら、その後に見つかった労働時間の調査票の原本を確認しました。

自由党・森ゆうこ参院議員:「ロッカー探したけどなかったという話自体が嘘!嘘ですよ、これ見れば」
厚生労働省職員:「手元にないということで大臣には報告をしていたと。改めて倉庫を確認したら出てきたと」
厚労省の地下倉庫で見つかった労働時間に関する調査票の原本は段ボール32箱分で、野党議員は「枚数から考えてもすぐに見つかるはずで、時間稼ぎをしていたのでは」と追及しました。しかし、厚労省側は「手元に資料がない」と倉庫で見つけた時期などは明らかにしませんでした。野党側は与党に対し、働き方改革関連法案の今国会での提出を見送るよう求めています。


お得意の「隠蔽」の典型例ですね。


捏造、改竄、隠蔽---現政権のもとで、日常茶飯のように、余りに頻繁に事例が露呈しますので、慣れっこになって、いちいち思い出せなくなっています。


今回の毎月勤労統計不正も「虚偽であっても隠蔽ではない」ですって?産経新聞正論の2月27日付記事にはこうありました。


厚生労働省の「毎月勤労統計」の不適切調査問題で、厚労省の特別監察委員会が27日に公表した追加報告書は、組織的にも個人的にも隠蔽(いんぺい)を図ったことを再び否定し、「虚偽の説明」と矮小(わいしょう)化した判断を下した。結論や大筋の事実関係は1月に出された報告書とほぼ同じ。法律論を駆使して、厚労省側をかばったとも受け取れる内容の乏しい報告書となっている。


二つの特別監査委員会の報告書について毎日新聞(2月27日付)にこんな対照表が掲載されています。


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第三者性、中立性の担保を標榜して構成された新しい特別監査委員会の樋口美雄委員長が、まったく第三者でも中立でもなく、限りなく厚労省側に立つ人物であることは、困ったものです。今日付の「しんぶん赤旗」に掲載の図表が雄弁に語っています。


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昔、田中角栄の時代、「五つの大切、十の反省」なるものが道徳教育の眼目に掲げられたことがありました。


「五つの大切」
1 人間を大切にしよう
2 自然を大切にしょう
3 時間を大切にしよう
4 モノを大切にしよう
5 社会を大切にしよう
「十の反省」
1 友達と仲良くしただろうか
2 お年よりに親切だったろうか
3 弱いものいじめをしなかったろうか
4 生き物や草花を大事にしただろうか
5 約束は守っただろうか
6 交通ルールは守っただろうか
7 親や先生など、ひとの意見をよく聞いただろうか
8 食べ物に好き嫌いを言わなかっただろうか
9 ひとに迷惑をかけなかっただろうか
10 正しいことに勇気をもって行動しただろうか


金権体質の芬々とするおまえさんだけには言われたくない、と当時、教育に関わる人たちはみんな思ったものでした。


でも、今思えばまだマシだったと思えてきます。


アベ内閣のもとで、「道徳の教科化」がすすめられ「国や郷土を愛する態度」「愛国心」が強調されてますが、まったく、おまえさんだけには言われたくないのです。


「東洋経済online」の この記事(2018/05/16)が、考えさせられます。


学習指導要領には教えなければいけない価値として、「徳目」とも称される22の項目が設定され(高学年の場合)、それらの項目を元に教科書は編纂される。さらに、文部科学省は学習指導要領解説の中で、各項目に対する解説を細かに行っている。
たとえば、「善悪の判断、自律、自由と責任」という項目は、小学校1年生、2年生では「よいことと悪いこととの区別をし、よいと思うことを進んで行うこと」、3年生、4年生では「正しいと判断したことは、自信をもって行うこと」、5年生、6年生では「自由を大切にし、自律的に判断し、責任のある行動をすること」と、解説されている。

実際に2年生の道徳の教科書「小学どうとく」(教育出版)をひらくと、「つよいこころ」というタイトルの読み物では、「ゆう気を出すとき」の一例として「なかまはずれの子に声をかけるとき」などが書かれている。さらに、「学びの手引き」として「みなさんがゆう気を出すときは、どのようなときでしょう」「それぞれのゆう気では、何がちがいますか」「ゆう気を出すためには、何がひつようなのでしょうか」など、その価値(規範)を学ぶための問いが設定されている。

ただ、問いがあるということは答える機会があるということである。そして問いに対する回答は評価の対象になる可能性が高い。しかしどうやって彼らの「道徳的判断」を評価するというのだろうか。「発言」や「行動」に現れない心の動きこそが道徳において重視されるべきであろうし、それぞれの状況や個別具体的な場面によって判断の価値も異なる。それを一律に評価することなど誰ができるだろうか。

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子どもたちに、市民的社会的なモラルを身につけさせることは、子育て・教育の重要な柱でしょう。親、社会、学校が、それぞれの役割に応じて、その仕事を担うことは当然ながら必要です。でも、それは、あれこれの徳目を注入することによって達せられるものではありません。戦前戦中の「修身」が、御国のために喜んで命を捧げる「少国民」=軍国少年・少女を育てあげることに寄与した例を挙げるまでもなく、評価を伴う「道徳の教科化」は、アブナイ道です。ましてや、アベ政権のもとでそれが進められていることは、とても我慢ができません。
強者には媚び、へつらい、見苦しく尻尾を振ってすり寄るけれど、弱者にはうって変わって強圧、強要、脅迫、贔屓をもって対応し、忖度を最高レベルの道徳として蔓延させ、上から下まで、虚偽、言い逃れ、捏造、改竄、隠蔽を常套手段とする「ミニクイ国ニッポン」を形づくった張本人に「道徳」を語って欲しくはありません。


週刊朝日 3.15号 室井佑月さんのコラム「しがみつく女」連載497回にこんな記事がありました。深く納得させられます。


毎月勤労統計のデタラメ調査について、2月22日付の朝日新聞デジタル「官僚への支配強める長期政権 森友・加計と似た『忖度』」という記事が載っていた。
だよね、みんなそう思う。直接的に安倍首相の命令があったのかどうかは不明だけど、ぜんぶ安倍さんの都合が良いように物事が不正に進められている。

森友学園問題は、学園の前理事長が、安倍首相の熱烈な支持者だった。そして、安倍さんの奥さん、昭恵さんが、学園が作ろうとしていた小学校の名誉校長になった。財務省は国有地をタダ同然で学園に売り、公文書も改ざんした。地中深くにゴミがあったという嘘までついて。当時、理財局長だった佐川氏は、国会で売却の経緯を聞かれ、誰かさんをかばって虚偽答弁をした疑いがある。
加計学園問題は、学園の理事長が安倍さんの親友。行政をゆがめ、新たなルールのもと、むりくり愛媛県の今治市に獣医学部が作られた。このときは内閣府が「総理のご意向」と文部科学省に伝えた文書が出てきたんだ。柳瀬・元首相秘書官が、誰かさんの命を受けたのか、学園関係者と面会し、競合する学校に勝てるようレクチャーしていた。
そして、毎月勤労統計問題。厚生労働省が中江・元首相秘書官の意見を受けて、有識者検討会の結論を変えた。その証拠のメールが出てきても、中江氏は「記憶にない」と苦しい言い訳。
こらっ、なんでそんなことした? 誰かさんが、アベノミクスがうまくいき、国民の賃金は上がっている、そういいたがるからでしょ。誰かさんのために、調査法をこっそり変えて、数字をごまかしたんじゃね?
ひょっとして、官僚たちが誰かさんを守るのは、誰かさんが怖いから?
2014年に内閣人事局が出来、政権が官僚人事に口を出せるようになった。
不正を犯してもあの人のために動けば出世し、逆に既存のルールを厳格に守り、あの人に意見をいうような人は出世できない。
出世できないどころか、前川(元)事務次官のように、卑劣な嫌がらせを受ける。
不正をし、嘘をつき、あの人をかばった官僚が、その後、社会的に良いポジションに収まっていたりすると、腹が立つ。

(中略)

官僚たちの「忖度」・・国民全体の奉仕者である公務員が、一部の人間を優遇すること自体が大問題。しかし、官僚たちをそうゆう立場に追い込み、操っている安倍首相と安倍内閣こそが『諸悪の根源』である。


昨日は、郷里へ。暖かいを通り過ぎて、暑いほどの陽射し。


啓蟄の名に恥じず、虫が元気に活動していました。


ヒラタアブとハコベの花。


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ヒメオドリコソウ。


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オオイヌノフグリ。


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庭の馬酔木の花。ようやくほころび始めています。


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庭の山茶花。冬の寒い頃から咲いています。


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隣の庭の椿。家の主は、長く療養中で、ずっとお留守です。ご近所には、そんな空き家が目立ちます。


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啓蟄の今日は、一日冷たい雨でした。


国会中継、途切れ途切れに聞きました。


考え方は別として、国のトップの方々に、人間的立派さをもとめたくなるのは人情というものでしょう。それだけに、首相はじめ、国権の中枢の面々の、誠意のなさにがっかりして気分が落ち込みます。


夕暮れ頃になって、若手の辰巳コータローさんと、吉良よし子さんの質問を聞き、思わず目頭が熱くなりました。


辰巳さんは、厚労省隠蔽問題と、森友問題を追及していました。当事者達が、もう、闇に葬ったつもりのこの問題。うっかり関心が薄らいでいた自分に気づきます。しつこく、粘り強く解明するのは、現代を生きる私たち国民の責任。


「毛利家の正月儀式」の言い伝えのごとき執念深い追及を忘れてはならないと、改めて思うのです。ウィキペディアの記事を参照します。


巷説の一つに、新年拝賀の儀で家老が「今年は倒幕の機はいかに」と藩主に伺いを立て、藩主が「時期尚早」と答える習わしがあったとの俗話が知られる。昭和2年(1927年)、歴史学者の井野辺茂雄が『幕末史の研究』において、毛利家の家史編纂者である中原邦平から聞いた話として著作に紹介している。井野部の記述では、毎月元日、諸藩士が登城する前に藩主が「もうよかろうか」と言い、近臣が「まだお早う御座います」と返すというものであったとしている。ただしこれは古老による伝承であると断っており、「後世にはなかった」としている


同じ長州のアベさんです。「森友の義はいかに」と問い続けねばなりますまい。


辰巳さんにちづく質問者は、吉良よし子さん。奨学金返済に苦しむ学生・青年の思いを代弁して、政府に迫ります。ガンバレ吉良さん。


これって、中立・独立?いえ、いえ、もちろん、贔屓ですとも。私、すっと前から、吉良さんファンですから。


これらの記事参照。


これでまた病気自慢に箔がつき


開票速報見ながらの夜更かしでしたが、熟睡できました。
選挙結果も、自民圧勝はいただけませんが、対抗の受け皿がほかになく、共産党への期待につながったというのは、わかりやすくて大変結構。
東京の吉良よし子さん、キラキラしていてまぶしいです。学生時代、この人のお母さんは、私たち夫婦の共通の友人でした(もちろん、みんな未婚でしたが)。


まわり道してつづき聞くカーラジオ


昨日、一昨日に下書きしておいたブログ記事の仕上げ二時間を費やした後、かかりつけ医に向かう道すがら、カーラジオから国会中継が聞こえていました。各党代表が短時間質問する参院本会議決算質疑の中継で、ちょうど共産党の吉良よし子さんの質問が始まりました。
以前この記事に書きましたが、吉良さんは学生時代の友人の娘さんですので、その活躍は、他人事とは思えません。

(中略)

限られた時間に、国民の思いを余すところなくぶつけようとの思いの強さからか、少し硬調で早口の、読み上げ口調ですが、憲法、暮らし、雇用、働き方、年金・社会保障、南スーダン等々の重大問題を、理路整然と、淀みなく、しかも意志強く追及していました。新入社員の高橋まつりさんを自殺に追いやった過労とパワハラの問題、ライフワークのブラック企業、不安定雇用の問題など、若者に未来への希望を持たせない日本社会のあり方への追及は、抑えた口調ながら迫力満点で、要所要所でうんうんとうなずきながら聞きました。涙腺が強く刺激され、視界がかすむこともしばしばでした(アブナイアブナイ)。そのままでは質問途中で病院へ着きますので、あちらこちら遠回りをして終わりまで聞きました。
それにしても、アベ氏の聞く態度も、答弁内容も、いつものことながら、質問者を、つまり国民を軽んじているとしか思えない不真面目なもので、憤慨に堪えません。


これって脅迫じゃないですか?の巻


一昨日の記事で、吉良よし子議員の参院本会議質問を話題にしました。
日本共産党の「しんぶん赤旗」webペ-ジに紹介記事がありましたのでカクサンさせていただきます。なお、私は、吉良議員のお母さんが学生時代の友人である縁から、その娘のよし子ちゃんのファンです。
一部だけ引用します。

写真

日本共産党の吉良よし子議員は28日の参院本会議で2015年度決算報告への質問に立ち、雇用や社会保障、安保法制の本格運用をめぐる安倍晋三首相の姿勢をただしました。首相は従来の立場に固執して、まともに答えませんでした。

吉良氏は、若者が安心して働き子育てできる社会にしなければ景気もよくならず、「日本に未来はない」と述べ、雇用や社会保障の抜本的な改善を求めました。

雇用について、吉良氏は、大手広告代理店・電通の新入社員が過労自殺した労災事件にふれ、「若者の命をも奪う『ブラック企業』は絶対になくさなければならない」と強調。安倍内閣が法案を提出している裁量労働制の拡大や「残業代ゼロ」制度は、過重労働を合法化したい大企業の要望を取り入れたものだとして撤回を求めました。

吉良氏は、「年金カット法案」について、「公的年金に頼る高齢者に痛みを強い、若い世代の将来不安も増すばかりだ」と批判。廃案を求めました。 (以下略)

特に年金カット法案の追及のくだり「「公的年金に頼る高齢者に痛みを強い、若い世代の将来不安も増すばかりだ」。よく言うてくれたと目頭が熱くなりました。高齢者と若者世代を対立・分断させといて、両方をひっぱたいで搾り取るアベ流を、若者自身の言葉でズバリ斬ってくれました。
アベさん、こうも言ってのけたそうですね。
「決して皆さんの信用が上がることはないですよ、はっきり申し上げて」
「それで民進党の支持率が上がるわけじゃない」
またまたヤクザか居直り強盗の脅し文句!世界に先駆けてのトランプ詣でを決行して忠犬ぶりをアピールし、元のご主人様のオバマさんからも、世界の心ある人々からもケーベツされていることもご存じなく、国の本当の主人である国民に対しては、傲岸不遜の奢りよう、、、いずれ「過去の人」として歴史の屑籠に棄てられることは間違いないでしょうが、できうれば害悪の少ないうちに、さっさと退場していただきたいものです。



 


短い散歩で、モズに会いました。


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今日はこれにて。


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冷たい雨の桃の節句、の巻 [今日の暦]

今日は雛祭り、桃の節句です。


これは梅ですね。


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これはなんでしょう。


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今日は一日雨でした。朝散歩も雨の中で、お見せできる写真が撮れません。


夕食は孫宅でカレーライスをごちそうになり、そのあと、昼間孫達がバアバとつくったシフォンケ-キをデザートにいただきました。


これも写真はありません。




下は昨日の朝散歩の写真です。


ビニールハウスが朝日を浴びています。


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うっすらと霜を帯びたホトケノザ。


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水玉光る麦の芽。


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ツグミ。


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コガモの群れも個体数が減りました。


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お母ちゃんが仕事なので、三歳児を預かりました。


深山公園へ行ってみましたが、フード付きの上着でも少し寒い感じ。


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カモの数が少なくなりました。


今日の付録。


先日訪ねた後楽園で、上空を舞っていた鳥。


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オオタカでしょうか?PENTAX DA55-300mmの望遠側で、ノートリミングでこのサイズに写りました。慌てると画面中央に収まりません(汗)


今日はこれにて。


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忘れてました、の巻 [今日の暦]

こまっしゃくれたチコちゃんに「ぼーっと生きてじゃないわよ」ととがめられるのは不快ですが、確かにとみに注意力散漫で、大事なことに後で気づく事が多いです。


昨日が二月二十日であること、二月二十日が多喜二忌であることはそれぞれ認知しているつもりですが、その二つが結びついたのは、昨日の記事をupしたあとのことでした。遅かりし由良之助です。


当ブログでは、毎年欠かさずこの日の記事を書いてきましたが、先日の「高知新聞」への投稿との関連で、2015年掲載の記事をひもといてみることにします。


多喜二忌に北の多喜二南の槙村を思うの巻


NHKの朝ドラ「マッサン」で、息苦しい戦争の時代のやりきれなさが極まっていきます。前回の「花子とアン」同様、またまた官憲・特高の傍若無人の暗躍が、市民のささやかな幸せを踏みにじっていきます。
スコットランド生まれの妻エリーへの迫害は、戦時の偏狭な排外主義の愚かさを際だたせますが、でも、21世紀の現代の「ヘイトスピーチ」を頂点とする差別主義・排外主義の論理と、あまりにもそっくりですね。

ところで、意に染まぬものを強圧によって押しつぶし排除しようとする権力が、歯止めを失って暴走する時、どんな信じられないことが起こりうるかということを、今日の地元紙「山陽新聞」のコラム「滴一滴」を読んで、考えさせられました。

〈ああ、またこの二月の月が来た/本当にこの二月という月が嫌な月/声を一杯に泣きた
い/どこへ行っても泣かれない/ああ、でもラジオで少し助かる/ああ、涙が出る/眼鏡がくもる〉▼29歳で非業の死を遂げた息子を思い、母が書き残した詩だ。作者は小林セキ。「蟹(かに)工船」で知られる作家小林多喜二の母である▼プロレタリア文学の旗手と呼ばれた多喜二は、1933年2月20日、東京で特高警察に捕まり、拷問を受けて絶命した。治安維持法のもと、思想や言論を理由に拘束され、命まで奪われた。この国で、82年前に起きた出来事だ▼多喜二と親交のあった作家志賀直哉がセキにお悔やみの手紙を送っている。「不自然な御死去の様子を考え、アンタンたる気持ちになります」。まさに暗澹(あんたん)たる時代だった。その年、日本は国際連盟を脱退し、ドイツではヒトラー政権が誕生した。世界は戦争へと向かった▼終戦まで、遺族は多喜二の名前すら口にできずに耐え忍んだ。戦後、セキが語っている。「思想も、言論も、出版も、結社もすべて自由になって…何というありがたいことでしょう」(「母の語る小林多喜二」新日本出版社)▼戦後70年。多喜二の名前は知っていても、その最期を知らない人は多いのではないか。時代を決して後戻りさせてはならない。心に刻む多喜二忌である。 

今日は多喜二忌です。

(中略 )

今日のもう一つの話題は、同じく治安維持法の犠牲となった文学者槙村浩のことです。

「北の小林多喜二、南の槙村浩」と呼ばれました。

(中略)

槙村浩は、明治末の1912年に土佐の高知市に生まれました。幼少期は、3歳のときに医学書をすらすら読む、小4の時、『支那論』を書き、高知を訪れた後続の久邇宮邦彦に「アレキサンダー大王」について御前講義を行う、文部次官が来高してテストをして中学3年の学力があると評したなど、神童・天才ぶりを示す数々のエピソードが残っています。
彼は私立土佐中学へ2年飛び級で入学しますが、そこで体育の時問に先生と衝突して、海南中学校へ編入学します。ここでも軍事教練の学科試験に白紙答案をだすなど、軍事教練反対運動を組織し、放校になります。そのため、岡山の私立関西中学校へ転校し、そこを卒業しています。
関西中学校を卒業して高知に帰郷後、詩作を中心にプロレタリア文学運動に参加し、あわせて労働運動・反戦運動を続けますが、これらの活動のため政府の弾圧を受け、拷問と投獄により身体を壊し、1938年に病気で死去しました。享年26歳でした。

(中略)

昨年12月24日のこの記事にも書いたとおり、高知のN先輩からのお便りにより、高知市にある「草の家」が、昨年秋に「槙村浩生誕100周年特集『ダッタン海峡10号』」を発行されたことを知り、お願いして先だって手に入れました。

ちなみに、下の画像は、「草の家」ホームページに紹介されている第9号の写真です。

手元に届いた冊子「槙村浩生誕100周年特集『ダッタン海峡10号』」では、上の藤原義一さんも、それからわが先輩Nさんも、また、別の先輩Mさんも、それぞれ別の角度から槙村浩に光を当てる文章を寄せておられます。

冊子が配達されて、ぱらぱらと斜め読みをしているちょうどその日の夜、愛知に住む古い友人のI君から電話をいただきました。

I君は、学生時代、同じ学科、同じ専攻の一年下で、なんと、当時私の間借りしていた下宿の、隣室に入居してきて、当時ご存命だったお父様と一緒に「引っ越し挨拶」に私の部屋を覗かれたのが最初の出会いでした。

部屋には個室のバス・トイレはもとより、共同の風呂もなく、トイレは母屋のものを共同使用、洗濯機も共同使用、台所も、冷蔵庫も、エアコンも、テレビも、電話もない、「シンプル」そのものの、昔ながらの下宿生活でしたが、それ故、ある種の共同生活に似た親密な交際が始まりました。

これを綴れば、世にあるいろいろな「青春記」の上を行く、愉快でペーソスを帯びたスリリングなドラマが生まれるはずですが、それはまたの機会に譲ります。

同一下宿での共同生活は一年ほどで終わり、それぞれに別の下宿先やアパートに引っ越しましたが、大学・私生活を問わず、濃密な交友が卒業まで続きました。

卒業後は、住む場所も仕事も隔たって、彼は、学術書を中心とする出版業の中心的役割を得て奮闘を重ね、今は退職生活に入っています。何年かに一度、同窓会のような場で出会うレベルの頻度でのおつきあいですが、一瞬で当時に戻ります。

最近では、去年の11月、この記事で書いた出会いを楽しんだばかりです。

その彼からの、突然の電話の要件は、たまたま、 槙村浩と『ダッタン海峡10号』についてでした。

そして、きっといつか、高知市平和町の墓所にお参りをしたいねと約したことでした。


先日の新聞投稿につながるウラバナシとも言えるエピソードです。


ところで「愛知に住む古い友人のI君」は、当ブログの別記事では「ハチロー君」という呼び名でも登場します。そのハチロー君も交えて親密なお付き合いをいただいた学生時代の先輩のひとりが、イチローさんです(ややこしい)。偶然にして私と同郷の出身なのですが、大学卒業後、職場の関係から関西住まいでしたが、介護のため、退職後、郷里に生活の比重を移しておられます。


一昨日帰郷の際に、両親の買い物に付き合ってスーパーに立ち寄ったところ、そのイチローさんとばったり出くわしました。実はちょっと前にも同じようなことがあり、縁は異なものと感じたことでした。


この日、イチローさんは、例のメガソーラの件(はたらく自動車?クリーンエネルギー???の巻 ほか参照)で、地域の方と一緒に、市に申し入れに来られての帰りだそうでした。立ち話で新聞投稿の件を伝えると「行く載せてくれたなあ」と感心しつつ、大いにねぎらって下さいました。


今日は、懇意な方々とお会いする機会がありましたので、新聞を数枚コピーして、趣旨を伝えました。


しかし、予期した以上に、槇村浩をご存じでない方がありました。顕彰の必要性を改めて感じています。


深山公園の、ほころび始めた桜の花を、RICOHGXR+a12+インダスター61(廉価ロシアレンズ)にクローズアップフィルター(+3)をつけて撮影してみました。5000円のレンズとは思えない描写ではないですか?


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南(みんなみ)の便り届くや今日雨水 [今日の暦]

今日は暦の上では「雨水」(うすい)。


辞書にはこうあります。


う‐すい【雨水】
1 あまみず。
2 二十四節気の一。2月19日ごろ。水ぬるみ、草木の芽が出始めるころの意。《季 春》「薩埵(さった)富士雪縞あらき―かな/風生」

出典 小学館デジタル大辞泉


朝から暖かい雨でした。特別の用事もありません(雨のため何もできません)が、妻とともに郷里の父母を訪ねてきました。夕方、帰ってみると郵便ポストに、二通の郵便物がありました。差出人は、一つは高知新聞社、もう一つは高知在住のN先輩です。
前者には、2月18日付の「高知新聞」が同封されており、私の投稿が同日付の「声ひろば」欄に掲載された旨知らせて下さっていました。


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後者には、同じ新聞の「声ひろば」欄掲載ページを、同封してくださり、投稿への感謝とともに、「これをきっかけに(生誕地碑建設の)運動を盛り上げたいと心しています」と添え書きしてありました。


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「瓢箪から駒」で、もしも運動が成就して、生誕地碑が建設されるようなことになったら、きっかけの一端を担った一人として、ひそかに鼻を高くしたいと勝手に夢想しているところです。


今日の雨水の写真は撮り損ねました。穴埋めとして、昨日の鳥写真の残りを掲載しておきます。


ヒヨドリ。


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シメ。


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ハクセキレイ。


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メジロ。


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ツグミ。


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今日はこれにて。




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孫の手作り恵方巻きほか、の巻 [今日の暦]

午後は雨、という予報でしたので,午前中プチ散歩をしておきました。


原因不明の、節々の痛みは昨日よりは、かなり解消しました。雨が降る前にと、ジャガイモ植え付け予定の畑に堆肥や肥料を混ぜ込む作業を、今朝も短時間やっておきました。思えば,最近何度か繰り返しているこの作業が,ある種の筋肉痛を招いたのかも知れません。あるいは、肩にかけたカメラバッグを、よいしょと位置を変える際にも、こわばった痛みを感じますので、寒い中、思い機材を持ち歩いたせいかとも反省してみます。


と言うわけで、今朝のプチ散歩は出来るだけ軽量コンパクトでと、割り切って、PENTAXQ7+標準単焦点レンズ(01 STANDARD )だけをポケットに入れて歩く、、、つもりでしたが、やっぱり望遠系レンズを持っていなかったら後悔するはず、、、と思ったばかりに、手頃な場所に置いてあったPENTAXK10D+DA55-300mmを持ち出す羽目になりました。雨が降り始める前に帰るつもりでしたので、雨対策はしませんでした。


PENTAXQ7+01 STANDARD だと,広角系の写りになります。


散歩道添いの畑の白梅。


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ロウバイも艶やか。


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やはり、望遠系で写したくなりました。


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こちらの紅梅は盛りを過ぎたようです。


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今日の夕食は、孫一家が恵方巻きをつくるというので,お呼ばれしました。


まず小5男子が3本ほど作り、


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妹もチャレンジし、


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負けじと中学生も参加。


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恵方に向かってみんなでいただきました、美味しゅうございました。


小2女児が昼間の間につくった豆まきセット(段ボールづくりの鬼の立体模型と新聞紙を丸めてつくった豆ボール)でひと遊びしながら、市販の福豆をポリポリ食べて、楽しい豆まきでした。


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我が家のピアノの上には、いろいろな絵本が並べて立てかけてあり、なぜか、その中の一冊に「おにたのぼうし」(ぶん/ あまんきみこ え/いわさきちひろ)があります。


 


 



おにたのぼうし (おはなし名作絵本 2)

おにたのぼうし (おはなし名作絵本 2)

  • 作者: あまん きみこ
  • 出版社/メーカー: ポプラ社
  • 発売日: 1969/08/01
  • メディア: 単行本



哀しい鬼のお話です。


今日はこれにて。


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柿の日に柿を食う、の巻 [今日の暦]

昨日ご紹介した「ラジオ深夜便誕生日の花と今日の一句」の、今日、10月26日の誕生花はモヨウビユだそうですが、その項に添えられた句は、これ↓


柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規


正岡子規については、過去何度も話題にしてきましたが、2013年の今日、こんな記事を書いています。


柿の日や何を夢見る紅葉の手(季重なり)


柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規
またまた子規の話題です。ブログのタイトルが「ナードサークのシキ」というくらいですから(汗)。
今日は、子規がこの句を詠んだとされる日で、それにちなんで「柿の日」と定められているそうです。奈良県公式ホームページによると、全国果樹研究連合会のカキ部会が、全国柿産地の賛同を得て制定、2005年8月に日本記念日協会の認定を受けたとあります。


子どもの頃から知っていて、「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺 ゴーン」と行って友達と遊んだ句ですが、私にはこの句のすばらしさは、もう一つわかりません。古都奈良のたたずまいと、秋の冷涼な空気感、柿の鮮やかな色と歯触りの快さ、そして甘くジューシーな味わい。きっぱりと切り取られた見事な季節感、、、、。等と書いてみると、もっともらしく聞こえはしますがね。

この句を詠んだのは、法隆寺ではなく東大寺のほとりの宿屋だとか。食べた柿の品種は、奈良の「御所柿」であるとか、伝えられています。

(中略)

今日は何の日?その2。

未明、4人目の孫が生まれました。日付が変わる頃、兆しを感じて病院へ送り、そのまま入院。

連絡を受けて、大阪から高速道を飛ばしてきた二男は、幸運にも丁度お産に立ち会えたようで、 感銘深げでした、

今日、みんなで、赤ん坊を見てきました。

「親ばかになりそう」と、新米親ばかが言っていました。

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(中略)

モミジの手、よりも小さい。

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いとこ同士。

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この赤ちゃんだった女の子が今日5歳になり、さっき電話をかけてくれました。まことに光陰の矢のごとしです。


この記事に書いた「柿の日」という記念日についてはすっかり忘れていましたが、たまたま今日は田舎に帰って、柿をたくさん採って帰りました。


山の畑に老木が何本かあり、家の庭にも柿の木が植わっています。


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見栄えは悪いですが、味は上々。秋の恵みです。



先日耕耘した畑に、たくさん足跡があります。鹿の親子が跳ね回って遊んだらしい。


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家に接した菜園場のニンジンの葉もかじられたと、老母が感心していました。


ミカンの葉は、アゲハの幼虫に侵食されていますし、、。


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今日は秋晴れの良い天気でしたが、下り坂に向かうという予報通り、アマガエルが鳴き出しました。


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実際に、夕方には雨が降り始めました。明日もぐずついたお天気だとか。


家に帰ると、お向かいさんが、庭の柿の木に実った富有柿を、お裾分けにくださったそうです。まさしく、柿の日でした。


きょうはこれにて。


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秋立つや32度なら凌がるる、の巻 [今日の暦]

今日は立秋。

昨夕、実に久しぶりに雷雨があったせいか、朝方は、少しだけ涼しいかも知れません。

東の方では、激しい雨が心配の様子。ご用心ください。

今朝の散歩風景です。

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思えば、毎年同じような画像と同じような記事を載せています。ちょっと探った限りでも、、、。

秋立つやなまあたたかきかぜなれど
秋立つや白きひかりのなほ白き
プライベートビーチの昼下がり、残暑と言うには余りの暑さ、の巻
野分のまたの日、の巻
↑去年の8月7日の記事です。引用します。

まだまだ、秋は遠い、と毎年同じようなことを書いています。2014年の記事を引用します。
秋立つやなまあたたかきかぜなれど

 そういえば、台風の影響もあるのでしょうが、今朝は少し涼しく感じます。実際、朝8時の気温は26℃と、散歩中も快適でした。。日中の最高気温も、31℃~32℃と予想されており、真夏日とはいえピーク時からは随分しのぎやすくなりそうです。

もちろんまた、暑さのぶり返しはありましょうが、だんだんに秋に向かっていることは間違いなさそうです。
散歩中に出会う蝉も、最も暑い頃が発生のピークというクマゼミの姿が薄れ、やや涼しさを好むとされるアブラゼミの比率が増してきたようです。
(中略)
今日にちなんだ歌を一つ。

秋立つ日よめる
秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる  藤原 敏行

【解釈】  暦の上では立秋の今日、「秋がやってきた」と、目にははっきり見えないけれど、吹く風の音にはっと気づかされることだよ。

(中略)

「おどろかれぬる」は、動詞「おどろく」+自発の助動詞「る」+完了の助動詞「ぬ」がつながったものです。

古語の「おどろく」には、①目が覚める。②はっと気づく、③びっくりする、などの意味があります。ここでは②の意味です。

助動詞「る」には、①受身(~によって~される)、②尊敬(~なさる)、③可能(~できる)、④自発(自然と~される)の用法があります。④が、この語の本来の意味だったようです。この歌の場合も、④です。

(中略)
古典文法入門のお時間はここまで。お粗末でした。

 この歌は、古今集に収められている藤原敏行の歌で「秋立つ日よめる」と詞書(ことばがき)にあるとおり、立秋の日に詠んだ歌です。
ですからありのままの実景を詠んだと言うよりは、「立秋」というお題にこと寄せて、頭の中で考えて「理屈」で作り上げた歌と言うべきでしょう。このような傾向は、「理知的」「論理的」と称される古今集の歌風の特徴ともされます。

とはいうものの、肉眼には見えない秋の訪れが、一瞬の聴覚のはたらきによって、はっきりと感じ取られるという繊細な季節感覚は、う~んと、納得せずにいられません。「う~ん、参った」という感じですか。

独断かも知れませんが、視覚よりも聴覚、聴覚よりも嗅覚が、より生理的、より原初的、より直感的な感覚であるように思えますから、まず聴覚で季節の推移を感じるというのは、よくわかります。


黄色く色あせた古びたノートを元に授業する老教師の風情ですな。だが、その老教師はのたもうたそうな。「真実は一つ」。
今日は、午前中エアコンなしで凌げました。室温計を見ると32℃~33℃をさしています。
連日の酷暑に慣らされて、風があれば「涼しい」と感じる始末です。
ここ数日の気温がこんな具合でしたから。
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昨日も昼間は37℃という暑さでしたが、小学生を連れて深山公園で遊びました。木陰ですので、少しは涼しいですが、少し遊んでお弁当を食べたら、さすがに午後の日射しに耐えかねて、もう「帰ろう」となりました。
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目にした鳥は、スズメ、キジバトの他にはヤマガラ1羽。
チョウは活発に吸蜜しています。
ツマグロヒョウモン♂
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これ、キアゲハですか?
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暑さに負けず、元気いっぱいなのは蝉。
家の近所では、クマゼミとアブラゼミが席巻していますが、少し環境が違うのか、ツクツクボウシがよく鳴いています。声のする方にj目を凝らして、小5の孫が発見しました。
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下は、近所の散歩道のアブラゼミ。
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空蝉のアップ写真。
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これは今朝の散歩道で見つけた光景。
クマゼミがもがいていますが、逃れられません。
ゆっくりと近寄ってくるジョロウグモ。
大きな獲物です。
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最後の写真は、3歳の保育園児。
姉妹ともに、ばっさり髪を切りました。
「これなあに?」
「どうするん?」
内にでも興味を示します。
この望遠鏡、金星大接近をとらえたくて久しぶりに引っ張り出したのですが、うまく観察できません。
むかし、 土星の輪も観察できたこともあったのですが、、、。
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今日はこれにて。

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今年も灼熱の8月6日、の巻 [今日の暦]

朝から焼けつく8月6日の朝です。

73年目の8時15分が近づいています。

TVドラマ版「この世界の片隅に」が、刻々と運命の刻に近づいていきます。

「原爆ドーム」になる前の「産業奨励館」の無傷な姿も実写再現で登場します。

原作のその場面が、昨年今日付の朝日新聞DIGITALが紹介していましたが、禁複製とありますので、リンクだけ貼っておきます。

その前の日に行けるタイムマシンが欲しいです。

この世界の片隅に コミック 全3巻完結セット (アクションコミックス)

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  • 作者: こうの 史代
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2009/04/28
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小説 この世界の片隅に (双葉文庫)

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  • 作者: こうの 史代
  • 出版社/メーカー: 双葉社
  • 発売日: 2016/10/13
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先日庭瀬城址公園へ、大賀ハス(古代ハス)を観察に行った帰り、家の近所の蓮根田に寄ってみました。前回、大雨の後に訪ねたときよりも、あたりの田圃一面に見事な花を咲かせていました。

蓮根田のハスの花(2018)
蓮根田のハスの花(2018) posted by (C)kazg 蓮根田のハスの花(2018)
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きょうはこれにて。

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大雨の七夕、の巻 [今日の暦]

今日は七夕ですが、大変な大雨が続きます。

ようやく、先ほどから少し雨脚が弱まった感じです。

 「6日(金)19時40分に岡山県に発表されていた大雨特別警報が7日15時10分に解除されました。(ウェザーニュース)」とあります。土砂災害への警戒はさらに続けるように、とのことです。
大変な大雨で、被害も甚大のようです。以下、地元紙「山陽新聞」の記事です。
西日本を中心に7日、記録的大雨で土砂崩れや水害が相次いだ。岡山県では土砂崩れで住民と連絡が取れなくなったほか、川の決壊、増水などで人や車が流されたとの通報が相次いだ。県や消防によると午前11時現在、1人が死亡、7人が行方不明。各地で取り残された人が多数おり、警察や消防、自衛隊が捜索や救助に向かっている。被害はさらに拡大する恐れがある。(中略)
県のまとめでは、住宅の損壊、床上・床下浸水が相次ぎ、約13万1900世帯の約30万人に避難指示・勧告が発令され、26市町村の365カ所に避難所が設置された。道路関係では土砂崩れなどで160路線が全面通行止めとなった。
交通機関では、JR在来線は県内を走る全線で運転を終日取りやめ、山陽新幹線は新大阪―小倉間で始発から運転を見合わせた。高速道は山陽、岡山、中国自動車道とも県内区間は全線通行止めとなった。(中略)
岡山地方気象台が7日午前11時までにまとめた48時間雨量は、岡山県鏡野町富416・0ミリ▽真庭市久世400・5ミリ▽新見市新見392・5ミリ▽笠岡市335・5ミリ▽岡山市307・0ミリ▽倉敷市260・0ミリ―に達し、全25観測地点のうち20地点で観測史上最大を記録した。8日午前6時までの24時間雨量は多い所で北部200ミリ、南部150ミリと予想している。
こんな被害が報告されています。
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緊迫性を伝える動画がupされています。
ご心配をいただきましたが、我が家はみんな無事。また美作の老父母も無事、特に被害もなくてすんだようです。
不謹慎ですが、朝散歩がてら、近所の水の様子を見てきました。
いつもの散歩道からの眺めです。この水は、おなじみの小川(農業用水路)なのですが、見慣れない溢水状態です。
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車で少し移動して、コンビニに駐車。倉敷川方面に歩いてみます。
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流れは比較的穏やかですが、水かさが尋常ではありません。
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右手前に、澪標(みおつくし)があります。鵜が止まっています。
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さて今度は、自動車を玉野市方面に動かして、鴨川近辺の様子を見てみます。
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小川の水が溢れそうです。
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鴨川の流れが、いつにない濁流になっています。
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堤防沿いの歩道。
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なんとこの歩道に、川の水が流れ込み、、、大きな鯉が紛れ込んでいました。
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捕まえて帰って鯉の洗いでもつくろうかと、一瞬思いましたが、オウムの7人もの死刑が同じ執行された翌日だけに、さすがに殺生は思いとどまりました。
オウムの犯罪、その非人道性、反社会性、残虐性は、坂本弁護士(一家)への襲撃・殺害事件一つをとっても、決して許されるものではありません。しかし、その動機・意図・真相は謎のままです。その後の一連の奇怪な犯罪の真相も、同様で、死刑執行によって、もはや解明されるチャンスは失われました。なにより、犯罪への改悛も、被害者への謝罪もないままに、恨みを残して首を括られた極悪非道の犯罪者は、悪鬼となってこの世に災いをなすにちがいないではありませんか?この大雨も、あるいは、その怨念の表れかも知れませんね。いえ、あくまでもこれは比喩です。何が何でも政府憎し、アベ憎しの偏った言説と、決めつけないでくださいね、ネトウヨのミナサマ。

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「沖縄慰霊の日」にグスコーブドリを思う、の巻(3) [今日の暦]

冗長で読みにくかった前回記事を、分割して補筆しました。





県民の4人に1人が亡くなったという73年前の沖縄では、ブドリやネリが直面した一家離散の悲劇が、もっと大規模に、もっと残酷に子どもたちを襲ったのでした。

一家離散の悲劇といえば、「米国で不法移民の子2千人以上が親と引き離されている問題で、トランプ大統領は20日、不法入国で拘束された親子をともに収容するための大統領令に署名した。一方、不法入国者を訴追して収監する「ゼロトレランス」(不寛容)政策は続けるとしている。(朝日新聞degital)」そうです。
また、地元紙山陽新聞の6月22日付けコラムも、家族が引き裂かれる現代の悲劇を告発しています。

父親を過労自殺でなくした小学1年生が「ぼくの夢」という詩を書いている。大きくなったらタイムマシンをつくり、行きたい所があるという。〈お父さんの死んでしまう まえの日に行く そして「仕事に行ったらあかん」て いうんや〉▼「全国過労死を考える家族の会」のホームページで紹介されている。過労による突然死や自殺で大切な家族を失う人をこれ以上、増やしたくない。遺族らは1991年に会を結成し、活動してきた▼その家族の会が強く反対しているのが、政府が今国会での成立を目指す働き方改革法案である。

「お父さんの死んでしまう まえの日に行く」タイムマシン以外にも、「働き方改革法」が成立する「まえの日」に行くタイムマシン、「カジノ法」が成立する「まえの日」に行くタイムマシンを大勢の子どもたちが切望しなくてすむように、家族泣かせの悪法を成立させないたたかいこそが肝要でしょう。


ところで、戦争のない状態を平和と捉える「消極的平和」に対し、貧困、抑圧、差別などのない状態を「積極的平和」とする概念を唱えたのはヨハン・ガルトゥング博士でした。「平和とは、あたり前に生きること。その命を精一杯輝かせて生きること」(相良さん)という言葉は、まさにそれと相通じる明察でしょう。
以前、こんな記事を書きました。

「追伸」の補足と今日の愉快な鳥見散歩、の巻


憲法前文に明記された平和主義は、単に戦争や暴力のない状態を目指すだけではなく、 「専制、隷従、圧迫、偏狭、恐怖、欠乏」などの除去をめざしています。ノルウェーの社会学者ヨハン・ガルトゥングが、「戦争のない状態を平和と捉える『消極的平和』に対し、貧困、抑圧、差別など構造的暴力のない状態を『積極的平和』とする概念を提起」(ウィキペディア)したのと、軌を一にする先進性は、特筆されるべきものでしょう。
ウィキペディアは、そのヨハン・ガルトゥング氏のコメントを次のように紹介しています。

 安倍政権の掲げる積極的平和主義に関して、ガルトゥングは「安倍首相は『積極的平和』という言葉を盗用し、私が意図した本来の意味とは正反対のことをしようとしている」「私が1958年に考えだした「積極的平和」の盗用で、本来の意味とは真逆だ」「積極的平和は平和を深めるもので、軍事同盟は必要とせず、専守防衛を旨とします。平和の概念が誤用されています」と述べ、さらに「積極的平和は全く軍事的なものではない」として、「安全保障関連法案は、平和の逆をいくものです。成立すれば、日本は米国と一致協力して世界中で武力を行使していくことになるでしょう。そうなれば、必ず報復を招きます。日本の安全を高めるどころか、安全が脅かされるようになります」と批判している。

 アベさんがひねり出した造語「積極的平和主義」は、海外では“Proactive Contributor to Peace”(「平和への積極的な貢献」)などと翻訳され、平和学における「積極的平和」(Positive Peace)とははっきり区別されているそうです。なんと、わが外務省も、総理の会見などの英訳で“Proactive Contributor to Peace”という表現を使っているそうですね。(フリージャーナリスト志葉玲さんのこの記事=安倍首相は「積極的平和」の意味を理解できていないので、戦場ジャーナリストが懇切丁寧に指導しますよ!志葉玲参照)

「積極的平和」という概念をイメージしようとするとき、宮沢賢治のしばしば用いた「本当の幸い」という言葉を思い出します。

・みんなのほんたうの幸福を求めてなら私たちはこのまゝこのまっくらな海に封ぜられても悔いてはいけない。(「宗谷挽歌
・全く全くこの公園林の杉の黒い立派な緑、さはやかな匂い、夏のすゞしい陰、月光色の芝生がこれから何千人の人たちに本当のさいはひが何だかを教へるか数えられませんでした。(「虔十公園林」)
・「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」
「うん。僕だってそうだ。」カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」ジョバンニが云いました。
「僕わからない。」カムパネルラがぼんやり云いました。(「銀河鉄道の夜」)

「グスコーブドリの伝記」の末尾の文章にも、この「みんなの本当の幸い」というテーマが読み取れるように思います。

けれどもそれから三四日たちますと、気候はぐんぐん暖かくなってきて、その秋はほぼ普通の作柄になりました。そしてちょうど、このお話のはじまりのようになるはずの、たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かいたべものと、明るいたきぎで楽しく暮らすことができたのでした。


「このお話のはじまりのような」、穏やかで楽しく美しい森の暮らしぶりこそ、中三の少女相良さんが言い当てた、「平和とは、あたり前に生きること。その命を精一杯輝かせて生きること」そのものの具体的あらわれでしょう。それと真逆の方向へと進むアベ政治の、劣化し腐敗しきった逆立ちを根本的に正して、「みんなの本当の幸い」にむかう政治がいまほど切望されるときはありません。

今日はこれにて。



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「沖縄慰霊の日」にグスコーブドリを思う、の巻(2) [今日の暦]

先日、NHKの早朝ラジオ番組「ラジオ深夜便」で聴いた、仲代達矢が読む(演じる)宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」について、触れてみたいと思っていました。

昨日の沖縄慰霊の日に朗読された相良倫子さん(今年)、安里有生君(5年前)の詩が、連想を呼びました。

「グスコーブドリの伝記」は、過去の記事でも、話題にしたことがあります。

イーハトーブのパクリです、の巻。

先日のこの記事に、momotaro様からありがたいコメントをいただきました。
 こちらをお訪ねするといつも驚きます。多様な生物に溢れているので。
海辺で山があるからなのでしょうが、まるで別世界です。
ふと、ナードサークとはどういう意味なのかなぁと思って検索してみました。するとずらっとこのブログ関連のことが出てきました。ということは、これは一般用語ではないのでしょうか。宮沢賢治の小説に出てきそうですが…
機会がありましたら教えてください、恥ずかしながらお尋ねします!

わたしの思わせぶりなブログタイトル「ナードサークの四季」の名づけに関して、興味を持っていただき、検索までしていただいたとのこと。恐縮至極です。
取り急ぎ、以下のコメントをお返ししましたが、あるいは、ほかの読者の方にも同様お手数をおかけするかも知れないと思い、再掲することにします。
> 多様な生物に溢れている
コメントいただいて、改めて思い至りました。日頃は有り難みに気づきませんが、ほとんど近隣エリアで、あれこれの生き物に会えるのは幸せなことです。
> ナードサークとは
お手間を取らせて申し訳ないです。全くのでっち上げの造語ですm(_ _)m ゴメンナサイ
ご推察の通り、宮沢賢治が岩手をモチーフに「イーハトーブ(イーハトヴォ)」という理想郷を想い描いたのにあやかって、わが居住地の地名をもじってみました。2003年頃から数年間、見よう見まねで作って遊んでいたホームページに、「ナートサークの四季」と名づけた写真コーナーを置いたのが始まりです。その後、「平成の大合併」のあおりで、もとの地名は消滅してしまいましたが、、、。
> 恥ずかしながらお尋ねします!
恥ずかしながらお答えしました(汗) 

上述のホームページ(現在は存在しません)には、宮沢賢治の作品「グスコーブドリの伝記」に関する紹介文を、載せていました。以前、高校生向けに書いたものをもとにしています。参考までに再掲させていただきます。

 
宮沢賢治というと、「注文の多い料理店」だとか、「風の又三郎」だとかの沢山の童話を思い出す人も多いだろう。また、彼の死後、発見された手帳にメモ書きしてあったという、次の詩も有名だろう。 
雨ニモマケズ/風ニモマケズ/雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ/丈夫ナカラダヲモチ/欲ハナク/決シテ怒ラズ/(中略)/アラユルコトヲ/ジブンヲカンジョウニ入レズニ/東ニビョウキノコドモアレバ/行ッテ看病シテヤリ/西ニツカレタ母アレバ/行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ/南ニ死ニサウナ人アレバ/行ッテコハガラナクテモイイトイヒ/北ニケンクヮヤソショウガアレバ/ツマラナイカラヤメロトイヒ/ヒデリノトキハナミダヲナガシ/サムサノナツハオロオロアルキ/ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセズクニモサレズ/サウイウモノニワタシハナリタイ
 この詩は、あの侵略戦争のさなか、「欲しがりません勝つまでは」のスローガンとともに、国民全体に犠牲と我慢を強要した戦争推進勢力によって、もてはやされ、利用されたが、それは、賢治の本意とは正反対のものだった。賢治は、「憎むことのできない敵を殺さないでいいように早くこの世界がなりますように、そのためならば、わたしのからだなどは、何べん引き裂かれてもかまいません」(烏の北斗七星)と考える人であって、戦争遂行のために、欲のない柔順な「デクノボー」であれと説教を垂れるような人間ではなかった。
 賢治のふるさと岩手は、北海道を除くと日本一の面積をもちながら、畑や田圃にできる土地は少なかった。山林が多く、それも大半が国家と皇室の所有だった。農家の平均耕地は50アール以下。農家でありながら米が食えず、生まれた赤子を“間引き”したり、娘を身売りする例も少なくなかった。
しかも、稲が実らぬ「寒い夏」が、たびたび発生し、数年に一度の割合で凶作に見舞われた。
 賢治は、この貧しい農村で、質屋と古物業を営む資産家の長男として生まれた。賢治が、物事をつきつめて考えず、与えられた地位に安住する人間であったなら、富裕な旦那衆のひとりとして悠々と人生をエンジョイすることができたかもしれない。しかし、彼の知性と人生にたいするきまじめさは、貧しい農民の犠牲のうえに成り立っている宮沢一家の繁栄に無批判ではいられない。
 父親と対立しながら、みずからの意志で盛岡高等農林学校(今の岩手大学農学部)に主席入学し、科学的農業のありかたを学んだ彼は、助教授としての研究生活への薦めを断って、貧しい東北農民の幸福のために身を捧げる道を選ぶ。彼をつき動かしたものとして、熱心な仏教徒としての信仰心が指摘されるが、その背後には東北農民の貧困という現実への憤りと農民への共感があった。
 賢治は、その童話のなかで、岩手をイーハトーブ、盛岡をマリオ、仙台をセンダートなどと呼び、独特の世界を作り上げた。グスコーブドリは、イーハトーブの木こりの子どもで、ネリという妹がいた。ところが飢饉になって、ブドリの父も母も、子のために、自分たちは食物をとらず、森の中に姿をかくして死んでしまう。妹のネリも知らない男に連れ去られ、行方不明になる。
 残されたブドリは、大人たちにだまされたり脅されたりしながら成人し、クーボー大博士の信頼を得て火山局に努めることになる。老ペンネン技師に学んだ彼は、電気で肥料とともに雨を降らせるなど、農業の発展に貢献する。行方不明のネリとも再会でき、楽しい日々が訪れる。
しかし、ブドリが27歳のとき、またあの恐ろしい寒波がやってくるとの予報が出た。火山島を爆発させれば、空中の炭酸ガスが増え、気温を高めることができると、彼は提案する。しかし、そのためには最後の一人が島に残らねばならない。その役を買って出たブドリにクーボー博士は言う。
 「それはいけない。君はまだ若いし、いまの君の仕事にかわれるものはそういない。」 「私のようなものは。これから沢山できます。私よりもっともっと何でもできる人が、私よりもっと立派にもっと美しく、仕事をしたり笑ったりして行くのですから」
63歳のペンネン技師が「僕がやろう」というのをふりきり、火山を爆発させて、ブドリは死ぬ。童話は、「そして、たくさんのブドリのお父さんやお母さんは、たくさんのブドリやネリといっしょに、その冬を暖かいたべものと、明るい薪で、楽しく暮らすことができたのでした」と結ばれる。
 賢治は、花巻農学校の教師として、数学・農業・化学・英語・気象・稲作実習など、国語以外のすべてを教え、農村青年と生活をともにした。彼は、単に授業をするだけでなく、よい音楽を聞かせ、西洋美術の複製を見せ、自分で作詞作曲したミュージカルをやらせたりもした。農業実習が終わると、川に行って泳ぐ、泳ぎ疲れると、賢治を囲んで、みんなが話を聞く。石や鉱物や、地質学や、鮎や魚の話。
 そんなとき、賢治は突然言った。「人間はなぜこの世に生まれたか?」
「私はこの問題を、こんな風に考えています。人間はなぜ生きるかということを知らなければならないために、この世に生まれてきたのです。そして、この問題を本気になって考えるか考えぬかによって、その人の生存価値が決定すると思います」
 賢治は、「わたくしにとって、実に愉快な明るいものでありました」という4年4カ月の教師生活に、別れを告げる。農学校に来れるのは、農民と言っても比較的裕福な自作農の子弟だ。大多数の農民は、無知のまま、貧困のまま放置されている。農業学校だけでは、この貧しい農村を豊かにできない。農民が百姓仕事を
しながら、芸術をも楽しむゆとりを持つにはどうすればよいのか。
 賢治は、自分自身農業に専念しながら、近在の農民に、肥料や稲作について無料で
指導する毎日を送ることになる。金持ちの息子の道楽と思われることを嫌った彼は、仕事に出るのはだれよりも早く、また、一人でもたの農民が残っていれば、その人が帰るまで、仕事をやめなかった。個々の農民の相談に応じて、2000枚もの肥料設計を書いてやった。菜食中心の粗食に耐え、時にはトマトを何個かかじるだけの日もあった。ついに、過労のため、結核になる。しかし、少し調子がよいと、畑仕事をしたり、農民の相談にのったりするから病気は治らない。
 一九三三年九月、急性肺炎の高熱をおして、板の間に正座して長時間の相談に応じたのがもとで、病状悪化し、生命を閉じる。三七歳だった。
 「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(農民芸術概論綱要)ー---賢治の信念であり、自らに課した戒めでもあった。
参考:戸石泰一エッセイ集「愛と真実」、吉村英夫「ワクワク近代文学八話」


上の紹介文は、それなりに要点を押さえているとは思います。それ故、敢えて再掲させてもいただいたわけですが、ラジオ深夜便での仲代さんの読みを聞いて、自分のこれまでの読解がいかに浅く表面的だったかを、いたく感じさせられました。
何しろ、作品の冒頭部分からして、牧歌的で懐かしい、幸せなりし幼時を描いた場面として、それなりの印象を持っては読んだのですが、仲代さんの読みは、まったき宇宙としての森の豊饒さと、そこに暮らすブドリの家族の、生命の喜びに満ちた日々を活き活きとイメージさせるものでした。ああ、そのゆえにこそ、抗うことのできない飢饉のむごさ、一家離散の無惨、自然の猛威による蹂躙への無念さが際立つのだと、改めて感じました。かけがえのない大切なものが、眩しいほどのかがやきをもって描かれてこそ、ブドリの身を捨てての献身の意味が薄っぺらなものでなくなるのです。

一 森
 グスコーブドリは、イーハトーヴの大きな森のなかに生まれました。おとうさんは、グスコーナドリという名高い木こりで、どんな大きな木でも、まるで赤ん坊を寝かしつけるようにわけなく切ってしまう人でした。
 ブドリにはネリという妹があって、二人は毎日森で遊びました。ごしっごしっとおとうさんの木を挽ひく音が、やっと聞こえるくらいな遠くへも行きました。二人はそこで木いちごの実をとってわき水につけたり、空を向いてかわるがわる山鳩の鳴くまねをしたりしました。するとあちらでもこちらでも、ぽう、ぽう、と鳥が眠そうに鳴き出すのでした。
 おかあさんが、家の前の小さな畑に麦を播いているときは、二人はみちにむしろをしいてすわって、ブリキかんで蘭の花を煮たりしました。するとこんどは、もういろいろの鳥が、二人のぱさぱさした頭の上を、まるで挨拶するように鳴きながらざあざあざあざあ通りすぎるのでした。
 ブドリが学校へ行くようになりますと、森はひるの間たいへんさびしくなりました。そのかわりひるすぎには、ブドリはネリといっしょに、森じゅうの木の幹に、赤い粘土や消し炭で、木の名を書いてあるいたり、高く歌ったりしました。
 ホップのつるが、両方からのびて、門のようになっている白樺しらかばの木には、
「カッコウドリ、トオルベカラズ」と書いたりもしました。

前掲の紹介文で、私が「ところが飢饉になって、ブドリの父も母も、子のために、自分たちは食物をとらず、森の中に姿をかくして死んでしまう。妹のネリも知らない男に連れ去られ、行方不明になる。」とあっさり書いた内容は、決して外れてはいないでしょうが、仲代さんの朗読は、重さ、むごさに胸をかきむしられる思いを募らせる迫真性でした。

記事をここでいったん中断し、続きは次回に譲ります。



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「沖縄慰霊の日」にグスコーブドリを思う、の巻 [今日の暦]

今日は戦後73年目の「沖縄慰霊の日」。
過去にもこんな記事を書きましたが、今日もまた思いは同じで、同工異曲の記事になりそうです。

沖縄慰霊の日に思う


沖縄慰霊の日に思い出すこと。


沖縄慰霊の日に思い出すこと(その2)


沖縄慰霊の日に思い出すこと(その3)


沖縄慰霊の日に思い出すこと(その4 最終回)

今日の「毎日新聞web版」は,こんな記事を伝えています。

追悼式では、沖縄県浦添市立港川中学3年の相良倫子(さがらりんこ)さん(14)が、自作の平和の詩「生きる」を朗読した。沖縄戦を生き抜いた曽祖母の体験を聞き、「平和とは、あたり前に生きること。その命を精一杯輝かせて生きること」と考えた。生まれ育ったこの美しい島から伝えたい。「鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。命よ響け。生きゆく未来に。私は今を、生きていく」
相良さんの詩は県平和祈念資料館が募った「平和の詩」971点の中から選ばれた。
 うるま市に住む94歳の曽祖母は戦前から理容店で働き、地上戦を体験。友人が目の前で被弾して命を落としたことや家族と離ればなれになった話を聞き、相良さんは「戦争の残酷さを感じた。曽祖母の存在から平和や戦争について考える機会が増えた」と振り返る。
 5月に曽祖母が入院したことで、「生きる」を詩のテーマに決めた。「優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた」「青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった」。作品では「戦争の残酷さがより伝わる」と美しい島の現在の情景と73年前の戦場を対比的に描いた。
 「戦争は人を鬼に変えてしまうから絶対してはいけない」と教えてくれた曽祖母。「この詩が一人でも多くの人に平和や戦争について考えるきっかけになってほしい」と願う。「一日一日を大切に。平和を想って。平和を祈って。なぜなら、未来は、この瞬間の延長線上にあるからだ。つまり、未来は、今なんだ」【佐野格】

また、同じく今日の「朝日新聞web版」は、相良さんの詩の全文を掲載しています。長い詩ですが引用させていただきます。

私は、生きている。/マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、/心地よい湿気を孕(はら)んだ風を全身に受け、/草の匂いを鼻孔に感じ、/遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。
私は今、生きている。
私の生きるこの島は、/何と美しい島だろう。/青く輝く海、/岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、/山羊(やぎ)の嘶(いなな)き、/小川のせせらぎ、/畑に続く小道、/萌(も)え出づる山の緑、/優しい三線の響き、/照りつける太陽の光。
私はなんと美しい島に、/生まれ育ったのだろう。
ありったけの私の感覚器で、感受性で、/島を感じる。心がじわりと熱くなる。
私はこの瞬間を、生きている。
この瞬間の素晴らしさが/この瞬間の愛(いと)おしさが/今と言う安らぎとなり/私の中に広がりゆく。
たまらなく込み上げるこの気持ちを/どう表現しよう。/大切な今よ/かけがえのない今よ
私の生きる、この今よ。
七十三年前、/私の愛する島が、死の島と化したあの日。/小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。/優しく響く三線は、爆撃の轟(とどろき)に消えた。/青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。/草の匂いは死臭で濁り、/光り輝いていた海の水面は、/戦艦で埋め尽くされた。/火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、/燃えつくされた民家、火薬の匂い。/着弾に揺れる大地。血に染まった海。/魑魅魍魎(ちみもうりょう)の如(ごと)く、姿を変えた人々。/阿鼻叫喚(あびきょうかん)の壮絶な戦の記憶。
みんな、生きていたのだ。/私と何も変わらない、/懸命に生きる命だったのだ。/彼らの人生を、それぞれの未来を。/疑うことなく、思い描いていたんだ。/家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。/仕事があった。生きがいがあった。/日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。/それなのに。/壊されて、奪われた。/生きた時代が違う。ただ、それだけで。/無辜(むこ)の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。
摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。/悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。/私は手を強く握り、誓う。/奪われた命に想(おも)いを馳(は)せて、/心から、誓う。
私が生きている限り、/こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。/もう二度と過去を未来にしないこと。/全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。/生きる事、命を大切にできることを、/誰からも侵されない世界を創ること。/平和を創造する努力を、厭(いと)わないことを。
あなたも、感じるだろう。/この島の美しさを。/あなたも、知っているだろう。/この島の悲しみを。/そして、あなたも、/私と同じこの瞬間(とき)を/一緒に生きているのだ。
今を一緒に、生きているのだ。
だから、きっとわかるはずなんだ。/戦争の無意味さを。本当の平和を。/頭じゃなくて、その心で。/戦力という愚かな力を持つことで、/得られる平和など、本当は無いことを。/平和とは、あたり前に生きること。/その命を精一杯(いっぱい)輝かせて生きることだということを。
私は、今を生きている。/みんなと一緒に。/そして、これからも生きていく。/一日一日を大切に。/平和を想(おも)って。平和を祈って。/なぜなら、未来は、/この瞬間の延長線上にあるからだ。/つまり、未来は、今なんだ。
大好きな、私の島。/誇り高き、みんなの島。/そして、この島に生きる、すべての命。/私と共に今を生きる、私の友。私の家族。
これからも、共に生きてゆこう。/この青に囲まれた美しい故郷から。/真の平和を発信しよう。/一人一人が立ち上がって、/みんなで未来を歩んでいこう。
摩文仁の丘の風に吹かれ、/私の命が鳴っている。/過去と現在、未来の共鳴。/鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。/命よ響け。生きゆく未来に。/私は今を、生きていく。

この詩を読む前に,私は今日のブログ記事をこう書き起こそうとしていました。
今朝(6/23)の地元紙「山陽新聞」のコラムに、こんな詩が紹介されていました。

おともだちとなかよし
かぞくが、げんき
えがおであそぶ。
ねこがわらう。
おなかがいっぱい
ヤギがのんびりあるいている

コラムはこう続きます。

沖縄全戦没者追悼式で5年前、作者の安里有生君が朗読した詩「へいわってすてきだね」だ。純粋で真っすぐなことばは、人気絵本作家の長谷川義史さんにも響き、絵本になった。(中略)▼世界に目を転じると,笑顔で遊べず、おなかをすかせた子どもたちがまだまだいる。冒頭の詩はこう結ぶ。「へいわがつづくようにぼくも、ぼくのできることからがんばるよ」。まずは大人が頑張らねば。

6歳(当時)の少年の思いと、14歳の少女の思いの切実さが、等しく胸を打ちます。平和とは、平和の願いとは、決して抽象的な飾り文句ではなく、子どもたちがその手で掴み、五感で感じ取ることのできる、具体的でシンプルな実体でなければなりません。「平和とは、あたり前に生きること。その命を精一杯輝かせて生きること」けだし至言です。

以下、次回に続きます。



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万物長じて満つる「小満」、の巻 [今日の暦]

今日は「小満」だそうです。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
小満(しょうまん)
二十四節気の一つ。立夏ののち15日、陽暦5月22日ごろにあたる。万物がしだいに長じて満つる意である。[根本順吉]

自然界の万物、みな元気に満ちています。
昨日の日曜日は、天気が良い上にカラっとして涼しいので、畑の耕耘と草刈りのために、田舎へ帰ってきました。小5の男子だけがつきあってくれました。
小5生は、耕耘機を使うのは、もう三度目ほどになりますから、2条ほども立派に耕してくれました。あいにくカメラを畑まで持って行きませんでしたから、 勇姿を納めることはできませんでした。畑を一枚、一通り耕したあと、お墓の近くの笹が生い茂る「元畑」の草と笹を刈りました。私が草刈り機を使い、小5生と88歳の母が鎌で刈り払います。なかなか目に見えて成果は現れるものではなく、ほどほどに切り上げました。五月の空がきれいでした。カメラを持たないので写せませんが。
写したのは、これだけ。
家のそばの溝で捕まえた沢ガニです。




今朝早朝のラジオを聞いていましたら、今日の「誕生日の花」はセキチクだと紹介していました。

先日散歩中に見たこの花。ナデシコと思っていましたが、あるいはセキチクかも知れないと思うようになりました。さてどうでしょう?

同じラジオ番組で、「今日は何の日?」という話題を紹介していました。
その中の一つ。リンドバーグが太平洋横断飛行に成功したのが今日だそうです。
ウィキペディアの記事を借ります。

リンドバーグ翼の日
1927年のこの日、チャールズ・リンドバーグがパリに到着し、大西洋無着陸横断飛行に成功した。
前日の午前7時52分、「スピリット・オブ・セントルイス」と名附けられた飛行機でニューヨークを出発。21日の午後に、「翼よ、あれがパリの灯だ」という有名な言葉とともにパリのル・ブールジェ空港に到着した。飛行距離は約5800km、飛行時間は33時間30分だった

1927年というと、奇しくも父が生まれた年です。



今朝早く、その父がメールをくれました。
新聞の投書欄に、こんな投稿が掲載されたというのです。

傍らに、「デスクから」というコメントが添えてあって、他の人にはないことと、喜んでおりました。
実は投稿掲載は↓この時に続いて2度目です。
父の新聞投稿デビューその他、の巻
その後、二度ほど没になって残念がっていましたが、それだけに喜びはひとしおだったでしょう。
今朝は、 耕耘した畑に、母と一緒に胡麻の種を蒔いたそうです。



何日か前から、玄関軒下のツバメの巣に、雛が孵ったらしいと気づいていましたが、今日は、もうこんなに大きくなっていることに気づきました。





心配していましたが、これなら無事に巣立ちそうです。
今日はこれにて。

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今日の暦、の巻 [今日の暦]

地元紙「山陽新聞」の今朝の朝刊の第一面のコピーです。


第3面にも関連記事がありました。

一部引用します。

安倍晋三首相(自民党総裁) が目指す憲法改正に手詰まり感が漂っている。9条への自衛隊明記を首相が提起したのは昨年の憲法記念日。 自民党は4項目の条文案を3月にまとめたが、不祥事続発による政権不信で、国会での議論は進まない。首相が旗を振れば振るほど各党は距離を置き、首相周辺からは戦略練り直し論も出ている。(1面関連)
言葉とは裏腹
「1年間で改憲論議は活発化し、大きく変化した。自民党も議論を重ね、いよいよ煮詰まってきている」。1日、首相は外遊先のヨルダンでの記者会見で、改憲論議の進展ぶりを強調した。
首相は昨年、2020年の改正憲法施行をめざすと発言。その意を踏まえ、党は政治日程を考慮し、今年中の国会発議を視野に入れてきた。 だが森友、加計学園、自衛隊日報職概などの問題で情勢は厳しい。首相は周囲に「改憲は森友問題などと関係ない。これまで通り進める」と意欲を示すが、言葉とは裏腹に苦しさがにじむ。

そして社説でも、、、。

一部引用です。

日本国憲法はきょう、施行から71年となった。自民党が2月、改憲条文案を参院の憲法審査会に示し、議論の加速を狙う中で迎えた憲法記念日である。相次ぐ不祥事で政権の求心力が低下し、安倍晋三首相の悲願である改憲に向けた勢いはそがれつつあるとはいえ、改憲の是非や内容について、近いうちに国民投票で選択を迫られるという局面は現実味を失ってはいない。
首相が、新憲法を2020 年に施行したい考えを突如表明したのは昨年の憲法記念日のことだ。その後、自民党は国民投票を経て20年の新憲法施行という筋書きを描き、1 年かけて、 首相の意向に沿った9条への自衛隊明記など4 項目の改憲案をまとめた。年内の国会発議をなお視野に入れているようだ。
(中略)
野党ばかりか与党の公明党からも改憲への慎重論が出ている。加えて、自民党案が世論の理解を得ているとは言い難い。 共同通信社が先週まとめた世論調査では、9条改正について「必要ない」46%、「必要」44%と拮抗した。災害など非常時に法律と同じ効力を持つ政令を内閣が制定できる緊急事態条項は、個人の権利を制限する条文に「反対」56 %、「贊成」42%だった。無償化など教育充実のための改憲は「不要」が70%を占めた。参院選の合区解消は、8割が解消すべきと回答したものの、改憲という手法への賛成は33%にとどまる。
(中略)
緊急事態の対応は、既存の災害対策基本法などで対処できるとの指摘が多い。教育無償化も改憲に踏み込むまでもなく、法律で可能だろう。そうした点も合め、国民が自民党案に緊急性や必要性を感じにくいのではないか。 自民党にとって″本丸″の9条改正案は、戦力不保持を定めた2項を維持した上で、世界有数の装備を持つ自衛隊を戦力とみなさずに明文化する点で分かりにくい。自衛隊は「必要な自衛の措置をとるための実力組織」とするが、必要な自衛の措置という暖昧な表現により、今は限定的行使にとどめている集団的自衛権の範囲が広がることを警戒する声も少なくない何を変え、何を変えずにおくべきか.党内論議さえ不十分なま,事を急ぐべきではない。ましてて、期限ありきや改憲自体が目的化したかのような進め方に陥るなら、国民の広範な理解は到底得られまい。(後略)

至極もっともな指摘です。
次は、ネット上の画像をお借りします。



こんな状況を「「1年間で改憲論議は活発化し、大きく変化した。自民党も議論を重ね、いよいよ煮詰まってきている」(ヨルダンでの記者会見)と言ってのけるアベさんの認知能力には、大いに疑問がありますね。え?今に始まったことではない?こりゃまた失礼!



昨日の雨が、今朝は上がり、風は強いですが日射しがあります。
二十四節気では、今年の「 穀雨」は、 開始:4月20日(金)~終了:5月5日(土)だそうです。つづく「立夏」が、 開始:5月5日(土)~終了:5月21日(月)だとか・
ウィキペディアに、二十四節気と七十二候の詳しい表が出ていました。一部をコピーしてみました。

ここ数日は、七十二候でいう「牡丹華(ぼたんはなさく)」に当たるようです。
散歩道に牡丹(またはシャクヤク?)が咲き始めています。






「薔薇華(ばらはなさく)」


「雛罌粟華(ひなげしはなさく)」



これは禁制のアツミゲシではなさそうです。

「雛菊華(ひなぎくはなさく)」

「梅花空木華(ばいかうつぎはなさく)」


「矢車菊華(やぐるまぎくはなさく)」



今日はこれにて。

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